2012年5月6日
吹田市市場池近くの小野原街道との分岐~摂津市鳥飼下の高槻街道の分岐
小野原街道との分岐から引き続き、市場街道に進む。
市場街道は、市場池(摂津市千里丘)の東で小野原街道から分かれ亀岡街道を越え正雀、別府、新在家、鳥飼八防を経由して鳥飼下で高槻街道支線に接続する街道である。
10時05分 スタート 13時00分 完歩
15.360歩 9.2km
市場街道起点
左から 小野原街道 が合流する。左、市場池公園

左角の 道標 「左 小野原街道 右 亀岡街道」

市場池跡の碑

市場池を左に沿って歩く、市場池を中心にして回りを公園に整備されている。市民の憩いの場としてくつろいでいる

右に小さい赤い 鳥居と祠

市場池公園の東端の交差点、真っ直ぐ進むのは、亀岡街道
小野原街道 はここが起点
市場街道 はここが起点

交差点手前左にある、地蔵と祠

交差点を再度、真正面の道が、亀岡街道

今歩いてきた道の、小野原街道。右が市場池公園

交差点の手前左の 二つの祠と石仏

その向かい道を挟んで右にも 祠

交差点を右に折れてスタートする、真直ぐ亀岡街道・小野原街道が進んでいく

千里丘7交差点に出る。府道14号線交差点の歩道橋の上から見る
14号線の西南を見る

14号線東北方向

市場池公園方向を見る

市場公園の交差点から千里丘7交差点で、本来は、真っ直ぐの道があったのだろうが、現在近畿コカ・コーラの本社で消滅している

交差点を50mほど左に曲がり、すぐ右に折れる道に入り迂回する

迂回した道は、山田川に出るので、川の手前を川に沿って右に折れる

山田川を左に沿って歩く

柳ヶ堰橋の所で、山田川が分岐する。千里丘7の交差点から、旧道は真っ直ぐ橋の辺りに、右斜め後ろから来ていたと想像する
柳ヶ堰橋を渡って対岸に、今度は、右に川をみて進む

想像した旧道、完全に消滅しているところを見る

左に 専称寺

街道は、右に橋を見て左斜めに進む

その先で左からの道と合流して右くの字に曲がる。

その先で、東海道本線の細くて長い地下道を潜る

トンネルの長さは有に200mは越える

地下道を潜り東側に出て、線路側道の道を右(南)に折れて進む、小川の橋を2つ渡り進む

明和池遺跡
この付近は明和池遺跡と呼ばれていた。昭和8年、庄屋1丁目にあった明和池の底土から弥生と古墳時代の土器が発見され知られるようになった。昭和62年に本格的な発掘調査が行われて、七つの時期、地層が認められた。最も古い時代は弥生時代中期のもので、最も新しい時代は戦国時代のものであった。
ここで雨が急に強く降り出したので暫く雨宿りをする

小降りになったので再出発 その先の信号で東海道線を右に見て、左に曲がる
左に曲がると、右に阪急電鉄の正雀工場とたくさんの引き込み線路が広がる

真っ直ぐ進んでくると、阪急京都線の踏切を越える。踏切手前左は、庄屋公園

踏切を越えて更に真っ直ぐ進む、左に、大坂薫英女学院・女子短大・大坂人間科学大と並んでいる

阪急京都線の踏切から1㎞以上直線道路が続く。条里制の名残りでこの辺り直角に交わる道が多い。学校が過ぎると、正雀の交差点を越える

摂津市民図書館手前の信号交差点

安威川に架かる安威川橋を渡る

安威川橋北詰で東の上流から堤防上を進んできた 乙辻街道 と合流し、暫く同じ道を進む


安威川橋の南詰

橋を渡ったところで右に、堤防上でなくその左の旧道を円を描きながら下る

緩やかに左にカーブしながら進む 浜町

小さな川の橋を渡った右の袂に

力士墓道標 「右 すいた 大碇浅右衛門 左 とりかい」

街道はその先で、安威川の支流の番田水路・鳥飼三箇牧水路に突当り、橋がないので左の橋に迂回する

水路を右に沿って迂回道の堤防上を左に100m程進む

対岸に見える、 妹岡神社

番田水路(井路)の朧(りゅう)ヶ小橋と鳥飼三箇牧水路の朧ヶ橋を渡る。橋の真中で川が堤によって2つの水路となっている

橋を渡り左に折れ堤防の上を進む

左の鳥飼井路の堤の上を東に進んできたところを振り返る 東別府1丁目

近畿自動車道、大阪モノレール、中央環状線の高架を潜り、高架下より振り返る

高架を潜り、新幹線公園の中を進んでいく

公園内に入り少し歩いた先から高架道路等を振り返る

左は、鳥飼井路と右は、新幹線公園・新幹線鳥飼基地、その間の道を進む


右側一帯はJR貨物ターミナルと新幹線鳥飼基地
その一角に、摂津市の新幹線公園があり0系先頭車両とEF15120電気機関車が展示されている





その先で、鳥飼井路は新幹線基地の地下を超えて行く、街道は元は堤上を進んでいたが、今は完全に消失している。先は行き止まりになっているので、仕方なく、もと来た道の高架道路のところまで引き返す

元の高架下まできて、高架に沿って東側の側道を、左に新幹線基地を見ながら、300mほど進む。

前述で街道が消失しているので仕方がないので基地を迂回します

東海道新幹線を潜りすぐ左に折れる

暫く、左の新幹線路にそって歩き、新在家1丁目1で鳥飼基地の地下を流れていた、井路の出口の所に出る。
ここから旧道が復活して、ここで右に折れる。



右に折れて新在家への集落に入る

少し入ったところから振り返る

新在家の集落内

左に 八幡宮



新在家1丁目1 浄土真宗光蓮寺


光蓮寺の前で道は二股に分かれるが、左の道を進む。
光蓮寺と前の道標 「大坂道 右 江口吹田 左 一津や」


集落の中を進む
鳥飼八防の交差点府道16号線を超えて行く


鳥飼西2丁目24

左に 藤森神社


本殿

藤森神社の門前の前に 碑

更に進んでいくと、街道は右に道なりに折れる、鳥飼下3丁目辺り。
左に角に 燈籠と石碑 「此の付近右馬寮鳥飼牧址」


鳥(養)飼牧跡
皇室の料馬を供給する御牧(勅旨牧)、兵馬・用役牛の飼育を目的とする諸国牧(官牧)、および都(京都)の周辺に設けた近都牧である。当時牛馬はひき牛や乗馬用として多く利用され、特に都では大宮人にとって牛や馬は欠くことのできないものであった。鳥飼牧は6牧あった近都牧の一つで、諸国から運ばれた牛馬を飼育し必要に応じて都に送るために設けた牧である。この牧が現在どの範囲に広がっていたかははっきりしないが、馬島(淀川本流にかってあった島)・本牧・五久などという地名の名残から、ほぼこの地を中心として鳥飼西部から淀川にそって、上流の三箇牧(高槻市)近くまでかなりの広範囲にわたっていたと思われる。 ((碑文より)
曲がり角左手前にある 薬師堂


燈籠から先の街道、間もなく終点

藤森神社の鳥居と高槻街道支線 に合流

堤防から淀川を望む、ここに昔の 渡し場跡 で淀川の対岸仁和寺へ

堤防上より鳥居から藤森神社方面の街道を望む

堤防上に 千本つきの歌の石碑
千本つきには調子がござる足と手と・・三拍子
昔淀川の土手を土で固めるのに固める道具を持って歌いながら作業をしたそうだ。その光景が浮かんでくる

堤防からの景色

堤防から東北に見える 安楽寺

善勝寺

市場街道 対岸への渡し場跡

市場街道 完歩


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