京・宇治街道

2011年8月23日

伏見街道墨染の分岐~新田の奈良街道の辻

伏見街道を完歩して、京阪伏見桃山駅に戻り京阪に乗って墨染駅まで行く、引き続き今日は宇治街道を歩く
宇治街道は本来の旧道なのか分かりにくいが祠が道路沿いに沢山あるのでおおむねあっていると思うが定かでない。でも狭い道であるがとにかく車が多いことには往生したがでも楽しい街道歩きでもあった。
     伏見街道の墨染  11時45分  スタート
     奈良街道新田   16時20分  着く
        22.356歩  13.41km  573kl

宇治街道と1日トータル  
        46.041歩  27.62km  1204kl

1日の街道歩きの距離としては少し少ないが楽しい1日であった。

伏見街道の後、京阪電車で墨染駅まで戻り
宇治街道ここからスタート

伏見街道との分岐点の墨染交差点真っ直ぐ西に進む

宇治街道側から墨染交差点を見る

少し行ったところ右手の小さい公園の一角に  がある

暫く住宅街の中の旧道を進んでいく

伏見区深草、JR奈良線の踏切を越える。左にJR藤森駅

踏切のところに郡山街道の表示がしてある?

緩やかではあるが、歩きだしてからはずっと上り坂になっているこの辺り一帯は新しい住宅地に変わっています

深草大亀谷古御香宮地区に入ると左手に 古御香宮社 がある 常夜燈 は天保年間のもの

参道を上っていくと

本殿

道を挟んだ向かい側にある 浄土宗等泉寺

緩やかな坂も終わり目の前が開ける山科峠の手前である、右手に峠の会館と  がある

左手に 仏国寺参道の石柱 が立っている

山科峠 に着いた、峠右手の旧家の前に道標や歌碑がある

山科峠の道標 峠と言っても今は開発され舗装道で面影はない

逢坂山車石 と刻まれた石碑がある何でしょう

歌碑が刻まれている

山科峠を振りかえる、左手に道標や歌碑がある峠の雰囲気はありますね

峠からは今度は当然であるが長い下り坂になる途中左手にはゴルフ練習場がある

暫く下り伏見区桃山町に入り、坂を下りきったところに、左手上に 小栗栖街道 左の標識がある。ここが街道の辻で、左への旧道は小栗栖街道で、明智光秀最後の地小栗栖の藪に出ます

左が今下ってきた宇治街道、正面小栗栖街道

辻で右に折れるのが宇治街道

右に折れると直ぐ広い自動車道の桃山西尾交差点の南側に出るので、自動車道に沿って右に折れる

右手角にあるのが 浄土宗玉泉寺

右に折れて辻から100m程進むとJR奈良線の高架を潜る

高架を潜ると直ぐ右手に 浄土宗大善寺 が

大善寺は浄土宗の寺で「六地蔵」の名で知られている。705年藤原鎌足の子、定慧によって創建されたと伝えられている。地蔵堂に安置する地蔵菩薩立像(重文)

直ぐその先の交差点で左に折れるが、右手角にある 道標

左に折れる交差点

左に折れたところの街道

左手に  がある

暫く進んだところにある小さな橋 見附橋

暫く進んでいくと六地蔵川に突き当たる、川の手前左にある 道標

六地蔵川に架かる六地蔵橋を渡る

橋から今来た旧道を振りかえる

橋を渡り少し進むと右手にある 

その先でまた小さな川に架かる橋を渡る、細い道なのにこの辺りは交通量が多い

橋を渡った直ぐ先20mほどで左T地路を右に折れる

右に折れる左手には 六地蔵の高札場跡碑と道標 が建つ

右に曲がるところの 高札場跡と道標

右に折れた旧道の先

右に折れた直ぐにある 正行寺

その先宇治市紺屋町にある右手の 

更にその先左に天保年間の 道標 

左手角に柿ノ木広場がある広場の角に道標建っている

紺屋町の街並みを進み小さな川を渡る

現在は廃線になっているような高架の下を潜る

その先左手に 石枠の祠 がある

左手少し奥まったところにある 許波多神社

慶応年間の常夜燈

街道に戻り少し進んだ右手にある 願行寺

平安・鎌倉時代の木造阿弥陀如来像が所蔵

その先左手に 祠 があるさすがに京都でお地蔵さんの祠が沢山祀られています

その先少し右に入ると、JR奈良線の木幡駅がある
暫く歩いた右手にある 

小さな川を渡るところで、左から奈良線右から京阪宇治線が近づきその間を旧道は通る

その先で再び細い川を渡ると左手にある 祠 と木幡の街並み

祠と道を挟んだ右手の奥に 西方寺

その道の入口のところにある 二子塚古墳の標柱と享保時代の 弥陀次郎西方寺の標柱

線路の向こう側に西方寺と古墳がある。古墳は西方寺の裏手

西方寺から少し進んだ左手にある 祠 を振りかえる

その先で府道245号線の交差点を越える

交差点を越えたところ左手に 宇治村道路元標、道標、地蔵尊 が並んでいる

直ぐ先で京阪宇治線の踏切を越える

右手に陸上自衛隊宇治駐屯地がある

右に長い自衛隊の塀に沿って旧道は進む。

途中左に折れてすこし進むと京阪宇治線の黄檗駅がある
駐屯地を過ぎると右手に東宇治中学校

続いて右手に、京都大学宇治キャンパス

大学の前の広くなった道を振りかえる

金網越し下に、京滋バイパス道路を越える

その少し先、戦川を渡る手前左手に 楠玉龍王 が祀られている

直ぐに戦川橋、ひらまち橋を続けて渡る

その直ぐ先右手に 祠 が

その先で左側に京阪宇治線の三室戸駅を振りかえる

三室戸駅を抜けたところで左の京阪宇治線の踏切を渡り東側に出る

昔懐かしい長屋建ての民家が並ぶ

左手に  が

この先でJR奈良線の高架の下を潜る高架の直ぐ先で旧道は左からの国道7号線に突き当たり右に折れ、宇治川に架かる宇治橋を渡る

右に折れるところから宇治橋を見る

突き当たり左の角一角にある東屋観音
石造り聖観音菩薩坐像鎌倉時代に造られた。元宇治橋の近くにあったがここに移転された

角に立つ 道標

国道7号線の向かいから見た旧道と観音

広い交差点の宇治橋東詰め角に立つ 御墓案内道標

広い交差点の宇治橋東詰め

宇治橋東詰めの左手の店の角に立つ 道標

先を急ぐが少し宇治川沿いに左折れして(寄り道

左折れした直ぐ左にある 橘寺放生院 宇治橋の守り寺、604年聖徳太子創建の古刹

更に進むと 開運不動尊

左手に さわらびの道 標柱

その先左手に小さな 神社

更に進んでいくと 宇治神社

宇治神社の北側に世界遺産 宇治上神社 があるのを知らなかった

宇治神社の前、宇治川に架かる 朝霧橋

川向かいの森に 平等院 がある。何度も来てるし入るのはパス

朝霧橋から西の天が瀬方面へ東方向、宇治橋がみえる

宇治上神社と仏徳山

十三重石塔

橋を戻ってきた袂にある紫式部の宇治十帖モニュメント

宇治橋東詰めに戻るところの静かな街並み

宇治橋東詰めから宇治平等院方向

橋の袂に立つ 宇治川ラインの標柱

宇治川に架かる宇治橋の人専用側道を進む、上流の嵐山の渡月橋に較べるとこちらの方は人が少ない

宇治橋西詰め交差点

交差点のところの 橋姫神社への鳥居平等院へは鳥居に向かって左の平等院表参道を進む

西詰めより宇治橋を見る

西詰めの夢の浮き橋広場にある 紫式部の像

夢の浮橋の古蹟跡の石碑

源氏物語宇治十帖「夢の浮橋」

交差点から平等院への表参道 日本かおり風景百選の道

寄り道を終わり街道に戻り進みます宇治橋から真っ直ぐ南東に進む

街並み右手に 宇治代官所跡の標柱

その直ぐ先左手に妙楽広場がある奥まったところに 常夜燈と祠 がある

その直ぐ先右手に  がある。 この右手奥がJR宇治駅

とにかく真直ぐな道

暫く歩くと、左手に 石碑大小 が立つ

広くなった街道を坦々と進んでいく

途中右手宮東地区の右手に 2つの祠 がある

間もなく左手に 神明皇室大神社 の森が見える

鳥居から奥深い参道を進むと、両側に沢山のお堂が立つ桓武天皇時代からの神社で古い

先を進んでいくと右手に 

やがて右手にセブンイレブンがあり直ぐ先にJR奈良線の踏切がある。左に行くとJR新田駅宇治橋からここまで2㎞余りあります

踏切を渡り100m程進んだところで交差点にでます。大和奈良街道との合流地点であり宇治街道の終点です
角に 道標 がある

辻の角に立つ道標。宇治街道と大和奈良街道との合流辻 正面の道が宇治街道、左右の道が大和奈良街道

宇治街道 完歩

宇治街道の北坂、南坂の旧道
2013年2月17日

2011年8月23日 宇治街道を歩きましたが、今回少しその補足として歩きました

奈良街道補足に引き続き以前歩いた、宇治街道の補足を歩く。
観月橋駅から京阪で墨染駅まで移動してそこからスタート
         11時30分  スタート
         13時35分  完歩
           11.095歩  6.65km  499kl

京都と奈良を結ぶ道といえば、大和奈良街道で補足道として歩いた。豊臣秀吉により築造された巨椋堤(太閤堤)が築かれてからは、伏見~豊後橋(現観月橋)~宇治川を渡り~巨椋堤の奈良(大和)街道を南に進む道が主道街道となったが。それ以前は巨大な巨椋池が広がっていたので、大きく伏見山、木幡山を東に迂回して宇治に出て、山背古道などを通って奈良への道となっていた。
それ以前の時代では、この宇治街道が平安京と平城京を結ぶ主要な街道であったと思われる。
伏見街道から木幡~宇治に抜ける道には、伏見山・木幡山が立ちはだかっていた。
それには深草、大亀谷から伏見山・木幡山の北側、現北堀公園を抜け、八科峠の西敦賀町で南に下り、木幡関を越えて新町から六地蔵へ抜ける「北坂」
北坂と藤城小学校の東側まで同じで、そこで分岐し、現桃山城の西側を下り、治部池の西側を下り月見ヶ岡から大手筋に出て、東の清水谷から伏見坂を下り東に折れて新町の辻に出て、六地蔵へ抜ける道、伏見山・木幡山の南麓を抜ける「南坂」があった。

まず、⦅北坂⦆の古道から歩きます
北坂・南坂とも豊臣秀吉の伏見桃山城が完成以前の古道。
京阪墨染駅の南の踏切から、東へ真っ直ぐ進む、JRの踏切に出て線路に沿って北へ進み、JR藤森駅へ移動。駅の西側の交差点で西から来て駅前を北に通る京街道との分岐点を起点にして、JR線路の西側に沿って緩やかな坂を下り、一つ目の左への踏切を渡る。

JR藤森駅から線路沿いに緩やかな坂を下って来たところを下から振り返る

踏切を左に渡る

前回歩いた宇治街道は、踏切を渡り真直ぐ進み山科峠へ向かったが、
今回は、踏切を渡ると線路沿いに右に折れ緩やかな坂を少し上る

右に折れて少し坂を上ります

坂を上っていくと、右に 野仏が沢山綺麗 に並んできっちり整備されている

野仏を見ながら更に進むと、左に趣のある旧家が新しい住宅の中に一軒存在感を置いているこの間の50mほどは古道のままである

その奥で、古道は完全に消失して柵で遮断れている。柵の向こうは深草大亀谷の住宅地になっていて、完全に古道は無い。かつては、ここから北坂が真っ直ぐ南に下り、藤城小学校の北側に出ていた。止む得ないので適当に住宅地内を迂回する

古道はこの先を真っ直ぐ進んでいた地点で、止む得ないのでこの先

全く新しい住宅の中を南に適当に進む500mほど進むと左に、京都市藤城児童館、清涼院があり、その西側に出てT字路の道路に出る。正面が藤城小学校

 (この道にい限らないので、古道の近い道を左右にして進んでくださ)   
私が歩いた新しい住宅内を整理すると。柵のしていた突当りの角を左へ10mほど進み、T字路を右へ120mほど進み、再びT字路を左へ50mほど、左に小さな公園がありそこもT字路となっており右に折れる。30mほど先もT字路で右に折れる。更に50mほどの先T字路を右に、40mほど進み、左に折れる、そして30mほど先のT字路を左に曲がり、また40mほど進むとT字路となり右に折れる。古道はこの辺りに出てきていたよう。右に折れて、京都市藤城児童館を左に進むと、藤城小学校の北のT字路に出る

T字路で自動車道にそって左に曲がり右に藤白小学校を見ながら坂を上る

歩道橋があります

歩道橋より先の道を見る。右のグランドが藤城小学校

この辺りは大亀谷五郎太町、信号の右前方に広大な北堀公園

この辺りまで「北坂」「南坂」とも同じ道であったが、この先、北坂は公園の中を東へ進み、南坂は右に折れて南西に進んでいた。いずれも伏見城内で古道は廃道となったのだろう

この先北坂、特に旧道でないが北堀公園の中を東に歩き、敦賀町から安信町へと歩きながら、かつての古道を想像するのみ

北堀公園内の散策道

とにかく広い公園で市民の方たちの素晴らしい憩いの場であります

公園の中を歩いて、公園が切れたところで、右への道を下る。右に曲がらず真っ直ぐ少し進むと八科峠にでて近世の宇治街道が左右に通る

右に折れて下る安信町の道筋

 深草大亀谷安信町の住宅地内を下っていく,右の公園

左に小さな公園があり、過ぎた角、くの字に左にカーブすると桃山紅雪町に入る

公園の先、ここ紅雪町で右に折れる。真っ直ぐ下っていくと、八科峠を下って来た宇治街道と合流する。そして六地蔵へ進むことになる。
右に折れた辺り、かつて朱雀天皇の天慶年間(938~947)に道営された木幡関があったとのことだが、想像するのみである。
木幡関のあった、今の桃山東小学校辺りにかけて切通のみちで、木幡関が置かれていたのだろう。
桃山東小学校西側から、真っ直ぐ南に下り新町の辻に出た。新町に出ていたのだろうが、今では古道の想像もつかない。
歩いた道を写真で見てもわからないが掲載しておきます。
結論的には、桃山東小学校の北で小学校と東側にある養護学校の間の児童公園のある狭い切通の所に、古道が通っていて木幡関もこの辺りにあり、今は柵があり奥は竹藪となっていて古道は無いが、小学校の東側を下り、新町に下っていたよう。今は新道を小学校の西側を下っている

紅雲町関山のT字路を南へいくと写真左の桃山東小学校と右の桃山養護学校の間の狭い道の傍に児童公園があり、その先は金網で行き止まりになっている当たりが切通しとなり関跡

古道がここを通って、新町へ抜けていたのか児童公園の先金網で行き止まり

桃山東小学校の西側の道を下っていく

暫く歩き、JR線を越えて進むと、新町のT字路に出る

                北坂はここで終わりとする
うまく説明が出来なくて済みません、古道は殆ど消失していますが、また興味があれば古道探しも面白いです

 引き続き⦅南坂⦆の古道を歩く

新町の辻より西に進む。中世以前の宇治川は宇治橋の下流で巨椋池に流水して大きな湖水を形成していた。現在の桃山陵のある伏見山の裾野まで広がっていたものといわれており、
南坂はその池の北側を通っていたと推測される。その道は、六地蔵より現在の京阪宇治線の桃山南口駅の北側~光伝寺の南側~伏見坂を北に上り~乃木神社付近に出て西北に進み~月見ヶ岡から治部池~桃山城の西側・柏原陵の間を抜け~五郎太町で北坂と合流。果たしてどこまで正しいか疑わしいが、想像しながら古道を歩いてみます。

桃山町新町の辻、東側の筋

新町の辻、これから進む西側の筋

新町の辻を西に進んでくるとJR桃山駅の南側に出ます。線路を左にして西に200m程進むとT字路に突き当たるので、左に折れてJR線の高架を潜り北側に出ます。そして坂を上ること100m程の分岐、正面の宝円寺の前を右に折れる、旧伏見坂を150m程上っていきます。右に桃山小学校、その先乃木神社の正面西側に出ます。左に折れて進みますが(寄り道)

T字路の 乃木神社への鳥居

乃木神社

日露戦争、日本海海戦に於いて活躍した軍艦吾妻の主錨
乃木将軍計景仰之碑

本堂

質素な 乃木将軍長府旧邸

境内の 山城えびす神社

神社を後にT字路を左に進み清水谷を西に進む、

西へ250m程進むと道は左に折れる辻に出ます

突当り右の道は、御陵への表参道 写真は右から進んできたところ、正面への道は御陵参道で車通行止めになっています明治天皇御陵には参拝しているので寄りません

左にカーブして100mほどの信号交差点を右に折れる。真っ直ぐの道は、大手筋通り

交差点の左角には、真福寺

信号交差点を北(右に)に進む道を上る

150mほど坂を上ると、道は分岐するので右の道を進む

右の道を更に上る、道の両側は月見ヶ岡の高級住宅地

分岐から500mほど先で分岐道があるが、道なりに右に進む。右奥に治部池

正面に現在の桃山城の出入口が見えてくる。出入口の前で左に折れる

左に折れた道

出入口の前を左に折れた先から振り返る

伏見桃山城天守閣

 天守閣の柵外の東の道から望む

右に桃山城、道を挟んだ左に桓武天皇陵がある。中世の古道は天皇陵の中を抜けていた
城内に入らなくても天守閣のすぐそばの道があります

桃山城の北西の角から、伏見北堀公園内の道に入る

伏見北堀公園北坂の時、正面を右奥に歩いて行った伏見城の東側
南坂は伏見城の西側を巻いている

 公園の北西角の五郎太町の信号交差点に出て、北坂と南坂の合流地点

信号の東側からの写真、左が公園

信号交差点の北側に 清涼院

境内の サルスベリの木

境内に移されてきた 道標 「右 ならかいどう 左 一言寺」

境内に並ぶ 石仏

ここで、宇治街道の補足である「北坂」「南坂」は終了。
両方の古道はあくまで推定の域であって想像しながら道筋を辿っただけ

移動のため、合流点から西の上板橋筋へ下る
信号から西への道。左の藤白小学校、その前の歩道橋を抜けたところ、北坂が右の角に出てきた辻

坂道を下っていく左に、独立行政法人森林総合研究所関西支所

JR奈良線を渡る

更に下り坂を進む

その先で国道24号線の交差点を横断して

近鉄奈良線・京阪本線に出て上板橋筋となる。京阪丹波橋駅で終了

宇治街道補足 北坂・南坂終わり

 


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