2011年5月18日
京阪電車で枚方公園駅へ、ここを起点として枚方市伊加賀で京街道枚方宿西口から、枚方丘陵の西麓に沿って南進し、四条畷市砂から低地部に入って大東市住道、東大阪市菱屋東・若江を経、八尾市八尾に至る道。
街道は幹線道路が少ないが、道は狭いが車が結構多かった。街道資料調査していなければ旧道はすぐ間違いそうであったが、でも結構楽しく歩けた、思った以上に長い道のりでした。
枚方公園駅 6時55分 スタート
八尾到着 18時.50分 完歩
59.526歩 35.71㎞
京阪枚方公園駅 駅より少し起点まで歩く

淀川堤の13号線の桜町交差点、前方枚方大橋

枚方(大塚)の渡し跡
昔、淀川には橋がなく、対岸の摂津の国に行く唯一の交通機関は渡し舟であった。ここ三ッ矢には枚方地方で最も利用が多く親しまれた枚方の渡し(大塚の渡し)があった。明治10年、対岸に鉄道が開通したことにより淀川左岸一帯の郵便物は逓送夫さんがこの渡しで、淀川を渡り、国鉄高槻駅まで運んだ。この渡し場は、これより上流約570mの所にありました
信号交差点の角に淀川に向かってモニュメントが立つ


明治18年の淀川洪水碑 仮弓形堤防跡に立つ

明治18季淀川洪水碑
明治18年6月15日朝から降り始めた豪雨で、淀川の水位は急上昇し、ついに18日午前3時、三矢村・伊加賀村の淀川堤防が決壊した(伊加賀切れ)。その切れ口は約180mに達し、濁水はたちまち淀川左岸一帯を水没させました七月にも豪雨にみまわれ、復旧中の堤防が再び決壊し、濁流は寝屋川流域にも広がり、大阪府内で七万戸余りが浸水するという未曽有の大洪水となった。決壊箇所は水深が約5.5mもあり、水勢も激しいことから、旧堤防から後退して弓形に仮堤防が築道された。土砂は御殿山(万年寺山付近)から採取され、大勢の人夫を動員して、全長約400mに及ぶ大規模な工事であった。
この洪水碑は明治19年に建立されたもので、洪水と復旧の経過が記された。淀川治水の重要性を今に伝えています。なお、弓形の仮堤防は、旧堤防の完全復旧によりその役割を終え、今は桜町の道筋に名残りを留めている。
堤防(桜町交差点)より南東に下るところ

河内街道の起点・京街道と交差
京街道は向かって左へは京へ、右へは大坂。河内街道はこの伊加賀の変則交差点を起点に真っすぐ南東に進む

起点街道右沿いの 真宗誓願寺

すぐ先で京阪本線の踏切を越える

踏切を渡ると分岐する、左方向は枚方公園駅で、踏切を渡るとすぐ右へ線路に沿って進む
この辺りからは、京阪線・府道で旧道は消失

左一帯は枚方公園(ひらかたパーク)が続きます。やがて走谷1で国道1号線・京阪国道の高架手前に出ます

高架手前で左に入る細い道があります、左の旧道に入る。ここから寝屋川市香里北之町まで約3㎞は幅2m前後の旧道が残る

京阪国道を潜ったところの十字路の左角の 小詞 (走谷1丁目)

十字路を左に入ると 浄土宗東福寺

南隣に村社 賀茂神社

元の旧道の十字路に戻り道なりに暫く歩く、途中、中振り集落は旧観を残し、集落内は屈曲しながら進む

左の細い道に入る


細い道を抜けたところで突当りを右に折れる

更に突当りを左に折れると、左角に山本米穀店の交差点に出る

交差点を渡ったところで振り返ったところ

すぐ先左に小さな地蔵が沢山集まっている 詞 がある

その先右に折れる左角のブロック塀の下に北中振1丁目の 道標 「右のざき」


道標の角を右に折れると、すぐ正面に京阪電車線で手前を左に折れる

左に折れて100mほど真っ直ぐ進む、途中、左に伊庭歯科医院の前を通り、右は京阪光善寺駅が奥に見える

その先で右に折れる

正面に枚方信用金庫が見える手前で左に進む。右の線路沿いの一筋東側の中振の集落を進む

線路より一筋東側の街道風情が漂う快適な街筋を南へ

左に 浄土真宗圓養寺



南中振の集落内を南に300m程進む

その先で右の車道に出て、更に右の並行している京阪線に接したところで、車道、踏切を渡り線路の西側に出ます

ここで⦅寄り道⦆踏切を渡らず少し真っ直ぐ行って左の参道を200mほど奥に入って蹉蛇神社へ寄る
蹉蛇神社の長い参道入口の 鳥居と燈籠

蹉蛇神社(龍光寺跡)
縁起によると、菅原道真が大宰府に遷る途中、娘の苅谷姫は父を見送るためここまで急いできたが間に合わず、足ずり(さだ)して歎き悲しみ、これを知った道真が娘を不憫に思って自像を作って送り与えたため951年ここに社殿を造営してその木像を納めたという。
境内には聖徳太子開基の伝承をもつ龍光寺があった。785年の火災ののち衰退し、大坂冬の陣のとき神社もろとも焼失したが、間もなく再建され、さだ神社の宮寺として明治初年の神仏分離まで存続した。本尊の聖観音像や1313年の裏書をもった大涅槃図などは南隣の浄土院に移されている。



すぐ神社南側にある 浄土院

陰で見えにくいが境内の 道標を兼ねた地蔵 「すぐ枚方京道」

元の街道の踏切まで戻り踏切を渡り、すぐに左に折れる

左に折れる右に、のむら鍼灸院がある

十字路に出て、右角に南中振集会所がある右角に 蹉蛇天満宮の道標


となり右の垣根に埋まるように 伊勢燈籠


ここが旧道からの蹉蛇神社の参道入り口で、京阪の踏切を越えて先ほどの参道に出る辻です。
少し進んで行くと右に、親愛保育園

その先左斜めに進んで京阪本線を渡る

踏切を渡り車道を右へ、左角にローソン、線路を右に沿って400m程南に進む。暫く、京阪香里園駅手前まで進む

河内街道はこのまま歩いて完歩したのですが、写真と資料が旨く記憶が辿れず、再度、河内街道を歩きました。
河内街道 2回目 2017年10月9日
香里園駅~八尾本町
2011年5月18日、6年余り前に河内街道完歩しているのですが、資料整理している所、記憶が曖昧で資料整理ができなかったので、今一度歩きました。写真が前回の分と今回の分が入り混じって一つになっています
(今回歩いた距離)
京阪香里園駅 7時00分 スタート
八尾本町 17時00分 着
51.096歩 30.65㎞
八尾本町からJR八尾駅等移動も含め1日トータル
55.054歩 33.03㎞
香里園駅手前で21号線を道なりに左斜めに進む、枚方・寝屋川市境の堤道で木屋まで延びている赤井堤を、現在では車の多い府道となっているが、街道と南西低地との高低差が5mに及ぶ

香里園駅前通り香里北之町から秦町まで約2.6㎞は府道・外環状線と重複します

大木近くの左奥に 静照寺

街道沿いの大きな民家

郡元町9 右手街道沿いに大木が二本立つ、振り返る

左手に豪壮な建物、車道より左手(東)の郡・三井の旧集落は落ち着いた雰囲気を残している

暫く進んだところで右から170号線の広い道が合流する香里南口交差点

合流点の左にローソン、暫く車の多い170号線の広い道を進むことになる旧道の面影は全く残らない


右下の西側田井町は170号線より高低があり低くなっている、新旧住宅が並ぶが、旧集落の面影を残す部分があるようだ


街道は170号線を進んでいきますが、【寄り道】 街道より少し外れ、右の堤下の集落に下りてみます

170号の外環状線の単調な道を歩くより、右(西)の低い町並みに下りて進むほうがいいようだが

浄土真宗本願寺派田井山善行寺

外環状線の西側の道筋が、いい雰囲気で街道でないかと思うほど雰囲気がいい 田井町3

再び左の一段高い堤の外環状線の170号線に戻る、外環状線の成田山境橋口交差点に出ます

成田山境橋口交差点で道が左の170号線に平行して右側に分岐する道があります


右側の道を進みます、この道も新道です。右に青嵐会病院があります

道は右に大きくカーブしながら下っていきます

下りの途中、青い車の辺りで車に注意しながら左に横断します

右の高架下の細い歩道をV字に進みます

道は下りながら左にカーブしますが、かつて旧道は、右の高架から南に進んでいたようですが、高架道路等の改修で完全に消失しています

そのまま170号線に出て信号交差点を右に折れます

右に折れた170号線を進みます

左に中井病院がある角で【寄り道】左に入ります

左に中井病院がある角の【寄り道】道を左に入ります
150m程東に進むと右に 国松小社(通称小森さん) 国松春日神社の末社


さらに東に50m程進むと があります、境内はシイの杜

国松春日神社由緒、往古よりここに松の大樹があったとされ、建仁三年(1203)大松の木に社殿を建立したのがはじまりと伝わる古社。灯籠は寛政三年(1791)鳥居は寛政十年(1798)の建立

もとの170号線に戻り右の高架が国道に下ってきた先に、寝屋川に架かる安全橋・寝屋川署前の信号交差点に出て、街道は南に少し進むが、
橋を渡る前に⦅寄り道⦆をします。東(左)へ川沿いに200m程進み住宅の中を北に少し入ったところ、竹や雑木に囲まれた静かな一角にある、秦河勝の墓へ

秦河勝の墓
四世紀~五世紀にかけ大陸から多くの人々が我が国に渡来してきた、秦氏の祖といわれる、弓月君もその一人で、秦河勝は聖徳太子を補佐して六~七世紀に活躍し、京都の太秦に蜂岡寺(広隆寺)を建立したことで有名な人物

寄り道を終り、外環状線(170号線)の安全橋まで戻る。右に寝屋川署を見て、橋から100mほど進んだところで分岐があります

正面のパチンコ店の所を斜め左の道に入る

更に70mほど先で、豊野東信号交差点にでます、街道は横断して真っ直ぐ進む

50mほど先で、道が分岐するので、右の旧道を入る、右に上山病院がある前を南下。分岐の左の道は旧170号線

上山病院のすぐの十字路を左に折れて250m程東に進むと、左に小さな森があります

加茂神社

加茂神社の前、道を挟んだところ、秦公民館前の広場で、祭りの打ち合わせのため地元の人たちが集まっています

街道に戻りますすこし進んでいくと、左斜め前に市立市民会館・東図書館の建物が見えます、その辻を少し右にズレて細い道を進みます秦町42

100m程進むと市民会館前交差点に出ます。交差点のすぐ手前で右への道は、交野街道起点

右への交野街道の旧道

起点の左、カーブミラ―の下に 道標「すぐやはたひら方道 左 星田妙見道」 「すぐのざき道 右 大坂みち」

交差点から旧道の辻振り返る道標が向かって右ミラーの下に見える

すぐに市民会館前信号交差点手前左に 祠 交差点の先、左は第一中学校

交差点を越えて振り返ると、右に市民会館・東図書館、街道は青い屋根の左側を通ってきた

左の第一中学校が切れると、東体育館があり続いて五藤池があります


五藤池が切れたところで、そこの角を左に折れます

左の池越しに、体育館・学校を見る

五藤池の南側の堤道を少し歩き切れるところで右に下る道を進む。下って所から振り返る

五藤池から南へ進む高宮新町の細い旧道

左に住宅の建物

やがて信号交差点に出ます、左角に寝屋川高宮郵便局

郵便局の横に出てきた旧道を振り返る

郵便局を左に見て車道を真直ぐ横断

細い旧道を進みます 高宮1付近 郵便局の交差点より200m程先の十字路左に折れる。右数十mに170号線の信号交差点がみえます

左に折れた先、緩やかに右にカーブ

次の右T字路を左に折れます左に折れる右角の道標の角の民家は、最近建て替えられています。2011年5月に歩いたときは、前の住宅でした

左に折れる右角、電柱の袂に新しい 道標 「河内街道 枚方道 高宮村往還」 「新しい条里制の遺構」

右に道標を見て左に折れます。先で右に緩やかにカーブ

左に立派な塀を構えた大きな家があります

隣の大きな家との間

路地を左に入ります

路地を入っていくと車道に出ます、その手前両側の家も旧家の重厚な作りです。この地区には豪壮な家が沢山残っていて見ごたえがあります

車道にでて街道は右に折れるが、左に折れて数十m先で右に折れて正面の石段を上ると、秋玄寺の境内に出ます

境内から正面にまわった 浄土宗一即山秋玄寺

境内にある 十三佛板碑

境内の 石の五重塔

街道に戻り南へ、すぐ左に高宮公民館があります高宮2丁目

公民館の過ぎたところ左に郷社式内 高宮神社の碑が立っています

高宮神社

高宮神社の東側に通称 大蛇の井戸
井戸は古く、玉松寺の創建の頃と伝わる、室町時代にはすでに寺は廃寺として伽藍はなくなったが、井戸が集落の共同井戸として延々と引き継がれてきた

高宮神社を下り元の旧道に戻り集落を南に

少し先で十字路に出ます、その10m程先左に新しい 道標と巡礼姿の像

道標「右先 河内街道 左 山根街道」「高宮村元標 左先 大杜社参道・小字路」
チョットゴミ捨て場にしないで欲しいな


左に入り【寄り道】道標を右に見て緩やかな坂を上ります
150m程先で分岐している左角に、国史跡 高宮廃寺跡の石標


途中に高宮大社の 鳥居と灯籠二基

鳥居のすぐ先右の案内板


説明板の横の 石標「元 大社御祖神社 表参道跡 南海道」


高宮大社御祖神社


街道に戻り南に高宮集落を進む小さな川を渡る

川を渡ったすぐ先で、右の畦道が旧道です、左の道は旧170号線

旧道がよく残ったと思います、何か感激する


高速道の高架で旧道は消滅しています

高速道に突当りますので、左側に折れて旧170号線に合流して、高速道を右に潜り右に折れて反対側に出ます。左一帯は田畑が広がります。
ここの旧道の消失しているところまでの旧道は、2011年5月18日に歩いたときの旧道はあまり変わらず歩けました。この高速道の反対側に出た時には驚きました。2011年に歩いた畦道の旧道がわからなく、現在進行中の土地改修工事で一変しています。おそらく何年後来たら、また全く変わっていることだろう、時代の流れです
2011年5月18日時の資料です。高速道より北側で旧道が消滅したところより、高速道の南側に出たところです

南に入る畦道の旧道があります、右側には民家があります。この先は説明が難しいので、写真で想像してください。

正面の小屋の左に細い畦道があります


その先で、護良川の堤に出ます

橋がないので渡ることができません。対岸の旧道方向を見た写真です

川の堤から今歩いてきた畦道を振り返った写真です

対岸に行くため、堤を左に折れて旧170号線まで出て迂回し対岸に出ました。対岸から北側を見たところの写真です

堤から南への畦道を進みます

畦道を南に進んでいく
右に建物が見えます多分、府立交野支援学校四條畷校だと思います

失敗後左側の畦道を進みました
(最初は)右のコンクリート道を進み、新しい住宅地の中をぐるぐる回り、大変時間をとってしまって、元のこの分岐に戻ってきました。間違った道

左の畦道を進んだ先から振り返った写真です

ここは右に折れます

右に折れて進む畦道

少し畦道を進んだ先で、東西の十字路に出るので、少し右にズレて進む。四條畷市砂の集落
メジャーの旧道でなければ、何時も案内標識がないのでよく間違います

すぐ蔵のある旧家に突当りますので左に折れます。正面ミラーの袂に 道標 があります

道標 「右 北河内街道堀溝道 左 河内街道楠公住道八尾道」すぐまた旧家の角を右に折れる


右に折れた先の旧道

右に折れた先の旧道

右に 浄土真宗本願寺派光円寺

光円寺から150m程先でT字路となり正面に 妙法寺

向かって左のミラーと塀の間に 道標 「右 河内街道 左 河内街道」



妙法寺の突当りを右に折れて、すぐまた左に折れた正面に、岡部小学校に突き当たるので、左に折れ、小さな公園を左に見て、小学校に沿って南に進みます
左に小さな公園、右に折れて小学校に沿って南へ


小学校が切れたところで車道に出ます。車道を左に折れますが、右には西松屋・セブンイレブンがあります

左に折れた先100m程で、旧170号線が南北に通る交差点に合流しますので右に折れます。右に旧170号線を折れると、左角には畷生会脳神経外科病院があります

病院のすぐ先の岡部橋を渡ります

【ここで一旦中断して】
ここまでは、2011年5月18日に歩いた街道です。
ここで、2017年10月9日に歩いたとき、前述の高速道路で旧道が消失している、南側を見てみます
2011年に歩いた畦道の旧道は貴重な資料になった気がします。
2017年10月9日高速道の南側に出ました、一帯様変わりしていました、舗装道であったのが、今は綺麗な遊歩道を建設中です

歩道側から見た高速道、この北側が現在もそのまま旧道が残っている畦道のところです

家が建っていてその横を畦道がありましたが全く痕跡がありません。大きな土地改良工事が行われ、田畑も失われ、新しい道路も建設中で、数年後はまた更に変わってしまっていることだろう、寂しいが仕方がない。造成前の旧道が歩けただけでも満足と使用

仕方がないので旧170号線に出て南へ護良川に架かる橋を渡る。左に昭栄物流四條畷倉庫があります

今回は旧170号線を進みました。旧170号線の橋から振り返ったところ

旧170号線を真っ直ぐ進んでくると距離にしてあまり長くないのです。
2011年に歩いたときの旧道が右から信号交差点に出て来ています。そして左に脳神経外科病院を見て、岡部橋に出ます

少し進むと信号交差点にでて、川が東西に流れています。右角にコンビニがあります。四条畷市中野
河内街道は橋を渡り真っ直ぐ南に進む

守口街道 が東西に交差する辻で、守口街道の左(西)方向の旧道

右(東)の守口街道、100m程川沿いに行くと、左川向に木が立っている所に 雁塔 があります


雁塔碑


隣に立つ西南戦争で戦死した、西南の碑

100m程進むと163号線と交差する西中野信号交差点を越えます

右に四条畷保健所を見て進む

保健所の先、右にファミマの街道を挟んだ向かいに 雁屋遺蹟碑


その先で小さな川の橋を渡ると右に、四条畷高校があります
その先、左に栄通り商店街があります、結構賑わっています

その入り口左角の隅に 道標

そのすぐ先、小楠公廟所の正面、東に商店街が続きます。沢山のお店が並んでいます、進んでいくとJR片町線の四条畷駅へ

南への旧170号線です

小楠公廟所前から商店街方向を見る

楠木正行公御廟所(小楠公)

南北朝の南朝の忠臣、楠木正成公の嫡子正行公の廟所で、正平三年(1348)一月、足利尊氏軍の武将高師直の大軍と四条畷の戦いで戦死し、正行一族と共に葬られたところです。
最初は小さな石碑であったが、100年余り後で、石碑の傍に二本の楠を植えた、この楠が二本合し石碑を挟みこみ、このような大木(樹齢約587年以上)となった。府天然記念樹
小楠公の墓

石碑(7m50㎝)は明治十一年に建立され、大久保利通自筆の銘 「贈従三位楠正行朝臣之墓」

墓を覆っている見事な 楠の大木
くすの木の
こもれ日あびる
小楠公


廟所の裏側(西側)に 法念寺

門前に 祠

道標のある商店街の交差点に戻り、200m程南に進みます。
右の写真、青い看板の角を右に折れます

右に折れて左三筋目、緑の屋根カバーの十字路を左に折れる

左に折れた筋で暫く南に真っ直ぐ進みます

右に楠の里第2児童遊園があります

やがて権現川に突き当たります

突き当たった右角に 日蓮宗長遠山本妙寺


本妙寺の前、権現川の向かい角に小さな お地蔵さん二体

右に折れて権現川に沿って少し進む
権現川沿い左に、津の辺保育園・右に津の辺公園があります

すぐ先で津の辺信号交差点に出ます、交差点に権現川橋が架かる

権現川橋の津の辺交差点から今来た東方向の川沿いを見る

津の辺交差点を渡り権現川に沿って西への街道

川沿いの街道真っ直ぐ進みます

すぐ先で右への川沿いの道に分かれるが、右の川に沿って行くと、深北緑地が川向に広がります

川沿いの左(南)側が歩道になっていて歩きやすい

すこし進んだところで右手の歩道上に 道標二基
東側「左 河内街道 右 河内街道」
西側 「河内街道枚方町国道第2号路線分岐三里」「距作道停車場弐拾壱丁拾八間」「距四条畷停車場拾壱丁四拾四間」

寝屋川に架かる深北橋に出ます、街道は川の手前(東詰)を左に折れて権現川に架かる橋を渡ります

深北橋から権現川の街道を見る

深北橋で【寄り道】します。橋を渡り西に入ります
深北橋を渡った正面に 祠

祠の所を少し入ると 三箇菅原神社


境内に立つ クスノキの大木

神社はもと 三箇城跡


寝屋川に架かる深北橋から北側を見る

南側のこの先の街道、どちらを歩いてもいいが、私は左(東)側を歩きました

寝屋川に沿ってこの先暫く進みます左に一本、木が立っています、よく目立つ

交叉点を振り返ったところ信号交差点手前左にコンビニがあります、

交叉点の左角に 道標

上の道標は 2011年5月18日時点
道標が2011年に歩いたときには筋が入っていたが完全に残っていたのですが、2017年10月歩いた時に短いのでよく見ると上部が折れてなくなっています。
折角の大切な道標なのだから上部が残っていた間に補修すればいいのだが
下の道標 2017年10月9日時点
「右 にざき観音道 左 大坂道 すぐ星田妙見山道」

2011年当時の角、景色が変わっています

交叉点左角が道標、街道は真っ直ぐ進みます。右には寝屋川に架かる西村橋。交差点の建物の南側に大東中央公園があります。交差点を左に行くと、野崎観音(慈願寺)へ

寝屋川に架かる西村橋の対岸奥に見える 正覚寺

西村橋から北側を見ると一本の木がよく目立ちます

西村橋から南側のこの先の街道で、右の寝屋川沿いは高い擁壁で覆われています

左の公園は 深野新田会所跡と両皇大神社 当地の北側に江戸期18世紀初め深野新田会所があった


神社の後ろは鍋田川で公園の一角に 灯籠


すぐ先右に会所橋が架かります橋から北側を見たところで、向かって右に皇大神社ががある公園が見えます

会所橋

会所橋から寝屋川沿いのこの先の街道です、寝屋川に合流する鍋田川に架かる鍋田橋を渡って進みます

会所橋から200m程進み三住町に入ります、信号交差点の手前で旧道は左の細い路地を入ります

路地を数十m行った先で、車道に出ますので車が危険なので、右の信号で横断して向こう側に出ます

細い街道に入る左に、河内街道案内の標柱
この道は明治時代に整備され、かつては八尾・枚方間を南北に結ぶ主要な街道でしたと記されている。

少し先で交差点を横断します

左に住道こども園があります

こども園の向かい街道沿いには 浄土真宗大谷派住道山本伝寺 宝永二年(1705)に伽藍が整備され以来、当地の浄土真宗信仰の拠点となる


境内の鐘楼の傍の おかげ灯籠
天保二年(1831)当時流行した伊勢神宮への「おかげ参り」のおかげ灯籠

河内街道
この道は河内街道といって、河内平野を南北に縦断している街道です、河内の平野部は湖沼が広がる低湿地でしたが、その中にあった少し高いところの自然堤防等に集落が誕生するにつれた、各集落間を結ぶ道が形成され、南北につなかったのが、街道のおこりとされています。江戸時代中期に深野池が開発された後は、新田地帯を縦断する重要な交通路として次第に発展しました。
河内街道と称されるようになったのは、明治22年(1889)に八尾停車場(現在のJR八尾駅)が開設され、そこを起点として京街道から分岐する枚方伊加賀を結ぶ道として整備された頃からです。
当地(三住町)は、かつて下野といい、もともと深野池に浮かぶ島の中の一つで、明治21年(1888)の町村制施工までは三箇村でした。(お寺の傍の説明文より)
お寺の先の旧道

やがて恩地川に突き当たります

2011年5月時点では恩地川の竹橋が改修されていた時の写真

渡れなかったので対岸のは近くの橋に迂回しました

新しく完成した竹橋で渡ります

恩智川に架かる竹橋を渡って少しだけ右にズレて左の旧道に入ります

数十mでT字路となり右に折れますが、このT字路東西の通る道は 古堤街道 です

左に折れたすぐ二軒目に お堂

2011年5月時には八百屋さんがあったのですが今は閉店しています、当時の写真です。結構忙しそうであったと思ったが老齢化だろうか、当時右角

現在

T字路を右に折れた筋、正面は本通商店街です。右角が八百屋であったところ、古堤街道は商店街の中を進みます、
河内街道はすぐ左の花屋さんの角を左に折れます

T字路の左への道で古堤街道

元八百屋のあった角電柱の袂に 道標 「距国道第二号路線・・・・・・」「古堤街道 距高・・・・・・・」「北大和国界」右に隠れるようにある道標


花屋さんの辻を左に折れた街道

JR片町線の高架を潜ります

JR高架を潜った先の川中新町は、公団住道駅前住宅が建ち並んでいるので、完全に旧道は消滅しています。住宅地の中の道を適当に南に歩きます。曲がりながら500m程進み、公団住宅地の南端の栄和町公民館の前に出ます。そこの前から南に旧道が復活しています
栄和町公民館記念碑が建つ前から旧道が復活しています

復活した旧道を進む

すこし進むと広い車道の交差点に出ますので横断して、正面の狭い旧道を進む。横断した右角に
真宗大谷派万延山善念寺

すぐ先左に 太神宮灯籠

その先左に 地蔵堂

その先で交差点に出ます、交差点を渡った左は以前、立体駐車場であったが、今は新しい住宅が建っています

やがて右に加納公園があります

公園が切れた十字路の角を右に折れます

(注)この先道は暫く複雑になります
右に折れて公園をみて100m程右に進むと、住宅地に入るところで、道路に車止めがしています、そこを左に折れます。加納7丁目12

左に折れた先の道を90m程進む

車道に出ますので少し右に折れてすぐまた左(南)に折れます

左に折れて150m程進みますが途中で信号交差点を横断します


信号のすぐ先で左T字路を越えて、右T字路の辻、左に生協加納診療所、右に三階建てがあり、建物の切れた角を右に折れます

右に折れて二筋目の右T字路を左に折れる(軽トラックの手前)

左に折れて数十mで三階建て建物の手前を右に折れる

右に折れて、右側の長屋の前を通り、切れたところでT字路となり左に折れる

また数十m先で道なりに右に折れます

さらにまた、数十mで突き当たります、突当りで道は左へ

突当りに 香雲山妙政寺 街道は左へ

妙政寺の前を左奥に入ると 融通念仏宗専念寺

突当りを左に折れ、数十mで道なりに右に折れる

右に折れた数十m先には、宇波神社が見えます

その突当りを左に折れて、右に曲がると宇波神社の正面に出ます


鳥居の正面で街道は南に進みます 宇波神社

神社の鳥居の前を南に旧道を進みますが、その左角にも同じ 宇波神社 があります

南への街道、左角に宇波神社

神社のすぐ先左に 大谷派仏名寺


加納2丁目9 その先左に おかげ灯籠 文政十三年十一月吉日の銘

伊勢神宮の遷宮の行われる年は「おかげ年」といわれ、この年に参宮すると、平年より一層のご利益があるといわれ、団体で伊勢神宮参詣が行われた。江戸時代後半の明和八年(1771)には、200万人以上の参詣があったと記録に残っている。宝永二年(1705)、文政十三年(1830)のおかげ参りも大規模なものであった。文政十三年庚寅の年号の銘があるこの灯籠み、おかげ参りをした加納の人たちが、記念して常夜灯として建てたものです。
常夜灯のすぐ先右に 浄土真宗本願寺派善徳寺

少し先で左斜めに折れて、すぐ分岐しますので右に折れます

左に折れる右角に 吉野神社跡地の碑

すぐ先右斜めに折れる右手に 日蓮宗日正寺

お寺の街道を挟んだ向かいに お堂

お堂の傍らに 地蔵さん二体

やがて、左からの道と合流するところに出ます、街道は右に折れます

加納2丁目 その左角に大きな 道標
西面「左り西京 八はた すみの堂道」
東面「左り 大坂八尾平野道」
正面「大峯三十三度 右生駒山道」


2011年5月時点は

街道は右に折れ側溝沿いに進みます

少し進んだ先左には、祭りの準備中の川田自治会館を振り返る

自治会館のすぐ先右にカーブを描き、左前方に北宮小学校が見えます。街道はその手前の細い道を左に入ります

左電柱に川田2丁目4の表示があります、街道はここを左に折れて進みます

【寄り道】左に折れず真っ直ぐ行きます学校の前に老木がたっています

その先右に 盾津宇治縣神社

盾津宇治縣神社のすぐ先で右に入っていくと 真宗大谷派尺窓山称名寺

隣に西脇寺が並んでいる、改修中 西脇寺

街道に戻り、大木のある手前を左に入っていきます
左から道が合流してくる左角の お堂を振り返る

合流した先すぐ左に 栗原神社
神社の創建年代は不詳であるが、延喜五年(927)には河内郡十座の一に名が出てくる栗原連の氏神としての古社である


神社のすぐ先で広い道路を横断して正面の旧道に入りますが、車が危険なので、すぐ左の栗原神社前の信号で迂回した方がいいです

道路を横断した前から栗原神社を見る

広い道を横断して細い旧道を入って少し行くと、吉原一丁目 六郷井路

六郷井路から200mほど集落を進んでいくと、突き当り右に折れる、
左角に 道標 「右 ・・・ 左 ・・・」


突当りを右に折れてすぐ左に道なりに折れた左に 浄土真宗本願寺派西光寺


お寺を左に見て、右に折れる細い道があります


右に折れて、五箇井路に架かる長者大橋を渡り井路沿いに右に折れる

橋を渡ったところから西光寺方向を振り返る

すこし進むと突当りの辻にでて、左へ曲がります

左に折れた街道

振り返ったところで、向かって右の旧道を出てきました

100m程進んだ先で、道は分岐します、旧道は右の道を進みます

すこし進んだ先で車道を横断します

車道を横断して60m程進むと右に、小さな公園があります。そこで左(南)に曲がるのですが、新しい住宅が建ち変貌していますレンガ色の住宅の向こう側で左に折れます

左に折れる細い道の旧道箕輪一丁目4

2011年5月当時、右は小公園でした

左に折れるところを数十m真っ直ぐ行った左角に 久方大神

小公園の前を左に入ると、道なりに左斜めに折れて、すぐまた右に折れます

右斜めに折れた先、旧家の前で突き当たりますので、右に折れます

右に折れたすぐ右手に 八幡神社


神社の隣に 真宗大谷派宝樹山聞称寺

道を挟んで立派な 祠

さらに細い旧道を進むと、分岐する右角に 祠


左の道を少し進みますと左からの道が合流してきます右に折れて

街道は真っ直ぐ進みますが、すぐ右への道を入ると

元八幡六郷神社の参道があります

元八幡六郷神社

街道に戻り中野地区を進むと右奥に 浄土真宗本派浄福寺

東大阪中野郵便局を左に見て、右に弥栄小学校が見えます。信号がありその先左に大きくカーブして南に進む

左に、中野日吉神社の地車収納庫があり祭りの提灯や幕が張られていますが

樹木の中には碑が建っているが何の跡かな



日吉神社が何処にあるか迷ったところ、この道筋より、一筋東側にありました 日吉神社

神社鳥居の南側にある 祠 前述の杜にあった日吉神社をここに移したのかな、分かりませんが、新しいから

街道に戻り少し進むと、左に大きな旧家

すぐ目の前右前方に河内総合病院の手前を右に入ります。正面には阪神高速の高架が見えます

右に折れた先の道を進みます


やがて広い道路に出ます、左斜めに横断した西側に出ます

その先また、交差点を横断して進む

少し先でT字路となります、左鋭角な曲がる。かつての旧道は、鋭角に曲がらずレンガ色のビル辺りを南に通り、高速道路を抜けていたようです

阪神高速東大阪線の荒本信号交差点で高架潜ります

高架を潜り右に折れて左のローソンとガストの間の道を左に折れる。前述の消失した旧道がここにでてきていた

左に折れるところからかつての消失した街道方向を振り返る

左に折れた先の旧道の荒本新町

菱屋東3丁目の左側にある 祠

その先右に 真宗乗教寺

お寺の西側、荒本住宅棟の一角に 春日若宮神社

荒本の住宅建設地の道を進む、おそらく数年後には、この付近も変わっているだろう。交差点を横断します

やがて信号交差点にでて 暗越街道 と交差します。暗越街道は右からきて交差点を右斜めで、レンガ色の建物の前の旧道に入ります

この道が暗越街道

暗越街道西側の道

河内街道は真っ直ぐ、交差点東側の暗越街道沿いに、八剣神社や三本の道標・地蔵堂兼道標等が固まっているが、暗越街道を参照してください

その先の細い旧道を南に進みます新しい住宅やマンションが立つ岩田町です

岩田町五丁目15

岩田墓地入り口の碑
岩田墓地と河内七墓
岩田・若江・瓜生堂・西岩田・新家・菱屋東の共同墓地で、歴史は古く、奈良時代の高僧であった、行基が開いた「河内七墓」の一つと言われている。河内七墓とは、長瀬・岩田・額田(以上東大阪市)、神立・垣内・恩智・晒(以上八尾市)の七ヶ所の墓をいう。江戸時代には、ここに「阿弥陀寺」と呼ばれる寺があったが焼失してしまった

街道より右の広い墓地

その先で左からの道路と合流します

岩田の北本通り商店街を進みます

すぐ右に 祠

祠を見てすぐの辻を左に入ると、岩田公民分館の入口まえに 岩田村の郷蔵跡碑 江戸時代農民からの年貢米を一時保管蔵

直ぐ先の辻を右に入ると 浄休寺

さらに西側に 融通念佛宗西光寺

街道に戻り同じ筋を左(東)に少し入ると 教岸寺

左に 石田家住宅
江戸中期の享保元年(1716)の建築の旧家、特徴は「猿棟」、屋根に二匹の瓦製の猿が乗っかっている、「悪魔が去る」という縁起で、住吉大社方向を向いている

大屋根の上に猿二匹が見える

街道すぐ右に 常夜灯

近鉄奈良線の若江岩田駅の高架を潜ります

高架の先も岩田本通商店街が続きます


商店街も終わるところで、右にコノミヤがあります

街道を挟んだ町の賑やかな所左側に 飯島三郎右衛門の墓
市内の高井田生まれで、信長・秀吉・秀頼に仕え、元和元年(1615)5月大坂夏の陣で木村重成に属し、若江八尾の戦いでこの付近で戦死しました。長男三吉・妻・母も自刃したが、次男が乳母に助けられ、成人した暁に、この地と高井田に父の墳墓を建てたと伝えられている。この地は当時は、沼地で大小の用水の集合地で、今も道路の下には昔と変わらなく、楠根川にそそぐ水が流れている。(説明文より)

すぐ先で道は分岐します、正面にはコンビニがあり、街道は左側を進みます

左の道を170m程南に進む

十字路に出ますのでここを右に折れます

右に折れて60m程先の十字路を左(南)に折れます

左に折れた南への旧道

200m程進むと右に長壽寺の表示板がありますにで少し入ってみます

融通念佛宗延命山長壽寺

街道に戻り少し進むと左の広場で、お祭り山車の練り歩く準備をしていました。今日は良いお天気に恵まれ、何処のお祭りも最高だろう

若江本町4丁目 道は分岐します、左側の道を入ります

分岐したすぐ先で車道の交差点を横断して真っ直ぐ進むと若江南町に入ります

交差点から180m程先の十字路を【寄り道】で右に100余り進むと 若江鏡神社

神社のすぐ南側には、十三越街道 が通っています。この辺りの詳細は、十三越街道に載っています

神社の北側には 日蓮宗妙法山蓮城寺

門前には、元和元年(1615)大坂夏の陣で豊臣秀頼軍の武将として、
若江岩田で壮烈な戦死を遂げた 木村重成候霊願所の碑


境内に建つ 木村長門守重成公位牌堂

街道に戻ります。南に進んでいくとT字路となり右に折れる

右に折れてすぐ先で突き当たります、突当りを街道は左(南)に折れます

突当りの南北の道を左に折れます。この南北の旧道は 十三峠越街道です十三峠越街道の北側の旧道を見る
若江南町四丁目1

T字路左側の、河内街道と十三越街道に旧道で暫く重復します

少し先で、第二寝屋川に架かる本町橋を渡ります

本町橋より左(東)の第二寝屋川

橋より右の第二寝屋川

橋を渡り100m程南に進むと、幸町信号交差点に出ます

【寄り道】交差点を左に折れて100m余り進むと、幸町6丁目で左に公園があります。第二寝屋川を背にして

木村重成の墓
大坂夏の陣で戦死した重成の墓は、もともとここから東50mの地点にあったが、昭和42年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあった墓をここに移された。墓は、宝暦十四年(1764)重成の150回忌にあたって、重成の首を獲った、安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたものです。 (石碑の説明文より)


街道に戻り少し南に進むと右に 西郡天神社の杜 があります

西郡天神社


神社のすぐ先信号で、左(東)への車道が分かれますが、この道が十三越街道でここで分岐して生駒山系を越えて奈良に向かいます

十三峠越、左に折れる右角に隠れるように 道標 かなり摩耗していて字が読めないが、根本は補修されています

桂町の街道を進む

萱振町5丁目信号交差点を横断します右角にファミマコンビニがあります

少し先、左に神社が見えてきます

加津良神社

道路を挟んだ向かいの小さな公園内に お堂と小さな祠

公園内の街道沿いに 道標「左 八尾平野さかい 右 若江松原野崎京左天王寺」


神社の南隣に 真宗大谷派徳蔵寺

そのすぐ先左に八尾萱振郵便局

河内街道の新しい標柱

真宗西本願寺末寺大徳山恵光寺
寺院の西南の地は、字城土居とよばれ、南北朝時代から室町時代にかけての萱振城の跡と伝わる。文明二年(1470)蓮如上人がその子、蓮淳を開基として恵光寺を創建して萱振寺内町を形成した。若江二郡五十二ヶ寺の触頭をつとめ萱振御坊(柳の御坊)ともよばれる古刹。(説明文より)


恵光寺の先、十字路で右に折れます

右に折れて数十mで左に

さらに数十mで右に折れます

小さな側溝の橋を渡ります、広い道路の交差点に出ますので横断します。横断した右角にau店があります

その先、西に進むと楠根川に架かる橋を渡ります

橋から80m程先で十字路を左に折れます

この十字路を左に折れた旧道を南へ

右に用和小学校があります

小学校を過ぎると信号交差点に出ますので横断します

交差点から200m近く進むと、左から道路が合流します。左角にコンビニがあります。2011年時にもあったかなり年数のお店

北本町の町並みを進みます

近鉄大阪線の高架に出て潜ります、近鉄八尾駅は250m程東にあります

高架を潜り南側でるとファミリーロード商店街のアーケードに入ります

アーケードの入り口広場のモニュメントの台座に歴史の道、河内街道の表示


アーケードを100m程進むと、三筋に分岐しますので真ん中のアーケードの道が河内街道です

右の道を100m程入ると左に 臨済宗南禅寺末寺常光寺 立派な山門



商店街に戻り進むと右に旧家

商店街の中を150m程進むと、道は分岐します。正面には、いとや、という名前の店があります。分岐を左に折れます
商店街は水曜日で休みなのかシャッターが閉まっているお店が多い

商店街の老舗の建物

分岐を左に進む商店街を120m程進みます

商店街を抜けた本町2丁目信号交差点です。この交差点、東西の道は 八尾街道です

八尾街道西への道

本町2丁目交差点を左に折れて、少し八尾街道と重複します

左に折れた本町通りの道

右に大阪東信用金庫があります、その角を右に折れます、折れた左は公園です。真っ直ぐ進むとすぐ本町1丁目信号交差点です

右に折れる左角、小公園の隅に 道標「右 信貴山 □らいせ道」 「左 信貴山 □らいせ道」

右に折れた街道、道標の傍に 八尾街道の説明碑河内街道がこの辺り八尾街道とも言っていたようです


すぐ公園が切れる角を左に折れます

左に折れた道ですが、すぐ先で車道に出ます

車道に出たところで、車が多く横断が危険なので、左の本町1丁目の信号交差点で横断して迂回して向こう側に出ます

すぐ先で、旧道は赤い屋根テントの辻で分岐します

その角に 道標「右 信貴山 柏原 恩智 すぐ 瓢箪山 枚岡生駒」
心無い人がいて、犬の小便させないでと張り紙悲しいことです


分岐の辻、真っ直ぐの道は、立石嶺道 がここで分岐します

右の道は 河内街道・八尾街道・信貴越道 で暫く重複します

すぐ先左に 梅ヶ枝地蔵尊


小さな川に架かる新橋を渡ると分岐、右の道真っすぐ

やがて広い道路の南本町信号交差点に出ます

南本町交差点で左に 信貴越道が分岐していきます

交差点の左角に 多嘉地蔵

河内街道は資料によっては、ここで終了(起点)となっています。
2017年の再度歩いたときはここで終了しました。
この先は、2011年時の街道歩きです
今少し八尾街道と重複しながら進みます、交差点を横断して正面の旧道を入ります

南本町を400m程進むと右に 浄土真宗本願寺派明圓寺

南側隣に、長屋門のある茅葺の旧家が残っている

旧家の街道を挟んだ向かいに、今井会館の傍にある、大きな岩に描かれた 石仏 説明板がないので詳細はわからないが

南本町の街筋

左に 善乗寺

右に 西方寺 と続く

西方寺の前で街道より少し東に入ると 矢作神社


南本町の新しい 道標 では八尾街道の標示です

スーパーサンコー八尾店を右に見て南に進みます。やがて安中診療所前信号交差点を横断します

交差点を横断した先の街道

少し先でJR大和路線の踏切を横断します。すっかり太陽も落ちて暗くなってきました

暗くなってきて写真が撮れなかったのでこれからの写真は、以前歩いた時の 亀瀬(奈良)街道の写真を引用しました。踏切りを越えると数十mで右からの道が合流して、右に折れる、写真では真っすぐの道です

亀瀬街道 との合流地点
合流点の左に 道標
写真の撮った日が違いますが、せっかくの史跡を台無しに、選挙運動の紙、駐車場の紙とどうも心無い人が多いと感じた街道歩き後半。

地区の道標の管理状況、少し悲しい
道標 「右 八尾 左 平野」「右 柏原 左 八尾」 「右 平野 左 柏原」

上は車庫のドアーに挟まれた道標

道標の先南に進みます

その先で老原信号交差点に出ます

亀瀬越奈良街道 は交差点を左に折れて峠越で奈良へ

河内街道 完歩


コメント