2011年12月16日
防府駅~新山口駅(旧名小郡)
新山口駅近くのホテルアルファ―ワン小郡を早く出発し防府駅へ移動。防府駅から北の防府天満宮の鳥居前T字路まで暫く市街地を真っ直ぐ歩き昨日の起点へ。7時30分天満宮スタート。
今日は朝からとにかく風が強くまた今までで一番寒く、一時しとしとと雪が舞った、歩くのがつらかった。折角いい旧道であったのに残念、余り進まず仕方なく新山口までとしました。丁度ホテルは街道のそばで今日は電車で移動しなくてもいい。
そのぶんホテルで明日からのためにゆっくり休むことにしました。
防府天満宮前 7時30分 スタート
新山口駅近く 16時40分 着
44.344歩 26.60km 1.966kl
数字の通り時間の割りには距離がでていない。
防府駅から少し東側の萩往還に出て、北に進むと昨日のらんかん橋のところに出ます

立市・らんかん橋
ここはもっとも古くから発達した宮市発祥の地です。参勤交代時、萩と三田尻を結ぶ街道「萩往還」の道筋に当たり、三田尻の御船倉・御茶屋へ向かう等、人の通が絶えることないほど、商いも多く、周防第一の通りとして大変賑わった町だそうです。
また鳥居前の立市の北角(山陽道と交差する)には、高札場や天下御物送り番所が置かれていました。
鳥居前より150m程南に下った、このあたりは、「らんかん橋」ともよばれ、迫戸川を渡る橋が昔の面影を今に伝えています。(防府市教委説明より)

らんかん橋の傍の石造りと案内板


昨日の起点、7時30分スタート
鳥居前のT字路正面は防府天満宮と背景の天神山(166.9m)

再度少し防府天満宮に寄って道中の無事完歩をお願いしました
天満宮の境内の 野村望東尼の像と歌碑

もののふの あたに勝坂 越えつつも
祈るねきこと うけさせたまゑ



毛利重就公(英雲公)像、長州藩七代の藩主で藩中興の英主と仰がれた

春風楼
昨日見た五重塔が途中で中止なった建物。この楼上からの眺望は四季折々絶景が眺められる

春風楼からの防府の市街地の眺め



本日のスタート地点に戻り、鳥居前より西への街道を進みます

少し先昨日歩いた街道左改修中の 宮市本陣兄部家 改修中と思ったが萩往還を歩いた時は解体して公園になっていました


すぐ右手に 浄土宗普門山定念寺 永禄年間に創建された。本尊は阿弥陀如来で脇立は観世音菩薩・勢至菩薩


定念寺の西側に 宮市観音が祀られるお堂 400年前からここに祀られたという伝説の観音様

さらに西側の右奥に延宝六年に創建と伝わる古刹 曹洞宗安養寺

安養寺の出てきた街道沿い右手には 脇本陣中村家・脇本陣市川家跡 だが痕跡はない

その先信号交差点を横断します

交差点を横断して直ぐ先右(北)に入ると 曹洞宗成海寺

宮市の街並みを西に進み、小さな遊児川に架かる橋を渡った先、右に光山産院、左にお菓子店がある、右T字路を左に折れて数十m程左には、昨日見た

種田山頭火生家跡と休憩のできる建物の中に碑
うまれた家はあとかたもないほうたる


自由律俳人種田山頭火は明治十五年、大地主の長男としてこの地、防府市八王子二丁目十三に生まれた。早稲田大学中退帰郷して父と酒造業を営むが失敗し、妻子を連れて熊本に移る。大正十四年(44歳)出家したが、まもなく全国行脚の俳人となる。
昭和七年漂白ののち、小郡町、山口市湯田、松山市に移り住み、昭和十五年十月松山市にて没す59歳。
山頭火は、独自の短律俳句を世に残し極めて高い評価を得、知名度は全国的であります。(説明文より)
山頭火の旧生家前

山頭火が通った松崎小学校への山頭火の小径入口

入口の 歌碑 山頭火の小径


山頭火の小径は小さい時分を思い出す、このような古の風情が残る民家の間を抜けてらんかん橋に出ます。
小径ついては、萩往還の時歩いていますのでご覧ください。
街道に戻り少し先に進み、左角に久野文具店がある信号交差点に出ます。その交差点を右に折れて進むのが、ここで山陽道と分かれる道、萩往還 で山口市から萩への道。幕末・維新には勤王の志士達が歩いた道です。山陽道は真っ直ぐ西に進みます。
交差点を右に【寄り道】萩往還を200m程北に入ります 曹洞宗摩尼山護国寺


山頭火墓所への案内標示

俳人種田山頭火之墓

水琴窟と山頭火句碑



護国寺の笠塔婆


護国寺門前の周防の自由律俳人 三羽鳥の句碑


元の萩往還と山陽道の分岐する信号交差点に戻り、西へ進むと小さな川を渡ります。
すぐ先右に 祠 千日2丁目10

新橋町にはいり54号線の信号交差点に出ます。この交差点の手前辺りに 千日町一里塚跡 があったが痕跡はありません

交差点を横断して暫く進み、左に防府新橋郵便局を見て車道の交差点を横断します。そのすぐ先で道なりに左にカーブして南西に方向を変えます

さらに暫く進んでいくと左手に 荒神社


神社のすぐ先左に 祠

祠のすぐ先左から道路が合流します。左から合流する道は、三田尻港からの近道の旧道

合流点を振りかえる、山陽道は向かって左

その先左に 地蔵の祠と小さな灯篭

すぐ先、左にフードセンターはやしを過ぎ、少し歩くと小さな川を渡ります、その先も道なりに南西に暫く進みます。右にマンションが見えるところで、再び小さな川を渡ると、佐波川の堤防が見えます。堤防に上り右からの道と合流して左へ堤防道を進みます

右が佐波川に沿う堤防道、暫く堤防の道、景色を見ながら進みます、車も走らないしゆったりと進めます

前方に大崎橋が見えてきました

途中右手の佐波川にある佐野堰

細かく石組をされた堤が残っています

佐波川に架かる大崎橋を渡ります車両は通れません

橋の袂より西南にある 植松八幡宮に立ち寄るのを逸しました。
大崎橋より右(上流)の眺め素晴らしい景色です

大崎橋より左(下流)の眺め、かつての 大崎の渡し跡は、橋より10m程下流を渡っていました

大崎橋を渡るとすぐ、山陽自動車道と国道2号線が並行して走っているので道は遮られ、堤防道より下り地下道に入り潜ります

堤防より下るところから大崎橋を振り返る

両方の国道を潜り車道に出ますとその先に

一宮摂社濱宮御祖神社

左に折れ国道2号線の北側の道路を平行して進みます

祠

少し進むと右の玉祖神社参道入口に大きな 石碑 が建っています

玉祖神社の鳥居と参道

周防一ノ宮 玉祖神社

少し先で国道2号線の玉祖神社入口信号交差点にでます、その分岐を右に折れます


交差点を分岐して西北へ少し進みます

集落に入ったところで左にカーブしますが、その正面右高台に

浄土真宗本願寺派明照寺

明照寺の東側の坂を上っていくと、玉祖小学校があり、その背後の山麓には沢山の古墳が発見されています。案内説明板とその坂道 向山古墳群への坂道

街道は左へ、 右に 祠

背後の高台に七尾自治会館祠の傍にある 灯籠


向山地区で道は分岐していますので、右の道を進みます、右角にミナミストアーがあります

玉祖地区を進みます

再び道は分岐しています、真っ直ぐの左の道を進むと、左に玉祖幼稚園、さらに先右に玉祖保育園があります。暫く進むとまた分岐がありますので左の真っ直ぐの道を進みます

(寄り道)その分岐を少し左(南)へ入って行って川橋を渡ると右に 若宮神社、神社の前の広場の網の傍に 宮窯跡の碑 この辺り一帯は 佐野焼の産地

街道に戻り西へ進むと甲久保川に架かる橋を渡ると、その先左に 若宮神社参道の 鳥居と燈籠

佐野地区の集落を進みます

灯籠

その先右手に 佐野一里塚跡碑


静かな里道が続きます

右に 曹洞宗興禅院


灯火部分が佐野焼でできた 灯籠

興禅寺のすぐ先右に放光会館があります
集落を抜けると佐野峠への道に入ります。
間違わないように、右に池があるところで分岐していますので、右の池に沿って堤を右に巻いて西側で池から離れます。左の道は南に進み街道から離れるので注意

ここです右側の池に沿った道

標示があります

池を巻いた前方の佐野峠への道

雑木林の間の道を少し入ると、左に案内標示が立っていますので、見落とさないよう左に入っていきます


この先、峠にかけて「熊」が多いので「鈴」等で注意が必要です、鈴と笛を鳴らしながら進みます
左に入る分岐道の坂道、綺麗に整備されていて気持ち良く歩けます

素晴らしい旧道です

素晴らしい快適な旧道歩きです、整備ありがとうございます

道案内標示も完全にされていて間違うことはありません

暫く上ると「佐野たを」という見晴らしの良い絶景地に出ました。この付近には 駕籠立場跡 がありました

南側には佐波川SA、山陽自動車道が通り。遠くには佐波川・横曽根川が流れ、その向こうには秋穂の経納山(145.4m)周防灘を望めます

幕末の毛利藩主 毛利敬親の歌碑

毛利敬親の歌碑の辺りに 佐野峠駕籠立場跡

配水塔があります

碑


佐野たを碑(佐野峠)
佐野峠はかつて立場跡より少し西側に進んだところが正しいようですがよく分かりません



佐野峠から下っていく旧道

佐野峠の配水塔を振り返る峠の左方面に 狼煙場 があったようですが何処か分かりません

さらに進んでいくと左下に広い佐波川SAが見えます


ロータリーの方々により整備された街道を下っていきます


左にカーブしながら、左のSAの西側に沿って進んでいきます

どんどん下ります


山中の快適な道を下っていくとやがて舗装道に出て右にお折れます。舗装道への出口の右手にも案内標示があります

佐野峠への道を振り返る、12月なので熊の心配もなく快適な峠越の旧道整備有難うございました最高でした

また暫く北西に進みます、左手には山陽自動車道が通っています

暫く歩いたところで、山陽自動車道の高架を潜ります

高架を越えた先から振りかえる


高架を振り返ったあたりで左への道があります。 岩淵観音道で岩淵観音寺・薬師如来堂・観音堂 への道でありますが寄れませんでした
岩淵地区に入る道

真直ぐの道を進む右に、周防三孝女の一人 石川於石の碑


向かって左に 近藤芳樹生誕の地(1801~80)

この先で【岩淵宿】間の宿 に入ります
岩淵宿へ入る左手に 常夜灯

向かい右手に 地蔵堂

常夜灯と地蔵堂の間の街道を振り返る

岩淵宿の街並み

岩淵宿の街並み、間の宿の史跡は特にない

暫く進んだ右に、蛤を食べて死んだ 瀬十郎の墓 21歳

岩淵宿は特に何もなく街並みを抜ける宿を振り返る

その先左にカーブします、右からの道と合流して道の両側の小川に沿って100m程進みます

街道は右からの横曽根川の手前で分岐しますが、右の横曽根川に架かる新大橋を渡ります

市指定天然記念物の 岩淵のイブキが見えます

新大橋からの右手の横曽根川の景色

すぐ先の国道2号線に出ますが、信号も横断歩道もなく中央分離帯がありますので、横断には十分注意が必要です
横断して右に折れ、国道を右に見て左への広い道を入ります

広い道に入りすぐ先で、左ガードレールが切れたところ左への狭い道を下ります。大道集落に入ります

集落入口右手に 地蔵立像の祠

地蔵立像の前からの大道集落の街道

左に大道小学校、大道公民館があります旧道は真っ直ぐ進んでいたが、県道で消失、公民館の所を左に折れて、すぐ右に曲がり県道の大道小学校前信号交差点を横断します

県道の複雑な六叉路の交差点を渡った民家の生け垣に隠れるように 道標 「山口道」

県道を越えると【大道宿】(台道)に入ります
静かな宿場跡の街並みで、大きな宿でなかったようですが、旧家の建物が残り街道風情が偲べます

右に 石造り物の祠

すこし進むと左に 浄土真宗本願寺派松林山諧光寺

街道右に見事な海鼠壁の大きな旧家


さらに進んでいった右に 旧庄屋上田家 立派な門の斜め前に大きな井戸

その先右の中西自治会館を過ぎると、右手高台に 厳島六社大明神の遥拝所

上の遥拝所には沢山の 燈籠 が並んでいます立派な遥拝所です

遥拝所の前から街道を振り返る

台道地区の集落を抜けていきます

やがて右から国道2号線が合流します

合流してすぐ右に 灯籠が二基 この付近には 台道の一里塚跡 があったが痕跡なし

国道は左(西)に大きくカーブして進みその先右にカーブするところで、少しの区間左に迂回する旧道があります

左に入る旧道

250m程旧道を進み、再び右の国道に合流します

国道に合流したところで、北側に渡りますが、歩道も信号もないので十分車に注意が必要です。何といっても国道2号線で車が多い。北側、車が出てきたところ左斜めの所を入ります

右に入っていくと右手に 津山神社

この旧道は300m程です、国道の車の多い道から少しでも中に入ると静かでホッとします。静かな街道を振り返るこの辺りに、大道往還松の切り株跡が残る

300m程進んだところで、左から国道2号線が合流します

国道と合流したところ右に、慶安四年(1651)開堀された用水池の大きな長沢池が広がります
東の端の小公園にある展望台からの眺めは素晴らしい

左の国道と長沢池の間の歩道を進みます。今日は寒く、ほん少しだが白いものがちらほら降ってきました

右の池を見ながら進んでいくと、右にドライブイン長沢があります、その前に往還松の名残や切り株が残っています。ドライブインの北側池を背景にして長沢温泉があります。防府市から山口市に入ります。
いよいよ最終地の山口市だが、山口市は広いまだ見学するところも多いし下関まで3日ほどかかる

ドライブインの前の長沢温泉前信号交差点で国道を横断して左(南)の旧道に入ります

旧道に入ったところから振り返ったところ

右に大きく弓なりにカーブしながら進んでいくと、山陽本線の札場踏切に出ます

踏切の先左に中山池があります

中山池の改修記念碑 記念碑のすぐ先池の西端で右に方向を変え北西に進みます

その先左奥に 浄土真宗本願寺派誓安寺

誓安寺の前あたりで右に折れます

再び山陽本線の住吉第一踏切を渡ります

踏切を渡ると左の畦に 石地蔵 岩屋寺への道標を兼ねています

国道2号線の大村神社前の信号交差点に出ます。街道は左に折れて国道に重複しますが、ここで真っ直ぐ進み、右の長沢池に沿って北へ【寄り道】をします

右池の角に 赤川晩翠の詩歌日

池に突き出た小さな半島の中に 弁天様 が祀られています。背景の山は高尾山(121.2m)だろうか

左に吉南病院を見て湖畔沿いに右に進むと 大村神社 祭神は大村益次郎は文政八年(1825)ここ鋳銭司で生まれました


神社の境内から山口市・防府市にまたがる長沢池が望めます。山陽道は池の対岸方向です

神社の隣には鋳銭司郷士館がつくられ、周防鋳銭司の貨幣に関する展示と益次郎の併設コーナーがあります


郷士館で大村益次郎の墓を聞きました

大村益次郎夫妻の墓
大村益次郎(村田蔵六)は、鋳銭司の村医者の子として生まれた。後、長州藩の軍制改革の中心的役割をにない、第2次長州戦争や上野彰義隊の制圧に活躍した。明治二年(1869)に京都で襲われ、その傷がもとで同年十一月に死去した。益次郎の遺骸は船で郷里に帰り、長沢池近くの円山に葬られた。隣に妻琴子の墓がある

元の街道への途中、長沢池に突き出た弁天様に入ると 鳥居があります

参道を進むと亀の形をした台座の上に弁天様 松嶋天女廟碑

長沢池に突き出たところから、細い橋を渡り戻ります

長沢池を見たところです

元の街道の国道2号線の大村神社前信号交差点に戻り、国道に重複して西北に進みます


国道を少し進んだ大村神社バス停のところで、国道に平行した旧道が右に少し残っています


今宿東信号交差点がありますが、その手前、左斜めに入る道がみえます、横断歩道もなく危険ですので先の今宿東信号で迂回してきて向かいの道に出ます

真っ直ぐの道、途中今宿バス停があります

暫く進んでいきますと左先にJR四辻駅があります。その手前で高架道路を潜ります

少し先に歩道橋が架かっています、歩道橋のすぐ左に山陽本線の四辻駅があります。
ここで【寄り道】して左の四辻駅へ

四辻駅の下を潜り南側に出ます

駅から南に真っ直ぐ進むと公園があります
大村益次郎生家跡


公園内に 碑 と説明案内があります「故兵部大輔大村永敏卿誕生地」
この地は、大村益次郎の祖先が代々居住したところ、 益次郎出生後三年ばかりで父の実家である山口市秋穂天田に移り、生家は解体されました

公園近くの 地蔵の祠二つ

駅の南側に戻り生家跡の公園を見る

元の駅北側の歩道橋のある道路に戻り西に進みます300m程進むと変則の四辻に出ます。四辻のところで金毛川を渡りますが、道は分岐して、山陽道は左斜めの道で高橋橋を渡ります。右の道は国道2号線の高架の下にでて四辻橋を渡り四辻信号交差点に出ます
この辺りは 古代山陽道の八千駅跡 です

橋の手前川沿いに 庚申

左手の山並みが霞んでいて見えにくいが左 火ノ山(252m)、右少し頭が傾いたような 陶ヶ岳(303.6m)の美しい山並が望める。その向こう側が瀬戸内の海なので内陸部を歩いています

陶ヶ岳は毛利氏時代の 狼煙場山

四辻の街並みを進む

少し先で右に少し入り国道2号線の四辻信号交差点に出てそこから北に入っていくと
周防鋳銭司(すぜんじ)跡(国史跡)
9世紀前半から約150年にわたって貨幣を鋳造した工房跡である。積水ハウス山口工場の隣、草地の中に白い標示板が見えます

静かな四辻の街並みを振り返る

綾木川に架かる綾木橋を渡ります

橋から左を見ると陶ヶ岳の山並みが見えます

橋を渡った右手に 春日神社の鳥居 があります。この辺りに 陶一里塚跡 があった

その傍に、平たい大きな石があります 「建石」平石・平岩・建石・立石と呼ばれ何の目的か記述がないので分からないそうです

参道を少し進み神社の全景 春日神社

やがて右からの国道2号線に合流しますので、東陶信号交差点で右の高架下を潜り北側に出ます

北側に出てすぐ左に折れて、高架を左に見て進みます

東陶を過ぎ陶上市の街並みに入っていきます

暫く進んだ右手に 浄土真宗本願寺派圓覚寺

圓覚寺のすぐ先で右にカーブして直ぐ先で左に折れる枡形に出ます

左に折れた枡形の街並みこの辺り 古代山陽道の陶市跡

すぐ先左に 恵比寿社
上市と下市には古くからえびす堂またはえびす様として祀られた。
上市にある社は社殿の形式によるもので、付近に鳥居の残欠・灯籠・手洗鉢があり、鳥居の柱には文化元年(1804)と刻まれています。
下市にあるのは外観が仏堂に見え、中に神殿風の祠が納められ、前に灯籠があったが、現在橋本橋の西に移転している。(説明文より)その横に 庚申


そのすぐ先右の市自治会館前に 地蔵立像と宝篋印塔

その先、百合川に架かる橋本橋を渡ります

前述の 地蔵堂と下市恵比寿 がここに移転されています

暫く進みます、右に陶小学校を見て十字路を横断して進んでいくと左の郷下会館の街道を挟んだ右手に
艫綱(ともづな)の森(寄舟神社)
もと国道二号線沿いにあったが道路工事でここに移転。艫綱とは船つき場、港という意味で、推古天皇十九年(611)頃からの伝承がある古いものです

神社を振り返ったところ

西陶に入り静かな風景を見ながら進みます

暫く進んでいくと右に 日吉神社の鳥居と常夜灯が二基

その先左に街道情緒をかもし出す空き家のようです 茅葺の古民家

暫く進むと左から335号線が合流し、西陶バス停があります。この合流点から小郡宿の入り口まで2㎞、新山口駅まで3㎞の表示

合流した先右に 祠 祠の背後は竹藪でその向こうには池があります

すこし進んで再び335号線を左に分け、右の旧道に入ります。保育園入口バス停があります

右に折れて暫く進むと、左に市立陶保育園、右に丸尾上会館のある辻を北西に進んでいきますと、右に細長い池の南側の端の堤道に出ます。右に折れて暫く進むと、左に市立陶保育園、右に丸尾上会館のある辻を北西に進んでいきますと、右に細長い池の南側の端の堤道に出ます。そして南西端で右に折れて、池の堤道を北西に沿って進みます

池が北側で切れたところの十字路右を見たところで山裾に 西岸寺・護王神社 が見えます

その先で山陽新幹線の高架を潜ります

高架を潜ったすぐ先右手に高台への急な長い石段があります 大聖院 行きたいが足も疲れているし下から拝みます

すぐ先右手に 石ヶ坪一里塚跡碑(場所は想定)「従安芸境小瀬川二十二里 従赤間関十四里」

一里塚跡前から振り返る

すぐ先で左から61号線が合流します、その西側には椹野(ふしの)川が流れています。すぐの東津橋の東詰の元橋信号交差点で左に折れて橋を渡ります

元橋信号手前右に 地蔵尊と六体の石仏

椹野川に架かる東津橋

東津橋を渡り西詰の東津上信号交差点を山陽道は西に真っ直ぐ進むが、堤防上の353号線を左(南)に折れて少し先に
藩小郡米津出蔵跡


米の保管倉庫津出蔵 旧堤防上の一つが残っているます

渡河跡 から東津橋を見るまたこの付近は 川口御番所跡 でした

椹野川の 渡し場跡・積み出し港 から対岸を見る

椹野川を渡ると【小郡宿】に入ります
真っ直ぐの西への小郡宿の入口の街並みを進みます

やがて街道沿い左に 曹洞宗正福寺

妙経千部供養塔

境内の 観音堂 正福寺の本尊で、平安時代の作である聖観世音菩薩立像

正福寺前から街道を振り返る

正福寺のすぐ先でJR山口線の新踏切を渡ります。踏切の右(北)側に周防下郷駅が見えます

踏切を越すと信号交差点を横断します

信号交差点のすぐ先の十字路、右手に旧家の藤本金物店があります。十字路の北角に 高札場 がありました

十字路を右に入っていくと新丁公民館があります

小郡御茶屋跡・小郡勘場跡
御茶屋は、藩の公的な宿泊施設で幕末期の記録では、建坪138坪(約456平方m)。勘場は、萩からの代官の勤務する役所で御茶屋に隣接して、建坪105坪(約350平方m)で、付設の蔵など建物が三軒あったと伝わる。勘場には大庄屋が毎日詰めて行政を取り仕切っていた。楠木の大木は往時の名残だろうか

十字路左に入っていくと 小郡狼煙場跡 があったが痕跡はない

十字路右北角の旧家、この角に 高札場 があった。十字路の越えた左辺りに 小郡天下御物送場跡等 があった

その先十字路があります、街道は左に折れます、右への街道は 山口道 との分岐点

右角に 道標 「左 萩山口石見 右 京江戸」 さらに一面には「牛馬繋事無用」と刻まれている江戸時代の道標で、小郡は山陽道の主要な宿駅であって、山口から萩や石見国に通じる街道の分岐点であった。この分岐点を示す標示としての道標


十字路を少し西北に入ったところの 浄土真宗本願寺派信光寺

街道の十字路に戻り左に入れた旧宿場の街並み、右の小林外科医院の向かいに旧家

300m程進んでいくと信号交差点に出ます、街道は真っ直ぐ進みます。交差点の左角(南東)の駐車場は、
三原屋御本陣跡

交差点を振り返ったところ、交差点右角(西南角)辺りに 御物成札跡 がありました

交差点を少し右(北)に入ると 浄土宗西山禅林寺派光明寺

交差点より静かな小郡下郷の街並みを進む



やがて信号交差点に出ます、交差点を越えたすぐに唐樋橋が架かっています

本日はここで少し時間が早い16時40分、26.6㎞ですが、切りがよいので終了します。
唐樋橋の手前の信号交差点を左に150m程行くと、昨晩宿泊したホテル・アルファーワン小郡があり二連泊です。今日は電車移動がなく助かります。すぐ新山口駅です、
今日はゆっくり休みます、明日の小郡~厚狭までは長いし

何とか無事ここまでたどり着くことが出来ました。もう少しです頑張ります


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