尼崎街道

2012年4月14日


尼崎市大物駅近くの中国街道分岐~安治川海口路線の九条近く
梅田街道に引き続き大物駅から尼崎街道を歩く。大坂と尼崎を結ぶ最も海側の街道。
この街道は、左門殿川・神崎川・西島川・淀川・正連寺川・六軒屋川・安治川と沢山の大きな
川を渡る。
明治36年の「大阪府誌」には
本街道は大阪市西区川口町における安治川海港路線より分岐して、北区安治川北通り、西野
田上ノ町、四貫島町及び西成郡伝法村、川北村等の諸町村を過ぎ同郡千船村大字佃なる梅田
街道に合して終わる。此の延長一里二十二町四十一間、幅員約1間半を有して全線新開の田
野を貫通し、其の途中中津川、神崎川の派流数多の小川を横断するを以て道路概堤上にして、
朝日・備前・百福・中島・森巣・西島・城島等の諸橋あり線路は都へて平夷なれども堤塘の
迂回せる所、道路・亦・屈曲し、其の前後は多少の阪路たるを免れず。
      27.260歩  16.35km  
15時40分に完歩

大物駅を通る中国街道と分岐して暫くは、大和田街道(梅田街道)と重複しながら歩く

尼崎街道は大和田街道と同じく駅前の横断歩道を渡り正面の細い道を進む。そして、左の大物川を埋め立てた緑地帯を左に沿って進む。(大和田街道参照)。今回は広い道を300mほど真っ直ぐ進み、阪神高速3号神戸線の高架・国道43号線にでて左に折れるコースをとる。 

広い道を100mほど進んだ右手にある 大物主神社

大物川緑地帯を渡る。大物橋北詰交差点の左には、元、川だった時の 大物橋跡の碑

 真っ直ぐ進んだところ東本町交差点で阪神高速に出るので潜らず手前で左に折れる

国道43号線を渡る歩道橋から、これから進む43号線を見る

左に折れたところから見る

東本町交差点の手前の筋の左に 

東本町交差点を左に折れ100mほど進むと国道の左一段下がり側道の道を進む。左民家を背に 祠

大和田街道・梅田街道を歩いた時に見た(旧尼崎紡績本社事務所)ユニチカ記念館

左門殿川に架かる辰巳橋を渡る。
大和田街道・梅田街道は橋を渡り川沿いに左に折れ進むが。
尼崎街道はここで前述の街道と別れ、右に折れ川沿いに進む

広い道路と車が多く、横断歩道がなく危険で渡れない。おそらく人が横断する道路と考えていないだろう。やむなく真っ直ぐ坂を下り、200mほど先の佃6丁目交差点を右に渡り、左門殿川の所に戻るしかない。

川沿いに出るのがまた工場敷地内等でまたややこしい。前述の信号を渡り、高速・国道を右に沿って、国道の左を進み、一筋目を左に折れ、すぐまた次の交差点で右に折れ堤防道に上がる

堤防に上がり川に突き当たるので左に折れる

堤防道から大和田街道・梅田街道方向の道

尼崎街道のここは佃島、民家はこの辺りは一軒もなく、砕石工場や大手会社の工場ばかりで、大型トラックばかり。旧道の面影なんかまったくない

佃島は、上流で神崎川は分かれ、北側に左門殿川、南側に神崎川に分かれ中洲をつくり、そして写真の先で左門殿川と神崎川が合流し、中島川となり大阪湾に流れている。この島を佃島と地名がなっている

この先まで行って、左にVカーブするのだが、工場ないで通行できないので少し引き返し、途中から南への道があるのでそちらを通る

途中から南に入った道、その先で神崎川の堤防に突き当たるので左に折れる

 突当りから右を見た、佃島の西の端の川の合流付近

右に神崎川に沿って東に進むと、先ほどの辰巳橋から来ている高速道路に出る。そこを右に折れ国道43号線の神崎川に架かる中島大橋を渡る

中島大橋を進む。高速は左にカーブしていく

中島大橋からの神崎川の対岸の遠望

上流(東) 

河口(西)

中島大橋を渡ったところの中島大橋信号交差点を神崎川を右に見て50mほど進み、信号の所を左に折れたところにあるのが 五社神社

五社神社の御由緒
元禄元年新田開発の時、五社五柱の大神達を歓請、明治42年6月村社に列格、文化文政の頃、津田常則神官あり、此の人「此の世に住める人の病むくさは悉に教ひ治むべし」との神勅を蒙り疫病削除に霊顕あらたかにして、誰ゆうとなく当社のことを城島のくさ神様と呼ばれ近郷から祈願に参拝する者の跡が絶えなかった。

神社を少し南に行くと。神崎川の堤防に突き当たるので左に神崎川に沿って南東(河口)に進む

この神崎川の堤防は先ほどの、中島大橋を渡り右に折れ、右に神崎川を見て少し進んだが、その先は左門殿川と合流して中島川となるが。
中島大橋の少し上流で神崎川が分流して、上流から見て、右が中島大橋、左へ分流する神崎川に架かる橋が出来島大橋となる。この川は神崎川の分流で出来島大橋から来たものである。(文章で書くとややこしい)

堤防右手下の、中島1丁目の公園内の満開の桜が綺麗

左に神崎川、今来た道を振り返る

神崎川を左に沿って進む前方の橋を渡る

中島1丁目17、右の所に石碑があるがよく読めない

その北側に 了願寺

右に 

中島1丁目18 お寺の西側にも 

中島から神崎川に架かる城島橋を渡り、対岸の西島へ入る、橋を渡り真っ直ぐ進みたいが中山鋼業の大きな工場で道はなくなっているので、北東へ(左に神崎川・右に中山鋼業)進み、300m程先の三角州の先端で、大きく右にUターン、神崎川から分かれた西島川を左に、右に中山鋼業みて進む。

三角州の先端するひだっりにあ左にある 

300m程先で左の西島川に架かるを西島橋で渡るが、少し行ったところにある、
西島住吉神社

1698年九条村の池山新兵衛が420両を納めて開拓し、佃・大和田の対岸より西にあるところから西島と名付けられた。開発のおり、この地の守護神として住吉四柱大神を観請した。この辺りはかつては美しい川辺で遊んだり、村の人たちの畑仕事や洗濯をしたり、のぞかな田園風景がみられた反面。水禍をまともに受ける土地でもあり村人達から崇拝が高かった。しかし今ではそのような情景は想像することもできない風景である。

旧道は西島橋を渡らず、更に西島川にそって南へ進み、合同製鉄まで行って、淀川に突当りの両島橋を渡り、百鳥地区に出るのが正当かもわからないが、神社の近くの西島橋を渡るよくわからないので

西島橋を渡り国道10号線を潜る。

その先、左に大野下水処理場を見ながら進む

広い国道43号線の二筋手前を斜め右に折れる

そして100mほどで国道43号線に出るが、国道に入らず手前の大野川埋め立て緑地帯を右斜めに緑地道路に沿って南に進む

 桜が満開で非常に綺麗

200mほど進んで少し左にはいいたところにある、

住吉神社

当社は江戸時代の1644年新田開発がおこなわれ、1656年航海の安全と豊魚を願い住吉大神を観請した。住吉大神は海の神として、あらゆる産業を守護する神として信仰されている

神社の先で、左角にある西福町公園で、右斜めにおれると淀川の堤防に突き当たる。このまま進めばいいのだが
やはり先ほど渡った西島橋のところで両島橋までいかなかったのが気になり、淀川を左に沿って両島橋まで行くことにする

淀川の堤防を西島へ西に向かって堤防を進む

中島大水路から続く大野川が新淀川の開削で作られ、ここが出口となった

西島関門(水門)

西島からの河口を見る

関門より今歩いてきた堤防を振り返る

関門より、両島橋を見る、この上流が西島川に架かる西島橋

堤防から両島橋への道

ここで終わり、元に戻る堤防途中で分岐があり、前述の大野緑地道を左に進み堤防より左斜めに進みます、国道43号線と大野交差点のところまで戻り
西淀川福局郵便局の先すぐ右に折れる

右に折れたところの道筋左手に小学校がありま

振り返って右の道を来た。前述に見学した住吉神社

この辺り旧道が通っていたが解らないが雰囲気がある

福町2丁目

左に西福町公園の所を右斜めへ

右斜めに150m程進むと突当りが淀川

淀川に付き当たったところが昔は、福村から渡しで伝法の対岸に渡っていた福村と伝法を結ぶ渡し跡

堤防を左に少し進む

淀川に架かる伝法大橋・新伝法大橋を渡る、国道43号線 橋の長さは700m程ある

伝法大橋北詰の交差点を振り返ると、正面左より堤防を進んできたところ

大橋と並行している線は、阪神なんば線

大橋から右の河口を見る

橋の南詰の信号を右に堤防に降りる

50mほど堤防を西に行くと、左下に旧道の街筋が見える。渡し跡の延長。 堤防を下に降りて街道を進む

堤防を降りる所から、淀川の河口(西)の遠望遠くに見える橋は、湾岸線

旧道は突き当たるので右に折れる
右に折れるが少し左に行くと、地蔵の石碑やタヌキの彫刻

旧道沿いに 浄土真宗安楽寺

堤防からの細い旧道を振り返る

突当りから左、東を見る、左に安楽寺

右に折れすぐ右手に旧家

旧家の先すぐ先で左折れする、その右側に 浄土宗西念寺

645年インドの法道上人が渡来して、草庵を結んだ跡と伝えられている。
1560年唯念上人が草創。観音霊場として広く西国に知れている。元は広大な領域を有していたと伝わる

西念寺の門前の 
大坂道の道標「右 てんま  左 あまがさき」横面に 尼崎本街道
またこの門前には元、伝法川に架かる備前橋があった。

境内に とげぬき地蔵

その横に、白龍大明神と地主大神(伝法観音と水神)

境内にある お地蔵さん

お寺の道沿いにある 

西念寺の北西の隣にある 庚申堂
1658年に建立、元、愛宕神社内であったが、明治42年愛宕神社が別に合祀され庚申堂が残った

 西念寺の角を左に曲がり南に進む

旧道沿いに 伝法官寺聖跡・伝法小学校(旧西念寺寺小屋)開校の地の碑

広い道路に出るので、信号を渡り少し右に進み左の道に折れる

左に曲がり100mほど行ったところの信号交差点で迷った、左へ曲がるのが正しいのか、真っ直ぐが正しいのか、真っ直ぐ行くことにする。

交差点手前を少し左に曲がったところ左手にある 正蓮寺

1625年、甲賀谷又左エ門(正蓮日宝禅定門)が日蓮大聖人の海中にて衆生済度せられた功徳を継承するため小庵を建立したのがはじまりといわれている。大阪25カ寺に数えられた。重なる震災により、今は明治7年の本堂のみとなる。毎年8月26日行われる「川施餓鬼」は1721年から始まった行事で、日本三大施餓鬼の一つとして江戸時代から有名。

門前にある、尼崎街道の 二基の道標 「左 大坂道」

交差点に戻り、正蓮寺川に架かる恩貫島橋を渡る

正面に 春日出商店街

商店街手前に 地蔵

やはりこの道は旧道でないような気がするので、先ほどの迷った交差点に戻り、左へ進む。左伝法大橋からの国道43号線の高架を潜り真っ直ぐ進む。やがて突き当たるのでそこを右に折れる。

突当りを左に曲がる左手角にに 鴉宮神社

此花区に残る最も古い伝記として、順徳天皇の御代1215年、村と港の繁栄を祈念し、伝法村の中心に傳母頭神社として鎮座されたのがはじまり。1592年、豊臣秀吉が出兵の際、瀬戸内より日本海への安全を祈願したところ、神告どおり海路平安、また三本足の霊鳥「八咫烏」が軍船の前後を飛んで船を守ったと言われています。これに感激した秀吉が、帰国後、神社名を「鴉宮」と改めこの地に遷宮したと伝えられている。

その先で、正蓮寺川に架かる森巣橋を渡る1863年備前藩によって架けられた。近くの鴉宮の元の名前の傳母頭(もりす)神社のもりすの名を保存するために名付けられたと伝わる。

森巣橋を渡り、四貫島商店街に入る

 商店街を阪神なんば線が高架で横断、左が千鳥橋駅

左に四貫島商店街が続く立派な商店街

商店街を抜けると、千鳥橋駅前交差点

交差点を東に進む右手に 高野山真言宗観音寺  

お寺の東側に 白砂大神と銀杏の大木

すぐ先で、六軒屋川に架かる朝日橋を渡る

朝日橋を渡りすぐの道を左に行こうか、高架下まで行くか迷って、結局、橋を渡り真っ直ぐ行くことにくか

少し真っ直ぐ行ったところで、ライフの前の、西九条交差点を斜め左に進む。そしてすぐの、阪神線の高架を潜った

更に100mほどで、JRゆめ咲線の高架を潜る

高架を潜ってすぐ右の道に入る

右に入ったところの道筋

曲がってすぐ 西九条神社

神社の先の真っ直ぐな南への道を進む

 西九条1丁目の細い道を進んでいくと、やがて、安治川に突き当たる

安治川
昔はここに 渡しがあり、対岸の 安治川海口路線 に合流して、尼崎街道は終点(起点)

安治川の西 

旧道の道順は大分迷ったので一部間違っていると思います

尼崎街道 完歩

引き続き御堂筋へ移動して歩きます

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA