【3日目】
古市駅に降り立ち、2日目の2010年3月20日の起点まで進む
近鉄長野線の古市駅南へ、安閑天皇陵の南、城山北交差点へ出る。更に東北へ100mほど天皇陵へ戻るようになり、右に御陵を高屋城跡二の丸で、東高野街道を南に進む、道は分岐するので左の道を進む、分岐から200m程で右からの170号線に合流しすぐ先の、城山交差点で道は再び分岐170号線を右に分け左の旧道を進む。

城山交差点の分岐、左に入る。

100m余り先で 高屋神社 がある高屋集落の中に位置する古社。宣化天皇3年(538)勅命によりこの地に創建されたと伝わる

高屋集落を進む

民家の軒に 道標 と小さな可愛い お地蔵さん 古市六丁目14

道標・お地蔵さんを振り返る、向かって右から来たところ。

左斜めに、二上山が望める

南阪奈道路を潜る

田畑の広がる古市の景色

街道沿いの、お地蔵さん

かなり南下した羽曳野市東阪田地区に入ると右に、
浄土真宗本願寺派西照山 西向寺

街道沿いに 灯籠二基と立派なお堂

羽曳野市より富田林市に入る左に貴志小学校に出たところで、右にカーブして170号線の貴志交差点に合流する。

合流して100mほど進むと貴志南交差点、交差点を右(西)へ150mほど行くと、近鉄長野線の貴志駅に突き当たる。

街道沿いに 祠

少し進むと桜井交差点、手前右に森があり、灯籠と台石かあり神社の御旅所か

信号交差点を右に 美具久留御魂神社 があるが少し遠いので寄らない。参道の鳥居が建つ

右奥には、栗ヶ池が広がる。桜井交差点より少し進むと、中野町3交差点で道が分岐するので、左の旧道に入る。

旧道に入った街道沿いに 祠

旧道の雰囲気が残り、旧家の残る街道筋に入っていく。右、家の軒に 灯籠

大きな旧家が点在する

中野3交差点から600mほど先で、中央分離帯のある広い信号交差点に出て横断。さらに200mほど進むと左に新堂小学校の西側を通る

新堂小学校から500mほど進んだ先、若松町で五差路の交差点に出る。正面左側の細い方の旧道を進む。

左の旧道を200m余り進むと、府道富田林五条線に出るので、右の信号を横断して反対側に迂回する。信号から南西に60m程の十字路南東角が高札場跡。横断して20mほどで少し南に方向が変わる。寺内町に入る。東西約400m、南北約350mあり、中世から続く寺内町の町割りをよく残し、沢山の立派な商家が残る。富田林街道を歩いた時散策したので今回は街道筋だけとする。結構ゆっくり見ると時間がかかる



富田林 寺内町
永禄初年頃(1558~69)興正寺の門跡証秀上人が、興正寺別院の建立と町割りを作ったのが始まりとされている。町内は南北6筋、東西7町の道路で整然と区画、下水路を完備、周囲には竹藪のある土居をめぐらし、外部からの出入りは一里山口、山中田坂、向田坂、西口の4ヶ所に限られていた。早くから自治的都市特権を得て、町政の運営には年寄役となった8人があたった。
ここは東高野街道と富田林街道などが交わる交通の要衝であり、近世以降南河内一の商業地 として発展しました。酒造業初め多種多彩な多くの商人や職人のゐたことが分かっています。
今も往時を忍ばせる17世紀中頃から明治にかけての町家が多く、文化財としても日本の優れた遺産として残していってほしいものです。平成9年10月、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。(説明板より)


【寺内町中の東高野街道を少し説明します】
寺内町内の南北との筋の間隔は約50m、東西との筋の間隔は約70mで、均等に整然と碁盤の目になっている。
左の高札場から東高野街道は寺内町の一筋目の三叉路(西の道は一里山町通り)に入ると、右南西角に北福商店を見て亀ヶ坂筋を南に進む。
二筋目の十字路(東西の道は富山町通り)右に寺内町遊園の説明版がある。十字路右に入ると(東)奥谷家・油屋を営む。その西側、城之門筋を挟んだ隣に奥谷家・屋号「岩瀬屋」で材木商を営む。十字路の東側には(北)越井家。
三筋目の十字路(東西の道は北会所町通り)、十字路南西角に、たばき橋本商店がある。十字路右手前角には佐藤家・紅梅酒味醂の醸造業を営む。城之内筋を挟んだ西側には、(南)奥谷家・岩瀬屋の分家。十字路の東側に、越井家・屋号「平尾屋」で材木商を営む、安政年間庄屋をつとめた家柄。
再び亀ヶ坂筋を南に進み、四筋目の十字路(東西の道は南会所町通り)の右手前角に西の薬局がある。
五筋目の十字路(東西の道は堺町通り)に出る。右西北角に中内眼科、南西角に尾崎薬局があります。
この五筋目の十字路の東西の道、堺町通りは富田林街道で西から東に寺内町を抜けていく。
東高野街道はここの十字路を右に折れ、堺町通りを少し富田林街道と重複する。右に折れた次の城之門筋の十字路右手前に田守家・屋号「黒山屋」で木綿屋を営んでいた。
十字路の渡った右は杉田家・屋号「樽屋」で油屋を営む。
十字路を南(左)に入ると、筋左に妙慶寺、右に興正寺別院がある。
十字路を西に進むと、富筋の十字路に出る。富田林街道は真っ直ぐ進み分岐する、東高野街道はこの富筋の十字路を南(左)に曲がる。十字路を右(北)に入ると、北側の南会所町通りを挟んで、南角に(南)葛原家・葛原家の分家、北側に葛原家・屋号「たばこ屋」で酒造業を営む。
街道は十字路を左に折れて、興正寺の西側を進み、六筋目の十字路(東西の道は御坊町通り)を越える。
次の七筋目の十字路(東西の道は林町通り)に出る。左角に市立富田林保育園、十字路を右(西)に入ると南北の市場筋の十字路に出る手前右に、旧杉山家住宅(国重文)江戸時代前期の大規模商家の遺構を残す。酒造業を営む。
杉山家の南向かいには寺内町センターがある。
十字路に戻り富筋を南に進むと、左に仲村家、右に上野家がある。十字路から100mほど先でT字路となり、T字路左の道標を見て右に折れ寺内町を抜ける。
寺内町内の東高野街道の道筋は以上ですが、写真を写したがどの家かもわからくなり、写真で想像してください。
なお、寺内町内にはまだ沢山の商家や民家がありますが、街道通りに限定しているので、全てではありません。富田林街道で歩いた時、他も見ていますが参考にしてください。ゆっくり回るには、半日ぐらいは時間が必要だと思います。
亀ヶ坂筋


堺町通りで、東高野街道と富田林街道が少し重複している街筋


妙慶寺 慶長8年(1603)の創建


真宗興正寺別院・富田林御坊 寺内町の中核寺院、重厚な門は伏見城の門の一つを移築した。



富筋を南に進み林町と交差する南東角の 仲村家住宅 屋号「佐渡屋」といい、酒造業を営む


旧杉山家住宅(重文)




仲村家の少し南向かいに上野呉服店

富筋を南に進んだT字路ひだりにある
道標 「町中くわへきせるひなわ火無用」

右に30m程進むと道が分岐するので、左の向田坂を下る。下ったところで小さな川を渡ると、寺内町の外に出る


少し川沿いを西に進み、すぐ左に折れて20mほどで右(西)に折れて70mほど進むと、突き当たるので左に折れる。南西に街道は進み、右に富田林高校が見える。


富田林高校を過ぎると、道は分岐するので右の道を進み、途中から川に沿って進みます。200mほど進むと右の川の対岸に、黄檗宗 養楽寺 が見える

更に150m程左に緩やかにカーブしながら進むと、左から先ほど分岐した車道に合流します。合流後少し西に向きを変え300mほど進むと170号線に出ます。170号線の交差点を横断したすぐ先で、近鉄長野線の川西駅の北側の高架を潜ります。

高架を潜ると道は分岐していますので、左の道を進みます。

その先100mほどで道は分岐しますが左にカーブしながら道なりに左に進みます。

南に方向を変えて進んだところで、309号線の高架歩道橋に出ます。歩道橋を渡らず右に折れます

左下に309号線を見て100mほど進んだ信号交差点で左に高架を渡り、309号線を越えます。

左に折れて暫く真っ直ぐの新家集落を通ります 新家2丁目3

200mほど先のチョット食い違った十字路を真っ直ぐ南へ。50mほどで左に芝町会集会所を見て進む。左の芝町集会所から100mほどで、逆Vに分岐する辻がありますが左への旧道を進む、数十mで左から小川が接近してくる。すぐ左から新道が合流するが、道なりに南に、右にアーバンハウス1号館、錦織北1地区を進む。更に200mほど先右に、ラ・メゾン・メイソウの前を通る。左鋭角に車道が合流してくる、十mほど先でその車道を横断する。
左からの車道が合流、すぐ先で左に入る旧道。錦織北2から錦織中1へ入る


300m余り右に大きくカーブしながら南下する、途中左奥に近鉄長野線の滝谷不動駅
反対側右(西)奥に 極楽寺


すぐ先の車道との交差点角、滝谷不動への辻にある
道標 「すぐまき尾山」 「右 滝谷山へ十丁」 何かいろいろと傍にあり窮屈そう

新道を横断して進むと。祠 が大小並んでいる

新道を横断した先は特に何もなく錦織中2地区を坦々と500m程南西に進む。右から現在の地図に東高野街道と記載されている道が合流してきて、五差路となり、旧道は南に真っ直ぐ進むと数十mで近鉄長野線の踏切を渡る。

その先数十mで左からの170号線に合流する。合流したところの辻を振り返る。

線路の際に立派な お地蔵さん が祀られている

合流後200m程で左からの新道の信号交差点、錦織東3地区

更に300m程国道を進むと、左石川の対岸に汐の宮温泉病院が見える所で、富田林市から河内長野市に入るが、その手前

右側に 史蹟東高野街道錦織一里塚跡石標
本来街道を挟んで一対があった。金剛鍍金工業所の北隣にのこるものはその西塚でエノキが植えられていた。

一里塚跡にある、宝篋印塔二基 北側のは、承応二年(1653)の建立南側のは、宝永六年(1709)の建立塚はそれ以前のもの

病院を左に見て小さな川橋の所で、左にリサイクルセンターを見て車道を左に分かれ、右に折れ踏切を渡りすぐに道に突き当たるので左に折れて進む。

孝子地蔵・道標 を兼ねている 「左 まきのを道」

傍に お地蔵さん が並ぶ


その先で十字路を横断する、左に曲がると汐ノ宮駅に至る。街道は真っ直ぐ南へ進み、200m余りで道なりに右斜めに方向を変える。150mほど進むと、右からの道と合流して南へ、汐の宮町を通り、左にアイエムコープの前を通り、100m程で右からの広い道路に合流する。街道は南に緩やかに右にカーブしながら200m近く進む。やがて右側突当りのT字路を左に折れる。道なりに右にカーブしながら200mほど進むと。信号交差点で左からの170号線に合流
左からの170号線に合流する交差点

170号線を南に300mほど進む、二つ目の信号のすぐ先、
この分岐点で二つのルートが考えられる。

⦅一つ目は⦆
国道170号線を左に分け100mほど先で、近鉄長野線の踏切を渡り、すぐ右に折れて、右の線路に沿って300m程西南に進み、菊水町の十字路に出る。十字路を間直ぐ車道進む道が、大沢峠越えで石見川を遡り五條へ出る街道。
右に折れて菊水町の信号交差点の所で、近鉄長野線と南海高野線の高架を潜り、すぐの左への170号線を曲がらず、一つ西の道を左に折れて150m南西に進むと、ノバティながのの北東の角十字路に出るので、十字路を左に折れて、河内長野駅西口前にでて170号線に合流し、右に駅前をカーブして一つ目の信号交差点に出る道。
⦅二つ目は⦆
国道170号線をもう100m進み分岐を右に折れる、左奥に東尾メック工場があるところ。右に、極楽寺・錦渓幼稚園を見て進むと、南海高野線を高架橋で越える。道なりに150m、やや左にカーブしながら進むと、左奥に本町公園がみえる、T字路となっているので左に折れる。このT字路で右から西高野街道が合流する。西高野街道は途中で下高野街道・中高野街道を合流してくる。20mほど先で右に折れて、130mほどで道が分岐するので左に折れるとすぐ先で、前述のノバティながのの北東角の十字路に出る。また前の分岐を真っ直ぐ進むと150mほどで前述の信号交差点に出ます。
どちらの道でもいいのですが、後者の道の方が自然のように思われます。
二つ目の街道を進む、170号線を少し進んだところで、錦渓幼稚園の看板の所を右に折れる

坂を上っていく

右奥に 融通念佛宗錦渓山 極楽寺


極楽寺、幼稚園のすぐ先で南海高野線を高架道で越える、その手前右に 三笑橋石碑

振り返ったところの極楽寺と錦渓幼稚園、山の頂にある

高架より下の高野線と河内長野市街地

高架道から緩やかに街道を下るとT字路に出る。西高野街道が、下・中高野街道を合流してこの辻に出てきている。ここで東高野j街道が合流するので。西・下・中・東高野街道が一つとなり、ここから高野街道になる辻

合流辻には、灯籠と祠 上の写真右正面が東高野街道、下の写真左正面が、西高野街道

この辻で、東高野街道は終了 とする、この先河内長野駅前までの道はノバティながのを挟んで東西どちらの道をいってもいい、駅前で合流する。
菊水町交差点に出る、手前の道が大沢越えへの道。高架の間の右への道は、国道170号線、手前高架の所、右へは一つ目のルートの東高野街道。

ここは、西高野街道と合流してひT字路を左に折れすぐ右に折れて150m程の先の分岐点。左でも右でもノバティながのを挟んで駅前に出る。

駅前近くのアーケードの本町商店街

河内長野駅西口の前の道、菊水町交差点からの170号線。左の道を出てきたところ、その左がノバティながの

河内長野駅前

駅前正面のアーケード商店街、右がノバティながの。 この交差点でアーケードを抜けてくるか、先ほどの右からくるかである、結局ここの交差点で合流する

3日目は、更に高野街道を天見駅まで歩きましたが。便宜上、高野街道の資料に載せましたので。東高野街道はここで完歩とします
東高野街道完歩
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