2012年11月21日
門戸厄除~西宮神社(西国街道終わり)~山陽道・三宮
門戸厄除 6時45分スタート 三宮駅 15時45分着
55.004歩 35.75km
自宅を4時40分に出て林間駅5時11分にのり難波へ、地下鉄~梅田阪急で門戸厄除駅へ。いよいよ4日目にして西国街道を完歩するが、少しペースが遅いような気がする。西宮神社まで3日間で行きたかったが、きょうで西国街道を完歩する。
引き続き、山陽道の三の宮まで行っておくことにする。
門戸厄神駅から早速(寄り道)、門戸厄神へ行ってみます。駅西側から西北に進んでいきますが、距離は結構あります

参道に大きな 常夜灯 があります

常夜灯の傍に移設された 墓石型道標

門戸厄神

厄除開運の厄神明王が祀られている 東光寺。嵯峨天皇が厄年の折、夢の中で愛染明王と不動明王が一体となって災厄を払い、魔を退治する力を感じた。それをもとに弘法大師がつくった3体の明王像のうち1体が東光寺に祀られている厄神明王であるとされている。

山門 色鮮やかな山門綺麗です


延命魂(根)



門戸厄神東光寺の正面

門戸厄神駅北側の踏切を渡り左斜め旧道を南西に進む

門戸厄神駅前で道は分岐しています、正面角にローソンがありますので、旧道は右の狭い道を入ります

駅前からの旧道は南西にほぼ真っ直ぐに道なりに新しい住宅地を進んでいきます。約1㎞は逆の一方通行道です。門戸荘内で交差点を横断します、交差点を右を見ればローソンが左にあります。またここの交差点まで右に溝が続きます。約350m
さらに道なりに南西に、50m程先左に側溝が左(南)へ流れています。さらに260m程先左に西宮丸橋郵便局があり、そのかどの交差点で小川を渡ります。その先100m程で車道の信号交差点を横断します。交差点から左を見るとセブンイレブンが見えます。さらに逆一方通行道を200m程進むと変則六又路に出ますが真っ直ぐです、ここで逆一方通行道は終わります。

変則六交又点より180m程進むと道は分岐しますので左の道に入り、すぐ20m程先でも分岐しますので右への道

右に折れて100mほどの分岐を左に進むと

数十mで御手洗川に突き当たります。街道はかつて川を渡り左斜めに進み、西宮中央運動公園の中を通っていたようですが今は消失しています。左に御手洗川に沿って進むことになります

三階建て建物の左を旧道は通っていました。門戸厄神駅からこの辺り一帯旧家は見当たりません、新しい住宅地として変貌しています

【寄り道】ここで御手洗川に沿って右に上り広田神社へ行きます。600m程進むと常夜灯があり松並木の参道です


広田神社
「日本書紀」によると、神功皇后新羅遠征時の帰途この神社が出てくる古社で社格が高い神延式の神社

広田神社境内にある延喜式内社摂社 伊和志豆神社 創立年代は不詳であるが清和天皇貞観元年(859)官幣小社に列せられている。もとは広田神社の東南約1.5㎞のところにあったが、大正六年広田神社の境内に移転、戦後は本社に合祀していたが、平成二年社殿を再建。

境内にある 松尾神社

広田神社の見学を終わり御手洗川に沿って元の街道の辻に戻ります。
そこから川沿いを下る左に 豊乗寺 があります。右(西)川向に中央運動公園を見ながら進むと、171号線の御手洗川橋信号交差点に出ますので右に折れて少し171号を重複します。左にジョーシンがあります。

その少し先で171号線より左に折れる旧道があります。右は運動公園で、この道にかつての前述の旧道が公園を通って合流していました

左(南)に折れた真っ直ぐの青木町の旧道を暫く進みます

やがて阪急神戸線の高架を潜ります

高架を潜ったすぐ先右のブロック塀に組み込まれた 地蔵さんの祠

すぐ続けて右に 祠

この先少し写真と記憶が一致しないので道は文章で説明します。
高架の先、二つの祠を右に見て中須佐町にはいり広い車道に交差します、交差点を真っ直ぐ横断して津田町に入ります。左に市営津田町住宅10号棟西棟、右(西)側奥に西宮署があります。
すぐ十字路に出ます、左に公園があり十字路を少し右に方向を変える左は公園です。公園の過ぎたところで左から車道が合流し、すぐ先で信号交差点にでるので左に折れると、東海道本線の高架が目の前で潜ります。左に御手洗川から東川に流れが変わります。その先で国道2号線の東川信号交差点を横断します


交差点信号西角にセブンイレブン、左は東川が下っている、広い車道を進みます。
すぐ右奥に 臨済宗 海青寺 応永元年(1394)開山の名刹

境内の樹齢600年以上の クスノキの巨木(天然記念物)



海青寺の東側の街道から、国道2号線の高架、東海道本線の高架を振り返る

高架を潜った先左に 延命地蔵尊

街道左側に官幣大社広田神社の 道標

広田神社の道標と阪神高速道路神戸線の高架が前方に見えます、いよいよ西国街道も終わりです

街道は阪神高速手前で東川に合流する支流に架かる橋を渡りますが。旧道は、前述の上天神橋の少し南側の交差点右にファミリーマートがあるところで、左斜め東川に沿って右岸を下っていたと思われます。
そして200m程先で、左(東)から東川に架かる東川橋を渡ってきた 中国街道 がここで合流します。中国街道と合流して西国街道は右に折れて、この橋の手前に出てきていたが、今は民家があり旧道は消失しています。
橋を渡ると高速道の側道の一筋手前の交差点を右(西)に折れます。現在の中国街道はこの交差点に左から出てきています。

その右角に 浄土真宗本願寺派浄慧山 正念寺 があります。お寺の角を右に折れて旧道は続きます

お寺の道を挟んだ左側、東川に出てみると、左の4階建て建物辺りで東川を渡っていたようです

今の中国街道と西国街道の交差点から、西の 【西宮宿】の街並みを見る

角の正念寺全景、かつての西宮宿はここが東の入口になり、西の入口、西の宮神社まで一直線の宿場ですが、今は旧家もなく建て替えられています。

西宮宿は本町を中心として東西に、本陣・脇本陣・継立所・札場・旅籠で賑わった。この通りを峯大路といわれ西宮神社まで続く約800m

正念寺を過ぎたすぐ左に 地蔵尊

本町交差点の札場公園、この辺りからかつては西宮神社まで街道部分は高く道の両側が低く、民家が並んでいた。全くその面影を偲ぶことはできない

蛭児大神御興屋伝説地の碑



やがて西宮神社の東門に突き当たります 西宮神社の東門

神社の南東角に 道標兼常夜灯 寛政十一年(1799)建立「西宮太神宮 左 京都・大坂道」 「右 兵庫・はり満道」


西宮神社“西宮のえべっさん” として親しまれている、全国のえびす神社の総本社
室町時代の大練塀と、桃山建築の表大門は重文に指定されている


本殿への参道

西宮神社の南側正面の 鳥居



西国街道は西宮神社で完歩です
【寄り道】をします 西ノ宮神社の東南角の戎前信号交差点を南に歩きます。右に浜脇中学校、左に浜脇小学校を見て海辺に向かいます。
西宮マリーナの手前右に 住吉神社


西宮砲台(国史跡)
円筒形の石造り砲台で江戸末期に入り海防の必要が迫られ、勝海舟の進言により、文久三年(1863)着手し完成したのが慶応二年(1866)。幸いにも一度も使用されることがなかった。


砲台の傍の、御前浜の景観

西国街道 完歩
この後、西宮神社まで戻り時間的に早いので、山陽道で西宮神社から三宮まで歩いておきます。資料によっては山陽道も西国街道としている資料もありますが、便利上、西国街道と山陽道を区別しました。
この後、山陽道を何回かに分けて下関まで歩いています。
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