2015年1月10日~11日
淡路島縦歩、岩屋~福良まで
淡路往還については、歴史の道調査報告書の資料で旧道を歩くが、他の街道に比べると全く街道案内も一度も見かけることがなく、民家もほとんど新しく建て替えられ、街道風情を見ることができなかった。当然ながら宿場もなく本陣といった跡もなく二日間淡々とあるいた。
この道は、明石から明石海峡を渡り淡路島の北端岩屋から淡路島の南の福良から鳴門海峡を渡り阿波国徳島への南北に縦歩連絡路として重要な幹線道路であった。古代には南海道が紀伊国加太から由良に渡り洲本の下内膳経由で四国への道が通じていたようだ。
淡路往還、岩谷から福良まで約48㎞、南海道、由良から洲本下内膳まで約13㎞である。とりあえず今回は前者を歩く。
【1日目】 岩屋~洲本 2015年1月10日
早朝に自宅を出て車を南海林間駅近くに預け大坂に出る、阪神電車から山陽電鉄本線で山陽明石駅へ、明石港からフェリーで岩屋まで。岩谷港を8時05分スタートする。
1日の前半は左に海を見ながら歩くが、とにかく今日の目的地洲本市街地のホテルまで歩かなければいけないが、南海道との合流点に下内膳の交叉点に着いたときはすっかり暗くなり、経験のあまりない電灯をもって照らしながら歩いた。幸い下内膳の交差点にローソンがあったので、ホテルへの道を尋ねるとタクシーしかないとのことで明るかったら歩くが、やむなく携帯で来てもらって、市街地のホテル「海月」へ1800円。
岩屋港 8時05分 スタート
南海道合流の下内膳交差点 18時05分 着
60.958歩 36.57㎞ 2.882kl 久しぶりによく歩いた一日
【2日目】 洲本市街地~福良 2015年1月11日
ホテル「海月」を7時30分に出て、市内の旧跡を見て回りながら昨日の下内膳交差点に着く。
結構距離も長く下内膳交差点に着いたのが9時50分。2時間20分の移動を要す、福良までは昨日のような距離がないので気が楽である。
下内膳交差点 9時50分スタート
福良 16時00分 完歩
46.852歩 28.11㎞ 2.151kl
【1日目】岩屋~洲本
山陽本線で明石駅へ歩いて淡路ジェノバライン乗船場へ、ジェット船で淡路島の福良港へ。
船の中から撮影、水しぶきでよく撮れない明石海峡大橋の下を潜ります。
一路福良港へ10分の乗船。
淡路島の北端の景色。
福良港に着いたジェット船。
福良港の乗船場。
国道28号線を挟んで南側に 岩屋恵比寿神社・岩楠神社
1月10日蛭子祭り日で飴湯をよばれた。
かつては奥行き52mあったそうです、
この神社の背後の山は、岩屋城址で今は遺構は残っていない。
岩屋港より少し国道を北に進み岩屋の町を散策【寄り道】します。国道を右に分け、左の岩屋商店街を通ります(資料整理して後日この道が旧道と分かる)
商店街を進みます。
茶間川橋を渡ります。
朝8時過ぎだから店もまだシャッターが下り人通りもない。
左奥の高台に観音寺が見えます、そこから200m程進むと
やがて岩屋商店街も終わります。右から国道が合流します。岩屋フェリー前交差点
資料によるとここが淡路往還の起点としているのがあります。反対を歩いたことになります。
さらに300m程北の漁港まであるきます長谷川に架かる宗太橋を渡ります。
右に岩屋漁港
岩屋保育所前交差点で、国道は淡路島の北端へ、道の駅、明石海峡大橋、松帆の浦、松帆台場跡へと行けますが、時間もないのでこの辺りで引き返します。
交差点右漁港へ
交差点から今来た道を振り返る。
同じ道を引き返すのも面白くないので、交差点を左に折れます。丁度正面に八幡神社が見えます。神社の前を左に曲り戻ります。
八幡神社の前を左に折れた道。・
長谷川に架かる前述の端より山側の橋を渡ります。
道が分岐します、左に曲がるとすぐ国道に合流するので右に入ります。
坂を上ると道は分岐しますので、擁壁のところ左に折れます。
右に淡路組岩屋集会所の前を通り道なりに蛇行しながら坂を上ります。
この分岐は左に下る。
やがて観音寺が見えたところで左、右と鍵に曲がります。観音寺が右にあります。
高野山真言宗高雄山 観音寺 本尊は弘法大師の作といわれる「十一面観世音菩薩」、創建は不明ですが淡路では最も古い歴史あるお寺です。
観音寺の高台からの岩屋の町。
お寺の前の
道標 「淡路西国第三十三番 開鏡山 是ヨリ左へ廿六丁」「坂東第十七番 薬師第四十番 當山 観音寺」
観音寺から少し歩くと、案内標柱寺小屋 岩屋町役場 石屋小学校発祥の寺
浄土真宗西本願寺派厳松山 円徳寺
円徳寺の少し先で、前述の茶間川に架かる茶間川橋の山側70m程にある中道橋を渡ります。
建物は新しく建て替えられているが、漁港の雰囲気がでている
細い民家の間の道を進みます。
少し先で左に折れます。
左に折れる細い道を進みます。地図を持っていなければ迷ってしまう。
00m程進むと歩いた道に戻りますので右に折れます。右側に針木米穀店があります。
すぐ先、前述で分岐した国道が左から合流します。すぐ先左に岩屋乗船場です。すこし回り道をしましたが、岩屋の町の旧道と町を散策出来たので満足。今日は洲本までかなり距離があります。
乗船場の東側の 絵島 美しい岩肌の砂岩の小島、島の頂上に宝篋印塔があります。平安時代平清盛が兵庫の大輪田の泊を築港の時、人柱になった松王丸を祀る。
島の最北端で激しい潮流で古来松帆は製塩が盛んな地。藤原定家・柿本人麻呂・笠朝臣金村らが和歌をうたっている。
松帆の浦
来ぬ人を 松帆の浦の夕風に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ 新勅撰集 藤原定家
大和島
天離る 夷の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ 万葉集 柿本人麻呂
絵島
千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな 山家集 西行
絵島の 白い鳥居と宝篋印塔の頭部が見える。
先を歩いたところから振り返る絵島には江島橋が架かっている。
国道をすこし進んだ右手の山は、岩屋城址 で何も遺構は残っていない。山の反対側に前述の神社。
後日、資料整理中に分かったのだが、旧道は先に歩いた恵比寿神社西側の東ノ町交差点で右に入り、岩屋城址の西麓を回り現在は住宅地に変わっているが旧道があったようで、そして石屋神社の北側に出て現在の国道に合流していたようですが。残念ながら私は絵島や大和島の散策で国道を歩いてしまった。
旧道が合流する国道左奥に入るとに大和島があります。東西・南北・高さとも約20mで島に植物群落があり、主としてイブキが生えている。数百年を経たものもあり貴重な生態。
建物が立ち景観が損なわれている。
大和島の入り口に 地蔵尊の小堂が二つ。
国道をすこし進むと右に、三神社があります。
天地大明神
八百萬神社
稲荷大明神
さらにその近くに 石屋神社
神社から大和島を見たところです。
左に岩屋県民サンビーチをみながら国道となった旧道を進みます。
海水浴場が終わる辺り、右手山側には神戸大学理学部臨海実験所、その先左海側埋立地には市立淡路勤労者体育センターの建物があります。
右から28号線が合流する田ノ代交差点に出ます。
交差点のすぐ先で右に入る旧道が残っています、150m程左の国道と並行して進みます。
合流して岩屋中学校の前を通り鵜埼交差点を横断して進みます。旧道の雰囲気は全くありませんが、また別の気持ち良い近代の街道といった雰囲気です。町の新しい道のキバキバした道と違って景色が全然違います。
右の山側を淡路鳴門自動車道が走っています。
その先で高架道路を潜る右は淡路島国営明石海峡公園。
高架道路の先で、鶴崎川を渡り数十mのトンネルに入る。
やがて夢舞台前交差点に出ます。右一帯は広大な明石海峡公園が広がる、その中に淡路夢舞台温室、ウエスティングホテル淡路、淡路夢舞台国際会議場、レストランが点在する素晴らしい環境が整っている。
交差点の左は島があり夢橋が架かっている。
夢橋から南の景色
夢橋から北の景色、国道の左海側に道があるが多分遊歩道だろう。
左から海岸線の歩道が合流します。合流した少し先で右に細い坂道があるがこの道が旧道なのかわかりません。楠本地区を通り右に大きく迂回して600m程先で国道に合流しています。
自宅より近ければ再調査できるが遠いとなかなかそれは無理だし時間もないので国道を進みます。
400m程国道を進むと右に入る道があるので右に進みます。
少しの間ですが迂回して国道に合流しますが、左側一帯は埋め立て地で新しい住宅が建ちます。
楠本川に架かる渕田橋を渡ります。
200m程で大磯の交差点に出ると右に入る旧道がありますので進みます。
旧道に入るとすぐ立石川に架かる立石橋を渡ります。
左に 立石地蔵尊 弘化五年(1848)の地蔵尊や弘法大師像が安置されている。
左の国道と並行して暫く旧道を進みます。
右に 八坂神社
その右の高台に 本福寺 が遠望できる。
その少し先、左国道の海側に 住吉神社
更に少し歩いた右奥に 大歳神社と続きます。
右の浦小学校の前を通り、信号交差点に出て、すぐ先で浦川に架かる松帆橋を渡ります。
松帆橋を渡るとすぐ五差路に出るので左斜めの道を進む。50m程進むと右側に法導寺への
道標 「コレヨリ二百米 法導寺」
街道より右山手に 法導寺、知賀地神社が遠望できる。
南に真っ直ぐな旧道を進みます(後日分かったのではこの写真の手前を旧道は左斜めに入る)。
右に地震で被害にあい整備された、松帆神社の参道に灯籠が並ぶ。
松帆神社
建武の中興の南朝の忠臣楠木正成が湊川の戦で自刃の砌、家臣吉川弥六に日頃守護神と崇めていた八幡大神を託す。弥六は淡路に逃れ小祠を建てこれを祀り、この地を楠木村と称した(現在の楠本)。
応永六年(1399)八幡宮として創建された。社宝は楠公遺愛の太刀と伝えられる。太刀は、備前福岡一文字の則宗の作で「菊御作」、国の重要美術品に指定されている。地震で石灯籠・鳥居が倒壊し、門が傾いた。
旧道より外れるが神社より100m程南に進んだところ右奥に 西念寺 淡路薬師巡札四十二番、淡路四国巡礼六十二番の各札所標石が門前に建ち、文政三年(1820)の廻国供養塔があります。
更に200mほど南に進むと左に 高観寺
南に進みます、左にコメリが見える交差点で右に200m程入り南北に池がある間に 広峯神社 姫路の広峯神社より分祀された。
小さな川を渡ると左にホームストクコーナンがあります、すぐに久留麻西交差点に出ます。交差点を越えた右に東浦平成病院があり、また交差点を越えた左に、伊勢久留麻神社が見えます。
伊勢久留麻神社
伊勢より勧請されたのが572~585年といわれ延喜式には淡路十三社の三番目に明記されている古社。
久留麻西交差点に戻り左(東)に折れて、国道の久留麻交差点に出ました。
後日、資料を整理していると松帆神社から久留麻西交差点までの、約1㎞の歩いてきた道は旧道でなかったとわかりましたがどうすることもできないので、資料に基づき文章で旧道の道順を説明しておきます。
浦川に架かる松帆橋まで戻ることになります。松帆橋を渡るとすぐ変則五差路になり左斜めの道をすすむが、その左前に浦村道路元標が建つ。50m程先右側に、法導寺への町石があります。
五差路から170m先の辻で左斜めに入り150m進むと右に松帆神社の参道があります。
松帆神社の参道入り口から100m先で国道と合流します。合流した左にマルナカがありすぐの交差点を越えて180m程先国道右に多田酒店、左に菜菜があります。すぐ左斜めに入る旧道を入ると左は久留麻団地で右にカーブします。150m程の区間ですが再び国道に合流します。合流した商工会館前に「神戸元標江 九里 福良・仮屋指標江・・・」「岩屋指標江 弐里四丁二拾四間」と刻む明治三十五年(1902)の里程標と地蔵尊があります。
更に合流点から200m程国道を進むと右Gの先、左に折れてすぐ右に折れ国道と並行する旧道の残骸が120m程あり、今出川の手前で右に折れて国道に合流しますが、国道を進まず左斜めに入り今出川を渡ります。国道を進むと100m程で久留麻交差点に出ます。
ここからは私の歩いた道です。残念だが仕方がない。
久留麻交差点を数十m北に戻ると右斜め後方に入る道があります(中古車の看板手前)
国道から南に写真を撮る。国道を右に分け左の旧道を入るとすぐ今出川を渡ります。引野集落に入ります。
すぐ旧道沿い右に 緋乃本稲荷神社
街道十字路の左奥に 戎神社
引野集落の中で小さな猫川を渡ります。
さらに400m程先で渡瀬川を渡りますとすぐ道は分岐しますので左のやや広めの道を海岸へ向かって50m程進み右折れし、海岸沿いに南に下ります。右の国本歯科医院の前を通ります。
歯科医院のすぐ先で、右に入る道を100m程入り国道に出る左角に、地元の地酒酒造 千年一酒造 手造りにこだわり伝統の技を守る造り酒屋。
元の旧道に戻り南へ、左に海を見ながら進みます。
旧道を進む集落内右、国道の手前に 事代主神社この神社の文政八年(1825)の鳥居も破損した。
山側に【寄り道】
神社より国道を少し南に沿って歩いていくと 今宮神社
さらに100m余り進むと国道沿いに 真言宗 潮音寺
隣接して 真言宗 勝福寺
勝福寺の墓地に高さ2.7mの 宝筐院塔植村文楽軒の供養塔
潮音寺の東側に 勝尾大権現
寄り道を終わり海岸沿いの街道に出る仮屋集落の海岸沿いの旧道を振り返る、旧道といってもすっかり変貌している。
同じ地点からその先の街道、左は仮屋戎中南の漁港。
少し先で道は狭くなり旧道らしくなりました。
下田川を渡ります。
川の先右に 恵比須大神宮
下田の町並み、恵比須神社の参道から50m程先右に「坂東十二番下田観音」と刻む、手の形で下田観音への道を示す
道標があったようだが見逃した。
暫く左の海岸近く静かな集落を進みます。その間、下津川・津田川を渡ります。下田の集落も終わり民家も少なくなります。
右の山手に平和観音寺の大観音像が聳え立っています。歩いた時は建っていましたが、最近解体したと聞いています。
真っ白で大きい、高台にあるのでより大きく見える。
観音像の下で右からの国道と合流します。
合流した先右に 鳥居と石碑
右山裾に 釜口八幡神社右に坂道を上る。
神社は昔、海に突き出した埼があり三立埼といった。足利尊氏が妙勝寺に戦勝を祈願して、太刀人振りを寄進した事により御太刀山妙勝寺と改めた。当時所管していたこの寺も御太刀埼八幡とも言った。
神社の西隣には 八幡寺
神社とお寺の前の道を海に向かって下りて元の街道に戻る。
清水川を渡ると左の海側に建物、清水川から200m程進むと旧道は国道と分岐して、右側を150mほど平行して進む途中旧道右に釜口小学校があります。
右の郵便局の前で国道に合流します。その先250m程進むとGSのところで砂川を渡り、さらに150m先で落合川を渡ります。
落合川のところで道は分岐します。資料では旧道は国道に重複となっていますが、右に迂回している道があるのでそちらを歩いてみます。落合川に沿って右に入る。
右に入り80m程進み左に折れます左に折れて80m程先で松崎川を渡ります。国道の落合川と松崎川の間の右に、
第七十潜水艦殉難の碑が建っていたようです。
松崎川を渡り数十mで墓があります、その右に 泉住寺があります。
泉住寺から振り返ると、大きな観音さんの後ろ姿が見えます。
西南に坂を下っていきます、右に 祠、花が沢山供えられている。
すぐ先で国道の信号交差点に合流します資料では左の国道が旧道に重複となっています、さらにこの先も旧道は国道となっています。でも坦々と国道を歩くよりも、ここでも左の釜口漁港への道を入り下ります。
左に釜口漁港を見ながら真っ直ぐの道を進みます。
右に お堂、すぐ先で河川を渡ると
右に 灯籠と祠
河川から350m程進むと大川を渡ります、そこで右からの国道(旧道重複)と合流します国道より歩いてきた道の方が雰囲気があります。淡路往還は宿場町のような情景は見られません。
大川から200m余り進んで小河川を渡ります。更に200m余り進んで谷の深い境谷川に架かる境谷橋を渡ります。さらに老松川を渡る海岸線の国道が続きます。
左に海岸右に山が続く国道を2㎞ほど進み佐野地区に入ります。
やがて右山裾に 柴右衛門大明神
柴右衛門一族の碑
柴大明神から100m程進むと左に国道を下に見て山裾を進んでいたがいまは廃道になっている。この先で、国道を右に分かれ、旧道は真っ直ぐの海側の道を進みます。
国道と分岐して暫く進むと右に佐野小学校があります。その手前の道を右に200m程坂を上ると右に 八浄寺 山門の敷石に仏さまの慈悲の象徴である蓮弁が刻まれ、その裏側には諸仏諸菩薩の咒である光明真言の梵字が刻まれている。
佐野小学校を右に見て佐野の町を通る、すぐ先正面白い建物で右に入る旧道がありましたが、残念ながら見落としてしまった。旧道を進むと佐野川に架かる狭い木橋を渡りますが、車道の橋を渡ってしまいました。
旧道はこの橋の渡った先、100m先で右に出てきます。
橋を渡った右、佐野川に沿って佐野保育園がありその側隣に 正久寺
左に佐野郵便局を見て進んでいきます。
佐野川から800m程進みます、その間小さな荒木川、西川を渡ります。右に八幡神社入り口の 鳥居は元禄十年(1697)の物。
八幡神社のすぐ先で筋違川に架かる広幡橋を渡ります。非常に小さな川が横切ります、今ではなんていうことはないが、当時は、一つ一つ木橋を架けるか、水の少ない川なら徒歩で歩いたことが想像できる。橋を渡るとすぐ左に旧道を入ります。
左に入った旧道の道
左に 大師堂 弘法大師像や地蔵尊が安置されている。
大師堂の少し先で小河川を渡り右からの車道に合流します。合流から150m程で東雲川を渡ります右に、
その先で高架道路を潜りますが、高架道路を左の海側に行くと広大な埋め立て地に造られた、淡路佐野運動公園が。
左に 雨乞い公園の 石碑
高架道路から300m程先左に明石医院があり、その先60mほどで、後に資料で分かったのだが右に入る旧道がありましたが逸しました。その旧道は300m程で生穂川に達し、旧道の橋がないので左に折れて車道に出て生穂川に架かる橋を渡ります。対岸に30m程旧道が残り車道に合流しています。
生穂川の先、右に賀茂神社の御旅所の鳥居は元禄十三年(1700)の創建。
御旅所の街道を挟んだ向かいに 常玄寺
お寺の南隣に覆いの屋根のついた 祠
その南に 住吉神社
街道に戻り進むと生穂南交差点で右からの国道に合流します。
生穂南交差点で合流した先国道を200m程進むと大谷川を渡りすぐ右の旧道に入ります。
狭い旧道を進む
集落の中を進みます
大谷ら300m程集落の中を抜けると、左からの国道に合流します。
国道に合流してすぐ先で左に入る狭い旧道が残る。
左に入りすぐ右に国道と並行して60m程進むと小さな川がある先は廃道となっているので右に出て国道に出ます。
国道を200m程進むと大谷の広い交差点に出ます。
交差点を横断してすぐ先で右に入る旧道があります。
坂を上った坂の上右に津名中学校の前に出ます。
中学校の前の道を下っていきます左からの国道に接近します。もしかすると、中学校の建設にあたっての新しい道かもしれません。国道が旧道かも。
国道に合流せず国道を左に分け右の道を進みます。
旧道に入るとすぐ先右丘陵上に 石神神社
その先左に 専修寺
そのすぐ先で交差点を渡ります。そして宝珠川に架かる宝珠橋を渡ります。
さらに宝珠川に合流する支流の志筑川の志筑橋を渡ります。
橋より左の海側と国道に架かる橋を見る。川の右、海が津名港ターミナル志筑は洲本と福良と並ぶ島内の交通の要衝、震災で大変被害を受けた。
すぐ左に 豊元稲荷大明神
さらにその先右に 祠
祠から150m程先で突当り鍵型曲折している突当りを右に折れる。
右に折れると正面に引摂寺が見えます、その前を左に折れます。
淡路四国巡礼六十七番 引摂寺 巡遷弁財天が安置されている境内に石造十三重塔、嘉元二年(1304)の銘五輪塔、法華経二千部読誦と四国遍路供養を兼ねた石造五智如来像、元禄四年(1691)の銘。
お寺の前を右に折れて進みます。
再び突当りに出て左に折れ、すぐまた右に折れます。
鍵型に折れた左に曲がった筋で、数十mで右に愛宕神社参道の石碑が立っています。
右の参道を入ると 愛宕神社
神社の参道入り口に戻り街道をすこし進み右に折れます。
少し歩くと中央公民館前信号交差点に出ます、横断して真っ直ぐ進みます。
暫く真っ直ぐの志筑の町並みを進みます。
すぐ先右に 祠
小さな川の静南橋を渡ります。
寄らなかったが橋から右斜め後方に、社日神社と円明寺が見えます。
橋から150m程先で左T字路に出ますが真っ直ぐ進み、志筑の市街地も終わります。
暫く進んで小さな川を渡り、その先100m弱で国道が左から合流します。
合流するところ右には山が迫っています。その麓右に 祠 不動明王と地蔵尊 地蔵尊は元治二年(1865)。
国道を進みますが左は入り江で対岸は埋立地で志筑新島があります。佐野から国道の左は埋め立て地が続き、一見かつての海が埋め立て地との間が川のように見えます。前方に塩尾橋が見えます。
塩田大橋の手前右に石造りの不動明王と山神の 祠
左、塩田大橋を渡った塩田新島に淡路ワールドパークが見えます。
この塩田大橋のところで迷いました。
①真っ直ぐの国道を800m程進んで塩田の交差点を右に入る道と、
②ここで右に入る道。私は結局この道を進みました、後日資料を見ると前述の方が旧道であったようです。やはり資料 不足と時間的に余裕がなかったのが原因です。
※ 歩いていないが資料に基づいて前者の道を説明しますと、左の塩田大橋を見て国道の通りの塩田集落を進みます、左は入り江で右に民家が並びます。150m程進むと、右に戎神社があります。神社から国道を550m先で塩田交差点に出ます、この交差点は、県道下内膳~津名線で右に折れますが、旧道は交差点の数十mで民家の間を入る狭い道を右に入り、路地を進み公民館の所に地蔵尊と祠がある。右にカーブして少し進むと右からの県道に合流するのが旧道のようです。
県道の緩い坂を上っていくと、右に溜池があり、さらに上ると峠に出ます、右に苅又池があります。池の横に不動明王の祠がある。この先100m程坂を下ると、右側に道標があります「右 いわやミち 左 志ゆんれい道」「光明真言百萬遍西国供養」と刻まれた文化六年(1809)。
私が歩いてしまった塩田大橋の少し手前右への道を入ります。
すぐ先で左にカーブします
分岐を左の川に沿って進みます。
すぐ先で小さな川を渡り坂を上っていきます。
左の国道よりかなり上ってきました。丁度この左下あたりが先ほど説明した戎神社です。
左に塩田新島の淡路ワールドパークが見えます。
塩田大橋の少し手前の辻から坂を上ること400m程で津名塩尾団地の住宅地に出ます。
住宅の中を道なりに抜けていきます。団地の中で右に県営津名塩尾団地2号棟のところで右にお折れすぐ左に折れます
住宅団地の先を緩やかに上ります。
左に 普門寺 があります境内に道標があったようですが見落とた
「キリーク 右 二ッ石大 左 志ずきさ」「奉唱光明真言」文政九年の銘。
この辺りが一番高い峠のようで坂を下っていきます。
普門寺から400m程下ると右に塩田小学校があります。
小学校の前から200m程下ったところで左斜め後ろから前述の塩田交差点からの県道の旧道の道がここで合流します。合流して右斜めに進んでいきます。
県道右丘陵の廃校の塩田保育園跡の建物。
県道を進むと長蓮川に架かる大名橋を渡る。
その先の分岐を右に進みましたが旧道は真っ直ぐ左の道であったようです。
右の道を100m程進むと左にゆるやかにカーブします。その右手に覚王寺が見えてきます。
覚王寺 門前に塩田村道路元標や「興亜記念」と刻む石標が建つ。
覚王寺より100m程先の変則十字路を南に進む。
50m程進むと左から先ほど分岐した道が合流してきます。やや右に向きを変え100m程進むとT字路となり右に100m程進むと
柿本川に架かるさと橋を渡り川沿いに数十m左に進み右に折れます。
柿本川から350m程先右に葭池があります。
洲本市に入ります日も落ちてきたので少し急がなければ目的地まで行けない。
緩やかな上り坂を進みます。
左に安乎小学校、右に安乎中学校が学校の付近が峠のようです。安乎集落に入り学校の先で小さな小川を渡ります。
やがて左に岩戸川が沿うことになります、支流の小川を渡り緩やかな坂を上っていきます。
県道の左右を山が迫り岩戸川の渓谷を暫く進みます。この先で岩戸川に架かる竹谷橋を渡ります。
右に岩戸川が変わり暫く川沿いを進みます。
やがて左に緩やかにカーブして右からの中川原町二ッ石からの道と県道は合流して左に真っ直ぐ南に県道は進むが、旧道はその左の山腹の道を上ります。
右の県道に分かれ左への山腹への道を上ります。
坂道を登る。
この辺りが頂上のようです。
下りになります。
右に淡路薬師巡礼四十八番札所の 光照寺 時間がないので寄れませんでしたが、境内に寛政九年(1797)大峰山供養塔、宝永二年(1705)の地蔵尊、文化十一年(1814)の四国遍路供養塔、永禄六年(1563)の一石五輪塔がありました。
光照寺から250mほど下っていきます。
岩戸川に出て橋を渡るとすぐ県道に合流して南に進みます。
岩戸川に出て橋を渡るとすぐ県道に合流して南に進みます。
中川原郵便局を過ぎていきますいよいよ暗くなってきました、車は少ないがこのような歩道のない道で暗くなると危険。
郵便局から1㎞ほど進むと新しい道の信号交差点を横断します。中川原町三木田集落に入りますが、気持ちに余裕がなくなってしまった。出来る限り朝はいくら早くても、夜暗くならないように気を付けているのだが、歩いていても何も見えないから面白くもない。注意しているからこのようなことはめったにないのだが。
交差点を越えて200m程先で左(南)にカーブします。カーブした先200m程先右に入る道の左に 道標があるが判からないが多分右に入っていけば 明神神社、その先西に淡路四国巡礼七十九番札所 松亀寺の道標
道標から600mほど県道を南に進むと小さな川を渡るとすぐ交差点に出ます。交差点の右側西北角に
道標 「右 ふくら 左 スモト」と刻まれている、また南西角に 不動明王の祠があるが暗くて全く分からない。
さらにまだ交差点から緩い上り坂を200m程進むと峠があり、その先下ること500m左に溜池が現れ、さらに400m進むと下内膳の集落に出ます。
そして200m程先で洲本方面からの左からの道に合流します。途中左にアルバトロスGCがあります。GCから下内膳の交差点まで700m程です。
交差点の左にコンビニがありました。なんとか暗くはなったが目標の洲本市街地まで約5㎞あるので、冬の日暮れは早い、夏場ならまだまだ明るく洲本市街地まで歩けるが。18時05分下内膳交差点着、60.958歩、36㎞ とよく歩きました。
本日はここで終了。
洲本市街地のホテルまで行けなかったが、古代南海道との合流点下内膳交差点に着く。まだホテルまで5㎞以上あるので交差点近くにコンビニがあったのでそこからタクシーを呼んで今晩の宿泊ホテルへ。
次の日はコチラ
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