2013年1月23日
近鉄汐ノ宮駅近くの東高野街道~かつらぎ町中飯降の大和街道
河内長野市汐ノ宮駅南側の東高野街道分岐を起点~原町で西高野街道と交差~石川に沿って高向・日野~滝畑ダム・滝畑~光滝寺~東の紀見峠越の高野街道、西の鍋谷峠越の父鬼街道、との中間で和泉山系越蔵王峠越の街道~和歌山県かつらぎ町短野~広野~中飯降の大和街道に合流
7 時 35分 スタート
16 時 30分 完歩
45.928歩 27.55km 2.096kl
そこから自宅までJR一駅だがまだ暗くなっていないし2.77km歩いて帰宅する
近鉄南大阪線汐ノ宮駅
汐ノ宮駅の西側の坂を上り切ると直ぐの十字路、東高野街道へ出る
東高野街道が左右(南北)に通るので左に折れます
滝畑街道でないが緩やかな坂の東高野街道を南に下って行きます
右に古民家と常夜灯、暫く集落内を進みます
その先で東高野街道の旧道は突当り消失している、右に折れ迂回する
迂回道
この辺りで左から消失した旧道が合流していた、更に南へ
すぐ先で 火除地蔵
ここまでの詳細は東高野街道を見見てください
滝畑街道起点
地蔵の先で正面左右に分岐する、左の道が東高野街道、滝畑街道は右の道を少し上ります。東高野街道は石川の河岸段丘を下り河内長野市街地へ。滝畑街道は段丘上を進む。
起点の分岐点に自然石の 道標
分岐点の少し東側(左)の段丘下を170号線・東高野街道が走るかなり高低差があり怖いようです。
左の眺望を見ながら南西に進む
やがて右からの170号線の新道(バイパス)に突当り側道を暫く歩きます
170号線を右に、南海高野線を高架で越える
すぐ先で170号線の高架を右に分け左の旧道に下っていく
左民家の前に、石碑と燈籠二基
その先で信号交差点を横断し西へ
原町の街並み
原町6丁目で南北に走る、西高野街道に交差する。北西角に常夜灯
滝畑街道を進みます
街道より右に関西スーパーがあり街道沿い右には 祠右から鋭角に細い道が合流する角
さくら池地蔵尊・道標向って右の道から進んできた 「右 ふじい寺 左 さ加い」
左にロイヤルホームセンター、JA大阪南を左に見て進みます。 その先信号交差点を渡った左に長野小学校
交差点を渡りすぐ先左に 西代神社
西代神社を左に見て進むとすぐ先信号交差点で170号線を交差する六差路にでる。左手前角には西代区会館、交差点右へのと左(南東)への細い道、大津街道が交差する。
交差点の南東角に 西代観音堂と地蔵観音堂の手前の細い道が大津街道
観音堂の中、向って右後ろの一番大きな地蔵が道標型 「左 ふじい寺道」
大津街道南東への道
交差点を西北に大津街道を少し入ると左に野作町集会所隣に、野作薬師寺
街道交差点に戻り野作の街並みを南西に進む
信号交差点を越えていくと右の芝田商店の前の街道
静かな町並みを進みます
この辻は右斜め塀に沿って旧道を進む
右に長屋門の古民家で道の向かいは上野町会館
その先で広い自動車道の交差点を越える、高向(たこう)に入る
高向の集落街並みと重厚な建物と街道
曽和酒店の前を左真っ直ぐの道
その先で左から自動車道が合流
その先で右に高向公民館、左にJA大阪南高向支店を見て進む。
その先、交差点手前で左の花の文化園の標示を見て交差点を横断真っ直ぐ、左の 高向神社神社本殿は、江戸時代初期慶長十三年(1608)の建立された、神社はそれ以前よりあった。
市街地を抜けると風景が一変田園が広がってくる
右に河内長野高向局の前の道すぐ右、高向小学校
その先で右への坂道に分岐するが、左の自動車道を進む
小学校をすぎると民家も少なくなり前面に山が近くなってきた風景に変わる
日野に入る、前方に和泉山系が見える
古保バス停付近
強くはないが小雨で道が濡れている、雨の山越えは嫌な感じ
左に石川が接近したところで汐滝橋を渡り、石川の東側に出る
汐滝橋を振り返ると石川も結構谷の深い川に変わる
汐滝橋の先の右は擁壁はされているが石川の絶壁
その先、石川は右へ大きく迂回する、街道は迂回せず間直ぐ南に進むが、右に入る旧道が残る。このような旧道を見つかるのが嬉しい瞬間
自動車道に出て右に進む
右に折れてすぐ先右に 日野不動尊
日野の集落、右に大きな民家
分岐している交差点を右の坂を下る道中日野バス停
石川が右に迂回してきて迫るがかなり段丘の下に流れる
稗田整骨院の前の分岐、この道でなくよく似た道がすぐ先で分かれる、この分岐辻を新道を左に分け右の細い旧道を石川沿い進む
坂を下って行きます
下りきったところで右への橋を渡らず細い真っ直ぐの道を進む
分岐の先は右の石川に沿って緩やかに上り、更にその先での分岐は右に下らず、左の急坂を上る
坂を上りきると左からの新道が合流
支流の苔むした上出橋
暫く進むと左に 祠どんどん山道へと進んでいく
気持よい山林の街道
左に富士化成工業蛇行しながら進むとかなり高所に上ってきたようだ
カーブで先日の雪で滑ったのか側溝に落輪している車、運転手は居ない
やがて道は十字路になるが真っ直ぐ進む左への坂は進まない
そのすぐ先で道は分岐するが右は新道で、旧道は左の道を下り滝尻の集落に入り滝尻ダムに進む
坂を下ると滝尻バス停で滝尻集落
バス停の先で石川の滝尻橋を右に渡り川の西側に出る
今歩いてきた滝尻バス停方向を振り返る
数戸の集落で寂しい右に古風な民家が、ダムの下流になるので移転した人が多いのだろう
集落を歩いてきたところで右に坂を上る道がある、この先道がなくなり結果ここに戻りこの道を上り、上の新道に出ることになるがもう少し先に進む。
旧道を進んでいくと正面に大きな滝畑ダムの本体が見える
旧道は消失して立ち入り禁止、旧道や集落はダム湖のそこに、時代の流れとは言え寂しい気持ち、先ほどの所に戻る
上の新道へ上ったところからの滝畑ダム、
新道の左に、お堂と石仏が並ぶ、多分ダムの湖底に沈む前にここに移動したのだろ
滝畑集落の眺望とダム本体の遠望
下に先ほど突当りまで歩いた旧道が見える。旧道はダムが出来るまではそのまま谷間を進んでいたことだろう。
弥勒橋、続いて荷越橋を新道で渡る
すぐ先で池畑第二隊道を潜る、旧道は湖底で消失しているので止む得ない
トンネル出口左に木之新商店がありその角左への道があるが真っ直ぐ進むところを振り返る
暫くダムのために作られた湖岸の新道の左を進む。潮降橋を渡る、ダム湖を左に見て西岸を南に進む
滝畑ダムは大和川水系の石川の滝畑の地に建設された多目的ダム。昭和42年度から大阪府によって調査が進められ、昭和48年9月より着工、昭和56年度に完成した。
ダムによって、旧街道は湖底に沈み、水没家屋78戸、水没田畑20.4ha
右への新道は61号線
明神橋を渡ります。新道前方の遠望
右手にはダムで沈んだ民家の人たちが移転した新しい住宅が建つ
左の展望台からのダム湖
龍胆橋(りんどう)
ダム湖の湖巾がかなり狭くなってきた
学校橋を渡る、道が分岐するがどちらもまだ旧道でない。右の道の坂の上に河内長野市立青少年活動センターと滝畑ふるさと文化財の森センターが建つ。
眼下に見える橋は夕月橋
滝畑ふるさと文化財の森センター 民家が移築され展示されている。民家棟・旧梶谷家 「妻入横割型」が特徴の滝畑型民家と呼ばれている。18世紀の中頃の建築で当時の庶民の暮らしを知るうえで重要な建物。屋根には滝畑地区では「キトラ山」と呼ばれている岩湧山山頂の茅が使われている。
敷地内に 不食供養碑
毎月定められた日に不食の行を行い、3年3月つづけることによって満願となります。このような不食供養の信仰は紀ノ川中下流部とその周辺に広がり、古いものでは室町時代、寛正3年(1462)銘の金石が西吉野村湯川阿弥陀堂で確認されている。滝畑地区には50基あまりの不食供養碑があり、ダム建設に伴ない一部資料館内に移されている。また、不食講は女性達だけで運営されていたと考えられ、女性達にとっては月に一度の安らぎの場であった。
望郷の詩
護郷の鐘 元禄7年(1694)に、当時の庄屋、井谷長左衛門が施主となり地蔵堂に寄進したもので、以来村人たちによって守られてきた。現在でも葬式の出棺のときに村人によって三度たたかれるという風習が残っている。
石碑群 これらも不食供養碑
岩湧山茅場
標高897.2mの岩湧山頂にひろがっている、この山頂の茅場を所有し利用している滝畑地区では、「キトラ山」と呼んでいる。茅場は山頂の北側斜面に東西約700m、南北約100m、比高差約60mで広がっている、面積は約8ヘクタール。
夕月橋を左に見て再び進む
その先で宮前橋を渡る
右に 天神社 滝畑七ヶ村の氏神でもと大梵天王社と呼ばれていた。南北朝時代の興国六年(1345)の棟札が残る。社殿は貞享四年(1687)建立された。
きつい170段の石段
天神社からダム湖
その先の、しいたけ栽培所の所で新道は真っ直ぐ行くが、ここで道が分岐旧道は右の道に入る。ダム湖の湖底に沈んだ集落・旧道は左後方からこの辺りに出て、右の旧道に進んでいたのではないかと想像する。
ダム湖を振り返る、ここでようやく湖畔の新道を終わり西の村へ進む
右の道を進む
西の村集落を通る
案内標識
右への道はポテ峠から槇尾山施福寺への道
槇尾寺への 道標
対岸へのつり橋を左に見るその袂に 祠
その先右に立派な民家
橋を渡って川の東岸を南に進む、橋を渡った左側に観光農林組合マス・アマゴ釣り場
滝畑地区四十八滝の説明が立っています
ダイヤモンドトレースの説明版ハイキングコースとして沢山の人が利用している
石川を右に小さな滝を見ながら上っていく
街道の道も細くなってきた
やがて橋を渡って川の西岸を沿う
道が分岐している、右が光滝寺への上り口で先で一緒になるので右にので
光滝寺への参道を上っていきます
左り下には61号線の街道が相当高いところにお寺がある
光滝寺
飛鳥時代に欽明天皇の発願により行満上人が開創したといわれる。本尊は不動明王。古刹
炭焼不動堂
ツツジの梢を曲げて花鳥の姿を造り姿そのままに焼いたので花炭または光滝炭とも言われた。
戦国末期から江戸時代にかけて茶道の隆盛に伴ない堺方面に移出され茶席の白炭を滝畑炭と称せられ、幕末には狭山北条藩の専売品となる。この不動堂は、元背後の山腹鎮守屋敷にあったが明治の初めにここに移築された、厨子内に安置するのは弘法大師作と伝えられる丈八尺余りの不動明王の尊像。
本堂
橋を渡り川の西岸を沿って上る右には光滝寺キャンプ場
この先川沿いの滝を見ながら上っていきます
街道は暫く先で分岐するが左のみます
山道を上っているのだが今の所余り急な道でない
いろいろな形をした滝が見えます
植林のされた綺麗な道
この先車止め中之茶屋橋を渡り川を左に
その先石川に沿って山道を緩やかに暫く登っていきます
やがて道は分岐しているが、蔵王峠へ右
分岐した道沿いの左の石川、この辺りから山の斜面所々に雪が残っている。
この辺りはまだ滝畑地区
右への支流に架かるみょうかざこ橋を渡る
橋より見る漠
峠に近づいてきた雪もかなり残っているので滑らないように注意
石峰橋を渡り
峠口橋を渡り、祠を見る
陽のよく通る伐採の行き届いている峠への道
峠手前で道が分岐、真っ直ぐ西に進むと堀越観音への道、左に曲がる道を進みます
やがて蔵王峠橋を渡ると直に蔵王峠に、峠から先は、かつらぎ町大畑
蔵王峠
大阪府と和歌山県の県境(標高約560m)
61号線はここで左にカーブして下るが、旧道はかつてこのまま真っ直ぐ一気に急坂を下っていた。真っ直ぐの先を見てみると、急坂に下り旧道は残っているようなので、私もどこまで行けるのか分からないが、旧道に挑戦してみることとしました。
峠より蔵王橋を振り返る、大坂側に較べると雪の積りが少ないのは南向きだろう
この案内板の横から下る
この近くに蔵王神社があったが見落とした。赤い鳥居が参道に並ぶ何故見落としたのか、毎年山伏による餅まきがあるが、一度行ったが想像を絶するほど餅をまきます
この標識の裏側より旧旧道を探して下ります。
真っ直ぐ下る旧道はしっかりした道のようだ、落葉で地面もやわらかく歩きやすい。これはいけると思ったが
斜面に道跡が残る旧道跡で快快適
でもだんだん道が怪しくなってきました、斜面で左に滑り落ちないよう木や枝につかまるが、この時期の枝はもろく危険
もう道とは言えなく、歩いた後もなく四苦八苦だがしぶとくこの先が道がないか少し枝を除きながら何とか進む
一応道案内の紐はつけてくれているのだが、大丈夫なのか不安となってきた、
かなり下ったがもう進めない
かなり下ったがついに道が分からなくどこを歩いているのも分からないので、これ以上無理をするといけないので引き返すこととする。後で地図を見るともう少し右を下ると果てしなく山を下り迷ってしまっただろう。またもう少し左に下る道があれば、下の柿畑に出ることになるが紙一重。苦労して引き返すがこれもまた大変、でも正解であった。
何時ものことだがこれで気がすみました。このように年数と共に旧道は自然に帰っていくのだ。
元の峠に出て61号線を下るとすぐ左に 蔵王神社 私の思い違いであった
朱の鳥居を潜り高台に上る
神社を出て暫く蛇行しながら下っていくが、かつての旧道はこの先消失しているので舗装道を大きく蛇行しながら下ることになります。
突当り道が左右に分かれる。左へ行くと堀越観音方面へ。一応街道とします
堀越観音の案内板右にカーブしてすぐUターンのように曲がって下る
ひたすら舗装道を下ることとなります。大坂側と違って史跡も少ないです。
途中下っていくと右に湧き水が結構知られている。水を車で汲みに来る人が多い。特に大阪あたりの喫茶店等の飲み水として
更に大きく曲がりながら下ると左に お地蔵さん
更に蛇行しながら進むが蔵王神社から余り下っていないように思える。ここで左に曲がり本格的に下りに入るが、前述した峠からの真っ直ぐの旧道はこの辺りに下りてきていたようで、道らしいのもないし結果的に正解であった。
その先ですぐ左に曲がりくだるが、確かに右に下りていれば山の中を迷うことになる。背筋が寒くなる
小さな谷川の橋を渡る
短野地区に入り少し左に視界が開ける、かつらぎ町、紀ノ川が見えるがまだまだ先だ
この谷筋を下っていけばかつらぎ町妙寺
かなり蛇行の繰り返しかつての旧道はこれほど蛇行しなかっただろうが、旧道の痕跡は分からないので61号線を下るしかない。今まで歩いた経験から、このような蛇行道は車が走れるためになっているので、往時は歩くので直線的になる道が多い
分岐は左の道を下る
道はT字路となり左の鋭角へのみちをすすむ。正面に「短野」の立て看板
左へUターンのようなカーブして右の眺望この谷間を蛇行しながら下る
その先で大きく右にカーブしながら斜面を下る
右に鋭角にカーブする左に堰が見える、短野の集落が見えるところで、集落の 観音寺
境内には沢山の 石仏群
観音寺より下への下る道
まだまだ離れた山里だ
左に谷川が寄ってきて下に降りて来た感じ
つづけて小さな橋を二つ渡る
左右の山には一面柿の木、秋実が色づいた時分は綺麗
いよいよ下に降りて来た、左右に溜池が見える
池の南端街道沿いに神社が
農道の信号交差点を横断して中飯降地区に入っていく
今歩いてきた峠を振り返る
更に街道を下っていきます
左に道路改修碑が立つ
正面に広がる南の山
右に池を見ながら下っていく
西飯降地区に入る、京奈和自動車道を潜っていきます
かつらぎ町妙寺に入る
右に 遍照寺
地蔵尊が眼鏡をかけている
古い宝篋印塔が並ぶ
その先で橋を渡り左へ曲がり坂を下りますが。
右に坂を下り左に折れて、すぐのJR線を越え、24号線を横断して真直ぐ100m程進むと大和街道に合流します。
その交差点を真直ぐ進むと紀ノ川の三谷橋に出ます。少し右100m辺りにかつての三谷の渡しがあり、南へ三谷坂を上り天野の里への道です。この道の方が正しいか分かりませんが、T字路左に折れたのでそちらから進みます。
橋の下の川は 小田井堰(別途大和街道の資料に出てきます)
大畑才蔵にどれだけ昔の人は潤ったか素晴らしい遺跡、今も田畑には欠かせない川です。
坂を下って右に曲がります
右に折れて、すぐJR和歌山線の踏切を越えます
国道24号線に出るので、注意しながら横断して細い道を真っ直ぐ入ります
その先で少し右にカーブして左にまたカーブします
そのすぐ先で小川を渡る手前右に 石仏
橋を渡り南へ
そのすぐ先で、大和街道に突当り合流します。
大和街道の東側
大和街道の西側 100m程西で前述の交差点に出て、左に折れると紀ノ川へ、真直ぐ進むのが大和街道
滝畑街道(蔵王峠越え) 完歩
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