2012年2月17日
神戸高速西代駅~須磨区那須与一墓~白川台~布施畑JCT・IC~伊川谷町小寺~明石市入丸前駅に南で山陽道と合流
自宅4時30分に出て南海林間駅へ5時12分で難波へ、阪神梅田駅から神戸高速西代駅まで、7時25分スタート。入丸駅近くの山陽道にて完歩。この街道も山陽道から山陽道に迂回していると共に、幻の山陽道の付け替え道である徳川道と途中で合流
38.129歩 22.87km 1727kl
旧道らしい面影のない街道で、新しい住宅地や高速道路が交差する街道になっていた。
途中の坂道のところで足がつまずき思い切り前かがみに蛙のように倒れて、両手指4本か ら血が流れた。大通りでなく車や人もいなく恥ずかしいおもいをしなくて済んだ。近くのコンビニを捜しリバテープを買って手当をすしました。
山陽電鉄本線西代駅

国道2号を少し西に進み、二つ目に信号で三叉路に分岐するので、一番右側の道を入る

右に折れた北西への道筋

その先で左にカーブする左角に 道標 大きい方「右高取神社本道 是ヨリ十八丁」小さい方の 道標「右 大円寺」

道標の辻で街道が分岐、左へ進む

すぐ先右に大きな 献灯


街道右に 真言宗 常福寺

お寺の前の道を西に進む山下町3

五位ノ池町3の信号交差点を左のせまい道を進む


道は狭く車が多いので注意が必要

左の真っ直ぐな道 須磨区養老町1丁目6

住宅は新しく建て替えられ街道の雰囲気はない 神撫町2丁目2

神昌寺町2丁目2

右手に 地蔵さん

右に少し上っていくと 臨済宗南禅寺派神無山 禅昌寺


左の川、妙法寺川に沿って進むとこの辺りの街道は情緒がある

妙法寺川に架かる行者橋を渡ります

自動車道に合流するので暫くこの道を進むことになります。正面に阪神高速神戸山手線が見えてきます

阪神高速道路の高架下を潜ります

高架を潜るとすぐ右に 萩の寺黄檗宗 明光寺

お寺への上り口に、千人塚と小さな祠

石段を上ると 本堂、途途中沢山の 祠


北側の隣には 北向八幡宮



那須与一を祀る 那須神社

神戸の笠塔婆
約700年前の仏の柱で、おじいさんやおばさんが子供の頃「いぼ薬師さん」とも云われいました。

街道に戻ると、道路沿い右に お地蔵さん

向かいの道路沿い左、 宗照院の軒に沢山の お地蔵さん


道路を挟んだ向かい側の高台に 那須与一の墓

那須与一は源平合戦に際し、北向八幡神社を守護神として、源義経に従い数々の戦陣に加わったとされ、屋島の合戦で扇の的を射落とし賞賛を得た若武者。晩年に与一はこの地へお礼参りに訪れますが、病のため此処で亡くなったと伝えられます。この墓にお参りすると、年老いてもシモの世話にならないとの言い伝えがあります。

網でお堂の中のお墓がわかりにくい

街道に戻り先を進むと、右に妙法寺小学校があり道を挟んだ左に 祠

隣に毘沙門天妙法寺の 道標

道標の前の街道を北に進むと右の妙法寺小学校

その前、少し左に入ると、妙法寺 秘仏本尊を祀る 毘沙門天(国宝)


川に沿って緩やかな坂を上ります

筆前地区乗越交差点で道が分岐しているが右の坂を左の川に沿って上る。

道なりに暫く坂を上っていくと左前方には高架が見えてきます

その先、左からの広い道がT字路の形で突き当たる、信号の広畑橋南交差点に出るので真っ直ぐ進みます。
さらに100m弱の信号交差点で道が分岐、川を右に見て左側の道を進みます。
300m近く右に川を見ながら北上し、右の川が分岐する左側の川を渡り、分岐した右の川は右に遠ざかります。
すぐの信号を越えて広い道を竹ノ下・霜ノ下地区を上っていきます。
また左からの広い道と合流する信号交差点に出るので広い道を北上します。
この辺りは新しく開発が進んでいて旧道が分かりません。後で道路地図を見たところ、この広い道の左に旧道のような道が乗っていますが後の祭りです。でもその道が旧道かどうかも分かりませんので広い道を進むしかありませんでした。
その道は前述の左からの広い道と合流したすぐ先に左に入る斜めのみちがありました、かなり下に下っていく道で地図には口道谷と書かれているので旧道のような気がしますが残念。とにかく真っ直ぐ進んでいくと、左にセブンイレブンがありその北側を山陽新幹線がトンネルを抜けて西に走っています。左には高速道路の白川南ICが見えます


セブンイレブンの前を通り進んでいくと、高架道路の下の車交差点を越え左に道はカーブしていきます。
右にガーデンコート車・左につるやゴルフをみてS字道を、仏坂・上仏坂 を進みます。
車交差点

仏坂の途中右に お地蔵さん が多数祀られている


仏坂が終わるころの地下を白川南ICからの阪神高速神戸山手線がトンネルで抜けています。
すぐ先に白川台交差点にでます

左にシェルGSをみて真っ直ぐ進みます。右カーブ左にカーブしながら神戸山手線の地下の白川トンネルの上を進みます

白川トンネルが北の端で抜ける所の上にでます。ここで道は左に曲がります
この辺りがかつての街道の 白川峠 だったところで、白川峠茶屋があったそうです。

左にカーブして坂を下ります

ひだりT字路の交差点、右から 幻の徳川道 が合流してきます
徳川道がこの信号交差点の少し手前の右に出てきています。徳川道の起点です。⦅徳川道参照してください⦆


次の信号で左からの道と合流します。右を進みます
信号のすぐ先で左への細い道、左の川に沿って右に弓なりに進み、一旦16号線に合流しますが、更に左に弓なりに離れ、再度16号線に合流します

2回目の弓なりカーブで16号線に合流する交差点
200m弱進んだところで今度は右のGSのある分岐する道に入る。

右の道を進むと布施畑信号交差点に出て横断します

横断した先で、阪神高速北神戸線の高架を潜ります

高架を過ぎると、左の川に沿って南西に暫く進みます

伊川谷町の布施畑のバス停の分岐で旧道は右に入ります

角に大きな 道標 「瑞雲山地蔵尊」と刻まれています

神戸市西区井川谷町布施畑地区

右手高台に 臨済宗南禅寺派 妙楽寺

お寺の前に 石仏が祀られている

参道入り口に 道標

その先で左から道が合流してきます

その先右に 石仏・五輪塔 が並ぶ 南無役行者大菩薩


神戸淡路鳴門道路の高架を潜ります

左には布施畑ICが見えます。右手奥に大山寺トンネルが見えます

すぐ先で左からの阪神高速北神戸線の高架を潜ります

更にすぐ先、太山寺隧道で入口手前を左の道に入ります

左の川に沿って静かな旧道を進みます

道は広いのですが今は全く人影もなく静かな伊川のせせらぎの音だけで少し薄気味が悪い。川側には柵があるのでハイキングに来るのだろうと思っていたが、旧道が残っているのだ素晴らしい

右に 磨崖不動明王という説明板 が出てきました
太山寺磨崖不動明王・鎌倉時代後期(1278~1288)兵庫県下最古の磨崖仏で、太山寺の東側を流れる伊川の上流約300m左岸の渓谷の中にあります。
対岸の旧道から見る花崗岩の岩面は伊川に迫る。その高さ6m、幅4mの平坦になった部分の岩に上下236m、左右135cmの舟形の彫り窪みが作られている、その中に像の高さ175cmの厚肉彫りの不動明王立像が立つ。
凄い渓谷だ、覗いてみるが恐ろしい。
残念ながら後で資料見て分かったのでどの岩に彫られているかよくわからなかった。下に降りたらいいかもでも一人では何か薄気味悪い



旧道を振り返る、短い区間だが大満足、旧道を進み右にカーブすると石仏が並ぶ

道標 「従是西国丗三□霊□」

旧道跡らしい石仏、でももう人は通らないのだろう


旧道の出入り口に車両通行止めの柵がされています。車で入ると危険だ。300m程であったが素晴らしかった

景色が一変に変わります

その先で先ほどの太山寺隧道を抜けて来た16号線が右から合流してきますので左に折れる

左に折れたすぐ先で左の山裾にはいると名刹天台宗太山寺があります。
白川街道も太山寺道もこお大山寺への巡礼道であったようです
天台宗 太山寺 中門

本堂(国宝) 鎌倉時代、
神戸市内唯一の国宝の建造物、1285年2月火災で焼失したが1300年ごろに再建された。本尊の薬師如来を安置する簡素で力強い古い建築様式を伝えている。
霊亀2年(716)建立と伝わる。建武中興(1334)頃には寺運は栄え、一大法城として支院41ヶ坊、末寺8ヶ寺・末社6ヶ社を持ち僧兵も養っていたが、戦火等々により縮小はしたものの、今も1300年の法灯を守り続けているという。


阿弥陀堂 貞享五年(1688)再建

蔵

鐘楼

三重塔(県指定文化財) 貞享五年(1688)の建立

太子堂

羅漢堂 江戸時代後期の建立

お寺東北の太山寺川に架かる閼伽井橋を渡ると 稲荷舎・地蔵堂 があります。沢山の石造り物が並んでいます。

奥の院への道

参道沿いに 宝篋印塔や石佛が並ぶ

奥の院への道筋にある 道標 「是より あが井 奥の院 道」

太山寺川に架かる朱色の橋 大きな境内のお寺

太山寺川に架かる 閼伽井橋(あかいばし)

奥の院
閼伽井橋を渡ると稲荷舎・地蔵堂があります。太山寺川の上流が先に通った磨崖仏がある渓谷です
太山寺
当寺は天台宗、973年12月8日「播州太山寺縁起」には藤原鎌足の子、定恵和尚の開山、716年公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝えられる。
建武の中興(1334)の時は、朝敵北条勢を討つため大塔宮護良親王の零令旨を受けて、衆徒の活躍があり、寺運は大いに栄え、この地方の一大法域として南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺・末社六ヶ寺を持ち僧兵も養った。その後世相の有為転変や戦火によって、興亡・浮沈は著しく、現在は龍就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊となっている。
播磨の名刹として幾多の戦乱や時勢の波にもまれながら1300年の法燈を守り続けて来た太山寺は、今新たな歴史を歩もうとしている。 (当寺冊子より)
現在、龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の五ヶ坊が残っています。
五ヶ坊の一つ 安養院 中に入りませんでしたが庭園が有名


太山寺の正面へ回っていきます

成就院


龍象院

正面 仁王門 重要文化財、室町中期

仁王門より全景、ゆっくり見学しました、少し時間がオーバー

仁王門前より先に街道を進みます

仁王門の前の分岐道を小さな川の橋を渡り右(西)に進むとすぐ左に お堂と祠


その先の旧道

集落の道を暫く進む

右に大きな 五輪塔 説明板がないのでよくわからない

その先左に 道標 だろうか読めない

道標の前の街道

その先で小さな開地川に架かる下開地橋を渡り真っ直ぐ進みます

前開交差点の一筋北側の交差点にでました。前回歩いた 太山寺道 との合流点です太山寺道(起点)は真っ直ぐ進んでいきます

白川街道も交差点を渡り50mほど真っ直ぐ進み、左からの車道と合流します、真っ直ぐ西へ進むのが太山寺道で、白川街道は鋭角に左に戻り、前開交差点にでます。多分鋭角に戻らず左の伊川を渡っていたと思います。
交差点を右に折れて伊川に架かる新川橋を渡り南へ150m程進み右に折れます
前開交差点、南に進む道

直ぐの伊川に架かる新川橋を渡り、交差点より200mほど歩いたところの十字路を右に折れます

左に300mほど行くと 石戸神社 があります左の石戸神社方向をみる

西への街道を進んでいきます

小さな伊川の支流に架かる橋を渡ります


少し先右に 猿田彦大神 が祀られています

長閑な田園の中の旧道を進みます

少し歩くと正面に地下鉄西神・山手線の高架を潜ります右に暫く行くと伊川谷駅にでます

左に 天台宗 太谷寺 が見えます

真っ直ぐな伊川谷町小寺の道を進んできましたが、正面に高速の第二神明道路北線の高架が見える200mほど手前で右に折れます。そして50mほど先で左に折れて高架に向かう細い道を進みます


高架を潜ります

真っ直ぐ100mほど進むと突当りになり、右に折れて直左に進みます
突当りに左角に 石仏 が多数あります

その横に 道標 「右 池・・・・・・・」 読めない

隣に 大歳神社 が祀られている

左に長坂会館があり、道が分岐しているが、旧道は左の道を西へ進んでいたと思われますが旧道は畑の土地改良地区で消失しています

分岐する右に大きな自然石の土地改良区の記念碑

大歳神社の先を進んでいくと道が途切れてしまう。土地改良による整地が進み一面田畑に変貌しています。この先旧道は南西に進んでいたと思われるが、確認する資料もなく止む得ないので近くの道を迂回することにした
この先、道が無くなったところ

(適当に迂回します)少し北西に出て、川の南にある 日蓮正宗 浄教寺 の前を通る

お寺の前を南東に、すぐ先で右に折れて、広い道を南西に大きく右にカーブしながら進み、右の伊川谷病院の前を通る。暫く先で交差点に出る、右手前かどにGSがあります

浄教寺南東に出て右に曲がったところからの道、伊川谷病院(右)の手前からの道筋病院の手前右に大歳神社があるが寄る時間的余裕がない。


前述の大歳神社の先で土地改良でなくなっていた旧道がこの辺り(病院前)に出てきていたようです。その先暫くGSの手前までは旧道後の新道で、GSの交差点手前で左斜めに通り更に山陽新幹線を斜めに横切っていたようです。今はGSの手前からの旧道は跡形もない。右手前角にGS旧道はダイソウ手前から斜め左に通っていたようです。
旧道は、山陽新幹線を斜め(南西)に横切り、更に200mほど先で高速道路を横切った後すぐ南に折れていたようです。
今は新幹線高架と高速道路で遮断して歩けないから、先ほどのGSの交差点で左に折れて400mほど新道を南にすすみ、一つ目の信号左のリーソンを過ぎ、二つ目の信号交差点で右に折れ、高速の高架道路を私は進みました。
高速の高架道路の上から北の遠望、高速道路の数百m先に新幹線高架が見えます。振り返ると、旧道は新幹線の高架を向って右から斜めに横切り、高速道路を更に横切って左側に出て、すぐ左に折れ(手前に)、潮海寺の西側の前を通り、今立っている高架橋を西に進んだすぐのところで合流します

高架道路を西に進み、右を見ると旧道が真っ直ぐ北に向かって伸びているのが見えました。たまらなく、北の新幹線の近くまで行ってみることとしました。
このまま進めばいいのだがついどのようになっているか調べたく寄り道をしてしまうのが私の悪い癖です

この道が旧道であったかはわかりませんが、潮海寺の前の道を北へ、此処から見ると新幹線高架はかなり先に見えるのですが戻ることになります。
潮海寺の手前に並んで神社が見える。

天台宗 潮海寺 立派なお寺です



お寺の筋の北側、この辺りで旧道は現高速と山陽新幹線を越えてきそしてこの道辺りにでてお寺の前を進んでいたのだろう(想像)

元の道に戻り西に坂を下り進むと、右に有瀬小学校があります。小学校を過ぎたところで、21号線が左から合流してきます、右100m弱の所に伊川谷町有瀬交差点があります、旧道はすぐ斜め右に見えるキリン堂の手前を入りたいが自動車が多く渡れないので、交差点の歩道橋を渡り向こう側に出て、キリン堂の東側の細い道を入ります。
そしてキリン堂を回り込むようにして右に曲がり、交差点からの道と合流し左に折れます。
21号線に出たところ

右斜めに見える道向かいの細い道を入りたいが、危ないので交差点を歩道橋で渡って戻ってきました

キリン堂を回り交差点からの道に出て左に折れる左角に 生田地蔵尊の祠

祠の左先に 生田八幡神社の鳥居 が見えます。

その先366号線を南西に暫く進むと、右に明石高校・左に大蔵中学校の間を通ります

大蔵中学校を越えたところの明高下信号交差点を右に折れます

右に折れた道筋の右のサークルKの道向かいに 大寺弁財天 が祀られてます。 太寺天王町

大寺弁財天の前を西に暫く進むと、信号の五差路にでますので、左より二つ目の広い道を南斜めに進みます。

左に折れた左奥に 天台宗 高家寺

真っ直ぐ進むと一つ目の信号左にコープこうべがあり向かいがBKです。その信号交差点を左に折れて、すぐ道が分岐するので右の道を進みます

分岐する道を右へ南に進みます

坂を下り始めます

坂の下る途中に 人丸山参道の石柱 が立っています

柿本神社

神社の奥は 曹洞宗人丸山 月照寺

月照寺の南側に 明石市立天文科学館


月照寺を少し下ったところ道路わき右に 源平合戦馬塚 平経盛の子である平経正(敦盛の兄)の馬を埋めたという場所振り返る


その先で山陽本線・山陽電鉄本線の高架を潜る、上は人丸前駅

高架下左に 両馬川旧跡と碑
1184年2月一の谷の戦に敗れた平家軍の通過地である。平忠度が岡部六弥太に追いつかれ、二人の馬が川を挟んで戦ったので「両馬川」という名前がついたと伝えられています
JR高架を越えて振り返る、右に碑が立つ


続いて山陽電鉄本線を潜り振り返える

高架を越えて真っ直ぐ南に進み、国道2号線を横断します

左に 道標 「左 ただのり塚」

道標の少し先で、左から山陽道が交差してくる、山陽道 はここを左に折れて右の教会の前を通り50m弱で右に折れて西に進む。白川街道は山陽道に合流し終了完歩

東からの山陽道の道

合流地点の周辺
明石人丸教会 綺麗な教会

教会の角を右(西)に折れて山陽道は西に進む右角に山陽道の道標が立っています

右角の 山陽道の道標

協会の傍に、日本標準時子午線通過地の標柱説明文が立つ

南側から合流地点と教会を写す

山陽白川街道 完歩
徳川道に続いて山陽白川街道を歩いてきましたが、徳川道はここで山陽道と分岐して通る道であったかは分かりませんが一応完歩しました。更に伊川の大山寺の近くで、白川街道から分岐した大山道でもう少し西へ進み山陽道の合流点に、太山道を歩きます
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