父鬼街道(鍋谷峠越)

   2011年3月4日

  JR阪和線鳳駅前~和歌山県かつらぎ町穴伏

JR阪和線鳳駅北側~鶴田池西側~伏屋町~和泉市光明池西側~納花町~和泉国分寺~国分峠~仏並町~大野町~父鬼川に沿う~父鬼町~鍋谷峠(境界)~平~大宮神社~下広口~名手上~穴伏川に沿う~名手下~穴伏で大和街道に合流

高野口駅JR6時44分で橋本駅へ南海で三国ヶ丘駅、JR阪和線に乗り換え鳳駅へ。
少し街道区間を甘く見積もってしまった、和泉山系越えは厳しく、峠の途中で暗くならなくてよかった、穴伏のJR西笠田駅に着いたのが19時15分真っ暗になっていた。暗い中を歩くのは最も危険だしただ歩くのみだから楽しみも無いので何時も気を付けているのだが計画が甘かった。
           鳳   8時    スタート
         穴伏 19時15分 着
             67.650歩 40.59km 1821kl  
 

よく山道なのに歩いたものだ

本街道は堺市鳳中町を起点とするが、その前に街道とは逆方向の北方向に10分程進むと大鳥神社があるのでまず
(寄り道)をしていく

大鳥神社

結構大きな神社境内に立っているくすの木

本殿は明治38年落雷で消失、1909年に再建された。出雲大社の様式から住吉大社様式への移行期の形式で大鳥造りと呼ばれている

神馬の像

日本武尊の像  伊勢で亡くなった後、尊は白鳥となって西へ飛び各地に白鳥伝説を生んでいるが、最後にこの地に降りたためここに宮を建てた、これが大鳥神社の始まりとされている。

正面JR鳳駅

鳳駅より北東方向100m程の信号交差点のところが 父鬼街道起点となる前にはコンビニがある
正面の鳳本通り商店街に入っていく

商店街に入ってすぐ右手にある 浄林寺

鳳本通り商店街の通りまだ朝が早いので人通りは少ない

商店街中程の左手にある 地蔵堂

商店街のアーケードを抜ける

アーケードを抜けて直ぐ左手にある 正覚寺

鳳南町2丁目71角に建つ重厚な旧家

真っ直ぐな本通りを進む

信号交差点左斜め後方から30号線が交差するので、30号線を右にみて左の旧道216号線を進む所を振りかえる

交差点から2つ目の信号を左に少し入っていくと左手にある、生連寺

街道に戻り次の信号の左角に 道標と2体のお地蔵さん  すぐ 堺 住吉 大阪 右 槇尾山道

同じく直ぐに左手に 道標読めない

更にその先の信号、右手に万代スーパー左に入って寄り道)をする

日部神社

日部神社本殿と灯籠  本殿は室町初期の建立、本殿脇に右脇にある正平24年の銘がある石灯籠と共に国の
重要文化財

神社の北側にある 行興寺

更に北側に 楠龍院

街道に戻らず少し南に行くと三鏡山 以遠寺

長い白塀が綺綺

216号線の街道に戻りすこし進んだ右手に交通安全地蔵尊

更に進んでいくと草部地区の右手に古い歴史のある内海酒屋さん

草部の交差点を進む

やがて堺泉北有料道路の高架を潜ると鶴田池交差点

一つ目の信号の先左手に 浄願寺

その先で216号を左に分け右の旧道を入る

車より解放されて山田の町並みを一時の静けさの旧道を進む

右手に 山田薬師がある

その先で再び左からの216号線に合流して右に進む

堺市南区高尾地区を暫く旧道風情のない216号線をただひたすらほぼ直線に南に歩く、左には新日本工機信太山工場

その先で阪和自動車道を高架で越える右手一帯には陸上自衛隊信太山演習地が広がる

高速を越えた直ぐの信号でなく100m程先の伏屋地区を右斜めに入る

右に入って直ぐのところ左手に 石の祠の地蔵

暫く旧道を進むと左の旧家の庭にある お地蔵さん

伏屋の町並み、古い建物はほとんどないが車が走らなくて安心して歩ける

伏屋町2丁目の交差点

交差点を渡った右手に 信太山境内石碑

更に先左手、伏屋町2にある 道標

左からの38号線が合流

合流した先直ぐの信号伏屋町4の左手角にある 地蔵と道標

その先左手に 地蔵の祠

泉北高速道路の光明池付近の高架を越える

高架橋より西側の遠景

東側の遠景

これから越えていく和泉山系まだまだ遠い

左に南大阪変電所を見ながら暫く国道を南下する。右手にコンビニの先
左手にある お地蔵さん

左の先には光明池で女鹿坂を下っていく

女鹿坂から右斜め前方を見ると和泉山系がハッキリ見えてきた。多分少しくぼんでいる当たりの峠を抜けるのだろう。

この辺りではまだ峠抜けの時間的距離をあまり心配はせず余裕であった。右に松源スーパーを過ぎ直ぐの室堂町の信号を真っ直ぐ進む

更にその先の和田町の信号も真っ直ぐ進む

(寄り道)で、信号の直ぐ先の道を左に入っていくと 金刀比羅宮神社の案内結果的に見ればあまり寄り道している時間がなかった

金刀比羅神社の鳥居がある神社は高台にあり下からの拝礼に終わる

和田南の交差点を過ぎて少し進んだところで槇尾川に架かる川中橋を渡る

川中橋の手前左にある お地蔵さん

橋を渡って少し右にカーブする右手に 弘法大師帝釈天子安地蔵菩薩普賢菩薩

ここのところで迷った、多分左斜め集落に入っていく道が旧道と思うので進む

でもこの先で道が無くなり通行止めになっている止むえないので元の道に戻り少し進む

また同じような道が左斜めに入る道があるので左に入ります国道右手にはケアセ

結果的には私の思いであるが、最初左に入った道が旧道で突き当たり道は消失していたが、次の左斜めに入った少し先でT字路があり、最初の消失した道の延長線上に途中からの道が延びてきていて合流して右に旧道の集落を進むことになるのが後で分かった。でもこの時点では分からず仕方ないので国道に戻り国道を暫く進む

暫く進むと左に南池田小学校がありその先右に和泉納花郵便局があるがその手前に左に入る斜めの道があるので入ることとした

すると左からの道が合流してきて斜めのT地路になっている。左を見ると旧道らしい街並みが続いているので、旧道に復活したと確信する

それでこのまま右に折れて旧道を進んでいけば時間的にもいいのだが。またもや悪い癖が出て、この旧道の間違ったところまで歩くこととした。
ここが二回目斜め左に入って、左からの消失していた延長上のところまで戻ってきたので、ここから再び旧道を歩く

納花町の集落を進みます

納花町の大きな民家の並ぶ街並み

やはり戻ってよかった旧旧道の町並みが見えた
先ほど逆に歩いたところに戻りすぐの所で、二股に分かれているのているので左に進む

その先右から480号線が合流、右手にオークワを見て進む。

左手に真っ赤な鳥居の立つ 朝日大明神・朝姫大明神

その先で信号交差点を横断

直ぐまた次の信号で国道を右に分け左の道に入る。右角にローソンがある

また直ぐ先右手の一段高い所に 宝筐院塔とお地蔵さん

和泉市平井町の町並み旧道は少し左にカーブしている

少し(寄り道)のため右の道に入る

少し入ると 羅漢寺がある

羅漢寺創建時の基礎石二個の石柱案内

十六羅漢光明遍照十方世界 意味が分からないが

先ほどの二股の街道に戻る、このように寄り道するからどんどん時間が過ぎる
平井町の右手に 夜泣地蔵

更に進むと右手に 和泉国分寺がある

暫く国道を進んでいくと国道を左に分けて右斜めに入る道がある。私も間違って真っ直ぐ行ってしまったが途中で引き返す。右手に自動車修理工場があり右の旧国分峠への旧道を進む

峠への登り口左に光明皇后降誕生地と書かれた石碑がある

峠への急坂を上っていく

坂途中右手に 西光寺

峠近くに 祠と二基の灯籠

その直ぐ先右手に 皇大宮もう旧国分峠に着いたようで短い峠

その先少し広くなっており正面に 道標石があるので右の旧道を下る

民家の間の細い旧道を下っていく情緒があっていいね

旧道は先ほど左に分かれた国道が、新国分峠を越えて迂回してきてここで合流する

170号線に出たところ、正面の民家の間の細い道を下ってきた。国道は新国分峠方面

これから進む旧道(170号線)いい街筋ですね

野田町の蔵のある旧家

その先で外環状線道路の槇原中南の交差点を越える

右手の奥に横山病院をみて二股道に出るので国道を左に分け右の集落に入る

集落を進んでいくと右手に 男乃宇刀神社がある 鳥居と石段と本殿

その先旧道は国道に近づくが合流せず国道と平行して右の旧道を進む

その先で左からの国道に合流する

合流した後すぐ槇尾川に架かる大川橋を渡る

橋を渡った左手に施福寺のあんないと槇尾山施福寺への左への道。この街道を歩くのであれば、是非施福寺へ寄らなければいけないのだがチョット遠くて山の上で時間的余裕がなく諦める

直ぐに千歳橋を渡り進むと
その先左手にアッと驚くお城のような石垣の屋敷きが目に飛び込んでくる。近所のおばさんに聞いた話だが、石垣の下の民家から10年前に火事があり其の類焼で石垣の上に建っていた住宅が焼けてそまったのだそうで、今思うとお城のような見事な旧家の建物であったそうだ。ちなみにこの家は代々の大庄屋であったとの事です。火事で焼ける前の屋敷を見てみたかった。

石垣の塀はその後立てられた今でもお金持ちなんだろう

裏側辺りの建物とても写真には入りきれない

坂を上って表側に出ると屋敷の大きさがよくわかる幸い表は火事から助かったようだそれにしても大きな旧家があるものだとびっくりした。

左の大きな元庄屋の屋敷を過ぎて、右手には川に沿った民家が建ち並ぶ

その先仏並町の町並みを進む

変形4差路にでるので右の広い道を進む

右手にまた長い塀の続く大きな家振り返る

集落の離れときわ橋を渡り仏並町を振りかえる

坪井町に入りだんだんと山に入る左の川に沿って進む

右に大きくカーブして、その先で170号線と交差する4差路となり左に20mほど170号線に沿って進む

20m程進んだ先で旧道は左の川沿いに左の道に入る。真っ直ぐの170号線は新道でこの先長いトンネルに入る。

左に入ると和泉市大野町

暫く民家のない川沿いの旧道を進むと子安阿弥陀寺の案内板がでも民家が対岸に並んでいるので旧道と判断して橋を渡る対岸の道、旧道を進むと左手に子安阿弥陀寺が見えてきた

子安阿弥陀寺  1200年余り前、聖武天皇の時代の創建。女人安産の守り仏として崇拝されている

本堂裏山の子授産神権現・油谷不動尊

光明皇后安産の碑

身替五緑地蔵尊

回廊  立派なお寺

本堂

阿弥陀橋

阿弥陀寺を出て坂を下り阿弥陀橋を渡り、左の旧道を川を左に沿って暫く歩く。暫く行くと右からバイパスの国道がトンネルを抜けて右から合流してきたので、少しおかしく感じまた道路沿いに民家も無く、対岸に民家が並んでいるので旧道でないと判断して先ほどの阿弥陀橋まで戻り、橋を渡り右折れして阿弥陀寺の下の道を右に川に沿って進む。

阿弥陀寺の下の橋の袂、道沿いにある 道標

阿弥陀橋  前述の阿弥陀橋を見るより、横から見た方が趣がある

阿弥陀寺の下の旧道を歩くと、その先左手の斜面に 厄除地蔵が旧道がこの道であったことを確信

そのまま旧道の道を進んでいく、地元の人が焚き火をしていたので挨拶がてら少し話をしていると、この道も旧道に間違いないが、更に古い旧道がこの少し上の道だと教えていただき、間違ってはいなかったが更に古い旧道を歩くため、先ほどの地蔵まで戻る。

厄除地蔵さんまで戻ってみるとなるほど気がつかなかったが、左に上がる細い道がある。

先ほどの旧道より一段高い民家の裏手の細い道である。大発見

やがて旧道は右に下っていく

先ほどの旧道が右から合流する、300m程の区間の古い旧道を紹介していただきました

集落が無くなり右の川に沿って大きく右にカーブしながら進みます

やがて右に大きくカーブした旧道は、左の新しい道に接するが、右の旧道を進む

右の旧道の先、このT字路を間違って左に行った。旧道は右にてすぐ橋を渡る(下の文章で説明します)

この先150m程進むとT字路で突き当たるので右に折れてすぐの父鬼川に架かる橋を渡り対岸に出ます橋を渡ると再びT字路となり左に折れます。更にすぐに新道の交差点を横断して進みます。交差点の左を見ると新しい父鬼トンネルが見えます。この辺りは道路整備と新しいトンネルで旧新道路が交錯しています
結局私は間違って父鬼川の旧道(南横山小学校の前の道)の対岸をあるいてしまった、引き返すのも大変なので、次の橋を渡って対岸の出ました。

(間違ったところ)対岸に南横山小学校が見えまた民家も並んでいる。新道の方は民家はなく明らかに旧道は対岸に移っている

引き返そうかと思ったがかなり進んでいるし(間違った距離約1㎞)、直ぐ先の橋まで歩くこととした
先の真田橋で川を渡り対岸の旧道に出る

でもいつもの癖で納得できず、真田橋を渡り右に折れて対岸の旧道を少し逆に戻ることとした南横山小学校の前まで戻るが(約半分の距離)、この先もう少し戻ろうか迷ったが時間的にも厳しくなってきたので諦める

小学校を右に進む、近くの街並み

真田橋近くの民家の軒の角にある 自然石の供養塔と道標石

真田橋を左に見て再び街道を進み父鬼川を渡り、右に父鬼川となる。父鬼の集落に入る左手に大きな旧家を振り返る

やがて左に和泉父鬼郵便局を見て進む

左手高台に赤い屋根の神社が見えてくる立派な 八坂神社

急な石段

神社の鳥居の向かって右手にある 観音寺

直ぐ先左手に 父鬼乳瀧不動尊

その直ぐ隣に多数の 祠や石仏がある

父鬼は木材の集散地として栄えてきた

左に松葉製材所があるところ二股に分かれているが左に入らない右へ

いよいよ峠道へと入っていく三国山頂対空レーダーが見える

綺麗に整備されていてよく陽が通る。快適な街道だ

温度は2度でも寒さは感じない

新道から左に入る旧道がある

鎖で通行止めにしているが歩く人専用ということだろう。途中、自然遊歩道の案内板があるしこの時期全く人の気配はなかったが、温かくなるとハイカーの人達がおとずれることだろう。

旧道は左下に川に沿い林の中を歩く、舗装の道を初め敷いているがそのうちに地道になり、丸太の階段であったり初めは比較的登りもらくで楽しい道であったが、段々厳しくなり人一人歩ける程度の道幅で薄暗く、夕暮れになればとても歩けない。さすが後半疲労困時間は3時早く峠を越えなければと焦る。川を右に左にと蛇行しながら峠に向かって登っていく。

この辺りは明るく快適にルンルン気分で歩いていた

先が薄暗くなってきた

よく一人で歩くのだなあと感心するも、もうどうしようもない

ほんとに薄暗い樹林の中

林を抜けるとまだ明るいので助かるとにかく峠まで急ぐ

雪が少し残っている

この辺りから暫く一気に急峻な登り道で疲労が困憊さすがに心細い次第

もう無我夢中だ

上を見上げるとやっと新道が見えてきた車も時折しか通らない右からの新道に合流します新道と言っても新しい道がトンネルを抜け開通したので今は車もほとんど通らない

新道の表示、文章で表せない感激無事に新道に出ることができた歓び。全く人の気配がない寂しい街道で何時も後から思うがよく歩いたと感心する。時間的に無茶だと反省しきり

でも車道に出たまではいいが、まだ峠に至っていない
間もなく鍋谷峠合流してから結構峠までは長い登り坂であった

鍋 谷 峠 だ という感じ
温度はマイナス2度、雪がちらついている

和歌山県の表示

和歌山県側から見たら大阪府

鍋谷峠からの下り汗をかいたので少し寒く時折雪が舞う。時間は既に16時30分、果たして明るいうちに到着できるのか不安早足で下る、時折駆け足になる

下りの左方向の山は和泉山系の経塚山・七越峠を経て三国山・槇尾山へと続く。

凄い下り坂だ、舗装されているから道は良いが谷が厳しく曲がりくねりながら下っている。

多分本来の旧道はこの新道でなく余り曲がりくねらず一気に谷を降りて下っていたのだろう、今では資料も無く分からないが想像のみ

感激、平の集落1軒目の民家が見えてきた

それでもまだまだ山の深い所にある集落

鍋谷峠から大きく曲がりながら4㎞は下ったとは思いますが、まず左側のところに 福徳寺が住職は常駐していないようだ

かなりあたりの景色もぼやけてきた焦る焦る。もう30分ぐらいは大丈夫だろう。
寺のところで右に急カーブした先、左手に大師井戸の案内があるが降りていけない。

その先、迂廻道の新道は左、私は旧道の右の道を進む。

このごに及んでも旧道にこだわる右に下りてきたところで振り返る

その先下っていくと新道の2つ目のトンネルを左に潜る

トンネルを潜り反対側の道に出るが辺りは暗くなってきた

宮地区に入るその先で変則的な交差点になっている

紀ノ川まで17kmの表示、とてもやないけど真っ暗で無理だ、当然交通の便も無いし歩かなければ仕方ない。私の一番嫌う夜の道の歩行だが止むえない。褌をしめ直して頑張る、でも足腰は痛くないので助かる。これからは時折走るようなスピードで下っていく。この変速交差点の様子だがトンネルを越えて右に折れてきたところ、高架の新道は右の上を走りその先で大きく右にカーブして新道に下りていく。この辺りは折登という左に橋があり橋を渡りすぐ左の山への登山道がある、この登山道を行けば七越峠から三国山を経て槇尾山・施福寺への参詣道。参詣道といっても1日がかりの和泉への抜ける道だ。また橋を渡り真っ直ぐの道は堀越観音への道、ここからも七越峠から槇尾山への参加詣登山道、こちらが普通多く使われた道ではないかと思う。橋を渡ってすぐ右に曲がっていく新道があるがその先で、高架の道路が降りてきて合流する新道であった、私はこの期に及んでまた間違って数百m歩いてしまい急いで元の交差点に戻ってき参、心は焦り少し試行錯誤か。旧道は左の橋を渡らずやや右にカーブした道を進めば良い、何のことはない。

道標石

交差点のところの橋今回に限って照明を持ってきていない

橋を渡った左手橋の袂に お地蔵さん 登山道はお地蔵さんの横を向かって右手を上っていく

真っ直ぐは堀越観音への道。車が通れる

もう殆ど暗くて足元に注意しながら歩くのみ

広口地区に入ると右手に 大宮神社の鳥居と石段が見える

もう真っ暗で何も見えない

もう真黒でどこを歩いているのか分からない、まだまだ目的の穴伏地区の大和街道との分岐点まで今度は足自動車も通らなくやっとの思いで19時15分穴伏に到着。41km山道をよく歩いたものだと思う、今は満足感で一杯JR西笠田駅から帰宅の途に就く

父鬼街道 完歩

何か中途半端で満足せず、補足としてこれからの写真は後日、途中から真っ暗になり街道の状況が分からなかったので、車でではあるが写真を撮りに行ったものです。

鍋谷峠を越えてかなり山を下ってきたところで正面の山の上の削れて道らしくなっているところから下りてきている

道が見えます

左り 福徳寺のところ

少し下った左手の 名水大師井戸

粗末な法衣を着た僧が庄屋の家に立ち寄り飲み水を乞ひたれば、下の川から水を汲み差し上げたところ大変なことだと憐れみて、僧は錫杖を岩に3回突きたてれば不思議と聖水がこんこんと湧き出た。後にこの僧は槇尾寺への途中の弘法大師であったことが分かり感謝の念を込めて大師像を立て祀った。以来千二百有余年聖水の水は枯れることなく現在に至っている。近年この大師水を汲みに来る参詣者が日毎に多くなっているらしい。

右の旧道を進む

左の新道と平行に下っていく

下りきったところで新道の高架下のトンネルを潜り左へ

左側の新道に出たところの直ぐ先の交差点。旧道は高架下を右にカーブしていく。橋を渡り左に進むと
堀越観音・七尾峠・三国山・槙尾山への参詣登山道

この先右にカーブする左手に交通安全地蔵がある

更に下って行った先右手に入る道があるが、一言主神社へ4km、三重の滝4kmの案内がある。旧道は左へ

暗い時は神社の石碑しか見えなかったが右手に 大宮神社と石段

立派な神社

ふうらんケヤキ  御神樹木で樹齢400年と伝えられている。二度にわたる神社の大火にも生き残り、見事な容姿を整えている。

神社から見る下ってきた旧道

神社から下ると四郷地区の集落

右の四郷小学校の前に下りていく

前回はこの辺りで真っ黒であった。穴伏まではまだ遠く10km南の山の山麓に紀の川が見える

下広口地区の集落、左に撰果場この辺りは串柿の里

集落右手に、遺蹟十六勢塚の石碑が立っている

その前に串柿等の撰果場

旧道は、滝・広口・萩原・名手上集落を進んでいく前回はこの辺り真っ黒で何も見えなかった

かなり前方が開けてきた

名手上地区まで下りてきたところです

平野地区に入ります

平野地区右手高台に 浄土寺と榎

農道を横断します

更に下っていきます

やっと穴伏地区に入りました

さいこく橋を渡り左にカーブしながら進む雨が降ってきました

穴伏の集落に入りました

ここを左にカーブした少し先に、瀧之渡井、小田井用水がある
瀧之渡井
小田井用水で一番苦心したのは、穴伏川の谷を渡る工事であった。この瀧之渡井(水路橋)は、18m余りの川幅を両岸の岩盤を利用して支え、中間に1本の支柱も使わずに木製の掛樋を通したことで知られている。
現在の施設は、1919年(大正8年)に改修されたレンガ・石張り造りのアーチ橋で、上部盛り土部に三和土(土・石灰・ニガリの混合物)を用い、表面は自然石で覆われている。
小田井用水には、瀧之渡井以外にも明治から大正時代にかけて改修された水路橋(小庭谷川渡井、木積川渡井)
サイホン(中谷川水門)がある。

小田井用水
和歌山県北部に位置し、現在は紀の川右岸の河岸段丘に広がる水田を灌漑している用水路。江戸時代紀州藩では、2代藩主徳川光貞が大規模な新田開発を計画1699年藤崎用水路の開削が始まった。1707年5代藩主徳川吉宗の命令で、大畑才蔵がこの小田井用水を開削した。この結果現在の、橋本市・かつらぎ町・紀の川市・岩出市にまたがる約30kmに及ぶ用水路で広大な水田が創り出された。
現在に至り農業用水として大切なものであり、また防火用水としても非常に役立っている先人の遺産である。

瀧之渡井を渡しているアーチ橋

瀧之渡井  

瀧之渡井を対岸から見たところ

穴伏川

街道から川向いて道が一本通っているが旧街道の道なのか分からないが多分後日造られた道だろう

JR和歌山線の高架、左に石碑ガードを潜るとまもなく到着
この石碑の辺りが、大和街道と父鬼街道の合流点と想像します

ガードの先50m程の交差点が到着点。右和歌山城下から来ている大和街道との合流点。もう少し進んでみる。

大和街道が正面からきて右に折れる左に曲がり穴伏川が右の紀の川に合流するところの妹背橋を渡る。右が新しい橋の24号線

左にGSの前を100m程進んだところの信号を左の坂を曲がりながら上り、50m程でJR線を渡る。

線路の踏切を渡り大和街道は右に進むが、大和街道の部分でもあるが補足として、踏切を渡り左に曲がったところの場所。左の細い下りが旧道の残骸と思われる

左の下りていく旧道跡か下っていく

両側から民家が覆い穴伏川の方向に延びている

穴伏川に向かって細い道(大和街道旧道の残骸)が続いている道が消失しているところの新しい一軒家、その向こうは穴伏川

ここで旧道は穴伏川で消失

この旧道大和街道の延長で川を渡っていたと思う。そして対岸の向かって線路の右、碑があった辺りで両街道は合流していたと想像できる。

民家の西側は穴伏川で川向かいが父鬼街道が右から下ってきたところでJRのガードを潜るところの情景。手前の岸から細い堤が延びており、対岸からも細い道が延びているので、昔の旧道はここであったのではないかと大発見するが、私の手元に詳細な資料がないので確信は持てないが収穫であった喜び。

父鬼街道完歩

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