室生古道  

   平成23年(2011年)4月12日 1日目


奈良県・近鉄榛原駅近くの初瀬街道との分岐点の辻、途中高井まで伊勢本街道と重なる~高井より仏隆寺経由~室生寺~大野寺

自宅5時50分、車で近鉄橿原神宮駅まで駅前の駐車場に預けて近鉄で榛原駅まで行く。
           榛原駅 7時20分スタート。
           室生口大野駅  17時着
             46.924 歩  28.15km 1.197kl

室生古道は、室生寺へ参拝するための4つの道があり、それぞれ4つの大門があった。大門からいずれも五十町(5.4km)で、すべて峠越えのみちでした。
南の門  仏隆寺=奈良県榛原町赤埴・・・・・・最も古い道
西の門  大野寺(弥勒寺)=奈良県室生
北の門  常勒寺(丈六寺)=三重県名張
東の門  長楽寺=奈良県室生村田口
シャクナゲの咲く5月、全山を紅に染める紅葉の季節は最高に美しいという。今回は4月であったが桜の花がとりわけ綺麗であった。女人高野・室生寺である。古い時代は女人といえども室生寺詣では自分の足で山野を越えていくほかない山深い信仰の道であった。今回は4つの道の内、北の門からの古道は分からないので、南・西・東の古道をきます。

近鉄榛原駅

榛原駅前南口の信号交差点を左に折れます真っ直ぐ100m余り進み信号を更に左に曲がり進むと、信号手前の四つ角を左に曲がると、スタート地点に着く

榛原の伊勢本街道と初瀬街道の分岐の辻で、初瀬街道は左に曲がり、伊勢本街道は真っ直ぐ進む。室生の古道ではないがここからスタートします。

上記写真の右手の旧家は元旅籠で本居宣長も宿泊された。その前の 

伊勢本街道と初瀬街道との分岐辻の角にある、道標

その近くの 伊勢灯籠

伊勢本街道通りにある左り事務局池田家住宅

先ほど右に折れた信号のない交差点を渡り真っ直ぐ進む。宿場の雰囲気のある通りです

右手にある 神社小学生の通学の集合場所のようだ

その先、宇陀川に出ると川向かいに 墨坂神社、右手に見える朱色の橋に迂回する

宇陀川に架かる神社正面への

祓戸の神

神社の鳥居前にある 御神水

街道に戻る、先ほど宇陀川に突き当たったところで左に曲がりすぐ先のこの橋を渡る、橋の向こうが榛原の街

橋を渡り右手に墨坂神社を見る

その先進むと旧道は多分左側の細い道と思われるので入ります

その先100m程で道は無くなり公園のような広場に出ました。右の165号線に出ます。

榛原の街を後に左の川に沿って進む

右手においしい 弘法大師水

その先右にカーブする道沿い右手に綺麗に お地蔵さんが祀られている

地蔵さんの角を右に10m程行くと旧道らしき道がある。見落としやすく私も少し通り越し戻ってきました
右手に入った旧道、民家の裏側の山裾を通る

旧道を抜けてきたところを振り返る。

榛原駅から2.2kmの地点

左手に 自然石の道標だろうかチョット刻まれた字が読めない

静かな山村を進みます。

左に曲がる右手に2本の街道 名残り松か真っ直ぐ伸びている。

松の麓に 山神石が二つ並んでいる

その右手に 真光寺

真光寺の街道を挟んだ向かい側に 地蔵と前に西谷橋と書かれた石碑

この辺りは桧牧の集落振りかえる

その直ぐ先右手に 式内御井神社

 参道

神社境内にはツルマンリョウの自生地(天然記念物)

参道前の道向かいには内牧川が流れホタルが飛びまじ和うという。南無阿弥陀仏と刻まれた石碑

傍に大正7年2日と書かれた大きな石碑、

自明地区に入るところ右手に 道標 「新西国12番はしゃうじ道」と刻まれている。初生寺は真言宗御室派仁和寺の末寺で、千手観音立像を本尊とし、江戸時代には観音巡礼が行われ、この道標は、初生寺への「みちしるべ」として1823年に建てられた。現在この道は、一部で通行が困難となっている。

自明地区

右手に苔むした 自然石の碑

自明バス停の直ぐ先右手の民家の傍に石碑が、山根兵蔵正豊の石碑

その先少し歩くと右手に 弘法大師爪書き不動尊が見えてくる

すぐ隣に 自明不動堂

不動堂の直ぐ先に右手斜めに入る細い道が街道斜めに入る道の傍に、伊勢本街道の 道標がある

斜めに入るところから振り返る

右山裾に入っていく

街道の情緒を感じさせる風景をみながら民家の前庭を通る

前庭を抜け山裾の道に入る

地道であるが街道道として整備しているのだろう

左には車道が沿っています

左側は岸壁で下に国道が見える

歩いてきた道を振りかえる滑り落ちたら大変

左からの車道に合流する

合流して左に大きくカーブすると前方に高井地区の集落が見えてくる

高井地区入り口左斜め道が街道

高井は伊勢本街道の道筋であり、元旅籠屋の面影を残す家が並んでいる。

高井の街筋

大きな民家の傍にある 地蔵さん

高井の街並みのバス停の直ぐ先で街道は左に折れる

バス停の前に「室生山女人高野 完成十二庚申歳」(1800)と刻まれた 道標や石碑が立っている。

左に曲がる辻のところ

その先の分岐を右に進み橋を渡る

矢谷川に架かる頭矢橋

その先右手の民家の傍に 石仏と道標が埋もれるようにある

直ぐ先、伊勢本街道と室生古道の分岐点にある

案内板

右の緩やかな坂を上り林に入っていくのが伊勢本街道で左の道が室生古道。伊勢本街道上り口の右手は元旅籠屋の宮田家

壱丁と書かれた道標が右手に

仏隆寺まで約2km周囲の棚田・段々畑を見ながら杉林の坂を上っていく。

坂を上っていく途中右手に金網越しに 道標だろうかまた左側にも 道標

合流してくるところの案内板

高井から2kmで仏隆寺の参道に着く藁葺きの 地蔵堂が迎えてくれる。その左手に長い約200段の石段があり、その途中に樹齢900年という桜の巨樹が石段を覆うように枝を広げている。階段を登りつめると仏隆寺。ここは室生寺の
南門にあたる。

地蔵堂

階段の途中にある桜の巨樹

階段の途中にある桜の巨樹

仏隆寺の山門 寺は850年に弘法大師の高弟だった堅恵が創建したと伝えられる。

境内に 大和茶発祥伝承地の石碑

十三重塔

境内の即身成仏した 開祖堅恵の廟といわれる石室(重文)西暦859年

玄室の奥には鎌倉時代の 五輪塔が安置されている

隣接した所に仏隆寺の守護神を祀る 白岩神社

境内の山梨の老木、樹齢約450年で長十郎梨の原原木

階段に沿って桜並木が美しい

仏隆寺の門前を少し上ったところの浄土真宗本願寺派高峰山 廣船寺

境内の石仏 釋罵減法師と刻まれている

広船寺から仏隆寺の遠景

仏隆寺の入り口のところにもどる道を挟んで 道標が二つ 「右いせ」 「むろう道」傾いた石

仏隆寺を左高台にみてまた道の両側の道標を後にいよいよ山道の坂を上っていく。暫く人に会うこともなく民家もない山道をひたすら歩く

坂を上ると左から広隆寺の門前から左にきた道に合流し山道に入る室生寺まで5.6km

橋のところの、道標と奥に石碑

石のごろごろした気持ち良い山道を上っていく

途中右手に道標らしい石碑が立っている

整備された杉木立の中を進む枝切等手を加えているので明るく日も当たる 

道が狭くなるいよいよ峠が近いようだ

唐戸峠、役行者の祠と東屋風の休憩所がある3体の石仏錫杖を手にした中央の像が230年程前のものとか。人一人いない寂しい峠。
明治の初めここで追いはぎにあって、身ぐるみをはがれ室生の村まで裸で逃げ帰った人がいたらしい。

峠からの眺めかなり山深く入っている

峠からの下り

峠から下ってくると道幅も広くなり舗装されている

右手にカトラ池が見えてくる

カトラ池を右にみて緩やかな下り道を進む

林道を進んでいくと天王橋に出ます

橋の手前を左にいけばハイキングコースとして竜頭渓谷の景勝地に行けます

竜頭渓谷への道

橋を渡って林道を進みます

天王橋を渡った直ぐ右手に石碑と衣掛けの松とかいた立て看板がある

その先少し坂を下り左にカーブする右側に草ぶきの辻堂が見えてくるお地蔵様が道に背を向けて立っている。
腰折れ地蔵といわれ胴のところから二つに折れている。腰の痛む人の御参りが絶えない。

確かに腰の部分が折れている

地蔵堂を過ぎれば眼下に室生の里が広がる、長閑な山里の風景に心が和む。

里の入り口に来ると目に留まる、桜と旧家の風景が良く似合う

右手の角に灯籠と道標だろうか

更に坂を下っていきます

その先直ぐに人が結構いるので何だろうと思うと、目の前に凄い桜の巨木が満開に咲いている。西光寺のシダレザクラ(城之山桜)樹齢約300年

見事な桜の巨木である一本でこれほど見事な枝ぶり

本堂前の石仏等の 石碑群

しばらく足を止めて見とれてしまった

西光寺からどんどん坂を下りていく

下る途中左手に 石碑群

左側から降りてきて鋭角に曲がる向って右に下りていく

鋭角に曲がる角の立つ、地蔵院の石碑

山一山地蔵院

地蔵院の裏側の道を下ったところの 石碑群

地蔵院を下ったところにあさぎりの里公園があり 

公園の傍のあさぎり橋を渡り更に下る

かなり下った気がするがなかなか室生寺が見えてこないやがて突き当たるので案内表示に沿って左へ

案内表示通り下っていく

民家と民家の間の細い道となる、

四辻となるので左を見ると室生寺の正面に出る。

正面に室生川に架かる朱塗りの太鼓橋を渡ると室生寺の表門右手が老舗旅館の橋本屋

今来た道を振りかえる

太鼓橋の手前にある 女人高野室生寺の石碑女人禁制の高野山にたいして室生寺は女人の参拝を許していたため女人高野といわれた。

太鼓橋より室生川

より室生川

太鼓橋より川に背を向けた旅籠や土産物店

室生寺の表 表門

仁王門

弥勒堂

金堂

本堂

北畠親房の墓

五重塔(国宝)

五重塔と本堂(国宝)

奥の院への道

五重塔から原生林に囲まれた胸突きの長い石段

奥の院の舞台作りの位牌堂

弘法大師42歳の像を安置した御影堂(重文)

七重の石塔

奥の院への途中にある 如意山

境内の桜(乙松桜)と護摩堂 

表門前の太鼓橋

室生寺の見学も終わり、帰りは西の門大野寺への自然歩道と重なった古道を進みます

太鼓橋を渡り交差点を右の街並みの街道を進む

右の室生川に沿って数百m進むと左民家の先で左に曲がる

左に折れ坂を上り橋のところを右に折れます

田畑の間を緩やかに上りながら進みます

石碑を左角に見て左に曲がり少し坂を上る

左に曲がり坂を上ったところから振り返る

この辻をを右に折れる

右に折れると石畳が綺麗に整備されている東海自然歩道と重なり室生の里を離れます

突き当たるので右に折れる東海自然歩道の標示

公園を抜けて門森峠へ上っていきますきます

峠より振りかえる

門森峠

峠の直ぐ先で左からの車道が合流するがそれを横切る

車道を100mほど下った左手に不動明王の案内板

かなり左に下らなければいけないようで上から見るだけにした

元に戻り、先ほどの合流したところで車道を横断すると変わった建物が芸術の森と書かれている。集団の人達が何かしている

芸術の森を左に見て山に進む

するとその先で金網で閉鎖しているので驚いたよく見ると通られる、人は鍵を開けて開閉してくださいとのこと。猪や鹿よけか何だか気味が悪いが進むしか仕方ない

丸木の階段を歩き杉林の中の古道を進む

芸術の森の建物を振りかえるこの先は暫く急な杉林の地道を上っていく

杉は綺麗に枝切りがされていて真っ直ぐ伸びているが辺りは薄暗い、車で来る人が殆どで歩いている人には全く出あわない

この辺りから下りに入る

かなり道が荒れて歩きにくいし道跡が消えています

長い下りの杉林を下っていく

室生寺から1.8㎞歩いたようです

道が分かれていて迷ったが状況より判断して右を進むここに案内標示が欲しい辻

薄暗いスギ林の中を進みます

足元に注意しながらひたすら木に覆われた薄暗い道を下る。ゴロゴロ石が敷かれていてその上に苔がついている石にのれば滑りやすく歩きにくい。鹿は沢山出るが熊は出ないというから安心して気持ちよい古道を独り占めにして満足。道らしく敷石の道

かなり下に降りてきたようだ

右の道から降りてきたところを振りかえる

間もなく古道の出口のようだ

前方が明るくなりました

古道の出口約4km余りの杉林の山道が延々と続いていた車道に出て赤い欄干の橋を左に進みます

古道の出口を振りかえると薄暗いのが良く分かる

車道を進むと新しい橋が見えてきて右に大きくカーブする。新しく室生寺方面への車道が出来ている

旧来の古道は橋の手前を左に川に沿って進んでいたが今は工事中で通行止めとなっている

大野寺方面を見る右にカーブして進みます

車道を右にカーブして進んできたところで右の川沿いの道に降りていく

その左手に大野寺の案内板があります

振りかえったところで右の車道をきたが、従来は前述の通行止めになっていた左の川向かいの林の中の道を来て今工事中の朱色の橋を渡る

宇陀川を右にみて進むと左手に古い民家が食事処になっている

民家の先で大きく左にカーブすると左に大野寺が、またカーブのところ川の対岸には魔崖仏が見える

大野寺 大野寺は681年に役行者によって開かれたといわれる。本堂の弥勒菩薩が本尊で境内には2本の糸シダレザクラの大木があり今は満開で咲き誇りたとえようもなく美しい。

大岸壁に弥勒如来が線彫りされた摩崖仏が目を捉える。約11.5mという巨大な如来像は衣文の流れや螺髪・蓮華座も刻まれた見事なもの。1207年後鳥羽上皇の発願で宋人の石工のてによって彫られた。3年後に上皇も行幸して盛大な開眼供養が行われた。

咲き誇る大野寺の糸シダレザクラ

大野寺の少し先右手にある 道標

駅近くに歩いてくると 道標

南の門から仏隆寺~室生寺を経て。西の門の大野寺までの古道歩きは終わり。でも今日は癒された1日であった。
次は東の門、長楽寺から室生寺へ。
残念ながら北の門の丈六寺からの道は既にないのか資料がないので仕方ない。
17時近鉄室生口大野駅に着く。この後、駅のすぐ近くに住まいの銀行時代の知人に何年ぶりかであって帰る。 
近鉄室生口大野駅から帰宅の途に着く。

平成23年(2011)  4月16日 2日目

  東の門の長楽寺~室生寺

4月16日、室生古道2回目 東の門 長楽寺より室生寺まで歩く。距離は短いので自宅出発が遅くて済むが。車で近くまで行くのに時間がかかる。

前回の榛原よりの369号を走り高井を越えて田口地区の辰巳橋を胎の川に沿って左に入り林の中の道を走ると、高井で室生古道と分岐した伊勢本街道が石割峠を越えてここに出てくる所に交叉する。黒岩口に車を置いてここから室生寺まで歩く。
          8時45分 血原橋スタート
         11時45分 血原橋着
             18.198歩  10.91㎞  470kl

4月16日、室生古道2回目 東の門 長楽寺より室生寺まで歩く。距離は短いので自宅出発が遅くて済むが車で近くまで行くのに時間がかかる。前回の榛原よりの369号を走り高井を越えて田口地区の辰巳橋を胎の川に沿って左に入り林の中の道を走ると、高井で室生古道と分岐した伊勢本街道が石割峠を越えてここに出てくる所に交叉する。黒岩口に車を置いてここから室生寺まで歩く。
尚、この後時間があったので以前、芋峠越えを歩いた時登り口を間違っていたので再度歩くために移動
             12.164歩  7.3㎞

黒岩口

伊勢本街道との分岐まで、300m程道は重複する

左の道が伊勢本街道 御杖村へ進む辻を振りかえる

室生の方向に進む

左の林に入る道が伊勢本街道少し入ってみると昼であるが街道沿いに蛍光灯が灯いている。

その先で胎の川に架かる血原橋を渡る

橋を渡ると直ぐ右手に小さな 

この先の刻適地室生方面を見る

田口地区

田口地区で右の道に入る右手の高台に 長楽寺 かつての室生寺への東の門

長楽寺 今は室生寺とは宗派を異にしている

本堂横に石碑

長楽寺高台より田口地区を見る

右斜めに入った古道を進む

直ぐ先右手に秋葉神社の道標、神社は急な山道を上っていく

急な石段の参道

神社よりの田口集落

街道に戻り集落が突き当たるので左に折れる立派な民家が並ぶ

突き当たりを右に少し上ると 信行寺がある

街道に戻り左に折れ下ると新道に出ます。

新道から下ってきた方向を見る

街道かどうかわからないが、新道を10m程左に折れ直ぐ右に折れて橋を渡り山裾の集落を通ろうとしたが道が新道に迂回していないので途中で引き返す

下田口で左の旧道に入り宮橋を渡る

宮橋を渡り街道は真っ直ぐ集落の中を進む

直ぐ右手に 軍人碑や石仏・石碑が沢山集まっているその直ぐ隣に地蔵尊の祠

20m程先右手に 田口水分神社

境内の杉の巨木

街道に戻る田口小学校分校鯉のぼりが沢山泳いでいる

教安寺と高野山教安寺の石碑

見事に咲き誇っている

街道を進みます

室生川に架かる太古目橋を渡り右からの新道と合流

左の室生川に沿って室生に進む

川向かいの老人ホームを過ぎ右に急カーブする右手に 地蔵祠

その先進むと右手の民家の前に石碑忠義者新畑音吉碑と刻まれている

その先で左に急カーブのところで宇野川に架かる宇野川橋を渡る

街道沿い右手に大木が二本

街道沿い右手に竜穴の案内があります

街道を離れ右の山道を600mほど上っていく

途中右手に2つの巨岩と小さな鳥居祠が祀られている

その先左に鳥居が見えてきた 竜穴

深い渓谷になっています

渓谷の岩に大きながあいて祀られている

街道に戻り先を進む

右手に 室生竜穴神社

本殿前から神社前を見る

奥の薄暗い所に 本殿

神社前の桧の巨木

その傍の自然石の石

神社を過ぎ左手の郵便局を見て橋を渡るとまもなく室生寺

橋を渡り左にカーブすると到着

完歩

室生寺の太鼓橋に到着。向かって大野寺は左側から来る、また仏隆寺からは正面の道、また長楽寺からは右、すべてこの太鼓橋のところで合流している。果たして丈六寺からの道はどこに出てきていたのだろうか。

これで北の門 常勤寺(丈六寺)からの旧道以外終わりました。

                    室生の古道完歩

でもこの道の朝の起点まで再び戻らなければいけないので、実際はこの倍の距離を歩くことになるが交通の便もないので頑張る。
帰り道、車近くの伊勢本街道沿いに大きな旧家が目に入ったので少し寄り道する改めて伊勢本街道を歩いた時に見れるのだが。近くの民家で聞くと昔大庄屋で現在大坂に在住していて週末に帰ってこられるらしい。

確かに大きな家です、管理も大変だろうと思うが出来る限り勝手なお願いだが残してほしい

 

 



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