古堤街道(中垣内越道)

2011年5月25日

大阪市京橋駅北側~四条畷市田原台
いつもの通り自宅4時30分にでて林間田園駅から新今宮駅で大阪環状線に乗り替え京橋駅へいく。
京橋がスタート起点となる
      6時15分  スタート
     16時00分  完歩
        49.294歩  29.57㎞

国道を殆ど歩かなく、街道風情が残る下町を歩くのが多く楽しむことができる。
中垣内越え道とも呼ばれる、京橋から旧大和川・新開地の北堤を通り、深野池を渡って中垣内から山越えをする道。大和川付け替え以降は、寝屋川北堤から深野南新田をつらぬいて進んだ。放出までを古堤路、中垣内から中垣内越えもしくは生駒越えと呼んだ。近代に入り古堤街道と呼ばれた。
京橋駅のところで京街道から分岐していたが、起点は駅の拡張整備工事で消滅した。今福までは旧鯰江川(大和川)北堤を進み、今福から南東の徳庵までは2ルートのみちがあった。南ルートは、現寝屋川を極楽橋で渡り、蛇行しながらJR片町線のすぐ北側にでる。その後は片町線のすぐ北側にそって徳庵に進む。北ルートは現寝屋川の北堤に沿って徳庵まで進む道。川筋は護岸上擁壁も高くして昔日の面影は偲べない。
徳庵から一本道となり、新開地の北堤上をすすむ。大東市諸福・住道を通り、住道で寝屋川を渡る改修工事が進み全く昔の面影は残らない。住道から平野屋の座摩大明神までは住宅地に変わっている。東高野街道と交差し、中垣内集落を抜け、山魂に取りつく。旧道は阪奈道路などの造成で消滅した。更に龍間までも造成で旧観を失った。龍間集落の南西、現在の阪奈道路が上り・下りの車線が分かれる所からは、南北二つのルートがあった。北ルートは中垣内越え。龍間集落を抜け、阪奈道路の元料金所のところから北東へ谷筋を上田原に降り、下田原で清滝越えに合流する。南ルートは生駒越え。全区間山道でほとんど阪奈カントリークラブの造成により消滅している。ただクラブ内の荒地東側は旧道筋を残し、クラブ外の東側から府境までは旧の山道は残っている。

JR京橋駅

古堤街道の起点は、京阪京橋駅の北側京阪モール東側で京街道と分岐して、京阪京橋構内を東に横切り、JR京橋駅の高架ガードを潜り東に進む

起点の京阪モール

京橋駅構内

京橋駅のガードを潜りその先の東野田町3の交差点

蒲生1丁目3

右に緩やかにカーブする左にある 祠と弁財天

JR学研都市線(旧片町線)を越える

聖賢小学校前の歩道橋より振り返ると、右奥に寄らなかったが浄徳寺の屋根が見える

街道より左に少し入ると左角に 真宗正福寺 奥突当りに若宮八幡大神宮

神社の隣に 和合不動明王・興長大明神行者神変大菩薩・弘法大師

突当りの 若宮八幡大神宮

神社境内に 大阪夏の陣佐竹義宣本陣跡の碑

街道に戻り重厚な建物 

新喜多2付近

歩道橋よりの景色  素晴らしい街道風情が残る街並み

 今宮筋の信号交差点をわたる

右へカーブしながら道なりに

信号交差点を横断

信号の手前左に 三郷橋稲荷大神

今福の丸木舟出土跡
この地で、大正6年今福村(現今福西1)の鯰江川の川底から、楠の大木を半分に割ってくりぬいた大きな丸木舟が掘り出された。長さ13.46m幅1.89m深さ0.818mと大型なもので、奈良時代のものと推定された、古代人がこの辺りの池や沼が点在していたのに水上交通に用いたものと思われている。大阪城内に展示されていたが、惜しくも昭和20年の空襲で焼失した。

三郷橋稲荷大神の横を左に少し入ると 親子地蔵尊の祠 が皇大神宮に隣接

皇大神宮

平安朝時代の末期今福村の開発されたときに創祀された

神社の隣の 親子地蔵尊

街道を挟んだ西側に 栄照寺

その先で寝屋川に突き当たる、右からの寝屋川の北岸を進んでくる道と合流する

突当り左手前角は今福小学校、右からの道と合流した後、すぐ寝屋川に架かる極楽橋を右に渡る。寝屋川の北岸に沿って進む道は真っ直ぐ分岐する

寝屋川と北岸の道

極楽橋を渡り信号交差点は真っ直ぐ

道は分岐するが、左側の道を進む

50mほど先で正面の和泉商店のところで右にカーブする

道は真っ直ぐの道へ

少しややこしいが、赤い建物の前、一方通行の道を右斜めに入る。右斜めに入った先の道

少し広い道に出るので、横断して真っ直ぐ進む

200mほど進んだ先で、右に片町線、左に川の突当りに出る

昔はここから対岸に入っていたようだが橋もなく、左に少し迂回して橋を渡り対岸に出る

迂回する橋から片町線方向を見る

対岸の旧道に戻る

右にJR片町線に沿って暫く歩く

479号線の内環状線の高架下を抜ける

 ローレルニート放出を右に新道に出て右へ

放出駅を右に見て通る

左に 阿遅速雄神社

境内の お蔭燈籠とくすの大木 天然記念物の老樹、幹回り6m・樹高16m・枝張り30m

その先交差点で 放出街道(中高野街道)南北に通る辻で交差する。街道は真っ直ぐ進む

放出(中高野街道)の筋 北側(左)の筋

南側(右)の筋

街道交差点の辻から東に進み、コノミヤ研修センター・マクドの前を通り400mほど先の信号で左に折れるが、旧道はその手前で左斜めに進んでいたが今は消失している。信号交差点を左に曲がり一筋目の交差点を右に折れる。すぐまた右斜めに旧道はあったがここも消失している。

信号左へ

直ぐの交差点右へ

左ルネヒューマンズガーデン鶴見の前辺りで右斜めに旧道があった完全消失その先の交差点を右へ更に次の交差点で旧道が復活するので、交差点を左に折れる

交差点で旧道が復活して左に折れると直に道が分かれるので、右の旧道に入る

右に老人ホームを見て旧道を進む

左に旧家の大きな建物の過ぎたところで、今津南4で左に曲がる。その先で右にカーブしながら歩くと、左に願教寺

真宗大谷派願教寺

すぐ左に 湧泉地蔵尊

その先少し左の細い道を入ると 融通念仏寺源正寺

境内に 石造物 が並んでいる

 今津中5辺りの旧家が並ぶ街筋

比枝神社

神社に入る辻の 祠

 比枝神社の正面

神社の街道を挟んだ東側はJR徳庵駅

左に 真宗園通寺

橋爪電気工業所前を右にカーブしながら左からのやや広い道に合流

合流した先の道

寝屋川に架かる徳庵橋手前の信号交差点、旧道は徳庵橋を斜め右に渡っていたが今は徳庵橋を渡る。

徳庵橋から寝屋川の西を見る、向かって右の北岸が、淀川に沿って進んでくるルート道

寝屋川の東側を見る、橋を渡ったところで左からの寝屋川に沿ってきたルート道と合流して、左斜めに進んでいく

五箇井路と六郷井路

徳庵橋近くから五箇井路と六郷井路を見る

徳庵橋手前の商店街入り口左にある 徳庵神社

今歩いてきた街道の東側に並行して展徳庵商店街

 橋の手前東側に 住吉神社

 橋を渡り右に折れる、右に淀川を見て左にカーブしていく

右に 町内安全地蔵

左への細い道を進んでいく

右側に写りが悪いが 町内安全地蔵尊の祠

その先中茶屋公民館近くの右手に大き目の 

中茶屋の三叉路の 道標 左へ 小阪街道が分岐「右 ・・らみち」 「左 京みち」

 小阪街道の分岐路北西へ

三叉路を進む

すぐ先で信号交差点を横断する

暫く進んだところで、茨田小学校に突当り旧道は消失。往時は真っ直ぐ行くが、仕方ないので迂回する

茨田小学校の突当りで、左か、右に迂回し学校の東側に出る、中央環状線・高速道路を越え東側の高速道に沿った広い道に出る。そこから東も、鴻池水みらいセンターで旧道は消失している。北側は住友倉庫で大きく迂回して両社の東側に更に回る

住友倉庫の東南角と水みらいセンターの北東角と間に、グランドール福川2の建物がありその前で小学校からの道が来ていたが消失している。その角から南東への旧道が通っていたがマンション等で消失しているので、祐照寺の前を歩いて迂回する。迂回道を100mあまり歩いたところで、左、大成学院大中学・高校の前で右に折れ、左に大東つくし保育園の東角、正面は鴻池スカイランドの東北の角まで来ると旧道が復活する。そこで左に折れて道なりに南に進むと大東市消防団庫の前に出るので左に折れる。

迂回する道沿い右にある 祐照寺

垣根の先で右に折れて旧道の復活道に出る

大東スカイランド方向

大東市消防団庫前を左に

左に折れたすぐ先で166号線の信号交差点に出て横断する。信号を右に折れて橋を渡ると鴻池新田駅

⦅寄り道⦆交差点を右に折れて寝屋川鴻池大橋を渡り、鴻池新田駅を通り少し東に、鴻池新田会所へ

駅の南側にある国の重要文化財 鴻池新田会所
江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営を行った施設。豪壮な建物である。いかにも豪商という感じ
鴻池家の先祖は山陰の戦国大名尼子氏の家臣、山中鹿之助幸盛であると言われている。鹿之助の長男新六幸元が始祖と言われ、摂津の国長尾村鴻池で大叔父の山中喜六信直に育てられたと伝わる。のち屋号がこれが由来している。

敷地内にある 朝日社
1705年天照大神を勧請し、神明宮を造営したのが起こりです。江戸時代後期には末社の開祖神社が創建され、新田開発者である3代目鴻池善右衛門宗利も祀られている。両社は明治19年に合祀され、朝日社と改称された。解体修理により明治19年の状態に整備された。

本屋正面

元の街道の交差点に戻りスタートする

交差点の少し北側に 浄土真宗欣浄寺

街道を少し進んだ左に西諸福の 子安地蔵尊

諸福地区の風情のある街並み

街道沿いの民家と大木

右に 浄土真宗泰徳寺

寺の前の 

泰徳寺の街道を挟んだ向かいにある 曹洞宗勝福寺
1596年開山、現在は山門・庫裡・鐘楼・不動明王堂からなる。本尊は十一面観音であるが、本堂内の鴨居に多くの羅漢像を安置する。当寺は羅漢寺とも呼ばれる。本堂内に135体が安置されている

勝福寺の隣にある 諸福天満宮

神社のすぐ左に立つ 天照大神宮燈籠
燈籠の傍の 道標
「東 直ぐ大坂住吉堺 左り八尾久宝寺」南 右京やはた 星田妙見山」「西 すぐ のざき いがいせ なら 郡山」

8号線の高架下を潜る

左に 聖徳太子堂と地蔵尊の祠

その先左に 太子田大神社

街道を挟んだ向かい(右)に 白寿弁財天

 すぐ右に 明福寺

お寺の角に 石碑 弘化二乙巳年十二月樋門開鑿記念碑

暫く進んだ左に 北野神社と真宗泉勝寺

泉勝寺の立派な 鐘楼門

何か低くて威圧されるような21号線の高架を潜る

高架の先、左に 大峰堂と道標 正面「左 大坂」 西面「右大峰山三十三度道」 

この先で165号線に合流して右に折れる。そして今まで右に沿ってきた寝屋川が、寝屋川と恩智川に分かれ、寝屋川は北に、恩智川は東に流れる。街道は右に折れて、川が分岐する手前の住道駅前大橋を渡る。渡った正面は住道駅。街道は昔は東南へ斜めに、住道駅の東へ渡っていたが今は消失しているので、大橋を渡りすぐのところで恩智川の南岸に沿って少し東に進む。

古堤街道は、大阪の京橋から旧大和川や寝屋川の堤防上を東に進み、河内平野を横断して奈良へ向かう街道。1736年刊行の「五畿内志」には「中垣内越」や「古堤路」と記されて、明治以降に「古堤街道」と呼ばれるようになった。
1704年の大和川が付け替えられる以前は新開地の堤防上を進み、現在地付近からは船で深野池を中垣内まで渡っていました。付け替え後は、寝屋川の堤防上を進んだ後。寝屋川・恩智川を横切り、河内街道が交差している商店街の方へと向かう。
また、寝屋川と恩智川が合流するこの地には、近世から近代にかけて角堂浜と呼ばれる船着場があり、古堤街道と共に水上・陸上交通の要所であった。
沿道には、角堂浜の水運の発展と安全を願った住吉神社や、河内街道と交差する地に「古堤街道」と刻まれた明治35年の道標など、多くの文化財が残されている。

寝屋川と恩智川の分流と住道駅前大橋

JR住道駅と駅前

JR住道駅前から恩智川を左に東に進むと住道本通商店街を入る

商店街を進むと中ほど、アーケードが切れる辺りに、左角の所が八百屋で四辻がある。その交差する南北の道が河内街道でそれを越えて進む。八百屋の角に道標が隠れるように立っている、そこを左に折れたすぐのところに地蔵の祠が あり、河内街道は恩智川を北に渡っている。

河内街道 との交差の辻の交差点、左角に八百屋でほん少し手前を右への道が河内街道

八百屋の角にあり果物に囲まれ見落とす 道標 「古堤街道・・・・」

地蔵さんのお堂

河内街道と交叉の辻を東に進み、東側から振り返る、商店街を歩いてきた辻、右角が八百屋で河内街道は八百屋の手前を右から来て、左へ抜けていく道

河内街道が恩智川を擁壁のあいだの橋を北に渡る所

河内街道との辻に戻り少し東に進むと、左恩智川を見て、右にカーブしてJR線のガードを潜る。更に左にカーブする右側に八幡神社八幡宮がある、前を通り、恩智川に架かる御供田北橋を渡る

高架の先恩智川の手前右に 八幡神社八幡宮

恩智川沿いに蔵のある大きな旧家が残る  

旧家の先に大きなムクノキが聳えている

御供田北橋方向を振り返る

小さな川を渡った左に、2008年1月まで平野屋会所があったが惜しくも解体された

座間大神宮 この辺り左に会所があった

左に大阪産業大学の校舎ビル

広い信号交差点を渡る 

中垣内地区に入る

中垣内に入り170号線の交差点の辻で 東高野街道 と交差する

交差点の東北角の 道標 「龍間山 不動尊コレヨリ十八丁 たつまの・・・」

交差点の東北角の 道標 「龍間山 不動尊コレヨリ十八丁 たつまの・・・」

東南角の 道標 西面「右大峯山上道」 北面「すぐ大峯山上」 南面「すく京乃ざきやわた柳谷道」

交差点を振り返る

中垣内集落 緩やかに坂を上る

右に 覚順寺  

工事の先を上っていくと道が分かれる、その角に道標がある。生駒への旧道は右に行くがその先で阪奈道路の擁壁に阻まれ旧道は消失する。左に迂回し新道に出る

道標 「すく いこま 左 新道」注意の看板後ろの道標「生駒宝山寺是与五十八丁」

旧道はここで阪奈道路の擁壁に阻まれて消失、引き返す

⦅寄り道⦆この先旧道が分からないので近くの神社やお寺を散策する。先ほどの工事の作業車の所を右に折れる
善宗寺

寺の前を通っていくと左に 慈光地蔵尊

そのすぐ先右に 鳳字寺 境内に庚申塔があるが入れなかった

すぐ先左に 須波麻神社 と神社前の おかげ燈籠兼道標
西面「大神宮 東 なら 木津」 南面「北 京 御影踊連中建立」 北面「南 高野山 世話人 ・・・」近くの東高野街道筋から移されてきた燈籠

元の辻に戻る、ここを上るのが旧道だが行き止まりなので左に迂回する

左に迂回し阪奈道路を越えて進むと左に 地蔵尊のお堂 

隣に 大光山不動院

この辺りに、先ほどの道標の有った辻から真っ直ぐ上ってきていたのだろう、でも旧道は完全に消滅しているようだ

左 はや山荘

左に 満願地蔵尊

満願地蔵辺りからは旧阪奈道路に沿って道なりに蛇行を繰り返しながら上っていかなければ 旧道は暫くないので。車は新阪奈道路を通るので、今は殆ど車が通らないので快適に歩ける
説明なしで写真ばかりですみません

旧阪奈道路と新阪奈道路が合流するこの辺り、右に赤い屋根のある建物辺りに真っ直ぐ旧道は上ってきていたようだ

合流後暫く阪奈道路を進む

この辺りで田原から木津へ向かう北コースと菜畑から三碓への南コースに分かれるが、南コースは一部ゴルフ場で消失するため、北コースを進む。

この辺り南コースであったが道は消失しているのでどこが入り道か不明

南コースは入口辺りから、阪奈道左右を旧道が通っていたが今は消失しているので阪和道を暫く歩く

阪和道に沿って左の旧道の道一部残る

旧道から右の阪奈道に合流旧道は阪奈道の右側に沿って通っていたが消失している

阪奈道の右側を消失した旧道が通り、予告信号の所で、右側から阪奈道を横断して左の道に入っていた
旧道がここから復活している

左に入る入口から阪奈道を振り返ると、向かって道路の左側の雑木林が旧道であった。ここで阪奈道を横断していた

左に入り旧道を進む

旧道を入っていくと最初の分岐点に出る。街道はここを右に折れる。右に折れる左角に 2つの道標

道標 「右 たハら たかやま きづ いが いせ道」「左 経寺山龍光寺道」小さい方「左 天・・・・・」

道標の辻を右に曲がらず、少し真っ直ぐ行くと

曹洞宗龍光寺

石造地蔵菩薩立像

元の道標の辻に戻り、右に折れ街道を進む

すぐ先左に 龍間不動尊 献灯石標や役行者像が残る

龍間水掛不動尊

その先、阪奈道路の龍間信号に出る。旧道は信号手前を左に曲がり100mほど進み阪奈道路を横断しての東側に進んだが、阪奈道路が横断できないので、龍間信号の歩道橋を渡り阪奈道路の東側の道を100mほど左に進み旧道に出る。

信号手前をひだりに進む

阪奈道路で渡れないので歩道橋に迂回 

阪奈道路を渡り旧道に復した右側の曲がり角に 一石二段六地蔵菩薩立像 

一石二段六地蔵菩薩立像
六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるのが六地蔵である。上段に向かって右より 施無畏印を結ぶ地蔵が餓鬼道、中の宝珠を持つ人間道、左は幡を持つ畜生道、下段右より錫杖を持つ地獄道、中は合掌の阿修羅道、左は香炉を抱いた天上道を示している。1567年2月23日の六斎日に、六斎念仏の講衆五十五人が自分たちと先祖の供養のために建立したときされている。

暫く歩いた右側に 龍間神社

鳥居の左に おかげ燈籠

暫く閑静な集落や山間の道を進む

植田建設の所を左に曲がる

やがて右に池があり池の先で信貴・生駒スカイラインに突当る手前で左に折れる、すぐ先で 道が分かれているので、右のスカイライン道に沿って進むが、ICで道が消失して100mほど先の阪奈道路に出ることができないので、先ほど分岐した分かれ道を左に行って迂回する。

旧道が阻まれるスカイラインの向こう側に 龍眼寺

迂回して阪奈道路の信号で200mほど阪奈道路を進み、左の道路に入る。左一帯は大阪パプリックGC。モーテルの横を抜けて、右さつきヶ丘・左緑風台の間の宅地造成された道を下る。これから先は旧道は消失しているので新道を下って行く。

左の池の所を左に曲がりすぐに右に旧カーブして新道に出る、別に旧道ではないと思うが単調で面白くないから旧道のつもり

住宅地の新道を真っ直ぐ下る

やがて右に北谷公園があり、公園が切れたところの信号を右に折れる

北谷公園辺りは 旧田原城跡

北谷川に架かる弁財天橋を渡る

橋を渡ってすぐ左に曲がり、左の天野川沿いに進む。道は右に大きく円を描くように左にカーブして、天野川を再び渡る

更に50mほど先に進んだところで、右に曲がり小さな橋を渡る

小さな橋の先少し真っ直ぐな道を進む

生駒山系を横断して河内・大和を結ぶ古道は、四条畷市においては中央部を通る清滝街道と、南部を通る古堤街道の二つの道がある。古堤街道は、京橋を起点として徳庵・諸福とすすんで、中垣内で東高野街道と交差して山道にさしかかる。ここから南田原への道は「中垣内越え」とも呼ばれ、昔から人々に親しまれてきた道である。
① 中垣内から東へ急坂を登った道は 
② 龍間の集落に出る。
➂ 龍間神社を過ぎ集落を抜け道
を東に、さらに北に進むと 
④ 阪奈道路料金所跡に出る。この辺りは往時の面影が全く残っていない。古道は一部阪奈道路と重なり、やがて北の道筋を東北に 
⑤ 緑風台住宅東の谷筋を下る。谷筋を下って上田原八ノ坪に出る地点の南側には、戦国時代に飯盛城の支城であった ⑥ 田原城址がある。古道は城跡北側の堤上を東に進む。
この辺りは古道の面影がよく残り、北側台地には城主原氏の墓所があった 
⑦ 千光寺遺跡がある。道は現道の南を並行して進み、
⑧ 中番で新道を横断して東に 
⑨ 住吉神社へと進む。境内には石風呂がある。神社南の現道に面して 
⑩ 道路改修記念碑が建っている。中垣内越えの古道は、冬季・雨季には悪路となるため、なんとか良い道にとの地元の人々の願いで、明治37年に起工されたが中断、やっと大正12年に完成したときのものである。道は現道の北側を進み森山へ。下田原への道の 
⑪ 交差点に明治19年建立の道標があったが、
⑫ 今は現道北側に移されている。道は交差点を東に進み、天野川左岸堤に出て天野川を渡り
⑬ 磐船街道と交差し東に進む。現道の両国橋袂には、
⑭ 大正12年建立の府県境石標がある。

右の天野川に沿って真っ直ぐの快適な旧道を歩く

川沿いの旧道が残る道筋

振り返る、最高の旧道

交差点にでて、川を右に見て北東に進む

右にカーブしてすぐまた緩やかに左にカーブする

田園の風景を見ながら進む

交差点を渡り少し入ったところで右に折れる

広い新道に交差するので横断して真っ直ぐ

更に新道の交差点を越えて風情の残る旧道を進む

上田原で右からの新道と合流

上田原の街道左に 石造物 が並ぶ

すぐ先左に 住吉神社

神楽堂

境内にある鎌倉時代の 石風呂と十三仏碑

住吉神社の先で磐船からの道に突き当たる。以前はこの角に 道標「古堤街道」があったが、新道との辻に移されている

磐船街道 と合流するT字路の辻左に折れる

ここからは 清滝・磐船街道で詳細、同じ道を進む。古堤街道 はここで一応終了

左に折れて磐船街道と重複して北に進む

左に 融通念仏宗正傳寺

 右グリーンホール田原

左JA大阪東部田原

道標

下田原交差点

天野川の前川橋に着きます、川沿いの東西の道は 清滝街道 右に折れます

角に 耳成地蔵尊の道標

前川橋を渡ったところから旧道の出てきたところを見る。橋を渡らず向かって蔵の所を川沿いに左に、清滝街道と重複する

右に折れて200mほど進むと竜田川に架かる
高橋に出る、橋の手前右に 道標二基 「従 是南奈良・・・」 「従 是東大坂・・・」小さい方は「高橋」

磐船街道と清滝街道の合流点
磐船街道は龍田川沿い南北に、清滝街道は高橋を渡り左に行ったすぐの所右斜めに入る道

高橋を渡り左に曲がりすぐ斜め右に入る道が清滝街道

古堤街道(中垣内) 完歩

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