2023年2月10日~12日
第3回目の石上峠~宿間までの補足
3回目に歩いた石上峠から宿間までの概略
第3回に歩いた、石上峠~弦巻までの「脱藩の道」 旧道中途半端で何か後味が悪く再度挑戦。
第3回目で韮が峠から愛媛県長浜まで歩いた時、泉ヶ峠(標高650m)から耳取峠(600m)石上峠(518m)に至る尾根道を約2㎞。石上峠から宿間(小田川船着場)まで直線にして約3㎞、標高差470mを樹林や竹林の中の山道を西に一気に下って白岩の大清水の傍に辿り着く旧道を歩くはずであったが。龍馬脱藩の道表示に従って下っていくと、新田(にいた)集落の西の車道に下り立った。その時点で明らかに西への樹林の山道を歩いていないことが分かった。
資料や聞く話によると既に旧道は歩けなくなっているとの事であった。車道を下り大清水の下に出て、更に車道を下っていくと弦巻集落に至る、左に宿福自治会と書かれた車庫のような建物の先で、再び右の旧道に入り山道を越えてその先で下っていくと、最終地点の小田川の宿間(亀の甲)舟着場跡に出た。ここまでが3回目の歩いた脱藩の道です。
第6回 再再挑戦の記録
2月10日 大坂~夜行バスで愛媛県大洲市へ
2月11日 伊予大洲駅前観光案内所で9時レンタル電動自転車を借り宿間へ
石上峠からの白岩大清水での旧道がどうも納得できなく再挑戦
2月12日 11日伊予長浜の冨屋金兵衛邸に宿泊、午前の高速バスで帰宅
11日高速バス大洲本町に6時50分着。自転車レンタル出来るのが9時なので2時間余り時間待ち宿間までバスもなく仕方がない。9時20分出発、宿間まで1時間程の時間を要する。肱川に沿って上流へ、小田川と合流する手前500m程の所でアクシデントが起こる。自転車のバランスを崩し車道の擁壁にぶつけ転倒、その時前輪がパンクしてしまった。何もないところでこの先どうするか頭が真っ白、このままでは当然目的地に行けなく諦めかけていた時思い出した。3回目に来た時、この先500m程の所、小田川と肱川の合流地点に有人のガソリンスタンドがあったことを、自転車の修理は無理と思ったがとにかくそこまで行くこととした。事情を話したところ店の方2人がかりでパンク修理をしていただた。幸いパンクが小さな穴であったのがよかったし、近くにスタンドがあったので助かった。その上頑張っていこうとチョコレートまでいただきありがとうございました。お陰で時間ロスはあったが目的地に行くことができた。
小田川の亀の甲に着き電動自転車であったので、坂を白岩大清水まで上った。ここに自転車を置いて石上峠までのぼるつもりだが、丁度、大清水の傍の車道を挟んだ向かいに大きな1軒家の民家があり、表の庭で草取りをしているおばあさんがいたので旧道を聞くことができた。
おばあさんの話では歩いたことはないが、家の前を走る車道は新しい道で旧道でないと、石上峠から山道の旧道があり以前はその道を使っていたそうだが、今は歩く人もなく藪などで荒れて廃道となっているかもしれないがかつては歩けたとのこと。自転車は家の裏側の軒の傍に置かせていただく。3回目歩いた時は、ここから車道を上り新田集落手前のところに降りてきて、そのまま車道をここに下ってきた。もしかすると今では石上峠から下る旧道は標識の通り、途中で車道に下り3回目の道になっているのだろうとも思った。
再挑戦に来たのだから、逆に石上峠まで行けるところまで登ってみることとしました。おばあさんに教えて頂いた、大清水と車道の間の細い山道を進むこととしました。大清水から竹林や樹林、雑木林の中の山道をドンドン上ってきた、右に折れたり左に折れたりしてきたので、どの辺りの位置かよくわからないが思っていた以上に整備した後があり道もあったので間違わなかったと思う。ブーム時に歩いた時の資料には。途中下ってきたところにお墓があると書ていた。確かにお墓ありましたので道は合っていました。
結果的に白岩大清水から登り、この地点まで来ましたがどの辺りか分からないし、この先道が無くなっているようで無理をしないでここで諦めます。
石上峠まで行けなかったとしても、どの辺りまで来たのか、もしわかる方がおられたら是非教えて頂けたら嬉しいのですがよろしくお願いします。
よくわからないが、多分新田集落の最南端の標高372m辺りで、以前歩いたコンクリート道の車庫小屋の近くまで来ていると思いますが?。
自転車のパンクを直していただいたガソリンスタンドの方も、以前は何度か歩いたり自転車で来ているようで、でも今は歩く人もなく藪で廃道となっていると言われていた。
ここまでとして引き返す(ここから引き返しながら下りの写真を撮りながら下ります)荒れてはいるものの冬場だから道跡もよくわかる


同じような写真になりますが下っていく道

このように下っていくと、どうも最近小枝切(自然ん枯れて落ちたのか)をしているようで小屋の所まで行けたかも

ジグザグに進むので方向感覚がなくなる、

分岐していますが右の平坦な真直ぐな道を進みました

道幅も広く旧道の面影、倒木が道を横切っている



かなり西方向にあるいてきましたが地図から見てもどの辺りかよくわからない。

前回も思ったが、「龍馬脱藩の道」の案内表示が石上峠までは沢山あったが、内子町に入ると極端に少なくなり注意しなければ迷ってしまう。町ではあまり力が入っていないのだろう。でも旧道は前述したように最近整備されたように見える。
実は3回目の時、白岩大清水を下っていった弦巻地区で地元の男性2人と話をしたとき、脱藩の道歩いてきたのかと聞かれた、その時地元の男性は内子町に入ると道も整備されていなく案内標示も少なかっただろうと、行政は力入っていないからと、今度の会合で話してみようとおっしゃっていたのが、(2022年4月)の約1年前でそれで少し道を整備したのか。そういえば自転車置かさせていただいた民家のおばあさんも、若い者が旧道整備しているから歩けると言っていた。それであればくどいが上の小屋まで歩けたのかも
それであれば貴重な旧道を保存していただけるので嬉しいが。もし言っていることが間違っていたら是非ご指摘ください

前方に三差路が見えてきました。ここが資料にもある地点で真ん中の道を進む。まさに脱藩の旧道に間違いありません。

突然、脱藩の道の案内表示が出てきました、どうなっているのか頭が回りません。
この地点の今までの道にはなかったようでしたが

快適な旧道にかわりました

何時までも続く樹林の中の道

やがて右手に大量の椎茸栽培木があり、それを見ながら下ります


右下に地道の車が通れる道が見える

車の通れる地道が右から合流してきます。左に脱藩の道表示が立っています

合流地点を振り返る

地道を横断して左斜めに下っていきました

同じような道が続きますが、日の入る明るい気持ち良い道が続く。歩く人でないとこの感じが味わえない


かなり下ってきたようです、やがて古くからの墓地があります

墓地を右に見て下ります

墓地の下で分岐していますが当然看板がなくても右の下る竹林の道です

更に下ると右角に作業倉庫があります。その角を右に回り込む

作業倉庫に下ってきたところを振り返る。向かって右から下ってきた

作業倉庫を右に回り込むと、すぐ左鋭角に下る狭いコンクリート道があり少し下右に脱藩の道看板があります。北側一帯が開け見通しがよい。

左鋭角に下るところ

右手の案内標示を見て下る

下から振り返る

蔵のあるような一軒家です。前回石清水付近から見えていた民家だった

コンクリート道を下っていきます、

再び先ほどと同じような形で、舗装道に下りつきます。右角に建物

舗装道に下ったところから振り返る。建物の右を下ってきた

舗装道に出たところで向かって左に出てきて、道を挟んだ向かい側に横断して細い道緒を下ります

同じように右に畑や雑木を見ながら下る

前方に白岩大清水が見えてきます

白岩大清水と坂本龍馬脱藩の道の表示が立っています、向かって看板の裏側左に下りてきました。案内標示は手前下、車道から見ています。3回目の時には手前下の車道を下ってきたの、今回旧道の脱藩の道を歩けたので最高です。ここでも脱藩の道は車道から上るようになっています。ということはウオーキング等一般的に歩くときは、私が3回目に歩いた道に今ではなっているのだろう。

大清水から車道に下ってきたところです。
この地点に脱藩の道の案内板があるのが納得しました。石上峠からの下り第3回目の時で合っていたようです。(龍馬らが歩いた脱藩の道でなく)本来の山中の道は廃道化しているので、イベントとしての道に変わっています。この案内は上の大清水を刺しているのでしょう(あとでおばあさんに話を聞いて勘違いしていたのがわかりました)
今回一部最後に歩けなかったが旧道の脱藩の道を歩けたので最高です。
大清水から車道に下ってきたところです。

車道から見た蔵のある1軒家です、民家の裏(向こう側)を向かって左の樹林から出てきて右に大清水に下りてきている。第3回目もこの景色を見て悔しがった

ここで今回の目的は達成したと思ったが
前述の大清水の向かいの民家の軒に置いている自転車を取りに行くと、表の庭を手入れしていたのが、私の自転車の置いている裏の庭を手入れしながら、私の自転車を見ていてくれたようで親切さに頭が下がりました。
少し話をしているとこの前の車道は新しい道で、その前は大清水の前の山道を下っていたと、今も歩けるか聞くと若い人が手入れしていたから歩けると教えてくれた。 今は時折マイクロバスで泉ヶ峠まで行って、脱藩の道を宿間まで歩いてバスがそこで待っているのが見かけるが、第3回目と同じ車道を歩いているそうです。
おばあさんに教えて頂き自転車を下の宿福自治会の表示がある建物の前に置き大清水まで再び上ってきて、おばあさんにお礼を言って前述の大清水の前に行く。
白岩の大清水 龍馬達もここで一休みして冷水を飲んで喉を潤したことだろう


大清水を奥に入る3回目の時この道を進んだが間違っていると思って戻りました合っていたのだ

おばあさんが言っていた通り枝切りした後や整備した後がわかります。
有難うございます

右手下におばあさんの大きな家が見えます

右が急斜面の旧道、人1人が十分歩ける

枯葉が足に優しい柔らかい地道で快適

下って行きます


新しい案内標示ありました間違いありません

古い旧道を表すように道がえぐれています

素晴らしい、車道を歩くのがどうして


分岐しています、左側の道に表示があります

更に下っていきます全く静寂で人の気配もありません

左に古い墓や祠


竹林や椎茸栽培木をみる


ようやく正面の急な坂を下ると車道に出ます

右からの道が出会う下から振り返る、向かって左が先ほど分岐した右側の道で、今下ってきたのが向かって右の道

合流して車道に出ます。大清水からここまで車道の道は約700mです。

下ってきた旧道を振り返る

集会所を右に見て少し先左に自転車の置いてある宿福自治会の建物。

第6回目来てよかった大満足(一部残ったが仕方ない)旧道整備していただき地元の方にお礼申し上げます、満足して帰ります。
自治会の前に自転車置いているのでここからは、3回目来た時に弦巻から宿間までの旧道を歩いているので自転車で下ります。15名ほどのウーキングの人たちが泉ヶ峠から降りてきたといって宿間の方に下っていきました。旧道を歩かず車道がされているようです
下る途中早咲きのさくらが綺麗に咲いています

下る途中左上に お堂前回気が付きませんでした

折角の自転車だから少し上流にある小田川に架かる橋を渡り、宿間(亀の甲)のかつての舟着場跡の対岸よりの景色と
宿間・今歩いてきた石上峠からの遠景


最後に対岸からの宿間の全景を撮ることができました。
今日は天気にも恵まれスタートしてから自転車のパンク転倒手傷のアクシデントがあったが、大清水の民家のあばあさんのお陰で再挑戦の旧道歩きほぼ満足にできた。おばあさん有難うございました。
また大洲駅観光案内のレンタルサイクル少し壊してしまったが、気持ちよくいいですよといって頂き最高の日となった。
高知市からの脱藩の道の旧道発見から、その後の整備に尽力されている地元の方々のご努力に本当に感謝いたします。
また、旅の途中多々好き勝手な苦情を言いましたことについては深くお詫び申し上げます。これも龍馬や惣之丞や虎太郎たちが歩いた脱藩の道が大好きだからと思ってお許しください。
高知市から下関までの坂本龍馬・沢村惣之丞の脱藩の道、途中沢山の人に助けられ暖かく接していただき、お陰様で無事完歩出来ましたことを心からお礼申し上げます
(追伸) 土居で終わり甲が森越えが出来なかっので、また機会があればその区間を行ってみたい思いです
【おわりに】
韮が峠越「脱藩の道」・九十九曲がり峠越「維新の道」・下関への道を歩き終えて
1回目2016年5月のスタート時は一回で、高知城下の坂本龍馬生家から愛媛長浜までの日程計画であったが、韮が峠頂上で引き返す事となり、その後長らく未完歩でしたが、2021年11月5年5ヶ月振りに再スタートを思い立ち、2023年2月まで計6回に分けて下関の白石正一郎邸まで歩くことが出来ました。
脱藩の道だけでなく土佐・伊予の幕末関係を主に見ながら随分沢山の史跡を見ることが出来ました。60歳定年後全国の旧街道を歩き始めて、その中でも特に力が入った心に残る旅が出来ました。
元々小さい時から坂本龍馬が大好きであったが、脱藩の道の梼原街道を歩いていると、静かな山村(失礼)であるに関わらず、これだけ有能な勤皇の志士が綺羅星のごとく沢山世に出ているのは何故だろうと思った。その代表は天誅組総裁吉村虎太郎、地元での人気は龍馬にも勝るとも劣らない絶大な人気があるのには驚いた。新田に立つ虎太郎の威風堂々と正面を見ている像にも圧倒される。桂浜の龍馬像・室戸の慎太郎像・須崎市横浪半島(残念だがまだ見てない)の武市瑞山像など他、沢山の像が建っているが、土佐は結構像を建てるのがの好きな土地柄なのかと思いました。
天誅組「魁」を通して今も東吉野村との交流が続いているのがよくわかる気がします。
幕末には薩長土肥と言われる勤皇藩であったが、明治維新後は薩摩・長州が中心となり政治を執り行った、もしもの話だが、土佐にはそれ以上に多くの有能な人財がいた、その殆どが維新を見ずして散っていった、土佐にとっても残念だが、新しい日本の夜明けのためにもそれ以上に不幸であったと思う。
私が土佐を歩き思ったのは、若くして亡くなっていった半分の志士でも維新を見てほしかった。少し偏見かもしれないが、土佐の容堂公は優秀であったが、徳川幕府を捨てきれなかったため、勤皇の有能な下級武士や郷士、多くの志士には庄屋も多い、その人たちを使いこなせなかったのが残念である。これ以上のことは専門家でないから控えます。
脱藩の道を6回に分けて歩くことができたのは、高知・愛媛の皆様、特に山間の町村の方々の親切・思いやりに随分助けて頂いたお陰でした。沢山の人々との出会いに感謝、土佐・伊予に良い思い出に残る街道歩きになりました。
虎太郎たちが越えていった、梼原から九十九曲がり峠越えは完歩したが、何時か早い機会(年齢的に)があれば城川町の「甲が森」の山越え~辰の口へ道を補充したいと思っています。またその折、城川町で大変お世話になった方へお礼も言いたいと思っています。
余りに長々とみづらい資料で見ていても面白くないかもしれませんが、そこは素人の構成した資料と思ってお許し頂ければ幸せです。
また、ご意見・ご感想が御座いましたら是非ご教授頂けますよう宜しくお願い致します。
あわせて間違っていたりする部分多々ありますのでお教えください。
歩くにあたって下記の資料を勝手に参考にさせて頂きました。
坂本龍馬脱藩の道を探る 著者 村上恒夫
歩いてみよう坂本龍馬脱藩の道 著者 村上恒夫
龍馬が辿った道 著者 春野公麻呂
長州・龍馬脱藩道 著者 春野公麻呂
坂本龍馬脱藩の道をゆく 著者 左古文男
龍馬脱藩・ゆかりの道 関連市町村協議会
風雲児吉村虎太郎 東津野村教育委員会
高知県の歴史散歩 山川出版社
愛媛県の歴史散歩 山川出版社
街道をゆく・梼原街道 司馬遼太郎
ゆすはら千百年ものがたり ゆすはら歴史民俗資料館
坂本龍馬脱藩の道ゆすはら街道 小学館
幕末維新の土佐人物紹介 高知県
幕末を歩く 坂本龍馬 学習研究社
さかわ栞 佐川市
幕末維新の土佐探訪図会 高知県
ぶらり日本名作の旅 日本テレビ
日本の町並み 内子・大洲 学習研究社
歴史人 真説坂本龍馬
国土地理院地図
県市町村の観光案内やマップ
インターネットによる街道資料 他
有難うございました
コメント