2010年12月23日
中国街道は、大阪高麗橋~淀川の十三大橋~神崎川の神崎橋~尼崎駅の南~武庫川の武庫川橋~西宮神社で西国街道に引き継ぐ
【1日目】 2010年12月19日
大阪高麗橋~尼崎駅まで 朝から非常に良い天気に恵まれた。
高麗橋 7時00分 スタート
尼崎駅 15時40分 着
49.045歩 31.87㎞ 1263kl
【2日目】 2010年12月23日(木曜)
尼崎駅~西宮:東川の西国街道の合流点まで 中国街道完歩
西国街道を香枦園駅まで歩き、引き続き、山陽浜街道を歩く
尼崎駅 7時30分 スタート
三宮 16時30分 着
56.797歩 36.91㎞ 1537kl
【1日目】
まだ朝は明るくなっていない、冬にしては今日一日非常に良い天気であった。思っていたより距離がありもう少し先の西の美山で歩けなかった
大阪高麗橋をスタート

高麗橋通りを西に堺筋交差点にでます

右に折れて今橋1の交差点まで進み左に折れます

堺筋の今橋交差点を左に折れて一筋目を右に折れます。左角に北浜局があります

右(北)に折れ北浜通りを越え、土佐堀通りの車の多い通りに出ますが。昔の難波橋は無く、止む無く東に折れます

左の堺筋に架かっている土佐堀川と堂島川を難波橋で渡ります


難波橋北詰を左に折れて前述の対岸に出ます


天満署の手前の道を右に折れて北に進みます

右に折れて北への道を進みます

十字路を真っ直ぐ進みます

やがて国道1号線の交差点に出ます。横断して真っ直ぐ進みます


真っ直ぐ北に進みます

国道より北に五筋目十字路の左前方角に 夕顔寺 その十字路を左(西)に折れます

二筋目の広い交差点に出ます。交差点右手前角にコンビニがあります広い車道を横断して右に折れます。
左手角に 浄土宗 西福寺

左手角に 浄土宗 西福寺

一つ目(2つ目の筋)の信号交差点を左斜めに進みます

斜めに進むと右に 日蓮実宗 蓮華寺

そのすぐ先の信号交差点に出ます交差点を右(北)に進みます。交差点手前左に 龍興寺 があります

交差点を越えたすぐ左に 高野山真言宗準別格本山佳木山 太融寺

弘仁十二年(821)弘法大師が嵯峨天皇の勅願により創建。戦災で昭和20年焼け戦後再建本尊は木造千手観音菩薩立像(有形文化財)平安時代の作 嵯峨天皇第12皇子 源融ゆかりの名刹


境内に 白龍大神 白龍大神の左奥に 淀殿の墓:六輪の塔

淀殿の墓


千成地蔵尊

ぼけ封じ観音

源融公之奮蹟の碑



太融寺を後に北側の信号交差点を横断して、ローソンの横の道を北に入る

少し先右に 網敷天神社 御祭神 嵯峨天皇・菅原道真とする古社



北に少し進むと十字路がそのすぐ先の分岐を左(西)に折れる

都島通りの六差路にでるので真っ直ぐ西へ横断

すぐ先で、新御堂筋の高架に突当るので右に折れると、東西に通るJR環状線のガード下を潜り左の新御堂筋の高架下の車道の歩道を少し進んでいきます

再び東海道本線が新御堂筋の高架下を高架で交差しています。その下をまず東海道線を潜りすぐの信号を左に折れて新御堂筋の高架を潜り横断します

横断してすぐ右斜めに入る道を進みます

左の真っ直ぐの道

分岐を右の道を進む

茶屋町、この辺り茶屋町の由来となった 「鶴の茶屋跡」

前方に阪急線の高架が見えます

阪急の高架下、かっぱ横丁で横切ります

抜けた先ですぐ右に折れる。高架下に並ぶ飲食店

道なりに左にカーブしながら高架横の道を進みます

左にカーブしたところで176号線の高架道路を潜ります、左角に梅田ホテルがあります。すぐ右に折れます、左は済生会中津病院があります

再び左にカーブしている176号線の高架道路と阪急線を越えます。

阪急線の高架を左に沿って少し進みます

その先で、JR梅田貨物駅に突き当たるので右に折れます。要は、左も正面も線路で行きどまり

右に折れる左角に 祠

大阪駅の北側の道を進みましたが、最近行っていないので分かりませんが、北側の開発で多分様相が変わってしまっているかも
貨物線を左に沿って少し進むと、左に潜る高架トンネルがあるので、ここで線路を西側にわたります

西側に潜ったすぐ左に 永照寺

やっとビルの中の道を抜抜けたという感じです。暫く歩いたこの分岐は右に進みます

その先のマンション手前の十字路を左に折れます

その先T字路になり右に折れます

右に折れて進むと淀川の堤防に出ます。歩道橋で淀川堤に出ます

堤を左に折れて阪急線を潜ります。祖も手前に数人の撮り鉄さんが電車の通過を待っています

その前に少し反対(東)に【寄り道】します。前述の歩道橋の淀川堤に戻り東へ

高層住宅の北側の中津公園の一角に大きな自然石に「女の一生」のセリフの碑があります。 森本薫「女の一生」より 誰が選んでくれたのでもない 自分で選んで歩きだした道ですもの

浄土真宗本願寺派 光徳寺 画家 佐伯祐三の生家

冨島神社

元の橋の袂に戻る、阪急神戸線・阪急京都線・十三大橋

十三大橋の南詰に立つ 常夜灯型の大きな道標
「南 十三橋東詰町 親友会 右 長柄二十丁 左 伝法壱里」「東 往来安全 池田四里 伊丹二里半 大正・・・・」「北 ・・・・・」

十三大橋を渡っていきます

十三大橋北詰から振り返る

十三大橋北詰の左に お堂

十三大橋北詰左の堤の上に 十三渡し跡の碑 明治11年、木橋が架かるまで渡しであった

大坂から西へ向かう中国街道沿いに十三があります。十三には、淀川を舟で渡る人たちの渡し場があり、
十三渡しと呼ばれていた。この場所は川の北側の乗り場があったところで、渡し舟を待つ人たちでにぎわった。茶店などもあり、今も十三焼餅はその名残です。明治11年(1878)に十三橋の木橋ができたため渡し舟は無くなりました。さらに、明治42年に完成した淀川の大改修で川幅が広くなり、川の南側の乗り場は川底となってしまった。 (大阪教委)
北岸より南を見る。高麗橋をスタートしてここまではほとんど街道の道は残っていませんので、どの道が正解ということはありません。方向としては間違っていないと思います

北詰からの先もかつての旧道は、この北詰渡し跡から北西に進み現在の淀川郵便局、神津小学校辺りに通じていたようですが完全に道はありません。
176号線の広い道を真っ直ぐ進み、十三交差点まで歩きました。そこで176号線は右に分かれ左の41号線十三筋を進み、淀川郵便局前交差点に出ました。交差点から左の淀川郵便局・神津小学校を左に過ぎていきます。
神津小学校の前の 祠

十三元今里付近の辻で右の旧道に入ると、右に博愛社学園幼稚園があります

すぐ又左からの41号線に合流する、すぐ先田川北1交差点を横断すします

暫く進んでいくと山陽新幹線のガードを潜る高架下に 円光大師出世地蔵尊の祠

山陽新幹線の高架・北方貨物線で行きどまりとなるので、歩道橋を上り十三筋に出て、山陽新幹線の高架を潜り北側に出ます。

暫く進み三津屋南2の交差点から振り返る

ここで後日資料を調べたところ、前述の田川北1交差点から旧道があったようだ。 田川北1丁目交差点の西寄りにコンビニがありその東側を北(右)に入る細い道があります。信号のない交差点を横断して暫く道なりに進んでいくと山陽新幹線の高架を潜り、150m程進んだところで道は分岐するが左に折れる。折れたさき左側に藤本医院をみて進んでいくこと200m程で十三筋に出ます、三津屋南2信号交差点です。交差点で再び十三筋を左に分け右に入ります。右手に三津屋公園をみて100mほどで信号交差点を横断します。横断した先は道なりに左にカーブして十三筋に出ます、右角にコンビニがあります。その先は十三筋を暫く進みます
暫く十三筋を進んでいきます。左にライフをみて、次に美津島中学校があります

中学校向かいの食堂の軒に立つ「石敢當」が隠れるようにあります

すぐの信号交差点、交差点左には加島一郵便局があります。その前の交差点を右斜めに折れます、折れた右は福山製紙の工場です。やがて400m程進むと阪神高速道路の高架を潜ります

高架を潜ったところを真っ直ぐ西に進むが左に 鳥居

香具波志神社 天徳三年(959)創建の古社

境内の 岩木神社 「駒つなぎ楠」 枯れて切り株が祀られている、社殿のうしろの楠は、南北朝時代の貞治元年(1362)に楠正成の三男の楠正儀が馬をつないだという記録が残ります。

加島4を西に進みます。右に少し入ると 富光寺

加島4丁目に旧家が残ります

山陽新幹線の高架を潜ります

緩やかに右にカーブしながら神崎川に近づきます。

突き当たると、かつて 神崎の渡し跡 からの神崎川と対岸少し西に移動して十三筋に架かる神崎橋を渡ります神崎橋は大正13年に架かる。神崎川も随分広い川幅です

神崎橋を渡り街道は堤防沿いに左に折れますが。右の堤防沿いに【寄り道】します

神崎橋から右に400mほど進んだ堤防下の道沿いに、神崎の渡し跡の金比羅山の石灯籠
があります。この辺りがかつての 北側の渡し跡 灯籠の左側に入る道が、神崎の渡しをおりて有馬へ行く人々の 有馬街道 です

金毘羅大権現は、讃岐の国の金刀比羅宮に祀られた海上守護神で、早くから船乗りたちに信仰を集めた。特に室町時代から江戸時代にかけて盛んになりました。また神崎の津は、都から西海へ行き来する人々でにぎわった。この 灯籠は灯台 の役割を担っていました

堤防から神崎川の渡し跡の対岸左の橋は新幹線

さらに堤防下の道を進み新幹線の高架手前を左斜めに曲り高架を潜ったところ左の小公園にある
神崎遊女塚 碑に説明文があるが読めなかった

渡し跡から神崎橋へ戻ります

神崎橋の所で堤防の右下に 神崎一心の戦跡碑と神崎川一心地蔵尊

楠木正成が足利尊氏軍とこの付近で戦い尊氏軍は九州に敗走した「神崎一心の戦い」の碑

ここより西に少し入ると 西川八幡神社

境内に 尼崎藩領界碑 「従是東尼崎領」


少し堤防下の車道を進み、その先の分岐で右の道を進む

その先で右に折れます

右に折れた先の信号交差点で左に折れます。すぐにJR東海道線・宝塚線・東西線が並行して走る高架を潜ります。常光寺1丁目に入ります


暫く歩いた右側の 祠

その少し先左には、 真言宗別格本山 浄光寺 弘法大師がこの地に立ち寄り創建されたと伝わる。

道を挟んだ西側にある 皇大神社

その先の常光寺元町の交差点を右(西)に折れます。

常光寺元町交差点を西に真っ直ぐ進むと、三つ目信号交差点の尼崎工業高校前の交差点にでる、
旧道は交差点から左斜めに進み、尼崎小田高校内を抜け大門川緑地に通じていたようですが、
旧道は消失しているので、交差点を越え右の尼崎工業高校西交差点の手前の道を左に入ると、
右に厳島神社、左に尼崎小田高校があり、大門川緑地が右にあります。ここを緑地に沿って右に折れます。前述の常光寺元町交差点からの消失した街道が通じていたとおもわれます


大門川緑地が右に

右に折れて緑地を進む

緑地を200m程進むと緑地が終わった十字路で左に折れます。右手角に 海臨寺 があります。
また長洲連合福祉会館前に 道標 東面「左 尼崎 西宮」 南面「右 大坂 京道 左 伊丹有馬道」
西面「右 尼崎 大坂」 北面「文化五年戌辰三月吉日」

左に折れた街道

緑地を振り返ったところ 左に折れて進むと右奥に 稱佛寺 がある

すぐ先左に入ると修復中の 貴布禰神社

境内に イチョウの老木

長洲本通を進む

尼崎長洲郵便局の先で右からの車道と合流します

その少し先で国道2号線の稲川橋交差点を越えます。その先左に大物公園があります、公園の東側に

残念さんの墓
長州藩兵山本文之助の墓です。元治元年(1864)の蛤御門の変のとき、西国街道を帰国の途中、大物の北ノ口御門辺りで捕えられその日のうちに、会所の中で自殺しました、時に29歳。日誌が残っており、「残念で口惜しい、もし口惜しいことがあれば自分に参れば一つだけ願いをかなえてやろう」と書かれていたとあります。その後沢山の人がまいったということです (尼崎教委)

街道を南に進むと阪神電車大物駅を右にした高架が あります、大物駅北側の公園内に
大物くずれの戦跡碑
応仁の乱をきっかけに、戦国時代となったころ、室町幕府の実権を握った細川氏も、内部で対立が起こり、細川政元の養子、高国と甥の晴元が尼崎で戦火を交え、享禄4年(1531)高国勢が総崩れになり、高国の居城尼崎城で大敗となり、晴元の追撃厳しく高国は大物の広徳寺で自刃した。この戦いを「大物くずれの戦い」と呼んでいます。
大物駅を右に見て阪神電車の高架を潜り少し先右に 大物主神社


謡曲「船弁慶」ゆかりの地


大物主神社より西に行ったところに
浄土宗知恩院松寺道彗山 深正院 尼崎藩主松平氏の菩提寺

大物主神社の前の街道に戻り南に進むと東本町交差点で東本町交差点に出る、上は阪神高速神戸線の高架。ここで右に折れて【寄り道】右に暫く歩くと明成小学校があるその一角に「尼崎城跡碑」。場内を適当に散策
市立図書館前に 契沖生誕の比定地の碑

尼崎瓢箪山稲荷神社


桜井神社


はくあい地藏 子供の無事成長を守る

尼崎城跡の西側堀に架かる橋、解明町

尼崎城の本丸石垣 と市立中央図書館

阪神電鉄と手前の堀に架かる橋

尼崎城本丸跡

城内見学を終わり元の街道阪神高速神戸線の高架の手前に戻る、歩道橋で国道2号線を渡る

少し進んだ右に 松島神社

さらに南に進むと堀があり御茶屋橋が架かっています。御茶屋橋を横から見る

御茶屋橋を渡らず、橋の手前を右(西)に堀を左に真っ直ぐ進みます

暫く進んだ先に 中国街道大黒橋跡の碑 があります。この道筋は、江戸期、中国街道といわれ参勤交代の
大名行列も通った街道である


大黒橋を渡り築地本町筋を西に進んでいきます整備された綺麗な町並みです

旧中国街道 かつて築地町を通っていた中国街道は、中世にその起源を持ち、近世(江戸時代)にせいびされ栄えた街道です。
大坂より尼崎を経て、西宮で西国街道と合流して、更に西へ(山陽道等)に通じていた

大黒橋から二つ目の信号交差点を右に折れます

交差点を右に折れるとすぐ戎橋を渡りますと阪神高速道路神戸線の高架があり潜ると、西本町交差点で左に折れます。暫く左高速に沿って歩きます

右に折れた戎橋のたもとに 道標

本日の中国街道は切りのいいところで終了します。
すぐ北にある尼崎駅から帰宅します
【2日目】 2010年12月23日
尼崎駅~西宮:東川(西国街道合流点)中国街道終了
尼崎駅から前回の戎橋に移動して、ここよりスタートすします
左の高速道路に沿って西に暫く進みますこの右側一帯は寺内町で、城の西側に集まっています

寺内町内の一番西にあります 貴布袮神社


境内に祀られている 白波稲荷神社

白龍大神

市庭戎神社

貴布袮神社の南側の高速沿いの道に戻り少し西に進んだところT字路で右に(北)に曲がります。

街道をここで一旦休み、寺内町を少し見て回るために【寄り道】元和三年戸田氏鉄が尼崎城を築くとき、寺院を西側に集めて寺町を形成

浄土宗 専念寺山門が朱色 平重盛の菩提所


珠光山 偏照寺如来院



日蓮宗 長遠寺

多宝塔(国宝)

本堂

立派な鐘楼

律宗 大覚寺


浄土宗恵光山 法園寺
佐々成政の墓 一石五輪塔、肥後国領主であったが、領地内の反乱の責めを負い秀吉に切腹を命じられた。天正16年(1588)5月14日



臨済宗 広徳寺


時宗 善通寺
南朝の中心、秦武文公遺址境内に秦武文の碑が立てられている。後醍醐天皇の皇子、尊良親王が土佐に配流されたとき、そのお供をしました。妃を土佐に迎える途中尼崎で海賊のために奪われ、ついに自決した南朝の中心の悲話が伝わる。

常楽寺

法華宗 本興寺

方丈・開山堂・三光堂いずれ(いずれも重文)


御霊水井戸

伏見宮日承王御墓

大方丈

開山堂

日隆聖人荼毘所塚

曹洞宗 全昌寺
尼崎藩主戸田家の菩提所

整然と並んだ寺町、見ごたえがあります

寺町の見学を終わり元の街道に戻ります
貴布祢神社の南側に出て。西に進み突当りをを右にお折れます

右に折れた先の筋

右に 地蔵祠

阪神電鉄本線の高架を潜り、左斜めの道を進み、すぐまた右(北)に折れて進みます

西本町8、高架を潜り広い道を横断して左斜めの道に入ります

左斜め先で右に折れて進むと右に 祠

少し先に進むと十字路に出ます、ここを左に折れます。

右角に 道標 「右 大坂道 左 西ノ宮兵庫」


左に折れて琴浦通りを西に進みます交差点の手前に尼崎竹谷郵便局、交差点を越えた左には竹谷小学校

西に進んだ先、武庫川の手前で【寄り道】川より二筋手前の右に入る道を北へ暫く進みます、JR線近くまで進むと 七松八幡神社
境内に七松城落城で亡くなった 六百三十余人之碑 が立てられている

伊丹城主の荒木村重が織田信長に謀反、家臣・家族を焼殺した処刑場跡と伝わる


もとの街道に戻り武庫川に架かる四方川橋を渡ります

暫く琴浦通りを進んでいくと、琴浦神社前信号交差点に出ます

交差点を越えた右に 琴浦神社 源融公が祭神

先を進むと右に 祠

その先の信号交差点を越えた右には、大庄小学校があります、かつての街道はここを右斜めに通っていたようですが学校敷地で消失

真っ直ぐ進み学校の切れたところで、大庄中通五丁目交差点で右に折れ学校の西側に出ます。歩道橋の所を左に折れて旧道が復活します

歩道橋を左(西)に折れた所から、少しややこしい道になりますが旧道が残っているようです。学校の方(東)を振り返ったところ


すぐ先で道が分岐しますので左を進みます

その先すぐに一旦車道に出ますので、右に折れてすぐまた右斜めに入ります

右斜めに入る辻

車道の信号交差点に出ますので横断して西に進みます

その先の十字路も横断します

十字路の先左に 祠

武庫川の堤に出て突き当たるので左にカーブします正面に 雉が坂の説明板
この辺りから右斜めに渡河していた


左に折れて堤を上ると右に武庫川に架かる武庫川橋があり渡りますが
左に 素戔嗚神社

境内に大きな 灯籠

神社全景

武庫川東詰交差点、かつてはここから右斜めに川を渡り対岸を大きく弓なりに左にカーブしていたようです

武庫川橋から左(南)を見る

橋を渡り真っ直ぐ進んでいきます

左に 岡太神社 この辺り右に前述の旧道が出てきていたようです

東の道沿いの大きな 領境道標 「従是東尼崎領」

岡太社の石標


伝 小松内府 平重盛卿供養塔

恵比須大神と静止像


神社参道

暫く西に進み広い信号交差点を横断します

暫くは単調な道が続きます。やがて、新川橋の 六石の渡し跡


高架の見える手前の信号を右に入ると

上野神社

神社前の 祠


街道に戻り高速道路の高架を潜ると今津曙町交差点、さらにまっすぐの道を進みます

交差点を横断した先の道

右に 日蓮宗 浄願寺


桜翁稲荷神社



左に阪神電鉄今津駅、正面の高架は阪急今津線

今津で少し左の海辺へ歩いて【寄り道】
今津小学校の六角堂 明治15年(1882)の西洋風の木造校舎

この付近一帯は酒造会社が多い 大関酒造


今津灯台 文化7年(1810)創建、現在のは安政5年(1858)のもの 今津西浜町



もとの今津駅の前の街道に戻り西へ

左に沿う阪神電鉄本線のガードを潜り西側に出ます

西側に出て道なりに進みます

津門川に架かる津門川橋を渡ります

橋の渡った左に 祠

真っ直ぐ進み車道を横断します

染殿町で道が分岐します。右の道はかつての旧道

右の道を進みます

左に 祠

やがて東川に架かる東川橋を渡ります

東川橋を渡るとT字路となり旧道が消失しています。止む無く橋の手前川沿いに左に折れて進むと、先に分岐した道が合流しますので右に折れます。

東川に架かる橋を渡り進むと

広い道路の交差点に出ます。

交差点右から西国街道が合流します。西国街道・中国街道・山陽道 の分岐点
合流した交差点の北西角にある 正念寺


中国街道はこの合流点で終了です。この先は西国街道となります
中国街道完歩
この先、西国街道を歩き西へ、西宮神社を通り阪神電鉄香枦園駅まで進み。山陽浜街道を行けるだけ歩きましたました。
かつての 西宮宿 を西へ


宿を西に進んでいくと 西宮神社 に突き当ります

突き当り左に折れて国道2号線を右に折れて西西宮神社の正面へ

西宮神社 (詳細は山陽道)

2日間かけて中国街道を終了。まだ時間があったので三宮まで歩く三宮 16時30分到着
56.797歩 36.91㎞ 1537kl
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