多田街道

2013年10月13日

JR伊丹駅前~川西市多田神社
大阪駅~JR伊丹駅へ伊丹駅7時スタート、有岡城跡他近くの史跡を暫く見て回り少し時間を経るがスタートする。
        7時00分  スタート
       13時30分  多田神社完歩
         31.442歩  18.86㎞

少し寄り道をしたので時間がかかった。多田神社のあと、満願寺へ行く予定でしばらく歩いたが1時間かかるとのことで諦め神社に戻り、小童寺を目指す猪名川を川沿いにのぼり、以前あるいた丹州街道に合流する。
街道とは少し違うが行ってみたかった。能勢電鉄の平野駅から大阪阪急梅田駅に帰る。
        多田神社~平野駅 15時50分 到着
        トータル    44.980歩  26.98㎞  
       1日総トータル    50.012歩 

JR伊丹駅

多田街道を歩く前に少し伊丹駅近辺を散策する
JR伊丹駅前にある有岡城址

有岡城跡(国指定史跡)
伊丹氏が城を築いたのが、鎌倉時代末期の頃で、はじめは居館として建てられていたが、戦国時代に入り堅固な構えになった。伊丹氏の城は1574年織田信長の武将、荒木村重の攻撃により落城した。その後村重は信長の命により有岡城と改名し壮大な城を築いた。
有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し南北6㎞・東西800mに及ぶ総構えが築かれた。要所には岸の砦・上﨟塚砦・鴨塚砦が配置された。謀反を起こした村重は信長勢の攻撃を受け、10ヶ月間の攻防の末、強固な城も遂に落城した。天正八年、池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命じられ廃城となった。明治26年鉄道の開通により、城跡の東側が削り取られたが、土塁や堀など今もよく当時の面影を留めている。

城跡の碑

本丸堀跡

伊丹駅の南側にある 曹洞宗古城山荒村寺

正面左の道を進むとすぐJR伊丹駅

 荒村寺の塀に組み込まれた お地蔵さん 歩いていたら時折このような風景を見る

すぐ駅前の有岡城址に出る

城跡に石碑があるがチョット読めない

城跡に立つ鐘塔 付近のマンションから音がうるさいと言って苦情があり今は鳴らしていないそうだ

有岡城惣構えの図

駅前の道を城跡の通り西へ、関西スーパーの南側に建つ 日蓮宗本泉寺

西へ進んでいくと、旧伊丹郷町で綺麗に整備された街み

阪急伊丹駅に出る、駅前が広場になっていて、ショッピングセンターとなっていてイベントも行われるようだ

伊丹郷町
江戸時代の伊丹郷町は都の貴族近衛家の領地となり、城は置かれず、町の有力酒造家から選ばれた惣宿老や御金方らの役人が近衛家の指示のもとに町政を担当した。伊丹郷町の近郊「鴻池」に始まったと云われる清酒醸造は、ここ伊丹郷町で本格的に行われ、近衛家の保護のもとに大いに栄えた。伊丹の酒は「丹醸」とよばれて愛好され、最盛期には毎年20万樽もの酒が樽廻船で江戸に運ばれた。こうして伊丹郷町の豊かな経済は、多くの文人墨客が訪れるなど、活発な文芸活動ももたらした。
伊丹郷町は、伊丹・北少路・昆陽口・外城・高畑など15の村が一続きとなった町場で、その中心部伊丹村は酒造業の繁栄とともに次第に広がり、江戸後期には伊丹郷町全体で約2500軒の町家と10000人の人口をかかえる大都市に成長した。

伊丹郵便局の北側に 浄土宗法専寺

阪急伊丹駅前広場から東に戻ってきた左に 浄土宗正善寺

正善寺の隣の立派な酒蔵

正善寺の隣に建つ 浄土宗法巌寺

白雪長寿酒蔵 が並ぶ

JR伊丹駅より真っ直ぐ西へ進んだ13号線の交差点へ交叉点向かって左側(南)が小西酒造の本社で建て替え中交差点の向かって右側(北)が白雪長寿蔵

交差点の歩道橋より13号線の南の遠望

歩道橋より多田街道の出発点、13号線を北側の遠望

多田街道スタート地点の交差点

200mほど北へ13号線の広い道を進み伊丹1の交差点を越える、さらに100mほど進んだところで右への斜めの道が旧道で入るが、ここが本来の多田街道の起点・北ノ口。少し(寄り道)で、右に入らず広い道の、西北に猪名野神社に寄る

猪名野神社
今日はお祭りで神輿も出るようだ904年創建とされ、1686年本殿が再建された。有岡城の北の端に位置し「岸の砦」跡が本殿の裏に土塁が残る

綺麗な神輿

本殿

元に戻り、斜め右に入る手前右に、
真宗萬徳寺

13号線を左に分け右に入る街道

200m弱行ったところで道が分かれるので左の道を進む

 左の細い道を入る右の角に、お地蔵さんと道標

お地蔵さんと・道標 「右 京 池田  左 畠 久代」左は田多街道、右は池田街

すぐ先で13号線に合流し右に折れる

直ぐの伊丹東消防署前の交差点を左に折れるが、横断歩道を2回渡り、自動車修理工場(西側)の歩道に出て、少し行くと、左に曲がる小さな路地がありそこを入る

高架の道を上らず下の側道を進む、小さな小川を渡ったところで右に折れる

右に折れたところで、少し先で突当りを左斜めに進みすぐ右に折れて北に進む

左斜めへの道、向かって正面家の左側の細い道

 北へ住宅地の中の道を進む

左に宮の上公園が続く

暫く歩いたところで右からの13号線と合流

合流の後、少し13号線を進む左が伊丹緑地

13号線を横断する、旧道は1号線を斜めに通っていた

横断すると右に多田街道と書かれた案内板が目立つ、そこのあまり広くない旧道を右斜めに入る。手前の右への道ではない

旧道を入る所から、今来た方向を振り返る

多田街道都市景観形成道路
図の道路及びその沿道を、伊丹市都市景観形成道路に指定している。
多田街道は旧伊丹郷町の北ノ口を起点に、現在の川西市久代や栄根を経由して、多田神社へと続く参詣路であった。その沿道に位置する北村地区は、水路とそれに面した伝統的建築物や、辻の碑・教善寺といった歴史的景観資源などにより、往時の趣を今も多く残している。
1995年1月の阪神・淡路大震災により多くの歴史的景観が失われた。この道筋を伊丹市の旧集落における景観形成の核と位置づけ、「水路のある町並み」として後世に伝えていくことが強く求められています。(伊丹市)

左に緩やかにカーブする右手に、懐かしい水車

 北伊丹で 西国街道 との辻に交差、西国街道は東西に通る

西国街道の西側(左)

西国街道の東側(右)

西国街道との辻に入る多田街道の南側

多田街道の先の道筋(北

右角に立つ 道標 「従是 多田神社」

辻の碑
立派な祠に収められている、この付近の多田街道が記載されている

八坂神社跡地の碑

辻の碑
ここは西国街道と多田街道が交差する、いわゆる「辻」といわれた場所で、そこに置かれた道標が「辻の碑」です。
碑は自然石に銘文を刻んだもので、高さ92cm、幅75cm、鋭角な部分を上にしてそえられている。現在では表面の下部が大きく剥がれ落ちている、上部に一行「従束寺拾里」の文字が残っている。
江戸期の文献「摂津名所図会」には、この辻が摂津国東端の関戸、西端の須磨、北端の天王、南端の大小路からそれぞれ7里の距離にあることが刻まれていたとあり、この地は摂津国の中央に位置していたことがわかります。碑が建てられた年代は明らかではありませんが、当時すでに下方の文字が読み取ることができなかったと記されている。

 辻の碑を見て多田街道を北へ

建物は新しく建て替えられたものが多いがさすが景観地区道路だけあって非常に綺麗に整備されているとともに街道風情が漂う

駄六川に架かるたにご橋橋を渡り、少し左によって右に折れ北へ進む「旧北村」の集落を抜ける

「北村」の地名の由来については、伊丹町の北にある集落であることから付けられたと考えられる。北村は「喜多村」と記されていた時代もあり、以前は北村の枝郷として鋳物師村・伊丹坂村・辻村・野村の4つの集落が点在していました。
現在地は伊丹郷町より多田神社(多田院)へ通じる多田道(多田街道)の道沿いで、南へ暫く行くと西国街道と交差し、そこには辻の碑と道標があります。道標には「従是多田神社江一里半」と記されている。旧地名の小字の中で、「自然」「東自然」「西自然」は、有岡城主・荒木村重の子で、京に於いて殺害された自然(じねん)を哀れんで立てられたという自然居士の墓があったことから、また、「北良蓮寺」「南良蓮寺」は1573~1592年の兵火で焼失した良蓮寺があったと伝えられることから付けられたものと思われる。その他、多数の旧地名がありましたが、現在ではなくなり使われなくなったこれらの旧地名を永く後世に伝えるために作製された。  (伊丹市)                    

北村の集落を進む

門構えの立派な建物、坂上邸

右に 浄土真宗教善寺1496年創建 本尊は阿弥陀如来像

四辻の右、北伊丹センター角に多田街道の案内と一本のブドウの木

北村葡萄の木
この付近ではかつて葡萄が栽培されていたが今は一本だけ残り大切に栽培されている

左の側溝に沿って細い道を進む

171号線の高架を潜る、左の上にも多田街道の案内

高架を潜り左斜めに細い道を進む。右の樹木の所は珍しいローラースケート場

この細い道を入る、左に側溝

右、ローラースケート場、結構人がいる

ローラースケート場

左からの13号線に合流右に折れる

 暫く13号線を進む

右にヤマダ電気

暫く歩いていくと右にコーナン、その先の信号交差点を過ぎて100m弱の所で三階建ての所で右斜めに進む、久代に入る

ここも見落しそうな細い道で、資料を持っていなければ通り過ぎる

細い路地を屈曲しながら北に進む 久代1丁目25

道順の説明難しい

突当りの道に出たところで、少し右に折れ、すぐ北への(左)道を進む

白い乗用車の細い道出てきたところを振り返る

細い道途中の右に 浄土真宗覚正寺

突当りの道に出たところを左に折れず、右に入っていくと 真宗徳通寺

元の突当りの場所に戻り、北に真っ直ぐな道を進む

街道より少し右に入ったところに 法華宗久成寺

街道に戻り北へ進む

小さな川の橋を渡る、すぐ左には13号線が沿っている

先に中国自動車道が見えてくる

高架をくぐれないので左の久代1丁目交差点を迂回し向こう側に出る

要所要所に案内板が立っていて有り難い

迂回する久代1丁目交差点

高架の北側に出たところ

北側の街道を北に進む

右にイチジク畑を見て進む

少し広い交差点を越える、左は13号線の下賀茂2丁目交差点

川の橋を渡る、左に13号線の賀茂橋

橋から来た道を見る

橋の先の街道、国道でなく車もほとんど通らない道で気持ちいい

 暫く真っ直ぐの集落の道を進む 下加茂1丁目13

左に 小詞

集落の中の道

栄根1丁目で左斜めからの道と交差する、左角に道案内板

更に進んでいったところで、右にJR福知山線が近づき、踏切の東側に川西小学校の所で、街道は左におれる

左に折れて100mほど進んだところで、13号線の栄根地区で高架橋を渡る

陸橋から13号線の北側を見る

陸橋から南側を見る 

陸橋を渡り緩やかな坂を下り150mほど進む

ピンクのテントの所の四辻を右に折れる

四辻で少し左に曲がり(寄り道)をする

13号線の賀茂交番前交差点の西北 浄土真宗浄福寺

 浄福寺から西へ川を渡り坂を上っていくと 鴨神社

境内に 桃畑に 夕日を惜しみ 剪定す  宿木

 境内に 加茂遺跡碑

祭りがあるようで神輿の準備

綺麗な神輿

浄福寺の北側にある 西念寺

元の辻に戻る、ピンクのテントの四辻を右へ

右に曲がった先の街道

すぐ左に 常夜灯

 常夜灯の先でJR福知山線の踏切を渡るすぐ左、川西池田駅

踏切の先で、176号線の広い道路に出るので右に折れる正面は阪急百貨店

右に折れて直の小花1丁目交差点

交差点の北西の角に 道標 「すぐみのお道」

小花1丁目交差点から北の1号線、左阪急。街道はこの交差点を左に行くのが正解か、更に150mほど東へ行った交差点を左に曲がり北へ進むのが正解か分からないが後者を進む

その交差点手前左に 藤の森稲荷大神

藤の森稲荷の由来
1362年~藤木という武士の家があり、その子孫の藤木右衛門は世継ぎに恵まれず、遺言によりこの土地に藤の木を植えて祠を造り、末代に「藤木」の名を残すよう頼んだ。遺言通り屋敷を壊しその跡地に藤の木を植え祠を造ったのが「藤の森大明神」の始まりと伝わっている。
この郷を開発し、この郷をこよなく愛した藤木右衛門大人の遺徳は藤の木が大きく育つと共に、いつのころからか「藤の森稲荷さま」と呼ばれ近郷近在の人々より厚く尊敬されるようになった。現在も参拝者が絶えることがない。

 交差点から北への道を進む

左にのせぐち藤の木通りの 石碑

阪急宝塚線の高架を潜る、すぐ左が川西能勢口駅。13号線は駅の高架下を通っている

高架を潜ったところで左の能勢口駅方向を見る

更に北に進んでいくと、能勢電鉄妙見線の高架の下を潜る

100m弱で川西市役所西交差点に出る

ここからの先、少し街道が迷うが結果的に正しいかどうかわからないが、川西市役所前交差点を、左へ曲がり200m弱進むと、川西市役所西交差点の13号線に出る。この交差点を右に折れて13号線を北に進むのが一番スムーズである。

でも歩いたのは、市役所正面まで行って、正面前から左斜めに入る道を行ってしまった

左に入った道、北へ真っ直ぐ伸びている

いい雰囲気だったのでここを北へ歩く5~600m、途中左に川西温水プール、右に川西市総合体育館をみて、左業務スーパーの前を通り、火打2丁目信号交差点の12号線が左斜めからくる道路と交差する。そして交差点の正面のやや細い住宅地の道をはいり先で左に大きくカーブして街道に出ることは出たが、何か納得できなかったので、火打2丁目交差点迄戻り、青い住宅の手前を左に曲がり13号線の広い道の信号交差点に出た。

(参考)交差点を入り、先で左に大きくカーブその先で、旧街道に出たところ

火打2丁目交差点から13号線の交差点に出たところで旧道を見つけたので、旧道に辿って戻ると、13号線の川西市役所西交差点に戻ってしまった。再び、ここから出発する

川西市役所西交差点から(南)、川西能勢口駅と13号線を振り返る

交差点より13号線の北を見ると、道路の左に第二協立病院、右に協立病院がみえる

病院の切れる所に日高町信号交差点

日高町信号交差点のすぐ先に左斜の入る道を進む

少し入った左角に 道標 「右 八阪神社へ三丁」「左 日本山妙法寺三丁」

緩やかな坂を上っていくと、多田街道案内表示

その先で二股道に分かれるので右へ、その左角に 常夜灯

その先で変則の十字路があり右斜めの北東の道を進む

すぐ先は13号線、その手前に 小詞

火打2丁目で13号線の交差点に出る

左角に案内

交差点手前を少し左に入ると 浄土真宗勝福寺

交差点を横断して13号線の東側斜め北東に入る街道を進む

最初に間違ってきた道がここに出てきて街道に合流した

細い街道を進む
左に大きくカーブしているところで、右に広い新道が出来ている左に進む

中西家具建具店の前を進む 萩原1丁目5

小さな川の橋を渡る

左に 妙徳寺

川をわたったすぐ左に 仏坂地蔵尊・常夜灯 案内板

その先左にも お地蔵さん

急坂の仏坂を上り坂の上より振り返る

坂を上りきると新しい川西市荻原台住宅地に入る

大きな住宅地の中に入るが、旧道は整地により完全に消失しており、左角にある田切酒店の所で左に折れて12号線の広い道路に出る

12号線の荻原台交差点を右に折れる、左角に川西荻原台郵便局

住宅地の中の12号線を北に進む

錦松台に出て、蔦が丘交差点に出る12号線に沿って進んでいく、全く旧道が何処かもわからない程完全に変貌、坦々と歩く

12号線からどこかの道を右に入るのだが旧道はどの道か分からないので適当に右に入る

私は蔦台2丁目の交差点を右に折れたが結果的には右に入るのが早すぎたようだもう一つ先の多田交差点を右に進むとスムーズに行ける

 右にはいってすぐ左への道を進んだ

左にはいって坂を下る

矢間1丁目11

道が細くなって小さな峠を越えるような樹木の間を進む

左に 浄土宗滝門寺

矢間1丁目25

川を渡り

矢問3丁目の信号交差点の車道に出た左に曲がり進む

西多田交差点 12号線の多田交差点を右に曲がってくればこの交差点に出るが。先の道の方が街道らしい雰囲気がある、どこが正しいのか分からない、他にも道があるのだろうが

右に 灯籠 が立つ

多田院2丁目の交差点につく、ここを右に折れれば多田神社

右に折れると、多田神社の鳥居と赤い欄干の猪名川に架かる御社橋

多田神社

御社橋より猪名川の左側(西)・右側を見る

南大門

南大門より

清和源氏発祥の地「笹竜胆」の紋を使用 重厚な随身門

拝殿と笹竜胆の紋

境内の 摂社六所宮

境内には、金刀比羅宮・巌島神社・田尻稲荷神社が並ぶ

多田神社にて 多田街道 完歩

ただここから交通の便が不便なので、特に街道ではないが猪名川沿いに歩き、能勢電鉄妙見線の畦野駅まで歩く

多田神社を出て橋の手前を右に、左に猪名川を沿い進み、その先で川に沿って右に大きくカーブして集落を北に進む

右に 浄土宗西方寺

多田大橋西詰め手前で右からの新道と合流して左へ、猪名川に架かる多田大橋を渡り、右に猪名川に沿い上流に進む

多田大橋橋を渡り左からの12号線と合流して、今度は猪名川を右に沿って北に進む

多田大橋からの眺め

12号線からの右の猪名川の渓流

左一帯の高台は住宅地清和台、川向右は水明台一帯の住宅地

12号線は左に猪名川とカーブしていくが、分岐の所で猪名川に架かる橋を渡り、右にカーブして能勢川を右に沿って進む

橋より猪名川を振り返る

猪名川より分岐し能勢川を右に沿って進む

左に能勢川キリスト教会

更に川沿いに上っていく

能勢川を右に放れ西畦野1丁目付近を左に進む 新名神高速道路を越える

目的地の小童寺の案内が立つ

左手に 浄土宗小童寺

多宝塔 

縁起 
清和天皇の後裔摂津守源満仲公は、仏心篤く我が美女丸を僧侶にすべく中山寺の美観和尚に預けるが、武門の血を引く美女丸は僧侶になる事を不服に思い、罪なき人々に乱暴を働く、父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にするよう命じるが仲光は、若君に刃を向けることができず悩んでいた。仲光の一人息子15歳の幸寿丸が、父の苦しみを知り、私が若君の身代わりにと自ら命を差し出す。   
       君がため命に代へる後の世の やみじを照らせ山の端の月
                            幸寿丸辞世の歌
この後、美女丸は比叡山の恵心僧都のもとにて出家し、名僧源賢僧都となり、幸寿丸の菩提を弔うため小童寺を建立した。

藤原仲光、 幸寿丸、 美女丸の墓

十三仏板碑
十三仏信仰は鎌倉時代末期におこり、室町時代に盛んとなるが、市内では唯一の遺作である

隣にある 渡辺綱公之墓

清和源氏発祥の地・源氏ゆかりの社寺碑

お寺を後にして東に歩く

左に 素戔嗚神社

能勢電鉄山下駅へ多田神社からかなりの距離であった

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