大和街道  6日目

                            2008年4月4日~5日(1泊2日)
     高見山登山口~松阪市飯高町森
(1日目)

今回は自宅から日帰りは無理なので一泊して一気に松阪まで完歩します。自宅朝一番に出て近鉄榛原駅近くに車を預け駅前からのバスで鷲家経由で高見山登山口まで。
残念ながら今回の大和街道の歩数と距離を記したノートを紛失してしまったようで記録がないです。

本日は大和街道(伊勢南街道・和歌山街道)最大の難所「高見峠越え」です、登り口に高見山登山口の標識がたてられている。下の道路・集落を左下に見ながら少し上る

街道らしい石畳の敷かれた道

途中、平坦な場所にでます、「古市」といわれるところで、かつて「市」がたって、大和の物産と、伊勢の海産物などが売買された、毎月日を決めたったという。

暫く緩い尾根道を進むが道には古道の登山道らしい、木の根が張り出し歩きにくいがこれがまた素晴らしい。

虱(しらみ)とり・雲母曲(きららひじ)この左100m下に天狗岩

この先急坂になりますこの辺り(標高約667m)

やがて林道と交差する「小峠」に至る、分岐点杉谷登山口から2.3㎞で1時間ほどの距離で比較的緩やかな傾斜であった。街道の最高所である大峠まで1.7㎞です。昔ここに小峠茶店があった

小峠の分岐で北に、鳥居を潜り急坂を登り五郎宗たわの分岐で、左から166号線の杉谷出合橋から平野川の上流、平野の集落から登ってきた登山道と合流して国見峠岩、ゆるぎ岩、笛吹岩から高見山頂への道があります。
小峠の分岐を東に進むとすぐ谷川の先で旧国道166号線が右から上ってきて右に旧カーブして東に進む道に出会いますが。街道は谷川の手前、左のかつての小峠茶屋跡で左の旧道に入り(入るところに注意)、暫く、右下の旧国道に沿って大峠まで進みます。

小峠付近

小峠は結構広場になっています

小峠の鳥居、高見山登山道でこの鳥居を潜り急坂を登っていくと山頂までは近道

小峠に お地蔵さんが祀られています時期的に登山者がいて人と会うのかと思ったが、今のところ杉谷の登山口からまだ一人もあっていません、熊に出会わないか少し心細い

小峠を後にして、旧国道上の旧道に入ります。両側に背たけ以上の熊笹がびっしり茂り、でも道は踏み慣らされているようでしっかりついています。全く両側から笹が覆いかぶさり、何とも言えない気持ちです。熊が突然飛び出してきたらと思うと、笛と鈴がフル回転です。暫く続きます。

何とも気持ちの悪い看板

笹の道も終わり景色が変わります道もまた石畳跡が残る

まだ4月で高見山ではやっと冬山を終わったところで、落葉樹はまだ葉がついていないので日がよく照り明るいです。高見山は真冬の霧氷で有名です

熊笹、植林木、灌木の旧道を進むかつて紀州藩主がこの道を長い行列で歩いたと思うと昔日の風景が偲ばれて感慨無量です。

高見峠(大峠)の標識で、到着です

高見峠は開発され駐車場はじめ休憩所もトイレもあります。標高900m余りの峠の北側には鳥居が建ち、ここから山頂神社への一の鳥居を潜って登る参道です。
また本居宣長がこの峠越えをした折に詠んだ和歌が歌碑として建立されている。
    白雲に峯はかくれて高見山
       見えぬもみちの色そゆかしき  

碑は平成七年建立歌は、寛政六年(1794)十月十一日(現在の11月3日)

折角ここまでこいたのだから、天気もいいし、高見峠(大峠)から山頂は鳥居を潜り登ります時間的に大丈夫なので、高見山の山頂へ【寄り道】高見山が寄進した鳥居を潜り、少しの間、木の階段を登りますその先から山頂までほぼ直登コースで急峻です、峠から標高差約300mを一気に登ります、標準的には約50分ぐらいだそうです。

高見山頂(標高1248m)
山頂の 高角神社

山頂からは360度の大パノラマの絶景、言葉や写真では表現できません、是非一度登ってみてください。大峠までは車で上れますので、でも本音は旧国道166号線で上らず歩いて登ってほしい。できれば166号線を縮小して自然に戻せるものなら戻してほしいと思ってしまう。毎年元旦の朝、日の出を拝む登山者も多く、厳冬期の樹氷も人気がある。 
東には、三峰山(1235m)・高鉢山(788m)が望まれ。西には、宇陀市・東吉野のが遠望、多武峰・竜門岳。
西には、葛城金剛山系が望める。多分 西に沈む夕日も絶景だろう。
南には、大峰・台高の尾根が広がり。
北には、宇陀・曽爾の山々。山頂には避難小屋と展望台があります

素晴らしい景色をもっとゆっくり眺めていたいが先もあるので満足したところで、再び南側の急峻な道を下ります正面の山並みは台高

下る坂道

再び大峠に戻り伊勢方面へ街道は、旧国道を少しだけ進むと左(東)に分岐する街道があります。尾根を伝って舟戸集落まで下りていきます。峠から東側は三重県飯高町に入ります

暫く結構きつい下りの七つの大曲りを下りますが、よく木が手入れされており陽が隙間から差し込むので明るく快適です

標識がたてられているので道は間違いませんがとにかく道なりに下ります

大二木茶屋跡  舟戸集落に下っていく途中大正の中頃まで、茶店兼雑貨店があったようです

枝分かれがありますが、標識に沿って進みます

左下に舟戸川が現れ始めます、源流に近いのでしょう

七つの大曲も終わり、かなり下ってきて集落がまもなくです。

両部曼荼羅の石碑

寺院跡「能化庵」

蘇我入鹿首塚と伝わる五輪塔 鎌倉時代のもの

入鹿の首塚より少し下ると、舟戸川に架かる橋を渡り階段を少し上ります右に折れたら車の駐車場のスペースがあります。ここから高見山に登山者が駐車できます

結局、登り口からここまで人と会わずじまいです。振り返ると高見山が見えます随分下ってきたものです。

高見山を下ってくると最初の集落が、舟戸集落です。この先暫く右に舟戸川が沿います

川に沿って左にカーブする左の民家の裏に、向かって右から、腰折れ地蔵・板五輪塔二基・子供地蔵 

すぐ先左民家の傍に 地蔵

舟戸集落内の坂を下っていきます

集落内左墓地内に、双体地蔵三基・板五輪三基・行き倒れ供養塔の墓石

隣に 猿田彦(庚申)歴史を刻んできた墓地です

集落内に趣のある民家が並ぶかつて旅籠が三件並んでいたようですたかの屋・かじの屋・ながや旅館といった

高見山も少し離れてきたあの7合目辺りが大峠(高見峠)舟戸の集落がかつての旅籠を中心に民家の集中している所、ここで一泊して峠越えをした旅人が多かったのだろう高見山も当然だが私たちの地元から見る容姿とは変わる。

振り返ったところで、左は舟戸川高見山

坂を下りながら右の舟戸川沿いに進む、やがて南に方向を変えるところ辺りで、舟戸地区も終わり落方地区に入ります。

右にカーブして舟戸川に架かる橋を渡り、暫く左の舟戸川に沿って南に進んでいきます。道なりに進んでいくとやがて左に橋を渡るところに出ます。舟戸川を左に渡り左岸に出てすこし先で、再度櫛田川に架かる橋を渡ると分岐します、左に折れて今度は櫛田川の右岸に沿って進みます。
櫛田川に架かる橋のすぐ上流で、舟戸川と南からの木梶川が合流して櫛田川になります。この櫛田川がさらに沢山の支流を合流しながら、最終的には櫛田川として伊勢湾に流れています。

櫛田川に架かる橋を渡り三差路を左に折れた右の角に、 地蔵道標 「左いせ 右よしの かうや 大峯 道」 また地蔵の下、土に半分埋もれた 道標 「右 かうや 左 いせ」

橋を渡り右に地蔵や道標を見て左に折れて川沿いに沿って右に大きくカーブした先で166号線を横断します。右手にトンネルを見てその先、左に半円を描き左から川を渡ってきた166号線に出ます。166号線を右に少し重複して進みます

169号線にでて左の橋を見て右に折れて国道を少し進む。

国道を少し進むと分岐しているところで国道を左に分けて右に入ります。

更に分岐したそのすぐ先でさらに分岐しています、どちらが旧道か分かりませんが、右側の民家の前の細い方の道に入りました

集落内の細い道を進んで左にカーブしていくと、左から先ほど分岐した道が合流します

合流する辻を見る向かって左の細い道を出てきました右に分岐した旧国道が

合流する左角 自然石の正面に庚申青面金剛明王と刻まれている庚申碑の祠その横には 地蔵

その先、左の櫛田川に沿って左にカーブします。166号線に突き当たるので右に折れて国道を少し重複します。
国道に出てきたところの突当りを振り返る。

少し重複した先で国道を右に分け、左への旧道が分岐していますので入ります、すぐ櫛田川を渡り真っ直ぐ進む落方から波瀬地区に入ります

130m程先、上流で草鹿野川と合流してきた太良木川を渡ると新道の交差点を横断して、その先の分岐を右に折れて東に進みます。真っ直ぐ山裾の道を100m程進んだところで分岐します、右斜めの道に入るのが旧道と思いますが、入っていくと左に野口公民館がありますが、そして道なりに進むと右に波瀬郵便局があり、さらに進むと166号線を潜り、その先でUターンして再び166号線を高架で渡ってくる道がありますが、旧道かはっきり分からないです。それで100m程で右に入った分岐を真っ直ぐ100m程進み右にカーブして、野口公民館の東側の道を平行して進み左にカーブしたところで先ほどのUターンしてきた道と合流して北東に進む。

旧道と思われる浪瀬郵便局の少し北側の道沿いに 如意輪観音と石塔 石塔には、光明真言百万遍稱誦塔と刻まれている

右からUターンしてきた道と合流し、北東に100m余り進んだ先で道なりに左にカーブします。左にカーブて100m程先で左T字路の右に入る道があります。真っ直ぐ進んでも遠回りですが道なりに右にカーブしながら進むと500m程先で合流しますが。
左T字路を右に折れて数十mで交差点に出ますので右に折れます。波瀬の集落の中心で 浪瀬宿 街並みの雰囲気が残ります。

十字路を右に坂を下り、波瀬宿の街並みに入ります。この下り坂を勘定坂と呼ばれています

宿場の名残りが十分漂う街並み大きな民家が建ち並ぶ

波瀬宿本陣跡、元庄屋

豪壮な造の旧家、連子格子の家

すぐ隣に石段の参道があります 波瀬神社

街並みの途中で右に下る細い道がありますこちらが旧道だろう、坂を下ったところにも新しいが大きな屋敷があります

一段低い下の旧道を進んできて振り返る

旧道の下から左の旧国道に上り、やがて右から166号線が櫛田川(名前が変わる)に架かる橋を渡ってきて合流します。その合流点を振り返り見る

暫く進むと左に 庚申祠と碑 右川向に波瀬小学校が見えます

泰運寺参道入り口に泰運禅寺の石碑曹洞宗天開山 泰運寺は元文元年(1736)に開かれ、本尊に子安観世音菩薩像、境内には八角の大梵鐘があります。泰運寺までは緩やかな山道を北に向かって上るが寄れませんでした。

その先川に沿って右に大きく半円を描きながら進みます。国道は真っ直ぐ櫛田川を渡りその先の桑原トンネルを抜けますが、旧道は橋の手前を左にカーブして櫛田川を右にして北東に迂回します。

国道から150m入ったところ左の山裾に 庚申祠

さらに庚申から250m進むと道は分岐します、その左手前角に電柱の袂に 道標 「右すがの 左かうや道よしの」

北から月出川がこの橋のところで櫛田川に合流します。橋から北側の月出川を見る。右に橋を渡り街道を進み右に折れ櫛田川に沿って南へ。

桑原地区に入ります北側には桑原寺や八雲神社があったようですが逸しました

桑原の集落を進みます

桑原トンネルの東側(右)の出入口近くに出て国道を左に折れます。国道に合流したところを振り返る

暫く国道を重複し、立派な歩道がついているので安心です。暫く進んでいくと国道右に秋山組があり、さらに進んでいくと、加波地区で国道と並行して少し左に旧道の道が弓なりに残っている。

旧道を入った左、石垣の上に祀られた小さな神社があります

右からの国道に合流します

かつての街道及び旧国道が新国道166号線に改修されていますが、ところどころに旧道が残っています。高見山を抜けて初めての三重県側の舟戸集落に入りましたが。その後の三重県側の旧道の資料が少なく、自分ではできる限り旧道らしい道を探しながら歩いたつもりですが、20年(2008)に歩いたときの記録ですので、今街道歩きの資料を整理している段階では、写真や歩いた道の記憶が乏しくなかなか一致しないのが現状です。
残念ですがこのまま整理してしまいます。(私の信条は写真で歩いた道を中心にしています、文章が苦手なものですから)。
街道はこの下の写真のところで左の谷川の手前を左に入り、暫く進んで右に谷川を渡り、国道の左(北側)の山麓を進んでいましたが、谷川を渡り右への道はすでに消失しています。ただ少し入っていくと、大岩・鎮護塔・役行者が一ヵ所にあったのですが逸してしまいました

国道から左の谷川を見たところですが、結構岩がゴロゴロしていて深い谷川です。渡るのが大変であったのだろうと思います。

資料では国道を暫く重複して迂回するようなっていますが、国道を進んでいくと左急斜面の坂があったので上ってみました

高台で広くなっていて民家がありました

民家の先に旧道が復活しました、数軒ですが民家があります。右に国道が見え迂回しなくて正解でした。福山集落だと思います

暫く道なりに進むと右に折れて国道に出ます。国道に出てきたところを見る。

合流点から1.1㎞進むと、国道を右に分け左の乙栗子地区の旧道に入ります。その間、途中右に鎮護塔・庚申があったようですが見逃しました。(疲れたのか少し注意力散漫です)左の角の大きな屋敷が、旅籠跡で旅籠と製茶を業としていた。

左の旧道の集落を500m程進むと、下の写真のところ下向集落で、左に分岐しているので左の坂を上ります。

旧道は、左に入りすぐ山道に入ります、ここがかつての 大定峠越で東にほぼ真っ直ぐ峠越えをして深野地区の北側に出て現在の国道に合流していました。現在国道は南側を大きく迂回しています。峠の北側には高鉢山(768m)が、その南側の山腹を越えます。(地図をご参考にしてください

峠越えの旧道は決して快適とはいえない、薄暗い坂道で心細いが勇気を出して歩きました。ところが結構写真を撮っていたのですが、殆んど暗いからか撮れていなかったのが残念。この辺り途中に、おれん茶屋があったようです。

少し南東に方向を変えます。登っていくほど薄暗く、道は細く人一人歩くのがせいいっぱいでその上、木の根やゴロゴロ石で狭い谷川が沿っています。
よく歩いているなと自分自身でも驚いてます。

何とか 大定峠頂上まで来ました、峠には常夜灯・役行者祠 が祀られているが今では誰も登ってこないのではの上に桜の古木が横たわっています

峠の祠から藪を分けて進みましたがその先の下りは完全に道はなくなっています、東の方向下に七日市方面が見えますが、これ以上進めないので中止します(この時の写真が撮れていないのが残念)。峠の登り口に引き返しましたが無我夢中で下りました。

地図で見る限り、大きく迂回しないでほぼ東に真直ぐ峠越えをしていたようで、距離的には非常に近かったようです。
事情が終わりでしょうが、折角の旧道を整備できないものでしょうか

元の下向地区に戻りました。一言、峠登り口に峠の状況や途中で廃道で大定峠越えができない案内板が欲しいところです。残念ながら三重県に入ると街道案内が見当たらないのが悔やまれます。(この時点では、最近整備されていたらお詫びします)

ここから先も写真を撮ったのですが写っていないです。本日の伊勢南街道歩きはここで終わります。
この先は、大定峠を越せなかったので南に国道を迂回して歩くこととなります。丁度、今晩の宿泊先の香肌峡温泉“森のホテルスメール(飯高町森)に泊まります。峠越え入り口から5㎞近くありますが、交通の便がないので歩いて移動します。国道の森バス停から2㎞程入ったところから電話すると車で迎えに来ていただきました。ゆっくり温泉に入り、美味しい食事も頂き、宿泊料金も高くなく静かな環境の中で体を休めることができました。

         6日目終了、明日最終日で松阪までです

                       最終日7日目は次へ

  

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