三木街道 (明石街道・あかし道)

2013年12月23日

明石市西新町駅北の王子、山陽道と分岐点から北へ神戸市西区神出町田井~三木市別所町小林~三木市中心街の本町、ひめじ道・湯の山街道と合流

自宅4時40分に出て、阪神梅田発6時15分で山電西新町駅へ、駅より少し歩いて、山陽道との分岐点まで移動。
       山陽道との分岐    7時30分 スタート
       神戸電鉄丸の内駅へ  16時40分完歩
          45.264歩  27.15㎞  2.079kl

資料がないので街道の道としての自信がない。

工事中の山陽電鉄本線西新町駅

駅の東側の高架下を山陽道が南北に通るので、山陽道と重複して北に進む

200m程先でJR山陽本線の高架を潜るが、その手前左奥に入ると

白平大明神 王子神社

山陽本線を潜り300m余り進んだ 西新町1交差点で山陽道は左に折れ、三木街道は右に折れます

交差点で左に折れた山陽道

三木街道が右に折れた道

交差点左右に分岐する正面一筋向いに 高野山真言宗 十輪寺

 戦災で焼け残った秀吉伝承がある 

交差点に戻り右に折れて100mほど進むと交差点があるので左に折れる

交差点の真っ直(東)ぐには、明石川に架かる嘉永橋がある。正面にある大和製衛本社工場で見えないが、その東側は 明石城址 があります
交差点から今来た西を振り返る

交差点を左に折れて、右に明石川に沿い北に進みます

すぐ左に お地蔵さん

すぐ道は分岐しますが、先で合流しますが分からないので、左の道を進みます

この辺り、北王子町で新しい住宅地に変貌して旧道の面影は皆無

右に 宗賢神社

神社の裏側(東)から先ほど分岐した道が合流してきます。合流地点右に空の祠があります

空の祠内にお地蔵さんは、かにがさかのお大師さん(坂上寺)に帰られましたと書かれている。

合流した右側には、上西橋が架かっていますさらにその先すぐ、左から広い道が合流します

さらに進み玉津町森友に入った交差点があり、左角にイズミヤがあります

イズミヤの東側の堤防道を進みます

山陽新幹線の高架を潜ります

すぐ先左に 宗賢神社

明石川に沿って左に緩やかにカーブする左の駐車場の角に 

祠の先の交差点を過ぎる、右に架かるのは上明石橋

川沿いに進んでいきます

途中左に、小さな 祠が二基 並んでいます

その先、谷本商店の角で道は分岐しますが川沿いを進みました

旧道の面影は全全くないです

単調な明石川沿いの道です でもまだ歩道がガードレールにカバーされているので助かります

明石川に正面右側の伊川が合流しています

暫く進んだ右、堤防上に石造りの小さな 祠 その前で左から道が合流してきますがこの道が旧道でないかと思いました

 南に進み、175号線のイオン店の近くに出ていますが分かりません。

とにかく150m程堤防道を進むと、玉津大橋の交差点で左からの175号線に合流して、交差点を右に折れ玉津大橋を渡ります。

明石川対岸に、天然温泉多満津の里が見えます
玉津大橋交差点を右に折れ橋を渡る

橋から今歩いてきた明石川沿いの道

橋を渡り北詰の交差点を右に折れ、50m程で天然温泉の手前で左に折れます。橋から見たところ

橋の北詰、右に折れる

この温泉の建物の手前を左に折れる

左に折れる先の道

左の175号線に接近しながら蛇行して進む右にパチンコ店

二つの交差点を横断して、左の175号線に50m程合流側道を進み再び右に離れる

三つ目の道を横断(いずれも信号はないが左側すぐに175号線の信号交差点がある)

やがてその先で左の175号線に合流します

 合流した目の前に、第二神明道路の高架が見えて潜ります。高架手前左にヤマダ電機

高架の潜った小山の交差点を左に数十m折れると右に入る道があります。おそらく高架ができる前は旧道がつながっていたのだろ

右に折れて北に進みます

200m程先で玉津ICの高架を潜るIC内の道でした

潜ったところで十字路を渡り北に進みます

交差点を横断します、道は狭くなり左にカーブしながら進みます

カーブした途中右に 

その先すぐに左T字路を右に折れ北に向きを変えます

T字路から100m余り先で右に田中自治会館がありその前の木の下に 石造りの祠

すぐに田中川に架かる橋を渡り川沿いに右に折れます

 田中川に沿って暫く進みます

橋から400m程で交差点に出ます、交差点右に行くとすぐ175号線の田中団地北交差点です。街道は真っ直ぐ

交差点から100m程で道は分岐します、街道は左に進みますが右に折れて田中川に架かる石造りの情緒ある第二田中橋を渡り、鳥居の先で175号線の下をトンネルで潜る

平野八幡神社 立派な神社があります

橋を渡るところに戻り真っ直ぐの道を進みます

街道沿い右には皿池

すぐ先で道が分岐します、右の池に沿って進むと分岐の左角、大野公会堂の横に 鳥居と祠が二基、後ろには椋木の大木池が切れる街道左に小さな  

その先の街道を進みます

左側に お堂

この辺り平野町芝崎地区

だいこく歯科医院の十字路は真っ直ぐ進みます右に入るとすぐ175号線の芝崎交差点

 すぐ先、左に芝崎公会堂公傍に多数の お地蔵さん

公会堂の北側でT字路になります、左側の道を進みます

T字路より左の道西北に150m程進むと広い道の信号のない交差点を横断して北に進む

新しい住宅ですが屋根瓦の備えた民家が並ぶので情緒があります

街道沿い右に大きな塀の囲いをした豪邸

右側に 福中城主間嶋彦太郎菩提所 清涼山 寶珠寺 この辺りは平野町福中

平野町下村地区に入ると右側に広い道路が整備されて東に延びている。右すぐ175号線の下村交差点。多分数年後にはこの道は左に開通して、西の第二神明道路に繋がっているだろう付近の景色も変化しているだろう

その先、300m弱進むと右からの175号線に合流する、合流する左手には平野小学校がある。後でわかったが合流して歩道橋で右側に出ると、175号線の東側を通る旧道があったようだ。

175号線を暫く重複して北に進みます。この街道は単調で史跡も少ない。資料がないので止む得ない

明石川に架かる平野橋を渡る。前述の歩道橋のところから右の旧道を進んでくると平野橋の東側100mの所の堤防に出る。そこでかつて 渡し場 があったようだ

平野橋を渡り北詰の交差点を堤防沿いに右に折れる。平野交差点の西側に天城川が明石川に流れ込んでいる角に 石碑

堤防沿いに進む道

堤防沿い右に 石造りの祠 地元の人によって祀られている

祠をすこし進んだところで、右の明石川を見る対岸からこの辺りと両岸に旧道があり斜めに川を渡っていたのだろうか、はっきりわからないが想像

平野町西戸田地区に入る、車道より少し中に入ると、古くはないが落ち着いた町並みがある。やがて右に神戸西戸田簡易局があります

郵便局のすぐ先で、道が分岐していますので、左の道を進みます。

分岐の左角に 石造りの祠

右角に 道標二基 街道を歩きだして初めての道標
「右 ・・・・・・・」 「左 三木 小野」 
やっとここで三木街道の確信が持てる道標に会う左への道

北への道を進む

平野三木線の道路を横断

街道沿い左木の袂に 

なんともいい風景ださらにすぐ先左にも 

 西戸田の集落を進む

道が分岐する

右の道は真っ直ぐ進んでいる

分岐の左の道、多分、左の道が正しいと思う。右の道よりはるかに近道

とりあえず右の遠い道を進む、右に折れて真っ直ぐ250m程東に進む

やがて集落にはいると突き当たり左に折れる

左に折れるとすぐ右への道があるが、左の常本公会堂の前を北に進む

150m程先で右T字路左に折れる。左に折れる角は公園でその先右に鳥居が見えます

右の高台に 大将軍神社

神社の前から西に200m程進みます

平野町常本地区に入ります

前述の分岐した道の、左の近道がここの左に出てきます。向かって左から進んできた。分岐点から200m弱だから多分こちらの道が旧道と思う

合流した辻、ミラーのある辻から10m程で右(北)に曲がる

真っ直ぐ北に進むこと200mほどでT字路となり左に折れます

左に折れると50m程で175号線の十字路に出ますので右に折れて暫く重複して歩きます。

 175号線もここまでくると様相が変わり、道幅が狭く歩道が無くなりますが、車は結構走るので注意が必要

この辺りもまだ神戸市西区で平野町黒田地区に入ります。右に旧道跡のような道がありますので入ってみました

柵に沿って人がすでに通らない道跡を進みましたが、先が消失していて進めないので元に戻りました

右に入っていった廃道を振り返る

再度300m程175号線を進んで振り返る。廃道となった先ここに旧道が出てきていた、150m程住宅があるので舗装された道だが行き止まりとなる。旧道跡を見つけ満足

神出町田井に入ると右にクボタ農機の会社の手前右に入ります

クボタ農機の会社を巻くように左にカーブする

静かな旧道を進む

左に 

やがて左からの175号線に合流する、合流する左角に、Honda Cars西神戸がある

右に折れて175号線を30m程進むとすぐまた右に折れる道に入る。

その右角に 蘇民神社

畦道を左に大きくカーブしながら東から北に進む

その先で左にカーブする

やがて再び175号線に出て右に折れる合流する左は兵庫ダイハツ

神出町南地区の175号線を進む

暫く変わり映えのしない175号線を淡々と進む田井南の中央分離帯のある65号線の交差点に出る。右手前にカーチェンジA1西神戸店

交差点を越えた少し先で、斜め右に入る旧道が分岐するのでそちらを進む

300m程先で65号線が交差する、すぐ左には175号線の田井交差点がある

交差点のすぐ先右に溜池がある、池の向かいには神出児童館がある

池のすぐ先で十字路、左角に 神出村道路元標と他一基

十字路を越えて進みます、左に横山商店

さらに暫く進んだ先左に藤本商店見えないが右奥には中池がある

神出町東に入ると広い道路に出る手前20m程で左に入る道を曲がる

ここを左に曲がり60m程進むと、車道の交差点に出る、街道は横断します。交差点左すぐに175号線の老ノ口交差点が見える

交差点に出たところで【寄り道】のため右に折れて200m程先へ行ってみます
左に 山王神社 への石段があります

江戸時代、明石藩の「岡の茶屋」として、現在の「お茶山」に設けられた。お茶屋があったことから神社の背後の山はお茶山と呼ばれている。明石藩の藩主は、小笠原・松平・大久保・本多氏などの歴代の城主が鷹狩りにきて、お茶山で休憩されお茶を飲まれたと伝わる。山頂付近からのお見晴らしも非常に良い。

山中にはミニ霊場として祠が祀られている 茶山八十八か所霊場

お茶山(標高172m)の山頂の碑

山頂からの見晴らし

山頂は公園としてベンチもおかれ下から程よい距離でもあり地元の人の憩いの場所として最適

山中の遊歩道

山頂への道沿いには沢山の ミニ祠 が祀られている

南の最明寺側へ下ると 石碑と立像 が沢山

霊場への登り口

車道を挟んだ南側に老ノ口公民館

車道を南北に挟んで 高野山真言宗雌岡山 最明寺 北条時頼ゆかりの寺

鎌倉幕府五代執権北条時頼 かみわり梅

境内の歴史を感じる古い 宝篋印塔

車道から左が、お茶山ミニ霊場巡り。右、最明寺。

寄り道を終わり元の街道の交差点に戻り北に進む

この辺りはかつて湿地帯であったのか溜池がたくさんある。大きな溜池の西側を街道は進む。田畑が広がり歩くのも快適の一言

神出町広谷地区に入ると、小さな川を渡ると街道の両側に大きな溜池が広がり、その間の細い道を進むこと橋から200m程

池と池の間の道が過ぎたところで道は分岐する左の真っ直ぐな道を進む

左の道を60m程先で再び分岐となるので左の道を進みます。右の真っ直ぐの道でも先で合流します

150m程先で175号線を横断します

175号線をおうだんして80m程の先で変則十字路を右に折れます

右に折れて100m程さきで左に 大歳神社

直ぐ先で左からの道と合流して

右からの175号線に合流しますが、車に注意しながら175号線を横断して向こう側の細い道を数十m行くと、先ほど分岐していて迷った道が右からまっすぐ来ます

右からまっすぐ来る道を見ますと、素晴らしい蔵付きの大きな建物があり、その先も集落が並んでいるようです。多分間違ったようで、この道が旧道であった気がします。真っ直ぐ来れば近回りであったのに残念。

左に折れて175号線に合流します

久野病院の前を通り二筋目(50m)を右に折れます

 すぐの突当りを左に折れる筋

真っ直ぐ進みます

少し先で右からの道路と合流して左に折れます

左に折れてすぐ175号線の神出町広谷の交差点に出ます。交差点で175号線は北から北東にカーブしながら離れますが、街道は信号交差点を越すとすぐ右に入る道があるので北西に曲がります

右に曲がる右角に  この道を入ります

神出町小束野地区に入ります左の柵の中は馬場で

馬場の先で建設中の新道路の下を潜ります(今はもう完成しているバイパス道路)

神出町小束野地区を進む

神出開拓発祥の地碑

右にケアセンターろく

その先150m程で十字路に出る、ほぼ真っ直ぐの道を進む広々とした牧草地のような感じ気持ちがいい

十字路から500m近く進むと右からの中央分離帯のある道に変わった175号線に合流左(北)に進む。この175号線の道は明石のスタートからいろいろな顔に変化する道路

175号線にでて200m余り重複して進む

小束野北信号交差点の右角に

小束野北信号交差点の右角に お堂

ここから先どの道を進んでいいのかわからない、新しい住宅地や新道ばかりなので、適当に進むこととします。
お堂の所の交差点を少し入りましたが方向が少しばかり違うよう、ここ右にカレー専門店がありお客さんも多いようでお腹もすいていたので遅い昼食をとりましたおいしかった。175号線に戻り北に進む。やっと三木市に入りました

交差点に戻り、暫く進んだ一つ目の小林信号交差点、右手前角にローソン

小林交差点を右に入ろうかと思いましたがもう少し200m程北に進み、小林北交差点まで進むこととしました

小林北交差点右手前セブンイレブン、この交差点を右に折れました。175号線を歩く三木市の市街地の終点よりかなり西側を通るので、東側の旧道を探しながら進んでいます
200m程進んだ左に、小林中央会館、三木市クリーンセンタ―が続きます

やがて交差点に出ます

交差点を越えた左に 灯籠二基と鳥居 が見えます。この北側にある 小林八幡神社 の参道入り口です

(※)ここまで歩いた街道の結果としてどうも少し途中から違っていたようだと思う。
神出町東の老ノ口の山王神社・最明寺のあった十字路を渡り少し進んだ先あたりで、池の間中の道を進んできたが、その前に右、北東に進み農業大学校の前を通り、小束野池・大沢池を右に見て神出町古神~神出町勝成を抜け、神戸市西区から三木市別所に入り、右に勝成池・小林池の横を進み、今いる小林八幡神社の少し東に抜けてくる道があった。距離にして2㎞余り、そしてそのまま北に進み、城山町から北西に向きを変え、神戸三木線に入り福井の鶯谷交差点を通り、福井の交差点から本町の市街地に入る道が正しかったように思えるが残念ながらわからないが後の祭り。

小林八幡神社の南側の道を少し広い道を南に進むと、まだ開けていない場所の出る、この先開発されるのだろうが、旧道のあったところなのか、自宅から遠いので何度も来れないので諦める。

南に行った途中までの広い道路 この辺り一帯は開発が進んでいて、旧道跡を捜すのは難しく、この先数年後には様相も更に変わることでしょう

再び小林八幡神社の参道に戻り北へ進む小林八幡神社

長い参道を右にみる

神社の西側の道を北に進むと神戸三木線の八幡谷交差点に出るので左に折れました。交差点右にサイゼリヤ店

左に折れて暫く車道に沿って進みました三木市福井地区に入ります

鶯谷交差点で左からの175号線から小林北交差点で分岐してきた道と合流します。

合流点左角に折れた 道標 がありますが読めません

鶯谷の交叉点に入ります、この道は175号線から分岐してきた交差点手前から見たところ。歩いてきたのは右手の白い車が曲がろうとしているところで、その角に道標があります。

右は三木山森林公園

暫く進んでいきます

暫く進んでいったところ、右に 石造りの祠 がある分岐を右に折れます

右に折れるところの 地蔵さん

右に折れて数十mでT字路になりますので左に折れる

右に折れて数十mでT字路になりますので左に折れる。 T字路右に お地蔵さん

左に折れたひだりてに、杣宮町公民館がありそのすぐ先で左にカーブして分岐した道に合流して右へこの辺りは福井3地区

右に折れた車道

少し先左に旗が立っている狭い道を左に入ると小さな川橋を渡った向かいに

杣八幡神社

街道に戻り八幡神社の少し先の、八幡川に架かる八幡谷橋を渡る

福井交差点で真っ直ぐの広い道を進まずその右手の細い旧道に入る。
細い道に入ったところから交差点向こうの歩いてきた道を振り返る

雰囲気が変わって旧道らしさが出てきた

右に大日町公民館がありその一角の角に 大日如来堂 向かって右からきて振り返る

立派な お堂

街道に戻り、この先の旧道は北へ100m程進むと変則四差路に出るので、右に折れて80mでここでも変則四差路に出る、右への道はなく真っ直ぐ進むか左鋭角に曲がるか、左斜めに進むかの道となり、左斜めの道を進む。その先200m程先が五差路の三木農協会館前の交差点で、三木街道の終点となる。

元の街道沿い四差路に戻り、ここで一旦止め、近辺の史跡を回ります。

交差点より西に200m程いった先に 浄土真宗不断院 穪念寺 
創建当時の建物は、天正年間、羽柴秀吉と三木城主別所長治との合戦で兵火によって焼失した。その後、寛文7年(1667)幕府の保護によって再建された。以来、三つ葉葵の紋が使用されている。

薬師如来堂

丸一・仲嶋稲荷社 秋葉大権現者

本町交番前交差点の東角にある 浄土宗九品山 善福寺

街道より東側に入ると 旧小河家別邸

街道の交差点まで戻り変則四差路に出る

四差路を右に折れた筋、右に和洋菓子明月

すぐ先の変則四差路の本町三丁目1街道は正面の細い道を入る

変則四差路の左側に 浄土真宗本願寺派 晴龍寺

晴龍寺の西北、本町交差点の西側に 浄土宗 光明寺 本尊は阿弥陀如来立像
大年寄り「十河氏」、名奉行「都筑十平」両一族の菩提寺
天正8年(1580)頃の創建。二重屋根構造の本堂、仏師安阿弥作の観世音菩薩像33体がまつられ六角観音堂で知られている。山門をくぐった左手にある「南無阿弥陀仏」の名号石は、天正年間(安土桃山時代)の作と伝わる貴重なもの。代々大年寄りをつとめた十河氏は、近世三木町の発展に多大な貢献をしました。
六角観音堂は、貞享元年(1684)に十河氏より寄進された。また名奉行といわれ三木に55年間も在職した都筑十平一族の菩提所でもあります。本堂裏手の霊園には両一族の墓碑が並んでいる。十平の墓はつぎの任地の石見国浜田にある。大年寄り十河氏は光明寺の横に、銭屋という造り酒屋があり家がありました。現在町並みも変わり昔の面影を偲ぶことができないが、銭屋横町という酒場通りが残っている

二重屋根講造の本堂と六角堂観音堂

細い道を入る

三木農協会館前交差点の手前左を見ると、長い白壁に囲まれた 日蓮宗吉祥山 本要寺

交差点に出ます

交差点から合流した辻を見る。向かって左の道から進んできた、右のお寺は本要寺

本要寺は鎌倉時代以前の創建の古刹、羽柴秀吉の三木城攻めの時に本堂のみ幸いにも火災を免れた。延宝5年(1677)徳川4代家綱の時、秀吉の時から今まで免税の恩典が取り消されようとしました。町民は当寺に結集し会合を持った結果、平田町の大庄屋岡村源兵衛と平山町年寄り大西与三右衛門の二人が打ち首覚悟で代表して江戸へ直訴を決行した。老中酒井雅楽頭の屋敷前で断食の座り込みを行い、免租はそのままに、また二人も死罪を免れ無事三木の地に帰ることができた。その顕彰碑が境内に宝永4年(1707)に建てられた。毎年7月18日には義民祭法要と宝蔵虫干しが行われている。

三木農協会館前交差点この交差点で三木街道は終了となる

交差点の左への道はひめじ道、真っ直ぐ進む道は湯の山街道、今歩いてきたのが三木街道と三街道が起点となる、交通の要衝

 (ひめじ道)
天正8年(1580)三木城主となった秀吉は、合戦の時に疎開させていた領民を呼び戻し、城下町を再興した。秀吉は播磨の中心地を三木の地とし、三木城を播磨の拠点としました。
一方、中国地方の毛利攻めの拠点として姫路を定め、翌年姫路城が完成すると、3万の大軍を姫路に移動させました。その時に旧道を改修してつくった道が「ひめじ道」で、江戸時代には参勤交代の大名行列が通った街道として伝わっています。

三木農協会館交差点のひめじ道に曲がった角、階段の下のわかりにくいところに道標がある。何故もっと分かりやすい場所に出さないのか、貴重な史跡なのに
 立石の道標 「右 ひめじ道 左 あかし道」

今からでも遅くない角に出してほしいな。交通事故の対策にも少しでも役に立つと思うが

ひめじ道の街道筋

三木市の起点からの街道

ひめじ道への道筋

湯の山街道を進むとすぐ左に 旧玉置家住宅 すごい重厚な旧家がある、

また次の機会、ひめじ道・湯の山街道を歩きたい、その時までまだ竹中半兵衛の墓所や城跡・雲竜寺も見学残っている

三木農協会館前交差点から帰宅に着く
暫く歩いて神戸電鉄三木上の丸駅へ

三木街道 完歩

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA