篠山街道 2日目

2018年5月4日

亀岡城下安町~篠山城下河原町

JR大阪駅~JR京都駅~JR亀岡駅へ7時30分亀岡駅をスタート。
湯ノ花温泉の交差点までは、能勢街道を歩いた時、逆に歩いて亀岡まで来ているが、今回再度、亀岡7時30分~湯ノ花交差点10時30分着で重複。
そこから篠山河原交差点の篠山街道の起点まで久しぶりによく歩いた、天引峠越えもあり楽しいコースであった。完歩まで間が空きました。
着時は少し暗くなったが、JR篠山駅7時35分で自宅に着いたのが22時35分。
         亀岡駅  7時30分 スタート 
     篠山河原交差点  18時30分 着  バスで篠山駅へ
          街道実歩    64.445歩  38.66㎞  
          1日トータル    68.839歩  41.29㎞

途中風が強く、雨も降り大変であった。その上、峠への道に迷って畑仕事の人をやっと見つけて道を聞きました。篠山の起点から駅までも遠くバスで移動、篠山の市街地の史跡巡りができなかった。機会があれば廻ってみたい。
      篠山街道 前回と合わせて2日間で  

             116.263歩  69.98㎞

1回目目の前回は、2014年2月23日で、約4年振りの挑戦となります

JR亀岡駅スタート右奥に見える山は、愛宕山

前回のみゆき通りにでて安町の信号交差点へ。
交差点より引き続き篠山街道を進む、この道は京都から山陰道も重複しています。この先、右の洋菓子店のところで左斜めに折れています

洋菓子店の手前右に下るとすぐ 常夜灯が一基 立っています

燈籠の下部の字 道標 を兼ねているようです 

傍に 祀られているのが 古井戸跡(清水口)です

右に下ったところです、街道は下らず左に進みます

すぐ右手にも旧家の建物

旧家の西隣には朝早いのでまだシャッターが閉まっていますが 「提灯屋」

すぐ西側には常盤橋が架かっています、ここにかつての 番所跡 です

提灯屋の川側に「山陰道」の看板が架かっていました

橋の西詰から振り返る左が 提灯屋

橋から100m程先で交差点に出ます。ここで京都から重複してきた 山陰道 は右に折れ、篠山街道は真っ直ぐ進みます

交差点を右斜めに折れる山陰道の筋、時間があれば山口まで歩いてみたい街道です

交差点を少し進むと、街道は左の道ですが、右の坂を少し上がってみます

右手に 浄土宗西岸寺

門前に大きな史跡 丸岡城址碑 が立っています

坂を上ってきたところから振り返ったところ

街道に戻り西に真直ぐ余部町を進みます

暫く進んだ左に余部公民館がありその前に 北村龍泉先生講堂遺跡碑 大正時代の郷土学者

さらに進んだ右手に、当時篠山の波多野氏の配下であった福井氏が丸岡城の城主であったが、明智光秀によって敗れます。その敗れた福井因幡守貞正の墓がある 曹洞宗天王山長興寺

福井因幡守貞正の墓

すぐ先の国道9号線の余部信号交差点を越えます

右手斜め後方に見える愛宕山、9号線の辺りまでが旧亀山城下になります

街道は西に真っ直ぐ延びて田園が広がる長閑な風景です

左に 蛭子神社

京都丹波道路の高架を潜ります、高架の手前左に 愛宕山常夜灯

高架を潜ったすぐ右の民家の軒に 

左手には 浄土真宗本願寺派道光山光専寺

右に鈴木表具店が、その前からの旧家の残る街筋

犬飼川に架かる古川橋を渡ります

橋からの素晴らしい街道情緒

立派な蔵を有する大きな旧家が続きます

橋より少し先の左に 丹波寒天の西田家

西田家の蔵と母屋

すぐ先で小さな川を渡った右手に

すぐ先で小さな川を渡った右手に 灯籠

さらに右手に 浄土真宗本願寺派春光山浄光寺

左に佐藤医院で大きな重厚な建物です

稗田野町に入ります

右に 灯籠三基 愛宕山・秋葉山・金比羅灯籠の銘

すぐ右手に、大石酒造酒の館があり試飲ができます、丹波の地酒「翁鶴」

大石酒造の西側に 稗田野神社と大鳥居
和銅二年(709)に創建で、平安時代には延喜式にある古社。参拝すると癌封じにご利益があるといわれます

境内にある新しい 幸魂奇魂の魂石

必勝気力石
この石に両手を当てて達成したい思いを込めると、石に宿る魂で頑張れる気力を授けられるという

鳥居近くに建つ 道標 「獨鈷□山千手寺」「とこなげ山」

神社のすぐ先右に佐伯郵便局の前で道は分岐しますので、右の道を進みます

少し先で流川に架かる御興橋を渡ります。右手に稗田野小学校があります

ここまで来て、旧道はこのまま進むのが正しいか、郵便局の分岐を左に行くのが正しいか迷いました。結局戻り分岐を左に行くこととしました

郵便局のところを左に進み100m程先で、車道を左に横断します横断して数十m程進み右に折れます。

右(西)に折れ150m程進むと分岐にでる左角に 愛宕山灯籠 があります

愛宕山灯籠を左に見て少し先、左に上西町会議所があります

会議所のすぐ先左に

左に 灯籠一基 御霊神社の背後に出ます

御霊神社 神社本殿の裏側に街道が出ています

御霊神社の正面の鳥居

再び背後の街道に戻り灯籠方向を見ると亀岡の名木 御霊神社のムクノキの大木

そのすぐ先でT字路に出ますので左斜めの道を進みます。右に方向を変えた先で突当りに出ます

右に折れるとすぐ左に 祠 享保9年の銘があります

菰川に架かる御霊橋を渡ります

橋を渡るとすぐ車道に出て左に折れますがこの道が前述の郵便局前で分岐した右の道で、川を渡った先で左に分岐してきた道です
結果今歩いてきた道の方が街道らしい

左に折れてすぐ先右に

苗秀禅寺の看板がありますので、右に寄り道します

曹洞宗霊松山苗秀禅寺
奈良時代の創建と伝わる古刹、紅葉の名勝

山門を入ります

正一位秀成稲荷大社参道の石柱

街道に戻りすぐ先右に入る旧道があります

少しだけ迂回していてまた元の道路に戻ります

合流する右に湯ノ花温泉の看板この先にあります。左に池を見て坂を上っていく

池が過ぎた先で、右に草が茂った旧道の跡が残っているようで右に入ります

旧道らしい道筋が残っているのですが、雑草で行けないかも

やはりこの先で廃道化していますので戻ります

さらに坂を上っていくと右前方に渓山閣旅館の建物が見えます

渓山閣建物の手前を右に入ると広くなっています

そこを山際まで行くと旧道らしき道があり下っていきましたがやはり途中で廃道化しています、右に旅館の駐車場のような車が置いています前述の延長線上の旧道跡

旧道跡から渓山閣方向を見たところです。多分かつての旧道は、建物の山際あたりを上っていたと思われます

車道に戻りさらに坂を上ると間もなく温泉地の建物が両側に見えてきます

左の有楽荘の手前で右の雑木林に入る旧道が残っていますので入ります

奥には入らず左の少し右の車道の土手の上に沿った旧道です

車道がかなり左下に見えます。おそらく車道は峠道を切通に削ったのだろうこの辺りが旧道のであったと思います

道跡は荒れていますが何とか通りました、でも夏場は少し厳しいかも

やがて下ってきて左の車道が接近します、正面の建物の裏側から国道に出ます

右のつつじ荘の前を進んでいきますこの先で峠が終わり下りになります

左に石段がありその高台に 春日神社

春日神社から下を見たところです

下りの途中左から温泉旅館が並んでいきます、湯ノ花温泉の案内説明板があります

やがて左の保津川亭ホテルが過ぎた先で国道372号線が右から合流してくる湯ノ花温泉信号交差点に出ます

国道に出る十m程手前左に入る狭い旧道が残っていますので左へ

近くの叔父さんが道路掃除をしていたので旧道かどうかお聞きしたらやはり旧道であったと教えていただきました
渡しも少しは経験を積んだので旧道の判断がすこしはわかってきました

旧道はここで右の国道に出ないで、左の細い道を入っていたとのことですが、その先はすでに消失しているらしい

家の裏側に回ってみましたが、その先で旧道は無くなっていますがでも旧道跡の発見です

家のところを右に出て372号線に出ました、その辻に 灯籠二基と道標 が並んでいます

旧道を出てきたところ

左に少し372号線を進む

道路右手に 自然石道標「一石一字法華経 左 □せ屋 右 笹山乃」

少し先で右に折れて湯ノ花温泉西信号交差点に出ます。その西角に 石標

石標の所で新しい道が分岐、右の北側の372号線の新しい緩やかな坂道を進みます

交差点からすぐ先に左への分岐道があります亀岡への道

坂を上っていった372号線の左にホテル

少し先で右に少しだけ国道の側道を進み、右に分岐した旧道を進みます

案内板があります

小池ヶ谷地区で右からの道と合流します北へ旧道を進みます

街道左に大きな石に「ふるさとの碑」と刻まれています

続いて お堂

お堂の隣の旧家の軒には桔梗紋が入っています明智光秀の関係でしょうか

その先、猪倉バス停のところを右に入る道がありますので寄ってみます

右に250m程入ると光秀の首塚がある谷性寺があり標識があります

正面がお寺ですが右の入り口から花畑を通っていきます

真言宗大覚寺派清瀧山谷性寺
本尊は不動明王で平安時代の創建による古刹明智光秀が天正十年(1582)山崎の戦で最期を遂げると、光秀の尊敬厚い不動明王の傍に墓碑を建立。

境内の本堂前に 明智光秀公首塚 横に七重石塔

南門は移築 明智山門 輪法紋・桔梗紋の彫刻が施されている

お寺の北側に 篠葉神社 延喜年間(902~928)に創建された古社

谷性寺から元の道路に戻り進みます。左にカーブして372号線が左から合流してきます。角に「ききょうの里」の看板が立っています

372号線に沿って少し進みます、そこから振り返ったところで、向かって右が国道372号線。左が旧道でききょうの里

372号線に合流して本梅川に架かる猪倉橋を渡ります

宮川地区を進む

本梅川から200m程先北側を渡る手前で、左に旧道は分岐します

旧道に分岐したすぐ先で、北川に架かる宮川橋を渡ります

さらにすぐ先、宮前バス停の交差点で477号線を横断します

少し先に左に大きな屋敷の旧家

左に、亀岡宮前郵便局があり街道筋には旧家も街道情緒があります。緩やかな上り坂になっています

神田川に架かる赤坂橋を渡る宮川町宮川地区

小さな峠のようで下りに入ります

左に 冨家稲荷神社

境内の苔に覆われた 灯籠

その先左に、頭の駆けた五輪塔のような 石碑

さらに進んでいった左手奥に

樹林の中、全く人の気配がない 中野八幡神社

暫く歩いていくと右手に鳥居が建ち参道があります 鳥居 は享保十一年の銘

日慈谷神社 鎌倉以前の創建と伝わる古社

神社の参道入口を右に見て過ぎると、まもなく交差点に出ます。赤熊バス停がある

交差点左の道は、半国山へのハイキング道 道標も立っています

交差点を真っ直ぐ進んでいく東梅本赤熊の集落を進む

集落内の小さな橋を渡ります地区で地区で長閑な集落内の街道です

右手に東大谷集会所があります

少し進むと南丹市に入ります

少し先左に、曹洞宗日画山浄光寺参道への道があります

素晴らしい街道風景です、雪が多いので急斜面の民家の屋根、まだまだこの街道沿いにはこのような風景が残っていて嬉しい

園部町南大谷の集落を進むと左に 愛宕山の灯篭

さらに進むと 愛宕山常夜灯

さらに左に 警鐘の碑 が続きます

右手に池が出てきます、右に入ると農芸高校があります

その道の角に 道標 「国宝普済寺観音堂道」

東町集会所を通っていきます

おきた地蔵・ねむた地蔵の説明

園部町埴生の集落に入るところで蛇谷川の蛇谷橋を渡ります

橋に手前右に 埴生城跡の案内板
戦国時代(1500年代)の山城(砦)跡で信長の命で光秀の丹波攻略の折、八上城主の波多野秀治との仲を仲裁した野々口西蔵坊の居城といわれている。城山の麓には野々口氏が居住した館跡が残っているそうです。
寄り道は時間の関係で無理でした

蛇谷橋の先の埴生の集落を進む

街道両側に歴史を感じさせる蔵と民家「米」と刻まれた石

街道右に 清酒瑠璃乃誉 平田酒造場

美味しそうだが、酒好きの人はたまらないだろうが、私は飲めないのが残念

埴生のバス停・埴生コミュニティ―センターを通っていきます

集落を抜ける辺り右に 

祠の先で右からの372号線に合流して直ぐ又左に分岐した旧道に入ります。合流した左には十川産業京都工場があります
旧道から右の国道に合流するところを振り返る

国道を少し進んで左に入ります

左に入った旧道先右に 二基の碑 題目碑「南無阿弥陀仏」と顕彰碑

碑の前からの街道

さらに進み右、旧西本梅小学校前のバス停を過ぎます園部町南八田

先の交差点で左に、るり峡への標示5㎞

交差点の辻までの手前右に 八田城址の案内板

八田城址の案内板のすぐ隣に綺麗な水の八田川に架かる八田橋を渡りますが、その手前右岸辺に南八田の 五輪塔 橋からの眺めは綺麗です、大きな敷地の旧家

天正(1575)の頃、信長が光秀に命じ丹波平定のため、丹波の豪族波多野秀治と戦いを繰りひろげた、南八田も戦場となり八田川を挟んで死闘も数度にわたり、八田川も血の川となった。そのため戦死した波多野勢の武将の供養のため、波多野氏の関係者がこの五輪塔を建てたと伝わる。八田の曹源寺には明智方の供養塔があり、八田の丘や山麓には小さな一石五輪塔が沢山散在したという。

八田橋より南(左)側の八田川、るり渓方向

八田川を渡るとすぐ453号線と交差する南八田の交差点に出ます

左(南)に行く るり渓への道

左角に立つ 道標 「名勝瑠璃渓」

交差点を越えて園部町南八田の集落を進むと、少し進むとT字路となり右に折れる。T字路を左に折れた先右に
曹源寺があります

右に折れて北への道を300m程進み、ふたたび372号線を横断してUターンしてきます、左に372号線が走っています

左にカーブして372号線に出ます

372号線に突当り左に折れたところ、左は新しい372号線の道路建設中で、暫くすると景色が変わっていることだろう

左の建設中の道路に沿って並行して山際を西に進みます

左の新しい道が開通したらこの道も旧372号線と呼ばれることだろう暫く進んでいきます

この辺りまでまだ建設中です

現372号線が新しい道路となるところで、右の川に沿った地道の旧道と思われる道を入ります。
雲行きが怪しかったがここで雨が降ってきました

畦道のようですが草が刈られていて柔らかく歩きやすい

右の小川に沿って進んでいきます

かなりの道のりでしたが、54号線の道路に突当りました。想像ですが地図からすると、かつての旧道は突当りを横断して左に進みながら、54号線の北側の雑木の中に旧道があったと思われます。左斜めに超えていっていた

54号線の向かいに赤い木造の鳥居が見えます小高い山の上にある 稲荷山

稲荷山の左側に道跡があるのでこの道がかつての街道の残骸でないだろうかとの想像。すぐ先、鎖で通れないようになっています

左に折れた道を緩やかに坂を上りながら進みます

坂の途中から振り返ったところです

数戸の集落があります

やがて372号線に西(右)に折れますこの付近新道ができ道の様相が変わっています。私の資料と少し違っていて方向が分からくなり、畑仕事の人に街道を聞きました

小さな峠道を進み下っていくと右からの道路が合流するところに出ます、そのまま372号線を進む

雨が結構きつくなってきました

国道右の田畑の中に茅葺の 薬師堂 薬師如来堂が祀られいる。地域の守り神として大切にされている

ここで国道より畦道を右に折れ、薬師堂の横を国道より北側の旧道に出ます

旧道に出て左に折れて園部町天引の集落を進みます

この辺り右に、前述の鳥居から旧道は越えてきていたと思うが今は消失しています
右手の山裾の天引八幡神社(寄り道)

長閑な集落を抜け振り返ったところ

右手に 天引八幡神社
天引の産神で、文和三年(1354)勧請により再建された古社。本殿は安永年間(1772)に建てられた三間社流れ造りで柿葺です。社頭の灯篭と鳥居は花崗岩で元禄時代の銘があります。
境内には、杉・かやの木・欅の大木が多くあり、特にムクノキは国内有数の大きさとされ、鬱蒼と茂る神社の杜は貴重な自然遺産です。

少し進んでいくと左から372号線が合流する

右手高台に 曹洞宗清涼山大隠寺 本尊は釈迦牟尼坐像

園部町天引地区、お寺の先で暫く左の372号線と並行して西に進んでいきます。左の372号線に下る分岐の辻で、右の旧道には車通行止めの柵がされていますが歩けます

左の新しい372号線ができているので、旧道はもちろん車は通れないので歩くには最適です。この道は正式には旧372号線で江戸期の古道は多分この道に沿っていたのだろう

天引峠までの道で緩やかに上っていますが非常に蛇行が多いです。でも道なりなので迷うことはないです

今はまだ白線の見える舗装道ですが、何年か先にはどうなっているのだろう

この峠の上り坂の下を372号線の天引トンネルが交差しています

天引峠お地蔵さん
峠の頂上にはかつては大きなお地蔵さんが立っていたそうですが、どこかに持ち去られたそうで、台座は昔のままです。
足元には「全安來往為・・・・・」と刻まれている。ここは京都府と兵庫県の県境で、かつての旧道跡は峠の中で、現在歩いている道でなかったと記されている。辿るべくことはできないが、おそらく当時の厳しい峠越えであったことだろうと偲ばれる。

峠の左に旧道跡らしき道があるので林の中に入ります

入るとすぐ先は快適な旧道です

篠山への街道は下り道です

暫く下っていくと分岐しますので左の道を進む

下っていったところで、372号線に出て合流します

篠山市に入りました

合流したところから振り返ると、新しい372号線の天引トンネルが出てきています。 向って右の道が峠への道

372号線を歩き暫く進むと、西野々信号交差点が見えますが、その手前左斜めに入る道が街道です

左に入り西野々の集落を進む

西野々から福住にかけて西への真っ直ぐな道で旧家も並んでいる

篠山市の福住地区は、国重要伝統的建造物群保存地区です

           西野々      安口      川原      福住

保存地区の概要
篠山城下の東、篠山街道沿いに位置し、福住・川原・安口・西野々の4集落で形成されています。保存地区の範囲は、東西約3200m、南北約460mとなっています。宿場町として発展した街並みと農村の妻入りを主体にした二階建瓦葺や平屋建茅葺の伝統的建造物が、周囲の田園及び特徴ある灌漑施設等の環境と一体となって、宿場町とそれに隣接する農村集落の歴史的風致を良く伝え、貴重な遺産として、平成24年12月28日に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
【福住宿】が置かれ、篠山藩・柏原藩が参勤交代に利用した、本陣・脇本陣・茶屋等施設が整い、間口の広い重厚な建物が今なお多く残っている。篠山街道は古代山陰道の一部として、福知山を経由するまでの以前の平安時代から江戸初期までの京と山陰を結ぶ主要道であった

道沿いの 道標 刻まれた字が読めない

街道沿い西野々の民家

西野々の街並みに続いて安口の集落

安口西の街並み

川原東の集落に入ります

タイムスリプした風景、電柱や電線がなかったら

川原の見ごたえのある民家

車も通らないし、民家の屋根が茅葺からトタン葺きに変わっている物の時代の流れで止む無く、でも素晴らしいの表現しか出ない。住んでいる人々は大変だろうが、いつまでも残してほしい遺産です

左側に篠山東雲高校がある街道右に 福住住吉神社
平安時代の永保元年(1081)堺の住吉神社から勧請したと伝わる

高校前の街道から振り返る

県立笹山東雲高等学校

少し進み福住上の街道から振り返る

山裾に赤い 鳥居と祠 見えます

その先で川を渡ると、福住宿の中心福住の集落にはいる。

橋を渡った両側に街道一里松だろうか立っています。その袂に 福住一里塚碑 ここは篠山城下から、八上・波々伯部神社に次いで三番目の一里塚です塚

福住一里松・福住一里塚碑

福住一里塚跡前の街並みを振り返る

福住の間口の広い豪壮な商家歴史を感じる酒造業の看板

篠山市役所支所前の広場に 伊能忠敬笹山領測量の道碑

碑の側面に刻まれた文字

福住駅跡碑

篠山市役所支所前の街道を振り返る

少し進むと左に福住郵便局があり左に 能勢街道が合流 してきます。この辻が起点です

能勢街道の南への旧道

起点の数十m先に右へのT字路があります。街道は真っ直ぐ進みますが、少し右に入ってみます

少し入った右手の広場の正面に二本の大きな杉の大木が立っています

大杉の袂に川原の住吉神社の末社 貴船大明神

広場に戻ると古びたビルの横に 篠山線福住駅跡 があります。昭和19年に福知山線篠山駅(現篠山口)と福住間が開業したが昭和47年に廃線となった駅跡

広場から街道に戻るところに、福住のバス停があり一日数本が篠山口駅まで出ています
私も能勢街道を完歩したときここから乗りました

福住の街並みを西へ進みます。ここでも重厚な民家が並びます

右手に市営福住本陣団地がありここは篠山城大手門から三里の地にあたります。この団地はかつての 本陣・脇本陣の跡地 に建てられ本陣団地と名付けられた

本陣団地

右に山鳥病院を見て少し右に歩行を変えます

左から173号線が合流してくる安田信号交差点に出ます。前方に大きな杉が見えます

安田西信号交差点から振り返ったところで、右の道路が173号線で左の道が福住宿から出てきたところで、交差点を渡りすぐ右角にはローソンがあります

交差点すぐ左手には 安田の大杉
この前で国道372号線と国道173号線が交差する。杉は推定樹齢700~800年、幹回り8.5m、高さ約31mと丹波最大のスギで、遠くから見るとまるで森の様に見えるので「甚七森」といわれる

杉の袂には、川原の住吉神社の末社貴船大明神の境内を覆っている

安田の大杉の前の安田西交差点で173号線と372号線が合流する、その間の道が福住宿からの街道

合流した安田西交差点から重複して少し国道を進みます

大杉から300m程先で小野新信号交差点に出ます。この信号で国道が分岐、173号線は右(北)に 綾部街道 です。篠山街道は左の372号線を左(西)に進みます

坂を上って進む372号線は飛曽山峠を越えます

坂の途中右に 史蹟 延喜式小野駅址碑と祠

右の駅址と祠を見て振り返る古代山陰道の駅で休息や宿泊、馬の乗り継ぎ等の場所
今でこそ舗装の車道になって峠らしくないが、昔は結構な峠道であったのだろう

少し先で国道より右に入る旧道があるので右への小野新地区へ

数十mで左に折れて西に進む

小野新の集落内の川橋を渡る

集落を過ぎる

左からの372号線に合流します

飛曽山峠といっても今は国道で、旧道の面影がなく、峠というほど厳しさがなくなっています

飛曽山峠

峠からの長い下り坂

小野新から辻地区にはいると、国道を右に左に分岐する旧道があります

少し先で枝道がありますが真っ直ぐの道を進む

更に100m程先で分岐があり、左の細い道に入ります

少し左に迂回しただけで、分岐した道が右から合流します

直ぐに辻信号交差点の車道を横断します

信号交差点左角に 東照山大仙寺の碑 大仙寺はここより南250m程先の山麓にあります
左の大仙寺方向を見る

辻の交差点より120m程先で左に迂回する旧道に入る 小中地区

250m程迂回した集落内を進みます

再び右からの分岐した道と合流します。合流した右に小中公民館があります

公民館前から合流辻を振り返る

合流点から250m程進むとバス停のところに十字路があり、十字路を右(北)に180m程入り(寄り道)します

波々伯部神社と鳥居
680年頃竜王山萬楽寺が始まりです。承徳二年(1098)京都祇園社の分霊を勧請したことから、丹波の祇園さんと呼ばれています。
八月例祭では山車・神輿がでて、三年ごとに二台の曳山を造り、その舞台で十二体のデコノボウと呼ぶ操り人形の奉納があります。文楽の原型ともいわれています、貴重なものです。鳥居は、延徳二年(1490)建立で、青銅としては国内最古と思われる

街道に戻り少し進んだ右にある、宮ノ前公民館を見て進みます

すぐ西側には大きな 灯籠と祠

宮ノ前地区を進んでいきます

辻川に架かる辻川橋を渡る

辻川橋を渡った100m程先左に、上宿公民館があります

公民館の前に 道標と祠「左 永沢寺 志つ川」祠には、 血寄地蔵が祀られています

祠の前から街道を振り返る

その先で国道372号線の上宿信号交差点を横断します

交差点を越えるとすぐ右に 六本柳 の大きな木が立っています振り返ってみる

史跡 六本柳碑とデカンショ街道の看板

上宿地区で川に架かる橋を渡る

橋の手前に 祠 地元の方が清掃管理していただいてます

橋のすぐ先右手に 祠と日置大師堂 子授け地蔵さん千体地蔵尊が祀られています

橋から130m程先で日置東信号交差点を横断します。交差点の左に篠山日置郵便局がある

その先十字路の左の米穀店の角に 道標 振り返ってみる  「左 西京 右 大阪」

道標の先、日置地区の町並みをすすむと左に、磯宮神社の看板が目に入り

料理旅館万為楼(旧庄屋)の西側の道を120m程入ると、市立かやのみ幼稚園・城東小学校がありその南側に 
磯宮八幡神社 平安時代の木造持国天立像・多聞天立像を安置している

街道に戻り波部医院の前から振り返る西日が眩しく逆光で振り返ってみています

少し進んでいくと野々垣川に架かる小橋を渡ります。すぎだところから振り返る

やがて十字路に出ます、西ノ堂バス停があり十字路で分岐している右側の旧道を進み迂回します。迂回は150m程でまた左の道路に合流します。

迂回して道路に出たところで今度は斜め左に入る旧道を進みます。八上上地区に入る

街道左山裾に西小庄集落が固まっています

すぐ先左に 常夜灯二基 と参道がある

弓月神社口と刻まれた碑

神社口前からの街道

またすぐ先左に入る路地がありそのブロック塀に 曹洞宗石心寺の看板

少し先、左奥の高台に 浄土宗阿弥陀寺
その先右に八上上公民館を見る

丹波 南城家の碑 南北朝時代より続いた豪族

小さな川を渡ります

右に 

さらに進んだ右、池の畔松の袂に 八上一里塚跡碑

左に 祠

八上内地区で左に 浄土宗西山深草派十念寺

八上内の集落を進む

左手に 高城山(462m)国史跡八上城址

室町時代から戦国時代にかけ、丹波の波多野氏が本拠とした山城で、高城山(標高460m)とその西側法光寺山(標高340m)に位置する。波多野氏は応仁の乱以降領主となり、26世紀前半に八上城を築きました。天正七年(1579)織田信長の丹波攻略の一環として、明智光秀により攻められ落城し波多野氏は滅亡した。慶長14年(1609)の篠山城築城により八上城は廃城となった。
八上城跡は、本城と支城が城下を挟んで配置されるなど、中世山城の典型的な姿を留めていて、戦国領主の支配拠点の様相を現在に伝える史跡として極めて貴重な遺産です

またすぐ先左に 春日神社の参道

参道口の前の街道を西に進んでいくと、右に急カーブします

右にカーブする左に旧家の建物 重兵衛茶屋
江戸時代初期、京都から亀岡・篠山を経由して但馬方面に抜ける山陰街道が通過していたところで、さらに、ここから小枕を経由して播州方面へ向かう播磨街道との分岐点となっていた。この重兵衛茶屋は、大名の参勤交代の時や一般旅人の休泊所として利用されていた

重兵衛茶屋の全景、大きな立派な建物です

カーブの所少し左側を見ると 八上城跡 がよく眺められる

北に方向を変えた街道はすぐ国道372号線を横断します

国道を横断した右角に 

そしてすぐまた左(西)に折れます

左に折れて50m程で奥谷川に架かる高城橋を渡ります

高城橋からの左斜め後方に見える八上城跡

八上下の集落を進みます左に八上簡易郵便局、右に八上下公民館を見て進

その少し先で再び左斜め後方の八上城跡の高城山を見たところです

左に祠があり、その前からの街道

左の 

その先左から77号線が合流してきます

合流したところから振り返る。向かって左の細い道が街道で右は77号線
正面の山が高城山で見る方向から随分様相が変わります

合流点から200m程先で今度は左に分岐する旧道に入ります

八上内地区です、左手に富士溶工所篠山工場があります

再び右から分岐した77号線が合流します。合流した左に八上幼稚園と八上小学校があります

77号線の右(北側)には 稲ヶ坪稲荷神社

八上小学校前信号交差点を越え270m程77号線を薄むと、稲ヶ坪信号交差点に出ます。道は分岐していますので右の77号線を進む。右に篠山自動車教習所があります

分岐の信号を越えた先から振り返ったところ

更に50m程先で道は分岐していますが右の77号線を進みますマクドナルドの右の道がひょっとすると旧道かも、300m程進んでいくと、右からの77号線に合流しています

77号線も300m程進み左からの前述の道が合流したところで、篠山川の京口橋を渡ります

京口橋から篠山川の右の景色

橋の歩道橋を歩いています、左の景色

京口橋から八上城跡の高城山が綺麗な姿で見える。

京口橋北詰左に大きな 常夜灯 橋を渡ると篠山城下に入る

京口橋北詰から60m程進むとT字路となります左に折れます

T字路から左(西)の街並み

T字路から右(東)の街並み 
この街並みから西の河原町、更にお城の南側堀沿い、そして堀に沿って北に折れたお徒士町武家屋敷群は国重要伝統的建造物群保存地区に指定されています

T字路から京口橋の街道を振り返ったところ

T字路を左に折れて西に進んでいきます

日が落ちてきました、もうすぐで到着です。 旧家の沢山残る城下町筋です

左に 浄土宗真福寺

お寺を過ぎた先右に 

すぐ近くに右に 日蓮宗妙長山本経寺

お寺の前の街道から街ち筋を振り返る

街道沿いに 平尾竹霞(ひらおちくか)の碑

更に十字路右手奥に 曹洞宗観音寺

十字路のすぐ右に 丹波古陶館
丹波焼は平安時代末期に丹波の国小野原荘に築窯されて以来、現在に至るまでその陶技が受け継がれている。年代を通した優品を展示されています

河原町妻入商家群碑 素晴らしい街並みです

篠山街道の起点、河原町交差点につきました。角には 鉾山鳳凰山 の保管庫があります。春日神社の秋の例祭に巡行される鳳凰山が収納されています。現在、十カ町からなる九基の鉾山が秋には町中を巡行される

河原町の交叉点より見た、今歩いてきた河原町商家群の街並み

河原町交差点より西側の街並みで、先を進むと篠山城の南外濠に出ます

河原町交差点より南側、篠山川方向

篠山街道完歩

篠山城や城下を回ってみたかったが時間的に無理でまた機会を見つけてきたいと思います。
      河原町交差点  18時30分  64.445歩  38.66㎞
      トータル1日         68.829歩  41.29㎞
  よく歩きました

篠山駅まですこし遠いのでバスに乗ります。篠山駅JR7時35分発、自宅に22時35分に着きました。           

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