2011年12月17日
小郡駅西の唐樋橋~厚狭駅南前の街道
ホテルアルファーワン小郡を7時05分出発、ホテルから昨日の街道起点まで50mほどで無駄な時間がないので助かる。今日は何としても厚狭まで行きたいので頑張る。国道2号と重なって歩く期間が今までより多いので苦しかった。
順調に朝から歩いていた街道歩きも、とんでもない峠越えで大失敗。「どんだけ峠」というところ距離も余りない峠入口でハッキリしない旧道で多分左方向に進むところを真っ直ぐヤブをかき分け登って行った、途中で変だと思ったがもう少しもう少しと思っている間に、前後左右を見れば背丈以上のトゲなどがある藪の中に入っていた。一瞬頭の中が真っ白、引き返すにも今来た道は(道でないヤブ)分からない、冬場であるし今では熊も出ないし嫌いな蛇もいないだろうから落ち着くことに一生懸命気持ちを抑えて考えた。左へいくところを真っ直ぐきたのだから、左方向にイバラの藪があるが中をかき分け進むと、先に少し明るい部分が見えたその方向に必死で進むと細い地道にでて、その向かいに古い墓地がある、資料には墓地のそばの細い地道が旧道となっていたので助かったと思った。
一時はどうなる事かと思った。安心して自分を見つめると服は破れ、手は擦り傷で血が出ており無我夢中であったので分からなかった。これが夕方であったら思っただけでもゾッとする。時間的に昼間であったので少しは冷静になれた。この現実はなかなか文章ではあらわせない。狐に騙されたような感じです。
少し時間がとったがそれでも何とか予定の厚狭に着いた。街道近くの厚狭駅ステーションホテルに宿泊、電車移動がないから助かる。
街道起点 7時10分 スタート
厚狭駅前 16時35分 着
53.090歩 31.85km 2.359kl
前日の唐樋橋手前の交差点からスタート小川に沿って進みます

すぐ先の交差点を右斜めの道を進みます。左側の細い道には小川が沿っています

右手に 栗島神社

すぐ先右から9号線の広い道路が旧道を遮断します。この道路幅も広く車も多いので渡るのは危険で近くで迂回し反対側に出ます

迂回して西側にでると、9号線が左に大きくカーブしています

カーブする手前で右に旧道が分岐します

その先十字路を越えて左に弓なりに進みます

やがて左からの335号線が合流します。合流した先右にジョイフルがあります

すぐ先で山陽新幹線の高架を潜ります

すぐ先の柏崎信号交差点に出ます

交差点右に入ったところすぐ右に、柏崎新開公民館の敷地内に多賀大明神の小さな 祠と嘉川観音霊場69番 が一緒に収められています


柏崎信号交差点に戻り、左の細い旧道に入ります(見落とし間違いやすいかも)信号からの左に折れる道のところすぐ右にカーブしています

真っ直ぐ南に、右に335号線・左に山陽本線、宇部線の間の旧道を進みます

左手一段高いところの木に覆われた下に 小郡開作道路改修記念碑

すこし進んだ先、茅葺をトタン屋根で覆った民家の手前で、少し右に折れて入り335号線を越えた先の三叉路に

青面金剛を祀る 大歳社(四十二番霊場)傍に、大師堂・石仏・石塔・地蔵・灯籠 があります

元の街道に戻り、新開の集落を抜け赤坂の集落に入っていきます。新旧の民家が並ぶ落ち着いた旧道の街並みです

やがて左斜めに道は方向を変えますが、その辻を少し右に入っていきますと、335号線の嘉川赤坂の信号交差点があり横断して左に折れすぐ右に行きますと

高野山真言宗青龍山浄福寺
大宝元年(701)役小角が中国に渡る途中、当地に立ち寄って青冷山長福寺を建立したのが始まりです。明治四年浄誓寺と合併して浄福寺となりました。変わった山門です(鐘楼門かな)

役小角の像

境内の 北向地蔵

本堂の正面の 宝篋印塔
横の 熊野神社の鳥居

境内に 円墳の古墳があり、高さ5m直径が約40mあります。推定で五世紀ごろの築造と伝わる。古墳の上には、椎や梛木の木が生い茂っています。また古墳の頂上にある熊野神社は、室町時代に紀州熊野大社を勧請して建立したものです
円墳の頂上に建つ 熊野神社

円墳 自然記念物 浄福寺樹林

街道に戻り左斜めに進むと山陽本線・宇部線の踏切を渡ります

前方に形の良い綺麗な 雨乞山(160m)が見えます、かつての 雨乞山狼煙場跡

嘉川の集落を進んでいきます。
途中分岐がありますが左の道は国道2号線方向ですので真っ直ぐの右の道を進みます。その先で正面の2号線を見て右に方向を変えます。荒神峠 への緩やかな上り坂を進みます

小さな川に架かる橋を渡り免地集落を進みます

荒神峠といってもあまり急坂ではないです。途中右にカーブするところを振り返る。峠の頂上あたりでも分岐しますが右(西)の旧道を進みます

免地集落の街道沿い左に 地蔵尊の祠

祠の前の街道を振り返る

少し先を進むとJR宇部線を路線橋で越えます

路線橋を渡り道なりに左に進んだ先辺りに、一里塚があったが痕跡ありません
嘉川一里塚跡

一里塚跡あたりから振り返ったところ

少し進むと左に、蔵造りの旧家があります

旧家の向かいに、嘉川二十一番札所 大師堂

その先、右の山陽本線に接近したところで十字路に出ます、左に行くと宇部線の上嘉川駅に出ます。十字路を右に折れて山陽本線の踏切を渡ります

十字路の右に折れる、左に嘉川三十四番の札所 大師堂

踏切を渡ると、古代山陽道の宿駅嘉川市 です

嘉川の街並み左に重厚な旧家があります、その先で街道は道なりに左にカーブします

カーブすると右への辻があるので右に折れて335号線を越えて北に行くと、左に嘉川小学校を見て、萬福寺・嘉川八幡宮への道です

山陽道は真っ直ぐですが、少し右に入り【寄り道】をします
右に折れて335号線を横断して、右の中市公会堂の前を進み北へ行くと、山頭火醸造元金光酒造、この先道を北に進んでいくと、左に嘉川小学校、その先で川を渡り山陽新幹線の手前には 浄土宗西山禅林寺派万福寺 がさらに北に行くと 嘉川八幡宮 がありますが寄らずに戻ります

元の街道の辻に戻り西へすぐ右に 恵比寿社

前に 本間源三郎顕彰碑 歴代、庄屋・大庄屋を勤めた旧家の十三代目

右335号線の向こうに大きな屋根の 浄土真宗本願寺派明正寺 が見えます


左に 二体の地蔵祠

やがて355号線の山口市嘉川福岡信号交差点に出ます。交差点右角に 祠 があります

右角の 大師堂 を振り返る 札所六十四番霊場、正徳三年(1713)の立像と二体の石仏が並ぶます。車道を横断、斜め左に入る旧道があります

福岡の街並み

少し先、屋根の軒の壁の模様が綺麗な民家

左から335号線が合流する、山口市嘉川福岡信号交差点に出ます

信号交差点を横断して右に少し重複、右手にやすもと歯科医院があり、左にドイツ菓子の看板、上中野バス停の所を、左の細い道に分岐します

すぐ先右に 石碑と(読めない)小さな 石仏 が並んでいます

その先左に 三体の地蔵さんと祠

祠の前の街道を振り返る

すぐ先右の上中野区公民館の前から街道を振り返る。この先で十字路に出ます、左に入ると山陽本線の嘉川駅です

そして右に、下中野公民館があります

少し進んで、幸ノ江川に架かる幸之江橋を渡ります。橋から街並みを振り返る

幸之江橋と街並み

橋を渡った左の民家の傍に 道標 (刻まれた文字は読めない) 山陽道と白松道の道しるべの標柱


すぐ先、幸の橋の信号交差点で335号線と合流して重複100m程先で

すぐまた右に入る旧道が分岐します

右の旧道に入ってすぐ右に 熊野神社


神社の先の旧道

高根公民館を右に見てすぐ先左に四十六番霊場 大師堂

暫く進んだ左に防府天満宮と書いた 道標


その先右手に 常夜灯

常夜灯の先の街道

右に田畑が広がる長閑な街道風景を振り返る。非常に静かな集落を進む快適な街道でした

やがて左からの335号線に接近する手前の道に沿って右の細い道に分岐します

335号線に合流せずそれた道です、分岐から150m程弓なりに進むと、前方に新しく完成した山口宇部道路の高架下にトンネルが見えます。旧道が遮断されているので迂回できなくトンネルを潜り西側に出ます

西側に出て60m程道なりに進むと、335号線が山口宇部道路を潜ってきた道に突当り右に折れます。トンネル方向を振り返る

335号線に重複して迂回路、ICの北側を円を描きながら左にカーブして迂回します

迂回してやがて右に弓なりに蛇行した先100m程で、西に方向を変えて山陽新幹線の高い高架下を潜ります

その先で今度は左からの国道2号線の今坂信号交差点に合流します

終点の下関まで51㎞、街道はもう少し長い

少し国道を重複して歩くと、国道右に少しの区間だがそれて迂回道があります

少し先で左の国道に再び合流します

合流した反対側(南)また少し迂回する少しの区間の旧道があります、車に注意しながら渡りました

再び右の国道に合流して、車に注意しながら国道の北側の歩道に横断、そこから振り返ったところです。旧道といっても今の国道以前の旧国道跡で旧街道でないと思うので無理せず、国道を素直に歩いていけばいいかも

今は国道で峠という気はしませんが おいはぎ峠

国道は上り坂になります、坂の頂上手前右においはぎ峠食事処があります

峠付近にかつて 割木松(わりごまつ)一里塚跡 痕跡はありません
また峠右(北)手、岩石採掘場辺りに 割木松狼煙場跡 がありました

おいはぎ峠のすぐ先右手に 周防長門国境碑「東周防國吉敷郡 西長門國厚狭郡」 現在は山口市から宇部市に入ります


国境碑のところで、左の国道から右に入りますホテルZooの前の道

国道の喧騒から外れると静かな旧道となります

割木松集落に入ります

すぐ右に 庚申

街道面影の残る静かな集落

集落内左に 柊神社



右に 地蔵立像(三界万霊)


少し先を進み甲山川を渡りますと、すぐ左からの国道2号線が合流します

400m程国道の歩道を坦々と進みます、右に鉄塔があります

鉄塔の少し先で、国道2号線は緩やかに右にカーブして国道左(南)側でUカーブしてきた甲山川を渡っていますが。街道は右手の山の裾野が切れたところ、田園が広がるところです。
右の山裾に入って進む旧道の入口は、雑木や倒木・藪草で覆われ旧道は少しの間ですが分かりにくいです。でも何とか無理して掻き分けながら入ると旧道が見つかりました。道が分からないときは、下の田園と山裾の畦道を通ると無難です
国道2号線から見た旧道山裾の樹木の中が旧道で下の道が畦道、左に大きくカーブしながら進み、その先で左に大きくカーブしながら山裾を進んでいます

国道と離れて正面の山裾を進んでいきます

国道より右の旧道の獣除けの金網の中に入ります。正直いって無理に入っている感じです。資料を持たなければわからないだろうと思います金網に沿って山裾を進みます。案内標識はありませんが

しっかりしたききゅうどうあとです

枯れ葉が落ちて道を覆っているので優しい道になっています。快適です


左下が金網で遮られているが、気分的に山中と違って安心感があります。また左が明るく広がっているので気分的に楽です

右の小さな池を過ぎて左に大きく弓なりに進みます

手入れの行き届いている素晴らしい道です

やがて左の甲山川に接近したところで、川岸の近くに出ます

川岸に出たところで、今歩いてきた山麓の雑木の中の道を振り返る。向かって右は山裾の下の畦道とここで合流します

合流して少し北西に方向を変えます

山裾の坂を上っていきます

坂の途中から振り返ったところです、向かって左の林の中を歩いてきた旧道

坂を上っていく途中で水河内川を渡るとすぐ先で舗装道路のT字路に出ますので左に折れます

舗装道に出たところから今来た右からの旧道を振り返る

舗装道路を南西に下っていくと、右の少し高い斜面に 山伏の墓


さらに坂を下っていくと、国道2号線の上山中信号交差点に出ますが、国道の手前の道を右に緩やかな坂を上ります

【山中上宿:半宿】 に入ります
熊野神社社務所の道を挟んだ東側石垣の角に 元:浄土宗無量専念寺跡の白い標柱 創建は戦国期の寛永十一年(1634)。山中一(山中宿)は半宿で御茶屋がないため、通行する大名の上市本陣を兼ねて休憩に使われたが、その後衰退し廃寺となった。明治二年跡地に山口今市の浄土宗極楽寺が移ってきたが、昭和四十年に移転したため、跡地には現在石垣が残るのみです

社務所の北側に 熊野神社(三社権現)神社は永和年間(1375~79)に熊野権現を勧請したことにはじまると伝わる古社

神社鳥居の前に大きな 庚申

神社の社叢はツルマンリョウの自生地で県天然記念物に指定されています

山中宿の街並みを進むと、新しく建て替えられているが雰囲気が残る。緩やかな坂を下っていきます

やがて甲山川に架かる上山中下之橋の袂にでるので、橋を渡らず右に折れます、その右角(西北)に大きな
地蔵尊(三界地蔵)が祀られています

甲山川を左に沿って進んでいきます、集落が途切れます


川と共に左にカーブして堤道を進むと、国道2号線に交差します

国道2号線を越えた先の旧道は消失しています、その想像した道ですが、左の橋を見て国道を横断し、数十m堤道を進みます。消失した旧道は、右(北)に折れて120m程先で、次の写真の辺りに出て国道を斜めに横断し、右の丘の雑木の中に入り左に大きく弓なりにカーブして谷川を渡り、国道が左にカーブする先で合流していたようです、橋からその間300m程です。
そして今度は国道を斜めに横断して、川沿いの堤を進んでいたようです、その旧道はあります。
旧道が消失しているところで、止む得ず先ほどの橋に戻るのがいいのですが、国道2号線には歩道がなく車が多く歩くのが危険なので、旧道が消失している想像のところから、川沿いに西から北に進み、川が国道に接近する道を歩いた方が安全です。
一旦国道に出て50m程国道を進み、前述の旧道想定したところから、国道の南側の川の堤道を進みます。
前の説明文の、消失した道が国道に出てきて斜めに丘を上る写真です

前の説明の、国道から甲山川沿いに旧道に入った160m程先左側に橋があります、そこから振り返ったところです

橋の袂旧道左に 庚申と三界萬霊 この辺りから集落が離れているが

街道北側の脇には 旧街道跡の石垣の残骸

山中宿 になります
山中宿の街並みを進みます

その先で右からの国道2号線が合流します。合流する右奥には下山中公会堂があります

合流したすぐ先右、国道2号線沿い下山中バス停の手前 山中宿下市本陣跡の標柱


傍に 薬師堂

その先で左に大きくカーブして西に方向を変えます。そこから振り返った宿場跡ですが、国道の改修により宿場の面影はありません

左に大きくカーブするところで、国道を右に左の川沿いの旧道を進みます

少し国道から入っているだけで、喧騒から離れた静かな街道

再び国道に合流して左に重複して進みます

合流した少し先、この辺りからかつての旧道は国道の右手を平行して進んでいたようですが、国道改修により消失しています

この付近の右の消失した旧道沿いに 一里塚跡 があったが痕跡はありません

少し先国道右に、天保年間の百姓一揆で、この地方で最も活動した一人が捕らえられこの地で梟首された
与助の首標柱 が建っています


旧道のように思っていたが山麓に沿って北に離れていくので街道ではないようです

与助の首の方向を振り返る、向かって左

暫く真っ直ぐの国道を西に進んでいきます

やがて甲山川に架かる猿王子橋を渡ると、すぐ国道2号線の車地信号交差点に出ますので、左に折れます

数十mで道なりに右にカーブ、右手におがわ食堂があります。その先で厚東川の堤防道に突き当たります

突当りから北を見ると厚東川に架かる二俣瀬橋の国道2号線が見えます。その二俣瀬橋近くの 駒の頭 東から流れてきた甲山川の水を厚東川の西側一帯の木田村の田地に流すサイフォンの遺蹟があります。寄らずに進みます

堤防道を南に進んでいきます、前方に木田橋が見えます。また堤防左には、二俣瀬小学校が見えます

木田橋東側の十字路に出ます十字路左手前に 永山本家酒造

厚東川に架かる木田橋を渡ります。木田橋の辺りはかつての舟渡し跡
二俣瀬の川舟渡し跡

橋の東詰めより、永山本家酒造を振り返る

木田橋から右(北)側の景色正面右を歩いてきました

橋より左(西)側のこれから進んでいく景色

橋を渡り左に折れて堤防道を進みます、桜並木の道です

左、木田川を背に松崎神社の 常夜灯が二基

常夜灯の前の街道を振り返る

すぐ先国道2号線の二俣瀬信号交差点を横断して真っ直ぐ進みます
瓜生野集落を抜けていきま

交差点を過ぎると右手に高い石段があります 秋葉神社の鳥居

神社の鳥居の先右に 浄土宗西秀寺 が見えます

秋葉神社の杜と西秀寺を振り返る

静かな集落を進みます

少し先右手土手の上に 庚申


すぐ先、丸山ダム信号交差点で国道に合流します。すこし進んでいくと右手に 大歳神社

神社の隣にある 薬師堂

瓜生野地区に入ると、右に宇部丸山ダムが見えます

ダムの入り口から100m程進むと右斜めに入る細い道があります。(うっかりすると通り越すので注意が必要)

細い道を入り瓜生野辻堂の集落を入ります

国道から入った旧道を130m程進むと右に、瓜生野区公会堂があります。
その数十m先で私が大失敗した「どんだけ道」です

右に電柱と、その脇に白い標柱が建っています。そこを右に入るのが旧道です

標柱には 殿様道(山陽道往還跡)と書かれています 玉木坂・どんだけ道 と呼ばれ、吉見に抜ける峠越えです

右に折れた往還道の坂道を上るすぐ左にカーブすると山道に入ります

道は細くなり少し荒れています、道があるのか少し心配です。万一熊が出たらいけないので鈴や笛で防御します。この辺りは結構多いようです。でも初冬だから冬眠に入っているかも


地道の旧道を入っていくと広くなっていて右に 鳥居が建ち 大歳社 があります

大歳社を過ぎたところで舗装道路があります、この道路は丸山ダムへの舗装道路です。横断します。

舗装道路を渡った左に 白い標柱「殿様道 山陽道往還跡」

標柱の右手の山際に 庚申 が祀られています

大チョンボ
この先、前述に記載したように道を間違えました。何故このような間違いをしたのかはいまだにわかりません、人があまり歩かない道なので少しは荒れてはいたが、でもこの少し先街道左には墓地があるので参る人もいるだろうけど。とにかく旧道を西南(左斜め方向)にとるのを、庚申の先でやや右斜めに進んだようです、道はなかったと思うのですが、途中で気が付かず藪を登っていったようです。歩けなくなってやっと気が付いたときは、目の回り全て私より茂みや棘が高く、その中で身動きができず一時はパニック状態になりかけたが落ち着き考え、見渡せば左方向が少し明るい隙間があり、また確か街道の上り坂方向であると思って無我夢中で藪を掻き分け距離にして数十mですが進むと、墓地の近くの旧道に出て無事ホッとした一瞬でした。峠道といっても高くない峠でした。
ホテルに戻り、その時の状況をよく思い出すが考えられないまちがいです。間違う時はああいうもんかなと思って慰めています。筆記用具は紛失するは、服は破るは、手に擦り傷を負うはで大変であった
殿様道(どんだけ道)を上る、この辺りから右に入ってしまったようです

人も通らないのだろう、踏み跡も分かりにくく、倒木もあり荒れています
左へ行くべきだがまっすぐ上に上って行った

普通の時ならこの辺りで気が付いて当たり前なのですが回りが藪で身動きできない状態になる

気持ちが落ち着くまで動かないで、でもまだ写真を撮っている状態だから、今でもその時の気持ちが分からない。とにかく左と思って落ち着いてよく見ると左に少し明かりが見えたので、写真に写っている藪を掻き分け進みました。
本当は上ってきた方向に戻ればいいのだが、回りは背丈以上の藪で戻るに戻れなかった。
山が浅くて助かった

左(西)に藪を掻き分け旧道に出てホッとした瞬間です。墓地のある上の道に出ました。鉄条網の変電所の傍を抜けて

道を上っていくと建物が見えてきます

少し上った所から振り返ると、向かって左の雑木の中をさまよっていたのです。右に見える白いのが変電所です

倉庫のような建物の敷地内に出ましたので、止む無く敷地内を通らせてもらう、この広場の先に下る道が続いているから、この辺りが どんだけ峠の頂上 あたりのようですがハッキリとわかりません

倉庫で作業の人が一人いたので道を聞くと、街道は分からないが、その先から細い下り道があると教えてくれました。
倉庫の先、旧道と確信して、どんだけ峠から下っていきます

人と会うこともない、もちろん民家も畑もない寂しい山道を進んでいきます、でも幸い高木がないので明るいので助かります。もう道を間違わないよう必死です

快適な道といいたいが、まだ不安が一杯で、必死に下っている状態です

やがて舗装道路に出ます、いつも味わう瞬間ですが安心感でホッとします。瓜生野辻堂から吉見に入り民家が見えています。舗装道に出て横断して真っ直ぐ進む

峠を下ってきたところの左に 道路史跡 山陽道跡の標柱 が建っています振り返ったところ
間違っていなくほっとした瞬間

両側田畑の間の道を進むと、南北の宇部美弥線(37号)に出ます、その道を横切った先で、大坪川を渡ります。川を渡った先からどんだけ道方向を振り返る、決して山は高くないです
この付近に 一里塚跡 があったようですが痕跡はありません。山陽道の一里塚は殆んどが消失しています

手の甲は擦り傷、服やズボンが破れ大変でした

大坪川で川沿いに左に折れて下って行って国道2号線にでると、山陽本線厚東駅方向に進んでもいいのですが、かつての旧道は、大坪川を渡りすぐ先で雑木林の中に入ると左に折れた快適な雑木並木の中の足に優しい旧道を進みます

左に大坪川や田畑を見ながら快適な道を進みます

右手は山、左は明るく開けてる田畑の山麓を進んでいきます

雑木林の隙間から左、大坪川の東側に 浄土真宗本願寺派関照山圓生寺 が望めます。道は分岐していますが、左の道(写真の)を進まず林の中の道を進む。向かって圓生寺の南、国道2号線の南側にJR厚東駅があります

分岐を右に少し道は右に方向を変え荒れ道に入ります


旧山陽道の標識が建っています

標示の横の石段を上っていくと

鳥居が建ち 妙見社 があります

妙見社の境内も荒れていて殆んど参る人もいないのだろう。境内に大正九年の 岸田享人之像 が忘れられたように立っています

境内から雑木の間を細い道がありますが、旧道がここに続いていたのか、それとも参道跡か

元の石段のところに戻り先に進むとすぐ右手前方に厚東中学校が見えます


右(北)に厚東中学校

左に下っていくと国道2号線に出ます。国道2号線を少し進むと、厚東中学校の正面に出る国道の厚東中学校信号交差点に出ます。岡村バス停があります。暫く歩いたところ、写真で正面奥に白いガードレールがあり右に坂を上る少しの間の旧道がありましたが通り過ぎてしまいました

右手に厚東郵便局またその西北に 浄土真宗本願寺派関口山正覚寺 国道沿いバス停辺りに 吉見屋敷跡があったそうです

すぐ先右、石組の上に 祠

国道2号線を進み振り返ったところで、前述の旧道がここに下りてきています

さらに進むと国道から右に坂を上る旧道があります少しの間ですが旧道が残っています

少しの間ですが静かで気持ちがいいです再び左の並行している国道に合流されます

合流したすぐ先に下岡信号左T字路交差点がありますので横断して、60m程進むと

ガㇿルリー小川:の看板が立っている所の細い道を左に入り山陽新幹線の高架を潜ります

高架を潜り道なりに右(西)に100m程進んでいった先で左(南)に方向を変えます

南に方向を変えて、右の山裾の静かな旧道を300m程進んで行きます

静かな気持ち良い街道です。やがて道は再び右(西北)に方向を変えます。右の山を巻いて山裾の道を歩いています

右にカーブして130m程進むと分岐しますので、左側から川沿いに来る道と合流して、左の道を川沿いに進んでいきます。左の道を220m程進むと右から国道2号線が合流して、すぐ先の山陽新幹線の高架を潜り北側に出ます。
山陽新幹線の手前で国道に合流したところで、すぐ右斜めの農道のような道があります、これが旧道跡か分かりませんが、その道を進み山陽新幹線の高架を潜りました
前述の山裾を右に巻いて分岐する辺りからの写真で正面に山陽新幹線の高架が見えています

山陽新幹線の高架を潜り、国道2号線を左に数十mの所を畦道なのか旧道であったのかわかりませんがそちらを進みました

建物があった先、道は消失しているので左の国道に出ることになります

左の国道に出て国道少し先から振り返ったところ畦道が消失して畑になっている(向かって左)

歩道がなく危険な国道の坂道を上っていきますので要注意区間

数ヶ所国道に沿って短い区間の旧道跡が残っているようですがそのまま国道を上っていきます

まもなく 吉見峠 の頂上です

吉見峠を下り始めて振り返ったところ

峠から暫く国道を重複して下っていきますが、かつての旧道は峠を下り始めたすぐ先辺りから左斜(真西)めに谷道を進んでいたようですが、今では完全に旧道は消失しています

峠から暫く歩道のない国道を注意しながら下っていきます。左にカーブするところに出ます、カーブする手前右に池があり、北側一帯は舟木工業団地です

そしてカーブしたすぐのところ左に池があります、その池と国道の間に下っていく細い道がありますのでそこを国道と分かれて左に下ります

国道を右に平行して200m程進むと左(南)から道路が合流する辻に出ます

合流した左角に 六地蔵と石仏 その合流辻のすぐに宇部興産専用道路が高架で通っていてトンネルを潜ります

かつての消失した旧道はここで合流している辻、その間へ東から進んできていたと思われます(写真の向かって前方の白い建物方向と想像)。消失した街道の東をみたところで、途中に舟木峠があったようです。このように間違っているかもしれませんが、想像しながら歩くのが楽しいです
トンネル手前の辻から消失した舟木峠方向(東)を見たところ。左側の道は今歩いてきた道で、写真の写りが少し悪いですが右の道は南へ丁度この間の白い建物方向が消失した旧道跡でしょう

宇部興産専用道路の高架トンネルを潜ると、長府宿まで35.3㎞である
【船木宿】入ります
かつて有数の柘植の櫛の生産地であった船木宿でたたずまいに近世の面影を残す。萩藩船木宰判の拠点であり、宿場の東に 船木宰判勘定場跡や御茶屋跡 があります
トンネルを潜ったすぐ左斜面の上に 傾城塚 傾城というのだから遊女の墓なのだろうが自然石の墓です、いまだにこうして祀られていると思うと、謂れがあるのだろうか


すぐ右に 船木一里塚跡の標柱 一里石跡は山陽道では殆ど消失しているが、かつてこの付近にあった標柱が立っているので助かる

標柱の傍に 地蔵と大師堂

船木宿の街に入ると、右に岡崎八幡宮の鳥居が見えてきます


鳥居の向かい街道左に 船木宰判御高札場跡の標柱

高札場跡の前から街並みを振り返る

鳥居と参道奥に岡崎八幡宮
船木地域の産土神で古くから鎮守として崇敬されてきた古社。宝亀元年(770)に和気清麻呂が勧請したと伝わる。応永三年(1396)大内義弘が再興したが、そのご再三兵火で焼失したが、その都度再建・修復を繰り返し現在に至る

神社前のクスノキの古樹は、樹齢推定七百年といわれ、シーボルトコギセルという巻貝が潮の千清で上下し、航海の安全のお守りとされたという


境内に 庚申塔 が並ぶ

岡崎八幡宮の杜全景

街道に戻り左(南)側に 浄土真宗本願寺派松台山願正寺

境内に 史跡 松下園(寺子屋)跡の標柱



宿場内の街並みを西へ

左に入ると船木幼稚園の南側に 浄土真宗本願寺派思惟山正円寺

その先で信号交差点に出ます、かつてこの辺りは舟木宿の中心地です

交差点を右に折れた少し奥右に宇部市船木ふれあいセンターがあります

そこには、 船木御茶屋跡(本陣にあたる)の標柱 船木宰判代官所跡・厚狭郡役所・徳基学舎跡等宿
の主なものが集まっていました

幕末の元治元年(1864)八月、当時の代官が高杉晋作と伊藤俊輔に金子を与えて、有帆大休に逃がしたという史実に残る場所。
明治三年(1870)厚狭郡役所が勘場跡に設けられて郡政が始まり、大正十五年(1926)に廃止されるまで、船木は旧厚狭郡全体の政治・経済・教育・文化の中心地として栄えた。
明治六年(1873)四月、旧勘場東側(現庁舎)に県下で始めての「女児小学」が開始され、厚狭毛利家の勅子夫人が女教師となられた。明治十二年(1879)「徳基学舎」と改称、のち徳基高等女学校、さらに県立へと昇格し近郷から沢山の子女が勉学に来ましたが、明治四十二年厚狭へ移転しました(現厚狭高校)。ここは、山口県の近代女子教育発祥の由緒ある地です。 (宇部市教委員説明文より)
船木ふれあいセンターと前の 船木宰判・代官所跡碑


ふれあいセンター全景

街道に戻りすぐの信号交差点を横断した右に 旅人荷付場跡標柱と説明板 が立っています

藩政期には、船木宿には駅馬十五頭と人足十数人が用意されていた。街道筋に町屋が並び、表と裏まちに水路が二筋流れ、御茶屋(本陣)・勘場(役所)また田町に御番所など設けられ宿場役人がいました

信号交差点を振り返る

交差点の先、右に船木郵便局、山口銀行が続いている街並みを振り返る

静かな趣のある宿場街道を西へ この辺り左に 御物送御番所跡 があった

その先、楠町に入り右に 常夜灯 が建っています

大木森住吉宮

すぐ近く西側右に大きな お地蔵さん

お地藏さんの前からみた素晴らしい宿場の街並みを振り返る、真っ直ぐな街並みです

やがて国道2号線の茶屋信号の五差路交差点に出ますので、国道を進まず左(南西)に折れます

茶屋交差点に歩道橋が架かっているので上ってみました。歩道橋から今来た街道の船木宿

この先西南に進む山陽道

茶屋交差点より180m程進むと左に、みかさ農芸センター船木店があります。その西側で道は分岐しているので、右の旧道に入ります


旧道に入らず【寄り道】そのまま車道を800m程進む、途中右の山腹には 浄土宗西山禅林寺派来迎寺 があり、特に紅葉で有名です。
そして山陽新幹線を越えて西にカーブして進んでいくと、左の山裾に草葺きの山門があります 曹洞宗瑞松庵 で応永二十四年(1417)開山の古刹。大内・毛利氏の庇護を受けた寺で、千林尼の墓所 もあります。少し離れているので残念ながら寄れませんでした
右に折れてまもなく有帆川に架かる布目橋を渡ります

布目橋は歩行者・二輪車専用橋です

橋を渡る袂に 改築記念碑

橋より右(北)側の眺望、正面の国道に架かる橋は船木橋

橋を渡ると国道に合流しますので左に折れて暫く国道に重複する、左は有帆川が沿います

暫く進むと小野川に架かる橋を渡るとすぐ新川信号交差点に出ます。交差点から国道を振り返ったところ

新川信号交差点で国道を右に分け、左斜めに入る旧道を進む。左にみたらい商店があります。少し進んだ左辺りに
逢坂村御米蔵跡

すこしの間ですが旧道を進みますと、切り通しになっています。再び右からの国道に出ます

国道に出た辺りかつては、逢坂村台ヶ坂・寺子屋跡。多分切通でなく峠越えになっていたのだろうと想像

国道に合流したところで、左角辺りが 寺小屋跡か。国道の歩道右側を進んでいきます

銭ヶ原地区に入り小川を渡ります、かつての街道は国道のすぐ左にあったようです右(北)方向の写真です

小川の横の信号交差点を振り返ったところです。小川の手前右にビューティハウスひかりがあります

小川の袂左に 石造物の大師堂の祠

その先、銭ヶ原信号交差点に出て横断します

国道に側溝があって蓋をしていないので歩道はありません。銭ヶ原信号の先は、かつての旧道は数m右に平行してあったようです

少し先で振り返ったところです。旧道はこの左辺りを通っていました

逢坂に入り国道は左に大きくカーブしています。旧道はその手前、原川の越えたところ左斜めに入ります。(原川の手前の道路ではなく)

左斜めに入りすぐ右に、国道の左側に素晴らしい 逢坂の旧道跡 が残っています

何時までも保存してほしいものです

国道の逢坂バス停のすぐ先で、旧道跡の畦道が合流します

国道から今来た旧街道跡を見る

国道の広い歩道に出ます、ここで横断歩道がありますので渡ります

国道を横断して店の前から振り返った

店の前を西に進むと細い旧道が残っています、旧山陽道の 千林尼石畳路

入り口のところに案内板が立っています。旧山陽道100m残る、千林尼の石畳路がごく短い区間残っています旧道右に逢坂観音堂 があります

案内板から旧道を進むと慶応年間千林尼の托鉢行での浄財で整備された 石畳路

千林尼の石畳路跡 少し往時の残骸が残っています

坂を上りつめると右に 逢坂観音堂
木造十一面観音菩薩立像(逢坂乳観音)行基菩薩の作と伝わる、頭上に化仏十面をいただき、右手には施無畏印の構え、左手に宝瓶を持つ通形の十一面観音立像。平安時代後期の作。観音堂は、千林尼が堂主であったことでも有名

千林尼の墓と石仏

史跡 山陽道の一部(残存)の標柱

観音堂の横から山陽街道が西へ100m程原型をとどめて下っています

観音堂の前から逢坂の集落を振り返る観音堂まで一部石畳路が残る急坂を上ってきました

逢坂観音堂の内部

観音堂前あたりが 御駕籠立場跡 であった
観音堂前からすぐ国道に下らず、西へ滅多にない旧道跡の道を思いにふけりながら下っていきます、いい感じです

この短い旧道ですが、古の参勤交代や人々が歩いた旧道です。

下の舗装道に近づいた辺りは草が茂っていますが歩けます 夏場は少し厳しいかも 夏場は少し厳しいかも


やがて210m程先で国道に出ます100m程が旧道として手入れされています。その先が下の道に出ずもう少し下の道路と並行して進んでいたのかも、本当の旧道が消失しているのか分かりませんが、どうせならすべて手入れして頂ければと身勝手な思い込みです

旧道跡を210m程下り国道の逢坂信号交差点近くに出てきたところです。下の道から旧道跡をみると、殆んど道がない状態に見えます、でも大感激です

その先の逢坂信号交差点で道は分岐するので、国道を左に分け右の船木津布田線(225号線)を進み西見峠へ向かいます

225号線を上っていきます

やがて 西見峠へ(標高57m)高くなく現在は舗装道路で峠という感じがありません
切通になっているので、昔はもう少し高い峠で会ったことだろう

宇部市から山陽小野田市に入ります
峠のすぐ右に 祠

祠の前から峠を振り返る

峠を越えたすぐ先で、左の旧道に下る道がありますので左へ進む

左に下る右ガードレールの傍に 西見峠一里塚跡碑 「旧山陽道」と刻まれている

右に石碑を見ながら坂を下っていきます

坂を下り少し進むと右に池があります

右の池を背景にして木立の中に 日蓮宗の題目石

池に沿って墓地があります、この池の堤を 埴生田堤 といわれ古いものです。
旧道は池を巻きながら右にカーブして、その先での分岐を左の道を進み池と離れ西に進みます

池の西側から巻いてきた池の堤の旧道・墓地を見る

池の西側の分岐を左(西)へ

すぐ先で街道は左T字路を右に折れて坂を下りながらすぐ左に折れる、鍵型の道になっています。この先はかつての厚狭宿に入ります

【厚狭宿】の街への入口

宿入り口の右手に 祠


祠のすぐ先右手に 鴨神社への鳥居と参道

右の参道の先225号線を越えた先に 鴨神社の杜

すぐ先316号線と交差する右手前角辺りに 高札場 がありました

交差点を越えた先の厚狭の街並み十字路を左(南)へ行くと厚狭高校南校舎があります、そこはかつての 厚狭郡家跡でいた

交差点より少し先右奥に 浄土真宗祐念寺

祐念寺の前から街並みを振り返る

さらに西に進むと左T字路で、右手前角にスポーツショップがあります

右への道が 伊佐道

すぐ先左に川東会館。右に永山酒造を見て少し進むと、十字路に出ます

【寄り道】十字路を左(南)に折れて進んでいく道があります 下津道 と呼ばれています

十字路を右奥には

十字路を150m程左(南)に進むと右に 浄土宗無量山貞源寺 厚狭毛利二代元宣の室を祀る、本堂向拝口は毛利本家の玄関を拝領移築したもの

さらに南に進んでいくと

右に 水神社
水神社のすぐ先で山陽新幹線・山陽本線の高架を潜り進むと、250m程先の十字路に出ます

角の駐車場道沿いに 厚狭毛利家居舘址の標柱 関ケ原の戦い後、長門厚狭に10500石で毛利元就の五男元秋が祖としたのが始まり


道を挟んだ左は 朝陽館跡 享和二年(1802)には九代房晃が郷校を創立したもの

傍の公会堂の前に 鳥居と庚申

街道に戻り厚狭川に架かる鴨橋を渡り西の袂を左に折れます

その前に右に折れた先に 厚狭天満宮 があります

橋の西袂に戻り川沿いを左に折れる吉武医院の角に 道標 「右 あつ 左 はぶ下の関」

橋から厚狭宿の街並みを振り返る

左に折れた街道、橋の下流側の付近はかつての 渡河点 でした

橋の西袂から260m程進んだところの左T字路で旧道は右に折れていました。途中右に村上石材店、小公園があります

そこから振り返って所です

右に折れた旧道を進んでいきます

130m程先で厚狭駅東側の、山陽新幹線や山陽本線で旧道は消失して行き止まりです

元の分岐のT字路の戻り迂回します、川沿いに進み山陽新幹線・山陽本線の高架を潜り道なりに、右(西)にカーブして進むと

120m程先でT字路となり右に折れます

すぐ先右に壱岐建材店があるところで、山陽新幹線の高架に突当りますので左に折れて、すぐに分岐を左斜めの道を進む(高架沿いの右の道でない)

前述の高架北側の消失した旧道跡はここに出てきた、斜めの道に通じていたようです

分岐の道で、左側が旧道復活。右の道の先すぐ厚狭駅前に出ます

すぐ左に祠がありますが祀っていないようで跡です

厚狭駅南側の真っ直ぐの道を西に進みます。駅の南側一帯は 古代律令制条里遺構 といわれている、現在厚狭駅南側は広々とした開発地となっていて、往時の田園区画風景は見られないが、その遺構がなんとなく想像できるが、この先開発が進むと全く想像すらできなくなるだろう

分岐から400m程進んだ広い交差点を横断します

交差点右を見ると、山陽新幹線・山陽本線の厚狭駅が見えます

駅の南側一帯は開発中であり 条里遺構跡

交差点を少し西に街道を進んで右に折れていくと面白い名前の 寝太郎権現社(寝太郎荒神社)

千町ヶ原のほぼ中央にあり、その開拓者:寝太郎を祭神に祀っている。昔、この一帯は葦の繁った沼地であった。この沼地がいつの頃、誰の力によって厚狭川をせきとめ、水門と水路をつくり千町ヶ原に灌漑用水路を引き、素晴らし美田に変えた。これは天保十二年(1841)の風土注進案にある話である。この物語が幾多の創作まで織り込まれて一つの伝説が深くこの地に根をおろした。それが寝太郎物語です。(山陽町観光協会案内文より)

傍にある 庚申

厚狭駅前の北口にでたところに建つ 寝太郎像

本日はここで終了します。
16時35分到着:31.85kmとよく歩きました。厚狭駅近くの厚狭ステーションホテルに泊る、移動がなくて楽です
明日と明後日で山陽道も完歩します


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