2012年11月16日
醍醐寺~随心院前~勧修寺~京阪深草駅近くの伏見街道との分岐点まで
醍醐道に引き続き勧修寺越街道を歩く
街道は一部大岩街道とも言われる。町筋は名神高速や新しい住宅街として変貌しており全 体的にごく一部を除いて面白みの少ない情緒のない道である
醍醐寺 13時45分 スタート
京阪深草駅 16時30分 完歩
醍醐寺から今来た醍醐道を戻り、随心院の北側隣の、そば処萬壽亭橘の辻まで戻る。向こうの隣は随心院
随心院の北側の交差点スタート

少し北側の、小野御霊町交差点を勧修寺越え(大岩街道)の起点 とする

勧修寺越え街道は、一般地図では醍醐道となっているが、交差点を真っ直ぐ西に進むみ、地下鉄東西線の走る京都外環状線を越えると、山科川に架かる東出橋に出る。この道が勧修寺越え街道と思う
小野御霊町交差点の一筋北側に80mほど進むと、小野堰があるので、小野堰の橋を渡り左に沿って西に向かうこととした

左が小野堰

振り返る

150mほど進んだ先で、地下鉄東西線の走る京都外環状線の交差点に出る。地下鉄小野駅を越えて100mほど進む

100mほど進むと山科川に架かる勧修寺橋に出る。真っ直ぐ進んでいくと勧修寺に出る。山科川の手前を左に折れて、100mほど先の東出橋の勧修寺越え街道に出て右に折れ橋を渡る



山科川から100mほど先で交差点に入る、街道は真っ直ぐ横断して西に進む
交差点を越えたすぐに左に入る旧道があります、この道は 小栗栖街道で、明智光秀が無念の最期を遂げた明智藪への街道。明智藪といっても現在は想像していたのとは開発されて面影はないが(小栗栖街道参照)

交差点を真っ直ぐ進むところ

すぐ左に鳥居 吉利久神社の参道(小栗栖街道で見学しているので寄らない)

右に 宮道神社

勧修寺下ノ茶屋町交差点から右にはいれば 勧修寺(同じく見学しているので寄らない)

その先で名神高速道路に突き当たるので、左に名神を右に沿って進む

緩やかな上り坂を暫く進む

400mほど先で右の名神高速の高架下のトンネルを潜り、北側に出て再び名神を左に側道を進む、何方にしても名神により旧道は消失しています



右手に 妙教寺


お寺のすぐ先右に 祠

その先右に 祠と愛宕山灯籠

少し歩くと右に 醍醐天皇御母小野陵


御陵の参道東辺り一帯にはかつての 大日寺跡


御陵を過ぎたところですぐ、左に折れて名神のトンネルを潜り、右に進むのもいい。
私は200mほどすすみ、左のトンネルを潜り名神の南側にでて右に折れました。真っ直ぐ進んだ道。この先でトンネルを左に潜る

トンネルを潜ったすぐ先で、名神と離れ左斜め(西南)に進む。振り返ったところ

暫く自動車道の歩道を進む

左にたたせ川が接近するやがて交差点の右に京都ピアノ技術専門学校

交差点のすぐ先で、右に入る旧道がある


真っ直ぐ進んでいく

古道の雰囲気が残る

橋柱だろうか道標か


深草谷口町交差点に出る。交差点で35号線に一旦合流するがそのまままた右斜め、北に進む。

右角に「宇多天皇皇后御陵・仁明天皇参道」の 道標

左角に 道標 「霊場 深草毘沙門天 是ヨリ北・・」

北西に旧道を進む




街道右奥に 仁明帝陵

街道に戻りすぐ先で名神高速道を潜る 深草瓦町

高架下のトンネルを潜り、その先の細い道を進む

右奥に 善福寺 が見える

左に 祠 がある交差点を左に曲がる

左にカーブしてすぐまた右にカーブする

右に折れた道筋


すぐ先で街道より左に少し入ると 十二帝陵



街道に戻り先を進むと右奥に 浄土真宗西山深草派根本山眞宗院

紅葉が見事に綺麗

左に 天台宗嘉祥寺
嘉祥四年(851)二月、文徳天皇は先帝、仁明天皇の菩提を弔うため、陵の傍らに嘉祥寺を創建。寺域も広大な大寺であったが、平安時代後期に衰退、更に室町時代の応仁の乱、文明の乱により焼失。その後1661~1673に再建され現在地に移転した。

その先 道標 「深草・・・・・・」


先を進んで行くと右に 祠


左に 日蓮宗深草山瑞光寺(元政庵)茅葺の山門を潜るとさらに大きな茅葺の屋根の 本堂 寛文元年(1661)の建立


瑞光寺の先で右に 日蓮宗深草山宝塔寺
藤原基経が発願し、昌泰二年(899)藤原時平が大成した極楽寺に始まるという、大きなお寺

長い参道が続く

朱塗りの立派な 仁王門

本堂(重文) 慶長13年(1608)創建



参道には霊光寺、圓妙院、自得院、直勝寺、慈雲院、大雲院と建ち並ぶ


本堂前を通り、鎮守神の吉祥天を祀る裏手の七面山山頂へ

長い石段の参道

山頂の 七面宮


更に石段


多宝塔(重文) 室町時代(1438年以前の建立)京都市最古の多宝塔

街道に戻り先を進む

分岐を右へ進む

室町時代建立の四脚門の 宝塔寺総門(重文) 順序が違うが、街道右に

正面に仁王門が見えます

右に緩やかにカーブしながら進む

黄檗宗百丈山石峰寺
宝永年間(1701~1711)の創建。その後再三の戦災で焼失、現在の本堂は、昭和60年再建された。本堂の背後の七面山には、石造釈迦如来像を中心に、十大弟子や五百羅漢、鳥獣なそを配した一大石物群がある

竜宮造りの 赤い山門

釈迦如来像を祀る 本堂

石峰寺に行って、裏山の 五百羅漢 を見なかったのが心残り

石峰寺から街道に戻り左に折れた道筋 祠の所で緩やかに右にカーブする

左に 祠

茶碗子の水 地蔵堂の横に湧き水がある、京都の名水の一つ

その先でJR奈良線の踏切を渡る

左に 祠

祠のすぐ先で少しずれた交差点に出る。左右(南北)の道は 伏見街道

伏見街道を横断したところから振り返る

交差点の先で、琵琶湖疎水に架かる直違橋

直違橋から振り返る

橋を渡った右角に 道標 「七面大天女 東南是ヨリ三町」

正面に京阪深草駅

勧修寺街道の起点がここかわからないが、一応ここを起点として終わる
勧修寺越街道 完歩


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