山陽道 1日目

西宮神社前~下関
⦅山陽道行程表⦆
【1日目】2010年11月21日
西国街道の続きを、西宮宿東端の中国街道との合流点~神戸三宮駅近くの街道
西宮宿東の中国街道との分岐点を、
8時30分スタート 三宮 15時45分着  41.300歩 28.75㎞
  

【2日目】2011年2月24日
神戸三宮~山陽電鉄本線山陽須磨駅まえの街道
7時30分スタート 須磨駅前17時00分着  48.725歩 29.23㎞ 

【3日目】2011年9月24日 
山陽須磨駅前~JR山陽線魚住駅 
 
8時15分スタート 山陽魚住駅前5時50分着 43.240歩 25.94㎞  
本日より2泊3日の行程 東加古川駅近くのサンシャインホテル宿泊(1泊目)

【4日目】2011年9月25日
JR魚住駅近くの街道~姫路城前 
6時00分スタート 姫路17時00分着  58.985歩 35.39㎞  
相生駅前相生ステーションホテルアネックスにて宿泊(2泊目)

【5日目】2011年9月26日 
姫路城前~赤穂市有年駅  
6時10分スタート 有年宿17時00分着  62.700歩 37.62㎞ 
 
(帰宅)

有年から三石まで中間にある有年峠・船坂峠越は熊等の出没注意により後日、冬場に歩くことにしました。
2011年10月5日自宅出発  
相生駅前の相生ステーションホテルアネックスにて宿泊(1泊目)
【6日目】2011年10月6日
三石駅前の街道~上道駅
6時15分スタート 上道駅17時45分着  67.144歩 40.28㎞   
岡山駅近くのベネフィットホテル岡山で宿泊(2泊目)

【7日目】2011年10月7日
上道駅~清音駅
6時30分スタート 清音駅17時55分着  64.569歩 38.74㎞  
倉敷駅前のヤングイン倉敷で宿泊(3泊目)

【8日目】2011年10月8日
清音駅~井原駅
6時30分スタート 井原駅17時30分着  61.998歩 37.19㎞ 1692kl
福山オリエンタルホテルで宿泊(4泊目)

【9日目】20011年10月9日
井原駅~松永駅 
8時00分スタート 松永駅15時30分着  54.164歩  32.49㎞
  
尾道でホテルアルファ―ワン宿泊(5泊目)

【10日目】2011年10月10日
松永駅~尾道駅
8時30分スタート 尾道駅13時15分着  29.333歩 17.59㎞  
(一旦帰宅)

2011年12月5日 前回と同じ相生駅前の相生ステーションホテルアネックスに宿泊(1泊目)
【11日目】2011年12月6日
一部残していた、有年・船坂峠越を歩きます
有年駅~三石駅前の街道 
8時00分スタート 三石駅前の街道12時30分着

歩数と距離を測るの逸しました
尾道駅前の尾道第一ホテルで宿泊(2泊目)

【12日目】2011年12月7日
尾道~本郷駅
7時30分スタート 本郷15時00分着  51.402歩 30.84㎞  
本郷駅前の本郷グランドホテルに宿泊(3泊目)

【13日目】2011年12月8日
本郷~四日市(西条)
7時30分スタート 四日市(西条)14時00分着  46.699歩 28.01㎞ 

西条宿泊、東広島グリーンホテルモーリス(4泊目)

【14日目】2011年12月9日
四日市(西条)~広島駅
7時30分スタート 広島駅16時30分着  51,999歩 31.19㎞ 
 
広島グランドインテリジェントホテル宿泊(5泊目)

2011年12月10日
きょうは一日休養日に充てる、厳島他市内を見学

広島グランドインテリジェントホテル宿泊(6泊目)

【15日目】2011年12月11日
広島宿~宮内串戸駅
7時30分スタート 宮内串戸駅15時30分着  40.273歩 24.16㎞  
岩国宿泊(7泊目)

【16日目】2011年12月12日
宮内串戸駅~関戸宿 
7時10分スタート 関戸宿15時35分着  56.903歩 34.14㎞ 2523kl
 
岩国プラザホテル宿泊(8泊目)

【17日目】2011年12月13日
関戸宿~高水駅 
7時10分スタート 高水駅16時00分着  51.943歩 31.16㎞
  
徳山のホテルアルファ―ワン徳山宿泊(9泊目)

【18日目】2011年12月14日
高水駅~福川駅
7時45分スタート 福川駅16時50分着  50.961歩 30.57㎞ 
 

徳山のホテルアルファ―ワン徳山宿泊(同じホテルに10泊目)

【19日目】2011年12月15日
福川駅~防府駅
7時30分スタート 防府駅17時20分着  51.125歩 30.06㎞
  
防府のアルファ―ワンホテル防府に宿泊(11泊目)

【20日目】2011年12月16日   
防府駅~新山口駅(小郡) 
7時30分スタート 新山口(小郡)16時40分着  44.344歩 26.60㎞       
新山口駅前のアルファ―ワンホテル小郡に宿泊(12泊目)

【21日目】2011年12月17日
新山口~厚狭駅  
7時05分スタート 厚狭駅16時35分着  53.090歩 31.85㎞ 
 厚狭駅前の厚狭ステーションホテル宿泊(13泊目)

【22日目】2011年12月18日
厚狭~長府宿  
7時50分スタート 長府宿15時30分着  45.496歩 27.29㎞
  
下関駅前の下関東急イン宿泊(14泊目)

【23日目】2022年12月19日
長府宿~下関永福寺前 
8時10分スタート 下関永福寺前14時18分着  31.542歩 18.92㎞  

山陽道終わり

【1日目】 2010年11月21日

西宮神社~三宮
西国街道・中国街道を西宮神社にて引き継ぎ山陽道を進みます。
西国街道を西宮神社にて完歩。時間もあるので本日の予定通り引き続き、山陽道に入り三宮まで歩きました。西宮の東入口中国街道との合流点を、山陽道の起点とするのがいいと思うが、西宮宿の西の端、西宮神社を起点としました。
別紙西国街道の終わり資料に説明と写真があります。
山陽道一気に下関まで歩きたいが時間的に無理なので、3回に分けて完歩しました。
山陽道に続いて、長崎街道(門司~長崎市完歩)、薩摩街道(福岡県山家宿~鹿児島市2024年11月18日完歩)を順次公開します。日本橋からの5街道についても完歩していますが公開はその後になります。

スタート起点の西宮神社 
       西宮神社 8時30分 スタート
      神戸三宮 15時45分 着
         41.300歩  28.75㎞


商売繁盛のえびす神を祀り、全国の総本社

表大門の前の通り

表大門の朱塗りの赤門(重文)

西宮神社の南、左は43号線の高架道路を見て西に進むと分岐して右側の旧道を入ります

車道との交差点を横断すると市庭町です

夙川に架かる夙川橋を渡る、すぐ右に阪神電鉄本線香櫨園駅があります

左(海)側の夙川

駅より600m程、阪神電鉄の高架に沿って進みます。左に側溝が南に流れている所、山陽道はこの辺りで右斜めに進み、今の電鉄の北側に出ていたが消失しています。

山陽道は右へ、山陽浜街道 真っ直ぐ分岐していました

右に折れて阪神電鉄本線の踏切を渡り、50m程進むと十字路があります、この辺り右に旧山陽道が出てきていたようです、一部道は残っているようです。

左角に高橋マンションがありその角袂に 二基の道標と地蔵尊

十字路の東側(正面の道)、この辺りに消失した旧道が出てきていたが、今は新しい住宅で面影はありません

十字路を左に折れ100m進むと民家で旧道は消失して突き当たりますので、右に折れるとすぐ車道のT字路に出ます。正面に春日集会所があります。街道は左に折れます。

春日集会所の裏(北)に公園があり、その北側が 金津山古墳 のようです

T字路を左に折れた西への街道

T字路から230m程進んだ交差点右手前角に 阿保親王廟への道標 があります

【寄り道】道標を右に折れて北に600m程、JR線、国道2号線を越えて進むと阿保親王塚があります

阿保親王廟
親王(792~842)は平城天皇の第一皇子で、打出の眺望を愛でここに別邸を建てられていたと伝わる。陵域は周囲350m、塚は円墳で直径36m・高さ3m。周囲を石柵で囲まれ周壕が巡らされています。在原業平の父で、
正面の灯籠四対(一対は阪神大震災で減失)は長州藩主毛利公の寄進で、宮内庁の管理。

親王塚より街道に戻る途中 打出天神社
創建は不詳ですが、天暦元年(947)頃といわれています

元の道標のある街道交差点に戻り、少し西に阪神電鉄本線の打出駅があります。
打出駅前信号交差点を100m程西へ、この辺り新しい住宅地で旧道は消失しています。
左途中に芦原打出小槌郵便局を見てその先、左T字路を右に折れ、数十mで右T字路を左に折れ、さらに80m程でT字路になるので右に折れると、数十mで十字路に出ます、十字路を左に180m程進むと信号交差点に出ますので横断します。多分この辺りに左後方から鋭角に旧道が住宅地の中を通っていたと思われます。

右に入るところを見たところです

 右T字路左へ

T字路を右へ

 一つ目の十字路を左へ

打出小槌町3-3の信号交差点に出ます

信号交差点の左西角に大きな 名号石「南無阿弥陀佛」と刻まれてます

数十m先で宮川に架かる宮川両国橋を渡りますが、その手前右川沿いに 白露地蔵堂

宮川両国橋と白露地蔵堂を見る

橋から50m程先で車道の交差点を横断します

さらに100m程先きで十字路を横断して直ぐの分岐を右の旧道を進みます

分岐を右に100m程進むと車道の交差点に出ます、右に折れるとすぐ2号線の茶屋之町北交叉点が見えますが、真っ直ぐ横断してその先で右からの2号線に合流します。

横断した右角に新しい 石柱 「芦屋市茶屋之町 紀元二千六百年」と刻まれています

2号線に出て左に折れてすぐ右、国道北側に 地蔵の祠  この辻を北に入ってくとJR芦屋駅

国道を重複して西に進むと業平町にはいり芦屋川に架かる業平橋を渡ります。業平橋から右(北)の芦屋川を見たところです 

業平橋西詰より国道二号線と重複する街道を振り返る。

その先、前田町信号交差点、津知信号交差点に出ます。津知交差点を右に150m程北に入ると
浄土真宗本願寺派 眞照寺 震災で壊れたのだろう新しい建物です

更に国道を西に進んでいくと、森南町1の信号交差点に出ます。東灘区本庄町ですその先右に森島郵便局があり一軒先に 地蔵堂

すぐ先の赤鳥居信号交差点右に朱塗りの 大鳥居と道標 「稲荷の社 従是三町」と刻まれてます

鳥居前の交差点を左(南)に行くと阪神深江駅へ、さらに西に進むと本山町地区で高橋川を渡ります

広い車道の小路信号交差点を渡ると左にダイエー、次の信号の右小路バス停の傍に大きな 
国道地蔵尊 昭和七年建立されたが、阪神淡路大震災で被害を受け再建された。傍には、五輪塔や石仏・石塔
が沢山集められて祀られています

本山駅南信号交差点を越えて天上川に架かる天上川橋を渡る、左にコープリビングがあり、川より一つ信号を越えた数十m先で右に折れます。右に折れる角に理髪店があります

右に折れた旧道の右手に 山王神社

山王神社の前を通りすぐの分岐道を左に折れます

すぐ先で車道の交差点を横断します。横断した左角に甲南同胞幼稚園があり田中町に入ります

右に本山南中学校を見て進むと左に 地蔵祠

旧道はやがてコープ神戸生活文化センターの建物で行きどまりとなり消失しています。かつての旧道は真っ直ぐ進み住吉川を渡っていたようです

突当り手前十字路の右角に 花松首地蔵の祠 首だけの珍しい地蔵さんで頭の病気に霊験あらたかな地蔵さん

突当りを左に折れて数十mで国道に出ます国道を右に折れ西へ100m余り進むと区役所前信号交差点に出る、横断して住吉川に架かる橋を渡ると六甲ライナーの高架を潜ります。

信号交差点の左(南)には住吉川病院、さらに南に有名な進学校、灘中・灘高校が見えます
橋から右(北)の住吉川、遠望には六甲の山並みが眺望できます

六甲ライナーの高架・住吉川の傍に 祈りと復興の像 震災復興記念像で平成12年4月建立

住吉川の先すぐ右は東灘区役所でその先あたりに前述のコープの建物で消失していた旧道が通ってきていた
この辺りに旧道が来ていた、振り返ってみる

西へ国道を進むと住吉東町5信号交差点に出ます、交差点を右に行くとJR住吉駅へ

交差点より200m程進むと住吉交差点に出ます。交差点右に本住吉神社、交差点左2号線の南側には、セブンイレブン、神戸住吉郵便局があります。
住吉交差点北西角大きな 道標(有馬道の碑)
「有馬道 是ヨリ北江九十丁」刻まれています道標の横に立つ説明板

江戸時代の六甲越えの有馬への道は魚屋道でしたが、明治七年に大阪・神戸間に鉄道が開通し住吉に駅が設置されると、住吉川沿いに山に入り魚屋道に合流する道が利用されるようになった。これが住吉越えの「有馬道」です。この道も明治三十二年の阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)の開通により次第に使われなくなり、昭和十三年の水害で消滅しました。そして昭和四十八年「太陽と緑の道」の一環で、遊歩道として復活しました

交差点右の 本住吉神社 大阪の住吉大社はここから移されたので、「もと」として本住吉神社と呼ばれている古社

境内にある 住吉村道路元標 少し分かりづらい門内の左、常夜灯の袂にあります

本住吉神社の国道沿いに 
西国街道(本街道)の説明板碑
西国街道は西国大名の参勤交代などに使われていました。この住吉には道中昼休みの宿で、本住吉神社前に大名の休む本陣があり、茶屋が沢山あったとのことです。
一方西国浜街道は西国街道の南(海側)、43号線の高架道路沿いを西国街道の脇街道としての存在で一般庶民が多く利用した西国浜街道です。西国浜街道は打出で分岐して、西国街道と合流したりしながら、高砂市曽根まで通っています。
街道は住吉交差点の150m程先で、御影中町2交差点手前辺りで、左斜めに進んでいたが、今は旧道消失しているので、国道をそのまま進み大手筋信号交差点で左に折れて御影中学校の西の門前に出るか。または御影中町2信号交差点の次の東灘警察署前信号交差点を左に折れて、200m程南に進む道どちらでもいいですが、後者は少し遠回りになりますが史跡があるので、私は後のコースを進みました。
南に進んだ途中右に阪神御影駅前郵便局があり、左にここ壱番館があります、その次の交差点を右に折れると、左に阪神電鉄本線御影駅がありますので、その前を西に進みます

御影駅の西隣高架下にある井戸 沢の井

右に御影公園を見て数十mで十字路にでます、その正面に 富松稲荷社 前を右に折れる

稲荷社の前を右に折れて120m程北に進んできたところを振り返る。右に御影小学校があり、前述の説明での辻で、小学校の西門前で、一本街道黒松が街道を思わせます向かって右に折れます

御影中学校の西門、街道は真っ直ぐ校舎の中を、前述の国道2号線に左斜めに進んでいました

この辻より旧道が復活します、御影中町7

100m進むと天神川に架かる一里塚橋を渡ります橋を越えて振り返ったところ一里塚橋このあたり、以前字一里塚と呼ばれていた。ここにかつて一里塚があった。一里塚橋だけが名をとどめ何も残っていません。一里塚橋の先、左は御影小学校

その先で石屋川に突き当たるので、街道は少し左に折れて、右の石屋川に架かる西国橋を渡ります。突当り右は公園があり、 徳川道起点の案内板が立っています

右の石屋川沿いの北の遠望が六甲山系でここが 徳川道起点 徳川道を歩いてみましたが山並の六甲山上を越え左(西)の山道を進む道で、登りは大変きつく果たして西国大名の参勤交代道としてつかえたのだろうかと思った※ 徳川道の歩いた記録を参照してください

突当りを左に折れて右への西国橋を渡る辻のところ

西国橋から右の石屋川と六甲山系

西国橋を渡る手前左に 高野山真言宗武摩山 理性院

境内の整然と並んだ地蔵

西国橋を渡り西への旧道を進みます

記田町に入り、西国橋から350m先の広い車道の交差点、左角の南にある処女塚への 
道標 正面「兎原(うない)遠(お)とめ塚」 横面「小山田健雄戦死碑」

【寄り道】交差点左の阪神電車の高架を潜り南に進むと、処女塚信号交差点に出ます、その交差点南東角に、処女塚公園がありその公園内に処女塚古墳があります

 処女(おとめ)塚古墳
4世紀ごろの前方後円墳であったようです。伝説によると、兎原処女に二人の男性が求婚、悩んだ末入水した、二人の男も後を追って入水したという話で、男性二人の古墳もこの古墳を挟んで住吉宮町に東求塚古墳、阪神西灘駅南側に西求塚古墳があります。

処女塚古墳上に 小山田高家の碑と田辺福麻呂の歌碑
前者は、延元元年(1336)、湊川の戦いで敗れた新田義貞は、東明(処女塚近辺)まできた。
小山田は義貞の身代わりに戦いこの処女塚で討たれた。太平記にはこの武勇が載っている、記念して弘化三年(1846)この碑を建立。後者は、万葉の歌人の田辺福麻呂がこの地に立ち寄った時、状況に感動して歌ったものです   古の 小竹田壮士の 妻問ひし
       兎原処女の奥つ城ぞこれ

その先で小さな川を渡り西へ友田町2地区

阪神電鉄の新在家駅の前を進み烏帽子町に入ります、左に“ハイツかとれあ”の角の十字路を右に折れます。

右に折れて80m程先で左に折れます。右に烏帽子中学校があります。左に折れる右角に 烏帽子地蔵

左に折れて烏帽子町3を西へ真っ直ぐ進みます

鹿ノ下通地区に入ると広い車道の交差点にでます。少し左にズレて横断して西へ進みます

150m余り進むと、都賀川の手前の公園に突き当たります

再び少し左にズレて都賀川に架かる下河原橋を渡ります

下河原橋から右(北)の都賀川と六甲山系橋から南を見ると阪神線の大石駅が見えます

都賀川を渡り右に折れ数十m先で国道2号線に出て左に折れます。左の原田中学校・続いて西灘小学校を越えると船寺信号交差点、続いて西灘信号交差点に出ます。2号線はこの交差点で左にカーブして阪神西灘駅を越えて南西に進みますが、山陽道は真っ直ぐ西に進みます

少し【寄り道】西灘交差点から西灘駅に進み国道より左斜め(南)に進む、西灘交差点より250m程南のところに 西求女塚古墳 があります

処女塚古墳の説明と少し意味が違うようでした  

西灘の広い交差点に戻り真っ直ぐ西に進みます

200m程進んだ左に 地蔵の祠

やがて西郷川に架かる橋を渡ると、信号交差点で道は分岐しますが真っ直ぐ進み岩屋地区に入ります
真っ直ぐの道を400m程進むと、岩屋北町4の信号交差点で少し左斜めに方向を変え、左に岩屋駅を見て通ります。

ここでまた【寄り道】 岩屋駅の南にあるBBプラザの東側にある、 敏馬(みぬめ)神社

すぐ南側には国道2号線の高架道路が通っています。昔は「敏馬の崎」と呼ばれた高台にあった、神社の東側には白砂青松の敏馬の浦が広がり、その美しさは万葉歌にも詠まれています境内には柿本人麻呂や田辺福麻呂歌碑も建てられています

石碑と石灯籠

高速道路側から見た神社正面

岩屋駅北側の街道に戻り、そのすぐ先の信号交差点を西に真っ直ぐ進む。その先の道、三宮までは新しい町並みで単調です。旧西国街道 の石碑を見て進みます

とにかく真っ直ぐ、岩屋北町、脇浜町、筒井町、日暮通を進んでいきます

日暮通4で左の神戸ものづくり職人大学を見てすぐの交差点右に、大安亭市場があります

その先の交差点右に、神戸市生涯学習支援センターの石碑とその横に、旧西国街道の石碑が建っています

やがて生田川に架かる雲井橋を渡ります橋から右(北)の生田川の上流

生田川の橋から街道を振り返る

 生田川を渡り広い車道を横断します

橋を渡ったところで左手に 大玉大神の社殿

また橋を渡った北側には、 道標 「旧西国街道 ぬのびき花街道」

少し先右に旧西国街道の道標と案内板があります

三宮の繁華街もすぐそこです、両側に自転車が並び様相が一変しました

左奥に中央区役所、神戸東急インH、サンシティがあります。正面の急カーブしている高架はポートライナーで、右はJR神戸線・阪急神戸線の三宮駅です。今まで並行してきていた阪神電鉄本線は地下を潜り三宮駅があります、さらに北からは神戸市営地下鉄が合流しており、三宮の中心街に入りますので、街道の面影は全くありません

でも分かりやすく新しい旧西国街道の道標を建てていただいてます

街道は突き当たったところで、右のJR線の高架下を潜り西側に出ます。

JR三宮駅

本日の山陽道(西国街道)三宮で終わります

神戸からいったん帰宅します

次に日2日目はコチラ


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