2020年2月24日
愛宕山頂の愛宕神社~水尾の里~トロッコ保津峡駅~愛宕山表参道清瀧口~嵐山
自宅早朝に出て京都嵐山へ、バスで愛宕山登山口の清滝まで。愛宕山表参道で山頂へ登り、山頂から少し下った分岐で水尾の里へ出ます。水尾の里から下り、明智越の入り口を右に見て更に下ってトロッコ保津峡駅に出て左保津峡に沿って愛宕山登り口の清滝へ、清滝から嵐山への道。特に街道名はついていません。
愛宕山清滝表参道登山口 8時30分
鳥居本着 13時20分
25.834歩 16.79㎞ 1051kl
2012年9月2日に「愛宕街道」を歩いているので詳細はそちらをご覧ください
京都方面の遠望

愛宕神神社よりの下り、連休で天気も良く結構沢山の方が上っておられます

愛宕街道を歩いたところの愛宕神社表参道と水尾の里への分岐点です。上から見たところで、左へは登山口方向へ下る道で、右が今回歩く水尾の里への下る分岐道です

分岐点にある、柚子の里水尾への表示、3㎞

水尾の里にある 清和天皇陵への道標

右、山上への道

左、水尾への下り道

気持ちよい下り道を下って行きます、表参道の愛宕道に較べると登山者と会いません



結構急峻な道で登る人は所々で休憩しています

非常に歩きやすくきれいな古道です


何とも言えない綺麗です


水尾まで600mの表示。この道も水尾から愛宕山への古道のようです

木々の隙間より下方に里が見えてきました


水尾の里に近づいたところの案内表示



古道を偲ばせる切通し道を下る





登山入り口の突き当りを右に下ります

突き当りから振り返る

右に折れてコンクリートの道を下りますと嵯峨水尾の集落に入ります

下る途中から振り返ったところ

下った突き当り市立水尾小学校のところで右に折れすぐ左に下りますが

その前に左に折れたところに 浄土宗粟田山円覚寺 もと藤原基経(836~891)の山荘で粟田山庄を前身とする。古い歴史を持つ。毎年8月国の重要文化財に指定されている「京都六斎仏」の一つ、水尾の六斎念仏が行われている

元に戻り坂を少し下って行くと水尾の里の中を抜ける車道に出ます

そこに掲げられた標識、右に1.7㎞上ると清和天皇陵に行けますが、少し遠くてまた方向が違うので寄れません

車道のところから振り返ったところです。愛宕山への登山口です

水尾の集落の北方向(清和天皇陵)

立派な家

左への愛宕山登山口を見て集落を下って行きます

柚子の里と言われるだけあって果樹がたくさん植えられています

水尾集落を振り返る

集落内少し進んだところ左への入る道の角に標識があります

左に入る道を少し(寄り道)に入っていきます

入る右角に 愛宕山の道標

坂を上った先で右に入る細い道があります 米買い道 と呼んでいますが、今は先で廃道化しています

突き当りは 清和天皇社



拝殿


もとの角に戻ります

「右 清和天皇水尾山陵」道標

石垣のたもとに沢山の 石仏


水里を抜けるところ


道の右側は谷となり、柚子の木が沢山あります

もう一度水尾の里を振り返る古くからの集落で、今も柚子風呂と鍋食事の予約を数件受けているようです
古くからの山深い静かな里です

下って行きます

水尾街道花街道の標識が立っています。かつては人里離れた集落で交通の便は少なく、車でないと行き来は大変です今では道も整備され舗装道です


暫く緩やかな下り道を進んでいくと、谷川に沿って細い道が見えてきます

かつてはこれが本来の旧道であったのだろう

舗装道の右真下、谷川に沿って道があります。このあたりに丸太橋がかかり、亀岡城下への 明智越えの古道 があります。(明智越えは以前に歩いています、2013年3月17日詳細はご参照ください)


通り過ぎて振り返ったところ 右が 水尾の里への道 左が 明智越えの道


本能寺の変の数日前の一つの仮説として、明智光秀は愛宕神社で句会の後、この道を下ってきて明智越へで亀岡城へ戻ったかもしれません
愛宕山から水尾の里を経由して、ここ明智越えとの合流点に出たところで、引き続き保津峡駅近くまで歩きその後保津川の左岸を北東に沿います。ひょっとしたら明智軍の一部隊がこの道を進み嵯峨から嵐山に抜けて、本能寺に合流したかもと想像しました。でも当時この付近に道があったかわかりませんし、歴史資料にも乗ってこないので多分私一人の仮説でしょう。保津川にそって進み、現在の落合橋を渡ったところで東に進み、結構急坂の蛇行を繰り返し、六丁峠を越えます。そして下って行ったところで嵯峨の鳥居本にでて愛宕表参道の愛宕街道に合流して嵯峨野を進み嵐山に出る道です
右の谷川に沿って下っていきます

右から以前、亀岡の保津八幡宮から歩いた(唐櫃越・明智越・保津八幡宮~保津峡駅までの公開資料)、保津川の左岸を進む道です。当時はこの道はあったかなかったか分かりませんが歩いています。八幡宮近くで地元のおじさんがここの道も古いとおっしゃったので歩いた道です。
もしかして明智の一軍が歩いてきたかも。いろいろ想像すると楽しい
土砂崩れで通行禁止になっていますが歩くには大丈夫でした


さらに下っていきます

水尾の里から1時間余り歩くと赤い保津峡橋に出ます。橋を渡って左に折れていくとJR保津峡駅に出ます。私は橋の手前を左に折れます

橋の手前右に標識が出ています


左に折れて右に保津川を見ながら左岸の道を上っていきます

右手に保津峡谷とJR線が走る、絵になります

やがてトンネルをくぐります

さらに緩やかな坂を上っていきます


右手対岸にトロッコ保津峡駅が見えてきます、トロッコ保津峡駅に通じる橋


保津峡駅前の道、快適な道ですがやはり新しい道なのだろうか

道左に 芭蕉翁句碑の標石 芭蕉の句碑があるということは古道だ

丁度、トロッコ電車が着きました

右の保津川に沿って坂を上っていきます

右下に丁度保津川下りの屋形船が二舟下っています

右の保津川よりかなり高い斜面に道がついていますシーズンより外れているので車も少なく楽です

トンネルをくぐりますが、手前右から回る以前の道が急斜面についています

保津川の峡谷、流れが速いので舟は足先に進んでいます。JR線やトロッコ電車は向って右の山中をトンネルで進んでいます。JRは第一保津トンネルトロッコ電車は清滝トンネルです

素晴らしい渓谷の景色です

トンネルに入る手前の以前の旧道が残っています、右は急峻な保津川への崖です。
このトンネルを歩くなら狭いし暗いし危険、トンネルを迂回します

トンネルを潜ると保津川に注ぐ支流の赤い落合橋に架かる橋を渡ります。橋を渡ると右に下る道がありその左袂に

芭蕉翁句の句碑への道標

そこから、トンネル方向を振り返る

落合橋を渡った左、道が分岐しています左は清滝への道で川沿いに沿って歩く、「丹波散策の道」の標柱が立っています




左が清滝までの川沿いを進む散策道、私は右の旧道で六丁峠を越えます

峠まではこのような蛇行の急坂道です


かなり高く昇ってきました、保津峡の素晴らしい眺め、ゆっくり眺めながら歩いています。車ではこの感覚は味わうことができません


親子が歩いて子供さんが疲れたよといって、ぐずっていました、でもすごく

八丁峠の切通につきました、上は車道橋です

峠の標識

峠より急な坂を下ります

暫くは快適な下り道

左に 嵯峨天皇皇后嘉智子嵯峨陵 参道 平安時代の第52代嵯峨天皇の皇后で786~850年

陵への道は通行止めです



坂道を下っていきます

やがて 鳥居本の愛宕街道 に合流します
愛宕神社の一の鳥居に着きました 出てきたところを振り返ると向って左から出てきました。右は愛宕街道で清滝にでて愛宕山の参道に出ます

道標が二基 「左 清和天皇水尾山陵 嵯峨天皇皇后嵯峨陵参道」 「史跡 名勝嵐山拾・・」天皇・皇后の陵がある道なので、やはり古道であった。思いがけず素晴らしい古道を歩いた


一の鳥居、傍にある 平野茶屋(鮎茶屋)茅葺の屋根歴史を感じさせる

鳥居から下る筋にも茅葺のお店

鳥居本の愛宕街道、普段は沢山の観光客で賑やかですが今はコロナ禍で外人客もまばらです

鳥居本の街並みを下って行きます

人力車がよく似合う街筋、右は 化野念仏寺

化野念仏寺のまえから愛宕街道を振り返る

さらに愛宕街道を下って行ったところで分岐します。嵯峨野の中心地で右に進んでいくと、清凉寺で愛宕街道は終点です。(街道の詳細は愛宕街道の資料参照してください)そして嵐山まで歩いて帰宅の途に就きました

愛宕山の愛宕神社~水尾の里~保津峡~鳥居本 完歩


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