熊野古道(紀伊路)1日目

2013年10月2日

熊野街道(紀伊路)は、大坂天満八軒家~紀州田辺の中辺路・大辺路の分岐まで


新大阪~紀伊田辺駅;JR特急くろしおで行けば約2時間のところ何日もかけて歩きます
紀州街道は紀州徳川家の参勤交代の道で大阪湾寄りだが、熊野街道紀伊路は山側の古道

【日程】
1日目 2013年10月2日(水)  天満八軒家~天王寺  15.690歩 9.41㎞
2日目 2014年6月15日(日)  天王寺~北信太
3日目 2014年8月28日(木)  北信太~長滝
4日目 2014年8月31日(日)  長滝~和泉鳥取
5日目 2010年7月10日(岸和田本町~和歌山城) 
 (別途)9月15日 (和泉鳥取~和歌山城) 和泉鳥取~布施屋
6日目 2014年11月16日(日)  布施屋~海南
7日目 2014年12月14日(日)  海南~湯浅
8日目 2015年1月25日(日)  湯浅~御坊
9日目 2015年5月17日(日) 御坊~岩代
10日目 2015年6月28日(日) 岩代~田辺 
(紀州路完歩)

【1日目】 2013年10月2日
天満八軒家~天王寺駅
粉河街道支線が午前中で完歩したので引き続き、熊野街道を午後歩く。
天満八軒家  13時10分 スタート 
天王寺駅   14時40分 着
   15.690歩  9.41㎞  650kl

八軒家船着場跡:大川

小楠公義戦之跡碑楠木正成の嫡男

江戸時代、天満橋の大川南岸が八軒家と呼ばれていた。京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があった。
道沿いには旅籠や問屋が並び大変賑わった。八軒家と呼ばれる以前は渡辺津と呼ばれ、平安時代ごろから水上交通の要衝として栄えていた。とくに熊野三山への参詣道である熊野街道の起点でもあった。

熊野街道起点、東への御祓筋への道で

熊野街道起点の左に 石碑

熊野街道より八軒家船着場付近を見る

スタートする前に、起点の交差点を西へ100m程進むと、左にエル大阪のビルがあり、その東側の筋を南に数十mの左側に 座摩神社行宮;窪津王子(九十九王子の第一社)、渡辺王子とも大江王子とも呼ばれていましたが、位置については不明で座摩神社があったと伝わる。

この地にかつて座摩神社が鎮座していたが、大阪城築城に際し、現、中央区久太郎町四に移された。社殿によると神功皇后が新羅よりの帰途、この地で休息した時の鎮座石が残っている。
熊野詣の第一王子として最初に参られた。

座摩神社行宮:窪津王子跡(第一王子)王子碑なし

スタート地点から御祓筋の街道に出ます

一つ目の信号交差点を越えた右に 長光寺この辺りは前述の坐摩神社行宮の神功皇后の腰掛け石より、石町という。

暫く歩いた右に中大江公園がある

公園の前街道右に熊野街道の新しい 道標「大坂天満八軒家から0.5㎞」

常盤町2で阪神高速の高架を潜ります。左は谷町四丁目、右は堺筋本町の地下鉄中央線が交差します

その先、左に南大江小学校をみて、南久宝寺町4交差点を横断します

少し先、次の信号交差点手前右に南大江公園があります。

公園内に 狸坂大明神

朝日神明社跡(坂口王子伝承地)王子碑なし 
天慶年間(938~947)に平貞盛が創建したと伝わる。熊野王子のひとつ坂口王子の伝承地である。明治四十年(1907)までこの地に鎮座していたが、現在は、此花区春日出中に移っている。旧地に狸坂大明神が鎮座している

さらに南に進むと安堂寺町通りに出ます。左に折れます

安堂寺町通り左へ

左に折れる正面に 榎木大明神 正面の急な細い道を下ると長堀通りに出ます、古代には入り江の崖であった、樹齢650年槐(エンジュ)の大木地元の人々にはエノキさんと親しまれている

左に折れて安堂寺通りを東に進みます

この辺りは坂が多い。谷町筋を越えます

一筋目の十字路の五十軒筋を右折れします

五十軒筋を右に折れたところ

直ぐの長堀通り交差点を横断します。交差点を越えた左角にファミリーマートがあり、交差点手前左角に新しい
道標。真っ直ぐ進みます。

五十軒筋の上本町西2の町筋を進むやがてT字路で、右は空堀通り商店街のアーケード、街道は左に折れます

左角に新しい熊野街道の 道標

左に折れて、数十m先で初めて筋を右に入る。右に折れる左側に歯科医院があります。

曲がり角から振り返って空堀商店街を見る

右に折れて細い旧道の緩やかな坂道を下る街道情緒が残る

懐かしい街並み

左、上町中学校の塀沿いに新しい熊野街道の 道標

中学校のすぐ先の交差点を横断します左に少し入ると浄土宗 大念寺

この辺りは寺内町で数えきれないほど沢山のお寺があります

街道を南に進みます

左に熊野街道の新しい 道標

谷町七丁目で少し道が狭くなり街道沿いに楠大木 楠大明神

楠大明神のところですぐ西側の谷町筋に出ると

谷町筋沿いに国指定史跡 近松門左衛門墓 があります。かつては法妙寺の境内であったが寺が市外に移転した、墓は窮屈な場所の中にあります

この付近にあったという、郡戸(こうづ)王子 の場所は確定されません。碑も建っていません、近くにある高津神社に現在は合祀されています。 とにかくこの付近一帯には何十寺というお寺が建ち並ぶ寺内町で一応歩き巡りましたが、全て載せていると大変なので、街道沿いと一部のお寺を除いて省略します。

街道上汐1、右谷町筋沿いに日蓮宗日近山 正覚寺

南側に並んで日蓮宗栄久山 妙光寺

さらに南に並んで本門法華宗 久本寺

谷町8丁目交差点を西に横断して一筋目 禅林寺 江戸時代の浪速の名医、古林正温の墓所

少し南に進んだ左に 臨済宗龍吟山 江国寺

道を挟んだ東側に日蓮宗寶聚山 圓妙寺

江国寺の南側に 本経寺豊竹義太夫の墓所 義太夫節の太夫で豊竹派の始祖、元和元年(1681)生まれ

南側に 久成寺 曽根崎心中お初の墓所

まだまだ沢山のお寺が建ち並んでいます

少し西側に入ると 高津宮(高津神社)創建年代は明らかでないが古社

一帯は梅の名所で橋名の由来となった。橋の下には梅川が流れている梅乃橋

明治の美人画で知られる、北野恒冨筆塚

梅ノ井 江戸時代の名水

石段の上ると拝殿が鎮座している

境内の 相合坂 縁結びの坂

郡戸王子推定地と刻まれた石柱、実際はこの場所でなく合祀 されているだけ

比売古曽神社(ひめこそ)高津神社が大阪城築城の際に移ってくる以前からあった

郡戸王子と高津宮九十九の王子の三番目

高津宮(高津神社)の正門

高津宮から東に出て谷町筋に出ます、さらに谷町筋より二筋東の街道に戻り南に進みます

上汐2丁目の交差点左角に新しい 道標「大坂天満八軒家から2.7㎞」

その先で千日前通りの広い車道に出ます横断して真っ直ぐ進みます

生玉表門の商店街に入ります

中央分離帯のある交差点を横断します。左に歩道橋が架かっています、横断した左角に生魂小学校があるためでしょう。

この人たち車道の真ん中を歩いていたので驚いてシャッターを押してしまった。4人で歩けば怖くない?それも小学校の前で大人が歩道がしっかり設置してもらっているのに常識をしっかり守ってください

小学校の南隣に 長願寺があります

街道の右、谷町筋の西側一帯地区にも生国魂神社を中心にして数十寺社があります。とても回りきれないので巡りません。

左、生魂小学校と上汐公園の間の道を左に折れて突当りの上町筋を右に折れる、突当りのその正面に
高野山真言宗光照山 正祐寺

右に折れると、右手は大阪国際交流センターがあり、その向かいを左(東)に入る、入る右角にGSがあります。少し進んでいくと左に、上宮高校・中学があります、道を挟んだ向かい上之宮台ハイツの入り口に

上野王子跡碑上野王子は大江神社 に合祀されています

街道に戻りますと、左の上汐公園の角に熊野街道 道標

公園内の 

左に天王寺区保健福祉センタ分館を見て進みます

上汐5丁目に入り左に 一心院

その先、左に天王寺局を左に見てすぐ左 真宗大谷派 光照寺

上汐6丁目に入り右に天王寺警察署があるところの車道を右に折れます

右に折れた100m程先で、谷町筋の広い道路、天王寺警察署西交差点に出ます。

そこで少し谷町筋を横断して西側に(寄り道)行ってみます

総本山四天王寺支院 光徳院瑞雲寺 真光院

支院の南側、大阪星光学院高校・中学校の間の道を少し入ると、右に勝鬘院、正面に大江神社があります

和宗愛染堂 勝鬘院(しょうまんいん)
聖徳太子が四天王寺を建立した際の施薬院の後身といわれる、創建年代は明らかでない。一般には「愛染さん」で親しまれていて、映画愛染かつらの舞台にもなった。

愛染かつら  樹齢数百年の桂の木にノウゼンカヅラが巻きついて一体となった愛染かつらの木は縁結びの霊木として有名。

愛染めの霊水
この井戸は常に清浄の霊水が湧き出て、この井戸の水を飲めば愛染明王の御本誓により愛念を叶え、病癒え運を開き給う、古歌に 「ほらぬ井にたまらぬ水の汲みたてて 影も形もなき人ぞ汲む」・・・・

金堂の北側に 多宝塔(国重文) 
593年聖徳太子によって創建されたと伝わるが戦国時代の石山合戦(1570~80)のおりに焼失。その後、慶長二年(1597)豊臣秀吉により再建された市内最古の木造建築。毎年大坂の夏祭りの先駆けとして「愛染まつり」が6月30日~7月2日に行われ人気がある

門前に出て20m程進むと、大江神社の鳥居の左に 愛染坂 があります。愛染堂への参る坂道であった。

鳥居を入っていくと 大江神社

大江神社西側参道からの石段

元の天王寺警察署西の交差点に戻ります

交差点から南に下りますが、谷町線の広い車道でなく、東側に入る旧道を進みます

入り口右に新しい熊野街道の 道標 「大坂天満八軒家から4.1㎞」

すぐ左に妙覚寺塀際に 題目碑

左に大江小学校を見て、街道・四天王寺への街並みを進みます

左に四天王寺の  乾門

西大門(極楽門)

左に四天王寺高校があります

そのすぐ先で25号線の車道交差点に出ます。街道は横断して真っ直ぐ進みますが。交差点手前を左に折れるとすぐ

四天王寺の鳥居が見えます。四天王寺
推古天皇元年(593)に、聖徳太子が創建の我国最初の官寺。昭和二十年の空襲で伽藍の大部分が焼失。その後再建された。

鳥居を潜るとすぐ右に 引導石と大きな五輪塔 四天王寺四石の一つ

西国巡礼三十三度行者満願供養塔

四天王寺は街道歩きで何度も寄っているので、今回は深く入らない
交差点を横断して南へ、右はトンナビル、左は四天王寺病院の間を進む正面にアベノハルカスが見えてきました

交差点より東一方通行の左を見ると、左に長い四天王寺の塀とその先、南大門

街道沿いの四天王寺で賑わっている古いお店が並んでいます縁日の時は凄い人です

100m程先で西一方通行の交差点を横断します

更に100m余り先で右の谷町筋に合流します歩道の右に新しい熊野街道の 道標

谷町筋をみなみにすすみます

谷町筋の右一帯は、茶臼山古墳・天王寺公園・さらに西に天王寺動物園があります

暫く左側の商店街を進むと、天王寺駅前に出ます。正面左に高層あべのハルカス

天王寺駅等駅開発で熊野街道は完全に切れています左天王寺駅

天王寺駅前から交差点を渡りあべの筋に出る大きな歩道橋

歩道橋より谷町筋の北を見る

歩道橋より西北、動物園方面、通天閣も見えます

歩道橋より西方向新今宮、萩の茶屋方向

歩道橋より東方向、右 近鉄阿部野橋駅、左 天王寺JR天王寺駅

歩道橋よりこの先の熊野街道に沿う、あべの筋、阪堺電軌上町線が沿って走ります

熊野街道紀伊路 1日目昼から歩き始めてやっと天王寺駅で終わります。かなり横道にそれたので時間を取りました先が長いので慌てず進んでいきます

次の日はコチラ

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