第2回 坂本龍馬・吉村虎太郎土佐脱藩の道を歩く⑤

11月29日
『葉山~須崎』へ 脱藩の道ルート説、梼原街道逆に歩く
先日中村街道を坂本龍馬の実家前から須崎まで歩いているので、その続き逆になりますが、葉山かわうそ公園から、
須崎まで歩きます。歩いてみて脱藩の道でないと分かりましたが、最初はこの説もあったので歩いて満足しました

昨日帽子をバスの中に忘れてしまった、翌日気が付いてバス会社に連絡したところ、梼原の営業所で預かってくれているとの事であったが、今から戻れないし事情を話したところ、運転手さんのリレーで、須崎のバスセンターに保管しますとの事で、予定の高知駅行き特急にも乗れ非常にありがたかった。今回も気持ちよくバス会社の連携により、思いの籠った帽子も戻り土佐の人の暖かい気持ちが伝わった日であった。有難うございました

かわうそ自然公園を出発。本当は須崎から歩いてくるのですが便利上須崎に向かって歩きます。久保田橋から振り返ったところで橋を渡った左手奥辺りは 獄門台跡

橋のすぐ先で左に折れると、左手に 三嶋神社

境内に 表忠魂
田中光顕、片岡直輝・直温兄弟により建立された。地元から輩出された主な勤王の志士。いずれの志士も明治維新を見ないで「魁」となって無念の死を遂げた。地元近郷からこれだけ優秀な人たちが出ていることに驚くばかりです

三嶋神社の前前の筋の町並み

三嶋神社を振り返る

脱藩道とは別の国道の北側の集落内の道で左一帯が姫野々の地区前回の歩いた脱藩道は国道と川の間の細い道でした
暫く歩いて振り返ったところ

学校も近くにあり子供たちが合う度に元気よく挨拶をしてくれて、今朝の空のように気持ち良い、やはりこれは親の躾もさることながら昔からの風土が生んでいるのだろうと思う。
奈良県東吉野村の鷲家で「天誅組」の吉村虎太郎はじめ志士たちが戦死。鷲家の地元の人たちが手厚く墓を守ってきたのを感謝し両村の交流が今も延々と続いているのがよくわかります

左の集落内(葉山小学校裏手一帯)は第1回目に歩いた時回りましたが結構史跡もあります

やがて左の細い道に入ります

やがて右からの国道に合流し広い場所に出ます、正面の民家と民家の細い道小さな橋が架かっています

赤い消火栓箱の左に立っている案内標示前回朽木峠を越えてきた辻ですの近くです

八幡橋の西谷の集会所の辻で、朽木峠からの脱藩の道が左から合流してきます。 左の朽木峠方向の遠望

辻を左に見て須崎方向へ197号線を進む。すぐ辻の先に

 滝山古城跡の説明板左に滝山古城の山城跡

しばらく進んだ先から振り返る遠方は葉山の郷、右手は古城跡

風力発電機が並んでいます巨大な風車が聳えたつ、星の里公園北山の尾根に連なる20基の風力発電の風車
羽根の直径が61m、高さ68mある、間近に見ると迫力が圧巻だそうです

永林集落に入ると短い距離だが左に旧道

左に八幡神社非常に高くて急な石段とても上まで行けない高度恐怖症の私にはとても無理

八幡橋を渡る

大きな津野山街道の案内

新土居地区で振り返る

須崎方向への道

笹野地区に入ると右に紅葉も間もなく終わり

紅葉木の所で左への旧道が集落内をまっすぐ進む

右からの国道に合流して平野地区に入ります

首永のバス停に珍しい 地蔵さん

少し先で 

右の新荘川に架かる落合橋の所で左の旧道に入る

遅越集落

集落途中左に 賀茂神社

左手に老人ホームを見て少し残っている旧道を進む

同じような景色ばかりですが大谷地区

やがて左に 天満宮 この辺りの神社の石段は皆結構高い急斜面です。足が疲れていたらとても上れない

天満宮を過ぎると、一帯ビニールハウス、この辺りから先日目についたハウスも茗荷の栽培で全国一を誇っているそうです

正面に高保トンネルが見えてきましたトンネルの手前坂ノ川川を渡り、右に迂回します

新荘川とトンネルの間の旧道を振り返る

トンネルを抜けてきた197号線と合流、少し先で

左斜めに国道と分岐して旧道を進むすぐ先でで合流するが

更にその先国道を右に分け左に細い道が分岐しています、多分旧道と思うのだがよくわからないので、国道を進む

左山裾に新荘小学校が見える、旧道はあの辺りを通っているのだろうか

やがて左に須崎中学を越えたところで、中村街道との分岐があります。

交差点を横断した右手に道の駅、松山街道を歩いているとき神社の石段で毎日砂袋を背負って鍛えているというおじさんが、須崎に行ったら「なべ焼きラーメン」がとても美味しいから食べなさいと言って進められていたのでここで食べる。ラーメンをなべ焼き風にしている。関西にはない味でおいしかった

道の駅西側の高速道の下から中村分岐方面を振り返る

西町の高速道の下からの須崎市街地への道

綺麗に花が咲いて疲れが一気に癒されたという感じ

西町の右T字路を真直ぐ須崎ルート説の、脱藩の道(梼原街道・津野山街道)はここで終わります。逆に歩いたので、須崎~葉山までつながらなく少しわかりづらいかも
           34.526歩  25.54㎞

高知市の龍馬生家跡から高岡~須崎~葉山の須崎ルート説の脱藩の道を歩きましたが、実際歩いてみて、距離的にも地形的にも如何に健脚とはいえ翌日の夜、梼原の那須邸に着くのは無理があると思います。やはり現在言われている朽木峠越えを脱藩したと確信しました

またこの後嬉しいことがありました。実は昨日梼原からバスで葉山まで乗った時、今までの思いで多い帽子をバスに忘れてしまい、今朝無くなっているのがわかりバスしかないと思って、須崎のバスセンターに行きました。帽子は昨日折り返しのバスで梼原にあるとのことで。再度帽子はバスに乗って須崎駅まで、須崎駅前のバス停で何時に着くから待っていてくださいとのことで、私の手元に帰ってきました。大変皆様にお世話をかけて済みませんでした。当たり前のようなことですが、誰も嫌な顔一つしないで笑いながら対応していただき、ここでも優しさが伝わってきました。
更に気持ち良い脱藩の道歩きとなりました。街道歩き始めて使っていた一つで大切な帽子でした。会社の方・運転手の方本当に有難うございました

須崎にて、須崎ルート説脱藩の道完歩、須崎駅から高知駅にJR特急で戻る高知市内のホテル宿泊

次の日はコチラ

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