熊野古道 大辺路 3日目

2025年1月19日

2025年1月18日~21日
1月18日 午後自宅出発 田辺ホテルにて宿泊

1月19日(1日目)
周参見駅~馬転ぶ坂~長い坂~見老津駅前~江住駅前~和深駅前~田子駅前~田並駅の南
田辺のホテル6時15分に出発して、田辺駅6時24分発で周参見駅7時13分着冬にしては温かい一日でした。

周参見駅 7時20分スタート

前回下地踏切を渡ったところで終わり、本日の起点

そして国道42号線に合流します

国道の右に 串の戸石碑群九基の石碑 の幾つかは、この付近各所に散在していたのを集められた。右より 

1、向かって右より 尤廷玉之墓
安永9年(1780)千葉県に漂着した中国商船の乗組員78名が幕府によって中国に返される途中周参見で港で病気で死亡、紀州藩主徳川治貞によって墓碑が建立された。

,不明の碑
碑文が摩耗している
3、徳本上人の塔
4,正念元心居士
周参見の三良左衛門氏房の墓碑、庄屋となり周参見一帯に防波堤を気づき津波等の災害を防いだ
5.平運丸関係四碑
北海道に移民する薩摩藩の鉄船。明治四年台風により周参見港近くで沈没、多くの犠牲者が出た関係の碑

浪越の坂を上ります、切通になっています坂を上った先で、左への山越えの旧道があったようですが逸しました

先から振り返ったところ左 小串の浜

旧道は国道から左に山越えをしてこの辺りの国道に出ていたが、逸してしまった左は、大串の浜

左に生コン工場があります。今日は休日で工場が動いていなく静かだったが、平日なら工場内を歩くのは迷惑が掛からないよう注意が必要。工場の中を左斜めに横切る

しましょう

工場内を横切るとその奥の道を入ると、石段が現れます、狭い急な石段を上ります 馬転坂への入口

ロープを垂らした急な足場の悪い旧道です確かに馬転坂の名前の通りです

少し厳しい急坂を進むと古道らしい快適な道になりますこの辺り 馬転ぶ坂地蔵の壇 という

案内板も立っています

歴史を感じさせる古道を進んでいきます緩やかな下り

見晴らしの良い場所に出ました

見晴らしの良い場所に出ました

雑木の中の細い道を進みます

案内板があり間違わない

左に大きな岩があります

丸太で橋を造った谷川を渡ります

少し荒れたところがありますが

少し前方が明るくなっています

狭い木橋を渡ると前方に海が広がります、正面下かなり低く、国道がその左上を暫く進む

右が危険なので金網により防御されています。フェンスが過ぎたところで国道を右に見て左に入ります

長井坂 に入っていく辻の案内

石橋を渡ると左の西谷川に沿って左に折れる。西浜バス停の手前

暫く左の西谷川に沿って進みます

杉林の中の舗装された綺麗な旧道緩やかな上り坂です

童女供養碑 なのかよくわからないが

振り返るとかなり登ってきました

少し平らになって大きな木が茂っています

すぐ左手に「タオの峠」入口の案内板が立っています。舗装道は真直ぐ進むが、ここから左の山道に入ります

一段上がって、標識が無かったら素通りしそうな雑木林の地道を上っていきます

古道らしい道です

同じような写真ですが、雰囲気を味わってください

タオの峠、 一里松跡 がどの辺りかよくわかりませんでした

やがて前述の舗装道に出ます

舗装道に下ったところにタオの峠西入口案内標示 

同じ標識に長井坂西登り口の案内

二体のお地蔵さんを祀った 

峠より下りてきたところを振り返る小さな祠らが見えるところ右の雑木林から下ってきた右から先ほど分岐した町道が合流する地点この下の広場はかつての協和小学校跡地

民家が点在する旧道を進進みます

三差路のバス停

追分の辻を真直ぐ進む

細長く点在する集落を進むと、右手に面白い形をした変わった家があります

本来の古道はこの辺り左に入り、集落の裏側の山裾を抜けていたようですが、私は見逃してしまった

暫く歩いてから民家の裏側の少し高い古道をふり返ってみる古道が残っているようです残念

熊野古道の標示、やはり左上にあったようですが残念です

その先で再度振り返って山裾の旧道を探す、かなり厳しくなっているようですが冬だから歩けるようです時間に余裕があれば戻って挑戦したいが着く予定が分からないので止めます

やがて旧道を抜けたところで左に 和深川王子神社 寛永2年(1625)創建。王子神社と春日神社が合わせ祀られている。宮の杜には大きなナギ・ムクの木が立っています大辺路に残る数少ない王子社

石灯籠 弘化3年(1846)、石造り手水鉢 弘化4年(1847)

神社から暫く進むと、右に線路が接近、少しわかりにくいが路線橋があります、そこを右に入ると、直ぐ道なりに右にカーブしている左手斜面に、徳本上人の碑 あります

直ぐにそこは古道の名残で、丸山の掘割 があります、往時はこの道でしたが、鉄道で消滅し掘割だけが残っています

舗装道からの入り口で、路線橋があり右にカーブしています

元の街道に戻り400m程進むと、道なりに左に折れます右は和深川、正面に高速自動車道が見える

高速道路手前、標識のあるところで右の和深川を渡るため、狭い急坂を下る道があります
長井坂の西の登り口です。別名長柄坂とも呼ばれ、これより見老津長井谷の谷口に至る4.5㎞の峠道下りきると川を渡る鉄橋が架かり対岸に渡ります

和深川

橋を渡ると石畳の少し残る古道を進みます

綺麗な杉林の中を進みます

木の根が張って古道を彷彿させる

まだまだ見老津まで4㎞もある

でも素晴らしい古道です

風吹峠、枯木灘が遠望できる

右への下りは道の駅への分岐

この辺り長井坂トンネルの上あたりと思われる

緑のトンネルのを抜けていきます

段築 鞍部に土を土手状に積みアップダウンを少なくしたもの

ようやく1㎞、まだ3.5㎞もある

段築(だんちく)

馬の背のような段築の古道

右手に枯木灘の陸の黒島、沖の黒島が見えます
この辺りが、長井坂の最高峰(標高約320m)

対抗が出来ないほどの狭い古道

段築が続いています

同じ言葉しか出ない疲れが出ないほど素晴らしい古道

見老津上口2㎞もう少し、これだけ案内標示があれば一人歩き本当に助かる

右手の視界が開け景色が最高

下り道に入ります

見老津上り口1㎞ですが、左からの舗装道県道大附~見老津停車場線とこの直ぐ先で合流します山の中の古道は終わったよです

標示を右する

石の道標  「みぎハ やまみち ひだりハ くまのみち」
茶屋の段 平坦で広くなっているので茶屋があったのか

右手に鉄塔

よくわからなかったが茶屋の壇があり、その手前でもう一つの225号線が左から合流していたようですわからなかったが

この先で右に入る古道があったのかよく分からないまま下って行きました。

多分古道を逸したようで止む無くそのまま下って行きます

紀勢自動車道を潜るが古道は資料では潜らず、右の山道を越えていたようです

残念ながら広い舗装道を下って行きました

やがて見老津第2踏切に出る長井坂東の登り口

少し先から踏切を振り返る古道の下りは向かって左の山中の道を下っている、何処で間違ったか長い坂最後の下り失敗

右から国道42号が合流。見老津駅が左手に、右に海が広がり気持ちがいい。国道沿いにイタリアンフレンチ喫茶があったので少し気持ちの切り替えのため休憩

左山裾の古道が消失しているので国道を少し歩く。見老津の集落入り口に、見老津の 地蔵尊 と祠安政6年(1859)「六十六部廻国碑」と二体に地蔵とお堂、左側は 道標地蔵

暫く右下の国道と並行して進みます

国道の左の坂を少し上ると、左から消失した古道、かつての殿様坂が合流してきていたに入ります

途中右の生活改善センターの敷地は、かつての 二含役所跡
再び右からの国道に合流します、振り返る

暫く進んだところで、国道を左にして右の下る道を進む

緩やかな坂を下りながら少しの間左の国道を右に迂回しますそして再び国道に合流してまっすぐ暫く進むが、かつての古道は国道より右の海岸沿いを進んでいたが今は消失しています

やがて分岐します、国道は左へ、右は童謡公園から江須崎への道、旧道は国道の右の雑木の狭い道を進む

正面右の道は分岐する真中の道で、そのすに古道標識があります

標識の細い道

前述の舗装道が左にカーブしてきたところに突き当たります正面に 江須ノ川坂の地蔵

突当りを左に折れて、すぐ右にカーブする右に 三木の地蔵

その先左に分岐する角に 追分地蔵 「右 わかやま道」

右に海岸を見ながら暫く進む

左、松の内地蔵、梯子を上ると 大師堂 地元の人たちがその近辺の大掃除をしていました

江須崎の遠望

その先で国道のガードを潜り、線路手前を道なりに右へ進む

その先で右からの国道に合流して少し進むと左への分岐があり左へ

その先で右にカーブして、右の国道と左への道路の交差点に出ます

再びその間の旧道を進む、緩やかな坂ですが御待坂と呼ばれているところで国道に突き当たり左に折れて進みます

国道に沿って少少し進みます

少し進むと、正面に大きな岩があり、道は分岐しています当然旧道は右の道で、岩を迂回して再び国道に出ます

右に旧道を入ると 藤屋の地蔵

再び左に迂回した旧道は国道に合流します合流して国道を横断した左に 地蔵さん

国道は右にカーブしていく、横断した左にJR江住駅

江住駅前から線路を左に江住川に架かる江住橋を渡る。すぐ先で右の細い道に入る。右にもと、二分口役所跡の江住公民館を見て、道なりに進むと突き当りを右に折れます

やがてまた右の国道に接近するが、国道の左側の旧道を進みます

そして左の細い道に入ります

急坂の登りでJR線のトンネルを潜る、左に案内標示があります坂の途中の滝の地蔵を見落としました

トンネルを潜った先の下り道国道に出る直前に 休ん場 国道に出た先で横断して線路沿いを少し進んでいたようですが旧道今は消失しているようです。国道を進みます

その先でまた左の国道を越えて左に迂回する短い道があったようですが逸した。国道を左右に旧道は迂回していたようです。そのような状態でうろうろしている間に、国道右に 宇の平見地蔵尊 があったようですが見逃しました

その先、国道より右の細い古道がありますので下ります

坂を下って行くと右に線路が接してきます十分注意して線路を渡る渡った先、数戸の宇の平見集落を抜け国道に出る手前右に道がありますが、真直ぐ少し雑木林の中を進みます

中の平見の古道

そして国道に出ます古道は国道を横断して右にカーブする短い迂回路であったようでが消失しているので国道を歩きます

国道に出てきたところから今出てきた雑木の中の道を振り返ったところです

少し進むと左に小さな標識があり、星野台侵入口を入ります

住宅地の坂を下りながら右にカーブします

下って行くと国道に突き当たり、国道を左に折れます カツエ坂

この辺りの古道も含めて、後で資料や写真整理しているが、どのように歩いているのかよく分からないので、間違っていると思いますがお許しを

大平見地蔵尊の祠地  蔵の所で国道の少し左に古道が少しあったようですが今は消失

国道を暫く進む

やがて国道は左へ離れて先で、川を渡り右にUターンしてきますが。古道は右に海に向かって進む

古道はかなり荒れています。

浜辺に向かいます

浜辺に近づいたところで左に折れています

小さな川の橋を渡って山型に右に進み国道に出ます。実際平見地区の古道は大半消失していて、歩きましたが資料整理してもよくわかりませんでした。この先も直ぐ国道に出ず北のJR線辺りまで大きく迂回していたようです。悪しからず

そして大きく迂回してきた古道は、国道42号線をを横断して、写真の正面、岩根山の麓にあった住吉神社を通って、六坊浜で岩根山の山裾を越えて国道42号線に抜けていた。

六坊浜の神社跡 辺りから岩根山を抜ける古道の道跡が残る

この先、和深駅までの古道も42号線にそって蛇行を繰り返しているのでよくわからない。和深駅前までは古道も残っていたのだが、熊谷バス停の傍の金毘羅の祠までは国道を歩いたので写真が残っていない。岩根山の先国道を進むと、左にJR線の西側トンネル口をみて、国道は右(海)にカーブをしています。そして浜辺を通って左にカーブしてJR線のトンネルを抜けた東口近くの線路に出ています。古道は右に折れたすぐに左に直線的に東側に抜けて、国道とJR線の間を進んでたようですが、そこから雨島の掘割を通り、国道を右に分け数戸の集落から木ノ本神社に出て下り、雨島のバス停に出ます。そこから熊谷バス停まで国道を進む。この間、国道を歩いたのか、古道を歩いたのか失念しています。

熊谷バス停の傍、海際に鎮座する 金比羅の鳥居と祠

熊谷バス停の お地蔵さん

すぐ先に見えるJRの高架を潜る

国道を進んでいきます

すぐ先で分岐しているので左の道に入ります。通行止めのフェンスがありましたが通過

新しい住宅地の中を300m余り進んでいきます

やがて42号線に出るので国道を潜ると、見落としそうな和深駅前に出ました

和深駅前を東に100m弱の先で、左に折れて、和深川を右に渡り、すぐの二股を右へ坂を上っていきます。

国道42号線を横断した先で右にUターンして再び国道とJR線のトンネルの上を越える

その先で分岐するので、左の道に入

東平見集落内の道300m程進みます

やがて先ほど分岐した道が右から合流するので左に折れます、この辺りに 二分口役所跡 真直ぐ先に船波港がある

石の祠

左に折れて緩やかな坂を上る

JRと国道のトンネルを潜ります

そして国道に出てすぐ横断して左に入ります案内標示がありますのでそれに沿って進む

分岐する左への新田平見道の入口があります

石畳道の古道が現れます

新田平見道の案内板が立っていますどのように歩いたかよく覚えていませんが、古道に間違いがないと思う。新田平見道を暫く進みます

谷川に架かる橋を渡る

標識もあるので間違いありません

まもなく古道も終わります

突然この先古道が無くなり大改修されています綺麗にしていますが、古道を歩いてきたものにとっては何が何だかわからない

石段を上った処から振り返った古道の林後で調べたら一般国道42号線すさみ串本道路(19.2㎞)令和7年春開通の大改修工事で古道を分断していたのだ

新しい車道が造られていて、数年後は方変わった景色にかわることだろう

熊野古道の案内標示が立っていますがどこに立っていたかうまく説明ができない

案内標示に従って進んでいきます

この付近に、安指平見の大師堂や一里塚跡があるのですが確認できません

やがて石段があり下ります

下の道を左へ

そして安指橋を渡ります

安指橋を渡って右折れしてJR線の線路下を潜り突き当りを左に折れて国道42号に合流します

200m程進んだ先で分岐しているので国道を右に、細い左の道を進む。
更にその先で左への細い道を入りJR線の下を潜り北側から墓地に行きつくが、荒れているので果たして抜けることができるかわからないので国道を進む安指バス停に出て国道を暫く進む

やっと田子駅に着きましたが

江住~和深~田子、まで私としてはこの区間消化不良でした。再度時間があれば歩いてみたい区間です

田子駅から東に進み直ぐの右手のJRのガードを潜り42号線に出ます。直ぐ分岐を左に42号線を迂回しますすこしで右の42号線に合流して200m程進むと

田子川の手前が三俣に分かれています。

一番左のJR高架を潜る道を進む

150m程先で右の田子川を橋で渡ります

途中岩の上に小さな 石仏がのっていて、あたかも岩全体が石仏のようである

細い道に入り、手摺の付いた石段を上がり林に入ります多分JR線のトンネルの上あたりのようです 富山平見の石畳道の古道に入る

いろいろ考えていたら、資料が一向に前に進まないので、この先は古道を間違っているかもしれないが、自分の歩いた道に沿って掲載していきます。年がたつにつれて古道の姿も変化していくようです。

かなり荒れているがロープが張っています

規模の大きな石畳道と資料にありましたが、土に埋もれたか、崩れたか歩いている限りではなかった

富山平見道は途中で消失しているのか、舗装道に出て南に下りました。

国道42号線にでて海岸線を進むます

かつての古道は、左の山手から下ってきていたようです

途中に お地蔵さん この辺りの国道は歩道がなく車も多く、余りよそ見をしていたら危険

暫く海岸線を江田まで進みます

江田に入ると 徳本上人名号碑

徳大明神社

海岸線を左に大きくカーブして暫く進むと右にカーブします、その右手に 浦氏屋敷跡大庄屋 で二十二ヶ村の年貢倉庫跡も残る

右手は江田漁港海沿いの国道を暫く進む続いて野瀬漁港を進んでいきます

夕暮れが迫ってきました石垣のある辻で国道と分岐して、左の道に入るがすぐまた右の国道に合流、

きょうの熊野古道歩きはここで終了します。 17時30分すっかり暗くなりました

直ぐ近くの田並駅で串本行き18時03分に間に合った。本数が少ないから乗り遅れていたら大変串本駅前で泊まる

きょうは田子駅の予定だったが、田並駅までこれた、明日から少し楽になるが、石仏など殆ど見落としてしまった。古道も変わってきているし、国道は車が多いから歩くのが精いっぱい。でも歩けたから満足。

         57.846歩  34.70㎞  1.873kl
よく歩きました

次の日はコチラ



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