和泉街道

2013年4月14日

近鉄上ノ太子駅~堺市西区草部交差点
太子町の六枚橋・竹ノ内街道との分岐を起点西へ~叡福寺前~石川の河南橋~近鉄貴志駅東の貴志町で東高野街道と交差~貴志駅北の踏切~堺市美原区さつきの住宅内~平尾で富田林街道と交差~東除川の菅生橋~東野西4で中高野街道を交差~南海北野田駅~草尾の先で西高野街道交差~中区に入り泉北高速鉄道を渡り~阪和自動車道を潜り小阪へ~上神谷街道と交差~石津川の大黒橋~和田川の草津橋~草部交差点で南北に通る父鬼街道に合流

自宅5時45分に出て林間へ河内長野で近鉄に乗り換え上ノ太子駅へ、今日は当麻寺へ行く人達が沢山乗っている、多分イベントへ参加されるのだろう。私は相変わらず1人旅である。
足腰を痛め1ヶ月程街道歩きを中止してヌマタ先生に治療してもらって、久し振りの街道歩きとなる。やはり嬉しさで心がわくわくする。
6時7分上ノ太子駅をスタートし竹ノ内街道を六枚橋まで40分程歩き和泉街道に分岐する。
6時45分六枚橋スタート。天気もよく歩くのには最高の日である。
途中、北野田駅手前の集落にある檀家2000軒という「念照寺」に立ち寄ったところ奥から住職さんの奥さんがでてきて本堂の中やいろいろなお話を思いがけなく接待を受けて感激する。今までこのような経験は初めて。正門を入るとチャイムがなるのは何処のお寺でも珍しくないが、奥から出てきて本堂の中まで案内してくれて接待を受けたのは今まで数え切れないほどの寺や神社を立ち寄ったが経験のないことであった。いつか機会を見つけてまたお伺いしたいと思っている。
      6時7分上ノ太子スタート  6時45分六枚橋スタート
      父鬼街道の草部交差点   13時40分街道完歩 
           36.932歩   22.15km  
 
      7時間33分距離からして少し時間がかかりすぎた。
      草部交差点~鳳大社まで歩いて移動する。
      14時14分着  3.312歩  2km

近鉄上ノ太子駅駅前の道は竹之内街道、六枚橋まで重複して歩く

駅前の 宝筐院塔

駅の東側の近鉄踏切を越え、上ノ太子駅東交差点で南阪奈道路の高架を潜り166号線に沿って南へ進む。やがて春日西の信号交差点に出る。左角に竹之内街道の新しい道標が建っている。166号線を左に分かれ右の道を西に進む。
竹ノ内街道を歩くが、和泉街道を歩く人は殆どいないと思う。道標もありません

すぐ先で道が分かれる、左の道を進むその右手角にも新しい 道標。

100mほど先を進むと右に、蘇我馬子創建曹洞宗 妙見寺

その先の正面に池がある手前の所で真っ直ぐ進まず右に池の土手に沿って左へ、すぐ右に がある

四辻に出たところで右に曲がる、左角にも新しい道標がある。

右に進む街並み

街並の左にがあり

すぐ先で左に少しカーブする左角に 燈籠

灯籠の横に 延命地蔵尊と道標 「右 たへ・・・・ いせ・・・・・」

道の向かいの空き地には「角屋の馬」の説明江戸時代、太子町域には10軒ほどの旅籠があった、中でも竹之内街道が茅淳道と合流する要所のこの三差路角にあった、角屋、は旅人の道中日記のも名を残す由緒ある旅籠であった。昭和中期になくなったが、門前に置かれていた馬像が甚五郎作で、街道を通る馬も見惚れて立ち止まったとする民話と共に今に伝えられている。その先を進むとバス通りの道に出る、真っ直ぐの道は「竹之内街道」、バス通りの左に新六枚橋がある。新六枚橋を渡り少し左に行けば六枚橋の信号交差点。

六枚橋交差点から新六枚橋を見る

竹之内街道は新六枚橋の向こう側、向かって右から左への道。
和泉街道の起点 向かって右へ少し竹之内街道と重複して進む

起点の入り口、先ほど来た道を少し戻る

ここの三差路が和泉街道の起点といえる。
左に角屋の跡の空き地、右への道が竹之内街道、左が和泉街道

左に曲がり少し坂を上ったところで左にカーブする右角に 道標、左に北仲町集会所

右角に 聖徳太子御廟への道標

この路地を入っていくと

右に浄土真宗 善久寺

浄土真宗 了徳寺 

西への集落内の街並みを進む

その街並みの途中右側に 吉村駒三郎翁碑・祠が建つ

道が分かれる正面に新しい道標、その先で左に下り、六枚橋からの32号線の新道が左から合流

32号線の南側を入ると用明天皇陵

叡福寺東交差点

交差点右に太子・和みの広場がある、その向こうに叡福寺

叡福寺東交差点を過ぎたところの、大きな旧家の残る街筋

右の叡福寺に寄る前に左に地蔵尊がある、その横の細い道を上ったところに、植木家墳墓がある。蘇我馬子の墓と伝わるが小野妹子の墓ともいわれるが一般的にはここから2㎞ほど離れたところにある。

横の道と左の 道標

聖徳太子三尼公の御廟所 
西方院蘇我の大臣の娘、日益・月益・玉照の三姫は聖徳太子の乳母として仕えていたが太子が622年49歳で亡くなると、髪を切り尼となった。善信・禅蔵・恵善と称し、太子廟の近くにこの寺を創建した、日本最初の尼寺。寺には三尼公の木像と聖徳太子2歳の木像が安置されている。

本堂(阿弥陀堂)

門前の 

叡福寺より西方院の全景

聖徳太子御廟 叡福寺

御廟入り口

聖徳太子御廟

弘法大師堂

隣り西に 聖光明院

街道に戻り西へ進む。左に常夜灯が塀を曲げて立っている。その先で太井川の太井川橋を渡りその橋の手前左に、
御陵への道標と西国三十三箇所の標柱が建っている

古い常夜灯

太井川橋交差点

道標と標柱 「左 聖徳太子・用明天皇御陵」「左 敏達天皇御陵」「三十三箇所順・・・」

橋を渡った右角の 西ノ口観音地蔵祠

橋より100m余り進んだところ左に、泥掛地蔵がある、患部と同じ部位に泥を塗ると良くなるという伝えがある。

太子信号交差点を越える。梅川に架かる梅川橋を渡ると、間もなく富田林市に入る

石川の河南橋を渡る

河南橋

河南橋を渡って五差路を少し右斜めに進む左に河南橋のバス停後方には二上山が見える

単調な32号線を北西に暫く進む進む

左から広い道が合流、少し左が貴志南信号交差点

その先貴志交差点で左から170号線の東高野街道が交差して、170号線の右側の旧道に分岐する。和泉街道はこの交差点を左に東高野街道を交差して西へ折れる

貴志交差点、正面の道を左斜め方向に進む

貴志交差点から東高野街道は正面右の道

貴志交差点の和泉街道は正面左の道を交差点に入ってきた

貴志交差点より西の街道に入った街並み

近鉄線の踏切で貴志駅は左側

左の近鉄貴志駅

踏切の先の170号線旭ヶ丘交差点を越える

巡礼道を交差点で越える

その先は左に溜池に沿って進み、左にPL学園を見て緩やかな坂を進む

上り切ったところで坂を下る

堺市美原区に入り、さつき野東3丁目信号交差点に出て左に折れる。

西に進みさつき野住宅内を進みます

さつき野中央交差点で広い道を横断、さつき野西3丁目の交差点を越え川を渡ります川を渡り緩やかに左にカーブする

暫く進んでいくと左に 辻堂と道標と常夜灯が建つ

辻堂の分岐する道は左へ

少し進んだところ平尾で左から 富田林街道が合流してくる

合流する左に 道標 「右 さかい 左 ふく町道」

合流点を振り返ると向かって左が和泉街道、右が富田林街道暫く重複する

合流した先の町並みで旧家が並んでいます

左の旧家の角で左に曲がる

左に曲がる右に お堂

左に曲がらず少し真っ直ぐ行った左に浄土真宗 専明寺 

西に進んだところで35号線に交差する平尾の交差点に出る。交差点の右斜めに分岐するのが富田林街道でここで分かれ、和泉街道は左斜めの道を進む

少し先に行って天王辻橋を渡る

309号線の菅生交差点を越える

更にその先で東除川の菅生橋を渡り東除川の北側に出て少し川に沿って進みます

200m程先で川が南にカーブするところで、右に細い路地がありそれを右に入る

少し進むと突当りになるので止む無く左に折れる。左に折れてすぐに右に入る路地の所に 地蔵尊の祠

地蔵尊の祠 沢山の地蔵が祀られているお堂

横に路地がありこれが旧道か分からないので入らずに、すぐの川沿いの道に出る

川沿いの道に出たところ、その先に菅生神社が右に見える多分旧道は以前はこの辺りに出ていたのだろう

菅生神社 

菅生神社の前の街道を振り返る

神社を過ぎ300mほど進むと198号線の交差点に出る。この交差点を南北に走る198号線は中高野街道で交差する。交差点左手前角に、菅生神社の鳥居と道標が立つ。交差点を左に折れるとすぐに東野交差点で和泉街道は右に折れ、中高野街道は真っ直ぐ南に分岐する。

菅生神社鳥居と道標 「すぐ 三日市 高野山」「当社 菅生天満宮」

東野交差点を真っ直ぐ西に進む、右に万代・左にコンビニ 

この先暫く進むと、北野田交差点で下高野街道との辻に交差します。その左手前には旧家があります。
下高野街道ち交差する辻

その先で信号交差点を越える左に 旧大庄屋の屋敷が残る

その先で少し右に入ると浄土真宗 念照寺境内を見学していると中から住職さんの奥さんが出てこられて、本堂内にあがり思いがけない接待を受けました

かいづかいぶきの老木

立派な正門

西除川を渡り振り返る。北野田駅周辺の開発地をひだりに進み、南海線の踏切の手前を左に北野田駅の構内を西側に出る駅前が整備されています

南海北野田駅北側の踏切この駅周辺は完全に旧道は消失しています

踏切手前を左に曲がったところ、高架の歩道で構内を通り駅の反対(西口)に出る

南海北野田駅西口前広場

駅前を左の線路に沿って100mほど南に進み、右に折れると駅前からの広い道を交差するので横断して狭い道に入る。広い道は少し南で右にカーブしていく。

細い道に入る所と、その先の旧道

右に がある、その前左に旭照寺がある

暫く進み交差点がある手前右角に 

祠から見た風情のある街筋

祠の交差点のすぐ先右に浄土真宗 因念寺

気持ち良い街道筋

右に石造りの 

すぐ先の信号交差点を越えた少し先右に小さな 

暫くあるいていった交差点右の山田商店の先の交差点で西高野街道に交差する

西高野街道 と交差する辻

交差点右角に西高野街道の石標

暫く進んだ交差点を渡った左角に 

その先暫く風情の良い道筋を進むと、右から道が鋭角に合流してくる福田646、向かって右が歩いてきた旧道を振り返る。 そのすぐ先が変則の交差になっており、左の角のブロック塀に地蔵さん。 旧道は真っ直ぐ進み100m余り先で府道36号に出るので左に折れる。

変則四辻で左の向こう角に地蔵、旧道は真っ直ぐ

お地蔵さん

府道36号線に合流するところを左へ

100mほど進んだ先の十字路で府道と分かれ左へ

分かれて左に入るとすぐ左側にミンゾ池

道を挟んで池の右に 石祠

池が切れる左がわに お地蔵さん

地蔵の直の所でT字路になるので右に折れて西に真っ直ぐ進む

左角の青山第二集会所の交差点を真っ直ぐ進み。右の浄土真宗誓願寺のまえを通る

浄土真宗 誓願寺

暫く西に真っ直ぐ進むと右に 祠がある

その先で信号交差点を越える交差点を越え少し行った先を少し左に入ったところに

東山大師東法寺がある

その先、枡矢バス停の所で右からの府道が鋭角に再び合流する。合流する府道の北側の角に 地蔵尊がある

100m弱で泉北高速鉄道の高架下東山交差点を潜る。高架を越えたところで府道を左に分けすぐ右の細い道に入る

細い道を入ったところで振り返る

府道から分かれた細い道を西に進んでいく

右にカーブしてすぐ倉庫のような白い建物と小さな物置の間の道を左に折れる。左の側溝に沿って進む。

小さな交差点の右角に、見落としそうな 地蔵道標のが建っている

信号の手前で左からの少し広い道が鋭角に合流。信号を越えたところの左が久世小学校

小学校の金網の際に「平井遺跡」の解説版がある。
その先で阪和自動車道を潜る。

古墳時代から平安時代にかけて日本最大の須恵器生産地であった。平安時代中頃~鎌倉時代の初め頃の集落跡や室町時代の水利施設と思われる溝が発見されている。中でも鎌倉時代の集落跡と瓦器を焼いたと考えられる窯跡が発見された。

高速道を潜り右にイズミヤを見て南西の角を右に折れる。イズミヤの西の出入り口の所で正面を真っ直ぐ西へ進む

イズミヤの西出入り口通り

その先の分岐で正面を右の道を進む

少し行ったところで交差点に出るので、ここで南北に通る、上神谷街道と交差する。左に曲がれば府道36号の小阪交差点。真っ直ぐ細い道を進んでいくと100m弱で少し広い道に出て旧道が無くなるので、先ほどの道に戻り左に曲がり小阪交差点に出る。小阪交差点で信号を右に折れ府道を進むが、上神谷街道は正面左斜めに分岐していく。分岐する右角に、大峰講の碑が建つ

南北に通る上神谷街道と交差する十字路

ここで旧道は無くなるので、上神谷街道の十字路に戻る

小阪交差点

府道36号線を暫く真っ直ぐ西に歩く

石津川に出る少し手前左に があり

石津川の大黒橋交差点を渡り石津川に架かる大黒橋を渡ります

石津川を渡り真っ直ぐ西に歩く

やがて信号交差点と左に万崎池

万崎池の北側旧道を挟んだ右に 地蔵尊の祠と題目碑「南無阿弥陀仏」

その先右にも 

祠の所で少し緩やかに左にカーブする

菱木北信号交差点を少し右に入ると 薬師堂

暫く歩いたところで、和田川の草津橋を渡る

橋を渡り西に進む

200mほど歩いたところで草部交差点。和泉街道の完歩(起点)で父鬼街道が南北に通りここに合流する

草部交差点和泉街道終点

草部交差点より父鬼街道を歩いてJR鳳駅から鳳神社の前にて移動終わり鳳神社見学後 鳳街道を歩く

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