淡路往還   2日目

                      2015年1月11日
      洲本市街地~福良

洲本のハーバーホテル「海月」を7時30分に出発して、市街地の史跡を少し回り、昨日の起点まで歩くこととする。

山熊山(標高133m)の山上に建つ、模擬天守の洲本城天守を望む(別名三熊城)
城址の遠望江戸時代の淡路は阿波の蜂須賀家の領国で家老の稲田氏が城代として大名並みの約1万4500石で治め明治維新まで続いた。明治三年(1870)5月13日の庚午事変を背景として書かれた小説「お登勢」で有名

右 洲本念法寺、左の向かいは大浜海水浴場・県道76号線由良への道

城址は上の城・下の城に分かれ、江戸時代は下の城が政治の中心であった下の城跡の石垣が残る

洲本城跡(国史跡)
三熊山(133m)の山頂にあり、室町時代末期、安宅氏が水軍の城として築造した、時期は永正7年(1510)とも大永6年(1526)ともいわれる。天正9年(1581)羽柴秀吉により攻められ、その後、仙石秀久が在城から1585年脇坂安治が領主となり本格的に城の修築を行い現在の遺構として残る。城は東西約800m・南北約600mの規模であった。今も石垣が残る。この時の城跡を「上の城」といい、その後、江戸時代に入った寛永年間(1624~1644)、徳島藩蜂須賀家が由良から洲本に移され、明治維新まで家老の稲田氏が城代として在城支配した。この城を「下の城」と呼び一部石垣や堀が残る。

洲本念法寺この付近 城代稲田氏の館跡

永田青嵐の句碑
   傀儡師(かいらいし)  
     波の淡路の  
        訛(なまり)りかな
    淡路島生まれの政治家・俳人

上の城、山頂への登山口碑

登山口の碑はH夢海遊淡路島の脇の道を上る

山道を少し上っていくと神社の鳥居が建っている

コンクリート舗装された登山道が続きます、朝が早いので人もいなく、鳥の声だけ気持ちがいいかなりのぼってきました、八王子神社 につきましたもう少しで山上と思うが時間がないので諦めます。

上八幡神社

洲本八幡神社

境内の 金天閣 寛永18年(1641)洲本城(下の城)の御殿の遺構の一部

洲本八幡神社から西に300m程行くと 淡路島弁天宮厳島神社 境内には稲田氏の祖先を祀る稲基神社がある

神社から北に延びる広い道路を堀端筋、かつて外堀と土手があった、堀を境にいして内町(東側)と外町(西側)に分かれていた。常夜灯と石碑が建つ

厳島神社の参道

本町5丁目、左(西)に通っている本町商店街

堀端筋を北に進みます、栄町1丁目交差点に出ます。かつて濃人橋という板橋がかかっていた、交差点の脇に橋の欄干の石柱が残る

栄町1丁目交差点を左に折れて西に進みます

栄町2丁目交差点を横断します

差点の北側一筋の通りにある 

さらに西に進むと、千草川に出るがその手前に寺町が南北に並んでいる
祠の筋少し西の右に 臨済宗 江国寺 稲田氏の菩提寺で歴代の墓が残る庚午事変の犠牲者の招魂碑が建つ

境内の稲田氏の歴代当主の墓

江国寺から西に進んだ南北の寺町の筋にお寺が並ぶ寺町筋の一番北から

真宗 浄泉寺

法華宗 本抄寺

高野山言宗 千福寺 
薬師堂には平安時代末期から鎌倉時代の薬師如来像が祀られている

真言宗 遍照寺
木食僧観正上人の坐像が祀られている

浄土宗心念山 専称寺
境内に庚午志士の碑、庚午事変にて刑死したり獄死した徳島藩の22名を追悼する碑

境内の 庚午志士の碑

浄土宗 称名寺

そして一番南側に 浄光寺があるが撮れていない

寺町通りを専称寺と遍照寺の間の道に戻り西に進みます。すぐ先で千草川に架かる常盤橋を渡り千草川の東側(外町)に出ます。

千草川を渡りすぐの交差点を横断して左にカーブします

小さな川を渡るとT字路となり右に折れます

右に折れ数十mで樋戸野川に架かる僧之橋を渡ります

川を渡った右奥に 威徳寺

左に洲本物部郵便局がある中島交差点を越えていきます

中島交差点から400m程先の高架道路の手前右に 郡界標石「従是西三原郡 東津名郡」と刻まれている

巨石の隣にお地蔵さんが祀られているお堂

正面から見ると非常におおきな、左がお堂です。

高架道路を潜って300m程先で、左に宣徳寺がある辻を右に折れ洲本川の下加茂橋を渡ります宣徳寺

下加茂橋を渡るとすぐ下加茂交差点です。交差点を数十m左に折れて進み、洲本川を渡らないで手前を左に洲本川に沿って進みます。

洲本城下かわ淡路往還の下内膳まで、特にどの道が旧道であったという、資料がないので適当に進んでいますが、ほぼあっていると思っています。

洲本川を左に進みます

右にコーナンが見えます。巽川に架かる巽橋を渡ります

下加茂から上加茂へ入り左に洲本川に架かる上加茂橋があります橋を左に見てなお進みます上加茂橋の北の袂で橋からの道と交差して少し先で、その道が左にカーブしてきて合流します

合流した先300m程歩くと右に加茂神社の参道の 鳥居と常夜灯があります。北の加茂神社まで300m程はありますので寄りません

山裾に見える 加茂神社 (望遠にて

そこから200m程進むと信号交差点にでますので横断します。その右角は昨日タクシーの電話番号を聞いたローソンです

50mほどでやっと昨日の起点である下内膳の辻につきました。

ホテルを7時30分に出て、洲本市街地を見学しながらこの起点についたのが9時50分です。この先、福良まで天気にも最高に恵まれ頑張ります。
下内膳のこの辻から福良まで約18kmの距離15時ごろには着く予定です

下内膳の辻で、昨日歩いてきた旧道

歩いてきたT字路の左角に 妙見宮の石殿と灯籠

T字路を右に折れます街道の続きであればT字路を右に折れる

すぐ先で道は分岐しますが、左側の道を進むところで釈迦堂川の枝川橋を渡ります。ここに道標があったようだが見逃した早々に注意散漫気を付けなければ

右側に 灯籠

すぐ先右に 石の祠

祠の先100m程先右に加茂小学校下内膳の集落もこの辺りで終わり

その先400m程進むとT字路に出ますので右に曲り、すぐ先で左にカーブして進む。T字路から100m余り先で変則十字路に出て横断します

小さな川を渡り真っ直ぐ南西に進みます

道の両側は田畑が広がります上内膳の集落に入ります

やがて旧道右に 道標 
「神戸元標江 拾六里」「岩屋標柱江九里四丁貳拾四間壱分 志筑標柱江参里拾貳丁五拾四間壱□」
「福良標柱江四里拾六丁拾壱間六分 廣田標柱江貳拾丁二拾二間九□」  明治三十五の里程標

そのすぐ先右に 鶴ヶ岡神社と参道入り口の鳥居享保二十年(1735)創建の鳥居

神社の隣に 蓮光寺 淡路四国巡礼二番札所

暫く進むと新道との交差点に出て横断します

交差点を越えた右に 灯籠 文政十年(1827)の灯籠ここで左に旧道は曲折しています

すぐ先で469号線を横断して南に進みます

横断して100m弱で奥畑川の橋を渡ります

川を渡り数十m先で変則五差路に出ますので右斜め(南西)の道を進みます。二階建ての建物の向かって右の道

交差点左角に 地蔵尊の祠

交差点を入ると正面に本州四国連絡道路洲本インターチェンジの高架道路を潜ります。

高架を潜るとすぐ右に山王神社の参道入り口の 鳥居が建ちます文政二年(1819)の鳥居

山王神社

参道の前の旧道を進む

小さな川を渡りますその先200m程進むと初尾川に突き当たるので、少し戻り左に折れる。かつては橋が架かっていたのだろうが。

左に折れてすぐ、国道28号線の納交差点に出て右に折れ国道を進む

国道に架かる初尾川の橋を渡ります

国道の右、初尾川との間に旧道が短い区間残っている

少し先で南あわじ市に入ります

山添口堂交差点を越えます、右角にローソン山添地区に入ります国道左に 八丁地蔵 一石六地蔵二体、弘法大師像、不動明王像、廻国供養塔などが安置祀られている

国道沿いはさすが大手小売店やコンビニ、レストランが並ぶその先右に西松屋の前の山添信号交差点で道が分岐、左の旧道に入ります。

右にイズミフードマンナリ淡路工場がある旧道を進む

その先左に、自然石の道標  「淡道島之寒泉 一丁南ニアリ」

この道標から街道を離れ100m程南に入ると広田の寒泉と椋木があるので(寄り道)をします。

仁徳天皇の時代から現在まで枯れることなく清水が湧き出る。水際み立つ 椋木の老樹。

街道に戻り少し進むと右に 八坂神社

神社の前からの旧道、広田集落にはいる

集落の右側に 阿弥陀堂

旧道の向かいにブロック塀に囲まれた お地蔵さん

広田中筋の町並みを進む左に広田小学校

その先で県道広田・洲本線との交差点があり、交差点南東角に

蛭子神社と神社前に里程標 
「洲本標柱江 壹里貳拾九丁拾四間分 志筑標柱江四里三丁拾七間」
「神戸元標江拾六里貳拾六丁二拾二間九分岩屋標柱江九里三拾四拾七間
「福良標柱江三里貳拾五丁四拾八間七分 市村標柱江 壹里三拾丁拾七間五分」   明治三十五年十一月建設

蛭子神社の前の広田南交差点で街道を中断【寄り道】広田南交差点を右に折れて東北に進む

00m程進んだ左に、高良社があります道を挟んだ向かいが郵便局

すぐ先で国道の広田交差点を渡ると初尾川に架かる宮川橋があります

少し先左に市役所緑庁舎がありその前道沿いに お地蔵さん

地藏の前を真っ直ぐ進んでいくと森の中に鳥居が見えてきます。その手前右に 灯籠があります。

鳥居を潜り石段を上る鳥居の前に神社の 道標 「従是九町」

広田八幡神社

神社の東側に 高野山真言宗蓮台院広林山 大宮寺 淡路四国第七番霊場

境内の 天明志士記念碑碑文は板垣退助、淡路島最大の一揆「縄騒動」で、一揆を指導して処刑された宮村の才蔵と山添の清左衛門を讃えたものです

天明の一揆と義民碑について
江戸時代中期の天明二年(1782)縄騒動と呼ばれる百姓一揆が山東地区十二ヶ村の農民によって起こりました。その指導者2名は三年二月二十三日打首、獄門にかけられた。明治三十年代に一揆のこのゆかりの地に碑が建立された。

寄り道を終わり元の街道に戻り南西に広田の町を進みます。交差点から300m程先左に 
逆修板碑 天正十八年(1590)生前供養(逆修)として建てられた。板碑に刻まれている宗賢禅定門は、広田の大池改修工事の際に人柱とされた人と伝わる。

その先暫く歩いた交差点で広田の町も終わる国道筋も店などもなくなり田園の風景が広がる中を進み、やがて初尾川を渡ります。

初尾川の先の交差点で支流の小さな川を渡ります右の国道と並行して暫く進みます

左側の山際に 灯籠と青面金剛の祠

更に真っ直ぐ進むと左に池があり池の北側を通り旧道は緩い上り坂になります。

中山の集落に入るところで、旧道は右にカーブして国道の高架下を潜りながら小さな支流の川を渡り、緩やかに左にカーブして左の国道高架の側道を進む

200m余り先で旧道は左の国道に合流する

暫く国道に重複しながら山裾の道を歩きます。歩道があるので助かる、緩やかな長い上り坂を進む坂の途中右にいこいの泉の看板が建っています
いこいの泉から80m程の先、右に地道の消えかけた旧道が残ります。資料がないと多分見過ごしてしまいます

国道を左に見ながら右の山裾の旧道の残骸を進みます。この辺りは旧道かどうか分からないが微かに道跡がある

右の山裾を緩やかに左にカーブしながら進んでいきやがて擁壁が左に地道の残る旧道と思うと嬉しい

300m程進むと左からの国道に合流します

国道に合流したこの辺りが 中山峠ですぐまた国道左に見て分かれます。黄色い看板の右を下ります

建物の裏側と右の山の間を進みます

住宅地を抜けて、300m余り進むと再び左からの国道に合流する。

合流して右にGS、ローソンが続く、左側には茶屋池があり、すぐ先で養宜上信号交差点に出ます、茶屋池を左に交差点を右に進む新道はうずしおラインです。

街道は真っ直ぐ交差点の少し先、東養宜バス停があります。バス停の所を国道左に分け右の旧道に入ります。

右の旧道を入ると100m先で道は分岐しますので左の道を進み、養宣川に架かる養宜橋を渡ります

橋を渡り少し進んだ右に石造りの 

その先進むと再び左から国道が合流してきます

国道に合流して100m程進み左に入ると 八幡神社

国道沿い 地蔵菩薩の祠

洋館風の建物上八木公会堂

公会堂と安楽寺 八幡神社の隣に、淡路四国巡礼十一番札所となる神宮寺の 安楽寺が並ぶ。安楽寺境内に四国八十八ヵ所のミニチュアの石仏が祀られている

国道に戻ると、すぐ前が八幡神社前信号交差点旧道はこの交差点を右に、八木養宜上集落内を西に向かい、150m程先で左折れします。左に折れて180m程進むと、右に「いぼ松の神さま」の境内があり、地蔵尊像や祠があるが、交差点の右への道を入ったがここの交差点に戻ってしまった

【寄り道】前述の交差点を右に旧道を入り八木養宜上集落内を西に進み150m程行った三叉路で旧道は左に折れるが、真っ直ぐ300m程進み交差点を右に折れるところ正面に鳥居があります

この鳥居は今歩いてきた八幡前神社交差点方向を向いているので、郷社八幡神社の鳥居だろう

その前を右に折れるとすぐ先でうずしおライン道路が交差する中八木信号交差点に出て横断。正面に平成病院の空色の建物が見えます

平成病院を左に少し進むと大木が立つ一角があり、室町期の細川氏の 居館跡養宜館跡

八幡神社前交差点に戻り国道を南西に600m程進むと(途中250m程先右から旧道が合流してくる)上八木交差点に出ます。交差点を越えた左に 江本升治郎の碑と供養塔

八木の並松を偲ぶ碑

上八木交差点の先で成相川の手前を右に入る道は淡路島牧場への道少し離れています。

成相川を渡ります川より150m程先、国道より左に分岐する旧道があるので入ります

左の旧道を進む

暫く進むと交差点に出ます左角に 成相渓への道標 「本尊国宝薬師如来成相寺従是奥十五丁」

その先150m程で国道に合流

国道に出てすぐ先に国分寺2㎞の表示があるが、少し遠いので寄り道できない。右遠望 律宗淡路国分寺跡

その先小さな川のところで左に分岐する旧道があり左に進みます。

道路沿いに巨石が並んでいる

再び国道に合流します

国道をすこし進むと立石交差点に出ます立石交差点より150m程先左歩道に石造りの 

左にミスタータイヤマンの店があるところで再び左への旧道があるので進みます

分岐して小さな橋を渡ります

さらにすぐ先で三原川に架かる三原橋を渡ります

三原川から300m程進むと左に 十一神社

神社のすぐ先で国道に合流します

合流して少し先左に 章神農五行館

国道を進むと左にローソンがあります、ローソンを越えた右に 若宮神社

神社のすぐ先、市青木交差点手前右に 淡路人形像三国伝来玉藻前旭袂三段目道春館乃段の像

青木西交差点を横断してその先左にJA淡路島の前を進みます。すぐ先右に新しい お堂

国道は真っ直ぐ南西に進んでいる三条交差点を横断し、左に三條天羽歯科の前を国道に沿って進む

さらに150m程進むと右に不動尊を祀る 祠

国道を真っ直ぐ進みます、神代交差点を横断して、500m程先の信号のない交差点、手前左に原口建具店があるところを右に折れる

交差点の数十m先国道の馬乗捨川に架かる橋私はここの交差点を右に入るのを失念してしまって、国道の馬乗捨川を渡り、その先200m程進んだところで右に入った。

ここを右に入った

旧道を右に分岐した場合、分岐して50mほど進んだ左に、里程標「神戸元標江 拾九里」「岩屋標柱江 拾貳里四丁貳拾四間壹分 市村標柱江拾五丁拾九間六分」「福良標柱江 壹里拾六丁拾壹間六分」が建つ。その先70m程の分岐を左に折れるが、三差路には「長月観音」と刻む石標がある。すぐ馬乗捨川に架かる馬乗捨川橋を渡り、神代国衙集落に入ります。川から200m程先、左から私は合流しました。

神代国衙集落の中、左側に 論鶴羽神社

神代国衙集落内の静かな街道を進んでいきます

神社から300m余り進むと変則交差点に出ますが街道は真っ直ぐ進む

真っ直ぐの旧道の集落を進む

100m程先で十字路に出ますその西北角に 鎮守神社 神社内に道標があり、同じ西北角に代村道路元標があったがが撮れていない。

境内に、薬師堂や五輪塔がみられる薬師堂は薬師巡礼十六番札所になっている。

その先大きく左、右と屈曲して300m程先で牛内川に架かる辻橋を渡ります

賀集の集落を進んでいきます

牛内川から500m弱の先で、大日川に架かる田中橋を渡ります

すぐ先で田中小橋を渡り、少し先右に賀集郵便局があります

郵便局の前すぐ左に 住吉神社境内に享和二年(1802)mの青面金剛や金剛界五仏の朱字を刻んだ石碑が祀られている。

その先70m程で旧道はS字型に進むこの辺りは賀集立川瀬集落。

暫く進んで緩やかに左にカーブする辺りから賀集八万地区に入る

左にカーブした交差点右への道が、賀集八幡神社への参道、神社へは山路川を渡り400m近く緩やかな坂を上ると山麓に鎮座する

時間的にまだ大丈夫なので【寄り道】右に折れて山路川を渡り神社へ

賀集八幡神社の参道に出ます

鳥居を潜り参道を進む途中に、神宮寺である高野山真言宗賀集山 護国寺本尊は 大日如来坐像、平安時代後期(重文)古庭園(池泉廻遊式)、江戸時代初期作庭

本堂の前に、瓦の布袋尊像

本地堂(平成八年再建)阿弥陀如来座像(平安後期)毘沙門天像(鎌倉時代)不動明王像(鎌倉時代)

賀集八幡神社の隣にある 八坂神社

賀集八幡神社 創立・沿革は明らかでないが、現在の本殿は寛永八年(1631)に創建された。

寄り道を終わり元の街道の交差点に戻り少し進むと、賀集八幡西信号交差点に出ます

交差点のすぐで山路川に架かる新八幡橋を渡ります。

川沿いをすこし進むと右に、白い塀に囲まれた大きな旧家がありますまるで森のようです。中の建物は木で全く見えませんそれにしても大きいが清掃管理が大変だろう。

向かい旧道の左には 不動明王像・金毘羅の小さな祠

進んでいくと左に明治三十年創業の老舗岡本商店

少し進んださき国道に合流します

国道に出て右に折れますが、左を見たところ。

右のこの先の街道、左右景色が全く違います峠への道です

左に池を見て、400m程国道と重複しながら坂を上っていくとになります。国道ですのでそれほど峠という感じがしません。峠を過ぎると緩やかな下りで400m程進むと、福良口の信号交差点に出ます

交差点を右に曲がります。国道は真っ直ぐですが、右の道も結構車が多いようです

右に折れて少し進むと 中山明神社

すぐ先右に 庚申堂 青面金剛が祀られている

商店街に入ります暫く坂を下っていきます

福良警部派出所前信号交差点に出ます交差点で分岐していますが右の道を進みます

分岐する交差点の正面角に 児童の像と碑、碑には「鏡が渕」このあたりに清水あふれる鏡のような渕があり、女流歌人和泉式部がこの地を訪れて歌を詠んだといわれる

福良の町並みを進む

街道は福良の港手前のT字路に出ました。福良の街道終点は何処かわからないので、一応ここで完歩とします

T字路を右に折れた最後の【寄り道】
福良八幡宮、ここへきて74段の石段は厳しい

石段を上ると立派な 山門

本殿 は天正三年(1575)の創建

拝殿 は元和六年(1620)の創建

境内の 稲荷大明神

境内の 住吉大明神

福良八幡宮より福良港の景色、大分日も落ちて丁度いい時間についた

T字路に戻り、左に折れたところ築地川に架かる築地橋を渡る

福良の南あわじ市ふるさと活性化センター福良港

うずしおクルーズ船

淡路人形座

                   淡路往還完歩

     福良16時00分 着
      46.852歩  28.11㎞  2.151kl
この後、高速バスで神戸まででて電車に乗り換え帰宅に着く





 

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