2012年7月16日
泉南市信達市場の紀州街道分岐~南海鳥取庄の紀州浜街道の分岐~和泉鳥取紀州街道分岐点
泉南市敬老会館南側で紀州街道・熊野街道との分岐を起点~西へ泉南市役所~樽井東信号交差点で根来街道(三畑越)と交差~双子池の間~男里川橋~黒田で井関越街道交差~南海鳥取ノ荘駅~紀州街道孝子越街道(浜街道)と合流分岐南東へ~阪南市立総合体育館~蓮池~波太神社~莬砥川橋~第二阪和国道を潜り~JR和泉鳥取駅の北で熊野街道に合流
JR高野口5時35分、和歌山駅経由でJR和泉砂川駅まで紀州(熊野)街道との分岐点へ移動。
7時11分 スタート
11時40分 完歩
23.325歩 13.99km 999kl
この街道は信長の根来攻めの時、軍事的目的で整備されたこともあってこの様な名前が付いた。直線的な街道で古代に計画的に作られた街道とも見られている。
JR和泉砂川駅
和泉砂川駅前の西から北へ500mほど歩いたところで、泉南市敬老会館の南側の交差点、信長街道と熊野街道とが分岐する辻が起点となる。
駅から信長街道の起点までの道はどの道を行ってもよいが、私は駅から西へ真っ直ぐの道を100m余り進み、一つ目の交差点を右へ、100mほど先左に信達公民館の前を通り、200mほど先で小さな川を渡り、50m先の変則十字路を左に折れると、50m先で熊野街道の64号線に出るので更に右に折れる。左にJA大阪泉州信達の前を通り、150mほど先
泉南市敬老会館の南側の十字路が 熊野街道との分岐で、信長街道の起点となる。
和泉砂川駅から西への道この辺りどの道筋でも結構大きな旧家が残る
左、JA大阪泉州信達
信長街道との起点熊野街道を真っすぐ歩いてきた筋(南)
辻と熊野街道(北)の道 信長街道は十字路左へ
辻の北西角に立つ 灯籠二基と道標
「西国秩父・・・・・」
信長街道の筋を入っていく
その前に辻の東に入っていくと左に、浄土宗鎮西派法性山寂龍院 真如寺
宝篋印塔が並ぶ
徳川吉宗御植樹の貝塚いぶき木樹齢300年以上
その足でもう少し東に歩き、南海本線の近くまで進むと長慶寺があるので寄ってみる。
長慶寺の手前に、市場子安地蔵尊
長慶寺の参道石段を上る長慶寺は小高い丘の上にあり、100段を上ると仁王門が建つ
真言宗泉涌寺派金泉山慈昌院 長慶寺本尊は如意輪観音 石段を上る脇にアジサイが見事でアジサイ寺といわれる。
仁王門
本堂 平成9年に再建された
多宝塔(開山堂)
三宝塔(三重塔) 平成16年の再建されたばかり
神亀年間(724頃)聖武天皇の勅願で行基菩薩の開創。天正六年(1578)織田信長の兵火で伽藍のほとんどが焼失。その後慶長年間(1596~1616)に秀頼の命により現在地に移転。以後徳川時代に入り隆盛した。
長慶寺文化会館
綺麗に整備された境内
枯山水庭園
鐘楼
寄り道で時間を費やしたが、見ごたえのある名刹でした。辻をスタートしてすぐに道が分岐するので左に折れる
左に折れてすぐ右に 市場稲荷神社 参道の右に石灯籠、狛犬、手水鉢が並ぶ
稲荷神社の所で左に分岐して西へ進む
神社の先300mほど行くと、黒田の集落を抜け第二阪和国道(26号線)に出る
国道を横断して左に折れ、すぐ右斜めの旧道に入る
左に保険センターを見て
その先で突当りを右にカーブして進む
右にカーブして、すぐ先で左に緩やかにカーブしながら新道にでる。左に折れる
その先右に泉南市中央浄水場、左に泉南市消防本部を見て過ぎたところで右に折れる。真っ直ぐ行くと左に泉南市役所まで行かない
右に折れたすぐ右に喫茶店がありその前を左に折れる。少し先道は分岐している手前
左に折れて150mほど進むと右に野上病院。
道は正面セブンイレブンの所で突当り左に折れる
左に折れるとすぐ信号交差点、交差点を右に折れて進む交差点の東南角に泉南市役所交差点の南は泉南中学
交差点を右に曲がり暫く真っ直ぐの道を進む左には泉南中学
やがて二つ目の樽井東信号交差点に出る交差点の左右の道は、根来街道(三畑越え)と交差する
信長街道は真っ直ぐ交差点を横断して進む。
右中ノ池、左にも溜池、その間を通る
交差点から400mほど進むと道が分岐して、左の道が馬場集落内を通る。右の街道、この街道は余り集落内を通らない軍事目的の道路であったようだ
分岐する正面角に、千体地蔵とよばれる石仏群およそ石仏群は二百体あり、板碑、地蔵、一石五輪塔、石仏などさまざま。一石五輪塔の最古のものは天正十八年(1590)のもの。千体地蔵の南は江戸時代前期からの古い共同墓地で板碑や六地蔵などもある
祠
新道の交差点を横断する
その先右に、コープ泉南共同購入センターの先で63号線の交差点を越える
双子池の間の道を進んでいく
右手(北) 左手(南)
池を過ぎて100mほど先で左に曲がるがその左角に 道標 「種子 右 をさき道 左 あハしま道」
道標は村の入り口にあたり、かつては街道は村の中を通らないでかすめていたようだ
道標左に見て真っ直ぐ進むのが村への道
100m弱で十字路を左に折れると雄信小学校の北西の角、男神社の参道前に出る
ここで先ほどの、道標の所に戻り集落をかすめた街道を通る
道標の所を左に折れる
雄信小学校の北側に突き当たるので、右に折れる
小学校の前を通ります
先ほど集落の中を抜けた道と合流します
合流した地点で、男神社への参道を横切り農協倉庫の前を通って、男里川に進みます
⦅寄り道⦆して男神社へ参道に立派な 燈籠が立つ
男神社延喜式内の神社で皇室や将軍家から崇敬設けた由緒ある神社。境内には多くの石造り物が多い
少し西に歩いた右一帯はかつて広大な光平寺であったが、境内には入れなかったが府指定の五輪塔と天正時代頃の
一石五輪塔と地蔵二体が残るという
街道よりすこし右に入った突当りに 高野山真言宗大御堂山 光平寺
真っ直ぐきた集落を振り返る
やがて男里川の堤防に出る、かつてはここから右の男里川橋の対岸の袂に歩いて渡っていた。川幅は元禄頃で15mぐらいだったらしい。右に折れて男里川に架かる男里川橋を渡る
男里川二架かる男里川橋現在川幅は長い
橋より右の景色、この手前辺りを徒歩で渡っていた
橋を渡った対岸から振り返る手前の川原に尾崎の古い共同墓地があるが、過去に川の氾濫で流失したことがないのだろうかと思った。資料では、慶長時代から江戸期の古い石造り物が残るという。
橋を渡って信号交差点を右に堤防を100m程進み左に堤防を下る
左の少し狭い道を下出地区に進む
尾崎町下出の集落に入り、右から小川が迫り小川に沿って歩きます
少し先で小川を渡り集落内に入っていくと十字路を渡り、この先道は広くないが直線の旧道を進む、この辺りは新しい住宅が建つ
十字路から100m余り先から旧下出集落の入り口となるその入り口辺り右に、下出不動尊 天正時代頃の地蔵と石仏
街道の雰囲気が残る旧集落内を進む
暫く歩くと信号交差点に出る左右に交差する道が、井関越え街道(資料参照)
信長街道は横断して進む
右に旧家が残る
黒田の街並みに入ります
井関越えの交差点から300mほど進み、右に街道より100mほど入ると、浄土宗 黒田寺
黒田寺から街道に戻る途中右に大きな豪邸
黒のよう田のだんじりの保管倉庫のよう
街道に戻り少し進んだ先の交差点を横断、左に阪南郵便局がある
更にその先200mほどで交差点を越える
交差点の先100mほどで、池詰川を渡る。ここから旧波有手村の入り口
川の手前左に、村内安全祈願の碑が立つ
その先100mほど進むと、右に 祠中に四体の石仏があってそのうち一つは
道標 「右 大坂 左 佐野」
すぐ先で道は右にカーブして南海本線を越えるが、街道は本線の手前で左の細道を下る。下ったところで小川のります
右の小川に沿って少し進む
右に、南海本線の鳥取ノ荘駅信長街道はここで、ローソンの手前の道を左に入り南に進むが
とりあえず鳥取ノ荘駅を右に見て、左に折れず真っ直ぐ進みます
真っ直ぐ進む
左に阪南西鳥取郵便局のある交差点を越えた少し先で、右からくる、紀州街道孝子越え街道(浜街道)と合流する。
右から鳥取ノ荘駅西側の踏切を渡ってきた浜街道が左へ進む地点、紀州街道孝子越え道(浜街道)の道
合流点の辻、右が信長街道左が南海本線の鳥取ノ荘駅、南の踏切を渡ってきた浜街道
信長街道はこの合流辻で西への道は終了する。鳥取ノ荘駅前に戻り再び信長街道を歩く
駅前のローソンの角を右に折れて南東に進む(257号線)
鳥取ノ荘駅前より伸びている広い道となる
鳥取西交差点(26号線)を横断し、左に大澤胃腸科、右にいとう接骨院の前を通り進む。緩やかな上り坂となる暫く進んでいくと、左に立派な阪南市立総合体育館
体育館の前で右から道路が接しすぐまた右へ離れる。街道は体育館に沿って左斜めに進む
道路両側に光陽台の新興住宅地が広がる。旧道の面影はなく道路改修がなされている
住宅地も過ぎ正面に溜池の堤が、左に曲がります
右の蓮池の堤に沿って道は進む
蓮池の堤が切れる十字路で右に折れる
右に折れて更に池の堤が右に沿う、その間を側溝が流れる
左にキリン堂を見て、再び池の堤が切れる十字路で右に折れる
右に折れた堤から蓮池を見る。結構大きな池左からぐるりと池を廻ってきた
池から側溝に流れている橋を渡る
すぐ先、池の南の端で道は分岐するので左に折れて池より離れる。真っ直ぐの道は行き止まり
左の道を進むと、波太神社にでます
本殿・末社三神社本殿
「三間社流れ造り」といわれる神社形式で、拝殿奥の正面に本殿があり、向かって左側奥に末社三神社がある。
本殿は両脇に階段があり、その上部は普段は幕で覆われている。幕の奥は3つの間に仕切られていて、両脇の間が神座となっている。中央に設けられているのが「相の間」で、2柱の神を合わせて祀る場合その間に設ける間のことです。このように3つの間が設けられているものを「三間社」というそうです。
「流れ造り」というのは、屋根の形式のことで、屋根の流れが後ろに比べて、前を長く延ばして反りを付けたもののことです。その長い庇は様々な公木や柱、彫刻を施した虹型の梁などで支えられている。また、側面にも非常に手の込んだ飾りが見られ、建築当初の極彩色の豪華さが居間も偲ばれる。本殿は寛永十年(1638)に建てられた。末社三神社も同じ小型の建て方となっている。江戸時代初期の特徴が残り、本殿と末社共に重要文化財の指定を受けている。(説明文より)
波太神社の隣東側に 厳島神社
鳥取戎社
神社の中を東に抜けて
神社の東側の旧道に出ます、その北側に石田の交差点を街道は右に折れる
信号の手前左、神社の敷地内に 神光寺(蓮池)遺跡明治時代の初めまで波太神社の神宮寺として存在していた。この辺り一帯に古墳時代の遺跡が沢山発見されており集落が存在していた。
信号の北左角には 祐道寺
右に折れて交差点を振り返る
かつての信長街道はおそらく軍事目的であった道なので、集落の中は蛇行してややこしいが、おそらく真っ直ぐな道で無かっただろうか。このような細い道では軍事行動は出来ない。
少しややこしい集落内の道なので道順を一括して記入し、写真で部分的に参考としてくだ。
石田の交差点で右(東)に折れ、100mほど先で道が分岐しているので左の旧道に入る。緩やかに道なりに左に弓を描いて150mほど進んだ先で右に折れる。
東への真っ直ぐの道を200m余り進むとT字路に出るので左(北)に曲がる。北に150m進んだ右旧家の角の路地を右に折れる路地を30mほど入り。突当りを左へ30mと更に右に折れて10mほどで道なりに右へ。30mほどで道が分岐するので左へ進むと新道に出る。新道を横断して真っ直ぐ左に弓なりに進むと、右に菟砥川に架かる菟砥川橋があるので右に橋を渡り、第二阪和国道(26号線)を潜る。
交差点を右に折れて100mほど先で道が新道と分岐する。左の自然田地区の旧道を進む
弓なりに150mほど先で、右に曲がり東へ真っ直ぐの道200m余り進む
その先でT字路となり左(北)に折れる
150mほど真っ直ぐ集落内を進む
旧家の散在する雰囲気のある街並み長屋門のある旧家の角の路地を右へ入る
右に折れた細い路地を30m進む
路地の突当りで左に折れる
左に折れた30mほど先で右に折れる
右に折れる所で少し真っ直ぐに進み⦅寄り道⦆をする。
右に折れずに150mほど北に行ったところに浄土宗玉田山自然院 瑞寶寺
本堂は 安政六年(1859)建立
街道に戻り、右に10mほどで右に道なりに折れる
30mほど先で左に緩やかにカーブする
道が分岐しているので左へ
そのすぐ先で新道との交差点を横断する
新道との交差点を越えた先で、道は分岐するが右の道を進む
左にブレグランス阪南B
右の川に接近して右に橋が見える
やがて交差点に出て、右の菟砥川に架かる菟砥川橋を渡る
西からくる道より橋を写す
左角に、大峯供養塔が立つ
橋から100mほど先で、第二阪和国道を潜る
国道を潜ったすぐに、小さな小川の橋を渡る
その先すぐやや大きめの橋を渡る
川を二つ渡り、東へ真っ直ぐの道を進む
やがて交差点に出るので横断した先で、256号線の高架を潜る
高架の潜った先もほぼ真っ直ぐ東へ、和泉鳥取へ入る
信号交差点の左角は、鳥取東中学校
中学校が切れたところでJR阪和線の踏切を渡る
踏切から100mほど先で左右の熊野街道に合流する
合流した辻の熊野街道左(東北)の道
熊野街道右(西南)の道
合流辻からの信長街道
信長街道 完歩
コメント