山陽(西国)浜街道 ③

【3日目】 2013年9月11日

山陽電鉄尾上の松駅・前回の起点~加古川の相生橋~高砂市高砂町~山陽曽根駅の北~JR曽根駅の東、春日野町で山陽道と合流

自宅4時40分に出て林間駅~難波駅~大阪梅田駅~阪神で山陽電鉄尾上の松駅まで。山陽浜街道も三日目、思っていた以上に長い距離であった。
          尾上の松駅  7時35分 スタート
   山陽道と合流で完歩、JR曽根駅  12時46分 
           28.167歩 16.90㎞

山陽電鉄本線尾上の松駅スタート

駅を東南に進むと、養田のお薬師さん呼ばれ親しまれている 浄土宗 法音寺

法音寺から東南に進み、前回の起点、尾上神社の西の交差点に出て、左に進み250号に出ます、250号線の交差点を右に折れて、本日の山陽(山陽)浜街道スタート

右手に 養田大歳神社

尾上町養田の町並み

小さな加古川の支流の川の橋を渡る、前方左にセブンイレブンが見える

セブンイレブンの辻で養田交差点を横断してその先で大崎交差点に出る、250号線は左にカーブ、街道は右側のほぼ真っ直ぐに道をすすみます

道が狭くなります、右に鳥居

崎宮神社

向かって左は、 埼宮恵比須神社

神社を右に見て進むとすぐ泊川に架かる尾上橋を渡り加古川の堤防に出ますかつては堤防少し左辺りから対岸に弓なりにわたっていたようです

加古川に出ました、左に迂回して相生橋を渡ります

少し堤防を左に移り東側を見ると、泊川の向こう側に道が見えます。250号線からの旧道でこの堤まで伸びていて加古川を渡っていたようです。堤防より振り返った街道

ここから加古川を弓なりに渡っていた

加古川に架かる相生橋を渡ります右(北)側の遠望

左側の播磨灘

相生橋から先の道

相生橋に西詰より対岸をみる、この辺りは渡船していた

相生橋西詰交差点、横断した右角にGS

車の多い250号線

すぐ堀川に架かる永楽橋を渡るが、その橋の手前右に
板碑
旧道はこの堀川の手前辺り右から弓なりに後方の対岸東から来ていたようです、おそらく加古川がもう少し広くなっていたのだろう

板碑に刻まれている字が全く読めない

堀川の右(北)側

堀川の左(南)側

堀川を渡った右手に、百閒蔵跡と津留穀留御番所跡

百間蔵は、江戸時代初期姫路藩主の池田輝政が、京の伏見にあったものを移したといわれる。北にあったのは52間、南のは48間と伝わる。加古川を下る物資はすべて高砂に運ばれ、諸藩や旗本の年貢米の集積地として繁栄した。また百間蔵のうちの南側に番所が建てられました。

ここで左、海側の高砂神社を中心にした高砂町の古い街を【寄り道】します。堀川に沿って南に進みます。

堀川を沿いに南に暫く進むと 高砂神社(高砂城跡)

神戸淡路大震災で倒壊した鳥居は新しく再建されました境内の広い神社です

慶長5年(1600)に池田輝政が播磨に入り、姫路城を築いた後、慶長17年(1612)に播磨の海の守りを固めるため中世からあった高砂城を整備し高砂城下町として生まれ変わったが、しかしその本格的な城も元和元年(1615)幕府の一国一城令により破棄され、短い歴史を終えた。その後、寛永3年(1626)に本丸跡地に元々この地にあった高砂神社が戻されました

ご神木いぶき

迫力のある老木

神殿と工事中の能舞台

相生松説明

五代目の相生の松

尉姥神社

神社の北側に今津町

工楽家の古い建物

工楽家を西に入ると 西本願寺派 善立寺 本尊木造阿弥陀像

境内の 天竺徳兵衛之墓 江戸初期シャムとの交易により財をなした豪商

北堀川界隈
江戸時代、高砂は加古川舟運と海運の交易拠点として繁栄した。堀川沿いに商家や蔵が建ち並び交流が盛んであった中心地

堀川に沿った古い街筋

旧花井家住宅 江戸時代から昭和にかけて肥料問屋として栄えた

東西の街並み

八幡宮

 浄土宗西山禅林寺派 薬仙寺

立派な 

 申義堂 学問所

寺町の一画に 浄土宗宝瓶山 十輪寺

立派な山門が目につく

本堂

境内の 俳人 布舟の墓 蕪村などと交流あり自然石の墓

旧高砂城主 梶原景秀公の墓 桓武平氏の流れ、鎌倉幕府創立に貢献した一族

三浦一族の墓
桓武平氏の流れ、鎌倉幕府創立に貢献、北条早雲に滅ぼされこの地に亡命、子孫は代々「塩や甚兵衛」と名乗り大庄屋を務めた

寺町の白い塀が続く

浄土宗 極楽寺

浄土宗松寿山 延命寺

浄土宗 西福寺

寺町の北側に出て浜街道の東濃人町の交差点に出ました。まだまだ見るところがありますが、この辺で終え街道を西に進みます。北に進んでいけば高砂駅へ街道の濃人町と高砂町の続いた信号を西に進みます。

暫く進むと、十字路があります左角が小さな公園です。さらにその左奥は高砂南高校。左公園の角に  
農人町の道標 北面「高砂相生うたひ乃名所」 東面「右 姫路 石のほうでん 楚ねの末川」

道標を左に見て、この十字路右の狭い道に入ります
右に折れずに西に進む旧道は 網干街道 です

暫く進んだ右に 

その先の交差点を真っ直ぐ進みます

信号交差点に出ます

その先、山陽電鉄本線の踏切を横断します

新しい住宅地の道をすすむと左に寿司割烹おく田があるところで左に折れます

左に折れた筋 高砂市荒井町蓮池

右の木の下に 

その先を進むと左に高砂市民病院があります

市民病院の先で広い道路の交差点を横断しす。左に行くと荒井駅へ

新井町を進んでいきます

さらにその先で信号交差点を越えます

 旧家の前で道は狭くなります

少し右に入ると 浄土宗西山禅林寺派 利生寺

街道に戻るとその先で、突当りとなり左に折れてまた右に折れます、

 その右の角に 荒井神社 創立は第34代舒明天皇の時代の古社

立派な山門

街道左線路沿いにある 鳥居先地蔵尊

その先で右に弓なりに入ると 浄土宗西山禅林寺派善照山 観音寺

新井町千鳥地区、右に高砂市役所が見えるところで、法華山谷川の堤防に出るが旧道はそのまま川を徒渡っていたが橋は無く堤防に沿って右に進み、千鳥大橋に迂回し対岸に出ました

この辺りで対岸に渡っていました

法華山谷川に架かる千鳥橋を渡り迂回、対岸に出たところから対岸の高砂市役所を見る

この辺りが 渡河跡

堤防を下り細い旧道を北へ、右から道が合流して30m程左に進むと、信号交差点に出ます。交差点を右に折れます

100m程先で伊保2丁目信号交差点に出ます。その交差点を真っ直ぐ進みますと、右から千鳥大橋からの車道が合流します。

合流したすぐ先右に、パチンコニュースターがあります。

その先右に、マルアイ・ササモト医院の越えたところ右に折れて200m程行った左に
浄土真宗 真浄寺

その南隣には 浄土真宗本願寺派 延寿寺

もとの街道に戻り北に進みます
ササモト医院の前の歩道橋から街道の道を見ます

その先で広い伊保信号交差点を横断します。横断して道が三つに分岐します、左が車道で次の右側の道をすすみます。その右側にもまっすぐ北への道がありますが違います。

すぐ左に平行して718号線が通っています

交差点から300m程進んだ、左に西部自治会館の隣に

道標 「左 たかさこ 右 そねのまつ」 旧道で間違いなかった

道標前の街道を振り返る

少し右に入ったところに 浄土真宗 西秀寺

伊保埼5で左からの718号線に合流し、伊保西信号交差点に出て718号線を左に進みます

合流して150m細進むと、松陽中学校東信号交差点を越えると左手に松陽中学校

コープこうべを左に見て松村川を渡り、松陽交差点を横断して真っ直ぐの道を西に進みます

川沿い南に250m程行くと 大歳神社

ここで街道の道に少し疑問が生じた。旧道から伊保西交差点に出ました後、そのまま718号線を西に進みましたが、少し遠回りになるが地図をよく見てみると、伊保西交差点で718号線を右に分け左の道に入り200m程718号線の南側を数十m離れ平行に進み、松陽中学校北側に出て、学校にそって左にカーブしながら進み、松村川を前述の一つ南側の橋を渡り西に大きくカーブして方向を西に変える道の方が街道らしいような気がします。
自宅より遠いので再度確認はできませんが。大歳神社の前から旧道に変更進みました。左に市教育センター、右に大歳神社

地蔵尊
この辺りから西は一面松林で景観も良かったようです。今も曽根天満宮に近づくと松林が残っています

大歳神社の先で左に松村集会所があり、道を挟んだ北側に お地蔵さん

その先右側は街道沿いに曽根松原公園、街道左に市立図書館で、少し右に山陽曽根駅です
右に、兵庫県立松陽高等学校旧校舎跡の碑

お堂

右、曽根天満宮横の旧道 左り公園で奥が曽根小学校

 左の公園の中に遺跡が並ぶ 阿弥陀中所の道標

標示石 いずれも移築されたもの

井筒 江戸時代のもので高砂町北本町の商家から移された

銀水の井戸
北本町の豪商の敷地内にあった井戸を移す竜山石を贅沢に使い、巧妙に組み合わせた職人の精巧な作りであったが井戸は地下に埋没され井筒のみが現在地に移された

 織部灯籠

棺身
阿弥陀古墳群から出てきたもので古墳時代後期の頃

家形石棺蓋石(天磐舟)
5~6世紀の頃のもの、県指定文化財

遺跡の並んでいる公園を振り返る

右に曽根天満宮が見えてきた九州に左遷されるとき菅原道真がここに立ち寄っている霊松 曽根の松で親しまれているが枯れ死しています

曽根天満宮の立派な 山門

門前の 灯籠と道標

天満宮の角を右に折れると 木下稲荷神社

曽根天満宮の正面の道

門前の道標 「当社曽根松 左 石ほうでん 右 ・・・ 道」

木下稲荷神社の北にある 

天満宮の門前の西角の左T字路を右に折れ、木下稲荷神社の西側の道を北上すること170mほどで、左に前述の祠を見て交差点に出ると。右からの道は千鳥大橋からの真っ直ぐ西にきた250号線でこの交差点で合流して左に折れる今来た方の道が旧道らしい感じで正解であった。曽根天満宮のような大きな神社の裏を街道は通らないと思うから。この交差点でも真っ直ぐの北への道が旧道のような気もするが分からないので左に折れます

左(西)に折れて100m程進むと曽根信号交差点に出ます。街道は右に折れます。交差点を右に折れずに真っ直ぐ行くと天川にでます、そこから対岸の日笠山の岩肌に刻まれている三十体の仏像が見えるそうですが、村人から「黒岩さん」と呼ばれていた摩崖仏だそうですが、残念ながら見るのを逸しました。

右に折れて曽根の町筋を北に進む。かつては古い街で大きな商家も建っていたらしいが、今はその面影を偲べない。

 400m程進んだ右に 道標 「左 ひめぢ」

街道の東側にお寺が固まっているので 【寄り道】道標の所の辻を右(東)にはいる

一番南側にある 臨済宗妙心寺派 周徳寺

延命地藏堂 広場として跡地を残している

周徳寺の西側の道を北に少し進むと曽根郵便局。この道は前述した木下稲荷神社からの真っ直ぐ北に来た道です。ここまで来たら街道ではないようです。

その横の道を入ると右に 鎮火神社

神社の北側に曽根緑地公園があり、その北側にある 臨済宗妙心寺派瑞雲山 龍澤寺

豪壮な建物、商家であったのだろう

神社の東側には 臨済宗妙心寺派 臨川寺

曽根緑地公園の西側に 浄土宗 連華院

一番北側に 臨済宗 園通寺

 園通寺の南に 臨済宗 桃源禅寺

真宗大谷派 伝法寺

街道に戻り左側に 浄土真宗 光明寺

街道北へ進みます

街道沿い大きな家の角に半分ほど埋もれた 道標 「右 ひめじ・・ 右 ・・・」

右に北之町屋台会館

すぐ北側に 地蔵尊 暑いので簾をかけて大切に祀られてます

 地蔵尊の横の 道標 「左ひめぢ道 右そねのまつ道」

暫く進んでいくと山陽新幹線のガードを潜ります 曽根北信号交差点

その先で姫路バイパスの高架に出ます高砂西ランプ信号交差点

バイパスを潜り右(東)の高砂西部病院・中筋小学校の東側に
播州善光寺時光寺

豪壮な山門

境内に南北朝時代の康暦2年(1380)の 宝篋印塔

街道に戻り、北に真っ直ぐ進んでいきます

JR山陽本線を高架で越えます

高架から左曽根駅

長い高架の歩道を進みます

高架を渡りきると下に道路が見えますので階段を下る
ここで浜街道は終わりで、下の東西の山陽道と合流します

下の合流点

合流点で、山陽道の西への道

高架の下、山陽道との合流点に 道標 が集められています

 道の向かいに 灯籠と地蔵

山陽道の東側の道で、上の高架を降りてきました

高架を潜った山陽道

少し西に行くとJR曽根駅、ここから帰ります。山陽道と合流して西へ進みます。浜街道はここで終わります

山陽(西国)浜街道 完歩

この後時間もあるので引き続き、JR曽根駅から姫路駅まで電車で移動して 飾磨街道 を歩くため移動しました

この先、山陽浜街道に続いて、山陽道の南側、海岸線よりの道は、綱干街道・室津道・室津街道・赤穂街道が続いています。

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