京都 唐櫃越・明智越・保津峡沿いの旧道

2013年3月17日

阪急嵐山線上桂駅・西の山田の別れ~唐櫃越~トロッコ亀岡駅近くの篠町~山陰線保津峡駅~明智越~亀岡の保津八幡宮~保津川沿いに保津峡駅

自宅早朝に出て大阪梅田阪急で京都上桂駅へ上桂駅を7時30分スタート。今日はよい天気に恵まれ一日山歩きに最高である。
上桂駅より30分ほど歩くと山間の登り道、山田の別れに着く、この街道の大半は山道の尾根を歩く。
旧道には赤いテープや案内標示が至るところの道筋にあるので迷うことも無い。地元の方たちの旧道管理に感謝する。万一横道に入ると直ぐ深い谷になり大変だ。私も一度幸い浅い斜面であってよかったが滑り落ちたが、でも旧道の面影が残る最高の道である。
結構沢山のハイキングの人達で賑わうそうだ。また年に一度亀岡から京都市街地までのマラソンでも知られているがとてもじゃないけど走れない感心する。何人かの走っている人とも会って話をした。
最終のみすず山から宝泉寺までの急斜面のガれ道は滑り落ちるようなかんじできついがこれも旧道らしくていい。今日は途中で何人かの人と立ち話ができて楽しかった。
山陰本線馬堀駅に出て唐櫃越えは完歩。
引き続き明智越えに挑戦ここから予定通り一駅山陰本線で保津峡駅まで移動する。
       上桂駅  7時30分 スタート
       馬堀駅  11時30分 着完歩 
  思っていた以上に早く着いた
         20.657歩  12.39km  894kl
山陰道の北側の尾根道を平行して、西京区山田南から亀岡市山本まで走っている全長10㎞余りの街道

また、天正十年(1582)6月2日未明、織田信長を襲った明智光秀(本能寺の変)が、丹波亀山城から一万三千の軍勢の一部を京都盆地に移動させたのもこの道ともいわれている。この古道は古くから文献にも出てきている街道である。

【唐櫃越】

阪急上桂駅を西に真っ直ぐ進む

広い29号線の山田口交差点に出る更に西へ

交差点を真っ直ぐ進むと道は狭くなります

山田の岐かれ の交差点に出ます南北の道は以前歩いた物集女街道
物集女街道の南(左)道

北(右)道

交差点の角に右浄住寺と書かれた 道標

更に西に進んだ先の交差点を真っ直ぐ進む

山田の別れ十字路の左(西南)角に 「左 浄住寺」 「右 地蔵院」 二基の道標 が立つ

交差点を右(北西)に坂を上っていくと、地蔵院・西芳寺・鈴虫寺・松尾大社への道で、物集女街道
の辻

歩いてきた道を振り返る

交差点より左(西)への旧道物集女街道の旧道

交差点の右(北東)角の お地蔵さん

峠への集落の中の閑静な旧道を西へ進む

緩やかな坂を上る左に浄住寺の 道標

やがて竹藪に挟まれた細い坂道を上ります。先の見えないこれからの山道の予兆です、期待と不安が交錯します

驚くような整備された竹林に入りました、綺麗

左に桜谷五ヶ寺共同墓地が見えてきました、この辺り急坂となる唐櫃越えのとりつけ坂

墓地の中を進みます

墓地が終わったあたりからいよいよ峠道へ差し掛かります

これから先は、山道の場所説明は難しいので、殆ど道筋の写真ばかりになりますので、その前に、これからの歩く道筋の説明を加えておきます

共同墓地から山道に差し掛かると、ハイノキ坂~リョウブ坂~ソヨゴ坂といった枝の道が合流し、分岐して左へ下ると桂坂野鳥公園へつながるが。
唐櫃越えは、長年の風雪で両側の崖に削り取られ流れ落ち、木の根も剝き出しになった細い道幅だけ残っている尾根道。灌木に挟まれた「かくれ道」が続く、でも人気の道なのか人と結構会う。
やがて標高415mの沓掛山の三角点に到着、そこを過ぎ、右へのカモメ谷との分岐路を左に進む。迷いそうなところもあるが、赤いテープで目印をしてくれているので心配がない。途中西山団地への至る道が左へ下るがそのまま進む。道は玉ヶ辻にでるとその先で舗装道路に出る。突然舗装道に出るのでビックリするが聞くところによると、山陰線の付け替え工事用に造られたとのことでこんなところに訳が分からない。資材作業場の広場を後に舗装道が終わる。
この玉ヶ辻辺りから見える愛宕・比叡の眺望も絶景である。資材広場の先も暫く整備されたダート道が続きます
やがて天蓋峠へ差し掛かり峠を越えると、左へ下る道の分岐に出る、左への下り道は王子へ至る、右の道を進むとその先に巨大な送電線の鉄塔がみえるあたりから再び旧道となる。鉄塔の下で山麓のお寺で修行している人たち10名ほど御飯を食べていた。そこを過ぎて進んでいくと、標高430mのみすぎ山に達する、亀岡盆地の眺望が絶景である。暫く尾根道が続くが、しばらくして左への急激な谷筋を下ることとなる。
この道が、山本側へのとりつけ坂で、途中イノシシ除けの柵を開閉したすぐ先が先ほど食事していた人たちの宝泉寺に着く。
閑静な篠町山本の集落に入る。鵜川を渡りJR馬堀駅まで進みここで唐櫃越えは完歩。

タケノコを取るためだろう本当に綺麗に整備されてい

もう少しで両方の崖に土が落ちて道がなくなるのではと思う

右に下れば 西芳寺(苔寺)方面へ出ます

竹林の間の細い旧道素晴らしい、両側は斜面

長年の風雨の浸食で道が凹状になっている

凄いくぼみ

道案内標示がしっかりしてあるので迷わないそれだけ人もよく歩いているようです

馬の背道

ハイノキ坂・リョウブ坂・ソヨゴ坂が何処から何所まではわかりませんがほぼこの前後と思います

分岐の案内板 大枝山町の桂坂野鳥公園への下り坂が左へ
案内標示に従って進んでいきます

沓掛山(415m)の遠望

左に滑り落ちたら大変だ、雪や雨は無理かも

同じような写真ばかりですが、つい残しておきたくて

これだけ案内標示があると手手持ちの資料は必要ない

両側が崖で、木の根の上を滑らないよう歩く感じ

でもこの道を走っている人がいるから感心する

道案内に、木に赤いテープや短冊を垂らして間違わないようしていただいている感謝すごく根が張り出しています

分岐左に標識

道標 この辺りが沓掛山の三角点かチョットと不明

これが旧道かビックリ、人一人歩くのがやっとでも本当に気持ちがよい、幸い対抗しないからいいが
登山家の人は当たり前のことでしょう

樹木が低いから明るくていい

右へ滑り落ちないように

前方に舗装道路が突然飛び込む

舗装道路を左に下れば西山団地方面へ、馬堀方面へ行くので右へ この辺りの標高は430m程

山深い山中に舗装道路、山陰線の付け替え工事用に作られたそうで、作業場の広場になっているが、景観を台無しにする。現在は自然に帰りつつあるが。
暫く舗装道路を進む

旧道を下りてきたところを振り返る。下ってきて左への舗装道路は西山団地方面への下り

尾根道の舗装道路を暫く歩く

暫く歩いたところで、また広場の作業場跡にでて舗装は終わります、少しここで一休み
旧道は左斜めに上っていく

ここで舗装道路が終わる、山陰道の付け替え工事を計画し始めたが途中で中止している、誰が考えたか全く無用な無粋な無駄遣いだ

ここ玉ヶ辻からの眺望は綺麗 愛宕山

比叡山

舗装道が終わり広場の所から、再び旧道に入っていく

暫く起伏の少ないダート道が続く

ハッキリわからないがこの辺りが 天蓋峠(標高404m) か峠の標示がないので分からない。峠を越えると左に分かれる道が王子への下り道だが写真では分からない。巨大な送電線の鉄塔が見える辺りから再び旧道となり、標高430mのみすぎ山に到達する。亀山盆地が一望できる、(なでか写真には写っていない)。尾根道を進んでいく途中送電線の鉄塔の下で食事をしていたお寺の関係の人たちの写真撮ったつもりだったが写っていない残念。鉄塔から急峻な道を下る。

峠を越えて前方に巨大な鉄塔が見えて来た

気持ち良い尾根道を進んでいます、天気も良く素素晴らしい

みすぎ山付近からの 比叡山の眺望が素晴らしい。一時歩くのをやめて眺める

愛宕山と亀岡盆地

巨大な送電線と鉄塔

少し平坦な道を進んでいきます

標識通り真直ぐ

標高430mのみすぎ山へ到達 少し尾根道を進むと、左への急峻な旧道を下ることになる

標識があります

この辺りから左に折れて一気に急坂の下りに入ります深く削り採られた旧道を下る、人一人通るのがやっといっぱいの道

 この辺りは少しゴロゴロして荒れているので歩きづらい

標高392m辺りから一気に下っています細心の注意が必要

平坦な道になってきました

気持ち良い旧道に変わりました

石垣の跡、かつて民家が並んでいたのだろうか

ほぼ山麓に下りたところで、イノシシ除けの柵の開閉扉を通過するが、古道の傍に設置するのは如何なものかと思う

その先を進みます

登山口にある獣除け柵を開閉して通ります

宝泉寺の裏にでました

宝泉寺の境内よこを抜ける

 臨済宗宝泉寺本堂 立派なお城のような石垣を持つお寺

本堂

お寺を抜けて篠町山本の集落にはいります

宝泉寺から亀岡の町

宝泉寺と旧道を振り返る

今歩いてきた唐櫃越の尾根を見る

篠町山本を進み、山陰線馬堀駅へ移動する

鵜ノ川に架かるたが橋を渡る

歩いてきた唐櫃越の尾根を再度振り返る

橋を渡った右に、保津峡を走るトロッコ亀岡駅が見える

更に少し西南に山陰本線の馬堀駅

唐櫃越 完歩

馬堀駅 11時30分完歩。
引き続き明智越道へ進むため、山陰線の保津峡駅まで1駅乗り移動します

明智越 

2013年3月17日

唐櫃越えに引き続き山陰本線保津峡駅よりスタートする
短い距離であったがかなり足腰にきているが頑張って挑戦。
JR馬堀駅から一駅乗って保津峡駅まで、11時45分スタート
明智越えの旧道もハイキングコースとなっている、山の道であるがよく踏みならされていて快適な由緒ある旧道です。この旧道も唐櫃越えと同じように終盤に山からほぼ真っ直ぐ急斜面のガれ道を下ることになる。よく昔この道を馬で戦場に行ったものと感心することしきり。
とにかく疲れたが、はるばる遠くからこの2つの旧道を歩きにきたかいがあった素晴らしい。
       保津峡駅  11時45分出発
       保津八幡宮 13時37分完歩
        12.109歩  7.26km・112分  510kl

明智越え街道を歩き終えて思いがけないおまけがついた。
明智越えの街道を歩き終えたところで休憩がてらリュックの整理をしていると、地元の叔父さんが話しかけてきて暫く話しこみ、近くの街道沿いの八幡宮まで案内してくれた。時時間があるなら折角だから保津川沿いのハイキング道を、保津峡駅まで戻るといいよといわれ、疲れが限界に達していたが時間も早いし2時間ほどでいけるとのことであったので、ついその気になって歩くことにした。神社でおじさんの親切に礼を言って別れた。
でも道は平たんであったが思っていた以上にキツイ道でもあった。
         保津八幡宮   13時50分 スタート
    朝スタートした保津峡駅へ到着  15時40分 
           13.000歩  8km・110分  600kl
  1日トータル(唐櫃越えと明智越えも含め)
         46.253歩  27.75km  2.012kl

久し振りに疲れてぐったり、保津峡駅より帰宅につくがこれまた時間がかかる。  
織田信長の本能寺を攻めた明智光秀が亀岡よりの行軍の一つの道として、今歩いてきた唐櫃越え・明智越え・老ノ坂越えを京都への道としたであろう。 

保津峡駅前明智越スタート地点

駅前の道を北西に水尾川の渓谷に沿って谷道を柚子の里で知られる水尾への道を入っていく赤い橋は保津川に架かる保津峡駅

駅前よりこれから進む道、水尾川に架かる橋を渡っていく深い谷川

水尾の里まで2.9㎞

先を行く女性一人どこに行くのだろう、多分水尾の里だろう

左の水尾川に沿って歩きます

植林された杉や檜の林に吸い込まれる。めったに車も走らない。かつてこの地を隠遁生活に入った水尾帝(清和天皇)も水尾川の渓流を通られたことだろう

途中左への水尾川を渡り杉林に進む道がある。保津川の川沿いの道で結果的に今日の最終はここに出てくる通行止めになっているが

舗装道路が続く、道幅も車が十分一台は通れる

水尾・明智越の案内が出ています

駅から約40分で、舗装道より左の下る道に入る。真っ直ぐ進めば柚子や清和天皇の隠遁地で知られる水尾の里、柚子風呂と地鶏の水炊きで冬場は賑わうとのこと左のガードレールのところにある道標示

左の水尾川に沿って少し下る

暫く進んでいくと、左に水尾川を渡る丸太橋が見えてくる

丸太橋の袂に 明智越えの標識が立つ

左の丸太橋を渡ると先は鬱蒼と茂った植林の山道

唐櫃越えと同じで道の説明が難しく、また写真ばかりになるので、この先の主な道順を説明しておきます。
丸太橋を渡り鬱蒼とした杉林の急な山道を登っていくと、右に愛宕山の眺望ができる。その先で左の保津川へ下る分岐点がある、旧道は更に上る。右側に一面に柚子の里水尾が山里の風景である。
峠を越えて右に、神明峠への分かれ道を過ぎる。山深い尾根道であるが歩きやすい快適な旧道である。光秀が丹波を治め、道を整備し愛宕山への参詣道として利用した道だけある。年月も立つ中でよく残っていたものだと思います。
更に進んでいくと、右手の山際に「土用の霊泉」の立て札が立つ。
この先からの尾根道を下ることとなり、そのあたりが「峯堂」跡である。その先に鐘撞堂跡がある。この左保津川との間に、ハタ城跡が、監視のためここに鐘があったとのこと。
道はこの後一気に坂を駆け下り、閑静な保津の集落に入る。
集落の中の保津八幡宮に参拝、一日の厳しい唐櫃越え・明智越えの無事安全を感謝する。
神社から新しい道の保津橋を渡り亀岡駅への予定であったが、神社で地元のおじさんと話すうちこの先の歩く道が変わってしまった。

丸太橋から水尾川を見る

橋を渡って杉林の中の道を上る

よく手入れがされているので非常に綺麗でまるでレースのカーテンのようです

橋から600m程登っていくと、やがて保津川に下る分岐点に出ます、旧道は右の道真っ直ぐ

旧道は長年の浸食により荒れているが、古道らしくていいです

V字型の道で非常に歩きにくい大雨の時は真中を水が流れ大変だ

鉄塔の下にでました

右に 柚子の里水尾の集落 が山間によく見えます背後の山は愛宕山

鉄塔の下を抜けていきます

再び厳しい道が続きます

右の崖に滑り落ちないよう注意

水尾の里が見えています

分岐で右に下って行くと水尾の里 ここの分岐の標高は約400mきょう朝から標高400m辺りの尾根を歩いています

道標 があるが全く読めない

道標と古道案内標識

唐櫃越と同じような古道で、今日一日歩く

こまめに道案内の表示有難いです

尾根道のよく踏み歩いた道です

右は神明峠への分岐点、明智越えは真っ直ぐ左

右に見える山は 牛松山(標高636m)だろうか 

右に滑り落ちたら大変だ

必ず分岐には標識があるので助かります感謝です山の中では殆ど街道マップが役に立たない

しかし素晴らしい明智越道です

右の山際に、土用の霊泉の立札 が立つ

土用の霊泉
鐘撞堂三叉路より京都側へ少し降りた左側にこんこんと湧き出る清水を「土用の霊泉」と呼んでいる。いかなる夏の暑い土用にも、このような高所にどうして清水が湧き出るのか誠に不思議な感にうたれる。
明智光秀軍の本能寺攻めの際、この霊泉に三七草をつけて蘇らせ、それを鎧の袖の下に秘めて進んだと伝えられている。三七草は止血の効卓抜とか。このところより都の眺めは、天下の佳景ともいえよう(説明板より)
でもいまわ見通しがない

土用の霊泉の先、尾根筋から下りに掛かる辺りに峯堂跡である。
峯の堂跡 の説明板
保津より嵯峨へ越える明智越えの眺望絶佳なる右の山の頂にこんもりと茂る老木にかこまれた塚状の円丘を「峯の堂」と呼ぶ。ここに第56代清和天皇を祀る
879年5月落飾され都を出て、当場所において31歳で崩御された。森の内に納奉り社を建立した。
明智越えは嵯峨に達する道であると同時にまた愛宕神社に参拝する聖なる道ともなっていた。光秀は亀山城下を整備すると同時に、この道をも騎馬武者や庶民がたやすく通行できるように整備したと考えられる。
光秀は天正10年愛宕山参籠の帰り道にも、この清和天皇をお祀りした峯の堂に本能寺攻め必勝の祈願をしたと云われる。本能寺攻めは一応成功を収めたが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、小栗栖の露と消えた。当「峯の堂」は、いつとはなしに「無念堂」に変わったと伝えられている

どんどん下って行きます

鐘撞堂跡
左の先に保津川があってその間にハタ城(砦)があった、川と陸路との監視に鐘が用いられた

更に下って行きます

歩くのが大変今まで沢山の街道歩いたが、ここまでのはあまり経験がない

前方後円墳39m 石堂古墳 どこに古墳があるのかもわからない

ほっとするような道に変わる

眺望の地 大見晴らし(大目離)餘部城主 福井一族の悲話 立札

帯解け石の立札 山帰えり、肩荷を解く一服場

保津観音の伝説の立札 伝承民話 身代わり地蔵

立札が並んで立っているが、説明がないので分からない

亀岡盆地の景色が見えてきました

更に下っていく

土取り場跡 の立札

保津城跡(砦) の立札

明智越えの取り付け口に間もなく入る

山坊の甚五郎住処跡 伝承民話 保津三狐

愛宕神社・貴船神社妙見さん跡

簾戸口 明智越えの取り付き口ようやく亀岡側の登り口に着きました

ここで少し休んでいると、地元のおじさんが来て話し込んだ、結果、保津八幡宮まで案内してあげるとのことで神社まで話しながら20分ほど歩く

明智越
この地は保津町の東方山麓要害の地を占めて南北朝時代に保津城の搦手を登り口として緩やかな坂を登りきると、山道の最高峰、峯の堂に達する。そこより、見晴らしのよい平坦な尾根伝いの道を行くと、鐘撞堂跡、更に下り尾根道の土用水の霊泉をすぎ、水尾から嵯峨鳥居本に達する。この間、およそ8㎞。
明智光秀、天正10年(1582)5月17日、琵琶湖岸の坂本城に帰り、秀吉を救援すべく中国遠征の軍を整えるため光秀が築城した亀山城に入る。同27日「ハタ」に山塞を構えた愛宕山次郎坊に属する寺侍に案内されて、愛宕山将軍地蔵に願をかけ、太郎坊で占って運を定め、28日西坊に於いて連歌の師匠絶巴と連歌をよみ神前に納めた。光秀の発句に「ときは今、天が下知る五月哉」は、光秀の心境を物語る歌として後世まで語り継がれている。
亀山に帰った光秀は6月1日午後10時、一万五千の軍を三段に分け、北より明智越え、唐櫃越え、老ノ坂越えの三面より本能寺に向かった。明智越えは子供にも老人にもたやすく散策のできる、保津川の渓谷を見下り愛宕山の聖地を望みながら清い空気を五体に吸収しながらのハイキングコースとなっている。尾根伝いの平坦な道である。  (取り付け口の説明板より)

説明板より、三段に分けたとある中で、亀岡城より明智越をした場合どのように軍が進んだのだろうか少し疑問に思った。
亀岡城から今歩いてきた明智越で水尾の里の下に出て、保津川渓谷にでて、保津川を渡り、急斜面の唐櫃越の途中の旧道の山道に出たのか。
保津川を渡らず渓谷に沿って、愛宕山登山口の鳥居本から嵐山方面に出たのか。
明智越から水尾の里に入り、愛宕山に上り表参道を下り、鳥居本から嵐山方面に抜け本能寺へ向かったのか。
何れの道も他の2つの道よりも遠くなり少し疑問を持つ(薄学より)

おじさんに案内していただき取り付け口より舗装道を右に折れて直ぐまた左に下る

ごばん橋  かつてこの辺りに 隋雲院・佛性寺・是高寺跡

谷川砦跡 洞泉寺山上に

サイホン溝水路跡 水中川 九右衛門さんの水中跡

保津町集落内に 保津八幡神社

保津八幡宮の正面 これから歩く道は向かって右へ

保津八幡宮で明智越えは終了する。八幡宮前の広い新道を南に進み、保津橋を渡り南に進んでいくと、亀岡駅に出る。私の予定ではここで駅へ行くつもりだったが、神社で変わってしまった

明智越え街道 完歩

親切なおじさんに、明智越の登り口から、神社まで案内していただき、まだ時間があるのならといって、保津峡に沿って、保津峡駅までの道を教えて頂いた。
相当足腰にきているが2時間ほどかけて、木津川渓谷沿いのハイキング道を保津峡駅まで戻ることとする。
おじさんのお話では旧道かどうかわからないが、ハイキング道であるそうです。

保津八幡宮~保津川沿いに~保津峡駅

亀岡市街地(東)を見る

保津八幡宮の南側の401号線を東南に進む

右、遠望にトロッコ亀岡駅が望む

右に保津川が迫る素晴らしい景色

馬子の引き場 綱はじき の立札

保津川下りの川船沢山乗船しています

左に 請田神社の鳥居

神社の参道を進み寄ってみます

静かな保津川沿いに立派な神社があります

神社から対岸の眺望保津川に流れている支流は、鵜川で、町は篠町山本で唐櫃越えの終点の町

保津川下りの舟が遠ざかっていきます

谷深い 保津川の峡谷

右が深い崖の保津川、左は険しい岩山で崖崩れがあったようだ。その間の道

ハイキング道といっても、結構危険な箇所です確か入口には通行止めの看板がなかった

正常に戻りました

川辺に何か碑が立っている 慰霊碑

この辺りは整備されている

保津峡の景観

対岸にはトロッコが走っています、山陰本線は殆殆どトンネル

坂道を上ります大きく右に蛇行して川沿いを進み、再び左にUターンして進み、やがて川から離れ山道に入ります

山陰本線のトンネルの上を越える

ここは、山陰線がトンネルを抜けてくる、嵯峨野観光線(トロッコ電車)が左右に対岸の川沿いを走る
絶景のポイント。偶然にトンネルを出てくる列車と、トロッコ電車が週にこうっする瞬間が撮れたら最高
撮り鉄さんは当然知っていると思うが

対岸嵯峨野観光線のトロッコ電車

保津川を右に分け、左の山道に分ける

クマが出そうな雰囲気の所だ

下り道を進む

通行止めの看板

更に下って行きます

やっと下に道が見えて来た、何時ものことだがホットした瞬間

ここは保津峡駅からスタートした時左に見えた橋の道だ、ここに出た

保津峡駅への道

赤い橋が見えて来た

赤い橋から保津峡駅を遠くに見る

保津峡駅に着きました

保津峡駅から帰宅の途につく

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