梅田街道(阪神街道)

2012年4月14日

大坂北浜なには橋~阪神大物駅
淀屋橋へ、大阪堂島川に架かる難波橋よりスタート。6時25分。あいにくスタート時は小雨模様であるが雨があがる予想。今日は短い街道を、梅田新道・尼崎街道・御堂筋と歩く予定。
まず大坂と尼崎を結ぶ街道に挑戦.
大和田街道と同じような街道と知らなくて、尼崎の大物駅~大阪難波橋まで歩いたが、歩いている途中でわかり、でも若干コースも違っており完歩するまで歩いた。
コースは、大阪市北区難波橋北詰より国道26号路線より、堂島濱通り3丁目より北に折れ出入橋西詰より西成郡鷲洲村に出て中津川を渡り歌島橋に入り神崎川堤防を北進すること290間にして神崎川渡船場に達し、堤防に沿い尼崎町の東端辰巳橋に至りて終わる。延長2里14町55間にして大阪と尼崎町との間に於ける諸村落交通の要路たり。
                                 明治36年「大阪府誌」より

まだ夜明けの明るさに至っていない
難波橋をスタート6時25分 難波橋より東(右)を望む

左は中之島の東端

難波橋南詰、京阪北浜駅

難波橋は中之島を間に挟み、二つの川に橋が架かっている。旧淀川(現大川)が中之島の東端で分流して南側(北浜)が土佐堀川

 北側(天満)が 堂島川 いずれも西の遠望

難波橋の北詰、ここを左に折れる。道路は堺筋線で北へ一方通行。左斜め方向が大阪駅

左の堂島川に沿って西へ、右に天満警察署

天満警察署前の 鳥居と天満宮の石燈籠

大坂の名物祭り、天神祭りの時、この鉾流橋の袂から鉾流神事が行われる

堂島川の対岸中之島に建つ、 中央公会堂
図書館を挟んで 大阪市役所 川に架かる御堂筋の大江橋

堂島川の西 大阪市役所、御堂筋を挟んで西側が日本銀行大阪支店

堂島川の東 中之島図書館、大阪中央公会堂

御堂筋(国道25号線)を渡る

御堂筋と大江橋、右が日本銀行

正面が大阪駅 御堂筋は南行き一方通行

御堂筋を渡り、右にANAクラウンプラザホテル大阪、道を挟んで左側、高速道路高架下に

堂島米市場跡記念碑
1730年幕府は堂島米市場に米の先物取引である張合米取引を公認した、その取引の手法は現在の大阪証券取引所を始めとする世界各地における組織化された、商品・証券・金融先物取引の先駆をなすみにであり、先物取引発祥の地とされている。背後の像は昭和28年彫刻家横江嘉純氏により制作された

四ツ橋通り交差点を渡る

交差点より四ツ橋通りの北方面、北へ一方通行

四ツ橋交差点を超えて進む、右手に堂島ホテル

阪神高速池田線の高架を潜る、右角、東洋紡ビル。街道は高架を潜り、すぐのところで高架に沿って右に曲る

左に、NTTテレパーク堂島第一ビル

街道沿いの左側に、大阪市役所堂島庁舎跡の石柱

新出入橋東交差点を左斜めのやや細い道を入る

細い道を入った右手に

日蓮宗浄祐寺
昔の旧街道は、お寺の裏側を通っていたようだ。遊女の信仰を集めたお寺。遊女菊野をめぐって5人殺傷事件の犠牲者の墓がある

境内の 水子地蔵菩薩

国道2号線の出入橋交差点、交差点を渡る

交差点を渡り、阪神高速の高架を潜り、その先で大阪環状線・東海道本線のガードを潜る

梅田ランプ西交差点、右に日本通運の所を、左に折れる、貨物引き込み線を超える

西への道を進む

国道41号線、なにわ筋の交差点を超える
なにわ筋を超えて行くと、右手に上福島北公園、其の北脇にある地蔵堂

茶若地蔵尊

西隣に 本門佛立宗清風寺

すぐ先で、あみだ池筋の交差点を渡り、右手に金蘭会高校があり

その超えたところ右に入る道を進む

綺麗な桜が満開の道を進む

桜並木の右に 素護鳥尊神社

境内の 子安延命地蔵尊

神社を右に、突当りを左に折れる。東海道本線の高架がすぐに有るが、高架下を潜らず手前を右に折れる。50mほどで再び、(株)秋田のところを右に折れる。左は東海道線

 折れたところの道筋。(この辺りの道筋は街道であるか不明)

150mほど先で左に折れる(3筋目)

左に折れたところの道筋 この辺りは大淀南3丁目9

左に 祠と安楽寺

50mほど進んで右へ曲がる(1筋目)

更に100mほど行った先で左へ(3筋目)

直ぐ左に 一乗寺

隣に 地蔵

そして(2筋目)のやや広い道を右へ

更に(2筋目)広い道が、左斜め後ろからの交差点(大淀中5丁目交差点)

大淀中交差点の広い道を渡った、左角のアラキ商店の横の道を、北東へ入る。その先は淀川

淀川に出るので左に折れる

淀川を右に沿って進む、前方に、東海道本線・阪神高速11号池田線の高架を潜る

高架を潜り真っ直ぐな道を300m程進んだ辺りに、旧かつての渡し場跡

この辺り海老江3丁目が 渡し跡 でないだろうか

淀川を渡る橋がないので、500m程真っ直ぐ進んで国道2号線の淀川大橋で対岸に渡る。川幅も500mはあるだろう大変だ

淀川大橋より、西の渡し跡方向をと東方向

淀川大橋北詰を右に折れて堤防の下の道を進む左に 鼻川神社 が見えてくる

神社から400mほど進み、左への旧道を入る(西淀川区柏里1丁目3)
右の淀川、海老江からこの辺りに渡し跡

柏里2丁目、この辺りは淀川改修以前の旧中津川の左岸でかつてはここから、槲の橋、野里の渡しがあった。明治9年には「槲(かしわ)の橋」があって有料の木橋が架けられていた

旧道を入っていった街並み

右手の駐車場内にある 祠

柏里2丁目7、 右斜めに進む

更にすぐ先を、右斜めからすぐ左に曲がる右に行けば商店街アーケードの入り口、その前を左

立派なアーケードの商店街通りだが人気が少ない商店街の先は、JR塚本駅

商店街の入口の前を進むと左に柏里西公園があり、鼻川神社御旅所が建つ

鼻川神社御旅所

中央分離帯のある広い道路を歩道橋で渡る

その先が阪神高速11号池田線の高架に突き当たるので、高架に沿って左に進む

少し進んでいくと、珍しい赤い 

西淀川区歌島2丁目12八丁橋交差点、ここの左右は、今は緑道となっているが、かつての大野川を超える。高速は右に離れていく。

八丁橋を渡り、高速を右に離れ真っ直ぐ100mほど進む、左に市営御幣島東住宅1号館、少し右斜めに折れ、すぐまた交差点を左に、右にパークスクエア・レピア御幣島東公園を見て信号のあるすぐの交差点を右に折れる。
左に市立西淀川区民ホールを見て、2筋目の信号交差点を左折、右に大きな歌島公園がある。西に真っ直ぐ進む。
東西線の御幣島4交差点を超える。右角にレストランさとがある。さらに、西へ進んでいく。1つ目の信号交差点右に、大阪労働衛生センター体1病院があり、そこの信号交差点を少し左に入ると光明寺があり、交差点に戻り、100mほど進むと神崎川に突き当たるのだが、神崎川は見えない。住宅が立ち並ぶので、そこを左に折れて進む。

左に入って行ったところ 浄土真宗光明寺

元の道に戻り突き当り左に折れる、正面建物の向こうは神崎川

御幣島4丁目の右に神崎川に沿って暫く進みます

やがて神崎大橋南詰に出ますので右折して、神崎大橋を渡る

神﨑大橋よりの神崎川

神崎大橋を渡り150m程先の、新佃公園前交差点を右に折れる、右角にガソリンスタンド

街道が正しいかわからないが、右に神崎川を少し離れて北に進む。右に、キングマンション千船4番館の所を、左に入ると、浄土真宗西法寺 この先は川が合流(分流)する三角州になっている     

旧道に戻り更に北に進み、右に岡山県貨物運送佃町社宅のところの交差点を左に折れると

田蓑神社
鳥居、1511年に建てられたもので、この年代の鳥居としては型も整っているものです。同類の鳥居は四天王寺に一基あるようです。

この辺りは西淀川区佃1丁目24、この先北で、神崎川が左門殿川と合流しており、神社の所で、今度は右に左門殿川に沿って南下する。中州の三角点の先端近く

南への町並み

街道は右の左門殿橋南詰めからくる2号線の交差点を左にガストをかすめ、右斜めに進む
左に佃小学校があります

交差点の手前右に 被爆者鎮魂碑
昭和20年6月26日、アメリカのB29の空襲で地下壕が直撃弾を受け、避難中の付近住民約53名の尊い命が奪われた。近くの篤志家により無縁佛が建立され、昭和33年には一般住民の方々の御好意により記念碑と地蔵尊が合祀された。

右に左門殿川に沿って西へ、桜の道を歩く

阪神電鉄本線の高架ガードを潜りさらに西へ

高架から900m程右の左門殿川に沿って進む

次に阪神なんば線のガードを潜る

ガードを潜ると300m程で、阪神高速3号神戸線と国道43号線の高架に出る

この辰巳橋南詰の交差点で、右に折れ辰巳橋を渡る。左門殿川に架かる辰巳橋

ここが 梅田新道の終点。辰巳橋 ですでに歩いた、大和田街道・尼崎街道に分岐している。橋を渡れば尼崎となる

辰巳橋から今歩いてきた、左門殿川沿いの街道

この先 辰巳橋から大物駅までの道順は大和田街道・尼崎街道(参照してください)に重複するので省略します

梅田新道 完歩

この後、大物駅に進み、引き続き尼崎街道を歩きます

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