2011年9月15日
平城宮跡朱雀門~JR和歌山線北宇智駅
1日目 2011年9月6日 平城宮~橿原神宮駅前
2日目 2011年9月11日 橿原神宮駅前~吉野口駅
3日目 2011年9月15日 吉野口駅~JR北宇智駅
(1日目) 奈良街道の一部、木津駅から平城京を歩いて完歩。引き続き平城京より下ッ道を歩く、
9時30分スタート 橿原神宮前駅に 17時55分着
42.430歩 25.45km 1.101kl
本日は実によく歩いた
(2日目)今日は10年前、アメリカ同時多発事件より10年目となる。
近鉄飛鳥駅へ飛鳥駅6時30分にスタートして、まず、前回の続き橿原神宮~飛鳥まで歩く。
一旦、上ッ道はここで終わり、飛鳥路 を巡る。飛鳥路が14時に完歩したので、
引き続いて
上ッ道を 14時20分 飛鳥駅からスタートする。
北宇智までと思っていたが足が重く疲れたので、
吉野口駅までとして 16時35分 終了する。
飛鳥~橿原神宮前まで 9.511歩 5.70km 244kl
飛鳥~吉野口駅まで 13.321歩 7.99km 343kl
今日のトータル 52.348歩 31.39km 1351kl
(3日目)今日は私の67歳の誕生日。今年に入って30街道完歩となるJR北宇智駅へ行く。そこからまず今日は先に、巨勢の古道を歩き丁度吉野口駅が終点なので回ることとした。
北宇智駅6時35分スタート巨勢の古道を完歩して12時吉野口駅に着く。
吉野口駅から上ッ道 12時30分 スタート
北宇智の郡山街道との合流点 14時 到着、上ッ道をやっと完歩する。
9.812歩 5.88km 252kl
1日飛鳥路含めたトータル 38.588歩 23.14km 984kl
トータルとしても今日は少ないのに非常に疲れた。
下ッ道は 奈良市から橿原市を経て五條市に至る街道。古代では「中街道」とも呼ばれた古代官道の上ッ道、中ッ道、下ッ道の1つであった。
7世紀中ごろに、奈良盆地を南北に走る大道・下ッ道として整備された。飛鳥見瀬丸山古墳の前面を起点として、藤原京の西四坊大路、現在の橿原市八木辺りから、奈良盆地の中央を真っ直ぐ北に進み、平城京の朱雀大路、現在の平城京跡の至る道。橿原市から大和郡山市にかけては現在の国道24号線の西約250mあたりを平行している。
平城京の北は那羅山の平坂を越えて山背道に通じていた。南は丸山古墳前面から檜隈、現在の吉野口駅へ通じ、巨勢道を経て、宇智を経て紀伊国境の真土山を越えて紀ノ川沿いに進み木道(後の大和街道)に入る。
大和の古道で、奈良盆地の東、山裾を中心に南北に通る道。山の辺の道
奈良盆地の中央、平城京より南北に平行して通る三本の道。上ッ道・中ツ道・下ッ道を大和三道といわれる。
また奈良盆地の中央・南部を東西に平行して通る二本の道。竹ノ内街道の延長で藤原京の北側を通り桜井へ抜ける横大路・龍田道の延長で法隆寺から平城京の南側を通る北の横大路がある。
更に奈良盆地を法隆寺から藤原京、飛鳥への通る、聖徳太子が飛鳥と法隆寺へ通った、筋違道(太子道)が主な幹線道路としてある。
南北に真っ直ぐ通る三道は、ほぼ四里の道で、東から上ッ道、中ツ道。下ッ道であった、今もその名残を所々に残している。そしてその東に山の辺の道が残る。(すべての道完歩済み参照してください)
下ッ道(中街道)起点スタート
平城京の朱雀門から大極殿を見る

かつての朱雀大路は幅70mもあった広大な道

朱雀門

大極殿から平城京の中を南北に通る、みやと(宮跡)通りを抜け、近鉄奈良線を渡ると右手に朱雀門、シルクロード記念館の池を通り、二条大路南三丁目交差点に出る。ここを起点として下ッ道に繋がる。
平城京跡は長い年月を経たのにもかかわらず、宅地開発され住宅等で失われなかったのがよかった、近鉄線がなければ最高なんだが、今となっては仕方がない。
二条大通りを横断

二条大路南三丁目交差点を南へ、左にコーナンをみて三条大路三丁目交差点に出る


三条大路は 暗越奈良街道 が東西に通る交差点

すぐ田園が結構多くなってくる

右には生駒山の山並みが遠望できる、都跡中学の東側を通るころには田園が広がり視界が開ける

中学の前旧道を挟んだ東側(左)の池の堤に大木が立ち 祠や燈籠が三基、石碑 が並び旧道風景を楽しませてくれる

その少し南側左にこんもりとした森が見える 天満宮

天満宮の鳥居と拝殿


柏木町に入り真直ぐ進みます、
正面の奈良朱雀高校に突き当たるので左に折れます

左に折れた道122号線、左に側溝が沿う道。50mほどで奈良朱雀高校の東角の交差点を右(南)に曲がる

高校の角を右(南)に折れた道、道の左を側溝が沿う
300mほど南に真っ直ぐ進む、朱雀高校グランドが過ぎると、柏木公園が続く

やがて300mほど先で突当りになり、右へ20mほど折れてまた左へ曲がり公園を右に進む
公園を過ぎたところで小さな側溝を渡り、細い道を入る。細い民家の間の道を150mほど進むと

佐保川の堤に突き当たるので川に沿って右に折れる

左の佐保川の堤を100mほど進むと佐保川に架かる橋を左に渡る


橋を渡り、今度は佐保川に合流している川を右に沿って東に堤を150mほど進むと、JR大和路線の高架を潜り、すぐまた24号線の奈良バイパスの高架下に出る


高架下で右に折れて下の側道を進む

高架下を南に進むのも面白くないので、100mほど南に沿った所で、左(東)に曲がり150mで道両側にあるお寺の先のT字路を右に折れて旧道らしい道を南に暫く進む。
南に400mほど進んだ光明不動寺の先で、交差点に出るので右に折れて150mすすんで、先ほどの24号線の杏町交差点に出て左に折れる道を進む。

先ほどのバイパスより左に入った両側に 安楽寺と五却寺


お寺のすぐ先のT字路を右(南)に折れた道筋、バイパスより余程旧道らしい

暫く進んだ先右に 常蓮寺、浄土真宗光楽寺 と続く


新しく建て替えられている 佛仙道光明不動寺

そのすぐ先の十字路を右に折れる杏町交差点にでて、24号線バイパスを左に折れる。300m程進み左にロイヤルホームセンター、右に西松屋を過ぎた交差点を右に折れる。西九条町

信号を右に折れた道、さらに150m程先の一筋目を左(南)への道を入る、左角は第一化工KK

左にニトリの裏側すぐ先で自動車道に突当るので、少し左に折れて、すぐ川沿いに鋭角に右に折れる


その前に、突き当たったところ左に折れたすぐ先、佐保川に架かる橋の手前右に西九条緑地があり、その緑地内に石碑が建つ ここは 平城京羅城門跡で碑 が立つ 歌碑 も隣に立つ



歌碑 も隣に立つ


右の横断歩道のところに出てきて、正面は西九条緑地で左(手前)に曲がり、V字型の左の道、右の川に沿って下っていく

先に進んだところから振り返る

写真に撮れていないが、その先で佐保川に突当り、城門風の水門が建ち、そこを左(南)に佐保川の堤防を進む大和郡山市に入る。右に佐保川が沿う

堤防左に 大木と祠

その先で、佐保川に架かる2つ目の郡界橋が右に、橋の反対左に折れます

少し(寄り道)郡界橋を渡った向かい右に きこく(枳殻)地蔵尊


田園の広がる佐保川の畔 北側

南側

郡界橋を右に見て左に144号線を150m程進み、信号交差点を右に折れる


右(南)に折れた先の道は真っ直ぐ伸びて南下している。確かの平城京の朱雀門より多少の蛇行はあるが、ほぼ真っ直ぐの道。もともとは真っ直ぐであったのだろうが住宅等の開発で蛇行は止む得ない

暫く歩いた先で、地蔵院川に架かる平和橋を渡る

稗田町の集落に入る

稗田環濠集落
この地は朝廷に仕えた猿女君稗田氏一族の居住地 集落の回りを環濠が取り囲み、今も環濠集落の面影を彷彿させてくれる

環濠と集落

集落内の東西の真中辺りを南北の道を進む

集落内右に 融通念佛宗安養山得生院常楽寺


常楽寺の西側に 祠

集落内の細い道、でも落ち着いた綺麗な集落の街並

真っ直ぐ進んでくると、やがて集落の南、環濠に突き当たるので左に折れる

左に折れた道

左に50mほど進むと左手集落内に 売太神社

かたりべの郷碑 が建つ


神社門前の東側の環濠と売太橋左は環濠内の集落

売太神社の前の道、売太橋より


売太神社の前で、後方鋭角に新しい環濠の外側の道を進む

その前に右から集落を出てきて、手前に歩き左の神社を見て、西側の環濠と集落を見る

特定保水池整備事業(稗田環濠)
稗田環濠は、完全な形で残し全国的にも数少ない大規模なもので、鬼門の方角に七曲りと呼ばれる階段状の屈曲を持つ美しい姿は、中国漢の時代の長安故城を真似て作られたという説もある


西南の十字路から北の環濠と右環濠内集落十字路の角の 水門


十字路を西への新道

稗田町の南西の端の十字路を左(南)への細い道を小川に沿って進む

暫く歩いてから、稗田環濠集落を振り返る、森は売太神社

やがて信号交差点にでるので、横断真っ直ぐ道は広くなる。右に稗田団地の住宅棟が並ぶ

その先でまた信号交差点を横断する、右角にはローソン

交差点から200m程先で、菩堤仙川に架かるばんしょう橋を渡る

橋を渡った左土手下に 石仏

真っ直ぐの車道は面白くないので、石仏の少し先100m程で右の道に入る

右への道、番匠町の集落にはいる

右の道に100m程入り奥まったところに 熊野神社



熊野神社の前を左に折れて進む、旧家の大きな家が並ぶ道筋で、余程旧道らしいタイムスリップしたようです

左に折れた先右集落内に 太子堂光明院 大和北部八十八ヶ所第六十四番

蛇行しながら新旧の家並みの中の番条町の集落を進む



いいですね、歩いていても疲れを感じさせない



素晴らしい集落を抜けるとT字路となり左に曲がる

止む無く左に曲がるとまた元の新道に出るので右に折れる

道は左の川に沿って南に進んでいく、全く味気ない。よくわかりませんが新道が出来るまで、往時の旧道は今歩いてきた、南北延長線上であったと思いますが、途切れ途切れに集落の中だけ旧道らしく残っています

やがて番条町の25号線の横田町西信号に出る。道は交差点で突き当たるが、すぐ左にも信号交差点があるので左に折れて、その信号交差点を右に曲がり南へ

この信号を右に曲がる

右に曲がった先の道

暫く先で、高瀬川に架かる橋を渡る

橋を渡った先左奥に 牛頭神社 伊豆七条町


その先、西名阪自動車道を潜り真っ直ぐ進むのだが、発掘調査中で通行止め、迂回して高速道の反対側に回る。東側に郡山ICが見える



反対側より振り返る


田園地帯の綺麗な景色に無粋なバイパスの高架工事、折角の景観が台無しになる。南六条町で小さな川を渡る

右奥に 華厳寺

南六条町の集落内の旧道もまた素晴らしい

暫く先で、24号線の中町西交差点を越えることとなる

交差点を横断する手前右に入ると 菅田神社参道に 鳥居

少し寄り道して参道をはいり菅田神社へ行こうと思ったが、結構遠いので諦める
参道入口石碑

参道を少し歩いた先


24号線中町西交差点を横断

八条町から中町に入る

近鉄天理線の踏切を越える、左すぐに二階堂駅

中町から二階堂の街並みも旧家と旧道がマッチして雰囲気が素晴らしい。 街並みも狭くなく広くなく、車も少なく最高。この先南への旧道はほぼ真直ぐの長い道です

旧道わきに 大峰山上七十五度供養碑

街の左(東)が二階堂上ノ庄町、右(西)が二階堂北菅田町

左に 二階堂地蔵堂(膳夫寺跡)
この地蔵堂の前を通る南北の道は、下ッ道で現在では中街道と呼ばれている。ここから東に延びる道は 布留街道 で、現在市道一号線この東100mほどの所に布留社(石上神社)の一の鳥居があった。ここは古代交通の要衝として発達した。
この付近に 膳夫寺があった、この寺の堂が、二階造りに似ているところから二階堂と名付けられたと伝わる。今も二階堂・二階堂下・二階堂筋の小字名が残る。
膳夫姫は聖徳太子の妃で、膳夫寺は当初天香久山の北側に創建されたが、後にこの地に移されたがいつしかすたれ、その後にお堂が建てられた。堂内には石造の半迦地蔵菩薩像が祀られている。天正九年の銘がある。


お堂の前の街道を振り返る

左の池の畔に 祠と義勇奉公出碑

二階堂小学校が左側に

更にその先左に奈良プラザホテル・奈良健康ランド

川に沿って暫く進む

右側に 地蔵堂

地蔵堂の先での右に 浄土真宗教願寺

その先右に 地蔵堂と祠 が並ぶ

すぐ先で布留川にっかる橋を渡る、橋の右直ぐで大和川と合流している

続いて大和川に架かる橋を渡る

大和川を渡った左袂に「南無阿弥陀仏」の 題目石碑 嘉幡町から庵治町(おうじ)の集落に入る

右に菅原神社と称念寺が見える

菅原神社

称念寺

神社の少し先右に 祠と街道

庵治町の小さな小川と信号交差点を越えていく

左畑の向こうに 伊勢降神社の杜

右側には 八王子社と太神宮常夜灯


右の大きな木の袂に お堂と四基の燈籠と石碑 石碑は日露戦争記念碑

その先左奥に県立二階堂養護学校を見て、暫く南下する

信号交差点のすぐ先で、道が分岐するので右の道を進む 西代地区

前述の分岐した道は再び左から合流

合流した辻を振り返る

合流した左角に 道標 「すぐよしの 高野」「七十二・・・」 下部が埋もれて読めない

道標とその先の集落内の街道

その先右に 地蔵祠

田原本町唐子に入る

下ッ道の表示した先の落ち着いた集落の道車が走らないので最高の道だ

少し歩いた先右奥に 杵築神社

神社境内に 今里の蛇巻
農作物の豊作を祈ると共に、男の子の成人を祝う節句行事である。毎年節句に、蛇の形をした長さ18mの蛇綱を、新麦わらで作り、13歳から15歳の男の子が蛇綱の頭を担ぎ、それより年下の男の子と当屋の男たちが胴を持って、村中の家々を大声で「おめでとう」と言って、祝福して回る。その道中で、誰彼なしに蛇綱で人を巻き込んだりする
(無形民俗文化財)


右に 正福寺・観音寺 を見て進む


鍵に入り十字路左斜め前方に、北中学校が見える所で右に曲がり、寺川の八尾大橋を渡りすぐ堤防を左に折れて土手道を南下する

川の堤を150mほど南下すると右に安養寺があり左に安養寺橋を見て右斜めに下る

その下る安養寺橋の袂の角に 常夜灯と小さな地蔵の祠

法性山専求院安養寺
寛永10年(1633)の創立。行基の開山、寺川の東側にあったが、洪水のため江戸時代中頃現在地に移る。
寺には名匠快慶作阿弥陀如来立像(建仁年間・重文)が安置されている。また境内には天文2年(1533)銘の石仏もある



安養寺門前の 道標

安養寺を下ったところで道が分岐、右90度の道を、すぐまた左に折れる道を南に進む
少し進むと右に 首切地蔵尊 鎌倉時代作 阿弥陀如来像



首切地蔵尊を右に見て、八百栄の前で突当りを左へ40mそして右へ(南)進む
左、川との間に 地蔵の祠と常夜灯

真っ直ぐの道を進む

少し進んだところで右に 鏡作坐照御魂神社

神社のすぐ先に 豊離大明神

大明神の前に 子安地蔵尊

神社前の街道を振り返る

八尾辺りの街並

右に 地蔵と灯籠

竹村家
竹村七太郎家は大和盆地の中央部を南北に貫き奈良、郡山、吉野、高野山への、又、田原本陣屋町と田原本の商業活動の基点となる今里浜を結ぶ中街道に東面し、室町時代の末頃より名主として、また江戸時代には庄屋を勤めている。貴重な民家遺構であるが老朽化が目立っち保存対策が必要になっている




右に 妙勝寺

左に お堂

妙勝寺の先で田原本町役場の前のT字路に出る左に進めば寺川の橋が架かる。右に折れて50mほど進む


そのT字路の右角に 道標 西面「左 京 なら 古りやま」北面「大峰 よしの 高野」

50mほど先で左に曲がるが、その右手の角の 常夜灯

左に曲がる左角に 道標

役場を左に南下すること120mほどで、右ムライ酒店の手前の道を右に折れる
右に折れて100mほど進む途中右に 地蔵祠

小川が斜めに流れる十字路を左に折れる、また100m余り南下する
南下する途中に左に 地蔵祠

その先小さな小川を渡るとT字路となるので右に折れる、10mほどで再び左に折れる

左角の木村履物のかどを左にまがる

再び南への道を200m程進む

右に 慈航山本覚院本誓寺
草創は鎌倉時代、正和五年(1316)花園天皇の勅願所で賤ヶ岳七本槍で武名を馳せた平野権平長奏は五千石を領し、二代目長勝公が1647年この地に移し菩提寺とした。慶応3年(1867)門跡格の五本筋壁を許され十ヶ寺の末寺をもち境内に二代・九代領主の霊廟がある

境内に二代・九代領主の霊廟がある。格式のある古刹



五千石の領主にしては立派な霊廟 平野領主霊廟

続いて右に 浄土真宗松慶山浄照寺
慶安四年(1651)田原本第二代目領主平野長勝により創建。本願寺御坊に列せられ大和に七十二ヶ寺の末寺を有していた。本尊 江戸時代の阿弥陀如来立像

本堂

鐘楼

山門 伏見城の城門

お寺の塀際に 祠

寺の前の筋を振り返る

更に道幅は狭くなる

右に 戎神社・津島神社 と続く

神社の過ぎたところ神社の南側の筋に、森田タバコ店があり、そこの辻を東に進むこと150mほど

左筋に少し入ると 楽田寺

街道はその筋の先30mほどで右(南)に折れる
街道より左に少し入った楽田寺の前の街並み。お寺の塀際の 祠

街道に戻ったところで少し道を戻ると道筋に大きな 道標


更に東に進み右に折れる右角にも大きな 道標 「右 大峰山 吉野 高野」 「左 京 奈良 郡山」



楽田寺の南側の辻を右(南)に折れる、右に田原本町第一体育館を右に見て進んでいく

とにかく田原本町の中の道筋は現在はややこしい
暫く先で、寺川の堤防に出る、右に忠岡医院がある。ここで左から川沿いを来た道と合流。この川沿いの道が旧道なのか分からないが

田原本町を抜けて堤防を左に寺川に沿って南に進み、14号線の自動車道を横断してさらに寺川沿いに進む

堤防沿いを暫く進んだ先で、左の寺川の堤防道を分け、右の道を下っていくと

集落にはいる、右手に近鉄橿原線の笠縫駅

笠縫駅の東の街道手前右に 道標

笠縫駅を過ぎてすぐ右に 家内安全地蔵の祠

その先交差点の右角にも 祠

寺川が、かがり川に分流するところで再び堤防に上がる。右に木虎歯科がある先で、50号線の信号交差点を越える

右に 葛城山・金剛山 の山並みが望める

右に 鳥居と常夜灯

多神社への参道

右に多池

多池が切れたところで、十市町の信号交差点を越えると橿原市に入る

寺川がここで分流、左(東)に寺川が離れ、真っ直ぐ南に米川が流れる。米川に沿って南下する暫く進むと、右奥に近鉄橿原線の新ノ口駅

更に進んで行くと右に お堂

葛本町に入る

右の菊川医院の先で広い新道の交差点を渡る

新賀町に入る

右の菊川医院の先で広い新道の交差点を渡る。寺川が二つの川に分流して東へ離れる

新賀町に入る

左に 祠

更に進むと右に 稲荷大神

すぐ街道沿いに上品寺古池

国道24号線の新賀町交差点に出る。国道は斜めに西側に進み八木駅の高架下を進むが、街道は斜めに横断して真っ直ぐ南進する

24号線を横断して南進した道その先で信号交差点を越え 北八木町

左に 庚申塔


近鉄大阪線の踏切を越えるすぐ右は近鉄八木駅


北八木町に入ると、この街道の西方面に古い 今井寺内町 の街並みが残るがこの付近も劣らず、街並と建物が調和して雰囲気が素晴らしい 暫らく街並が続く

街並みを進んだところで、北八木町と八木町が交差する、札の辻 に出る。この交差する東西に通る街道は、横大路といって古い旧道に出る。
八木 札の辻 横大路と下ッ道
八木の町は古代からの幹線道路、「横大路」「下ッ道」の交差点を中心に発展し、中世には町を形成していた。
横大路 は東西に走る道で、日本書記にもあるように大坂の難波津から竹内峠を越え藤原京につながる官道で、当時は30~40mもの幅の、現在でいう国道1号線であった。
下ッ道 は大和盆地の中央を南北に貫く三本の古道の一つで、他に上ッ道・中ツ道があった。下ッ道の北端は平城京の朱雀大路で、平城京の区画の基本となった条里制はこの道を基準につくられた。また、南に行けば高取を越え吉野・熊野に至る幹線として見ることができる。
近世になって高札のかかる場所として「札の辻」と呼ばれた。今でも当時の井戸や旅籠の建物などが残り街全体歴史的遺構として長く保存してほしい。(説明文より)


横大路との交差点 札の辻

札の辻、すこし先右に 浄土真宗花香山正福寺 その裏側西に 国分寺

飽きることのない八木町の街並みを南に進む

暫くして国道165号線の信号交差点を越える

165号線を横断した左角に 八木町道路元標 右角に澤井薬局

振り返った街道

JR桜井線の踏切、右に畝傍駅

南八木町に入る、まだ旧家の残る街並みが続く


立派な大きな旧家 踏切から250mほど先、右にグリーンコーポがあるところで、真っ直ぐの細い道と分岐するので、左の道を南進する、左に晩成小学校をみる

小房町に入り右に 浄土真宗大願寺

写真には載っていないが大願寺のさき20mほどで左に曲がる道があり、すぐ左に
おふさ観音寺 がある、この道は桜井の安倍文殊院への 大和長寿道
街道は真っ直ぐ進み直に飛鳥川に出る川の橋の手前に

飛鳥川に架かる橋を渡る

渡るとすぐ右に 八幡神社




道は南に進むと165号線の小房交差点に出るので歩道橋で南に渡る。交差点右(西)奈良県立医大が見える。右後方から169号線が交差点に合流してきて南進する。暫くは169号線を歩く

左に市立図書館

少し先信号左に、万葉ホールその前に 下ッ道跡の碑

歩道橋からのこの先の道(169号線)

更に次の信号角右に(イエローハットの前)道標 「左 神武天皇御陵」

右を見ると大和三山の一つ 畝傍山 畝傍御陵前駅が見える


左に 祠と道標

やがて右、橿原神宮前駅

ここで第1日目は終ます
2011年9月11日【2日目】
橿原神宮前駅から近鉄吉野口駅まで
途中で飛鳥路を歩くので少し変則となる
前回に続き橿原神宮前駅の東側の街道をスタート

暫く進むと、いぬいクリニックの看板があがる見瀬交差点で左に169号線を分け右への道を進む。左に見瀬郵便局を過ぎ、すぐ左奥に称名寺

見瀬の街並みも旧道らしい雰囲気が残る

左に 祠 右に見瀬町集会所その前左に福栄寺

左に 慈境山福栄寺


見瀬町の筋には加藤酒店の上部に年期の入った看板というのか

立派な家が並ぶ


順序は少し前後するが、
町筋を南進、見瀬町集会所から200m余り先で右に折れる道奥に(街道は真っ直ぐ)、孝元天皇軽境原宮跡碑 が立つ。そのまま進めば近鉄線を越え、高取川の天神大橋を渡ると、牟佐坐神社 がある。



街道に戻ると右前に岡寺駅が見える。この周辺には古墳が多い、東側には主なものでも、丸山古墳・菖蒲池古墳・植山古墳が点在する
手前右の広場に 道標 「欽明天皇御陵・天武天皇、持統天皇 御陵」

右に岡寺駅を見て真っ直ぐ進む


岡寺駅の過ぎたすぐの右に 祠


やがて100m余りの五条野町で左からの169号線が合流する、169号線の信号を斜めに横断して、右に分け左の旧道に入り南進する

ここで街道歩きを一旦休め、今歩いてきた道を福栄寺付近まで戻り、169号線の東側にでて、 史蹟を見学するため⦅寄り道⦆をする
福栄寺の南の筋を東へ、169号線を越えると 高野山真言宗燈明山天上院大師堂

大師堂から細い道を南へ、途中左(東)飛鳥方面のの眺望

大師堂から150mほど南に 丸山古墳
古墳時代後期(6世紀後半頃)に築かれた巨大な前方後円墳。全長奈良県内で最大、国内6番目の規模。丸山古墳に葬られた人は定かでないが、欽明天皇や蘇我稲目など当時の我が国を治めた人物が有力視されている



寄り道を終わり、五条野町の169号線の交差点に戻り歩く

交差点で169号線を横断し169号線の東を斜めに進む


左に 敏達天皇皇孫茅淳王妃吉備姫王 檜隈墓(吉備姫王墓) 孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母

吉備姫王墓のすぐ東に、堀をめぐらした前方後円墳の 欽明天皇陵檜隈坂合陵 全長140m


欽明天皇陵・吉備姫王墓への石段

右に出て、169号線が右から合流してくる

合流する手前左に みみなほし地蔵


合流した辻を振り返る、右にみみなほし地蔵

合流後169号線を南進

右に 榎龍神の碑

間もなく飛鳥駅前交差点に出る

近鉄吉野線飛鳥駅前

ここで下ッ道を一旦中断してこの後、一部飛鳥路をあるく(飛鳥路を参照してください)
飛鳥路を歩き終え、再び、飛鳥駅から続きJR北宇智駅まで歩く
飛鳥駅前のスタート、スタートして交差点で右の道に入る

資料では、下ッ道は橿原市八木で終わっているが、私は飛鳥路をとおり、現代の中筋道を経由して壺阪山駅近くで別れ、薬の町と知られる古い街並みが残る、市尾・葛の集落を通り、現在の近鉄吉野口駅前(旧古瀬)を抜ける。ここは巨勢の古道の入口。更に薬水の集落を抜けて曽我川に沿って、小さな峠を越えると、JR北宇智駅で下街道(郡山街道)と合流。更に南に進み三在交差点で紀州からの大和街道に合流する
飛鳥駅の直ぐ先で国道を左に右の旧道に入り高取川沿いに進む

高取川を渡り左からの169号線と合流し、暫く169号線を進む


暫く進むと左にキリン堂があり、そこで道は分岐する。
街道は真っ直ぐ、左への道は高取城下の 土佐街道 で、壷坂越街道の延長 正面の山頂にあった高取城に行く道。今も石垣が残る。城下の街並も素晴らしい。また、壺坂寺から壺坂峠を越えて、吉野への道でもある

分岐する左角に 祠

すぐ右に 高皇産霊神社 の参道



右に見える山が 高取城址 日本三大山城といわれ山上には石垣がよく残る。土佐街道の素晴らしい城下の旧道を城跡の山頂までいけるし、車でも坪坂寺の横を登り山頂近くまで行けます

右に近鉄吉野線の壺坂山駅

右に 祠

下土佐交差点の信号の手前右角に歴史を感じさせる 川田製薬の建物


この信号交差点を右に折れるます。
真っ直ぐは 奈良大和街道(中街道169号線)で、芦原峠を越えるが消失しています(現在芦原トンネルが抜けています)そして吉野郡大淀町で大和街道(伊勢南街道に合流しています)
右に折れた道、右、川田製薬

すぐ先で近鉄吉野線の踏切を越える

右に、高取町役場を見て西へ

正面の山は奈良県と大阪府の境にある、金剛山系の金剛山

踏切から300mほど歩いた次の信号交差点で、道は分かれるが右真っ直ぐの旧道を入る

街道の雰囲気がある旧道、正面は金剛山の山並み

吉備の集落を進む、旧道は狭くなるその先集落内で左にカーブし、100m弱で左から吉備川が接する

川沿いに150mほど先で道が分岐するので川に沿って左へ

吉備川に架かる橋本橋を渡り、新橋本橋東詰信号交差点を渡る

橋を渡り振り返る

交差点の先、右に川を見て100mほどで新橋本橋を渡る。道路は改修され広くなっている

この付近は写真を写した当時はまだ旧道の雰囲気を残した道であったが、今は改修されており趣きはかわった。新橋本橋を渡り50mほど先には169号線の新道が新しく通っていた。(写真当時は無かった)169号線の高架を潜り、真っ直ぐ進まず少し右に回り込む旧道を進む。そこが真っ直ぐの道と分岐しており左の道へ。その右角に石仏。
左に回り込む右角に 石仏

その先左に池がある、池の先は市尾の大きな旧家が建ち並ぶ集落に入る

集落入口右に石垣が積まれた 如意寺 が見える


左、近鉄市尾駅の北側の街道筋、右に市尾郵便局。気持ち良い旧道

この付近右には、市尾墓山古墳・宮塚古墳が点在する

市尾墓山古墳
この古墳は綺麗に整備されている

左に池がある、右に奥まったところ、念仏寺・天満神社が建つ

街道の雰囲気が素晴らしい天満神社の前の街道

右高台に 念仏寺

その隣に、地元の人が祭りの準備か 天満神社


神社奥に 市尾宮塚古墳
高取町市尾の独立した丘陵上にある市尾宮塚古墳、前方後円墳で全長44m、6世紀中頃の地元豪族の墓とされている。(国指定史跡)

神社の石段

静かな街道風景を見ながら進む

右に 曽羽神社の常夜灯

右に 正福寺を見て進む

暫く歩いたところで、丹生谷の信号交差点を真っ直ぐ進む

その先で右から曽我川が迫ってくる

曽我川を右に沿って進んでいく

御所市に入る

街道左 近鉄葛駅、 街道沿い右に 地蔵

地蔵の傍に 尊護鎮

そのすぐ先左に 大日如来堂

左に御所葛郵便局の手前左奥に 西方寺

すぐ先左奥に 大乗寺

更に右に曽我川に沿って、落ち着いた街並を進む

古瀬に入る、重厚な旧家が

小さな 祠

地蔵の祠

前方に近鉄吉野線の高架が、その手前の辻を右に折れて橋を渡ると

巨勢寺塔跡 がある。(巨勢の古道を歩いた資料に詳細が掲載)
橋より曽我川の景観

橋の手前に戻り更に左に曽我川に沿沿って南下
暫く進むと右に郵便局があります
その少し先 街道右の角に鮎ずし本舗柳屋がある、そこを右に折れると、曽我川に架かる吉野川橋を渡り突当りがJR・近鉄の吉野口駅
今日はJR北宇智駅まで歩き完歩の予定であったが、無理だったのでJR・近鉄吉野口駅で終わりとします

2日目はここで終わりJR吉野口駅から帰宅
3日目はここからJR北宇智駅へ
2011年9月15日先に工程としたら巨勢の古道を先に歩き
その後、引き続き吉野口駅前の街道スタート
巨勢の古道 は吉野口駅すぐ前の道を線路沿いに街道と並行して進む。
今回3回目は柳屋の前の街道を進む
柳屋の道を挟んだ向かいに小さな 仏

古瀬地区を南に進む

奉膳の交差点の手前で右の旧道に入り、高架道路のしたを潜り真っ直ぐ

その先100mほどで川を渡り右の集落を進む

川を渡る手前左角に大きな 道標 「右 かうや 左 大峯」分岐の左は大淀・下市への道
この道も古道であるようですが特に街道名がないようです

大峯山方向の道、下市へ

直ぐ先で近鉄線の踏切

踏切の手前左への入口に 村社卯神社の道標

100mほど入ると 卯神社

奉膳の集落を振り返る

近鉄踏切手前右に 祠

踏切を越えた少し先右に 祠が2つ

祠の街道を挟んだ向かい奉膳公民館前に 皇紀二千六百年記念碑

公民館前の街道

すぐ先左にも 祠

絵に書いたような街道風景

右に田仲歯科
道が分岐するので左の道を進む

暫く田園風景が広がる

左に近鉄線に沿って新道を進む

やがて左高台に石段を上ると近鉄薬水駅、右にはJR線が走る間の道
駅への石段を上る左に 祠

駅の先100mほどで道が分岐、右の旧道を進む

近鉄線は左へ離れる、右のJR線に沿て進み薬水の集落を進む

集落内で薬水川に架かる出合い橋を渡る

薬水集落も大きな立派な家が建ち並ぶ左に 愛宏講の常夜灯

JR和歌山線が右に沿う

JR線に沿って進むが新道を進む(旧道は分からない)


やがてJR線の踏切を渡るが手前右に 八幡宮の常夜灯 左奥に 八幡神社 がある

真っ赤な踏切を渡る

緩やかな上り坂となり、JR線は右に離れていく

緩やかな峠の上り道のようです

峠 左にテクノパークの工場が並び、右は木材工業団地の間

下だって行きます

テクノパークへの高架を潜る

高架の先で、右への旧道らしき道がある真っ直ぐ進むと、テクノパークなら南入り口交差点

細い道を進むと右に 祠 前の道を下る

旧道の名残のようだ

坂を下ると川を渡る、今は利用する人はほとんどないようだ、墓の右側の地道を下って来た

橋を渡った先から振り返るが、川の東側の一部は、道は無くなりつつある

草の茂った先から橋までの間の畦道は旧道跡のような雰囲気

橋を渡り右斜めに100mほど進んでいくと住川の集落に入る。左にカーブして50mほど先で
交差点がある辻、南北に通る 奈良大和街道と交差する。
新旧の民家がある


北側(右)奈良大和街道の道

更に50mほどで、国道24号線の住川町の交差点に出る

信号を渡り真っ直ぐ150mほど行くとJR和歌山線の北宇智駅。駅からJRで帰宅に着く
下ッ道 完歩


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