2013年5月3日
自宅4時45分に出て林間駅~難波~梅田阪神~神戸御影駅へ
御影駅7時00分スタート、六甲への杣谷峠越えから神戸市森林公園の中を通り鈴蘭台駅そばの踏切を越え星和台住宅地の中を通り北の端からしあわせの森への尾根道に入り白川街道に合流。
山陽道の付け替え道で後に徳川道と呼ばれた、1867年の兵庫開港に際しての、外国人居留地に接する西国街道の付け替え道である。時は幕末、横浜で生麦事件が起こり幕府は外国人の多い神戸で、このような武士との衝突を防ぐため神戸の背山に新道を着手した。8里10余町・約34㎞という大迂回路である。この道を西国の大名の参勤交代の道としたので、「徳川道」「大名道」と呼ばれる。結果的には徳川幕府が終わり完成しないまま廃道となった幻の街道である。星和台・鈴蘭台の住宅地で旧道は分からない部分が多いが、旧道らしきところも所々残り快適であった。でもどうして六甲山系への厳しい山登りをしてまで山陽道の付け替えが必要なのかつくづく感じた。
スタート御影駅 7時10分
白川街道に合流 17時15分47.580歩 28.54km 2.050kl
阪神電鉄御影駅 暫く西国街道を西に重複します。
左に阪神電鉄高架御影駅の北側の駅前道路を西へ、駅前に御影クラッセ。
右の小さな御影公園を見て進むと(御影中町5)の突当りで右に折れます。その西北角に 富玉稲荷神社
右に曲がり、右手に御影中学を見て進みます。
右に街道の名残り松の老木が立っています。松の前で左に折れます、御影中学の正門前。
左に折れたT字路を振り返る。かつてはこのまま真っ直ぐ右斜めに御影中学校の中を街道が通っていました。
左に曲がる左角に新しい 道標
左に折れて西に真っ直ぐ進み小さな川の一里塚橋を渡りますこの辺り字一里塚と呼ばれ、東西に通っていた西国街道に設けられていた。
一里塚橋を渡りその先で、石屋川に突き当たります。西国街道はここで左に折れてすぐ右の石屋川に架かる橋を渡り西に進んでいきます。徳川道は右に折れて石屋川沿いに北に進む分岐点であります 徳川道の起点。
ここは幻の道として知られている、徳川道の起点です。徳川道は江戸時代末期(慶応3年)に幕府が兵庫港を開港するにあたり開港場付近の外国人と西国街道を往来する諸大名や武士との衝突を避けるために作られた迂回路であった。そのコースはここで西国街道と別れ当時の徳井・平野・高羽・八幡・篠原の各村を経て杣谷峠・森林植物園・鈴蘭台・白川・高塚山・長坂・明石大蔵谷までの8里27町9間(約34㎞)であった。(立て看板の説明より)
突当りを右に折れて、石屋川に沿って北に上っていく徳川道 石屋川は天井川です。名前の由来は六甲山系で採れる花崗岩を昔は御影石と呼んでいてその石を加工する石屋さんが沢山あったところからよばれたそうです。
北へ進んでいくと広い御影公会堂交差点を横断します。渡った右には1933年白鶴の創業者嘉納治兵衛氏の寄付で建てられた市立御影公会堂が現役で建っています。戦災をまぬがれまた、阪神淡路大震災時にもビクともせず避難所になったそうです。
更に石屋川に沿って坂を上っていきます。JR山陽線が前方に見えます。その手前から石屋川下流を振り返る。
JR山陽線を越える。明治7年に大坂~神戸間のJRが開通したとき、石屋川が天井川で高かったので止む無く線路を川の下にトンネルを掘った、石屋川隧道は日本初の鉄道トンネルであった。現在はJRが高架線になり、トンネルは埋められてしまっています。その跡に旧石屋川隧道跡の石柱がたっています。そこを写真に撮るのを逸しました。
JRを越えて街道を右に少し入ると、 綱敷天満神社
元に戻り石屋川に沿って上ります、大きな交差点で左の八色橋を渡り、石屋川の右岸(西)に出て上る、更に右に水道橋を見て上ると平野橋にでます。平野橋の交差点で左に曲がります。西南角に徳川道ハイキングコースの標識が鉄柵に絡むように立てられています。この辺りが旧徳井村と平野村の境でした。
徳川道は廃止されたあと、元の状態に戻されたところが多く、急速にその街道姿は失われていきました。現在、摩耶山中や杣谷川沿いなどに当時の面影を見ることができるぐらいです。左(西)へ折れた真っ直ぐの先の街道
西へ進んで信号交差点を横断すると、左に寿公園
左公園角に徳川道の石碑
すぐ左側に 北向地蔵(大日如来)と石仏が並ぶ
小さな高羽川を渡ります。昔は綺麗な水が流れていた川であったが今は埋め立てられています、かつては土橋であった、旧高羽村辺り
左に高羽郵便局ですぐ先が八幡町で旧八幡村に入ります。この辺り旧道の面影が残している
広い信号交差点にでます、街道は真っ直ぐ進みます
交差点を少し右に行くと広い道が分岐している、左に派出所がありその横に自然石の道標
「右 住吉西宮」「左 有馬三田 道」
交差点を西へ進みます
真っ直ぐ進んでいくと四辻を越えたところで右に六甲八幡神社の参道入り口の鳥居があります。その前を通り右に折れます。この大鳥居は震災の被害を受け建て替えられた
鳥居前を通り右に折れますが、折角なので参道を進みます
六甲八幡神社 1026年八幡神を祀っていましたが、平清盛が福原遷都のときに京都石清水八幡宮を勧請し、地名も八幡と改めたという。その後一時荒廃したが1795年本殿等を改築・造営されました
鳥居の角を北に曲がった道を行くと、阪急神戸線に道は阻まれ消失します。かつては真っ直ぐあったのだろうが、右に折れて六甲駅の南口を通り東側の踏切を歩道橋で渡り迂回します
陸橋を上る袂に 道標「六甲山前辻二至る」六甲駅の北側に出ます。
六甲駅北口前の道を北西に進みます
坂道を上っていくと広い六甲登山口交差点にでます
交差点手前の左角に新道標が立っています
交差点を左に広い自動車道を進みます。この辺りが旧篠原村と思われます
コンビニの先で川を渡ります
橋からの左側(南)の遠望
右山手側の遠望
先を進んで左に大きくカーブした左に お地蔵さんが並ぶ
右に 護国神社
護国神社前交差点を右に折れます
住宅地の坂を山手に登っていきます
坂を上りバス通りの四辻を越えてすぐの先で右に折れます。かなりの急坂になっています、更にすぐ左にカーブしています
道は分岐しますが左の道を進みます。この辺りは高級住宅地だろう立派な家が目立ちます。また旧道の面影を見ることは全くありません。
上ってきた長峰坂道を振り返る、この辺りの住宅は景色はいいが車がなければ不便。歳とって独り暮らしになり車も乗らなかったらとても生活大変と思うが
長峰坂全長550mのこの坂は区内屈指の傾斜度を誇り、通称「長峰坂」と呼ばれています。通学路にもなっており、生徒たちはこの急な坂を往復しています。長峰坂は徳川道の一部でもあり、ここから北へ続く道は杣谷を抜け、摩耶山頂へ続くため、ハイキングコースとしても人気があります。
右に長峰中学校3年間毎日往復したら足腰強くなるだろう
少し坂を下ると間もなく登山口に着きます。長峰橋の登山口・徳川道の登りどうしてこのような街道迂回が必要であったのか理解できない。
杣谷は、長峰山と摩耶山の間にある深い谷で、往時は花崗岩の美しい川床に小さな滝が連続する美しい谷と書かれています。徳川道を作るためその景観も壊されたと共に難工事であったらしい。現在は堰堤が登山道沿いに10基ほどあり、往時の面影はなくなっている。その上、昭和13年の神戸大水害で谷が流された。その杣谷川の流れに沿って左右に交差しながら急坂を上る雰囲気はまた現在の街道を思い浮かべての歩きでまた楽しい。
登山道上り口
上りかけたところに、長峰堰堤が右に堰堤の上は広い砂場になって休日などには人が集まり遊ぶところとなっている。
徳川道ハイキングコースの標柱とマップが立てられている
快適な登り
気持ちのいい坂道を登っていく、よく歩かれているようで整備もよく整っている
振り返ると神戸の町もだんだん下に見えてきます
所々に道案内標示や説明板が設置されています
左に摩耶東谷を分けて本谷の右側の山道に入ります。徳川道の雰囲気だ
案内標柱が至る所に立てられ迷わない
杣谷川を渡る、右に杣谷堰堤、ごつごつした岩の上を渡って川の右側に出る
河原に石垣の積まれた跡が残ります
杣谷堰堤の上は広い河原の広場になっていています
この辺りの道は徳川道の当時の道ではないかもしれないが、旧道の名残のような雰囲気の道が続きます。急な厳しい坂道ですがいいですね、でも今はハイキング道としてそれ相当の装備もして歩いていますが、当時もし参勤交代で歩いていたら大変難儀であったろう。まして、下の山陽道のことを思うといかに外国人との衝突を避けるとはいえ、弱りかけた幕府への不満が爆発してしまっていたかも。それより瀬戸内海を船で通る頻度が増えたことだろうと想像しながら歩くと面白い。
杣谷第二砂防ダム 高さ14.0m 長さ58.0m
ダムを左に見て登っていきます
道を作るために山を削った跡の岩盤が出ています。自然の道でなくやはり作られた道というのが感じられます
徳川道の旧道予定案内図
堰堤
更に岩の露出した山道を登っていきます
石畳のような道も見られます、旧道の名残でしょう。でも本気で徳川幕府もこの道を参勤交代の道に考えたのだろうか、馬屋荷車駕籠などとても歩けないような気がする。最も沢山の参勤交代の街道を歩いてきてこのような厳しい道に何度もあっているが。
途中で小さな川を木橋で横切ったりして登っていきます。このような小滝(カスケード)が見られるところからカスケードバレイと呼ばれたそうです。
木々の間から見える神戸方面、下を見ると谷間を登ってきているのがよくわかります
どんどん険しい山道を登っていきます、ほとんど人とも会わない
もうどのあたり歩いているのかわかりません
堰堤がまた出てきました、堰堤を造るこの工事大変だっただろうと思う。堰堤のところの川岩の上を渡ります
対岸の岩壁を鉄の階段で上ります
堰堤もここで終わり流れのよこを登っていく
同じような写真ばかりで申し訳ありません、うまく説明が付きにくいので、写真を見ながら歩けます。私は写真家でもないので、ただ歩いた道のありのままを撮るだけです
山深い道の中私一人独占、静かそのものです
登山口から40~50分ぐらい上ると美しい寒滝が左に出会う、道は滝の右横を登っていきます、丁度この辺りが杣谷の中間点を過ぎたあたりになる。この杣谷を利用したのが明治後期に六甲山上に別 荘を建てた居留外国人たちで、彼らはここを「カスケード・バレイ」と呼んでいたそうです
美しい寒滝
寒滝からは、道が整備されハイカーには歩きやすい道であるが、現在風すぎて旧道の面影がなくなってしまったのが惜しい
石段は整備された後の新しい道です紅葉時は綺麗だろうね
この辺りは旧道の面影が残ります
すこしの間ゴロゴロ石の道を進みます
やがてまた整備した道に変わります
最後の堰堤かまだあった摩耶第四砂防ダム 高さ21.0m 長さ51.0m
峠への石段の登りが続きます
杣谷峠の石垣が往時の名残で残っています
杣谷峠 到着 杣谷峠の休憩所へは少し下りになっています車道と出会う場所は広くなっています。殆どの人は車で来ています。苦しまずに一気に登ってこれるから
トイレの建物傍に分岐の標示が立っています 峠の標示
標示の場所から見る 長峰山・天狗塚への道
杣谷からの道
杣谷峠でトイレ休憩したのちすぐにスタート休憩所の前をバス道(ドライブウエイ)が通る
徳川道は正面車道の向こう側の急坂を下ります
徳川道はここからの道は正面の急坂を下るか、バス道を少し左に沿って歩き、右への道を下るかであるが、私は自動車道が嫌なので真っ直ぐ下ることにしたが、結果的には少し左に折れて右に下るのが正しかったようです
笹道を少し歩いていくと、正面に穂高湖が見えてきます
穂高湖を正面にして左に折れます
そこに建つ案内標示
穂高湖周遊道として整備された気持ち良い笹道を進みます
紅葉時は本当に綺麗だろうな
ここで左からの道と合流して右へのハイキング道があります。間違って右に暫く歩いてしまって、橋の先で気が付いて再びここに戻り、合流したところで少し左に折れたところすぐ右に下る徳川道の標示があるのでそこを西へ下りました。徳川道の案内標示があるので少し注意していれば間違わないです
元の分岐点に戻り、少し左に折れたところです写真の奥の標示がある所に右から出てきた、少し左に折れて10mあまり進んだところ、ここを左に(西)下っていく。案内地図に徳川道(西国往還付替道)案内文と地図
急な石段を西に一気に下ります
下りきったところで小さな木橋を渡り樹木の中を進んでいきます。木が低いので比較的明るいので助かる。でも、ササも多いし季節によっては熊が出そうです
その先で道が分岐するその辻にある「徳川道」と「摩耶山」と刻まれた、新しい石柱の後ろに、昔の道標があります。
右の森林植物園方向へ進むのが徳川道左は摩耶山への道
道標 「すぐまや すぐありま」
分岐後の笹と雑木の道を進みます。この辺りに来ると全く人と会いません
石畳や石段の道を進む前を登山者が歩いています珍しくハイキングの人に会いました
小さな橋を渡ります
徳川道石積みの説明板
石積も崩れてしまっていてよくわかりません
更に木々のトンネルや綺麗な青々した雑木林の中を進みます。本当に気持ち良い道です
石畳や石段がありますが、これは機械的に作られた石のようで新しいかもわかりません。でもどちらにしても本当に素晴らしい道に尽きる
道は分岐していますが、標示がしっかり案内してので迷うことはありません。でも標示がなければチョット一人では迷ってしまうかも
右への道がシェ―ㇽ道と標示されている。穂高湖のさきで右に進み橋まで行って戻った所の案内にシェール道とのっていたのでここに出るのかも分からないが余談
徳川道を少し左斜めに進んだところで桜谷の分岐点、左へは桜谷道を登って摩耶山への道川石の上を注意しながらわたります。雨の日は増水で無理かも
大分下ってきました、杉やヒノキの林になります
黄蓮谷の分岐点の標示分岐点を右に進むと黄蓮谷からドライブウイへの道
又ヶ谷辺りだと思います
珍しく人がいるようです
布引谷にでました、この先道がなくなっているので工事道を通ります
布引川の堰堤の工事中でした谷に架けられた工事中の仮橋を下りて行きます。かなり谷は深い何年かすると整備され、景色の様相が変わっていることでしょう
仮橋を下りて再び気持ち良い道を進みます
道が分岐します、左が布引谷を通る山田道。徳川道は右へ進みます
案内標示が建っているところを下っていきます。石垣の積んだ跡が残っています
現在は木の橋が架けられています、徳川道の飛び石渡し
徳川道ハイキングコースの標標柱
飛び石渡しを渡り更に進みますと、神戸市立森林植物公園の東門にでます公園内を進みます。
徳川道は植物園の中を通って長谷池に出て北に曲がり正面入り口に出て、ドライブウエイに沿って左に進み五辻にでます。
公園の中の徳川道を暫く散策して進みます。とにかく広大です
広大な公園で山中を歩いているのと変わりません
公園内の長谷池は、明治10年代には地形図に載っている古くからあった池のようです。ハイキング等の観光地の池として整備はされています。森林公園の中は自然のままで素晴らしい雰囲気です。時間があればゆっくりして居たいが先 があるのでまた機会があれば来たいところです。
長谷池から正門に向かって進む公園内には結構沢山の人が見えている。綺麗な花が見事
正門を出て北側の道路にでて左に進む
西六甲ドライブウエイを暫く歩く
まもなく五辻に出るが、この辺りの地下を北神急行電鉄北神線がトンネルで通っている。五辻での左への道は奥再度ドライブウエイ道。徳川道は真っ直ぐ進む
暫く真っ直ぐ進んでいく森林公園の先のこの道の徳川道はその面影は全くない
五辻から更に進んでいく、資料ではこの辺りに旧徳川道に入る道があると記載されていたので注意しながら歩いていたところ、左に完全に鉄で柵がされたところがあり、覗いてみると雑草が茂っているものの道の跡が完全に残っているので入れないか試みたが駄目であった。違うかもわからないが
更にその先左に、旧道跡らしき道があります柵から撮ったもので、先で廃道となり消失しているようですが入れません、でも旧道はこの辺りから左(南)に下っていたことは間違いない。徳川弘陵線エドモンズ異人坂とした道が学校の脇を入り、この辺りから谷間に向けて下っていた。校舎の裏側を通って谷間へ下っていた道も見つけたので入ろうとしたがここも鉄の柵で入れなく諦めた。そのあたり捜したが見つけられず諦める。
老人ホーム六甲の館の裏側の道もあったが入れ無かった
更に別の道を進んでいくと、神戸広陵学園高校の正面に出て解らなくなった
その先も進んでみたがグランドに出て行きどまりもうあきらめるしかない、多分どこかにあるのだろうが、残念止む無く左に折れるのを諦めそのまま真っ直ぐ下ていきました
右に県立神戸特別支援学校・神戸甲北高校・春日病院・桜の宮中学校と学校が続く
坂を下ると有馬街道の428号線、小部峠交差点に出るので左に折れ坂を下っていきました。多分この辺りの徳川道は完成していなかったのだろう
車の多い428号線を下っていきます
坂を下っていく途中左高台に 妙賀神社
妙賀神社を過ぎたすぐに左への妙賀山グリーンセンターへの道があるが新しく作られた道で徳川道でなさそう、グリーンセンターの道を少し入ったが車が多く危険なので中止。そこから少し下ったところで二軒茶屋交差点にでます。かつてここに二軒の茶屋があったらしい。交差点を右に折れます 二軒茶屋交差点
二軒茶屋交差から⦅少し、二軒茶屋の交差点で左へ入り旧道がないか捜すも分からない⦆
交差点を左に入ると雰囲気の良い道があるが徳川道かどうかわからない
途中燈籠と道標のようなのが立っていた
また左に入り山手に進む道があったので行くも行き止まりとなる。神戸広陵高校辺りから斜めに二軒茶屋交差点へ徳川道があったというから、この道がもしかすると途中消失している徳川道かもしれないと思う。ここまで調査したので満足
元の二軒茶屋交差点に戻る
下ってきて交差点で右に折れる道で、新しい広い道の坂を上る。全く旧道の後とは考えられない
少し先、GSの前で右に入る旧道があるので右に入りました
進んでいくと右に高野山真言宗 観音寺 入り口の案内
旧道は西へ向かって坂を下っていきます
途中右に 道標 「左 まや道 右 二たび山道」
更にその先で少し右に入る旧道らしい狭い道
狭い道を出てきたところ
少し進んだ右にお地蔵さんが沢山並んでいます
すぐその先で広い197号線の広い道に出ます
左にセブンイレブのコンビニがある交差点を横断します
左にカーブする手前の右土手に石碑か
右に広い道が合流する信号交差点を過ぎ、そのすぐで左に小さな公園
その先少しS路にカーブし右に神戸電鉄有馬線を右に沿う
神戸電鉄有馬線を右に並行して南に進みます
線路に沿って行くと、前方に鈴蘭台駅が見えてきます、その手前の踏切を右に横断します
横断して真っ直ぐの道を西に進む
鈴蘭台南町の新興住宅地の街道を進む、すっかり旧道の雰囲気はこの辺りから無くなります
坂を下って進みます。坂を下って進みます。西からカーブして北へと道なりに進んでいく、カーブする右に鈴蘭台南町公園、更に北に進んだ左に、市立鈴蘭台小学校、その先で神戸電鉄栗生線の鈴蘭台西口駅の東側の踏切に出ますが渡らず左に折れます。
鈴蘭台西口駅の南口の前を通ります。元々の徳川道かどうかわからないが、駅より線路沿いに西に進む道は徳川道のハイキングコースとなっています
右の線路に沿って西へ坂を上りながら進みます
坂を下っていくと正面に16号線の高架が見え、その向こう側が西鈴蘭台駅高架の手前100m弱の所で左に折れますこの辺りは鈴蘭台の大きな住宅開発で新しい建物ばかりです、旧徳川道が果たしてどのあたりを通っていたのか見当もつかないので、適当に住宅内を通ります
左(南)に折れた先の道
突当りの広い道に出る、T字路手前右にローソン、左にキリン堂、正面は鈴蘭公園のT字路、ここを右に折れます
右に曲がりすぐの南五葉五信号交差点を左に折れます
左に折れる交差点で左が鈴蘭公園、その先で南五葉1丁目交差点で歩道橋を潜って進みます。左に南五葉小学校を通ります
清和台1丁目信号交差点で右の真っ直ぐな道を進みます
鳴子1丁目信号で左に大きくカーブします、その先、左にセブンイレブがあります。正面に高架道路で交差しているので、右側から石段を上って上の道路に出ます。そしてその道を右(西)に進みます
上の道路に出たところで、左側に万代があります
道は左に大きくカーブしながら住宅内を進みます。星和台五丁目の信号交差点のすぐ先右に、南鈴蘭台公園があります。その二筋手前を右に曲がります(間違わないように)
右に折れて緩やかな坂道を上っていくと、住宅がなくなる端となりで星和台住宅の北の端の家の方に道を聞くと合っていた、そこを抜けると突然山道に入る、まさしく徳川道の復活だ
住宅が切れた途端、徳川道の復活だろうと勝手に思う。余りの様相の変化にビックリ
静かな山の中の道、直ぐに気持ちが対応できない
公園のような場所にでました、萱葺き風の家が建っています。ここは国営公園の公園予定地だそうでこの家も施設の一環。淡路島で開園している国営明石海峡公園の神戸地区としての施設だそうです。数年後変わるだろう
ここからは太陽と緑の道として車も通れません。この先左側一帯はしあわせ村公園で自然を残した中に施設が沢山あり広大な敷地のようです。
綺麗な道を進んでいきます
三又路にでました、星和台・徳川道から来て白川台方向の左に進みます。この道は「太陽と緑の道」として指定されています。久しぶりに徳川道の標示を見ました
この標示が至る所に立てられています
景色はほとんど見ることは出来ません、山道の比較的平坦な道を坦々と進んでいきますが、素晴らしい道です
古道らしいV字路になっています
左にゴルフ場が見えてきました。左の広大な一帯には、しあわせの村と呼ばれ、森・ゴルフ場・オートキャンプ場・運動広場・健康センターバーデ―ハウス・宿泊館・球技場・キャンプ場・ローンボウルス場・病院等々他施設がしあわせ村内にあります。環境もよく素晴らしい。
森から抜ける所で、左に阪神高速北神戸線が現れます。白川のしあわせの村出入り口ICの北西側をまくように南に下っていきます
阪神高速北神戸線をまたぐ徳川道の南北を歩道橋がかけられていますのでそれを渡ります。対岸に渡れば再び山道に入るようです。
歩道橋を右に折れ高速道路を後ろに南の山の中に進入ります。
再び山中の静かな街道を進みます。坂道息を切らしながら上っていきます
小さな峠を越えると峠の先は下りで地道に変わります
分岐がありますので右の道を進みます、案内標示があります
緩やかな坂道を下っていきます
舗装道路にでました、山道を下ってきた徳川道の地道でした。
向かって左から下ってきた徳川道です。此処で本来の徳川道は手前の方への道であったが、間違って左鋭角に曲がってしまった
舗装道路に出た右に石の祠のお地蔵さん
間違った道を暫く進みました
右に池を見ながら南に進む
池を過ぎてT字路に出る手前左に山伏山神社入り口参道へと 巨木カヤの立つ山伏山神社白川の旧家・鷲尾家の氏神で、長い細い石段の参道途中には風情のある石橋なども残っている。お宮の入り口には神戸市が名木と指定した「石抱きカヤ」の木があります。
(後で気が付いた、山伏山神社へ寄らなかった残念)
巨木の下に祠二基と道標白川の石抱きカヤ、根元に石を抱き込んでいる。
道標 「右 兵庫 道」「左 太山寺 道 大吉」
T字路を右に折れます
南北に走る阪神高速神戸山手線の高架を潜ります
高架を潜り左の伊川に沿って南に進みます
右に白川の 大歳神社稲の豊作を祈る大歳神に加えて、一条天皇の995年に疫病が流行したので、素戔嗚命を相殿に迎えて疫病退散を祈願したと言われています
⦅注⦆祠の所、山中より下ってきて舗装道に出たところで、私は鋭角に左に折れたが、折れずに進んだ場合この神社の傍に出てくるのが本来の徳川道のようです。その時気が付けば戻っていたのだが後で資料を見て解りましたが後のまつり。伊川の宮前橋を左に見て真っ直ぐ進み白川のきよた橋を渡ります
きよた橋を渡り南に進んでいくと左に白川の夫婦岩の説明板があります
白川の夫婦岩 白川の村、東方に高御座山という山があり、その山の頂上に、高座の岩という上が平になったそれはそれは大きな岩が二つあります。東側にあるのが雄高座といい、広さは畳六十畳敷ぐらい、西の方にあるのは畳四十畳敷ぐらいで雌高座と呼ばれています。この二つの岩は、神代の昔に、日本の国を造った伊弉諾尊・イザナミノミコトの神様が、国造りをされたあと、それぞれこの岩でお休みになられたところといわれています。はるか南の方に淡路島が見えるほんとうに景色のいいところで、神功皇后や安徳天皇、建礼門院もこの地にこられ、この景色を楽しまれたと伝えられています。また岩の上に湧き出ているお水は「寿命水」といわれ、子供のない夫婦がこの岩の上に十七日間お参りして、一生懸命お祈りすると、立派な子供ができ、また薬水として疱瘡(天然痘)に架かっている人がそこを洗うと、跡も残さず綺麗に治ってしまうといわれ、多くの人々が利用していたと伝えられています。この岩は、今も白川の山の中にひっそりと横たわっています。(伝説をたずねてすまのむかしばなし)より須磨区役所
白川のきよた橋から振り返る、説明板は向かって右
橋を渡るとすぐ自動車道に出ます。ここが 白川街道 との合流点で右に折れて進みますが、徳川道がここで一応終わりです。果たしいて徳川道がここまでできていたかわかりません。
合流地点で白川街道の東側(左)の道
白川街道と徳川道が重複して西に進む街道
合流地点に出てきたところを見る
道の向かい側に毘沙門天があります
徳川道はここ須磨区白川から白川街道に引き継ぎ西へすすみます。阪神高速北神戸線を布施畑で越え、その先で神戸淡路鳴門自動車道を越え、大山寺トンネル前で再び阪神高速北 神戸線を越え、大山寺の北側を進む、16号線に沿って北側を進み神戸市西区伊川谷町の前聞交差点で川の南側に出て西南に進む、更に第二神明北線を新長坂橋交差点の東南の辺りで越えます、山陽新幹線・高速道路を越えて、伊川谷町有瀬の交差点21号線を越えて、生田八幡神社の西側を抜け、南西へ、大蔵中学の西側を通り南へ、明石市東人丸町のJR人丸前駅を抜け、大蔵天文町2で山陽道と合流。と想像しますが後半は正しいかどうか不安です。とにかく大筋で徳川道の付け替え道はこのようなものです。
(詳細は別資料白川街道参照してください)
徳川道 完歩
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