熊野古道 紀伊路 4日目

2014年8月31日

JR長滝駅から前回の続き、長滝西交差点へ7時スタート。今回は和泉鳥取までだから短い区間
       長滝駅   7時00分 スタート
     和泉鳥取駅  12時10分 着
            27.759歩  16.6㎞

長滝西交差点~樫井古戦場跡~信達~和泉鳥取駅

長滝駅から前回より少し北側の道を進みました 浄土宗日照山月光院 清福寺 根来寺の末派であったが、天正十三年根来  攻めで焼失し、慶長二年に再建された。

前回の長滝西交差点よりスタート真っ直ぐ西に進みます

安松南交差点を横断して真っ直ぐ条里地割の旧道は伸びています

泉佐野市立長南中学校手前右に 安松八丁畷の石地蔵 正平十八年(1363)の古い銘

中学校前を過ぎると左に道ノ池(街道沿い三つ目の同じ名前の池)、右に樫ノ池があり、その間を街道は抜けている

左(南)の道ノ池

右(北)の樫ノ池

池の先の街道

泉佐野市南中樫井町その先右に少しカーブする左手に

塙団右衛門直之の五輪塔
慶長二十年(1615)大坂夏の陣の樫井の合戦で討死した大坂方の武将。時に48歳五輪塔は寛永八年(1631)の紀州藩士小笠原作右衛門が造立し、石灯籠は、塙団右衛門を討ち取ったといわれる、紀州藩士浅野氏の家臣八木新左衛門の孫が奉納した。250回忌(1868)には、塙団右衛門の子孫の桜井氏が補修し周囲を整え、当地の観音寺に位牌を納めた

すぐそば街道右側に、いづみモータースがあります、その手前を右に入った、モータースの裏側、民家の庭に
籾井王子(樫井王子)跡碑

すぐ先右に長い白塀に囲まれた大きな旧家 奥家住宅(重文)北側に回り見た奥家住宅

奥家の白塀が見事で振り返る近世の街道筋がよく残る街並み

すぐ先右に、淡輪六郎兵衛重政の宝篋印塔
塙団衛門らと共に樫井の合戦で討死した大坂方の武将。淡輪氏は古くから和泉国淡輪(現岬町)の豪族であった。六郎兵衛の姉は豊臣秀次の側室の小督局。

この宝篋印塔は寛永十六年(1639)25回忌にあたり淡輪氏の末裔の本山氏が建立した

西側には 浄土真宗 正法寺

そのすぐ先の大正大橋交差点を右に入ったところに 

浄土宗 観音寺

交差点に戻り真っ直ぐ進みますその先右奥に 日枝神社

日枝神社の先、街道を少し進み十字路を右に入ると 浄土真宗 福正寺

その北側には 若宮神社

街道に戻り西に進むと明治大橋信号交差点に出ます

左に折れて樫井川に架かる明治大橋を渡ります。その左の川沿いに 樫井古戦場跡碑 が立っています

大坂夏の陣の激戦地で 樫井合戦 といわれる。元和元年(1615)四月二十九日この地で展開された。大坂方が大野主馬を大将に二万余りの大軍で、徳川方の和歌山城主浅野長晟の軍勢五千との対戦で大坂方が大敗を喫した。これを境に五月七日遂に大阪城も落城した。

明治大橋をわたりますが、かつての旧道は、今の明治大橋の北の袂を堤防に沿って少し西側から西南の樫井川と新家川が合流する辺りを渡河していた

この橋の袂堤防辺りから西へ、対岸のゴルフ練習場あたりへ進んでいた

樫井川の古戦場 橋より西側

橋より東側

明治大橋を渡り南へ進む

樫井川へ合流する新家川に架かる明治小橋を渡ります

橋の手前左に 

新家川の右(北)側

泉南市信達大苗代地区に入ります左に古代史博物館、右に 海会寺跡の杜

海会寺跡

7世紀初頭から9世紀にかけ200年以上の間、古代の人々の集落があり、海会寺は法隆寺式伽藍配置のお寺で、その周辺には集落ができ、有力な豪族が支配していた。

近くにある 市杵島神社

牛神神社

一岡神(一丘)神社

厩戸王子 を合祀している

一丘神社の西角を右に折れます左にヒュース一丘壱番館があります

その先で細い地道を左に折れて130m程進むと十字路に出ます。その右角に

厩戸王子址碑 が立っています

横の道は途中で消失していますが、前述の明治大橋のところから、川を渡渉して前方の林を抜け、ウイングゴルフ場の袂の道を抜け、ここへ厩戸王子の前に来ていたようです

少し入りましたが50m程は畑の道として残っているようです。少し入って振り返ったところ

厩戸王子跡から南に200m程進みます

再度振り返る、左擁壁の上は墓地

王子の十字路から250m程南に進むと、バス停のある交差点に出ます。熊野街道は横断して右斜めに進みます。交差点で右から 紀州街道 が合流します。ここから重複して和歌山の山口宿まで歩きます

信達宿】に入ります

街道沿いの角谷氏宅はかつての 本陣跡

右からの道と合流した辻の右手に 浄土宗 了安寺

信達宿の街並みを進んでいきます左に少し入ると大きな海営宮池が広がります

一丘団地口信号交差点を横断します

交差点左に入り右手に海営宮池です

宿内右に 浄土真宗 弘誓寺

その先100m程の十字路左手前角に、灯籠二基と長慶寺の道標 が立っています。信長街道 と交差する十字路です

十字路を左に入り【寄り道】をします左に入るとすぐ左手に 浄土宗 真如寺

徳川吉宗御植樹、貝塚いぶき木 樹齢三百年以上、紀州徳川家の御用達の旅宿として使用されていた

前の道をさらに東に進むと、右の坂を上る左手に 市場子安地蔵堂

坂を上っていくと左に石段が 真言宗泉涌寺派金泉山 長慶寺 神亀元年(724)創建の名刹、本尊如意輪観音

100段の石段を上ると立派な 仁王門 が質素であるが重厚な門

更に石段を上り詰めると三重塔が聳える 本堂、開山堂、多宝塔、三重塔、唐様裳階付三重塔

街道の十字路の辻に戻り、右に入っていくと 市場稲荷神社

灯籠のある十字路より街道を進む右にJA大阪泉州信達

信達牧野

左に 地蔵

街道の面影が残る信達の街並みが続く

信達牧野信号交差点に出ます、左に行くと和泉砂川駅へ交差点の先の街道

明王山 往生院
白鳳八年(680)天武天皇の勅願により、行基の師道昭創建の名刹。かつては五丁四方の寺域を有したが信長の根来攻めで焼失。その後寺域は縮小された。

寺より少し先で大鳥居交差点に出ます熊野街道と交差、左右の道は 根来街道

大鳥居 の交差点を左に200m弱いった線路手前に 信達神社御旅所 があります

交差点に戻り200m程先で右に 地蔵さん 背後には上池永寿池と下池があります

地蔵より少し歩くと右に

ブロック塀に囲まれ大きな木の袂に

馬頭観音 など祀られている所が 一ノ瀬(信達)王子跡

王子のすぐ先、左にサンマ池がある角で道は分岐します、分岐するところに
道標 「☜迎四国八十八所躑躅山 林泉寺」  横の小さな 道標「左 あたご(道)」

この分岐道を左に行けば、林泉寺を通る熊野古道で、右の真直ぐの道は、岡中の道光寺池の手前で左に入る、紀州藩主の参勤交代道として新しく整備された熊野古道(紀州街道)でどちらも旧道である。その先で分岐した二つの道は合流します

分岐の手前の道を右(真西)に300m程行くと 久保神社 があります

 まず左の旧道を進みます、左にサンマ池に沿って坂を上っていきます

やがて左にカーブしながらJR阪和線を高架道路で越えた左に池があります。坂を上りながら、其の先でも左に小さな池を見ます。やがてT字路に出て右に折れると、左に

聖武天皇の勅願により天平年間に行基が開山したと伝わる真言宗の名刹。
真言宗御室派躑躅山 林昌寺 本尊は阿弥陀如来、平安時代以降大伽藍を要していたが、天正年間に兵火にあってことごとく堂宇は焼失した。江戸時代に入り再興された

山門の傍に建つ、「補陀洛渡海碑」は貴重なもので、向かって山門の右手前。永禄八年(1565)に銘

法林の庭

林泉寺の躑躅は有名お寺の背後の愛宕山山頂(標高90m)には、鎮守愛宕権現社 があります

道標 「右 あたご山・・」

四国八十八ヶ所と刻まれた 常夜灯

林泉寺から西に400m程進みます

 ここで一旦中断して、前述のサンマ池の分岐まで戻り、右の真っ直ぐの紀州街道(熊野街道)の道を歩いてみます。
分岐より真っ直ぐ坂を300m程上ります

道光池の手前、岡中信号交差点を左に折れます

右に道光池を見ながら緩やかな坂を下ります

右の池が切れる左に 林泉寺参道の道標

すぐその先でJR阪和線の高架を潜りその先、南に岡中の集落を進んでいきます

集落の中で東からの旧道が合流してきます。この辻が前述の、① 林泉寺からのもう一つの熊野街道です。

 合流地点の角に大きな 道標 「是より・・・・・・・・」

数十m先で街道は右(西)に曲がります

右に折れたすぐ左に 岡中鎮守社

境内には周囲を圧倒するような大木昔、この地に樟・槇・松・銀杏・榎・椋の大木に覆われ昼なお薄暗く、高城の宮と呼ばれる社がありましたが、明治の終わり頃に鎮守社の大木のほとんどを伐採されましたが、幸い 樟と槇 の木が残りました。楠木は樹齢八百年以上、槇はさらにそれよりも古木であるといわれている

歴史の古さを感じさせる 墓石群

200m程進むと金熊川に架かる西出橋を渡ります

金熊川の西出橋からの眺め 橋の右(西)

橋の左(東)

橋から200m程進むと63号線の広い道の交差点を横断します

交差点の先更に200m程で左からの30号線が合流して進みます

合流した先、左に鬼来池があります、緩やかな坂を上っていきます

池のすぐ先で道は変則四差路になっていますが、真っ直ぐの道を進みます。

続いて200mほど先、左にイムラマンションがある角を道なりに左にカーブします。左にカーブすると、左側の濁池を見ながら150mほど進むと。
左には濁池があります

池の土手に 石碑

一つ目の分岐道二階建ての家の手前で右に折れます。右に折れて道なりに左にカーブすると右側にJR阪和線が見え、和泉鳥取駅が見えます。

右前方に鳥居が見えます。鳥居の右下にはJR阪和線の和泉鳥取駅があります

太神社伏拝鳥居 を駅側に降りて見上げたところで、波太神社 はここから西2㎞あたり、今は見えないがすこし高台だからかつては望めたのだろう

鳥居の下に、雑草に覆われそうな「南無阿弥陀仏」と刻まれた 石碑 場所は確定できないがかつてこの付近が
長岡王子跡 であった(碑もなし)

鳥居のところで車道は真っ直ぐ進み山中川に架かる山中橋を渡っている。和泉鳥取駅へは右に下る。古道は分岐している左側の車庫の前を入る。ここは熊野古道の難所の一つ「琵琶懸」の名所である。途中危険なところもあり、雨等の日は琵琶懸けを抜けるのは危ないと思います。

本日は短いがここで終了して、和泉鳥取駅から帰宅する。
この先の道は、紀州街道を歩いたとき2010年7月10日(岸和田駅~和歌山城)・補足で9月15日(和泉鳥取~和歌山城)、2回歩いていて重複するので、その時の写真等街道を引用します。
          12時10分着  27.759歩  16.6㎞

次の日はコチラ

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