2011年1月4日
泉南郡岬町深日~大川峠~加太淡島神社~和歌山城
2011年初歩き日、和歌山市まで車で行き和歌山駅近くに車を預け、南海本線7時24分発でみさき公園駅へ、2010年10月11日の紀州浜街道の歩いた分岐起点からスタート、天気もよく歩きやすく、海辺の景色も最高の一日。
南海岬公園駅 8時スタート 16時50分 和歌山城に着く、
52.828歩 34.33km
資料によると、泉南市・阪南市の大坂側から、紀和高原を越えて紀州に抜ける道が古くから、井関越え街道(歩きました)、箱作り越街道、淡輪越街道、孝子畑越街道(歩きました)、東畑越街道(歩きました)、西畑越街道(歩きました)と六街道があったという。そして西端の大川峠越えがありました。
大川峠越え街道も古道で途中、西畑越街道、東畑街道と分かれ更に西の海側を進む。そのため浜街道と呼ばれる。やがて大川峠を越えると、遠く四国や淡路島、眼下には友ヶ島を望める天候の恵まれると最高の景色で素晴らしい。今はトンネルもできており、この旧道も歩く人が少なくかつての古道は姿を消している。やがて旅人は加太淡島神社に着くと参拝。一般的には浜街道はここで終わるが。この先、和歌山城下へ向かうので私は、紀州街道脇往還大川峠越えの名のもと和歌山城下に入る。
淡島神社を起点として、上淡路街道(歩きました)が城下に入らずそのまま東へ根来寺た粉河寺への旧道があります。
紀州浜孝子越え街道と深日小学校の西側の国道26号線で分岐した起点から今日はスタート。
南海多奈川線の深日町駅に降り立つ。
起点に進み、国道26号線を南に進むと、大川に架かる昭南橋を渡る、橋の右手は深日漁港。橋を渡りすぐ先で南海多奈川線の高架があるので潜ると、T字路となり左に行くと国道26号線で孝子越えから和歌山市内に入る。今回大川峠越え街道は右に折れるが。
早速少し(寄り道)していく。右に折れて直の歩道橋を渡る。街道はここまでは進まないで途中右に折れます。道路は国道26号線。
深日町駅の南側高台に宝樹寺が見える。駅の南側の岬加太港線(43号線)に架かる歩道橋を渡る。
浄土宗鶴舞山 宝樹寺
(一つ目のルート)
深日小学校西側の26号線に架かる歩道橋より見る。車の手前西に入る交通安全鏡のある所の道を入るのが旧道。
6号線より入る旧道。
深日の町並み。
大川に架かる千歳橋を渡る。
橋の先T字路を右に折れて左にカーブして200m余り西に進むと川の手前、左に川幸商店のある交差点に出ます。
(2つ目のルート)
深日小学校の西側の26号線を孝子街道と分岐し、そのまま進み、大川に架かる昭南橋を渡ると、南海多奈川線の手前の信号、右角に紀陽銀行がある手前の道を右に入るルート。
深日駅の北側の町並みを進む。どちらが正しいかわからないが進みます。
右てに塀に囲まれた大きな屋敷を見ながら進む。
西に真っ直ぐ町並みを進むと橋の手前で、①ルートの道が右から合流してくる。どちらが正しいか、確定しなくても、多分どちらも間違っていないと思われる旧道だ。
更に橋から250mほど蛇行しながら道なりに進むと、小さな川橋を渡る。橋の手前左に二階建ての歴史あると思われるとらや旅館がある、橋から振り返る。
橋のすぐ先が深日港駅で突き当たる。右手を見ると深日港がすぐ傍に見える。上の写真は関電多奈川第2発電所で、下の写真は深日港。かつては徳島港・淡路島の津名港へのフェリーで賑わったが今は連絡船はない。
突当りの南海多奈川線の深日駅、左に折れて線路を渡り65号線に出て右に折れる。
線路に沿って暫く進む。
右に多奈川駅、南海多奈川線の終点。
多奈川駅前の街道を過ぎて西へ向かう左に 祠 その先で道は分岐する、右の道が旧道か、左の65号線が旧道なのかわからない。とにかく左の65号線を行くこととする。
右に火力発電所の煙突が見える。もう一つの道は、正面の門の前を、電話ボックスの向こう側を左に入る道。
とりあえず前者の道を進むとその先左に 厄除地蔵尊
岬変電所を右に見て進むと谷川東交差点に出ます。交差点左への道は、東畑越え街道 で木ノ本峠を越えて和歌山の木ノ本へ抜ける旧道(歩き済み)。
150mほど進むと多奈川小学校前交差点があります、この道が谷川東から入った道と500mほど南に進んで合流する、どちらが旧道か分からない。
交差点を100m余り進むと、左から東川が接近してくる。前方に十川に架かる谷川橋が見える。
その先150mほどに65号線の一軒屋橋があるので渡る。
一軒屋橋。
更に200mほど西に進むと、少し北で東川から分流した西川に架かる橋を渡ります。
橋を渡り左に折れて西川に沿う。50mほど先で、谷川橋からの道が橋を渡り合流する。その次のすぐの橋を左に折れる。
(寄り道)
堤防から細い集落内の道に入るが、旧家の屋根が並ぶ雰囲気がいいお寺や神社の参道に当たる。
産土神社・興善寺・理智院の案内板が立つ。
産土神社 谷川の鎮
天台宗鳳樹山 興善寺 仁寿二年(852)文徳天皇の勅願により、慈覚大師が創建したと伝わる。当時は広大な寺領に七堂伽藍を要していたと伝わるが、元亀天正(1570年頃)の兵火によって焼失、明暦元年(1655)中興の祖、専海僧都が紀州粉河寺より来られて、元禄初期(1690年頃)再建され現在に至る。本堂には、御本尊大日如来・薬師如来・釈迦如来の三体が安置されている(国の重文)。
更に南には 真言宗宝珠山 理智院 聖武天皇の勅願により行基が天平五年(733)に開いたと伝わる。本尊は空海が唐からの帰国時に彫刻したという、追風不動明王が本尊。豊臣関係の宝物も多く所有する。
境内の名水 太閤の水。
高野槇の大木
参道に 地蔵二体
全景
寄り道 終わり元の街道の堤防道に出ます。
500mほど進むと、楠木橋信号交差点に出ます。街道はここから坂道となります。交差点を左に楠木橋を渡って進む道は、西川に沿って猿坂の峠越えの 西畑越え街道 で紀州和歌山市の西ノ庄にでます。(歩き済み)。
交差点右角には 祠
道を挟んだ左角に 井蛙塚 「右 大川加太道」と刻まれています。
祠の背後にも 赤い鳥居と祠 が二つ。
交差点右の道を見る加太、大川(小島)の旧道の案内標識があり、大川越えの旧道がこの道で多奈川駅近くに出ているようだ。東畑越え街道で歩いているので参照してください。
【補足歩き】
2016年11月3日
2011年1月4日に歩いた時の、多奈川の火力発電所前~楠木橋まで
もう一つの旧道を補足として歩く。
以前歩いた多奈川駅からの少し先で分岐していた、もう一つの旧道を歩く多奈川駅西250m程先の、岬町立保健センター近くに車を置きセンター前の分岐から、 7時スタート。前回は左の車道を進む。
70m程先左に 祠
旧家の横の街道。
また少し先左に 祠
すぐのところで十字路になります、街道は真っ直ぐの道を下ります。十字路が東畑越え街道で下ったところ谷川東の交差点に出ます。起点はここか、下の谷川東交差点かです。
十字路の真っ直ぐの道を下っていきます。左角は岬福音教会があります、右の道は民家では行きどまりです。
下りきって少し右にカーブしたところで道は分岐しますが、右への道を進みます。
100m程先で十字路に出ますので真っ直ぐ進みます。
すぐ先の右T字路で左に折れます。
左に折れた先の道で緩やかに右にカーブします。
再びT字路になります、右に折れてすぐ又左に道なりに曲がります。
右に小さな公園を見て100m程真直ぐ進みます。
やがて右に谷川漁港が
右に漁港を見て真っ直ぐの細い道を進んでいきます。
東川に架かる落合橋を渡り堤を右に折れます。
東川原右の海方向。
橋から左を見ると、向かって左から東川、右から西川が合流しています。
東川沿いに海側に進んでいきます。150m程先で左に折れる道を進みますが、少し真っ直ぐ行って海に出てみます。
川沿いをすこし進むと、豊国戎神社の 灯籠二基 建物はありませんが、台石のようなものが二つ鎮座しています。漁師さんの海の守り神でしょう。
漁港と左遠方に小さく関西空港へ渡る手前の高いホテルが見えます。
左には海に突き出た 豊国岬
元の辻に戻り左への旧道を入ります。
谷川の集落。
集落内右に 西山浄土宗光台山 常見寺
地図上ではお寺の先で右に入り山道を進み岬町健康ふれあいセンターの北側に出る道が乗っていて、旧道でないかと気になり行ってみました。
民家の間の細い道です。人がいたら聞いてみようと思いましたがいません。
少し入っていくと細い道が50m程続き、右の民家の所で突当りとなり、左に道が折れています。
左に折れた道。
左が開けた坂道を上っていきます。この辺りで近道の旧道だと思いました。
人があまり入っていないようで荒れてきました。この先藪がきつくなって道が無くなっているようで引き返します。でも山の頂上あたりに来ているように思える。何時の日か廃道化となるだろう。でも収穫であった。
元の道に戻り、少し進んだ民家が切れるところにも、先ほどの道よりもしっかりした右への道があるので曲がっていってみます。
右に折れて入る細い道。
登り口右に、中の峠 の入り口の案内板があります。ということはこの道が旧道なのか。
木で階段を作られて綺麗な道である、間違いなくこちらの道が、新道の中の峠に出ていた旧道でないだろうかと思う。
木でしっかりした柵があり道も快適。
先を進み、ほぼ頂上あたりまで来たところで、だんだん道が荒れてきて、人の歩いた形跡がない。これ以上は先がわからないのでここで中止して戻ることにするが、この道も峠への道であったと想像する。踏破できなかったが発見で満足して降りる。
でも少し不親切だ、登り口は素晴らしい道なのに、せめて上り口にこの先は道は消失していますぐらいの案内があってもいいと思うが。
戻る途中に気が付いたが、上る途中右から廃道化しているが合流していたような跡がある、これが最初に歩いたときの廃道化した道跡だろうと思う。大発見です。
元の下の道に出て進みます。
やがて楠木橋の袂の交差点に出ます。前回もう一つの旧道と歩いた起点です。
交差点の右角に今歩いてきた方角を向いて、加太、大川(小島)の旧道の案内が立っている。どちらが正しいのかわからない。私にはこの案内板の意味が少し判断しにくい。でもどちらも正しい歩いてくる方向からすれば。いずれにしても大満足。
交差点正面の橋が西川に架かる楠木橋で、橋を渡って進む道が西畑越え街道(歩き済み)。
交差点を右に折れる道、中の峠への大川峠越え街道。
くどいようですが、この先の道は車道で新しく作られた道路で、当時は無かったのではないだろうか、消失している山道が旧道だと思う。
前回見た交差点右角にある祠と地蔵
楠木橋袂にある 井畦塚
角の 祠 高森大明神
今歩いてきた旧道。
〖ここで補足歩きは終わる〗
交差点を真っ直ぐ、いよいよ大川峠へ進みますが、まずは中ノ峠越えとなります。
自動車に注意しながら坂を登っていきます。
途中街道松の下に 祠
峠池橋を渡る、右に迂回してもいい。
中ノ峠頂上 峠といっても今は自動車道に改修されている。
峠を越えた街道沿いの左 祠
道は左に大きくカーブする一気に右が開け真っ青な海。
快適な景色。海釣り公園の桟橋が海に長く伸びている。沢山の釣り人がいる。
桟橋へはこの岬町小島海釣り公園、とっとパーク小島より入ることになる。多奈川小島地区
右に明神埼が見える。
浄土真宗弘誓山 本願寺
街道より少し右に入り明神埼へ (寄り道)
浄土真宗本願寺派 教円寺
更に御崎に進むと 小島住吉神社
住吉神社はかつては小さな島であったという、船でお参りをしたと伝わるが今は地続きになっている、崎の先端。ウバメガシ他巨木が繁り大阪府の天然記念物となっている。また見晴らしの良い天気には、神社の裏手から明石大橋、淡路島が一望できる景勝の地。
大阪府の最西端の 小島漁港今は小さな漁港となっているが、かつては日明勘合貿易船が寄港する賑やかな港であったという。背後の森は小島住吉神社。
少し進むと大阪府と和歌山県の自然石で作られた 国境石 があり 魚類供養塔 と刻まれている。
傍には 道標 「是南 紀伊国 大川」
前方に住吉崎が見えるあの中ほどが大川峠。
少し先で分岐している、左に下る旧道を進む。
右は大川魚港で港の脇に 宝篋印塔と道標
「南 ・・・」 「東 従是 京都へ二十九里・・・・・・ 」「北 是より一丁半 報恩講寺」
旧道の名残か石の橋、嘉永橋、大川集落の中を流れる清水川に架かる(1854)。
街道より左に大きな 石碑二本と灯籠。
報恩講寺 本尊は阿弥陀如来で鎌倉時代初期に法然上人の自彫像を小堂に安置したことから始まる。立派なお寺。
街道に戻りお寺の少し西の山側に 八幡神社
海岸に沿って少し進んだところで振り向いたところを写す。空と海の色がとても綺麗。
住吉崎が近くに迫って来ました。
この先で道は分岐する、真っ直ぐの道は新道ですぐ大川トンネル(1005m)にはいり加太地区になるが、旧道は右に進み山越えの 大川峠越 えです。かつての旧道は正面右辺りを越えていたと思われるがよく道が分からないので。その西側を新道は蛇行しながら進む。
右に曲がる角に円光東漸大師(法然上人)が1208年流罪先の土佐から許され帰京する途中この浜に立ち寄ったことを示す、石標。
明神崎方向。
海岸線を住吉崎方向に進む。この先ヘアピンカーブで大川峠を目指すことになるが、有り難いことに新道が出来たので車が少なくなったうえ、更に暴走車が多くなったので車両通行止めになっているのでのんびりと歩ける。
道の西側が海なのだが少し山側に入っているので景色がさえぎられる。
大川遊園、当然車が通行止めなので店は閉まっている。かつては賑わっていたのだろうけど。
右手に見えるのが友ケ島かな。
でも綺麗な道で人が通らないのも何かもったいない気がする。私一人独占した街道。
下手な説説明不要。淡路島のようです。
大川峠 の看板もない、この辺りが峠なのか峠も旧道の面影は全くない道。本当の旧大川峠の旧道は、左の山を通っていたのだろう。
峠から更にヘアピンを繰り返し下っていく。
左後方に大川トンネルの加太側の出口の横に出てくる。通行止めの柵がされている。
トンネルから少し進んだ、左に入る道があるところに、角に 二本の道標 「大川寺へ二十四丁」 「国光大師遺跡」
トンネルから200m余り進むと道は分岐しているので右の道を進む。正面は加太国民休暇村遊園地。
左の加太国民休暇村に沿って下っていくと右に深山湾に出る、正面が城ヶ崎。
友ケ島
城ヶ崎の先端の展望台へ寄る。
城ヶ崎の切通しの道を進む。
右に、加太湾を見ながら進む。
畔仁右衛門碑と刻まれた 石碑 がが左の竹藪の中に。
暫く歩き大谷川を渡ると、道は右65号線、左7号線が分岐する。
左の7号線の道を進むと左の山裾を南に進み、600mほどで東に方向を変えて、加太中学校の北側を通り、南海加太駅の南に出るが、加太の街中に入らず進む、町中は狭い道が沢山通るのでバイパスとして造られた道だろう。右の加太湾の海水浴場に沿って進む65号線の道も海岸線を走るバイパスとして造られた新道だろう。本来の旧道は多分その間の狭い道が南に街の中を通っているのがそうだと思う。
右の65号線の海岸沿いの 神社 は海の守り神の神社だろう。
加太春日神社 ここで街道を離れ(寄り道)淡島神社へ行く。
途中に 土真宗本願寺派紫雲山 光源寺
西山浄土宗宝号山 稱念寺
高台に 役行者堂
右手に加太漁港や海水浴場を見える。
街の南西端の海辺近くにある 淡嶋神社
「あわしまさん」で親しまれている。境内のおびただしい数の人形が所狭しと並べられているが、何か異様な風景でもある。多数の雛人形を小さな船にのせ海に流す行事が毎年3月3日の雛流しの神事として広く知られている。
社宝は金銅造丸鞘太刀と大円山形星兜(ともに国重文)。
この祠の中にもびっしりの雛人形。
紀伊国海草郡加太町の石碑
淡島神社を出て和歌山城下への旧道を進むが、ここから 上淡路街道 が暫く重複して粉河寺まで延びている(歩きました)。
淡嶋神社より戻り、河口から堤川を少し上ると 西山浄土宗八王山 阿弥陀寺
阿弥陀寺から堤川を渡り北の加太春日神社まで戻る、神社の西北角に立つ
道標 「右 和歌山 左 あわしま道」
大川峠を越えてきてこの道を歩いてきたところに戻った。右へ直角に曲がる道は65号線の海岸通りへ、左真っ直ぐは7号線のバイパス。向って二階建て建物の右側の細い道が旧道。
旧道の細い道。
右に 祠 がある。
町中が狭い道で何筋かあるのでどの道が正しいか分かりませんが。写真の通り歩いています。
祠からの先の道。
堤川手前100mほどの所で左に折れると加太神社の塀が見える十字路を左に折れる。
加太春日神社の西北角の道標のある辻。
十字路から右(南)を見た筋。
十字路を真っ直ぐ進み、神社の塀が切れたところのミラーのあある辻を左に折れて
すぐまた右に折れる。
左からの7号線が南に進んできて、道標の前で合流し東に進む。
その合流する角に立つ 道標 「右 和か山道 左 あわしま道」
正面から出てきて7号線に合流するところ。7号線は向かって右から来て手前に進む、ほぼ直角に曲がっている。
7号線を少し北に行った左に 西山浄土宗 常行寺
常行寺の前から左に曲がる道標の交差点を見たところ。町中に入らず大川峠からの7号線の道を素直に歩いてくれば常行寺の前に出てこの辻に出ます。
左に折れた7号線の先の旧道、右に加太中学校、その先左に南海加太線の終点加太駅。
淡嶋神社を起点とした、2012年1月9日に歩いた上淡路街道の時には、加太地区は7号線の新道を歩かなく、新道より右(南)の町の南側を流れる堤川に沿った道を探しながら歩いた。(上淡路街道を参照してください)旧道がどちらか分からないが。とにかく今通っている道は完全に新しい道に改修されている。
南海加太線の加太駅を左に過ぎ線路に沿って大きく右にカーブしながら進む。
加太の町を抜けると7号線は加太線を越えて、線路の北側に出て、間もなく道は更に拡張され広い道に変っています。
右の線路との間にある小さな 祠
加太線はここから右にカーブして、山の南側の海岸方向に離れていく。
お地蔵さんからすぐ先で磯ノ浦地区に入る。信号交差点で左に旧道が残る道を進む。
600mほど旧道を進むが、この道も新しい道だ、左に住宅地が広がる。
日野口交差点で右からの新道に合流その先200mほどで右にローソンがあります。
更に300mほど進むと、左に池があり旧道は池の左側を回り込む。
私に記憶では子供の頃、何回か磯ノ浦や加太に来たが、海岸線しか車の走れる道がなかったなかったような気がする。この辺りは山で、凄い様変わりです。時代が変わったのだとつくづく思う。
池の手前で左に回り込む左側に 祠とお地蔵 さんが集められている。
300mほど回り込んで旧道を進む。
回り込んだ先で新道と合流した信号交差点は、三ッ池南側信号交差点、ここを横断して南に入る。
入る辻左に 祠
三ッ池交差点を南に100mほど南に入るとT字路正面に 射筋頭八幡神社 境内に見事なクロガネモチの大木。
神社の前のT字路を左(東)に進む、北側を走るのは7号線、旧道らしく集落の街並みを歩きます。
旧道の右、この辺り西脇小学校がありその南に二里ケ浜の駅があります。
少し先のGSがある、その辻を左に入ったところに。
西山浄土宗佛国山 西念寺
写真に撮れていないが、GSから50m余り進んだ十字路を左に曲り7号線に出て、西ノ庄バス停信号交差点を横断して進むのが、淡嶋神社から重複してきた、上淡路街道 と分かれる。
西念寺の東に見える、街道より左に見えるのが、浄土真宗本願寺派 正円寺
この道筋や少し入った道筋には、旧家が沢山残っていて、重厚な民家が散在する。
右手奥の西ノ庄駅を過ぎて進んでいくと、左に大きな寛政7年の銘を刻んだ 宝篋印塔
その先も西ノ庄の街並を進んでいきます。やがて、右から加太線が接近したところで、左に道を100mほど進むと7号線にでますが、車の多い7号線より情緒のある道を、私は線路に沿って進むこととします。
左に八幡前駅の前に出ます。
駅前の道を進みすぐ道は線路を離れ、松江西2丁目の町並みを進みます。
南北に走る信号交差点を横断します、100mほどで右からの道が合流してきます。
合流する辻に 一字一石石 があります。
ここから先の道は判りませんが、松江中3丁目を道なりに左にカーブして踏切を越えて、7号線の中松江信号交差点に出て右に進むのが一番無難のような気がします。すぐの次の信号の右奥が中松江駅です。
折角なので私は辻の南東方向にある 松専寺 へ寄りました。
お寺の東側の道を北東150mほど道を進む、途中左に中松江自治会館があります。中松江駅の南側に 春日神社 があります。
神社の西側の道を北に進むと東松江駅です。駅の北側の7号線に出ず、駅南側を線路に沿って進みました、すぐ左線路北側にヤマダ電機が見えます。やがて東松江駅の南側の道に出ます。
東松江駅の先で新堀川に架かる狭い橋を渡ります、左に線路と、7号線の河合橋が並行します。
橋を渡ったところで左に進み7号線に出ますが、やはり前述の中松江駅の所で7号線に出るのが正解のようです。
7号線は南海加太線の踏切を渡ります。
その先で国道26号線の狐島交差点に出て右に折れます。
26号線の車の多い道を暫く歩きます。左にガーデンパークが見えた先の御膳松交差点を左に折れます。
左に折れて一つ目の交差点を左に折れ、そして250mほど進んだ先の分岐する道を右に折れまます。
この分岐点は右の道を進む。この辻左の道から、紀州浜街道孝子越え街道が合流してきます。孝子峠越え街道は、淡島神社や加太方向へ行くにはこの道を通ってきました。
城下に入るには先の北島橋の北詰から堤防に出て北島の渡しで城下に入っていたようです。(詳細は孝子峠越えに記載)
右に折れると紀ノ川に架かる河西橋にでる、この橋は二輪車と歩行専門橋、でも結構二輪車がスピードを出して走るので注意。
旧道は川西橋を右に見て堤防沿いに進みます。
堤防下の道を少し進む。
堤防に上り前方に見える北島橋へ進むます。
堤防上の道と下の道も並行しているのでどちらでもいいです。
この辺りが北島の渡し場跡のようです。ここで北島橋北詰からの孝子峠越え街道と合流して城下への北島の渡しで渡った。(詳細は孝子峠越えにて)
この先、北島橋か河西橋で対岸に出るが河西橋に戻ります。河西橋からの紀ノ川の河口の夕日。
河西橋を渡って正面の細い道を左にカーブして下ります。
左堤防の下を少し歩くと。北島渡し場跡の対岸に出ます。(詳細は孝子峠越えに)
渡し場跡で右に折れます。
右に 高倉稲荷大明神
南海電車・JR線の踏切を渡ります。すぐ右には和歌山市駅が見えます。
踏切のすぐ先の交差点の中央通りの広い道路を真っ直ぐ進みます。
河西橋からの京橋までの道は孝子越え街道と重複しますので省略します。(詳細は孝子峠越えを見てください)この先は城下町らしい屈曲した道になります。
〖紀州街道脇街道の大川越え完歩〗
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