大和街道  4日目

                             2008年3月2日
     吉野郡下市駅~三茶屋

                 ルート1
                 ルート2(本道)
                 ルート3

吉野筋の街道は伊勢南街道と一般的に呼ばれている、そして高見峠を越えて三重県に入り、その先は紀州藩の藩領であった松坂までは和歌山街道言われていますが、地元によっていろいろ呼ばれ方があり、起点がはっきり分からない。今回私は和歌山城下から松坂まで大和街道で通しますが、その間、伊勢南街道・和歌山街道があります。

下市駅近くに車を預け、8時15分出発。今日の予定は小名峠を越えて鷲家までの予定。だが失敗する、三茶屋まで来たときメモリーが切れ取り替えようと思ったところ、入れていたメモリーがない、まだ1時半鷲家まで十分行けるが、近くに店もないし諦めて帰ることとした。でも平常日は一日数回あるが、日曜日はここからのバスは無く、止む無く同じ道を10㎞引き返さざるを得なく吉野口駅まで歩く。
下市の駐車場に戻ると、車の傍にメモリーカードが落ちていた。
この先も補足のため三茶屋まで何回か歩きました。

下市口駅から商店街を南への道を少し下ると十字路がある、右角にお寺のあるところ左(東)に街道をスタートします

十字路を100㎜ほど進んだところで、集会所の建物の所を左に入り近鉄線路近くに進むと 大和大神

街道に戻りさらに100程先で右に入った一つ目の筋の右に大淀下渕 戎神社

大淀町下渕の町並みを暫く進みます

左に大淀町中央公民館があります、。公民館の過ぎたすぐのところで左を見ると線路の向こう側に 金毘羅神社

370号線と交差する十字路に出るので横断します。左には近鉄線の踏切があります。

土田の集落に入ります

左を見ると線路の向こう側に 三護寺が見えます

更に少し進み右に新生堂菓子店の先で少し左に入ると、線路と360号線の向こうの高台に 見栄寺が見えます

傍に があります

小さな川を渡り近鉄線の踏切を渡ると左に土田の交叉点があります。右に折れる

交差点北からの道は、かつての奈良平城京からの 中街道幹道 で奈良時代の古道です(歩きました)370号線はここで終了、北(中街道)からの160号線に変わり右に折れます。
169号線に沿って右に折れます、土田地区が続きます。150m余り進んだ左前方に、土田八幡神社の杜が見えます

左の坂道に 土田八幡神社

この付近にも旧家がたくさん残っています

その先左、土田地区公民館のところを左に100m弱入っていくと 住吉神社

  住吉神社の南西に 浄土宗自心山 浄見寺

街道に戻りすぐ右に近鉄越部駅があります。街道は越部川に架かる坂本橋を渡ります。越部地区に入ります

越部駅の少し先右には、かつて越部宿の中心で、紀州藩主が参勤交代等で利用した本陣跡

右に 旧本陣秋山家跡

左の路地を少し入ると 浄土真宗本願寺派法谷山 弘願寺

新野稲荷バス停のところ左に黄色い鳥居が見えるので石段を上り森への急坂に入ると 新野稲荷神社石碑がたくさん建てられているがかなり荒れていて奥に入っていけない状態

新野地区に入り右にローソン・コメリーがあります

間もなく馬佐口の高架下の交差点に出ます。左に入っていくと私が定年前15年間大変お世話になった勤務先の会社があります。

交差点の左角馬佐地区に入る 

浄土真宗本願寺派大雲山 正光寺

新野の街道沿い右に旧家

左には新野公民館とその入り口に 

その先左にスーパースーパーの前にマンションが立っているが私が勤めるすこし前まで大きな旧家が残っていた。

すぐ先左には新野八幡神社の杜があります

安産守護 新野八幡神社 参道

参道入り口右側にある 

はるか先に高見山が遠望できる街道は高見山の七合目あたりの大峠・小峠を越えていきます。丁度段になったあたりです

やがて北野台団地入口交差点に出ます。交差点の少し先右に近鉄六田駅

左に 祠と石碑

その少し先、北六田バス停の左山麓に 安養寺が見えます。

近鉄高架の手前右北六田公民館の横に 

すぐの近鉄高架を潜ります前方右に柳の渡し跡が見えてきます

高架を潜った左路地奥の高架の袂に お地蔵さん二体

右に柳の渡し跡が見えてきました

柳の渡渡し跡

ここから吉野川対岸の美吉野橋の南詰辺りに渡っていた。奥六田から吉野神宮への道で 行者道(歩きました)と呼ばれていた

少し先の美吉野橋からに吉野川の下流(西)を見る

上流を見る。高見山ははるか先端にあります(写真ではみえていません)

美吉野橋の対岸奥六田河南大和街道で岩出から吉野まで歩いてきた道が対岸を通る

右に川に突き出し水難地蔵尊が祀られている

その先で比曽口交差点に出ます、少し左に坂を上ると踏切手前右に お堂

お堂の傍の近鉄踏切に脇に沢山の 石仏 が並びます出口山門跡と案内があります多分この奥の 世尊寺・比曽寺の山門跡であったのでしょうが、1㎞ほどあるのでかつては広大なお寺だったのだろう

【寄り道】ここで一旦街道を離れ踏切を渡り、1㎞ほど北の世尊時・比曽寺跡によります。

曹洞宗 世尊

不老長寿の桜桜

十三重の石塔

もとの比曽口交差点の街道に戻り再び歩きます。169号線に歩道橋が架かるすぐ先街道は左の増口の集落に入ります

すぐ左に お地蔵さんが祀られています

大淀町西増口の街並み、重厚な建物が並んでいます。

暫く街道情緒のある街並みを見ながら進んでいきます

右に立派な 

増口川に架かる橋を渡ります橋の左側高台に 専立寺が見えます

左側の急な石垣の上に 水分神社 恐いような急な斜面に建っています

正面の石段は急斜面でチョット上るには怖いが、右側から回り込むと上は平たんになっています

ここから吉野川の対岸、吉野山への入り口の橋屋の町がよく見えます

そのすぐ先GSのところで、右からの169号線に合流します

大淀町から吉野町に入りますこの先の大和上市駅から右にカーブした近鉄線が吉野川の鉄橋をゆっくり走り吉野神宮駅へ

169号線を進んでいき尾仁山信号交差点へ出ます、左の坂を上ると大和上市駅です。街道国道を右に分け真っ直ぐの上市町並みを進みます

交差点を渡った先の橋の上から右はるか遠望に、吉野山の大門が見えていますこの川向は材木を扱う工場が多いです、毎月木材市も立っています

左に お堂

お堂の先で近鉄の高架を潜る

上市の町並みを進む

右に上市橋に出る左T字路に出ます。左に新四国八十八箇所上市大師山寺の参道入り口があります。長い急斜面の石段を上っていくとミニ八十八ヶ所の霊場巡りがあります

幾重にもくねくねした石段を上りますまだまだ上りますがとりあえずこの辺りで終わっておきます

上からの眺め、吉野川にかかる上市橋です

街道に降りてきてすぐ左に、お城の石垣のような見事さ。高取城の石垣を組んだ人の手によるもので、外に崩れないそうです。 浄土真宗本願寺派八水山 澤井寺 文明十四年(1482)創建。

そのさき左側に 浄土真宗本願寺派高栄山 浄宗寺

隣には 香井山 大西寺

その先で左に上市郵便局があります、その前で道は分岐します。正面はこの地域の広大な山林等を所有する財閥の北村林業の建物です。

その辻の右に、蛭子宮 振り返ったところで左右からの道がこの辻で合流しています。歩いてきたのは向かって右からです。

 (※)この辻で右からの道が合流してきますが、古い街筋のようなのでどこに出るか少し戻って見ました

この道も古い街並みが続きます。先ほど歩いた一筋南側を並行していますになりま。200m程続きます

向かって右から歩いてきましたが、ここでT字路となり右に(向かって北への道)折れると

先ほど歩いたここ本筋に出ることとなります

先ほどの街道筋です。

もとの蛭子宮と郵便局の前の辻に戻ります。郵便局の前で、蛭子宮の正面の分岐するT字路どちらの道をすすんでも先で合流しますが、正面が北村林業の建物で突き当たります。

ここでまた道が分岐します。
右側の通りの道の方が本道のように思われます。吉野町役場の南側を通ります。ほぼ真っ直ぐに街筋を抜けています。

左側の道は山側の道です。
まず左側の道を進みます、すぐ先で右にカーブしながら坂を上ります

酒造業の建物 

左に  右に吉野町役場があり役場の北側の道を進みます

趣のある民家が残っています。石垣の上に二階建てで、石垣を間切りして入り口になった建物です

T字路の辻になります。正面の建物は浜田タタミ店、右角の民家もかつて旅籠「角屋」であった、角に伊勢街道の小ぶりの常夜灯が立っています。

伊勢南街道はこの先、佐々羅までどの道が正しいのか、どの道も街道らしくて迷います。一応どの道も歩いてみました。T字路を左に進む道は右の千股川に沿い1,2㎞ほど先の左T字路で右に折れます。真っ直ぐ進むと芋峠越え(歩きました)で高取城の山を左に見て明日香の石舞台に出ます。右に下ると吉野川に出ます。

右角の角屋の表に伊勢街道と書かれた常夜灯

左に折れて進む街道(後述します)

右に折れて進む街道を行く。

100mほど下りますと左角に柿色の建物がある十字路に出ます。真っ直ぐ進むと169号線に出ます。

この十字路の辻右からの道は前述の郵便局前、蛭子宮のT字路右の道でここで合流します

一旦ここから再度、先ほどのT字路に戻りここまで歩いてきます。

前述のT字路右側の街道を進みます。暫く歩くと左に吉野町役場庁舎が見えてきます役場前の街道

役場の正面に桜の木が植えられています。その根元に 桜の渡し跡碑があります。

役場前の街道を挟んだ前の路地を下っていきますと

吉野川に架かる吉野大橋の西側に出ます。桜の渡し跡 対岸の丹治地区も古い街並みが残っています

役場前を抜けた先150mほどで、前述の十字路の辻に出ます。十字路を越えたところで振り返ったところ

この十字路を左に折れて坂を100m弱上ると前述の角の、角屋があって常夜灯がある辻に出ます。

十字路を左から下ってくると左に折れ。今歩いてきた道なら真っ直ぐです。左にS字にカーブして東に真っ直ぐ進みます。右近くに国道169号線が平行して走っています。

車一台やっとの道幅の旧道

左石垣の上の台地に お堂

右に「やき餅のこばし」予約か早くに行かなければなくなります。

右からの169号線に合流する手前左に 庚申堂

169号線に合流します。前方にこんもりとした山が見えてきます。妹山樹叢で大名待神社があります

合流した先で左の旧道に入ります

吉野町立野の旧道を進みます

左の立野集会所の下に 

右T字路があります、ここを左に折れて進むのかとも迷いましたが、とりあえず真っ直ぐ進みました。

左への道後述します。

すぐ先で志賀川に架かる橋を渡り車道に出ます。右に169号線の立野口の信号交差点があります。真っ直ぐの道に入ります。

志賀川の上流方向です

車道を横断して50m程進むとT字路となります。正面の山が妹山樹叢(天然記念物)と大名持神社です。

T字路左への旧道が資料にも載っている、伊勢南街道です。妹山の山裾を進み佐々羅・龍門地区に出る道。(この道が紀州藩の参勤交代の本道であったようです

右へ曲がりすぐ169号線にでて左に折れる道は 東熊野街道です

T字路を右に折れた左に立つ石碑「天然記念物妹山樹叢」

隣にある 自然石の道標

大名持神社 もと龍門郷二十一ヶ村の式内郷社古社で格式が高い

妹山樹叢の全景

神社の前から今歩いてきた吉野川の下流を見る

ここで一旦街道あるきを中断、吉野町の歩いた街道ルート道を整理してみます

まず一つ目のルートとして、蛭子宮・郵便局のT字路を左にとって、右に吉野町役場を過ぎた分岐の辻より、左に折れた街道を進みます

前述の「角屋」の辻で左に折れる旧道です

左に折れた先の道

右の千股川に添って上っていきます

左の山裾に 

右への枝道が時々ありますが山裾の道を進みます

左の道を進みます

下千股で左から新しい道が合流します

合流した少し先で左から旧道が合流します案内表示には世尊寺から2.5㎞と書かれています

真っ直ぐ進みます、芋峠6.5㎞を越えて明日香石舞台へ。下千股スマイルバス停です

そこには お地蔵さんも祀られています

道標もありますが刻まれている字が読めません

千股の集落に入ります

左に防災倉庫の建物があります。その横に宣長の詩が立てられています

防災倉庫の横を少し上ると小さな お地蔵さんと祠 

その上に 正学寺

直ぐ先で左T字路に出ます。真っ直ぐ進む細い道が、芋峠から明日香に抜ける街道です(歩きまました)右に進む道が大和街道(伊勢南街道・和歌山街道です)。

左への芋峠へへの道

左の角に 道標 歩いてきた道にも道標があるのはやはり旧道のルートの一つと確信しました。

右に折れた先の旧道

すぐ先で千股川に架かる橋を渡ります

坂を上っていきながら右にカーブしますカーブしたところで前方が少し開け左に 

右から新しい道が合流してくるあたり、かつては左斜めに旧道が山裾を越えていたようですが、今は消失していますので新道に重複してこの先で大きく左にカーブして進みます

左にカーブして進むと左からかつての旧道跡らしき道が山越えで出てきていますが先で消失しています。資料がないので確定はできません。

坂を下っていきますと十字路に出ます、十字路右手前高台に 金福寺

十字路の金福寺を見る。正面右の道を下ってきました。

志賀川に架かる橋を渡り真っ直ぐ暫く進むと左に入る旧道がありそこを左斜めに入ります

すこしすすんで再び右の車道に合流します。その先でも新道と分かれて進む

右からの新道に再び合流して真っ直ぐ進みます少しややこしいので新道を進んでくる方がいいかもしれません。

少し先で佐々羅信号交差点に出ますので真っ直ぐ横断して進みます

交差点左の道は西谷の集落を通り、細峠越えから談山神社を通り桜井へ抜ける峠道の街道です(歩きました)

右への道は前述の妹山の169号線へ出る道です。

交差点を真っ直ぐ横断します、旧道沿いの旧家が残っています

交差点の先の辻で、他のルートの旧道が合流します。

ここの辻で(1)ルートを終わり。
(2)ルートを戻って進んでみます。 

このルートが紀州藩主の参勤交代の道だろうと思われる。
前述の本道の続き、正面は妹山樹叢でT字路、右への道は東熊野街道で、伊勢南街道は左に折れます

左に折れて、右の妹山のの山裾に沿って進む。

少し先の左の製材業の先から振り返ったところ

暫く進んだ先で旧道は左からの車道に合流します

車道となって右の山裾を巻いて左に志賀川に沿って暫く進みます。

やがて信号の分岐点で左の道に入ります

左に入ると再び分岐しますので右の道を進みます。左を進むと前述の佐々羅の交差点に出ます

分岐を右に入った旧道

川に架かる橋を渡り集落に入ります

大きな旧家の建物があります

旧家を振り返ったところ

更に旧家が並んでいます、そのさきでT字路になります

T字路の正面に街道名残の松。ここで前述の(1)ルート道と合流します。伊勢南街道は右に折れます

この辻で(2)ルートが、前述の(1)のルートと合流します。一旦ここで中断して(3)ルートを検証するため戻ります。
(3)ルート、このルートは多分違うと思うが、立野で川の水が氾濫して渡るのに大変であった場合、このルートを利用したかも?
妹山の見える橋を渡る手前の右T字路の辻

左に曲り川に沿って進む少し進むと右から新しい道が合流してきます

この道筋にはあまり集落はありません

右の民家を過ぎて振り返ったところ

やがて(1)ルートで歩いたときの金福寺の下の交差点に出ます。この辻を右に折れます。

本道のルート他二ルートが合流して、街道の精査も終了。元の佐々羅の分岐点から龍門の集落に入っていきます。

合流した地点、左に街道名残松

右から合流する本道(2)の旧道を見たところです

龍門郵便局前を通り進んでいくと道は分岐するが、左の道は弓なりに曲り先で合流する。左の道が旧道で入ります

左に入るとすぐ左に立派な吉野北小学校

弓なりにカーブして右の道に合流する合流した左角に瓦屋根の立派な 祠と灯籠二基傍に古い 道標 があるが読めない

その先左にカーブする角右に 神社と灯籠が三基

左を見ると山裾に 菅生寺

緩やかな山口の坂を上る途中右に 

暫く集落内を進みます右に浄土宗 西蓮寺 街道は真っ直ぐ鳥居の右の道を進む古来より山口神社の別当寺として宮寺:本地堂があった、鐘楼には建長八年(1256)銘の釣鐘があった

街道左側には 山口神社
本殿前の二基の灯籠 代々の紀州藩主は参勤交代の途中、必ずこの大宮に参拝し旅の安全を祈った。二基の灯籠は、徳川吉宗が正徳六年(1716)五月一日八代将軍となったおり二基の灯籠は年来のご加護に報いるために寄進したもの。

この灯籠は文亀三年(1503)癸亥五月十六日の銘があり、吉野地方でも最も古い部類に入る

神社の杜の横を街道は進み、右からの新道と合流して左に進みます

 左にカーブする左角の 

この辺りは小島峠と呼ばれているが、新しい道となり峠の面影は残っていない香束地区に入る

左に 牛滝神社(通称;牛滝さん)

香束集落の突当り手前右擁壁を背にした 

突当り正面の防火ホース箱の横の 自然石の道標  「右 いせ路 左 よしのかうや」

道は先の突当りで右に折れて左に大木かカーブしてここに続いているが、かつての旧道は、突当りあたりから右斜めに進みトンネル手前辺りに越えていたという資料もあるが、今は全くその形跡の跡が見当たらない。

左に擁壁に隠れるように  擁壁の傍にある祠は道路改修時に移された祠

中龍門トンネル手前で右の道に入る

右に入った先の旧道右に入る道はゴルフクラブへ

途中左に お地蔵さん

道は分岐するが真っ直ぐの道を進みトンネルを抜けてきた道と合流。
分岐する右への道は山裾に沿って進み中龍門で合流している。どちらが街道かわからないが、多分真っ直ぐの道沿いに民家が多いのでこちらだろう

合流した中龍門の集落の道

中龍門の柳川に架かる美の田橋を渡ると左に中龍門郵便局・中龍門幼稚園・小学校があります

橋を渡った右手バス停のところで前述の分岐点の道が出てきています。この道が旧道のような気もしてきました。新しい道が出来たので、その道に沿って建物ができたのかもわかりません。

やがて柳地区に入っていきます

左に 願成寺

左の高台に 祠

坂を下る途中左に入る道があります、真っ直ぐの道は新道です。左に入り蛇行しながらしばらく進む

左T字路にでます。真っ直ぐの道は大宇陀からの榛原~三茶屋~新子に抜ける伊勢本街道と東熊野街道を繋ぐ支線(歩きました)です、街道は右に折れます。

右に折れる左角に大小の 道標  東面「右 うたはせ 左 大峯山 道」北面「右 よしの こうやみち」

右に折れて緩やかに下ると370号線に出て横断します。正面に赤い鳥居が見えますその手前の津風呂川を渡ります

右に見えるのが三茶屋の交差点で、レストラン等パーキングがありますがそれを右に見て、街道は真っ直ぐの道を鳥居に向かって進みます。

三茶屋
三茶屋の集落は、東西の伊勢南街道と東熊野街道を結び、また南北に通る宇陀~吉野を結ぶ街道の要衝で古来より発達した。かつて集落内には上茶屋・中茶屋・なかやと呼ばれる三軒の茶屋があって、紀州徳川藩主の参勤交代のおり、ここで昼食をとるところと定められていたところから、三茶屋と呼ばれるようになったと伝わる。
本日はここで終了、次回はいよいよ山道で小名峠を越えて鷲家まで進みます。今回鷲家まで行きたかったが旧道を探したので仕方ない。
三茶屋からのバスもないし止む得ず距離があり時間もかかるが幸い暗くならないと思うので、近鉄吉野線の上市駅まで歩いて戻ることになりました。

               本日の街道は三茶屋で終了

                    次の日はココチラ

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