2013年5月12日
吹田市天満道町で亀岡街道と分岐~神崎川の神崎橋西詰
本日、貝塚街道・久米田街道に続いて、3街道目全て距離の短い街道ばかりなので歩けた。
JR久米田駅から~天王寺駅へ~環状線で大阪駅へ出る~更に東海道線に乗り換え、吹田駅へ移動する。移動時間が1時間30分と思った以上に乗り換えが多く費やした。
JR吹田駅を2時40分スタート、市街地を暫く歩き亀岡街道との分岐点のスタート起点まで歩く。スタート起点より暫く歩いたところに以前歩いた時入った、インド料理店に入りたかったので時間も気になったが思い切って珍しく昼食をとる。だが入ったのが3時15分で3時から休憩で店は閉店中だが、気持ち良くインド人のひとが食事をさせてくれた、ナンはできなかったがカレーセットを作ってくれた、ここの味は僕には最高に美味しい店だった。近くまで来たら又入りたいと思ったお店。
食後急ぎ足で街道を歩く、この道筋は余り見るべきものが何もなくひたすら歩くのみ。神崎橋西詰の終点地で完歩。神崎橋から近くの尼崎駅まで3kmほど歩き本日の街道歩きは終わる。
吹田駅 2時40分 スタート
尼崎駅 18時20分 完歩
20.215歩 12.12km
実に本日もよく歩いた
本日の3街道
貝塚街道 和泉市の松尾寺7時出発~貝塚駅着11時15分
24.923歩 14.96㎞
久米田街道 春木駅11時35分出発~JR久米田駅着13時15分
10.281歩 6.16㎞
津戸ノ中道 吹田駅2時40分出発~尼崎駅18時20分
20.215歩 12.12㎞
本日1日トータル 55.419歩 33.24㎞
JR吹田駅から北東に暫く進み国道14号線にでて、亀岡街道の天道町交番前交差点で国道を右にして左の細い道に入ります

左に入っていった道筋、少し右に屈曲する


右に 小詞

亀岡街道を少し進んでいく


T字路に出ます、亀岡街道と重複してきて亀岡街道は右(東)に向かう。左への道が 津戸ノ中道起点

左に千里第一小学校の前を抜けていく、右の真っ直ぐの道を進む

更にそのすぐ先で、分岐する道を左に進む

坂を緩やかに下り右の白いブロック塀の角の十字路で右に折れる

真っ直ぐ進んで50m余り

左の道に折れる

一つ目の十字路を更に左に曲がる

更に緩やかな下り坂の所で右に折れる

少し屈曲したところを、緩やかに右、左と進む

(注)説明難しいので写真に沿って頂ければ 片山町





右の公民館の前を抜けていきます

公民館横の公園内の碑

そのすぐ先で広い道を横断する

この先も道の説明難しく写真に沿ってください
緩やかに左に道なりに進み、すぐ先のT字路で左に曲がり数mでまた右に折れる




右に折れたところですぐ左に 浄土真宗照儀坊


照儀坊の少し左に下ったところには、浄念寺がある、このすぐ隣にはインド料理の美味しい店があり私の好きなお店
① 照儀坊の北側の細い道を西へ進んでいく

② ただお寺の手前の道を左に下り浄念寺の東前を抜け、インド料理店の前を通り14号線の片山3丁目信号交差点に出るのが正しいか分からないお寺の北側を過ぎると直に辻があるので左に下っていく。100mほど下っていくと、右に小詞がありその先で片山町2丁東交差点の広い道路に出る。
①② どちらが正しいか分からない、またはどちらもあっていないかも
(説明難しいので写真参照してください)
① の道筋


下って行って広い道路に出る

小詞

② 左に折れて下って行った先の右の 小詞

片山町二丁目東の交差点に出る右へ、亀岡街道と合流。どちらの道でもいいです

右に折れて広い道路を緩やかに下る、左に朝日ビールの大きな工場、亀岡街道と重複して歩く
広い道は府道大阪高槻京都線


右に 片山神社、前に見学しているので寄らない


神社正面の大きな朝日ビールの工場


府道を下って行った右手高台に、帝釋天禅宗玉林寺

西ノ庄町の大きな交差点に出る

西ノ庄町交差点では、西へは 吹田街道 が分岐し、東へは重複してきた 亀岡街道 が分岐する辻であった。かつてはここに 一里塚があったようだが、その痕跡は全く残っていない。府道大阪高槻京都線に架かる歩道橋より見る
交差点より東に伸びる亀岡街道

大阪高槻京都線の南側を見る

今歩いてきた(北側)府道大阪高槻京都線で亀岡街道と重複してきた道、向かって右は朝日ビール

右に折れる、吹田街道と津戸ノ中道で100mほど重複し、津戸ノ中道は途中左に入るこの辺りにかつては一里塚にちなんだ「榎茶屋」があった

歩道橋より真南を見ると、泉殿宮の鳥居 が見える

豪壮な建物を右に見て緩やかな坂を上る、吹田街道も重複

建物が切れる直の所で左の道に入る。吹田街道 は真っ直ぐ進む

左に入った道筋

左のいづみ保育園の前を抜けるその先隣の公園といづみ保育園の敷地は、大正13年開設された旧吹二小学校があったところ

阪急千里線の踏切を渡る、右に行けば吹田駅。かつて一面水田であったが宅地化され旧道の面影は一帯残っていない

踏切から50mほど先の二又路の分岐を左斜めに入る

更にその先50mほどでの二又路の分岐を左に進む

辰巳学院を左に見て進む

すぐ先の二又路の分岐を右へ進む

更にすぐの先の二又路を左斜めに進む

藤井ハイツの前を真っ直ぐ進む

信号交差点に出るので、交差点を右へ左手前に吹田第2小学校がある、右に折れた左に高木商店

真っ直ぐ進む左に法華寺が見える

お寺らしくない建物 法華寺

その先50mほどで右に折れる

車一台通れるかのくねくねした細い道を進んでいく


(注)西ノ庄交差点の歩道橋よりここまでの街道は、車一台通るのがやっとの狭い道で、又くねくねした分かり辛いところであったが、宅地化もして昔の街道も消えているところが多いが、歩くものにとっては新旧の建物が混じり、車も走らなく歩きやすい快適な道筋である。この街道には、道標や小詞等の物が余り残っていないので、文章にて説明しにくいので、写真を見ながら歩るかれるとよい。
金田町 糸田川に架かる金田橋を渡る、橋の上より北を望む

かつてどの辺りで川を渡ったか不明だが、明治に入りここに橋を架けられた

金田橋を渡り左に折れて、川沿いに南西に進んでいく


糸田川堤の松並木
吹田の松並木では、高川堤・糸田川堤・吉志部神社・垂水神社の馬場のものが美しかったという、残念ながらその名残りはなく昭和に入り無くなった
右に豊津中学校

479号線の内環状線を潜る、高架を潜った右手には広芝公園で一帯はかつての広芝集落

一旦堤防を下りて右の川沿いの街道を進む



広い高架の道路に突き当たるので少し左にカーブして右に曲がり高架を潜る

左にカーブしたところで直に右に曲がる所で正面は糸田川

高架を潜り再び堤防に上り川沿いに50mほど進む

堤防の道を左に見て右の細い道を進むかもしくわそのまま堤防の道を進む

糸田川沿いにどんどん進む


やがて新御堂筋の高架を潜る

その先狭い道になる

水路に架かる小さな五反田橋を渡る

橋から見る水路

狭いフェンスの張られた道を進む

その先で南北に通る124号線にでます

道は突き当たるが左へ寄って信号をすぐ右折れして横断します。交差点を左には神崎川に架かる榎木橋
この榎木橋を渡る南北の道は、横関街道 です
左が神崎川に架かる榎木橋で横関街道 ここはかつての 榎木の渡し跡

交差点より北側の横関街道の道筋、津戸の中道は右側の道から出てきた

堤防より榎木橋を振り返る(榎木の渡し跡)

左の神崎川に沿って進む旧道は左にカーブしている、途中で右に進んでいたが、工場敷地で消失しているので堤防で迂回する


旧道はこの辺りで右に進んでいたが、昭和化工の工場で消失

堤防を迂回して、ほうすい橋を渡る

ほうすい橋から神崎川に流れる支線の北側(上流)を見る、上流の50m程の辺りにかつての旧道が渡っていた。右は消失している昭和化工の工場。向って左は、江戸時代初期の池田道 はここで合流していた

ほうすい橋より少し支流沿いに北に進み、上流まで少し歩き下流を見る
このあたりから対岸の消失している旧道が渡っていた。右が、かつての 池田道と津戸の中道 が合流していた

支流の右岸の池田道が北に延びる、川沿いの道

対岸の昭和化工の工場

右の旧道を進む

短い区間だがなかなか快適な街道、池田道と津戸の中道の重複区間

暫く進むと神崎川の堤防に突当り右に折れる。前方は神崎川の対岸

右に折れて直に川沿いの道を左に見て右に入る

右に入り左にカーブしたところを振り返る

左下に河川敷の水路にかかる「目疣橋」を渡ったところにかつて 小曾根の渡し があった

神崎川の堤上の旧道が残っている。道の左は河川敷で建物の二階部分が路面と同じ高さになっている。短い区間だが提の旧道が残る道筋


提を抜けた先で、新道の交差点に出る、新道を横断して左斜めのの道に入ります

交差点から見る、正面建物の右から出てきたところを振り返る

正面の道を進んでいく


暫く進んでいった四辻の右角に 道標 か全く読めない


その先で右斜めに折れる

天竺川に架かる道田小橋を渡る

道田小橋から見る

天竺川を越えたところの南北の道は 能勢街道 で交差する。橋を渡った能勢街道と交差するところで右に少し行き左に鋭角にカーブして正面の建物の裏側に出る
天竺川を左に南方向と能勢街道の町筋

天竺川を右に沿った能勢街道の北方向の町筋

橋を渡り少し右に折れ(能勢街道)たところで鋭角に左に折れる辻。向かって右の細い道を入る。南側から見る

すぐ先の自転車に乗った人の右の道を下る

細い路地を下っていくと

阪急宝塚線の高架下に出るので潜る

広い176号線の道路に出て歩道橋で横断して向こう側の道を西に進む

歩道橋の向こう側から今出て来た細い道を振り返る

176号線を越えた先の道は住宅地に変わり旧道の面影は残っていない

暫く進むと三和町3信号交差点を横断

新しい住宅地をひたすら歩く、右(北側)に庄内南小学校の前を通る


小学校前を進んだ先右に、喫茶店「鎌菰」(かまっこ)がありこの付近をかまっこと呼ばれていた。店舗前の燈籠に由来が記されている

店前の 燈籠

店内に入ると由来の新聞が置かれていた。‘かまっこ’と呼ばれ庄内の人々から愛されていた地で、今も「かまっこBOX」という名で喫茶店を続けている。
往時、島江方面から菰江方面に行くのには、草刈り鎌に似た道を右にとり、旧井江川支流の橋を渡る。道の形が鎌に似ており、菰江に抜けるということから、‘鎌っ菰’と呼ばれ地元の人に親しまれた。元は喫茶店の前が川で、そこに、かまっこ橋が架かっていた。店主はこの由来を残すため橋の名前を店名にし更に自費で橋の南詰にかまっこ橋と記した石標を建てたそうだ。
店横の細い道

喫茶店の前のみちを振り返る

すぐその先の信号交差点を渡る


右にコーナンが見える、道の右に木の陰にこの街道にしては珍しい 小詞 がある


少し進んだ先で、阪神高速池田線の高架を潜る

すぐ先今度は、阪急神戸線の踏切を越える

踏切を越えて道なりに進んでいくと


大きな 鳥居が建っている

少し(寄り道)で鳥居の所を右にいくと、左(北)に光圀寺更に北に進むと、大きなクスの木の立つ神社が見える、神社の前に小詞がある
光圀寺

椋橋総社 御祭神は素戔嗚尊・神功皇后 楠の大木

総社前の 小詞


当神社は古来より東西椋橋荘(現、庄内一円・豊南町・上津島・今在家・尼崎市の神崎、戸の内、額田。高田、園田周辺)の中央である荘本(荘本)に鎮座し、同荘の総産土神で、椋橋総社または椋橋荘神前松原の社とも称する
境内の 鯉塚伝説の石碑 が立つ


伝記に「遠き神代の昔素戔嗚尊が高天原から鯉に乗り神崎の水門を経て当地に来られた」とあり。また里人伝記に「僧行基菩薩がこの地に留まりし折り、猪名川に板橋をかけて村人の便に供しようとしたが、流れが速くなかなか成功しなかった。そこで当社の神に祈ったところ、どこからともなく数多くの鯉が集まり並んで魚橋を作ってくれたので無事、架橋工事を終えることができた、以後、行基は村人に鯉をとったり、食べることを禁じた」とあり、村人は昔から鯉を氏神のお使いであるといって食べず、得た鯉はこの鯉池に放し、死んだ鯉は拝殿前の鯉塚に埋めた。

元の街道に建の鳥居に戻り先を進むと、旧猪名川に突き当たる

川の手前右にある 小詞

川の突当りを少し左に折れ、すぐまた右に折れて、旧猪名川の橋を渡るが、橋の手前左にある常夜灯
金毘羅大権現常夜灯

旧猪名川はかつて猪名川本流であった。大正時代に橋が架かるまでは 庄本の渡し があった

旧猪名川は河川改修で流れが変ったかつての猪名川本流をみる



橋を渡った左にある 小詞


橋を渡ってすぐの先の変則十字路を左斜めに折れて、更にすぐのところで右に折れ西に進む
出てきたところを振り返る

右に折れて西へ

西へ進む真っ直ぐな道

右側に 浄土真宗祐光寺


そのすぐ先で現在の猪名川に突当り道が無くなる。明治時代に架けられた橋があったが戦後の河川改修時に撤去されたので、右に迂回して新しい橋を渡り対岸に出る

猪名川の堤から南側(下流)を見る

200~300m上流に歩き迂回の新橋を渡る


中洲になっている先端(南側)、猪名川と藻川が合流する。猪名川に架かる橋が戸ノ内橋で藻川に架かる橋が藻川橋

橋より左岸を見る

橋を渡り右岸の堤防を進みます

右岸の堤より北(三角洲)を振り返る

丁度この辺りが対岸に当たる所

堤防沿いの道路の側道を歩く

前方に新幹線の高架

新幹線の高架を潜ったところで振り返る、向って右の道から出てきた

更に川沿いにひたすら歩く


右に 金毘羅大権現の石燈籠 対岸への元 神崎の渡しの船着場 があった


石燈籠を右に入る街道は 有馬街道 ここで分岐する

更に50mほど進んだ先にも右に入る道がある、この道も有馬街道として判断できる

有馬街道 として右に入る道、

先ほどの道と少し先で、須佐男神社の北西角で合流している
神崎の渡し場跡や船着場の跡 は痕跡がない

少し先から振り返り、有馬街道や常夜灯を見る

間もなく街道も終点の 神崎橋西詰の交差点に到着

神崎橋に到着
中国街道 が神崎橋を渡ってきて左に折れて神崎川を左に沿って進む

神崎橋を見る

津戸ノ中道 完歩


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