山陽道 5日目

2011年9月26日

姫路の起点本町~有年宿

昨夜は相生駅前のホテルに泊まったので朝から暗いうちに姫路までJRで戻らなければいけない、かなりの距離がある。ホテルを5時20分に出て5時26分発で姫路駅に戻り昨日の起点6時10分にスタートします。
本日は1ヶ所危険な道2号線の300m程の区間を除いて快適な街道歩きで距離もよく伸びた。
相生駅前の街道地点に着いた時、3時15分出来ればもう少し歩いておきたいが有年宿まで8km程あるので、今日は帰宅するので帰りの時間も考えると此処で止めるのがいいが、中途半端であるし次のことを勘案すると思いきって歩くこととしました、幸いあまり寄り道をして見るべきところも無く少し早足で歩く。
1ヶ所非常に危険な国道2号の300mほどの道があり、迂回しようと思ったが見つからず怖かったが何とか無事通過しました。でもやはり少し無理な強行軍の3日間であったが予定通り歩けて満足な3日間であった。
有年駅17時42分のJRで帰宅につく。
        姫路   6時10分 スタート 
        有年宿  17時   着
          62.700歩 37.62km 1.766kl
 実によく歩きました。

姫路駅前の広い大手前通りを北に進み前日のアーケードのある二階町商店街(街道)の東西の地点に出てスタート。本日は少し頑張って歩き当初予定に近づけたいと思っています。
6時10分どんより曇っていてまだ暗い

 【姫路宿】

左の姫路駅方向(南)を見る

山陽道のアーケードの二階町商店街まだ朝がはやいので人通りもなく暗いです

少し明るくなってきました、福中町を通り船場川に架かる橋を渡ります。すぐの広い道の信号交差点を横断したすぐ先のT字路を右に折れます

船場川に架かる橋より南側を見る

T字路で行き止まりですが、その西側に真宗大谷派姫路船場別本徳寺があります。寺の東側の道は 室津道(室街道)でかつての西国大名の参勤交代の道として室津港との旧道があります。本徳寺はじめ室津道の街道資料にのせていますのでご参照してください

T字路を右に折れた100m程先で国道2号線に出ます、横断ができないので少し右(東)に折れると白鷺橋の信号交差点にでますので、船場川に沿って左に折れて2号線を横断します。この辺りは姫路城の 埋門跡

船場川を右にして数十mで左に折れて、前述の2号線の北側近くの道に出ます。船場川沿いに進んだところから2号線に架かる白鷺橋方向を振り返る

左に折れる川(堀)沿いに立つ新しい西国街道の 道標

左に折れた街並みに入る左、この角の塀の中に船つなぎ石があったようですが見逃しました。左に折れて数十mで十字路に出ます、左が前述の横断できなかった国道です。十字路を右に折れます50m程進むと、右T字路を左(西)に折れます
右T字路を左に折れて西に真っ直ぐ進む龍野町の街並みです

街並み左に市指定景観重要建築物の 初井家 北原白秋に師事を受けた初井しづ枝の実家、落ち着いた美しい建物

龍野街並すぐ先の交差点を右に入っていくと、曹洞宗景福禅寺 山門の仁王像は鎌倉時代の作

元は摂津国にあったが天正年中に戦火を避けて姫路に移り、池田輝政の築城時に坂田町に寺を建てた。その後、姫路藩主酒井家の菩提寺となる。境内には、酒井忠学の室、十一代将軍家斉の娘喜代姫・その娘喜曽姫(藩主酒井忠宝の室)・藩主忠績の室婉姫の墓がある。

三人の姫の墓

景福寺への交差点の少し先の次の交差点の右の通りを入ると、農人町でのこぎり街路と呼ばれている通りがある

さらに進んで古い街並みを過ぎたところで左にダスキン今宿支店の前を進む、右に広い新道を越えて40m程で突当り左に折れます。ここは龍野町5丁目 正面飾磨県庁跡

左に折れて100m進んだところ左T字路で右に入る新道があります、右に折れたところから見たところ、街道は一方通行を右へ

右の高台向かって右 善福寺と左 願成寺 が並んでいます

龍野町6丁目の真っ直ぐの街道を進むと新しい車道に出ます。西側に横断したいのですが、渡れないので少し左側の信号交差点へ迂回します

西側の旧道の入る辻です

西側から歩いてきたところで通行止めの表示の所

その先、弓なりの緩やかにカーブしながら進みます

車崎1の町筋を振り返る

車崎2で左後方斜めからの道と合流して五差路を真っ直ぐ横断します

車崎の町筋

やがて水尾川に架かる車崎橋を渡ります

水尾川の先の神子岡前集落を進みます

東今宿集落に入り東今宿信号交差点を横断します

西国街道の新しい道標

右に姫路高岡郵便局、その先の街道

西今宿三丁目11の右手に 式内高岳神社の碑

すぐ先左に双体地蔵尊を祀られています 

その先で左からの国道2号線に合流します国道を暫く進み途中、姫新線の播磨高岡駅前交差点を越えます。

交差点の右に高岳神社への参道入り口に 灯籠が二基

 【寄り道】 国道より700m程北に進んでいくと

高岳神社

国道2号線の今宿西交差点近くからの高岳神社の杜を見たところです

この付近国道沿いの改修が進み道幅も広くなっています

姫新線駅前の2号線沿いを振り返る

坂を2号線で上っていくと国道改修により、姫新線は高架道路の下を斜めに通っています

高架道路から姫新線がみえます

下っていくと左にパチンコ店やオートバックスが見えます

オートバックスの北側、2号線を挟んで右に入る旧道が復活します。道路工事中で少し分かりづらい

旧道に入るところから振り返ったところでこの辺り数年後には様変わりしているようです

右に業務スーパーを見て旧道を進むと、旧家が残る下毛野の集落を通ります

旧家の建物が残っていて雰囲気のある街並みです

右の秩父山の山腹に見える 船越神社

少し先右に下手野町公民館があり、その前街道沿いに新しい西国街道の 石碑

下手野町公民館のすぐ先右に入ったところに 真宗大谷派法水山来法寺

すこし進むと小さな川に出ます

川を渡る橋の五差路を南側の道から見たところで橋を渡ったすぐ右角に

 道標 「圓光大師二十五番霊場」「右 第一番みまさか誕生寺道」「左 たつの道」
右の細い道は 美作道

川の少し先左側に

山陽道一里塚跡

小川から少し歩いた先で夢前川に突き当たる手前の交差点左に大きな 金毘羅山灯籠

交差点のすぐ先は夢前川の堤防で、かつてこの辺りは 川越の宿場跡 で雲助がいたという

夢前川の渡し場跡 を見る

交差点より街道を振り返る

堤防を100m程南に進み、夢前川に架かる夢前橋を渡ります

橋を渡り対岸に出た 渡し場跡

堤防よりこの先の街道を西に進む旧道で交差点を横断します。交差点の右への道は山陽道と分岐して、出雲街道・因幡街道の起点

夢前橋方向を見る

交差点を横断した右角に 道標 「圓光大師二十五番霊場 美作国・誕生寺道」 「左 備前金毘羅九州宮嶋 往来」 「すぐ 姫路 大阪 京 江戸 往還」 「右 因州 伯秋 昨州 雲州」 「岡山へ八二十リ一丁 廣嶋へ八六十リ三十三丁下関へ八百リ」安政二年の銘

交差点を越えてすぐ小さな川を渡ると左に 教専寺 門前に 播磨仙人了空翁誕生地の碑

お寺の前から街道を振り返る

旧家が並ぶ青山集落、素晴らしい街並み

右に 国史見在射目崎神社の 石標

稲岡神社の 鳥居と常夜灯 100m余り参道を入っていくと

稲岡神社
稲岡山の南麓に鎮座、射目崎神社はさらに北に行ったところにあったが、応永の頃(1395~1428)両社を合わせて一社殿に祀られたと伝わる

歌碑が立つ、青山八景色 山社晴嵐
    雲はれて山路さひゆくみやしろの  神代のあとをとふあらしかな

境内に立派な屋台庫

街道に戻り小さな川を渡ります青山五丁目15の右手民家の裏に 薬師堂

薬師堂の入り口に建つ史跡 宗全寺跡石碑

すこし進んでいくと左手の民家のブロック塀に沿って 若宮の松

すぐ先で左から国道2号線が合流します。暫く国道2号線を青山交差点・青山西交差点を通る新しい住宅の中の国道を進みます

やがて青山西5丁目交差点にでると右角にはファミマがあります。かつては、信号のところで旧道は左斜めに進み山田峠(青山峠)に登っていたが、今は住宅地に変わり消失してるので迂回します

青山西5丁目信号交差点より、途中右に青山保育所をみて300m程国道を進むと、左にホテルサンシャイン青山がありその手前を左に折れて迂回します。国道をそのまま進むと、その先で左に大きくカーブして新笹峠(山田峠)を越えます。

ホテル手前を左に折れるとすぐ右の山上に順海寺がありその石段を上るところに案内石碑が二基建っています。
「播磨四国第十二番霊場」「真言宗 順海寺」
この辺りに東からの消失した旧道が合流していたのだろうと想像します

街道より右、順海寺への石段

願海寺の本堂

街道に戻り小さな公園の傍に 石の祠

右の石碑二基を見て坂を登っていくと

左右、林に挟まれた切り通しの 山田峠 に出ます

山田峠を越えて振り返ったところ姫路市を抜け揖保郡太子町に入ります

峠を越えて下っていくと山田集落が見えてきます

山田集落に入るところで道は分岐しますので右の旧道を進みます

正面前方に国道2号線の姫路バイパスの高架が見えます

バイパス高架手前で小さな川を渡ります

橋を渡ると左側に大きな蔵付きの旧家があります

明治天皇山田小休止跡 で庭に碑が建っています

そのすぐ先でバイパス道路の高架を潜ると短いが坂道を上ると、右から国道2号線が合流しますが

その手前右に 題目石碑 「南無妙法蓮華経」

右からの国道2号線が合流した先で200m程進むと山田信号交差点でも、左から国道2号線のバイパス道路が合流してきます。
2号線が合流した左に上之池がありますその先、池が切れるところの原信号を越えると、右に緩やかに方向を変え、西に進むと左に山陽新幹線の高架が接近して暫く並行して進みます。
右のGSの北側にきたやま公園が広がり、皿池・ミスミ池・馬野池・一番北側には応神池があります

その先右に大間ゴルフの大きな看板がたつ原西の信号で右の旧道に入ります

右に入った左角に 題目石碑

坂を登って進みますと左の石垣の上の旧家

黒岡の集落を振り返る

少し歩くと下りになり途中左に竹藪があり 桜井の清水碑 が建っています

太田黒岡山の北麓にあり戦国時代に播磨を治めた赤松義村が選んだという「播磨十水」の一つ
    黒岡に行ききの人の心あらば  薬ともなれ桜井乃水
                               赤松広秀
奥に 桜井乃水石碑

すぐ先右に墓地が入口に 廻国供養塔・額田部連伊勢塚石碑

下り坂を進み原坂集落から田中集落に入ると田中公民館手前の交差点にでます。交差点右に 黒岡神社の鳥居 があります

【寄り道】 鳥居を潜り参道を北に入っていきます

黒岡神社

境内にある菅原道真ゆかりの 天神寝牛の石

黒岡神社古墳 古墳時代後期の円墳で直径15m・高さ5.3m 石室入り口に 藤原貞国掾塚家形石棺の蓋に藤原貞国塚と刻まれた石碑が建てられています

奈良時代に新羅が家島に攻めてきたとき戦い打ち破り功績のあった人

鳥居前で隣に田中公民館のある街道前に戻ります

少し西に進むと右に 太田の地蔵堂

行基作と伝わる、行基菩薩「太田の地蔵様」

大津茂川に架かる橋を渡ります

太田町の町与・牛飼集落の街並み

その先交差点右角に、まちかふ自治会館があります

交差点の少し先で右の坂を少し上ると 黒岡稲荷神社

街道に戻り暫く進むと右に太田小学校があり、そのすぐ先で左から国道が合流します。合流した先、暫く車の多い国道を進んでいきます。東保信号交差点を越えて右に大和紙器姫路工場の前で道は分岐して、左の旧道に入り暫く西への真っ直ぐの街並を進みます

 【鵤(いかるが)宿】に入ります

やや広い道の交差点を横断しさらに270m程先の交差点左角

電柱の袂に 斑鳩村の道路元標

元標の先 左路地の奥に 太子堂・太子山地蔵(北向地蔵尊)

背景は太子山公園があります

街道を挟んだ右には斑鳩寺参道で入り口に 灯篭二基 向かって左(西側)寛政六年(1794)右天保十三年(1842)と年代が違う

【寄り道】右(北)への参道を450m程入ります
途中右側にお寺さらに右手に、斑鳩宿の本陣 があったそうですが場所が特定できません

北に進んでいくと斑鳩寺に出ます 天台宗斑鳩寺仁王門(重文)

新西国三十三ヶ所、第32番霊場推古天皇十四年(606)聖徳太子が開創の古刹。元文十年(1541)室町時代後期、尼子・山名・赤松の戦火に被り七堂伽藍、数十の坊院が甍を並べていた一大伽藍が焼失、その後、徐々に復興しました。また当寺は聖徳太子の誕生地、奈良明日香村の橘寺と墓所のある大阪府太子町の叡福寺を結んだラインの延長上に建てられているそうです

三重塔(重文) 室町末期の永禄八年赤松正秀によって再建

 聖徳太子像

鐘楼 梵鐘は永正十一年(1514)に鐘が破損、元禄六年(1693)に再鋳されたそうでその他、建築物や文化財が多数残っています

斑鳩寺より街道に戻りその先で太子町役場を右に見て西に進みます、小さな川を渡りすぐ交差点を横断します。さらに暫く歩き交差点を横断すると下阿曽の街並みです

下阿曽の街道沿い右手に 阿宗神社の道標「式内 阿宗神社」 「従是北八丁」

すぐ先街道右にミラーがあるところ左の路地を入り、さらに左に折れると、建速神社と稲荷神社 が並んでいます

西へ進んでいくと小さな川を二つ渡ります

二つ目の小さな川を渡ると右に 茶屋垣内地蔵堂 この辺りにかつて、一里塚 があった

地蔵堂の前から街道を振り返る

さらに西に進むと林田川の堤防道路に突き当たり、かつてここを真っ直ぐ対岸に渡っていました。止む得ず少し上流(右)の堤防へ進み、林田川に架かる2号線の誉鳩橋を渡り対岸に迂回します

橋より右(北)のたつの市街地を遠望する山は檀特山

橋を渡りたつの市に入ります

橋を渡りすぐの交差点を左に堤防道路を少し進むと、堤防より右に下る旧道があるの進みます

旧道に下るところよりかつて川越をしていた対岸を見る

渡ってきた誉鳩橋を見たところです

誉田町片吹に入ります

暫く進むと門前集落に入り、右に庄屋弥右衛門翁の大きく立派な 彰功碑

余程功績があり村人に慕われたのだろう、碑の先すぐに右からの道が合流して300m程集落を進みます、途中小さな川を三つ渡り西へ進みます。

三つ目の川のすぐ先で右に少し入っていき国道2号線の手前に

臨済宗大徳寺派雲門山 寳林禅寺

大徳寺開山大燈国師の誕生地を記念するために創建された、南北両朝の天皇の師となった禅宗の高僧

寳林禅寺の隣に 天満宮 境内に国師誕生の産湯の井戸や伝説を秘めた夜泣きの手水鉢の遺蹟が現存します

街道に戻り西に少し進むと道は分岐します街道は左に進みます

分岐する右側に 乗願寺

分岐を左に少し進むと右の小さな公園内に 皇神社(中臣祠

小公園で広めの道路を横断します揖保町門前地区交差点の先180m程進むと右に川が接近して右に架かる橋を渡ります

橋を渡り西にすすむと右に揖保小学校があります。揖保町栄地区
三木露風の赤トンボの 石碑

小学校の南西角に桑の木があり、童謡の里・龍野記念植樹・桑の木と書いた説明板があり、赤とんぼの歌が紹介されています 三木露風は龍野市出身

揖保町栄の街並み

小学校を過ぎたすぐ左T字路の角に埋もれた 道標 「揖保村道路元標」

まもなく稲刈りが始まる穂が綺麗、左の高架は山陽新幹線小さな川を渡ると左に西構公民館があります

さらに何本かの小さな川を渡り西へ進むと

やがて山陽本線の踏切に出ますが、踏切の先は昭和高分子竜野研究所竜野工場で旧道は消失しています。かつては、このまま真っ直ぐ進み揖保川の正條の渡しに出ていたようですが、止む得なく、右(北)の国道2号線に迂回して揖保川大橋を渡り対岸に出ます

すこし国道を西に進むと揖保川に架かる揖保川大橋を渡ることとなります

揖保川に架かる国道2号線の揖保川大橋

揖保川大橋東袂より南側(下流)をみる、山陽本線の鉄橋でその南側は山陽新幹線

北側には雄大な白鷺山と龍野市街地方向

橋の西袂寄りの南側を見る

揖保川大橋を渡り左に折れて堤防沿いの道を少し進みます

山陽本線の高架を潜ります

すこし進んだところが 正條の渡し場跡 で右の大木の下に案内板があります

揖保川の渡し場跡を見る、ここから真っすぐ対岸の工場の中を抜けて前述の山陽本線の踏切に出ていた

堤防より右に下る狭い旧道が復活しています

 【正條宿】に入ります

すこし進み左に折れます

左に折れるところから渡し場跡を振り返る

すぐにくい違いの十字路に出ます、右手前角は揖保川郵便局で角の道標が立っています
道標 「右 ひ免ぢかうべ 左 た津の山さき 道」明治十六年銘

十字路を少し右にズレて郵便局の正面を南に進む狭い街道は、この辻を起点とし山陽道と分岐してかつての西国大名の参勤交代の街道でもあった室津港と結ぶ 室津街道 (室津街道に詳細)

十字路を左に折れた右側に 浄栄寺

旧龍野城すかし門
明治七年に移築された龍野城の旧門で一名すかし門といい、閉門時にも城に近づく者を監視することができた。

右に折れた正條宿の街並みを進みます

すこし進むと右に 條宿本陣井口家跡

明治天皇御駐営跡碑

情景の素晴らしい宿場街道の街並み

左に揖保川中学校をみて宿場を進みます

街道右にJR竜野駅が見えます

【寄り道】竜野駅を抜けて北側の国道2号線を歩道橋で渡ります。
少し北に進むと神戸神社 旧本殿(現八幡宮)は元この直上十数mの宮山の中復にあった、その大地ゆかりの跡を玉垣で囲み聖地として保存している

鳥居と本殿 神戸神社

境内にある 石神
播磨風土紀に「神山、此の山ニ石神アリ」とある、元、宮山の山頂には大きな岩があって古くから神の宿る霊地として畏敬されてきた。昭和五十年境内地造成中、山頂直下からこの大岩が現れ人々は「石神」の心岩であるとして畏れこれを祀っています

龍野駅前の街道に戻り西に進みやがて馬路川に架かる三枚橋に出ます。正條宿を抜けます
竜野城下は電車でさらに北に行かなければならなく、寄る時間がないので諦める

三枚橋のすぐ先で左川沿いには神戸幼稚園が見えます左への道、二筋を見て街道は左へ道なりにカーブします。左角にたつの市商工会館がありそこはかつての 一里塚跡 何も残ってません

ぐ隣左手山裾に大きな 地蔵尊立像

真っ直ぐの広い道を進みます

やがて右に大きくカーブするところで分岐しています、左の山裾側の旧道を進みます

揖保川町原集落の街並みです

【片島宿】に入ります

宿の集落内左に 地蔵尊

少し先で右奥に 了福寺

原集落の静かな宿場の街並み

左に 片島本陣跡の石碑

すぐ先で北側から大きく迂回して馬路川に架かる荒神橋を渡ります

 馬路川沿いを右(北)に少し入ると 荒神社

原西バス停がありますその先で片島宿が終わります

左から広い新道が合流して分岐しています、旧道は斜めに横断して進みます

少し進んでいくと左に三原自動車の看板があるすぐ先から相生市那波野に入ります。右(北)手奥には西池が広がっています

その先250m程進むと道は分岐していますが左の道が旧道です

さらに110m程進むと道は分岐しますが道なりに左に進みますと、すぐ先の山陽新幹線の高架を潜ります

高架を潜り真っ直ぐ進む

少し先左の高台に 神戸若宮神社

神社の先分岐を右に方向を変え西に進みます左に大きな 石碑 日露戦役・支那事変・大東亜戦没者の石碑従国清戦役忠死・消防殉職の石碑

岩谷川を渡り暫く進み、左に相生那波野郵便局を見て交差点を横断します

少し先、右の赤坂第一公園内の東隅に 

暫く進むと古池大谷川に架かる橋を渡ります

その先で左からの道路に合流して50m程進み

高い建物を正面に見て道が分岐しますので、右の道に入ります

分岐から200m程進むと

広い車道に出てその大石町信号交差点を横断して西に進みます

すぐ先で普光沢川に架かる普光沢川橋を渡ります

橋のすぐ先で車道に突き当たりますので右に折れます

すこし進んだ右奥に新しい洒落た 妙円寺 正面左に相生駅前のホテル東横インが見えます

右手斜めには宿泊した相生ステーションホテルアネックスが見えます

すぐ先で鮎帰川に架かる陸橋を渡ります

橋の先すで陸本町の交差点に出ます。交差点より右を見ると150m程でJR相生駅です

正面が相生駅すぐ左車が駐車しているところがホテルアネックスです

交差点で左に入る道がある白い車が出てきたところの街道は山陽道と分岐する 赤穂街道の起点 で忠臣蔵の早駕籠が走った道です(赤穂街道に詳細)。 
その右角に 道標 「是より右さうこくみち」「是より左あ加本城下みち」
ここから赤穂城下まで高取峠越で10㎞、途中、坂越港の素晴らしい港もあります。さらに途中で分岐して相生湾を右に沿いながら室津港への西回りの道もあります。(室津街道参照)

西に暫く進むと広い交差点に出ます街道は真っすぐ狭くなる道に入る。左に相生市民病民があります

すこし進みまず赤穂線の高架を潜り、続いて山陽本線・山陽新幹線の高架を潜り、北側の国道2号線に出ます

国道2号線の左に折れた菅原台信号交差点を横断します

信号を横断して正面の旧道に入ります

国道を左に平行した旧道の緩やかな坂道を進んでいきます

正面旧道は消失していますので左の国道にでます

国道2号線の緩やかな坂を登っていくと山陽自動車道の高架を潜ります

高架を潜り国道を400m程進むと竜泉信号交差点にでます。国道より右側に平行した細い道がありますのでその道を入り、すぐ左に曲がり国道に沿います

芋谷川に架かる橋を渡り少しの間ですが車の多い喧騒より逃れてホットする瞬間です。左(南)国道の向かいには鶴亀池が広がっています

防音壁のある左の国道の側道を少し進みます、振り返ったところです。

竜泉交差点から300m程進むと側道より右斜めに入る道を進みます

右の道を入った右手に 金刀比神社

金刀比羅神社の高台より国道の南側の鶴亀池を見ると、池の袂に大きな石碑が建っています。  
明治天皇駐驛處碑 望遠で写したものですが今は国道2号線で消失していますが、防音壁の辺りで旧道は国道の南側の碑の辺りに出て、この先の旧道に合流していたようです

鶴亀の静かな集落を進みますとここは 【間の宿・鶴亀】の街並み

株分集落を進む

左にカーブして国道に合流します。国道を右に折れて150m余り先で左の国道に架かる上松歩道橋を渡ります

上松歩道橋より東側の今来た方向を見る

歩道橋を降りて左斜めの道が二本あるが、国道に近い方の旧道を入り上松集落を進みます

左に 円立寺

その先国道に沿った狭い道を進み、国道を右斜めに潜りまた北側に出ます

左に国道を見ながら野々集落を進みます

右に前川自動車工業を見ます

小さな川がある十字路を越えます

その先を進むと右に常夜灯が二基あり天満神社の参道があります

参道を上っていくと立派な 天満神社の本殿 があります

社殿には赤穂義士の絵馬が奉納されている参道も立派だ

神社の常夜灯前に戻りすぐ先で道は分岐しています、どちらを行ってもいいのですが、右の道を100m程進みます

右T字路の路地を左に折れます

左に折れて50m程進むと左から先ほど分岐した道が合流して右に折れます

右に若狭野小学校、左に若狭野郵便局を過ぎます

若狭野町並みを進みます

福井集落を進みます左に能勢瓦店があります。瓦店の前から150m程進むと十字路になり、左すぐに国道2号線の福井信号交差点がありますが十字路を真っ直ぐ進みます

十字路を120m程先で道は分岐します。左の広い道を折れると数十mで国道2号線に出ますが、車が多く歩道がないので危険なので田畑の中の道を進みます。この先旧道ははっきり何処を通っていたか分かりません。分岐の所は関西電力の電柱置き場になっていました

右の田園の広がる道を分岐から100m程進み、右(北)に方向を変えて110m程進むとT字路となり左に折れました。T字路を左に折れて真っ直ぐの道を220m程進むと十字路になります

十字路をさらに進むこと210mほど途中左国道との間にドライブイン富士・コンビニがあり、その北側を進むとT字路に出ます左に数十m折れて、国道の手前の十字路の道を右に折れて、再び左の国道を見ながら田畑の間の道を進みました。

資料では関西電力の電柱置き場のあった分岐を左に折れて国道に出て、右に折れ暫く国道を重複するようになっています。そして国道の右にドライブイン富士・サンクスコンビニを右に見て、国道より右斜めに別れ数十mで十字路に合流しています。
この先は旧道と思われます

十字路から左に国道と並行して進む旧道を200m程進みます

歩いてきた旧道を振り返ったところ、やがて矢野川に出ますので橋を渡らず手前の十字路を左に、川を右に見て進みました

矢野川に架かる若狭野西橋が架かっています、旧道は向かって右側から橋に向かって歩いてきて橋のところで左に折れる。(手前に)川の対岸には若狭野の集落が見え旧家が散見できる(トタン葺きの勾配の急な屋根)

左に進むこと100mほどで国道に出ます

国道に出る手前に旧道が国道に沿って残っていましたが通行止めの柵がされています。でも国道は危険極まりないので少しでも歩きたくないと思ってるので、行けるだけ旧道を進もうとこの時点では助かったと思いましたが

やはり駄目で途中で旧道は消失、柵のところまで戻ることになってしまった。
歩道もなく最大の注意をしながら国道の坂を登っていきます。せめて天下の国道2号線なのだから歩道でもあればいいのだが、多分この道を一般の人が歩くことを想定外のなのだろう。
山陽道を歩いている人は皆この区間、どうしたのでしょう歩くのには危険国道です
ですから余裕もないから写真どころではない

区間は200m足らずですが坂を登りながら左にカーブし、跨線橋となっているので、右側は擁壁の壁でその間の白線の30㎝内を歩きます。
跨線橋の下は山陽本線が通っています。冷や汗をかきながら最大の注意を払いながら進みました。
残念ながらどのような状況か写真に撮れていません、とても余裕がなかったので残念。迂回道と行っても,川と線路で遮断され遠いのでやむを得なくこの道しかない、雨ではとても無理です。山陽線の跨線橋を越えると右手国道と山陽本線の間に細い消失した前述の旧道が復活していますので右に出ます

国道より右に降りた旧道で赤穂市有年牟礼に入ります

右下は山陽線

暫く雑木の間の旧道を進みますが道は悪くないです

500m程歩くと左、国道からの道が合流して有年牟礼の畑集落に入ります

畑集落の静かな街道風景

左に 惣墳墓

墓から200m程進んだ先で左からの国道が合流します

合流して100m程先で右に逆、くの字に少し旧道が残っています

そしてその先で左斜めに国道より左に分岐する旧道がありますので、横断歩道で車に注意して渡ります

左に入り右の国道に平行して西に進みます

200m程先で十字路に出ますので街道は真っ直ぐの道です。有年横尾の集落に入ります

十字路から250m程集落を進むと交差点にでます。右を見ると国道を横断するとすぐ、JR有年駅です。

交差点左角に 有年村道路元標

今回はここで終了し17時、自宅までかなり時間を有しますが、2泊3日の街道歩き満足

次の日はコチラ

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