2012年9月26日
京都・五条の別れ~今熊野観音寺
渋谷越え街道に引き続き歩く。
渋谷越え街道より、山科の五条別れ、旧東海道の分岐点から同じ道を暫く引き返し、元慶寺の南のT字路(渋谷越え資料参照)
今熊野観音寺巡礼道の起点、渋谷越え道との分岐点をスタート
五条の別れ 11時30分 スタート
今熊野観音寺 14時30分 完歩
16.208歩 9.12km
旧安祥寺川の新八幡田橋

橋をこえて一つ目の信号交差点を横断する

信号交差点をこえ右にプレスコ北花山店、左に上原書店を越えたT字路が
今熊野観音寺巡礼道の起点 左に曲がりスタート 川田道と暫く重複

左に曲がって街道を進むと左に高島医院山科分院、暫くは若干曲がりながら南へ歩く

ほぼ真直ぐの道を南へ街並みを進んでいきます




やがて国道1号線と東海道新幹線を潜ると川田道交差点。起点からここまで約600m

閑静な街道筋

ガードを潜ったすぐ先左に 八幡神社と万因寺の 道標

道標の所を左の道に入ります⦅寄り道⦆

八幡神社

真宗石谷山万因寺

街道に戻り150mほど先の十字路を右に折れる。真っ直ぐは 川田道ここで分かれる
右角に 道標 「右 ・・・・・」

右に折れた先の街道右への道は巡礼道ともいう

西への旧道を進む、道は街道らしい雰囲気が漂うが、民家は殆ど新しい

旧道を振り返ったところ

川田地区

バス停の所で右からの道に合流して左へ

左に曲がりすぐに変則十字路になっており少し右斜めの道を進む左角に 道標 「いまく・・・」



少し先で清水焼団地信号交差点のT字路に出るので、右に折れる

更に100mほど先の右T字路を左に折れる

左に曲がった先の道

100mほど先で道が分岐、左の方へ曲がる

更に100mほど先の次の交差点で右に曲がる

すぐまた50mほどの次の右T字路を左に折れる。
かつての旧道は正面の山を越えて反対側に下っていたようですが、完全に消失しています

左に折れた先、右一帯は竹や木が茂っている、この辺りからかつての旧道があったが、今は完全に消失している

この先の道は新しい住宅の中の道を大きく南に迂回することになります迂回する
100ほど進んだ先でT字路を左に

私の歩いた道は正面に標識があるように、左から右に弓なりにカーブして進む

150mほど歩いた先、カーブしききったところで、左に曲がり、左に50mほどで小さな公園を見て左に曲がり50mほどでT字路となり左に折れる。10mほどで再び右に曲がり、100mほど南に進むと、T字路となり右へ、左から道が合流してくる、30mほど進むと、また左から道が合流してきて、右へ30mほど進むとT字路となり、左に折れる。その先150mほどS字に坂を上り途中分岐する道があるが、右の真っ直ぐの道を50mほど進むと、右から鋭角に醍醐道が合流してくる。とにかく短い距離だが住宅や小さな工場が立込みややこしい。特に街道ではないので好きな道をあるくといい

坂の途中、曲がり角で、右の前方かつて旧道があったであろう方向を見る

S字路の坂を上る道

坂を上り醍醐道に合流する手前右に 若宮八幡宮


醍醐道と合流地点と、そこからの東の山科の眺め


右歩いてきた 巡礼道 左の 醍醐道 を上り、すぐ左に大きくカーブする。正面の杜が若宮八幡宮

暫く、今熊野観音寺巡礼道と醍醐道を重複して歩く
醍醐道は暫く曲がりくねり坂を上る


暫く歩いた先で、左に急カーブする。その右角に 西野山古墓の碑 が立つ


坂を上っていきます

坂を上るとT字路に出る。右からゴルフ場の外周道路が合流してくるが。渋谷越え道で竹林で旧道が消失していた道が、この辺りに出てきていたと思われる。発見T字路を左に折れる

T字路の手前右ブロックの中に 祠

T字路を右に行ってみたが、過去には道があったようだがやはりミラーの先は消失。間違いなく、渋谷越え(巡礼道)はここに出てきていた。ここまで追求出来たので満足
元のT字路に戻る

更に進んでいくと、右に太閤担GCの裏口

坂を下っていきます


左に 大石内蔵助一服石 がある


この辺りから左遠望の山が目的地の今熊野観音寺があり、ここでもかつてはこの辺りから真っ直ぐ左に旧道があったが、今は全く痕跡がないので大きく迂回する。

右手に 真宗大谷派延仁寺の 道標 「親鸞聖人御荼毘所」


すぐ傍に お堂

親鸞聖人荼毘所 真宗大谷派(東本願寺)宗史蹟延仁寺
親鸞聖人は弘長二年(1262)11月28日に90歳で亡くなられた。最期を看取った末娘の覚信尼や子息の益方や門弟たちが葬儀を執り行い、東山の延仁寺で荼毘に付された。
古代から中世にかけ延仁寺一帯の鳥辺野は洛中の葬場であったが、応仁の乱以後次第に荒廃した。1865年に西光寺として再興され、1883年(明治16年)に延仁寺と改められ今日に至る

親鸞聖人の墓
決して大きくなく質素な墓所




延仁寺をすぎ道は分岐するが、真っ直ぐの新道を進む


暫く西に進むと、右川向に剣神社への橋があり暫く西に進むと、右川向に剣神社への橋があり

そこで少し右にいって剣神社へ

剣神社


先ほどに辻に剣神社から戻り、左にカーブして進む


左に 祠

その先で左に 鳥戸野陵参道の道標


左の石段を上っていくと

一条天皇皇后定子鳥戸野陵 他多数の火葬塚


元に戻りその先で鳥居橋を渡り、今熊野観音寺 へ西国第十五番霊場

平安時代弘法大師が熊野権現より観音尊像を授かり、嵯峨天皇の勅願により開運厄除の寺として開創された名刹
大講堂


本堂 本尊は 弘法大師作と伝わる十一面観世音菩薩


大師堂・ぼけ封じ観音






今熊野観音寺の南には
孝明天皇 後月輪東山陵
英照皇太后 後月輪東北陵

後堀河天皇観音寺陵

総本山御寺 泉湧寺 山門(国重文)
創建以来、境内で湧き続ける泉に由来する。東山連峰の南、月輪山麓に建つ、皇室の菩提寺。
境内最奥には御水尾天皇以降、十三代に渡る天皇陵を含む25の陵墓が静寂の中に並ぶ

泉湧寺の建物群

今熊野観音寺から延仁寺の南側近くの 醍醐道 との辻に出て今熊野観音寺巡礼道は終了(醍醐道を参考に見てください)


今熊野観音寺巡礼道 完歩
引き続き、滑石越街道(醍醐道に一部重複するので醍醐道とする)


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