大和田街道(梅田新道)

2013年7月20日

阪神大物駅~大阪ナンバ橋
阪神電車で大物駅へ、以前梅田新道を歩いているが両街道とも大物駅~ナンバ橋まで別名で呼ばれたが同じ。コースが部分的に時代によって少し違っており、実際ははじめ別の街道と思って歩いてしまった。

大正15年淀川大橋が架かり新国道が出来るまでは、大阪難波橋から尼崎に入り、中国街道に合流して西宮へ、そして山陽道へ結ぶ幹線道路であった。大和田街道は梅田街道・阪神街道とも地区によって呼ばれていた。
       6時35分 大物駅 スタート
      10時35分   完歩1
        9.780歩  11.86km

阪神大物駅

駅南の出入り口を出て正面前の広い道路に出る。丁度写真の信号機の所の南北に入る細い道を進んでいく

細い道を入るところ少し右に行くと 常玉・白種・玉積大明神

細い道を入るとすぐ左に、かしの木保育園がある

その先右に 西教寺

左側は太田川緑地が続く歴史の散歩道と刻んだ 石碑

すぐ先右にカーブする右手に 浄土真宗常念寺
当寺は、本尊阿弥陀仏、1560年~の建立と伝えられている。現在の本堂は1718年の建築(1995年1月17日の阪神淡路大震災により半壊したが再興)。太鼓堂・楼門・鐘楼・御光地蔵がある。

太鼓楼

お寺を過ぎるとすぐ交差点となり、太田川緑地を分断して左に折れる。(大物町1丁目)

左に折れると100mほどで国道43号線・高架の阪神高速3号神戸線に突き当たる。そこを左に折れる

国道43号に出る手前の一筋手前の信号交差点の信号を越えた左角の 

国道43号線を左に折れたところ。数m左に 祠 

更にその先左に 交通安全・家内安全の地蔵

右に国道43号線、その一段低くなった横の道を進む。左手にユニチカ記念館がある。

ユニチカ記念館
旧尼崎紡績本社事務所。ユニチカ記念館は、明治33年(1900)10月、尼崎における最初の大工場で、有限責任尼崎紡績会社、現在のユニチカ株式会社の本社事務所として建設されたもので、尼崎市内に現存する最も古い洋風建築の一つ。建物は延べ638.84平方メートルの煉瓦造り2階建てで、設計は日本人によるものと思われるが、外壁をおおう赤煉瓦はイギリスからの輸入品と伝えられている。間取りは神戸に多く作られた異人館に近いもの。(尼崎教育委員会)

ユニチカ記念館を左に見て進んでいくと、左門殿川の堤に突き当たるので、石段の上り上の堤防に出る

左門殿川に架かる辰巳橋川の手前(西側)は尼崎で川を渡ると(東側)大阪市

辰巳橋の東詰

辰巳橋を渡り左へ堤防の南側の道路を東に、ここは、左門殿川と神崎川に挟まれた佃島。前方の阪神なんば線の高架を潜り進む

線路より300m程先ここを右に折れる、角は横浜油脂工業大阪工場梅田新道(大和田街道と同じだが地域、時代によって呼び方が違う場合がある)を歩いた時は、真っ直ぐの道、堤防を右に見て向こうから来た

 右に折れたところからの道。この辺りは埋め立て等工場ばかりで旧道はわからないし残っていない

佃5丁目

佃4丁目で進んでいる道は、千北橋通り

神崎川に架かる千北橋を渡ります

千北橋から西(下流)を見る

千北橋から振り返る

千北橋南詰階段を降り高速道を潜り正面の道を進む

大和田5丁目で左に緩やかなカーブ

緩やかに左にカーブした一筋目の交差点の左東の角に 「大和田街道・歴史の散歩道」の石碑

右手に 真宗浄国寺

浄国寺のすぐ先の信号交差点、ここを少し左に入っていくと、大和田北公園を中心に何か所かのお寺がある

浄土真宗善念寺

良政寺

公園の北側に 浄土真宗安養寺

公園の北側の安養寺の東隣に 住吉神社

境内に 万葉歌碑
      濱清み浦うるはし神代より
        千船のとまる大和田の浦
   読人知らず

境内の 万葉歌碑の碑

境内に 判官松之跡碑

少し先右手に大和田小学校とその西に隣接して大和田南公園がある、この辺り一帯はかつての、
大和田城跡 遺構はありません

そのすぐ先、淀川通りの大和田2丁目交差点

すぐ次の信号を右に進む、右手は関西スーパ

信号手前の右手歩道に新しい 大和田街道の道標
道標を右にして信号超えた左に高野山真言宗大智寺

お寺のすぐ先に、大島橋を渡る

大島橋から東を望む

橋を渡ったところからの町並み

姫島公園前交差点を真っ直ぐ進む

姫島公園前交差点の次の信号を左に入ったところに
 姫島神社
阿迦留姫命と住吉大神を祀る、創建年代は不明、豊臣時代に一時は住吉神社と称したが明和三年に元に戻す

境内に、姫島の地に関する万葉歌碑がある。
       妹が名は千代に流れん姫島の小松が末に苔むすまでに

街道に戻り次の姫島の交差点手前左に、道標と遍満寺。

浄土真宗遍満寺 

お寺の前の角に、新しい歴史の散歩道の案内

 大和田街道 道標

交差点の向かい側から、遍満寺とその前の道標(単車で見にくい)

 交差点を超え東へ入るとすぐ右に 

その先右手に 慈雲寺

 その先で淀川の側壁に突き当たるので左に折れる

祠 と南無阿弥陀仏の碑

日蓮宗三法寺

真言宗勝遍寺

街道に戻り左に折れると、すぐ阪神高速3号線と阪神電鉄本線の高架を潜る。その高架の下に、大阪市が平成7年各所に建てた、大和田街道の標石 がある。姫島1丁目

堤防は車で危険なので、左の道に降りて川沿いに進む

進んだ先で振り返る

淀川大橋北詰の交差点で右に折れ淀川大橋を渡る。真っ直ぐの道はもう一つの 梅田新道

淀川大橋から右側の遠望

左側の遠望

長い淀川大橋を進む

淀川大橋の北詰を振り返る

淀川大橋南詰の信号交差点

淀川大橋南詰の淀川小橋から(2号線・東西線)南方向を見る

大和田街道の時は2号線を真っ直ぐ進んだが、梅田街道の時は堤防沿いに北東のみちを進んだ
どちらが正解かは解らない

大橋小橋、大淀大橋を見て振り返る

次の大きな中海老江交差点で左に折れる

交差点南角にあるお寺 真言宗高野寺

交差点左に折れたところからの海老江の道

右側すぐの辻を右に入ったところの小さなお寺 浄土真宗蓮光寺

交差点より100mほど先で右の道に入る

すぐにまた元の道に出るが、ほんの少しでも静かな道に入るとホットする

海老江交差点に出たところで真っ直ぐの広い道を進む

鷲州の広い交差点に出るので、真っ直ぐのやや狭い道に入る 聖天通り

聖天通りに入る道の手前右手に 大和田街道・梅田街道の石標

北区西天満1丁目から3.0㎞の表示が建っている

聖天通りを歩いていく

商店街の途中にも、大和田街道・梅田街道の石標 結構たくさんの道標が建ててくれている

商店街を少し左に入ると、神社とお寺が併合している、 聖天了徳院

山門の天井に 左甚五郎の彫刻 が刻まれている

街道に戻る、左角に大和田街道・梅田街道の道標

あみだ池筋の交差点を渡る、再び聖天通りへ

ここに大和田街道・梅田街道の案内
この街道は、北区天満1丁目を起点とし、福島区・西淀川区を経由して尼崎に通じる、明治期の物資流通道路であった。起点から西進し、堂島・梅田・出入り橋を経由し、かきつばたで有名な浦江の聖天の南を通り。珍しい神事が残る海老江の八坂神社のかたわら、国道2号線沿いを北上し、淀川を渡る、姫島神社を右に見て、大和田を通り、佃漁民ゆかりの地の佃を経由して、尼崎市大物町に至る。街道は、古くから阪神間を直結する重要路線の一つとして、西国往来の人や、尼崎・西宮・兵庫の商人など行き来する人が多かった。(大阪市)

案内を右に見て長い聖天通り商店街も終わりに近い

商店街の終わりの東の端に来ると、大阪環状線に突き当たる

その右の南角にも大和田街道・梅田街道の道標と商店街を振り返る。このような市街地の中に要所要所に案内があるので嬉しくなる

突当りを少し左に折れ、右の高架下及び踏切を渡る

高架を潜りすぐ左の道へ進む。踏切が斜めであるので結果的には真っ直ぐの道。南北に交差している広い道はなにわ筋で高架の上はJR環状線福島駅

200mほど東への道路を真っ直ぐ進むと阪神高速11号池田線が左にせまってくる。信号と右に進みと国道2号線の東西線に出るので国道を斜めに横切るが渡れないので右の出入り橋の交差点を渡る
出入橋交差点の超えたところで左に進む

ここで少し(寄り道)交差点を右に西へ進むと、国道沿い右手に地蔵寺、さらにその先の浄土橋交差点のなにわ筋を左に折れた右手に福島天満宮がある

地蔵寺

福島天満宮

出入橋の交差点に戻り少し東に行くと、右斜めに入る細い道がある

細い道を入っていったところに 浄祐寺

境内に 赤穂浪士の、矢頭右衛七の墓・矢頭長助(右衛七の父)の墓。歌舞伎恋のふうメの、五大力の墓がある。

 五大力之墓

矢頭長助の墓 矢頭右衛七の墓

正面高いビルの左の細い道を出てきた

出てきたところ正面は左に高速道路と右にNTTテレパークの建物の前は広くなっている

その間の(高速の手前)道を南に少し進む

中之島の川に突き当たるので左に折れ高速の高架を潜る

右に高速・川を見ながら沿って東に進む。堂島の高速道路入り口が見えてくる

ANAクラウンプラザホテル大阪前向かいに
堂島米市場跡記念碑
1730年幕府は堂島米市場に米の先物取引である張合米取引を公認した、その取引の手法は現在の大阪証券取引所を始めとする世界各地における、組織化された、商品・証券・金融先物取引の先駆けをなすものであり。先物取引発祥の地とされている背後の像は昭和28年彫刻家、横江嘉純氏により制作され、昭和30年堂島米市場跡建碑会により寄贈されたもの。

御堂筋交差点南方向を見る

交差点より大阪駅方向(北)を見る

 御堂筋を渡り真っ直ぐ進む

 左手に大阪高等裁判所・地方裁判所の合同庁舎の建物

そして、天満警察署前の交差点、左東角に天満署

天満署の道向かいに 鳥居と常夜灯

天満署の東側の筋、北に伸びているのが、中国街道

この中国街道と大和田街道の合流点、南にかつて 渡しがあったようだ。今は少し東に難波橋が架かる。

街道も終わりに近い、100m真っ直ぐ進む
難波橋北詰交差点、ここを右に折れる。右から高速の北浜出口が降りてくる

難波橋のシンボル獅子の石像

堺筋で北に一方通行
橋の南詰から、今歩いてきた通りを振り返る

難波橋から西の遠望、左が中之島、大阪中央公会堂・中之島図書館・大阪市役所と続く

難波橋の中間、中之島より、難波橋 を見る

右手に大きな 石碑
豊臣秀頼に仕え、大阪冬・夏の陣で活躍、夏の陣で戦死した、木村長門守重成の碑

碑の近くから対岸を見る。この辺りに旧渡しがあったと思われる。それともすでに板橋があったのか。

難波橋南詰近く 大和田街道完歩

中之島から北浜に出る。その交差点を右に折れ土佐堀通りを、旧難波橋の延長上の一筋目まで50mほど進み、その筋を南に折れ、四筋南へ行って高麗橋筋で左へ、そのまま東へ、堺筋を渡り真っ直ぐ進んでいくと。阪神高速1号環状線の高架したが高麗橋となる。
難波橋からどの道が街道かわからないが、何度も歩いているので省略します。

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