2013年4月14日
岸和田駅西の紀州街道の欄干橋分岐を起点~岸和田城北側~南海和泉大宮駅南側~春木川のやぎ橋~松尾川・牛滝川の多賀橋~熊野街道の槙尾川の柳田橋南の和気町交差点
和泉街道・鳳街道に引き続き府中道を歩く。この道も短い距離である。
岸和田駅~紀州街道の北町の欄干橋の辻まで進み、紀州街道と分岐して府中道を進む。和泉府中の熊野街道に合流し和泉府中まで暫く歩き、予定通り3街道を歩き終える。
15時30分 スタート
17時07分 完歩
10.071歩 6.04km
1日3街道トータル
歩いた時間 9時間26分
53.760歩 35.25km よく歩きました
府中街道起点でないが南海岸和田駅をスタート
駅前の商店街に入り、直進して紀州街道にでて左へ重複して進む
39号線の広い交差点に出る、紀州街道は真っ直ぐでここで府中道は左に分岐する
紀州街道と分岐するところに欄干橋があり府中道の起点である。広い道路の東側に旧道らしい道が残るのでそちらを進む
欄干橋
この橋は水清き古城川にかかる、上手の橋を茜屋橋、下手の橋を船津橋と呼ぶ。
この橋は往時紀伊の国より難波に至る重要路の一つ、紀州街道とも岸姫松街道とも呼ばれ、和歌山県より大阪市に至る旧国道線上にある。いつのころよりこの橋を、欄干橋と呼び習はしたかはさだかではないが、元禄・享保頃の紀行文に「ぎぼしのある橋」天保頃の地図に「欄干橋」又文化文政頃の文書には、旧城内、堺町口御門の手前、魚屋町にあるので「魚屋町橋」と書かれ南町・本町・北町・堺町と共に五ヶ町又は五町と称し、城下の中心街であった。
この橋は、往時、この地方の「道路元標」ともされていて、他町村よりは欄干橋まで何里何町と表示されていた。
大橋の少ないこの街に固いものの代名詞であった石で、しかも欄干まで附いた立派な石橋の出来たのは、当時としては驚異に近かったのであろうか、その故につぎのような俗謡が今も伝承されている。「石の欄干橋ドンと踏めば にくや雪駄の一緒が切れた」旧幕の時代には参勤交代として岸和田藩の行列が威風堂々とこの橋を渡り、又紀州熊野詣での橋に杖を引いたであろう、多くの物語を秘めてこの橋は移り行く世相を眺めている。
幾度か生まれ変わったこの橋は昭和十一年六月の竣工、鉄骨アーチ型橋長六間、橋幅王間耐重十トン、力強く大地を踏まえ、大岸和田市の文化と産業を支えている。(案内板の原文)
欄干橋から39号線の広い道東側に沿う道を南へ行ったところから起点を振替る
南へ旧道と並行して広い車道を進む
広い道を歩道橋で渡る。少し進んだ右に小さな石造りの 祠
その先すぐに39号線を左に分け右に入る
右にはいいった先100mほど歩くと一つ目の小さな交差点を左にまがり、市立図書館の手前ですぐにまた左に折れ市立図書館を右に見て北東に進み、39号線を越えて進んでいく。
一筋目を左に曲がる所
市立図書館が正面にその手前を左に曲がる
市立図書館を府中道は左に曲がるが、そこを真っ直ぐ進みすぐ右、左と分岐していくのが粉河越道。図書館の西側に、岸和田城・岸城神社・岸和田戎神社があるが、粉河越道の時に見学しているので寄らない。
図書館の旧道を挟んだ左に 長屋門
そのすぐ先で39号線を越え城見橋交差点と城見橋を越える
すぐ先で城見橋筋商店街に入る
昼間の買い物時間であるにかかわらず、駅前商店街にかかわらず人通りがない。
商店街を抜けて少し右にカーブ
旧家の門が右に
信号交差点に出るので、少し右によったところで、東への道を入る
変則交差点で右斜めに進むと、正面に南海本線の高架が見える
高架下を潜る
高架を潜り左に曲がり、左50mほどの線路を見ながら少し進む。和泉大宮駅南側の227号線に出る一筋手前で右に折れ、227号線を越えたすぐのところで左斜めに進み、和泉大宮駅から東に延びてきている227号線を渡り東に暫く真っ直ぐ進む。
高架を潜り左に曲がる
暫く真っ直ぐ進む
やがて左に和泉大宮駅の信号手前を右に折れる
右に折れ新道の信号を越えた所斜め左へ
直ぐ分岐があります辻を左への227号線を分け、右の道を進みます、和泉大宮駅から東に延びてきた道を横断して東に真直ぐ進みます
東へ暫く直線の道をたんたんと歩く
西之内町20の標示
やがて春木川に架るやぎ橋を渡る
左側は中央公園、綺麗に整備された東側を通る
右には総合体育館
左、中央公園スポーツ広場を見ながら真っ直ぐ進む
ここで左の公園が切れる、大きな綺麗に整備された公園・スポーツ設備であった
左に民家のような 妙長寺
お寺の過ぎたすぐの交差点で 久米田街道と交差する。
久米田街道を越えて更に真っ直ぐ進む荒木町・中井町と抜ける
途中右に国道26号線が沿ってくるところの間に 開運子安地蔵尊
その先100mほどで26号線の中井町交差点の東側の交差点に差し掛かる
交差点で車どうしの事故のようだ、
旧道はこの先消失している、元の旧道は白い車の所を斜め西にあったが今は完全に失われている。
真っ直ぐ行こうか、右に折れて行こうか迷ったがどちらにしても迂回道なので右に行く
交差点を渡ったところの左角に 夜泣き地蔵尊
右への迂回路、26号線の高架を潜る
そこから200mほど行った先の信号で左に折れ、更に200mほど行った先の住宅内で突き当たる手前一筋で右に折れ左に緩やかにカーブして東北に進む。この辺りの北側に旧道が住宅に変わっているが通っていた。
左に折れたところ
右に折れる
左に緩やかにカーブ、忠岡町に入る
カーブする右角に 祠 箕土路町2丁目
祠を過ぎて少し先、高月南3丁目交差点手前の左の民家の前に 皇太子殿下御降誕記念碑が立っている
この先で高月南3丁目の交差点に出るが、この辺りに先ほど事故していた交差点からの、消失した旧道が伸びてきていたようだ、今では全く跡形もない。
高月南3丁目交差点
その先少し歩くと牛滝川・松尾川に架かる多賀橋を渡る
多賀橋から、左が牛滝川・右が松尾川に合流しています
橋を渡りJR阪和線の踏切を渡る。踏切を渡った先すぐで、和泉市に入る
この先真っ直ぐの道となっているが、分かり辛いが未舗装の道が少しあったようだが見落とした
500m程進むと和気町の交差点で 熊野街道が南北に通る街道に出ます
交差点の左角に 碑と祠がある
府中道 完歩
府中道、熊野街道に合流完歩
30号線の槙尾川に架かるやなぎた橋を渡りJR和泉府中駅まで歩く
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