2008年4月5日 (最終日)
飯高町森から松阪市の伊勢街道との合流の辻
ホテルより国道手前の新高橋を渡り森バス停まで送っていただき有難うございました。癒していただき疲れも取れました。良いホテルでした又来てみたいと思いました。。暫く迂回路の国道を深野まで1.5㎞近く移動してスタートします。やっと最終日で、天気も祝福するかのように晴れ渡っています。
飯高町七日市地区に入ります。櫛田川を見ながら暫く歩きます。
右に櫛田川の峡谷、周りは山々が広がります。
振り返ってみると、高見山も随分遠くに見えます、あの山頂近くの窪んだ峠をよく歩いてきたと思います。
国道が右に大きくカーブする緩やかな上り坂になるところで、少し左に入る辻があり広がったところがあります。
大定峠からの道が谷の向こう側に少し見えます、峠がこの辺りに出てきていたのだろうと思います。時間的に逆方向から探索したらいいのですが時間的に無理なので先を急ぎます。今日は何としても完歩しなければ。
坂道を暫く登ります。
やがて宿場 七日市宿に入ります国道は左にカーブしますが、右の真っ直ぐの旧道で集落に入ります。
真っ直ぐの旧道を入ったところから振り返ったところ。
この辺りに 本陣があったようです宿の面影は残っていません。
宿内にある広場に建つ 平和の丘碑と祠
宿内で左にカーブして右にカーブの蛇行があります。そして中尾谷川の小さな橋を渡ります。
橋を渡ったすぐ先で、街道より左(北)に真っ直ぐ桜並木が見えますので寄ってみます。
国道を横断して進むと 乳峯神社 があります。
元の街道に戻り左にカーブして進むと左に 法華塔 文化五年(1808)の銘。
その先で宿を抜けて国道に合流します。角に川俣郵便局で国道を進み富永集落に入り進みます。
左に目を移すと、高見山の姿が雄大に見えます。
左に 祠 を見ながら進む。
櫛田川の美しい景色を見ながらゆったりとした気分になります。そのせいか街道沿いのお寺や神社、遺跡を見逃して歩いています。
右に旧川俣小学校跡の街道松二本小学校跡地の傍の 和歌山街道に、数少ない街道松(一般的伊勢南街道をこの辺りから和歌山街道と呼ばれる)素晴らしい街道風景。
旧川俣小学校の敷地跡
右に櫛田川に架かる大谷橋、日本の製茶王といわれた大谷嘉兵衛の架橋した橋。大谷橋を右に見てその先で左(北)に川に沿って向きを変える。
茶畑が広がる、北に向きを変えた先で旧道は国道の左を進んでいたようですが、またその旧道沿いにはかつて大和屋・十一屋などの旅籠と民家が並んでいたがその痕跡はない。
振り返った景色
地の添地区の街道
地の添えから国道に出て左に進む辻を見ると、やがて櫛田川に流れる流れるに架かる川俣橋を渡り方向を北東に変わります。
その先1㎞程進んでいくと、国道は右にカーブして櫛田川に架かる橋を渡っていきますが、街道は橋の手前を左に川の左岸を進みます。
川に沿って大きく右に弓なりにカーブして櫛田川の堤を進む。
やがて下栗野で右から栗野橋を渡ってきた国道が右から合流します、そして街道は東に方向を変えます。
右側の旧道の真っ直ぐな道を進む。
道路標識では松阪までまだ38㎞あります、日が長いとはいえ果たして完歩できるか。
右に櫛田川が接近する左に 咳の地蔵 下栗野集落の東端、石仏も石碑もない岩で咳の止まらない人が早朝、人目に会わない間にお参りすると御利益があるという。
綺麗な水の峡谷
その先で右に大きくカーブします、今は国道に改修されていますが、かつては九十九曲り道で難所の街道であった。
ここの辻で左の旧道に入ります。
櫛田川の左岸に沿って進みます。
右からの国道に接したところですぐまた左の旧道に入ります。
右の櫛田川に沿って北に大きく迂回している旧道。
九十九曲りの景観を振り返る、片平地区で北に方向を変えます、その先、右に大きく川沿いを半円を描きながら右にカーブして進みます。
片平の方向を変えたところから1.2㎞進んだところで、前方右の対岸に口野野地区に渡る橋が見えます。
橋の袂に 道標 「川上八幡宮道」橋を右に見て川沿いを進む。
左側にも 道標 「右 川上若宮道」
緩やかな下り道を進む。旧道は国道に合流して左へ、田引地区の街並みに入ります。左に田引集会所があります。
集落内左に 八桂神社この付近にかつて、吉野屋・大黒屋・小屋・束屋・泉屋・江戸屋等の旅籠が並んでいたようです。
見集落を抜けたところで、右に架かる橋は小田地区への橋。
すぐ先で、国道の右に一段低い旧道が川沿いにあります。
川沿いを桜を見ながらの景色を進みますその先、街道は川沿いを右に円を描いて進みますが、国道は最短で真っ直ぐ、田引トンネルで抜けます。
車の走らない快適な道で景色も最高で歩いてこその素晴らしさです。
左にカーブするところ右に 香肌峡 一本松史跡碑
明治以降別れの一本松、名残の一本松ともよばれ、戦地に赴く兵士とその家族が悲しい別れの場所の松といわれている。
まもなく左に、国道の田引トンネルが抜けてきたところで合流、振り返ったところで、向かって左から川沿いに歩いてきました。
国道に重複して進みます気持ち良い風景。
振り返ったところの景色、左下は赤桶ダムです。
さらに進むと左に片栗子の集落が並んでいます、振り返ったところです。
片栗子集落の先で右に大きくカーブして進みます。左に小さな 庚申堂
相模峠に出ますが、国道が改修され峠の面影もなく開けてしまっています。片栗野バス停があります峠のすぐ先で、右に入る旧道があります。
その先、左にカーブして少し下ったところに信号交差点があります、国道を横断して旧道に入ります。
集落の中を進んでいきます。
集落を抜けて少し進むと新道の高架下を潜ります。高架道路は166号線で右に行くと櫛田川に架かる赤桶橋を渡ります。旧道は高架の先旧道を右の櫛田川に沿って細い道を進んでいきます。
街道は向赤桶地区の静かな山間を進む。右の櫛田川に沿いその先で右に大きくカーブをしながら、珍布峠への山道に入る。
左に 石仏
暫く先で、道は分岐しますので右の川沿いの地道の旧道を進みます。注意案内標示ありません。
道を進み振り返った風景です、素晴らしい街道情緒ですが一人では少し寂しいです。
再び道は分岐します、少し迷いましたが、右の道は川沿いを進んでいて、左は登り道で峠への道だろう、また道沿いに碑もあり、左に上りました。
松阪市へお願いします、資料持っていても迷います、折角の素晴らしい道が残っているので案内板の一つでも立てかけてください。
右の櫛田川に礫石の碑 の表面には「倭姫の命磔石」裏には倭姫の歌碑
「流れては 昔に帰る川俣川 磔石たつ 水のしら浪」と刻まれている礫石(つぶていし)向かいの櫛田川に犬照大神が投げ込んだ巨石があります。風習の中に、石を投げて当れば男児、外れたら女児が生まれるという伝えがある
でも、川沿いの道が踏み跡もしっかりしているし下の道を進みました。振り返ったところ。
川沿いを奥に入っていったが一向に峠らしくなく再び元の分岐に戻りました。この道は川沿いを進み、大きく迂回して先で旧道に合流しているようですが、かなり遠回りです。
元の分岐に戻り左に上りますこの先は暫く、珍布峠越えのため山に入ります。全く人の気配もなく一つ間違ったら大変。
このような場合私は、少しおかしいと思ったら元の位置に戻るよう心掛けている。何度も失敗しているから。結果的にはその方が時間的ロスが少なくて済むと思うようになった。
人一人歩けるかどうかの道を上っていくでも踏み跡がしっかりあるので快適です。熊だけでないようにお願いします。
珍布(めずらし)峠 に着くと舗装道に変わります。
深い切り通しの峠、素晴らしいです。
杉やヒノキの間の街道を下っていきます素晴らしい。
道行谷
櫛田川の支流この谷川を道行谷、この土橋を道行橋という。
死人谷
この少し上で谷水を飲む様子で其の侭死んでいた行倒れがあったが、人通り少なく長い間気が付かなかった、後に村人が無縁仏として葬ったが、この谷を誰いうことなく死人谷と嫌った。
峠への入り口近くに茶店があったようです 木戸の一軒屋の標示
宮前に下りてきました。
和歌山街道の説説明板
飯高町宮前の町に入る手前右に 道標
「左 くりたに 是より れいふみち 八十丁 紀州ミち よし乃かうや ならはせ」
そのすぐ先で交差点に出ますので交差点を横断します。
すぐ次のT字路で左に折れます。
左に折れたすぐ左に 花岡神社
宮前村元標跡
かつての 宮前宿 今も宿の街並みに大きな旧家の屋敷が残っていて見ごたえがある。
神社のすぐ先あたりに、かつて宮前宿の本陣があった、宿の街並みにも、江戸屋・角屋・大阪屋・岡本屋・などの旅籠8軒がありました。
左に 慶法寺
宮前宿の街並みを進む。
小さな川の橋を渡ります。
宿の街並みを抜け国道に出て国道を左に少し進み150m程で再び左の集落に入ります。
左に入り少し歩くと車道との十字路に出ますので、横断します。十字路から右に小川が現れてすぐ先右に折れて橋を渡り200m程進んだ先で国道166号線が右から接近してきたところで国道を横断して右の櫛田川沿いに進みます。
国道を横断して左に折れたところで、国道は新深谷橋を渡り、国道の右側一段下の旧道は深谷橋を渡ります。
右に櫛田川、左に国道の間を200m程進んだ先で右T字路を左に折れます。
左に折れた先で国道を横断して右斜めに入っていきます国道を渡り左側奥には、特別養護老人ホーム飯高有徳園があります。少し先で変速十字路を右に折れる。
新田上から新田中の街並みを進む400m程真っ直ぐの街道を進みます。町筋に江戸期の末から明治にかけて、大繁盛しや 茶問屋滝川屋があったようです。
やがて右に折れてすぐ先で国道を横断します。
国道を横断して100m程坂を下るとT字路に出ますので左に折れます。T字路から下ってきたところを見る。左に折れてすぐ先で、櫛田川に流れる支流下滝野川に架かる橋を渡り、800m程中之郷の集落を進みます。
街道右下の櫛田川の 淵の本紀州藩の参勤交代時の伝説が残る、どのような伝説か案内されていない。
やがて左からの国道と合流します。合流したところで振り返る、左が今歩いてきた旧道。左側に櫛田川に架かる粥見橋があります。
暫く国道を進みます、途中、虻野川に架かる不動橋を渡ります。
不動橋を渡り暫く進むと、オオセン坂(オオセンという店があった)に差し掛かります。
やがて柏野バス停があります、そこで分岐しているので左の旧道に入ります。
旧道の道を暫く進みます。
農業用水の高束池に突当り右にカーブします。この池が開かれたことによりこの付近一帯は大変潤ったそうです。
鳥居が建っています。
かつての旧道は、池の東側から大きく右に円を描き通っていたが、今は完全に旧道は消失していますので、右の坂を上り国道に出ます。
国道に合流したところから800m程先で、左T字路の辻に出ます、国道は真っ直ぐ進み、右への広い道は櫛田川に架かる大渕橋があります。その辻には西谷川が櫛田川に流れ込んでいます。広い道路の間を少し国道右の歩道を進み右に入る旧道を進みます辻の右手前は学校です。
右への旧道です
すぐ左から道は合流してきますが、暫くは道なりに緩やかな蛇行を繰り返し、左の国道に沿って東に進みます。
静かな住宅地の街道を進みます。
暫く進んだところで左に 教誓寺
津上の集落左に津上集会所があります。
その先の右T字路を左に少し入ったところに 導専寺
その先右に、松阪市飯南地域振興局、粥見小学校を見てすぐ先の、十字路を左の道に入ります。国道から分岐してこの十字路まで1.7㎞程です。
十字路右角に、趣のある民家があります。
左に折れて道なりに右にカーブして進むと右に小林内科クリニックがあります。そこから80m程で交差点に出ます。この交差点を真っ直ぐ進むのが、伊勢神宮への街道、和歌山別街道(2024年度中には歩く予定です)です。和歌山街道(大和街道)は左に折れます。
左に 大和信貴毘沙門天の石碑と石段がある。
左側に 粥見神社
粥見神社の神事芸能「てんてん」は七百年の歴史がある。
交差点の分岐から東に進む、和歌山別街道の筋
分岐の交差点を左に折れた右角に 道標 「右さんくう 左まつさか道」
交差点を北に進むと左から粥見出鹿信号交差点166号線が合流します。交差点を過ぎたところから振り返る。左が旧道で右が166号線。すこし高台であるので右の景色が広がる。
東に延びているのが和歌山別街道で伊勢への道。
粥見出鹿信号から166号線を100m弱北に進むと、バス停のところで道は分岐するので左の旧道に進む。旧道に入り100m程進むと道は右斜めに折れています。かつては右に折れずに真っ直ぐ街道は進んでいたのですが、130m程の区間ですが地図から道がなくなっています。その先にははっきりと道路線が出てきます。大きく右にカーブしながら茶倉道の駅の北側150m程先の国道に出てきています。
残念ながらその旧道は歩いていなく、旧道が消失したところ右に進み、粥見井尻信号交差点に出て国道を北に進みました。
国道から櫛田川の南の景色。
国道から北側の景色、右の対岸はホテルリバーサイド茶倉。
右に道の駅茶倉を見ながら進む、時間的に余裕がなくなり寄る時間がなくなった。右に行くと川近くに飯南中学校このすぐ先に、前述の旧道が出てきているが写真に撮れていない。(この調子では間違いなく暗くなってしまいそう)
国道の右(北)側に一段低い旧道のような道が少し沿っている、振り返ったところ。畑井谷川に架かる畑井橋を渡ります。
右には千歳橋暫く進んで大谷川に架かる小さな橋を渡り赤滝地区に入り、赤滝信号交差点に出ます。
少し先で、仁柿川に架かる逢橋、逢橋の直ぐ先で左から 伊勢本街道(この街道も途中で終わっているので2025年の春までには完歩したい) が合流してきます。
柿野の町並み
左、寶積禅寺への参道に 石碑
曹洞宗蓋雲山 寶積禅寺
街道沿いの旧家の建物。
右の櫛田川の景観
すぐ先左に、柿野小学校へ左に入っていく旧道が分岐しています。
左に入る分岐から、国道と櫛田川の遠望。
左に柿野小学校を見て旧道の街並みを進む。
国道より一筋入ると、街並みも静かで旧家が残る。
やがて旧道から右の国道に合流、合流してすぐ先で深野川に架かる俊光橋を渡る。
その先で蔵谷橋を渡ると、旧道の残骸か、国道右一段低く残っています。
右に深野大橋、国道は左にカーブしているが、右の旧道を真っ直ぐ進みます。
この街筋にはかつて旅籠が点在していた。
上出の集落に入り左に 庚申堂
庚申堂の石垣に組み込まれた 道標 「大石宿 これより宮川へ七里 はせよりここまで十五里半」
上出の街並み
大石本郷の信号で左の国道に合流しますが、横断して少し左に戻り、右鋭角に旧道を入ります。
旧道の街並み久保田集落を進むと、連子格子の旧家が並びます。
集落内の矢下川に架かる橋を渡り進むと、この先おせん茶屋があったところから呼ばれた、おせん坂を下っていきます
集落を抜けて右からの国道に合流した辻を振り返る、
右の櫛田川に沿って大きく右に弓を描きながら進む。
街道(国道)は谷川に架かる谷川橋を渡り右にカーブしながら進んでいく。不動前バス停の近く左に
太神宮常夜灯
常夜灯を左に入ると 石勝山金常寺不動院 弘仁三年(812)弘法大師の開創。弘法大師作の不動尊を祀る。
背後の山に不動滝(落差10m)があるようですが先を急ぐので寄れなかった。
街道に出てすぐ先左に 不動院ムカデラン群落の碑(国天然記念物)碑の背後に、ほうろく岩(高さ27m幅3.8m)にムカデランが群生して身近に鑑賞できる。
傍に 地蔵二体の祠焙烙岩の下に馬頭観音と大日如来の石仏を祀る。
少し先のほうろく川に架かる石界橋を渡り暫く進みます。500m程先で国道が左にカーブして進むが、街道はほぼ真っ直ぐの右の道を入ります。
左に南小学校があります小片野町の住宅地を左に大きく円を描きながら進み、さらにその外側を櫛田川が円を描いています。左に小片野公会堂があります。
その少し先で道は分岐します、どちらの道が旧道かチョットわかりませんが、先の小片野栄町の交差点で合流します。根尽坂(乞食坂)と呼ばれるなだらかな下り坂。分岐から信号交差点まで1.2㎞程です。
やがて左奥に大乗寺を見て小片野栄町信号交差点に出ます。
100m余り進んだ先で、小片野東信号交差点の国道166号線を横断します。
更に150m程先で国道166号線の小片野東信号交差点を横断します。横断した左にはコメリがあります。
小片野東交差点を横断して旧道は右に弓なり東に300m程歩く。再度国道166号線を横断します、横断して少し左斜めに進む。
120m程進みT字路の車道に出ます。今歩いてきた街道を振りかえる。
T字路に突き当たった分岐で、分岐を右に折れてすぐ先、上出江口交差点を左に折れて進む街道は 伊勢本街道が分かれます、ここで分岐して北東へ。和歌山街道は左に折れて少し先で国道166号線に合流して北へ進みます。
合流した先で右から出てくる道の、左T字路がありますが、かつての旧道はここから右斜めに山の鉄塔がある辺りの鳥羽見峠えをしていたのですが、今は完全に旧道は消失しているようです。鉄塔の北側に出るとみ旧道は復活しているようです。
残念ながら時間的に旧道に北から逆歩きができなかった。
166号線の左側に 北谷池 天保四年(1833)に起工・親池・鳥羽見池ともいわれる。
池が切れて400m程国道を北に進み六呂木町に入り、六呂木バス停の先集落に入るところで、この先の旧道を間違いました。166号線は真っ直ぐ、左に集落に入っていく新和歌山街道、右に折れて六呂木川を左に東に進む道に分岐しますが。私は左側の新和歌山街道を進んでしまいました。
右への道は旧道ではありませんが、350m余り進んだ先で十字路に出ます。そしてこの十字路こそが、前述の鉄塔を越えてきた旧道でした。本当ならここから逆に歩いて鉄塔に向かっていけるところまで行きたかったのですが。また十字路を左に折れるとその延長で、旧道の復活でした。非常に残念で悔やまれます。
新和歌山街道を進みます。
分岐から400m程進んだ左に 大通寺
町並みを進んでいきます集落の中で橋を渡ります。
大通寺から400m程進み吉谷橋を渡ると右からの166号線が合流します。瀬戸バス停があります。
国道に合流してすぐ左の道に入ります前述の旧道は国道を100m程進んだ辺りに出てきているようです。少し悔いが残ります。
左に入った道はくの字で再び右からの国道に合流します。合流したところを振り返る。
辻原町に入り国道を300m程上っていきます。国道より左に入る旧道があるので入ります 瀬戸峠だろうか。
国道より左に入る旧道を抜けてきたところ振振り返る。
瀬戸の集落途中で右斜めの細い道に入り一旦右からの国道に合流します。振り返ったところ。すぐ先で、国道を横断して右(東)側に出て瀬戸谷川にそって、200m程進み、再び。国道を左(西)側に出ます。
国道沿い三差路の北西角に 石地蔵兼ねた道標 「右 山田六里観照」
左側に出て200m程進みます。 国道166号線沿いに所々こうして旧道が短く残っていますが、写真や文章ではなかなか表せず参考にならないかもしれません。
国道に合流します。
合流して国道を150m程進むと再び左に入る旧道があります。
100m程進んだ先で阪内川に架かる橋に出ますが、橋を渡らず右に折れます。左の角に 道標 小さな橋の袂に立つ、多気道との分岐点正面に大日如来が彫られています。
「右ああらき多気 左紀州道 右まつ坂 左たきああらき道」
右に折れて左の阪内川沿いに少し進むと辻原町信号交差点に出ます。交差点の左は辻原橋で交差点を横断して166号線の右側の斜め右への旧道を進む。
右に入った道を130m程進むと、左からの国道に出るが合流しないで右に折れます。左角に丸川材木店があります。
右の山裾の旧道を真っ直ぐ進み、左からの国道と合流します。
国道に合流して右に折れると大きく左にカーブしています。カーブして直ぐに分岐していますので左の阪内川に沿う旧道に入ります。
左、阪内川沿いの大河内集落
阪内川に架かる吉祥寺橋が見えます。
街道より対岸に 吉祥寺 があります。
街道対岸にこんもりした山が 脇谷城址大河内城の出城であった。
街道の左対岸に 薬師堂 脇谷の氏神牛頭天王社の別当寺。
右からの国道に合流します合流した先、伊勢自動車道を潜ります。
いよいよ時間が迫り日が暮れてきそうなので、まだ少し起点まで距離がある。あまり寄り道を出来ない。
自動車道を潜るとすぐ信号五差路交差点に出ます。信号を渡り右側が国道で左側の。旧道に入ります。
旧道に入ってすぐ両側に道標や碑が並ぶ。
左側に 道標 「左 大師道」六字名号碑 「南無阿弥陀仏」 大日碑 「金剛大日」
道路向かい右に 道標 「左 大師道」丹生道との分岐点左側に立つ。
すこし進んだ左阪内川に架かる城山橋に対岸に 西蓮寺
更に川沿北に進むと広阪橋の左対岸の山は 大河内城址名門北畠氏の居城 で永禄十二年、織田信長と攻防戦の後、信雄を養子とすることで和睦した。
広阪橋が過ぎた先で右からの国道に合流、合流したところを振り返ると向かって右の山が 大河内城址。
合流した先で再び分岐があります、右に国道がカーブして分岐、旧道は左真っ直ぐ進む。左(西)へ直角に折れると、阪内川に架かる白猪橋を渡り、すぐに大河内城址の山の西側から合流してくる勢津川に架かる堀坂橋があります。そして両橋のすぐ上流で合流して阪内川に一本となっています。大河内城もその両川の間にある要害の城であった。
左に入り100m先で道は分岐しています、左の堤防上の道でなく右に曲がります。
すぐ右に 九蓮寺
町並みを進みます、途中左に坂内医院があります。国道から分岐して、再び右からの国道が合流します、その間500m余りです。合流点を振り返る。
合流して国道を300m程進むと再び道は分岐して今度は右の旧道に入ります。桂瀬町に入ります
桂瀬町の中の街道を暫く進みます。
途中小さな川橋を渡る。
やがて広い車道の十字路に出て横断します。十字路の左に行くと166号線の桂瀬町信号交差点があります。車道の交差点を横断して100m弱進むと、桂瀬川に出ますので橋を渡り左に折れると櫛田川に架かる八幡橋の東詰の国道に出て右に重複します。
八幡橋の東詰から見た景観、はるか後方に高見山の勇姿が望めます、正面左の窪んだところが大峠。
少し阪内川に沿って北に行くと右手に 大河内神社
神社から350m程進むと前方に丹生寺町信号交差点が見える100m程手前に分岐点があり左川沿いへの旧道に入ります。
右にカーブしながら少し先の十字路を横断して、暫く真っ直ぐの町並みを進みます。
左に小林自転車店があり、その先で旧道は右にカーブして166号線立野信号交差点に合流します、左に折れて国道を重複して歩く。
旧道が立野交差点で国道に合流した辻を振り返る。
国道を進み右にサークルK、松阪松尾郵便局を見て中部中学校入口信号交差点で左斜めの旧道に入ります。市街地に入ると車も多く、旧道に一歩入るとホットする。
旧道に入り180m程進むと道は分岐するので、右に折れてすぐ先で国道を注意しながら横断します。
旧道に入り180m程進むと道は分岐するので、右に折れてすぐ先で国道を注意しながら横断します。
その先120m程で五差路の辻に出ます、左の側溝沿いに進みます。
300m余り進んでいくと車道の交差点に出ますここを横断。左は田村町の166号線の交差点が見えます。
170m程進み、国道の田村町北交差点に出て、国道に重複して暫く進みます。田村町北交差点に出てきた旧道を振り返る。
国道の小黒田南交差点、小黒田町交差点、大黒田新田交差点を通ります。早足でどんどん進む。
大黒田新田交差点の先130mで国道は右にカーブしていきます。街道は左真っ直ぐ町中に入る。もう少し先で終点、すっかり薄暗くなってきたので、見学もできずただ目的地まで歩くのみになってしまった。
分岐から200m程大黒田街の町を進みます。
分岐していますので左の旧道に入ります。
左に道なりに150m程進むとT字路に出ます左角に 山ノ神が祀られているT字路を右に折れます。
すぐ右に 常夜灯 村中安全 五穀成就と刻まれている。常夜灯を右角の十字路を左に折れます、この辺り、戦国期の蒲生氏郷が領主でその時の 雷光型街路の名残。
もう真っ暗で殆んど見えません。十字路を左に折れて街道を進みます。
直ぐ先街道左に一身田専修寺の末寺 真言宗高田派 常宝寺
殆んど真っ暗な街道です。
黒田町の大きな五差路の交差点を横断します。さらに新町交差点を越えて、
石碑 が建っているようですがが。
やがて日野町交差点で、伊勢街道(歩きました)に合流します。
伊勢街道と和歌山街道の分岐起点の道
道標 「右 わかやま道 左 さんぐう道 八雲神社」
伊勢街道との新町の合流点、和歌山街道・伊勢南街道・大和街道の起点でもあります
その角に道標が立っています。
最終日35㎞程距離があったので、やはり最終段階で暗くなってしまって不燃焼となっ終盤、でも和歌山城からの紀州藩主の参勤交代の長い道を完歩できた。また機会を見つけて、この街道の不十分な部分を歩いてみたいと今思っています。
街道歩きで私の心掛けていることは、出来る限り朝早くスタートしても、暗くなったら歩かないというのは基本ですが今日はやむ得なかった。少し計画が甘かったようです。
大和街道一日の、歩いた歩数、歩いた距離が把握できていなく、今日一日だけでも40㎞ほど歩いたと推測できる。よく歩きました。これから松阪駅に進み、和歌山の自宅に戻ります。多分0時ごろになるでしょう。
でも大満足な大和街道~伊勢南街道~和歌山街道の一人旅でした。
完 歩
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