熊野古道 紀伊路 3日目

2014年8月28日

北信太~久米田寺~泉佐野~長長滝

JR和歌山駅近くに車を置いてJRで北信太駅へ、前回の続きを歩く。あいにく朝から雨で中止しようかと思ったが、和歌山駅で小雨になったので出発。10時過ぎに止む
        北信太駅  7時40分 スタート
      JR長滝駅  18時20分 着
            56.808歩   34.08㎞

途中迷ったりして、予定の和泉鳥取駅まで行けなかった。

北信太駅から前回の尾井田町2丁目の信太小学校の交差点まで移動してスタートあいにくの雨であったが歩きはじめる

すぐ右に 祠

左に 中央寺

すぐ先で交差点に出ます左に道をまたいで 聖神社一の鳥居 が建っています

聖神社への参道ですが、雨も降っているので寄るのを諦めました

鳥居を潜りすぐ先左に 浄土真宗 常念寺

鳥居を潜り進んでいくと、遠望に信太の杜の 鏡池史跡公園・聖神社 が見えます

鳥居をすぎた直ぐ横の細い路地を少し入ると 篠田王子跡(信太王子)

篠田王子跡の石碑

王子はここを左に入ったところ

その先右に 小栗地蔵

すぐ先の十字路右角にかつては、宣札場(高札場)であった

八坂神社

神社前から100m程先、五差路の信号差点で道は分岐左側の斜めの道を進む(マンションの前の道)

分岐する信号交差点の右手奥に 西教寺

いぶきの巨木
江戸時代前期の延宝元年(1673)創建で、いぶきの巨木はそれ以前にあったとされており、樹齢5~600年と推定される

街道に戻り南に進みます、幸3丁目の右に 小池之地蔵尊

その次に信号交差点の右角に 平松王子跡 碑のみ立つ

碑のある交差点を右に行くと、JR信太山駅へ交差点手前左は放光池公園
広い車道38号線の伯太町4丁目交差点を横断すると、細い道が分岐しますので左の道を南に進みます

200m程先の信号交差点で、少し右に250m程入ると、 龍雲寺

お寺の手前に 伯太神社

街道に戻ります、この付近の街並みは古道の風情が楽しめる

伯太町3で左に一前奈池一号公園のある交差点を横断、すぐ先で道は分岐します。右の旧道を進みます。左の道は、自衛隊駐屯地に沿う道です。

分岐する角に 道標 「左 池田 槙尾 松尾寺」

右の道に入ります
左に、伯太小学校、その先右に伯太高校のある、伯太町2の交差点を横断していきます。

右に 

少し先右に 圓福寺

北側隣に 浄土宗 寶国寺

西側には 浄土宗 阿弥陀寺 

さらに西側に行くと 泉井上神社
神社は「和泉」に地名の発祥となったと伝わる「和泉清水」を祀る。本殿(重文)は、慶長十年(1605)に秀頼が片桐且元うぃ奉行として再建した。古くから「国府清水」・「和泉清水」とよばれ霊泉として祀られている。茶の湯などにも用いられた。

街道に戻ります、立派な大きな旧家街道情緒が残る旧道、家の側面

正面の街道

左に、小栗街道(熊野街道)の碑小栗街道とも呼んでいる

前述の泉井上神社へは横から入ったが、街道沿い右に鳥居が建ちます。鳥居前の十字路を真っ直ぐ進みます

十字路左塀際に 道標

十字路右、泉井上神社の鳥居と常夜灯二基 ここを入るのが参道

チョット見落とした様で、前述の阿弥陀寺の前の道に戻り南(左)に入ると、公園があります
公園内の一角に 和泉国府跡の碑 があります

府中町5を進んでいきますと、480号線の広い車道の交差点に出ます。右に行くとJR和泉府中駅へ街道は真っ直ぐ横断します

右に国府小学校、その北側には和泉市役所があります

その先で右から30号線が合流してきます

合流してその先で、槙尾川に架かる柳田橋を渡りますその手前

合流して右手に 妙福寺 がありますその一角に、子宝地蔵尊

傍に 井ノ口王子跡の碑 熊野社として泉井上神社に合祀されている

橋から右(西)の景色

橋を渡ると分岐を右に折れて直ぐ左に入る旧道を進む

和気町の新しい住宅内の道を進みます

すぐ先で車道を横断して細い旧道に入ります

るとすぐ右に 地蔵さん

和気町2丁目で小さな川に架かる石橋を渡り右に折れて遊歩道公園を進みます

遊歩道の街道を少し進みます

やが牛滝川に突き当たるので右に少し折れて進みます

松尾川に架かる左の小栗橋を渡る小栗街道とは、江戸時代以後、浄瑠璃や歌舞伎で有名になった小栗判官と照手姫の伝説により、一般的に呼ばれたが、平安から鎌倉時代にかけて熊野街道であった旧道です。小栗橋は、伝説にちなんでつけられた。

橋を渡り右に折れ、左の小田公園に沿って進みます。雨も止んだようで助かる

左の小田公園が切れるところで左に公園に沿って曲り、200m程先で30号線の車道交差点に出ますがどうも少し疑問に思う。旧道はすでに消失してないが、この公園のところで左に折れず、真っ直ぐ西に進み、牛滝川を渡り、阪和線を越え、高月南3丁目信号交差点か、その南の高月南1丁目の池の辺りに出ていたのではないだろうかと思います。(よくわかりませんが)

左に折れて200m程進んだ信号交差点交差点を右に折れます。30号線を進むが左角にローソンがあり

右に折れて真っ直ぐ小田町1の30号線を進みます

牛滝川に架かる高橋で岸和田市に入ります

橋を渡るとすぐ西大路町交差点

交差点をひだりに300m余り進んだ、東大路町交差点の南側に 菅原神社

西大路町交差点に戻り30号線を進みます。西大路町南交差点をすぎ、200m程先で小さな川を渡る橋の上に  

左に八木小学校を見てさらに進むと、大町の信号交差点に出ます。右の大きな建物を過ぎた次の信号交差点を右に入ると、JR久米田駅で、左に行くと久米田池に行きます。この辺りは何回か街道歩きで歩いています

大町交差点の左角に 

ここで一旦街道歩きを中断して池田王子へ

大町交差点を右に折れて、左は前述の大きな建物で、すぐ先でJR阪和線を越えます。踏切を越えたところで道は分岐しているので左の道を200m余り進むと、左角に新しい池田王子道標があります。左に折れます途中左に久米田保育園が見えます。

熊野古道 池田王子跡と附近図

上記地図を見ると私の歩いた道は間違っていたようです。前述の小田町の先で川とJR線で旧道は無くなっていたので仕方ないが。線路の北側の高月南3丁目からの旧道に出て、線路の北側を沿って西南に進んでいる。そして八木北小学校にでて下池田町1丁目に出て、左にJR久米田駅近くに出るのが旧道であったようです。

左角に新しい 池田王子跡道標 

ここの辻を左に入ります数十m先で木に覆われた民家があり

民家の横を左に入っていくと、畑のような中に
熊野大神宮 池田王子跡地碑 が立っています案内がなければ辿りつけないかも

少し戻り新しい住宅地を南に進み突当りの少し広めの道に出て左に、右にプランシャトー久米田・紀陽銀行の先でJR線の踏切を渡ります。すぐ道が分岐するので右の真っ直ぐの道を進み、30号線の交差点に出ます。交差点の向かい右に中道胃腸科医院があります。一般的に掲載されているマップの熊野街道に出ました。

踏切を渡ったすぐ先の分岐、右真っ直ぐ

 【補足】戻る
ここで熊野街道を進もうと思ったが、私の性格でどうも小田公園のところからが気になるので、少し時間も余裕あるので戻りました。
前述の小田公園の先は道がないので、30号線を戻り牛滝川の手前、西大路町交差点を北に歩きます。途中、200mでJR阪和線の踏切を越えて100m程先左に公園があり、その北側には池が広がります。池から100m程進むと高月南3丁目交差点に出ます。

途中左に池を見る。前述の小田公園からの想像が正しければこの辺りに出てきていた。池が切れるところで、池に沿って左に進む道があります。残念ながら、東から小田公園方向の写真と、池に沿って左に折れる道を撮れていないのが残念

高月南交差点で左に折れます

左に折れたすぐ先右に 皇太子殿下御降□記念碑

右に碑の前の道を真っ直ぐ

すぐ先右に 祠 を見て左に折れます

左に池があり沿って進みます箕土路町3

その先で広い車道の信号交差点を横断します信号手前右に、ふれ愛の杜みどり病院。

横断した左一筋奥に 浄福寺 があります箕土路町2丁目の集落

そのすぐ先で小さな川を渡り道なりに進みます

その先、変則十字路に出ます、少し左にズレて道を横断します  

その先、八木北小学校に突当り道は切れているので、左に折れ100m弱進み、十字路を右に折れまた100m程進んだところで、右に折れて100m程進み小学校の南の角を左に折れます。(迂回)

八木北小学校正門

下池田町3丁目、小学校を背にして西南に進む

下池田町三丁目2

大町交差点からの真っ直ぐの道が、この信号交差点に出ます。交差点角に立派な大きな旧家があります

ただ驚いたことに、この信号横断する角に、熊野街道である道標が指差しをされている。一般マップではこの道は載っていないが、前述の案内地図にはこの道が示されている。30号線でなく本来の熊野古道なのか

その先50m程で突当り左に少しズレて、すぐ右に折れる。前述の大町交差点からここの辻まで来て左に折れた。下池田町1丁目

 左に久米田保育園があります

池田王子への指差し道標

右角に  前述ではここは通っている下池田町一丁目22

振り返り北方面を見るとあの大きな家が見えます

池田王子への先ほど来た辻に出てきましたここを左に入れば池田王子へ行きます

池田王子へは先ほど行ったので寄りません。真っすぐ進むと道は狭くなります

そのすぐ先の道は、十字路を越えて少し道なりに狭い住宅内を進む

みちはT字路に出ます、正面にプランシャトー久米田があり左に折れます。T字路に出たところで振り返る左角に新しい熊野街道の道標が立っています

T字路を左に折れると、少し先に阪和線の踏切がありますので渡ります。ここから30号線に出る道が、前述の地図と少し違うようですが、角に 熊野街道の指差し道標 があったので左に折れました

踏切りから100m程先で、30号線の信号交差点に出ます

交差点に出て右に折れた先よりでてきたところを振り返る。
どちらのルートが熊野古道なのかまた調べてみるとする

30号線にでて中道胃腸科医院のところから、先に歩いた道に合流して進みます。小松里信号交差点を横断して少し進むと左に 

小栗街道の道標

少し進んだ左に 積川神社遥拝鳥居 があります

鳥居の袂に 白河上皇・後鳥羽院遥拝旧蹟地の碑
この鳥居は東約五㎞にある積川神社の鳥居で、神社は崇神天皇の代に創立された格式の高い神社です。

左に入っていくと 浄土真宗 満願寺

その東側に 三好實休戦没地 永禄五年(1562)三好長慶の弟、三好長賢が紀州から攻めてきた畠山高政と戦った、久米田古戦場跡で戦死したところ。この時の戦いで久米田寺も焼失して、現在の建物はその後再建された。

街道に戻り少し左奥に 浄土真宗本願寺派基石山 浄行寺

左、旧家の軒に 

すぐ隣に 神社の道標 刻まれた字が読めない

その先で、春木川に架かる轟橋を渡ります交差点を右に行くとすぐ下松駅へこの地区は下松町と上松町が入り組んでいます

上松町信号まで来たので、左にあった 和泉式部の筆塚や硯塚 を見落としました

道は分岐します左の旧道を入ります

200m程で30号線に合流します

その先、作才町交差点に出ます。交差点の横断したところで観音寺川のおぼろ橋を渡ります。道は分岐しているので左の旧道に入ります

その前に交差点を左に細い道を入ると 恋の渕

    あらさらむこの世のほかの思い出に
      いまひとたひの逢ふこともかな

小倉百人一首の和泉式部の恋歌、平安中期の歌人で恋多き女性。

交差点を右に入っていくと 浄土真宗 慈光寺

門前近くに 夜泣き石と祠・常夜灯

左の旧道を真っ直ぐ進みます

信号交差点を横断します

その先信号交差点を横断します。右角に日新テック、その交差点を右に折れていくと土生交差点からJR東岸和田駅へ

すぐ先で道ノ池の堤に出て道は分岐しますが右への道を堤に沿って進みます

堤の道は地道です古道の残骸か

左池川の堤上に 道しるべ地蔵
  「すぐ かつらぎ 牛たき 大坂 左 きしはた(岸和田) かいつか」

結構長い堤を歩きますが,左の池が切れる辺り,夏場の雑草で旧道が消失している、止む無く適当に土手から右の30号線に下り降ります。そして30号線で少し迂回してファミマの交差点を左に曲がり消失している道の先に出ました。多分冬場なら真っ直ぐ下る道が残っているかも

消失している藪の先は駐車場です

ファミマを左に折れて駐車場の所に出ました、左を見ると土手の下は駐車場がよくわかります

駐車場のところから車道を渡り、土生町を進みます
やがて津田川で突当り右に折れます

右に折れるとすぐ先で30号線に出て左に折れます

津田川に架かる虎橋を渡ると貝塚市です

虎橋を渡ると信号交差点で分岐しますが右の真っ直ぐの30号線を進みます

分岐の先右にパチンコ店、そして古淵川に架かる麻生川橋を渡る、左に久保新池があります

橋から100m余りで右に三和製作所があります。祠と鳥居 があります。三和製作所の所がかつて、
浅字川(麻生川)王子跡 といわれていますが碑もありません

三和製作所の前あたりで左の旧道に入ります

 左に古淵川が接近して300m程流木町を進みます。やがて左からの道が合流して右に折れます

合流する正面には小さな新池がありその向こう側には弁天池があります。街道は右に折れ堂ノ池の北端に出ます。三つの池の中で一番大きな池です。堂ノ池の西側の道を沿って進みます

さらに続いて唐間池があります、その間堤の道を進みます

左の池が切れる辺りで、右から鋭角に 水間街道 が合流してきます

合流地点を振り返る向かって左が 水間街道

右、唐間池に沿う熊野古道

合流した少し先左に 半田一里塚の石碑

この一里塚の歴史は、江戸時代以前の熊野街道沿いに設置されていたもので、近世の一里塚のように正確な一里ごとの物でなかったようですが、当時のままほぼ片方だけ完全な形で残る貴重な一里塚です。石碑には麻生中一里塚と刻まれている

左に 

麻生中町並みを進みます、この辺りの街道沿いは殆んど新しい住宅です

左に中央小学校があり切れるところの十字路を右に折れます

十字路を右に折れた左に石造りの みちしるべ地蔵道標祠の屋根に 「右 おぐり 左 みずま」

十字路を右に折れて100m弱進むと、30号線の交差点に出ます

十字路を右に折れず真っ直ぐ100m程進んだ右角、右からの 水間街道 との合流点に水の神さんである      牛神さん

30号線に出てひだりにおれると右にGSがあり、GSの過ぎた角を右に折れます

右に折れて進む街道

右手に新井ノ池があります

そのすぐ先で道は分岐します、街道は左の道です。右角に はなたれ地蔵道標 もとこの付近に柳茶屋があったようです。子供の守護神で道標も兼ねていた、地蔵は丸顔で鼻水を垂らした童顔の愛くるしい地蔵です
「右 かいずかみち 左 おぐりみち」

信号交差点を渡ります、左に行くとすぐ水間鉄道の石才駅です。交差点のすぐ先は水間鉄道水間線の踏切です

踏切より150m程進むと、左に宮池、右に 専念寺 が見えます

宮池の北端の一角に石才会館がありその横に 牛神 さん

左の宮池の堤道を進みます。この付近一帯にも沢山の池があります

右の墓地の入り口に お迎え地蔵

すぐ先で、岸和田牛滝山貝塚線の高架を潜ります

高架を潜ると緩やかに左にカーブして信号交差点を横断しますそして交差点を横断して右斜めに進む

近木川を渡る手前左手に、美笹の湯や貝塚中央病院があります

近木川に架かる福永橋を渡ります

橋の先の道は、長谷川の坂と呼ばれている古道です

坂を上ると右に凄い豪壮な旧家があります江戸末期から疳医者として有名な長谷川屋敷ですかつて紀州根来衆徒9500名が立て籠もった、積善寺城跡の一部といわれているところです。

長谷川邸の筋向いに 地蔵道標の祠有髪の童子像型の道標「右 をくり 左 大し(橋本大師)」

長谷川の坂を上ってきたところから振り返るでも大きな屋敷だ

長谷川邸の前を左に入ると 安楽寺

坂を下っていくと 清水大師(大師堂)

清水大師の坂の途中に 祠や地蔵 が並ぶ

長谷川邸の筋の地蔵道標の所の街道に戻る

街道景色が変わります

右にJR和泉橋本駅があります

和泉橋本駅の南側の踏切を渡ります

踏切を渡り分岐を左の道に進む、道は急に狭くなり、正面の大きなマンション手前で突き当たるので右に折れます

左にイオンを見て80m程進み地蔵堂信号交差点を横断します

横断した先すぐに分岐があります、右に南小学校があります。どちらの道が古道か分かりませんが

左の真っ直ぐの道を進みます

200m程進むと左T字路に出ます、そこを右に折れて少し入ると 正福寺。
この付近に、鞍持王子 があったようだが何もない

お寺の前が公園のある 真言宗御室派 正福寺 本尊は勝軍地蔵菩薩、淳和天皇の時代(823~833)に創建されたと伝わる、鎌倉・室町時代には広大な寺域を有していたが、戦国末期三好氏と根来衆の戦いで伽藍が焼失した、その後寛文元年(1661)再興され

正福寺の北側に 浄土宗 上福寺

左T字路に戻り西に少し進んでいくと、左に南近義神社の杜が見えてきます

南近義神社
弘安七年(1284)高野山鎮守の丹生都比売神社の分霊ともいわれる、水・雨・安産の神として信仰されている。明治40年~42年のかけ近在の神社を合祀し、南近義神社と改められた。熊野九十九王子のうち、鞍持王子・近木王子も合祀されている。

神社のすぐ先で街道は左にカーブします。さらにその先でT字路に出ますので右に折れます

右に折れた先の右手に 真宗 善正寺 近木王子跡は善正寺の東隣にあったといわれるが今は何もない

門前入り口に 地蔵尊

善正寺に並び 真言宗御室派 吉祥園寺 本尊は十一面観音立像、奈良前期の開創とつたわる

善正寺の前、街道を挟んで少し南に入ると 浄土宗 長泉寺

善正寺前の街道に戻り、少し先右に 地蔵

すぐ先で信号交差点に出ます、北からの交差する街道が、粉河街道です。粉河街道もこの交差点で右(西)に折れて少し重複します。

両側に 地蔵道標 があります「すぐをぐり 左 く三のき山」嘉永六年

「右 おうぐりみち 左 かいづかみち」平成三年再建

見出川に架かる貝田橋を渡ります。橋を渡り街道は右に進みますが、左は、粉河街道がここで分岐して粉河へ

右に見出川の熊野街道筋

左は粉河街道の筋

西に300m程進んでいくと交差点に出て横断します

交差点の右角に 小詞

交差点を越えた左に貝田会館があります、そこに 鶴原王子(貝田王子)跡 と推定されているが碑もありません、この西北側にある加支多神社址ともわれている

すぐ先右に 四角池がありその東堤道に沿って少し歩きます

暫く歩いたところで府道の信号交差点を少し斜めに横断します

左、池の東に 正覚寺 が見えます

右にカーブしながら、左に大藪池があり、第二阪和国道を歩道橋で横断します。歩道橋から左(南)側

右(北)側

歩道橋を下りて熊野街道の道

100m程先で信号交差点に出て左に折れます

さらに100m程進んだ先で分岐する道を左に入ります

左に大きな道ノ池がありその堤道を進みます道ノ池の南側には中ノ池が続いています

やがて府道20号線を横断します

横断した先の上瓦屋の集落に入ります

250m程進むと、右から府道64号線が合流してすぐ佐野川に架かる佐野川橋を渡ります

府道を200m程進むと日新小学校前交差点に出ます、右に日新小学校があります

少し先で道は分岐します旧道は左に入りますが、分岐の角に鉄塔

左の街道を進んだ道で、70m程進むとさらに道は分岐しますので右の道に入ります

その先十字路の右手に生け垣に覆われた 佐野王子址碑 明治四十一年春日神社に合祀された

十字路を南に進んでいくと市役所前交差点に出ますので真っ直ぐ進むと、すぐ国道26号線(左側の歩道橋で)を横断します。

横断して26号線の南側に分岐している旧道を入りますが、その手前26号線沿い左に 

26号線を右に分け左斜めに入る街道

斜めに横断(実際は歩道橋で迂回)する街道を振り返る

分岐より200m程先左に佐野高校

佐野高校前交差点を横断します交叉点を右に暫く行くと南海本線の泉佐野駅へ

横断した右に 如来寺

市場西地区の街道を進む

市橋西2丁目の街道左に  道標 「すぐ和歌山道  ☜ふどうみち」

街道は真っ直ぐで、左の道は 鳴滝不動へ

その先左、泉佐野市場西1丁目3 祠

西南に進んでいきます、中町一丁目8で道は分岐しますが、左の婦道4号線を進みます

左に、つじもとクリニック医院をみて、その先で信号交差点を横断します。交差点の右に佐野記念病院が見えます

交差点から200m余り先で、葵町信号交差点を横断して、JR関西空港線・関西空港自動車道を潜ります。潜ると長滝北信号交差点を横断します

長滝北交差点を過ぎた先、左GSの手前辺りにかつては 蟻通神社跡 で広大な神社の杜があったが、太平洋戦争の飛行場建設のため取り払われ現在地に移された

少し歩くと道は分岐します、左の道が熊野街道真っ直ぐの道を進んでしまった、資料整理後に分かった、日根神社の前で合流します

150m程先右に 祠

さらに150m程先で左にカーブしますその右に 浄土宗 浄蓮寺

左にカーブした先の南中安松の街並み、この道も結構古い街並みの雰囲気があります

左に 浄土真宗本願寺派真曜山 極楽寺

左から、熊野街道が合流してきます。間違った道は向かって左です。合流点を振り返ったところ

合流した左に 日根神社御旅所 があります

合流してすぐ右に折れると長滝西交差点に出ます。熊野街道は真っ直ぐ、デイリーを左に見て進みます。交差点を左に折れ、デイリーを右に見る街道は、粉河街道(大木嶺道)で蟻通神社を通ります。

本日は長滝西交差点で終わります。ここから粉河街道を進み、JR長滝駅に移動して帰宅します。雨や寄り道が多く、目標の和泉鳥取駅まで行けませんでした。  
          18時20分 終了
            56.808歩、34.08㎞  で結構歩きました 

長滝駅へ移動の途中に 浄土真宗本願寺派長栄山 光瀧寺

前述の神社址かたここに移動された 蟻通神社

蟻通神社の杜

JR長滝駅へ、熊野古道紀伊路 3日目終了

次の日はコチラ

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