2012年6月23日
八幡市の東高野街道沿いの荒坂嶺道分岐点~交野市私部の東高野街道分岐まで
荒坂嶺道に引き続き山根街道を歩く。
12時10分 スタート
私部の東高野街道合流点 17時20分 完歩
26.057歩 15.63km 1639kl
山根街道も旧街道の面影は残していないが、唯一私市1丁目あたりには旧家が残り街道風情が残る。また、旧代官屋敷は豪壮で見事な建物である。
1日トータル荒坂道嶺・山根街道
55.637歩 33.37km 2451kl
東高野街道が京阪本線の八幡駅の石清水八幡宮を起点として川沿いに南下してきて、左の稲荷大明神の所で、左からの荒坂嶺道が合流する辻を山根街道の起点とした(実際はもう少し先の東高野街道と分岐するところが起点であるが)。
荒坂嶺道が東高野街道に合流する辻を 山根街道の起点 とする

東高野街道と重複しながら暫く南へ進む

左に 松花堂庭園・美術館別館の前が分岐しているので右に入る

左角に水月庵の 道標

すぐ右に石段があり上っていくと 八角堂

鎌倉時代1213~1219、前善法寺検校佑清が男山の西谷に建立、一光千仏丈六阿弥陀を安置したことに始まる。後に大破して慶長十二年(1607)豊臣秀頼が小出吉政を奉行に再建した。建物の形状は正八角形ではなき、四角の四隅を切り取った、隅切り八角形で珍しい。古代中世に遡る石清水八幡宮寺固有の特殊な伝統を具現した唯一の建物として注目されている。
八幡神の本地仏である本尊阿弥陀如来坐像(重文)は五m近い巨大な像である。明治維新の神仏分離に際し、西法寺住職志水円同に迎えられ本尊共に現在の西軍塚古墳後円 部上に移された。(八幡市教委)
八角堂


境内の 道標 「大峯山九十度供養尊・すく八幡宮」

道が分岐する右の塀際に 道標


左の旧道を進み交差点を横断する。右に墓地を見ながら進む

墓の入り口に建つ 塚と道標 「正平塚吾妻奥五郎墓万稱山兼道標」


道標

墓地入り口右 道標「万稱寺跡 右…左…」

墓地入り口左 道標 「沖・・岩右衛門塚」


先ほど分岐した道が左から合流する

合流した道を少し戻ると東側に 松花堂庭園

一部中を覗き見る

その先の東高野街道と重複している道


ここで 東高野街道 が右に分岐する、正式にはこの辻が 山根街道の起点

右(西)に分岐した東高野街道の道

右に竹藪、緩やかな坂を上っていく


京阪国道1号線の八幡南山交差点に出るが、交通量が多く横断歩道もないので、国道を地下道で潜る

国道を越えた先の八幡市美濃山幸水の町並みを真っ直ぐ進む

東二子塚古墳
右に願生寺があるところの、左への道を少し入ると、東二子塚古墳がある。円墳で古墳時代中期末(五世紀後半)に築造されたと思われる。本市では約1㎞南東にある美濃山古墳に続く古墳である。


街道に戻り南へ進むと、山手幹線の摂南大前交差点を横断

摂南大への坂道を上ると枚方市に入る、かつては峠道であった

長尾峠町をぬけながら坂を下る

左に、菅原天満宮の案内があるので寄ってみる

菅原天満宮



広い道の長尾家具町五丁目南交差点に出るので、やや左への739号線の車道でなく、ほぼ並行している、右側の道を進む

右への道を入っていくところ


やがて道が消失するので、左に折れて735号線に合流する

合流したところ

家具屋が立ち並ぶ町筋を進む

右、北條製餡所本社工場の前で少しだけ右の道を入るが、すぐ元に合流する


家具団地を抜けると、船橋川に架かる橋を渡る。橋を渡ると右手に、長尾小・長尾中が見える


広い道の交差点を横断する

長尾元町の町中を進む、この少し先で 荒坂嶺道 が左から合流してきて暫く重複して歩くが、撮れていない
合流地点荒坂嶺道に載っています

長尾の街筋を進む、分岐しているが真っ直ぐの道を進む

右に長尾公民館を見て南に街道風情のある街筋を、車も通らないし気持ちよく歩ける

やがて信号のない四辻に出る、荒坂嶺道を歩いた時の辻で、少し重複してきた 荒坂嶺道 が右に分岐する

分岐した 荒坂嶺道の町並

真直ぐ進んだ先で菅原交差点

交差点左に 浄土真宗本願寺派勝圓寺

少し進んだところで右に、菅原小がある

かつてこの三本の石柱は、菅原小学校が開校した明治四十年三月一日から、正門改修工事が行われた平成十七年七月までの九十九年間、正門に使用され皆さんに愛されていたもので、正門前に埋めている正方形の石のところに建っていたものです。永年にわたり地域に親しまれてきた正門の象徴として、末永く学校と地域がともに栄え発展して行くことを願い、菅原小学校創立百周年記念を機会に、ここに移し後世に伝えます。(枚方市)


左少しの所に片町線が並行して走っている。線路の東側には王仁公園。藤阪元町3を進んでいく

左に 道標と秋葉山の石燈籠 がある

秋葉山石灯籠・道標
「北 八わた一り半 京五り 宇治二り半」「西 ひら方五十丁 高つき二り半」「南 のざき三り 大坂六り 高野二十り」「東 なら五り 施主……」
この道標は 藤阪街道 との辻に建つ

道標と石灯籠の東側の線路を越えたところに建つ 菅原神社参道は線路で分断されている藤阪元町1丁目辺り

街道に戻りすぐ先で左の道に入る、線路を高架下で潜り右におれる。736号線を真っ直ぐ進めば学研都市線の藤阪駅へ


右に線路を見て右に折れた道を南に進み、右に藤崎駅の所で左に緩やかにカーブして線路を離れる

ここで少し左に入っていけば 旧田中家鋳物民族資料館がある
敷地内には、弥生時代の復元竪穴式住居がある。また長尾西遺跡の竪穴式住居跡

竪穴式住居

旧田中家建物




街道に戻り小さな橋を渡り交差点を横断する

右に学研都市線(旧片町線)の藤阪駅

穂谷川に架かるとみつ橋をわたる

橋より左(東)を見る、右一帯の森の先は大きな惣喜池

右の枚方津田高校を見て進むと、307号線の道路を横断する

横断してすぐ先で左から鋭角に合流してくる道がある 田辺街道 で暫く重複して進む

合流する辻を振り返ると、向かって左から山根街道を進んできた。右の道が田辺街道。

その先右に 灯籠と道標 読めない


津田街道 と十字路の辻で交差する

十字路を越えた右に 春日神社





春日神社の前付近を振り返る

ここで重複してきた 田辺街道は右へ進む。山根街道と分かれる、

分岐する左の角に 道標 「右 ひらかた 左 のざき大坂道」

右に進む田辺街道の道

街道は南へ進む

左に 浄土真宗本願寺派仲陽山尊光寺

当寺は、阿弥陀如来を本尊とする。開基は、長禄年間(1457~1460)以前、第一世浄光法師が建てた一念仏庵に始まり、第三世法祐法師のとき畠田道場と呼ばれ、当地の一向宗の道場となった。法祐法師は、領主津田正明の弟正則で、津田氏は本願寺との結びつきが強く、山崎合戦で明智方についたため、秀吉により津田城本丸城と共に焼き払われた。文禄四年(1595)第四世宗祐法師が道場を現在地に再興した。寛永十五年(1638)尊光寺の寺号をうけ、承応二年(1653)本尊木仏の裏書を受ける。ときの住職は、第六世教祐法師であった。現本堂は文化五年(1808)第十世恵翁法師によって再建、鐘楼も文化年間の建立と思われる。

尊光寺のすぐ南東に位置する 真宗大谷派正応寺

街道を南に左に津田保育園を見ながら、津田元町を進む

街道は突当り、右斜めに進み学研都市線の踏切を渡る


踏切を渡り、すぐのところの突き当たり道を左に線路と平行して進む

左に折れる所の左角に大きな 津田の素麺業と山下政太の碑
津田における素麺業の起源は定かでないが、十八世紀後半にはすでに始まっていた。このころ津田素麺業の中心となったのは山下政右衛門で、十九世紀に入ると、素麺生産者は株仲間を作って組織的に生産し、主として京都に卸すようになりました。
ところが、明治時代になり商品経済が活発になると、小量しか生産していなかった津田素麺は、その先行きが危ぶまれるようになり、そこで山下政右衛門の子孫にあたる政太は、安価な原材料を確保するため、私財をなげうって小麦を挽く水車設備を調え、素麺生産組合の設立に尽力し、素麺業の発展に貢献しました。晩年、政太は自らを「素ノ小児」(素麺の子・素朴な子)と呼び、素麺業の発展に一心であった自身の半生を振り返っています。
この碑は、政太が没して七年後の大正三年に、津田区費と七十七名からの寄付金で建立されました。政太が多くの人に慕われていたことを偲ばせます。(津田区)
津田区内の町並みを暫く進む、右にセブンイレブン

すぐ先右に お地蔵の祠

左にJR津田駅

警察学校前交差点の越えた左に関西スーパー、その角に 「かご池跡と石つき唄」 の石碑 があったが見落とした

池を右にして、倉治桜堤交差点を過ぎる

その先左に万代があり、その前を右に入ると今も綺麗な水が流れる 洗い場跡

その北側に 融通念佛宗光明院

光明院の東側に 浄土真宗本願寺派善通寺

街道に戻り少し進み倉治交差点を左に入っていくと 機物神社


大きな木で薄暗い参道を進みます


長い参道


倉治交差点に戻り更に少し旧道を進むと、一つ目の信号交差点を右斜めに入る

左にGSを見て七号線の大仏町交差点を横断する

交野倉治局を左に倉治3を進む

倉治交番前交差点を越える

左にJA北河内交野を見て、小さな橋を渡る

その先で旧道が分岐するので左の道を進む

左にフードセンターアリケンを見て進む

すぐ先左に 山野酒造「片野桜」

片野酒造の前の街道を振り返る


街道風情がいい

すぐ先の交差点で少し⦅寄り道⦆をする、交差点を右に折れ暫く進む

少し入ったところに三つのお寺が並ぶ
西山浄土宗想善寺


禅宗長壽山光通寺


浄土真宗本願寺派無量光寺


境内の大木

この辺り一角には古い豪壮な民家が建つ

中でも私部1-25-5に建つ 北田家住宅(国重要文化財)
主屋は、宝永から享保年間(1708~1734)、長屋門は天保14年(1843)に建てられたもので、長さ55.9mあり民家では日本一の長さ。代官屋敷といわれている、広大で豪壮、住んでいるようで見学できない



とても大きすぎて写真には全容が撮れない


街道筋左に 大峯山五十度供養の道標「左 京 よど あたご やわた 伏見 う治 すぐ いせ いか なら」

札の辻橋


街道左に少し入ると

住吉神社


旧道の面影を残しいい気な建物が残る街道


飽きることのない旧道を暫く堪能する


交野武道館を左に見て

京阪交野線の手前左に 福徳稲荷跡


京阪交野線の踏切を渡り、砂子板に入る右に進むと交野駅

その先道路の高架下を潜る

左からの道と合流し広い道の砂子板交差点にでて左に折れて砂子橋を渡る

交差点手前の歩道橋より今きた街道方面を見る

砂子橋交差点を左折する。正面から 磐船街道 が南に進んできて、山根街道と合流し砂子橋を重複して渡る

砂子橋とその手前袂に立つ 道標
「右 岩船街道 大和道 左 私部 倉治 津田道」 「左 岩船街道 枚方道」

そのすぐ先の天野川に架かる逢合橋を渡るが、その手前右に 妙宗寺

逢合橋を渡る手前で、左への道と分岐する。左へ磐船街道が分岐していく、山根街道は真っ直ぐ進む

逢合橋からの南北の天野川を見る。ここには七夕伝説が残る
橋より南側、正面第二京阪道路

堤防には大木の並木が出来た遊歩道


橋を渡り逢合橋西詰交差点手前を右に折れる


すぐまた細い道を左に曲がる


コンビニデイリーの北側を通る道

私部西4交差点の広い道路に出る。広い道路で 東高野街道 に合流し、山根街道が起点 となる

東高野街道が南北に走る


ここで逢合橋を渡った堤の所に有った、歌碑を忘れていたので再度帰り際に立ち寄る
逢合橋の七夕万葉歌碑



山根街道 完歩
荒坂峰道・山根街道の二つの街道を完歩する
交野市駅より帰宅



コメント