奈良(大和)街道・補足・宇治路

2011年8月30日

近鉄桃山御陵前駅~近鉄奈良駅

橿原神宮駅5時13分の近鉄一番に乗り京都上鳥羽駅まで、ここから 鳥羽街道・竹田街道 を8月27日に歩いた時に鳥羽街道の道を間違えていたり、竹田街道の中書島からの先を残していたりしたので、まずそちらを3時間ほどかけて歩く。
上鳥羽駅6時45分スタート、補足分を歩いて9時40分近鉄桃山御陵前駅に着き。
奈良街道をスタートする。

      補足分 15.434歩  9.26km  407kl   (鳥羽街道・竹田街道を御参照l下さい)

奈良街道は特に自動車道が多くまた単調な道で結構疲れた。観月橋を渡ってから暫くどの道が旧道なのか資料も乏しく分からなかった。途中城陽からも山背古道と重複している部分も結構ある。(後に資料を調べある程度分かる)
完歩してしまいたかったが結構足にもきて、疲れたので木津駅で今日は終わるとする

          木津駅   5時 着    
            39.107歩  23.46km  1013kl
       1日トータル     54.541歩  32.72km  1420kl

京都市街地から竹田・伏見と南へ進み江戸時代以前は前に歩いた山科峠越えから、宇治平等院を通る、宇治街道が奈良への主要幹線であったが、豊臣秀吉により巨椋池の開発や宇治川沿いの堤等の整備により、宇治川の西側、現国道24号線沿いの街道が奈良方面への主要街道と変わっていた。宇治市広野町で宇治街道と合流して奈良方面へ進む。

近鉄桃山御陵前駅ガード下を東に歩く
奈良(大和)街道の起点はここではないが、本来は京都駅前に近い塩小路高倉を起点 竹田・伏見を南下しているが、竹田街道、伏見街道とすでに歩いているので、伏見街道とここで分岐するためここからスタートとしました

左に 御香宮 がある、前回すでに街道歩きで見ているのでパスする最も朝早いので開いていない

御香宮の先で、御香宮前信号差点に出て右に折れる国道24号線

交差点より振り返る

24号線を南に進む

左に 

24号線の歩道橋より、南北の道(南)

(北)

京阪宇治線の観月橋駅交差点

宇治川を歩道橋で渡る

 橋より左(東)を望む

橋より右(西)を望む

橋を渡った右袂に 石標 「淀川維持区域標」

観月橋南詰より対岸のかつての 三十石船乗り場 を見る

観月橋の先、24号線を南下する。今は分からなかったが旧道は国道より左に入る。
後日、追加資料とする

24号線は旧道でないので坦々と進む

伏見区向島地区で新しい住宅地

右に緩やかに大きくカーブしていく左にスーパー、京都文教短大、京都文教大、右に填島中学、北填島小学、山崎製パン京都工場と続きこの辺りは賑やか

填島交差点を過ぎた先で高速道の高架を潜る。かつてこの辺り一帯は、右は大池、左は巨椋池が広がり、秀吉により堤を造り改修された

三軒家橋を渡る

その先の歩道橋からの北方向

南側の道、歩道橋の下、すぐ左の道に入る

左の道に入る右にカーブして旧道は南に進む左に巨椋神社・子守神社

巨椋神社

神社前から旧道を振り返る

神社前の旧道、国道と並行しているが、一筋東に入るだけで、車も少なく街道らしい道筋

 子守神社

神社の南、街道筋に 地蔵院

更に南隣に 観音寺

真っ直ぐの宇治市小倉町の道筋、雰囲気が素晴らしい、快適に歩ける

民家の軒の 

左に小倉郵便局

信号交差点を越える。右に行くと小倉駅

第四井川橋を渡る

橋の手前右に 

その先、井川歩道を歩く

その先で、道は分岐するが右の道を進む。左角に 

小倉西山交差点に出る、69号線の道路を南に進む 

69号線を暫く進む、左に市立小倉双葉園保所、小倉小学校と続く
右に 祠

その先、伊勢田町大谷の交差点を越えて約500m先の交差点を越えるが、その交差点の右を入ると、近鉄京都線の伊勢田駅がある。交差点を真っ直ぐ進み200mほど先で、道が分岐するので左の道を進む

分岐点を左へ

左に進んだ先、左に 

静かな開町の旧道を進む

やがて広野町東裏の交差点へ、街道は真っ直ぐ進む。宇治街道の起点 で交差点を左へ行くと宇治平等院方面へ

宇治街道の起点からの道。 左、角に大きな 道標

南への真っ直ぐの道街道の右(西)入ると、近鉄京都線の大久保駅。左(東)に入るとJR奈良線の新田駅

その新田駅に入ったところに、銀杏の巨木樹齢約150年 幹回り2.6m 樹高19m

街道に戻り少し先左に 皇大神宮

更に進んだ小川の手前に可愛らしい真っ白な 二体の地蔵の祠

城陽市に入る
川の手前右に 御拝茶屋八幡宮と祠  

更に橋の手前右に大きな 灯籠 

大谷川に架かる橋から振り返る

橋より600mほど進むと左に 久津川車塚古墳(国指定史跡)

大谷川扇状地に立地する全長272m、墳丘長180mの三段に築かれた前方後円墳。五世紀後半の築造時期と考えられている。ヤマト政権の支配者で、南山城全域を支配した大酋長の墓と考えられている。(城陽市教委)

その先の交差点。右に入れば近鉄京都線の久津駅街道は真っ直ぐ

 暫く進んだ右に 平川廃寺跡

更に暫く歩くと右に 

街道沿いの旧家

左に 久世神社の参道 神社へはJR奈良線の線路を渡る

久世神社  長い参道沿いの 灯籠

素晴らしい街道、雰囲気が残り旧家も残る

左の  を振り返る

少し進んだ先左に寺田小学校、JR城陽駅
その先左にも 

交差点を横断して振り帰る

左線路の向こうに 水度神社の参道入口

次の信号交差点を振り返ると右角に 祠 向って左に行けば城陽市役所。 右の道は、山背古道

交差点左への山背古道への道

すぐ先左鴻の集会所傍に お堂と沢山の石仏 が並んでいるお堂内

街道挟んだ向かいにも 

すぐ左 佛立宗要乗寺

その先右に城陽郵便局を過ぎる右に 

右からの69号線に合流。右にキリン堂、69号線を暫く進む

城陽新池の交差点に出る、みぎから国道24号線が合流し暫く真っ直ぐ24号線を進む左は広大な京都城陽配送センター

300mほど先、配送センターが切れる交差点を、24号線を右に分かれ左に曲がる

左に曲がるとすぐ並行して来たJR奈良線の踏切を渡る

東への道を400mほど進んだ先右に 森山遺跡 縄文時代(約4000年前)から古墳時代(約

1400年前)の集落跡

遺跡の南側は奈良線の長池駅

正面に城南病院が見える手前の交差点を右に折れる

交差点を右(南)に折れ、ひたすら長池地区の歩道を進む

左に南城陽中学の見える所の分岐を左への道に曲がる

左に曲がった先で振り返る向かって右に南城陽中学

中谷橋を渡ります

中谷橋を渡り200m程先の十字路で右にカーブして進むと、右に市立青谷保育園、左に青谷小学校がある間の旧道を進む

その先の信号を渡り真っ直ぐ進む

左に緩やかにカーブして進む、右奥には、奈良線の山城青谷駅

蔵の手前の左からの 山背古道 が合流する

向って左が奈良街道、右が山背古道

合流辻の角に 

南に進みます

 車も少なく快適に歩ける

暫く歩くと307号線と交差する交差点に出る。307号線に沿って青谷川がながれる。その青谷川に架かる青谷橋を渡る

井手町に入るとゆったりした歩道があるので歩きやすい

 右に 

祠の前の街道を振り返る

右に入ると奈良線の山城多賀駅

南谷川の橋を渡る

橋から左の眺望

橋の先で右に 

ここの辻で重複していた山背古道が左へ分岐

その先右に  非常に祠が沢山ある

JR奈良線の踏切を右(東)に渡り、線路を左にして進む

線路沿いの 

線路を左に新道を南へ

道は線路と新道を跨ぐ高架で再び渡り線路の東側に出る

田園の広がる井手町

高架道路に上り渡り終えた先で右にカーブ

高架橋より南の遠望

道は分岐する、右の田園の中の道を進む。分岐する左に、京田辺消防署井出分署

 井出地区の集落を進む

玉川の堤に突き当たる、往時は真っ直ぐ進でいたが、今は渡れないので右の80m程先の橋に迂回する

堤から今歩いてきた道を振り返る

右の橋を渡る

橋より玉川の右(西)

橋を渡り真っ直ぐの旧道を進む。前述の旧道の対岸に戻らなく真直ぐ進んでしまった。少し進んだ先右に井手小学校の前辺りに、往時の旧道が堤防から通ってきていたようです

小学校前から300m余り先で奈良線の踏切を渡り西側に出る、暫く線路沿いに進む

 途中右に 真宗正蓮寺

その先右に  敷地内の一角に立派な祠で祀っています

その先で小川を渡ると左に、 高倉山阿弥陀寺

木津川市に入る
阿弥陀寺の前の街道を振り返る

阿弥陀寺を過ぎた先の四辻で左に入ると以仁王の御墓(山背古道で見ているので寄らない)

四辻の傍に 

正面の道、山背古道、暫く進むと左に、以仁王の御墓がある

 暫く進んでいく、天神川を渡るが左に行けば、蟹満寺の標示。寄らずに橋を渡る

橋から天神川を見る、水がないようだ、川に沿って東に進めば 蟹満寺

その先の道も改修され広い道となっていて、旧道の面影はない

右前方には棚倉小学校

小学校の直立所で信号交差点があり、広い新道は真っ直ぐだが、旧道は右に分岐して小川を渡る

左側の歩道に 

そのすぐ先で、天井川となっている不動川のトンネルを潜る

不動川を潜り十字路を左に折れる 灯籠や石碑 が立つ

十字路を左に折れて200mほど進む途中左に棚倉郵便局の前を進むと、左から回って来た新道が不動川を潜ってきた道と交差点で合流。交差点は五差路になっているので、進む真ん中の旧道を進む

右に 春日神社

春日神社の杜を振り返る

その先右に、山城図書館を見て進むと、左への広い道がある交差点に出るが真っ直ぐ。左には棚倉駅が見える

その先信号のある平尾交差点をすぎ、更に200mほど先信号交差点で道は分岐するが、旧道は右の道であったのだろうが、左の真っ直ぐの新道を進んでしまった。100mほど先で小川を渡り進むと、左にJR線が迫る

鳴子川に架かる新鳴子橋を渡る

椿井北代信号交差点にでる。その先200mほどで道は分岐する、右の真っ直ぐの道は新道で、左の旧道に入る

左の旧道を入る

左の旧道に入り少し坂を下り小川を渡る

四辻を左に曲がる

右に山城中学を見て進み

その先左から、山背古道が合流する辻、振り返る

左に 遍照寺

左にカーブしてすぐ右にカーブした先から振り返る

左に 木津川市立上狛小学校、学び子の像

その先左に 西福寺

その先右に山城町郵便局の所で、分岐するので左の道を進み直右に進む

右角に 

上狛交差点手前で、上狛環濠集落の濠 が左右に延びている

そして、国道24号線の上狛交差点に出るので横断直進します

交差点を横断した先の道、真っ直ぐ南に進む

山城茶業之碑
中国から伝来した茶は室町時代には山城各地で栽培され、やがて近江・大和・伊賀・伊勢へと伝播した。江戸時代末の神戸港開港によって山城宇治茶の輸出は急激に増加し山城と近隣諸国の生産は飛躍的に増大した。
古来から木津川は人と物資の交流によって海外と我が国を結ぶ大動脈であった。茶の道もまた木津川を欠くことは出来ない。各地で摘まれた茶は川と街道によって山城の地に運ばれ加工精製されて、ここ上狛浜から木津川と淀川を経て神戸に至った。(碑の一部)

豪壮な蔵付きの屋敷、お茶の福寿園本社

茶の蔵元か大きな屋敷ばかり並ぶ

やがて前方に木津川の堤防が見える所で左に折れる。かつては真っ直ぐ進み、木津川を渡っていたのだろうが今は迂回する

左に折れた先 円成寺

左に 泉橋寺 石地蔵尊で有名

門前の 石地蔵尊

奈良時代の高僧、行基により木津川に架けられた泉大橋を守護・管理するため建てられた寺院。門前にある地蔵石仏は、永仁三年(1295)から石材か切り始められ、十三年後の徳治三年(1308)に完成したもの。その後、応仁の乱で石仏も破損し、元禄三年(1690)に補修された

 傍らの 

木津川の堤防より左に見える 泉橋寺

堤防に上ってきた道を振り返る

木津川と対岸、かつてこの辺りを渡っていた

東側の木津川に架かる泉大橋

橋に歩道専用が付いているので安心

木津川の眺め

 ⦅寄り道⦆泉大橋を渡り、すぐ24号線の新道を歩かず右への堤防道を進む左下に 橋柱山大智寺

更に堤防を西へ200mほど進み、JR学研都市線と木津川との間に、古びたお寺がありその境内の奥に、平安時代中期の歌人、和泉式部の墓と伝わる五輪塔がある。和泉式部の墓も全国に何か所かあるが、この辺りは和泉式部の出身地である関係か

再び東の24号線へ戻る、24号線の高架下のトンネルを潜り、100mほどで雲村の交差点を東へ、その先JR奈良線の高架を潜った先左に

 平重衡首洗池・不成柿

平清盛の五男で、治承四年(1180)12月28日、源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き討ちした。その後、源氏に敗れ捕えられ南都の衆徒に引き渡され、木津川の河原で首を刎ねられた。この池で首を洗ったと伝えられている。地元の人が哀れみ柿の木を植えたが実がならず、不成柿といわれた。

その近くにある 安福寺

平重衡の墓

お寺の東側にある 御霊神社

木津川に架かる泉大橋を渡り、近くを⦅寄り道⦆をして、近くのJR木津駅に到着、今日はここまでとする

奈良(大和)街道2日目

2011年9月6日
前回8月30日に引き続き木津駅よりスタート。
自宅を例により4時15分にでて橿原神宮前駅へ車を止め近鉄で郡山駅まで、そこから10分程歩き、JR郡山駅から木津駅へ向かう。6時25分木津駅スタート。
台風12号で和歌山県の田辺、那智、熊野。奈良県では十津川、大塔等で土砂崩れや土砂ダム、川の氾濫で沢山の犠牲者が出ている。今年は非常に災害が多い。

JR木津駅西口駅前

木津川の南側の24号線の前回の起点

橋袂より国道24号線の高架を100mほど進み、右の側道に降りる

24号線の西側の旧道を南に進む

学研都市線の踏切を越える

左の24号線の西側を進んでいます

踏切を越えて100mほど先に 念佛宗普門山西教寺 城南霊場第壱番

国道に沿った西側の旧道を進む旧道は突き当たるので右に折れて数十mで左(南)に折れます

 大きな旧家の門構え

左に折れて南へ真直ぐ500m程進むと、右から井関川が接近、川沿いに250m程進むと、163号線に出るので、左に折れます左に折れたすぐの交差点で24号線が南北に走る。合流して右に折れます
やがて右から井関川が迫ってくるので橋を渡る。左側に朱塗りの 岡田国神社の鳥居と参道が目に入る。⦅寄り道⦆して行ってみる。200mほど先で関西本線を越えた先に神社が有る。少し遠いのでここで終わる
長い参道神社は山の中腹にあるようです

大谷交差点を渡り、すぐ先の井関川を渡り、すぐまた分岐を木津奈良道の交差点を左斜めに曲がる。井関川を左にして150mほど進むと

JR関西本線の高架を潜る

暫く先左に沢山の小さなお地蔵さんが並びます

長い上り坂を進むと街道沿い右に お堂 動観音堂、役行者堂、念仏石堂

傍の道を少し右に入ると、徒法然上人御旧跡 安養寺

その先右に 幣羅坂神社

神社の直ぐの所で左からのしゃどぷに突き当たり右に折れて直ぐ先の分岐を、右の旧道に入る

旧集落が300mほど続いています

300m程集落を進み左からの新道に合流

合流した先200mほどで京奈和自動車道の高架を潜る

暫く歩道のない道を注意しながら進む奈良県と京都府の県境で奈良市に入る

暫く進んだ先で梅谷口の交差点を越えて、200mほど先の交差点の右の土手の草むらに隠れるように 道標 「元明天皇、元正天皇の御陵」

更に暫く進むと道は分岐するので右の旧道を入る 奈良坂 の入口

右に入るとすぐ奈良阪町資料館が右に 道標 「東 右 京 うち 左 かすが大ふつ 道」

分岐の辻を振り返る

右、奈良豆比古神社の前の街道

奈良豆比古神社

神社の南に 浄土宗西福寺

薬師堂

右に 道標 「従是西六丁 正一位黒神大明神」

道標の前よりの奈良阪の下りの街道

左に可愛い小さな地蔵の 祠

その先右に 児川地蔵尊

坂を下っていくと左に般若寺九時から開門でまだ開いていない

般若寺

般若寺の楼門(国宝)

般若寺の前の街道を振り返る

 その先右に 石垣と真っ白い白壁が美しい 浄土宗浄福寺

浄福寺の街道を挟んだ向かいに 夕日地蔵

その先、東之阪町で右からの道と合流して南へ

合流して急な坂道を下る

佐保川に架かる佐保川石橋を渡る

佐保川のすぐ先、今在家の交差点より合流した辻を振り返る

今在家交差点から300mほど先の、転害門交差点

交差点の左には 転害門

交差点の右の(西)通りは 佐紀佐保路の起点

天害門を左に見てその先右に 浄国院

その先 焼門前交差点交差点からすぐ左を見ると 祇園社

県庁東交差点への道を進む

右に折れる登り大路町の交差点、左に行けば、東大寺

右に奈良県庁等の合同庁舎、左は興福寺西への広い道

交差点から東への道右に県庁正面

左、興福寺北参道

西に進んでいくと、左に近鉄奈良駅が見える

近鉄奈良駅を振り返る

高天交差点を過ぎると右に 真宗教行寺

次の信号の右参道が続く 日蓮宗蓮長寺

西方寺

油阪の交差点で、関西本線が高架で横切る、交差点を左に行けばJR奈良駅

交差点より奈良駅方面

JRの高架を潜り369号線の広い道を西へ、新大宮交差点で右に入れば、近鉄新大宮駅

やがて、佐保川を渡る

奈良警察署前、奈良市役所のまえを通る

奈良時代の初め(8世紀)、正二位左大臣であった 長屋王の邸宅跡

市役所向かいに、特別史跡平城京左京三条二坊宮跡庭園

イトーヨーカドー前の歩道橋より東の歩いてきた道

歩道橋よりこの先の西の平城京方面の遠望

二条大路の交差点24号線の広い高架を潜ると二条大路南三丁目交差点で右に平城京跡が見えてくる

平城京朱雀大路跡

奈良大和街道は一応ここで終わりとする。ここを起点としてかつては多くの古道が分岐していた。
     木津駅~平城京へ 9時25分 着
         20.380歩  12.22km  538kl
     京都伏見桃山~平城京までトータル
         59.487歩  35.68km  1551kl

奈良大和街道 完歩

奈良大和の補足と宇治路

2013年2月17日
今回は 2011年8月30日歩いた奈良大和街道の補足として歩きました。
自宅4時40分に出て淀屋橋駅から京阪で中書島駅乗り換え観月橋駅へ
      観月橋を 7時20分  スタート
           19.339歩 11.6km 861kl
            11時  完歩

前回は観月橋よりほぼ旧24号線に沿って歩いた。しかし豊臣秀吉の時代以前は、かつては巨大な巨椋池が広がっていた、その池に浮かぶ島、中洲を陸続きとし巨大な堤によって大規模な改修工事が行われた。かつての向島、槇島、蛭子嶋、大八木島、上島などがその名残である。
そして大和街道、宇治路が造られた。前回私が歩いた道は近代に入り造られた道なので、歩きなおすこととした。

 京阪観月橋駅、観月橋北詰

奈良街道を歩いた時の途中地点、宇治川に架かる
観月橋(元の名は豊後橋)よりスタートする

観月橋北詰の 道標 「きやうかいどう やまとかいどう」

橋を渡る、左(東)の宇治川

橋から左後方を見ると、伏見の 向島酒造「ふり袖」の酒蔵が見える

橋の南詰の碑

観月橋南詰の交差点を前回は真っ直ぐ24号線を歩いたが、今回は交差点を右に折れて、山本歯科の横の旧道を入る

南詰は橋詰町、中之町、下之町、中島町と数百m続く。秀吉の改修工事の堤跡で、両側より一段高く、土手の上には時代を感じさせる古風な家並みが続く街筋

橋詰町の街筋に入る

すぐ右に 光明無限薬師尊の祠

左に 

 車も殆ど走らない雰囲気の残る街道前回の24号線と違って旧道情緒満点

 が多い

 が続きます

下之町の 

向島中島町に入り初めての信号

堤防の名残、今は住宅が建ち並びなかなか当時の様子が偲べないが、両側の住宅は一段低い

向島団地となり、地名や校名に本丸町、二の丸小学校などかつての向島城の名が残る。「向かいの島」向島は秀吉の伏見城築城に当たり、代替地として住民に与えたのが始まりという

近鉄京都線向島駅の東側を街道は進む

駅を過ぎてすぐに、西目川に架かる二の丸橋を渡る

二の丸橋から西目川の左

西目川を渡り100mほど先で分岐しているので左の道に入る

 数十mで道が分岐するので右の緩やかな坂を上る、右は、小さな西目川児童公園

右手の道は段々高くなり、かつての堤の上の道で、今も残る貴重な 巨椋堤跡 である。東に半円形になっています

椋の木の老木、かつては椋の榎の並木道であったという、そして、左片側石垣上には西目川の集落の家並みが続く

この辺一帯が 巨椋池干拓地 で秀吉によって改修された
宇治市名木百選 えのきむくのき(並木)推定樹齢250年、高さ19.0m 幹回り3

左に 祠 

提上に並木が続く

右に弓なりに大きく堤は半円を描いている

街道右側は堤跡で段差がある

堤跡も終わり、やがて左からの円の外側を通っていた道が合流してくる

合流して広い新道を進むと、近鉄京都線に突き当たるので近鉄線に沿い左に折れる

300m程進んだところで京滋バイパスの高架の下を潜る

高架を潜ると、南落合橋。かつての巨椋堤の面影は留めなく新道に変っている。線路の右は広大な干拓田が広がる

左側は開発された新興住宅地で、1~12の通りの表示により左への道が延びる

このような道が江戸時代にはまだ干拓田は巨椋池が残り、池に沿って堤が築かれていた。その堤の風情を想像しながら旧道の残骸を歩く

最終の12の通りの角に 祠

すぐ先左にサークルKの角を左に折れる

左に曲がる所から、今来た道を振り返える、江戸時代には巨椋堤と堤沿いの集落以外は巨椋池が広がっていた

左に曲がると、緩やかな上り坂

100mほどの上り切ったところで、右に折れる右に折れる所から振り返る

右に折れると、古い家並みの三軒家集落に入る

左に 

風情の残る三軒家の集落を進む

 更にまた左に 

祠の所で左への道があるが、真っ直ぐ進む

名残り松か街道情緒が伝わる

古い家並みが残る三軒家の街並みが続いています。国道から離れているから、素晴らしい街道が残っている

右に 

24号線を交差横断する。右角に お地蔵さん が並んでいる

旧24号線(現府道)を渡るが、いかにも堤を切りとおしたように通る現府道、往時の巨椋堤の高さが偲ばれる

旧24号線(現府道)を歩道橋で渡るが、南北の府道を見る

交差点にもう一つの小さな お地蔵さん

交差点を渡り少し先から振り返る。府道を挟んで旧道(巨椋堤)が両側から下っているのが分かる。旧国道が堤を切りとおして通したのが分かる

前回はここからは同じ道を歩いたが、もう一度歩く。交差点の先の坂を上る

その先で左に 蛭子嶋神社御旅所

後でここの御旅所の戻り、横の道を進むことになるが。
今回の目的は前回歩いた奈良街道の旧道の道を捜す目的であり、左に曲がらず少しだけ真っ直ぐ進み二又の分岐を、右に折れて前回歩いた奈良街道に出る。  
御旅所の先で道は大きく右へ曲がり、小倉に入る

小倉の集落を進む

小さな橋がありその右に 祠

その先左に、桧皮葺流造の旧小倉村産土神の 巨椋神社 がある

同じ敷地内に 子守神社 神社隣の小倉公民館前には「玉露製茶発祥の碑が立つ」

 神社の街道沿いに 地蔵院

観音寺 が並ぶ

以上で24号線沿いの旧道より、それ以前の道を歩きながら探索しました。まだまだ旧道の情緒が残る素晴らしい古道でした。巨椋神社は前回の奈良街道で歩いているので、この北側の辻まで古道を歩きましたので。大満足です。

旧道の再歩きはここで終りとして、先ほどの御旅所まで戻り、宇治川流域へ、巨椋堤以前の堤である、填島堤の道筋を辿り、観月橋へ戻る。

奈良大和街道と分かれ、御旅所を左に入り坂を下ると小さな橋を渡り東へ奈良大和街道は前述したように巨椋神社の筋を南北に進みました。今は東へ

左からの道と合流してやや道は広くなる

すぐ右に 

少し先左に 蛭子嶋神社

境内に メタセコイア(アケボノスギ)昭和天皇が愛された樹木で、日本列島では約70万年前に絶滅。昭和21年中国で祠の御神木として生きていることが発見され、昭和24年国と皇室が譲り受け全国に植樹。「生きた化石」としても知られる

神社の先に お地蔵さんの祠

振り返ったところ

先を進むと、左から道が合流してくる 槇島町

 合流した左に 光風豊作の石碑

そして少し先で、再び道は分岐するので、左の道に入る

分岐した先はまた雰囲気のある下村の集落右に 常夜灯と石仏五対

常夜灯の角を左に少し入ると 浄土宗妙光寺

妙光寺から暫く東に進むと十字路の辻に出る。右角に  左正面には誓澄寺がある

浄土宗誓澄寺 子授地蔵尊 毘沙門

祠の角を右に行けば宇治橋に進む、宇治路 はこれから進む観月橋への道も含めて言っているので、観月橋に戻るので宇治川の西岸の宇治路を進みます

宇治路
観月橋(豊後橋)~宇治橋まで約50町で、宇治川の西岸の槇島堤を通り、この堤も秀吉時代に築堤された。50町の間に、豊後橋から下島・上島・目川・槇の島の集落があった。現在も地名が残る。上島より対岸の黄檗に渡る渡舟があり、「隠元の渡し」があった。現在隠元橋が架かっている。

誓澄寺の手前の道を左(北)に入る植村集落

左に填島公園、槇島城跡

槇島城跡碑

室町時代から安土桃山時代にかけてあった城で、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠としていた。槇島城が歴史の舞台に登場するのは、元亀四年(1573)織田信長に追われた足利義昭は、真木島昭光のこの城に居を移す。しかし7月18日攻撃を受け、城は開城するとともに、室町幕府はこの地で滅びたこの戦いを槇島合戦と呼んでいる。文禄3年(1594)ごろ廃城となったと思われる。この付近は秀吉の堤の築造や宇治川の改修により景観がすっかり変貌し、槇島城の位置や存在が忘れられようとしている(宇治市の説明より)

槇島城跡を見る

城跡から20mほど先で右におれて東へ

東へ100mほど行ったところで、左の側溝のある細い道を左に入る、真っ直ぐ50mほど進む

左に折れる側溝のところ

その先で少し広いみちの変則四ッ辻にでるので真っ直ぐ進む

50mほど進み、左の道に入る

左の道に入ったところの道

緩やかに右にカーブして北に進む、右近くには宇治川で、往時の 槇の槇島堤の跡

右にカーブした先でまた左に緩やかにカーブする。前方に京滋バイパスの高架が見えてくる

京滋バイパスの高架下に出て潜る

道は住宅が建っていて、往時の面影は全く偲ぶことができないし旧道ではない

高速道は直接潜れないので、左に少し迂回して、右へまわり宇治川の堤防に出る。

宇治川の堤防を暫く歩いて振り返る
豊後橋から宇治橋までかつては宇治川に沿って槇島堤を50町歩いたようだが、今は車が多すぎてゆっくり歩いていられないが、当時はのんびりと旧道の堤上を歩きながら景色を見るのは楽しかっただろうと思う

堤上を観月橋へ向けて坦々と進む

対岸を見る

堤上の道路は車が多く危険なので、下の川原を進む

前方に宇治川に架かる隠元橋が見える辺りから、右に宇治川の流れ、左に堤の一段下に、張り付くように家々が並んでくる。古い民家は、数段の石段が敷かれ玄関に降りる佇まいの見せる時代を感じさせる風情がたまらない。
隠元橋の向こう岸はかつて 岡屋津があったところで、近衛家の岡屋御殿にちなんで御殿浜といった、寛文元年(1661)黄檗山万福寺を隠元僧正が創建するにあたり、用材の陸上げに用いたため「隠元浜」と呼ばれた。その後、隠元渡し舟が名所となった。隠元橋手前は東目川が流れ、渡場町の名が残っている。  
堤上から、三十石船や柴舟の行き交じる風景は何とも長閑な情景であったことだろう

この辺りの堤の左は新しい住宅地となっている

隠元橋が前方に見える

左、堤下の民家、新しく改修されているがかつての 槇島堤 がよくわかる堤の高さが、民家の二階あたりまであり往時の様相がよくわかります

この辺りは上島

隠元橋橋の対岸の東側はかつては隠元浜と呼ばれていた。

隠元橋の先の堤の道

隠元橋の西詰の交差点

堤に張り付くように集落の家並みが続く

車が多いので左の堤下の上島の道を進むもちろん旧道でありません

途中で右の民家の軒につく石段を上り、再び堤に出る

 右に 

堤上から右方向と左方向を見る

又、危険なので下の道に降りる向島鷹場町を真っ直ぐ進む

途中で再び槇島堤に上り堤を歩く、振り返ったところ

長い堤の道だ、左一段低いところに家並みが続く

この辺り伏見区藤ノ木町

また下の道を進む、下の道も結構雰囲気がいいが

下の道を進んだり、上の堤をっ進んだり大変。途中で堤に上り景色を見る

下島に入る下の道

左前方に、向島東中学がみえてきます

民家の軒の石段を上り堤へ

堤沿いに 祠

祠の前を振り逢える、蔵付きの立派な旧家が建つ

宇治川が左(西)に大きくカーブします。対岸の山科川が合流しています。京阪宇治線の桃山南口駅の西600m程の所です
立派な家並みが続いています

と思っていたがまた下の道

少し先右に立派な 

祠の前から下の道を振り返る

続いてまた 

対岸の桃山与五郎町の所で、前述の宇治川の支流山科川が合流している。支流の左の山丘陵に、明治天皇陵皇太后の陵があります

長い堤を歩いてきました同じような景色だが振り返る

やっと前方に、観月橋が見えてきた

下の道に降りて進む

リバーサイドマンションで道は遮れるので、右へ曲がり堤に出る

左に大きくカーブしています

観月橋がまもなく

対岸には、料理旅館月見観、向島酒造「ふり袖」

観月橋(豊後橋)

観月橋の南詰で、スタート時の 奈良大和街道 に合流する

南詰より対岸を見る、かつてはここより、秀吉時代の伏見桃山城 がよく見えたことだろう

観月橋より右、宇治方面

歩いてきた宇治川に沿った宇治路の槇島堤

奈良大和街道の補足と 宇治路 終了


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