2014年11月16日
JR和歌山線布施屋駅へ、時間の割にはあまり進まなかった、街道沿いの神社仏閣を見学しながら、また中筋家住宅が見ごたえありゆっくり見学したため。
JR和歌山線布施屋駅 7時00分 スタート
海南駅 16時40分 着
44,635歩 26,78Km 1,930kl
JR布施屋駅南前~矢田峠~伊太木曽神社~海南市の汐見峠~海南駅
JR和歌山線の布施屋駅

前回の地点近くの、紀ノ川の堤防道路から、布施屋の渡し場跡から対岸の川辺の渡し場方向を見る

堤防の旧24号線、西の川辺橋方向

堤防より右の旧道を入ります、正面の建物はライオンズマンション

堤防から下りてきて、大和街道との合流点から布施屋の渡し跡付近を振り返る

合流点のT字路右角の案内表示

T字路に出た大和街道の和歌山城下方向の旧道

T字路に出て左に折れます、暫く大和街道と熊野古道紀伊路が重複します。左にオークワ食品工場の前の街道を進みます

暫く歩いた先から振りかえる。右に見えるはオークワ食品工場。後世の熊野古道は正面の大木を右に降りて布施屋駅の南に出ていたようですが、今回はそれ以前の古道を歩きます

合流点から300m余り先で小さな川を渡ります

そこからさらに300m程進むと、熊野古道は右に下る道に曲がります。

大和街道はここで分れて真っ直ぐ進みます。右に折れるとすぐ、JR和歌山線の吐前踏切を渡ります

踏切から200m程先右街道沿いに 吐前王子跡(はんざきおうじ)

説明板と自然石の碑が立っているだけ

吐前王子跡を見て狭い集落内の道を南へ250m程進んで行きますT字路に出ますので右(西)に折れます

右に折れた街道

右奥に 極楽寺

境内の 祠

右に 浄土真宗 明光寺

隣に お福神

街道を少し進むと右に大木が見えます

大木の傍に 布施屋観音寺
かつてこの付近残らず焼失の時、本尊十一面観音像のみ難を免れ同村の正念寺に奉移したが牛馬の病死が相次ぎ祟りではと恐れ、正保四年(1847)堂を建て本尊を元に移した後は、平安無事になったという

傍に 延命子安地蔵

さらに西へ進み小さな川を渡ります

川を渡ったすぐ左奥に 浄土宗 光恩寺別院

その先、数十mで十字路に出ます。右から前述の近世の熊野街道がここに出てきています。かなり近回りの道です街道は左に曲がります

さらに数十mで左に曲ります。正面に熊野古道の案内板あります。右すぐに布施屋駅です
前述の新しい熊野街道はこの辺りに来ていました、かなり近道になります

布施屋駅を背にして左に折れた集落内の古道を西へ

200m程先布施屋集落の右側三角地に 川端王子跡 左の道を真っ直ぐ、左に布施屋保育園があり


川端王子跡から200m程先の分岐に案内板

案内板のあるこの分岐を右に折れます(間違うので注意、先で合流するが)

その先250m程で十字路を越えます細い古道を道なりに真っ直ぐ枝道に入らず進んでいきます

集落を抜けるとやがて生け垣や田畑の中でT字路に突き当たりますので左に折れます

案内板が立っています

T字路を右(北)に折れてJR線の小栗橋踏切を越えると小さな小栗橋に出ます。300m程先で紀ノ川の堤防に出て川辺橋の500m程西あたりへ紀州街道に出ますが、

T字路に戻り南への古道を進む左からきてT字路に突き当たりました、右に案内板さすが熊野古道です案内板が沢山あり間違うことはありません

左に折れて250m程先で県道9号線を横断します、その手前で右から小川が迫ってきます

県道を横断して70m程、左に建物右に小川の間の狭い道を進むと、十字路に出ます。右の小川の橋を渡り100m程、左にカーブしながら進む、途中、小川を渡るところの分岐道は左の真っ直ぐの道を進み、すぐ先で再度小川を渡ると宮井川に架かる宮井橋に出ます。川の手前の道を宮井川に沿って右(西)へ

和佐関戸地区です熊野古道の案内板が立っています左から出てきました、右(手前)に折れます

左の宮井川に沿って80m程進むと

一つ目の橋が左にあります、さらに100m程進むと二つ目の左に橋があるところで道は分岐します、左に橋を渡ります、渡った左角に井口酒店があります。橋を渡ってすぐ今度は右に川に沿って進みます




二つ目の橋に出たところです、この橋を左に折れて対岸を右に

橋の手前右に 赤い鳥居とお堂

橋を渡り川沿いに進む橋上に熊野古道の案内板

50m程先で、交差点に出ますが真っ直ぐ、右にあいのくち橋

交差点から100m程進むと左に和佐郵便局があります。宮井川は西に離れていきます

郵便局の辻を左に入ると 浄土真宗 報徳寺

古道を少し進むと右に和佐小学校があります、そこから振りかえると大きな長屋門のある旧家が見えます

和佐小学校の前、古道沿い左に 石碑と小さな石仏

小学校を過ぎた右に付近の地図が立っています


地図に見える 高積山(標高237m)の遠景

【寄り道】ここで左に入ります。臨済宗 歓喜寺
十三世紀後半に建てられた密教系の寺院であったが、和佐荘内の薬徳寺に吸収された後、寺名が変わった。鎌倉から南北朝にかけて熊野古道参詣者の便宜をはかるため接待所の施設となっっていた。境内には、びゃくしんの大木が立つ

境内の 六地蔵

お寺を下ってきたところの辻にある お地蔵さん

お寺の北側にある 高積神社下ノ宮

神社は、和歌山市の東部に南北の続く和佐山連峰の北端に聳える「高積山」(標高237m)に位置する。
高積山神社本殿のある上ノ宮と山麓にある遥拝所は下ノ宮と呼ばれ、人々の信仰が厚い、特に疱瘡(天然痘)流行の節は、県内外からの参拝者が絶えなかったといわれる。なお、和佐村内に点在していた三十数ヵ所の神社が明治四十三年にこの神社に合祀された。
当神社山頂まで約八百m登ると景勝で、北は紀ノ川の帯の流れ、西は和歌山市内は足元に見え、遠く淡路・四国まで一望できる。東は竜門山・高野山と、南は生石山や有田の山波が続いている。
大正十四年、本殿前のすぐ北の平地で、古銭一万数千枚が発掘された。(県の文化財)また高積山の南、五百米余りに城ヶ峯(標高255m)城跡があり、延文五年(1360)の南北朝時代の古戦場で土塁や空堀が残っている。


山頂、上ノ宮へ上る参道に立つ 道標 「高積神社・自御本殿 是迄八町」
山頂まで時間的に無理でここでやめます

寄り道も終わり古道に戻ります
前方に改装された中筋家住宅が見えます。公開日は3月~11月の間で土曜・日曜・祝日 9時~16時30分

古道右に 中筋家住宅(国重文)
江戸時代末期和佐組大庄屋の屋敷が残る嘉永五年(1852)建築の主屋は、三階の望山楼、二十畳敷きの大広間や広い接客空間を要した紀ノ川流域随一の大規模民家です。
主屋のほか表門・長屋蔵・北蔵・内蔵・御成門の付属建物が国の重文に指定された。現在和歌山市が保存管理している。
中筋家は、天正十三年(1585)秀吉の根来攻めを逃れこの地に移ってきた文貞坊に始まるとされています。貞享四年(1687)4代良政が禰宜村の庄屋となり、寛延三年(1750)5代良重が和佐組の大庄屋になり明治まで、6代にわたって大庄屋を務めた

表門
東西約30mの長屋門形式の門、江戸時代後期の建築で、中央の門構えは総ケヤキ造りで、東側の座敷3室は、大庄屋の役所として使われていた。


主屋
嘉永5年(1852)の建築で、間口22.8m、奥行き25m。平面形は、一部3階建ての取合部を挟んで、西側に土間と台所、北側に20畳の大広間、東側に座敷部が配置されている。

古道沿いから見た主屋の一分、二階建てに見えるが内部は三階になっている




御成門と茶室 北端に設けられた薬医門形式の門。江戸時代後期の建築左が茶室

来客用鉄砲風呂

駕籠

大広間

外から見れば二階建てだが、内部は三階


北蔵 屋敷地の北西角に立つ蔵で、米蔵として使用、江戸末期の建築

長屋蔵
文政十三年(1830)の建築で、嘉永5年の拡大された、南北約30mの細長い蔵。米蔵、農具蔵に使用されていた。 他、非公開の内蔵もあります

西北からの中筋家を見る

西の県道9号線の角にある 祠

中筋家の見学を終わり古道を南に進む、左に 祠 真直ぐ進みます

浄土宗 安養寺 があります

さらにその西隣に 薬王寺

古道に戻り右に駐車場がある西側県道沿いにも大きな旧家 中筋家分家(登録有形文化財)

古道を進むと、右から9号線が合流して来る交差点に出ます。その手前右にも蔵付きの大きな旧家

交差点を横断します、そのまえに交差点を左に折れたすぐ左に

和佐王子址 今は石碑のみです


和佐王子址のすぐ横の案内板に従って山麓に入ると

和佐大八郎の墓(1663~1713)
紀州徳川家の家臣で弓術指南役で貞享二年(1685)京都三十三間堂で13.053本中通し矢が8.133本で日本一の記録を作った武士

交差点に戻り9号線を横断して古道を進みます

右に 道標 「南無大師遍照金剛 右・・・・ 左・・・・」「南無阿弥陀佛」

道標の前から振り返る

左に金池があります

左の池に沿うとトンネルがありますが、古道はその手前の矢田峠登り口案内板の所を右に入ります


少し階段を登り上の県道に出ます

すぐ先で県道を右にわけ、左の竹藪の古道に入ります。案内板が建てられています矢田峠への上り道です


左に 地蔵

矢田峠への古道・石段を上っていきます


何も表示がないが長い石段の古道を上ると、矢田峠 だと思います峠は小さな切り通しになっています


峠より少し下っています、熊野古道の案内表示もあり間違っていない

うまく文章で道順説明できないが写真に沿ってください

9号線の矢田トンネルの上を越えている左は竹藪

前が開けミカン畑が広がる

右に役の行者 祠

左の高台に石碑が沢山並んでいる、徳本上人名号碑なのかまたはここが

矢田峠なのかよくわかりませんとにかくここから360度が開けています今、切通を抜けてきた方向を見る。右下には矢田トンネルを抜けた9号線が見えますこの辺りは明王寺地区です

少し坂を下っていきます

右、ガードレールのところで合流します傍に 題目石

碑を右に80m程下ると9号線に出ます。合流して南に進みます

改修された県道9号線

県道改修途中で右の旧道に入ります塩ノ谷地区です

右に入り塩ノ谷の集落を道なりに進んでいきます



左に9号線が接近して、すぐ右の旧道に入ります

集落にはいる細い道の入り口に、熊野古道の案内表示があります

細い旧道を100m程歩くと右に 道標 「左 山東道」


道標の角を少し右に入ると 観音寺

道標の辻に戻り100m程先右に平尾自治会館があり、その前に 平緒王子址


平緒王子址を右に入った山裾に 都麻津姫神社


王子社の辻に戻り旧道風情の残る集落を進みます

その先で小栗橋を渡ります

小栗橋のすぐ先の県道13号線を横断します

車道を横断します

100m程でわかやま電鉄貴志川線の踏切を渡ります踏切から左に伊太祈曽駅が見えます

踏切から60m程先の十字路を横断して、さらに50m程先で和田川に架かる橋を渡ります。橋の先、左は田で右は新しい住宅地を進みます

橋から70m程先の十字路を越え、その先40m程で右の写真の様子になります。細い道ですが真っ直ぐ左の川に沿って少し進むと9号線に出ます

9号線に出たところです。 旧道はここ真っ直ぐ横断できないので右に折れて、30m程先で左に折れて、川の先に出ます。

ここで【寄り道】で一旦街道歩き中断します左に暫く歩いていきます。途中両側に 常夜灯が二基

さらに進んだ十字路右に、伊太祈曽神社の鳥居 があります。左の和田川に架かる常盤橋を渡り少し行くと伊太祈曽駅へ

鳥居を入ると参道すぐ左に 門神社

右に 伊太祈曽神社


有功殿

本殿

本居宣長の歌碑

南側には 蛭子神社


常盤殿

さらに南側に 祇園神社


祇園神社は伊太木曽神社の祭神五十猛命の父神様である須佐男命等を祀られている。



境内の一番南側にあるのが 佛法寺

参道を戻ります、その途中右に ときわ山古墳 の入り口

横穴式石室古墳で、千数百年前の古墳


伊太祈曽神社の見学を終わり、元の橋の辻に戻ります。
橋の所を右に折れて、40m程で右T字路の道を左に入ります、折れる右に六地蔵尊があります真っ直ぐの道は9号線です。
左に折れる右にある 六地蔵尊

六地蔵尊を右に見て左に折れます

住宅の中を道なりに左に進むと、前述の小川に出ます

小川に出た辻を右に折れます

小川を左に沿って50m程進みます左T字路の所を右に折れます口須佐地区です

右に折れて60m程進むと左に直角旧道は折れています。

さらに50m程で右にカーブします

右にカーブして50m程で9号線に突き当たりますので左に折れます。今歩いてきた道が旧道か確証がありませんが、前述の六地蔵尊の前で左に入らず9号線を進んでくるとここで合流します。

左に折れて暫く9号線を進みます

右に離れていますが 須佐神社


須佐神社を下り古道に出ます

須佐神社のすぐ先、左にカーブする右に 地蔵尊


左にカーブしたすぐ先、左にオオジ建設があり、向かいの古道右に民家とミカン畑の横の細い道を上っていくと

奈久智王子址

木の背後に 祠 があります

王子址より南に下ると道が広くなったところ左に山本農園があります

手前の角を左に入ると池に 灯籠

更に入っていくと 西光寺


山本農園の前に戻りすぐ先右に 浄土真宗 元正寺

頭陀寺地区の9号線を進みます

交差点に出て古道は真っ直ぐ横断しますが交差点を右に少し行くと阪和自動車道を越えたところに東池があります

交差点の次の筋を右に進みます

少し西に方向を変えた古道(9号線)

正面に阪和自動車道が見えてきます

阪和自動車道を潜る手前左に 地蔵祠

阪和自動車道を潜り左に折れて、西側の側を進みます。潜って出てきたところを見る、向かってガードレールのある側道を右へ

自動車道を潜って左に折れますが、真っ直ぐ見ると 武内神社


神社境内に残る 武内宿祢産湯の井戸


阪和自動車道に沿って南に進みます

右に、新池

続いて大池があります

大池が切れるところで道は分岐しています、古道は左の道を進みます。阪和自動車よりです。古道のほうが改修中で広くなり、池沿いの右の道が旧道に見えて間違いますので注意。

左の旧道を進む前に、池に沿って右に300m程、薬勝寺の集落方向へ【寄り道】します
薬勝寺公民館の背後の山麓に 薬王寺

お寺の東側に隣接して 八王子神社

元の分岐点に戻り左に折れます、分岐した左、自動車道沿いに、古道案内地図と 徳本上人名号碑

9号線の道路が改修されていて旧道が消えていますが、150m程改修道路を進み、右に竹藪のある手前を右に入り下ります。この竹藪の中に 紀伊風土記では奈久智王子 があったと記されているそうです。

下っていくと左に折れますが、左角に新しく 石造りの祠 が新しくつくられ移されています地蔵祠

祠の前から振り返ったところ、数年後は古道も様相が変わって道が分かりにくくなっているかも

左の祠の角を左に折れて真っ直ぐ進みます

真っ直ぐ進み道が古道らしくなったところ左に熊野古道 道標 左150m程の所を阪和自動車道が通っています

旧道より右の山裾を見れば 遍照寺

古道右に 八王子祠

小瀬田の集落を進みます

集落内の古道右角に 四ッ石地蔵


かつて多田にあった三上院千光寺の礎石を集めて地蔵尊を祀ったのが、この四ッ石地蔵尊で熊野古道沿いにありました

四ッ石地蔵の角を少し右に入ると右に 正覚寺

西の左に 日蓮宗 妙台寺

元の古道、地蔵の辻に戻る

古道を進みます、十字路の左角に大きな蔵のある旧家があります

その先で亀の井川に架かる六ヶ橋を渡ります

橋から左(東)の方向、阪和自動車道が見えます

橋から右(西)海よりの方向

橋から200m程進むと、船戸海南線の県道に出ます

県道を横断した先、道は狭くなります

狭い道に入り100m程進むと十字路に出て、その左角に 浄土真宗 光明寺

さらに南に田畑の間の旧道を進みます

途中右の山裾に 永楽寺 が見えます

その先で民家に突き当たります、右に折れてすぐ民家に沿って左に折れます海南市且来地区

左に折れた先、100m程で自動車整備工場に突き当たるので右に折れます

右に折れた先、100m程で神子谷山が正面に見えて古道は左右に分岐しています(秋月海南線)ので左に折れます

左に折れ神子谷山裾右に 松坂王子址の庚申塚 王子社は且来八幡神社に合祀されている

秋月海南線(県道)を進んでいきます

緩い上り坂の県道を進んでいくと、県道を右にわけ左に下る古道が残っています

県道より一段低くなっていて、王子谷古道址 と呼ばれています

上り坂の方に石畳みの古道跡が残っています

上りきって県道と合流するところに 道標 が立っています

王子谷古道を振りかえたところ

すぐ先で左に蜘蛛池神武天皇が土蜘蛛を退治したと伝わる池

池に沿って進むと池の畔に 徳本上人名号碑

蜘蛛池を振り返る、池の西側に右に、市民温水プール・クリーンセンターがあり

暫く歩くと 汐見峠(海抜30m)呼び上げ地蔵
熊野への長い道の途中で、旅人が初めて海を見たのが、且来から井田へ抜けるこの「汐見峠」であった。風景の美しさに旅人は歓声を上げたことでしょう。また安政二年(1855)の大地震のとき、大津波に逃げ場を失った人々が、汐見峠のお地蔵さんの不思議な力に呼び上げられ、救われたと伝わる。それ以来「呼び上げ地蔵」といわれ、信仰を集めてきた。
地蔵さんの台座には、道標 を兼ね「志おみとうげ 大くり道(小栗街道のこと)」と刻まれている。

峠も浅いが切り通しになっているので、今は峠から海は見えない

峠より坂を下ります

県道18号線の井田交差点に出ます、井田地区です

その先で右から、日方川が旧道の右に合流します

右の川に沿って進んでいったところで、左に 【寄り道】をします。この写真の所を左に入る

往時の景観を残す、照葉樹の 春日神社の鎮守の森 があります

春日神社の西参道を200m程進んだ参道脇に
松代王子址

杜への参道入り口に 照手鳥居


大塔宮御逗留旧址碑 太平記に有名な大塔宮護良親王の熊野行きの伝説の地。

春日神社 創建年代は不詳であるが、すでに奈良時代には建てられていたという古社

春日神社の樹木に覆われた薄暗い参道道

古道に戻り日方川に沿って進みます

左に春日神社の石碑と 六体の地蔵 が並ぶ表参道の入り口 春日山城址 坂を150m程登ると中世の城址があり、大野城の支城の一つ

参道入り口の前に日方川に架かる松代橋があり右に渡り対岸に出ます

松代橋を渡り川に沿って左に数十m程川沿いを進み

そして川から離れ右に下ると、右からの道に合流します

合流する角に 道標

道標の合流した先、数十mで旧道は分岐しますので右(南)に曲がります。

左には日方川に架かる春日橋が見えます

右に折れた先の旧道

100m程で370号線の大野中交差点を横断します

南に進んでいきます

左に 高野山真言宗 蓮花寺

蓮花寺の前を過ぎ、小さな山田川を渡たっていくと

十字路に出ます。その左角に、小さな 一石五輪塔や地蔵 が集められている

菩提房王子跡 海南市大野中地区

十字路を右に折れます

暫く内海の集落を進みます。右に海南市立内海保育所があります

十字路の左角に刻まれた字が読めない 道標

海南市鳥居地区に入ります左に 浄土寺

境内の 日限地蔵

高く積まれた石垣で城郭を思わせる石段を上っていくと立派なお寺です


お寺からの海南市街地

古道すぐ左に 浄土宗 如来寺

如来寺のすぐに旧道は分岐しています。左への道が熊野古道で、右が近世の熊野街道です
熊野一の鳥居跡 です

ここは、熊野古道(小栗街道)と近世の熊野街道との合流点です。熊野一の鳥居 があったと記されています。また鳥居のすぐそばに「祓戸王子(鳥居王子)」があり、そこで垢離をとり心身を清め、熊野聖域へと入っていった。鳥居は、天文十八年(1549)には損失された。

本日はここの分岐点で終了します
16時40分着 44.635歩 26.78㎞
右の近世の熊野街道を進みJR海南駅へJR紀勢本線を潜ります。

ガードを潜り真っ直ぐ西に進み、右に折れるその角に
道標 「右 熊野道 紀三井寺道」


近世の海南市街地の熊野街道も旧道の面影が残る。



刻まれた字が読めないが古い 道標


かなり日が陰ってきましたが間もなく駅に到着

やがて山田川に架かる宝来橋を渡ると間もなくJR海南駅です

海南駅

今日は特別列車が走るようです

沢山人が見に来ています


次の列車で帰宅につきます
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