薩摩街道 1日目

2,023年12月3日

薩摩街道歩いた期間
2023年(令和5年)12月3日~2025年10月19日完歩

【第1回目】 2023年(令和5年)12月3日~10日
  3日  夜行バスで博多へ
  4日  山家宿~府中宿(久留米) 
  5日  午前 柳川城下見学 午後 府中宿~羽犬塚宿
  6日   羽犬塚宿~原町宿
  7日   原町宿~山鹿宿 

  8日   山鹿宿~熊本城                   
  9日   熊本城~河尻宿  
      川尻駅から八代駅へ、おれんじ鉄道に乗り換え佐敷駅へ、佐敷宿交流館へ次回の三太郎峠の旧道を調査。 
      再び八代駅 
 10日   八代駅から大牟田駅へ、西鉄大牟田駅から大宰府天満宮へ寄り道。孫2人のお札を頂く。                           【第2回目】 2024年(令和6年)2月27日~3月5日
 27日   新幹線で久留米駅、1回目に行けなかった 久留米城下・長洲・玉名の史跡
 28日  レンタカーで 田原坂・熊本城下を回る
 29日  熊本城下の史跡 
  1日  午前中 熊本城内の薩摩街道を歩き、午後前回の起点川尻駅へ 川尻宿~宇土宿
  2日  宇土宿~八代宿
  3日  八代宿~赤松太郎峠~肥田田浦
  4日  肥田田浦~佐敷太郎峠  峠越え大迷走で完歩失敗
  5日  3つ目の津奈木太郎峠を越える予定であったが、雨のため大事をとって3回目に変更
      八代駅から新幹線で帰宅  
【第3回目】 2024年(令和6年)11月5日~18日
  5日  夜行バスで熊本へ
  6日  熊本駅前でレンタカー借り熊本周辺の史跡
  7日  午前八代市内史跡 午後 佐敷太郎峠再挑戦 佐敷宿史跡見学
  8日  佐敷宿~津奈木太郎峠~新水俣
  9日  新水俣~出水
 10日  出水~阿久根
 11日  阿久根~西方
 12日  西方~木塲茶屋
 13日  木塲茶屋~湯之元
 14日  街道歩き一旦中断、レンタカーで日置ー加世田―喜入 
 15日  引き続きレンタカーで拾良-加治木―鹿児島市内
 16日  湯之元~伊集院
 17日  伊集院~鹿児島市県民交流センター 薩摩街道完歩
 18日  午前 鹿児島市内史跡、午後帰宅
【第4回目】 2025年(令和7年)10月12日~19日
   薩摩街道の集大成として鹿児島史跡見学
 12日  新幹線で鹿児島へ 午後バスで宮之城へ
 13日  午前鹿児島市内史跡、午後フェリーで垂水へ
 14日  鹿児島市内
 15日  拾良市レンタルサイクルで史跡、少し鹿児島市内
 16日  バスで知覧へ
 18日  レンタルサイクルで鹿児島市内
 19日  レンタルサイクルで鹿児島市内19日 午前中市内史跡 
      午後帰宅

薩 摩 街 道(豊前街道)

【第1回目】 2023年12月3日~12月10日 7泊8日
薩摩街道の起点は、福岡県の以前歩いた長崎街道の筑前六宿の一つ山家(やまえ)で分岐宿は薩摩街道・日田往還や長崎街道さらに北の太宰府へ続く要衝の地でもあった。南東に暫く進み石櫃の分岐で南に折れるが、真直ぐ進む豊後・秋月・甘木道と分かれます。
熊本までは、豊前街道(肥後路)、熊本から鹿児島まで薩摩街道と呼ばれた。国道3号に沿った全長約300㎞の街道である。
街道は筑後国、有馬氏の支藩であった松崎宿城下から有馬氏の城下町久留米(府中)宿へ。少し離れているが立花氏の城下町柳川の町を見学。翌日久留米に戻り左に高良大社を見て羽犬塚宿から瀬高宿へ宿の端で矢部川を渡ると街道より少し離れた左山手の地点に天台宗の古刹清水寺が建つ。街道は東南に方向を変えて原町宿から背戸の峠を越えると肥後国に入り南関宿へ、その間旧道は九州自動車道に沿い旧道が消失している箇所が多い。南関宿を抜けると更に東に進みこの辺りから西南戦争の遺跡が多くなる。
やがて山鹿宿に入る、この地は平安時代から栄えた温泉町で菊池川が流れる。1673年の記録に商家や旅籠・寺院が500戸以上と記録されている。良質の「肥後米」の物流が菊池川の舟運で賑わった。また古くから賑わった証として古代の古墳が点在する。
山鹿宿より南下、味取新町宿(現植木町)、薩摩藩や人吉藩の参勤交代の宿舎で100軒余りの旅籠で賑わった町。また西南戦争の火蓋が切って落とされた町でもある。植木町の西北には有名な田原坂を中心にした史跡が点在する。時間的に田原坂見学は次回2回目にゆっくり見学。熊本市北区に入り南下していくと、加藤清正が築いた熊本城が綺麗に聳え、加藤氏の後、細川氏が明治維新まで続いいた熊本城下に入る。
熊本城下も次回に見学、先を急ぎ白川を渡り南下、河尻宿まで歩き。
今回1回目の薩摩街道を終える。

〖12月3日〗
夜行高速バスで博多まで
〖12月4日〗
博多駅からJR鹿児島本線で原田駅へ、筑豊本線原田線に乗り換え筑豊山家(やまえ)駅まで移動。
山家宿 を薩摩街道の起点とする
山家宿は旧長崎街道筑前六宿の一つ。山家宿は長崎街道・日田街道・薩摩街道が分岐する交通の要衝であった。江戸時代には九州南の諸大名の参勤交代の道として栄えた。
山家宿は長崎街道を歩いた時に通っている。

筑紫野市
山家宿7時20分スタート、天気は良好駅から500m程北のJR筑豊線の踏切より北の街道。非常に車が多い

起点スタート、警察派出所すぐ先辺りが山家宿の 東構口 だが遺構は残らない

東構口辺りの街道町並み

右手に広場があり、そこに立つ 山家宿東構口跡の標柱

広場の一角に 一字一石法華塔その隣向かって左 恵比寿石神像 裏には宿の年代が刻まれている

広場は旧 大庄屋近藤家役宅跡 

大庄屋の長屋門跡の標柱 建物は全て老朽化により取り壊されています大庄屋宅跡全景、相当広い敷地

すぐ先左に 浄土真宗西本願寺派桃渓山西福寺

そのすぐ先右に郵便局、車道を挟んだ向かいの広場が 山家宿薩摩屋問屋場跡で標柱

郵便局の手前の道を100m程右に入ると 天台寺門宗観音山円通寺の標柱 と石段があります

建て替えられたようで本堂も新しい

街道に戻り郵便局の前を西南に進む街道

100m程進んだ左T字路左手に 下茶屋跡の標柱 左に標柱を見て街道は右に折れ宿の街筋に入る右に折れた宿のかつての中心の街並み

50m程先右に 郡屋跡の標柱 母屋には住んでおられるようです

その先右に 中ん茶屋跡の標柱

隣に 恵比寿石神像

十字路右角に 御茶屋本陣跡の標柱

十字路左角に 下代屋敷跡の標柱

一角は 下代屋敷跡、街道は十字路を左に折れるが、少しまっすぐ進むと

下代屋敷 もやい井戸の標柱井戸がある

少し坂を上ると左に 代官所跡の標柱

代官所跡近くに 桐山丹波守墓所の標柱
墓所は代官所跡の裏山にあると書かれているので、どれぐらいか分からないので時間的に諦めたが残念。行っておけばよかった。
桐山丹後守は播磨出身で、黒田耺隆・孝高・長政・忠之の4代に仕えた、黒田二十四騎の一人。山家宿の初代代官を務め、晩年は山家村で過ごし、寛政二年(1625)72歳没。
墓石は五輪塔が立つ

ここが墓所への入口だったのだ

元の十字路に戻って左に折れた左側には 日本唯一閨秀詩人原采蘋(はらさいひん)塾跡の石碑 男装の女流漢詩人でもあった、地方を巡るときは刀を差して旅をしたという。安政6年(1859)異国の地萩で62歳の生涯を閉じる
墓所は故郷の福岡県秋月の西念寺と山口県萩市の光善寺にある

山家宿西構口跡と土塀

山家宿の地図

西構口に立つ、説明石碑と標柱並びに 桐山丹波遺跡碑

西構口を振り返る

暫く進むと変則十字路の右角ブロック角に、西部軍司令部跡洞窟道石碑 街道を山家宿方面振り返る、石碑の詳細は分かりません

変則十字路の分岐、左が薩摩街道、真直ぐが慶応新道(長崎街道)ですが、左の薩摩街道の旧道はすぐ先で国道と線路に阻まれその先も消失しているので、長崎街道を進む

分岐より150m程進むと国道に出た交差点、その右角に 山家追分石・山家宿番所跡の標柱

追分で右に折れるのが長崎街道。左手前に折れるのが薩摩街道

交差点の手前

直ぐJR筑豊原田線の大又踏切を渡る

その先右に大木、旧薩摩街道はこの先左に合流していた

山家川に架かるまがた橋を渡ります。静かな田園と新しい蔵役集落の住宅

左に 祠と石碑

川から400m程先で200号線の交差点を横断して振り返る

真直ぐな道が続きますが途中右手に古市彦太夫の墓、江戸初期の人でこの地域の農業用水に力を注いだようです(よくわからないが)奥に 祠と石碑が並んでいます

その先右手に白塀の大きな旧家か

少し先で筑前町石櫃地区に入り左奥に学校を過ぎると、左T字路に出ます。右手角に
石櫃追分石と標柱が立つ「右肥後薩摩道・左豊後秋月日田甘木道」追分を見ながら右に折れます

追分石の説明

 右に折れた旧道

暫く進むと水門に突き当たり、水門の向こう側の旧道に少し迂回する

386号線のいしびつ信号交差点を渡り、小田地区を真直ぐ南西に暫く進みます

やがてかつての旧道は真直ぐの細い道になりますが少し先で消失しているので、右に迂回します。消失している旧道を少し歩きました

田畑の中のかつての旧道、この先で消失

迂回道を200m程進むと、宝満川と支流が合流するところに突き当たり、川を右にみて左にカーブして150m程川沿いに南に進み、宝満川は南へ街道は南東に離れる

左手に 東小田峯遺跡 この辺りへ前述の消失した旧道が通ってきていた

遺跡の近くから車道を斜めに横断して右側に出ていたようです

街道は曾根田川に架かる橋に出る。橋の袂を右に折れた数十mの辺りから、完全に消失した旧道を想像した

かつては曾根田川には石橋が架かっていたのではないだろうか、この辺り石橋地区車道の橋を渡り対岸に出ました

右に川を見て真直ぐ南へ

石橋から馬市地区へ

左斜めに折れるところ右に神社

野添天満宮と拝殿

すぐ、のむた川に架かる馬市橋を渡ります 小郡市に入る

川から200m程先に 筑後・筑前国境石二つの石碑の間が国境になる。左側が久留米藩で右側が福岡藩。国境石は道標としての役割もあった

向かって左「従是南筑後国」右「従是北筑前国」傍に立つ 乙隈境石の標柱

国境石の旧道を挟んだ向かいに 国境の大榎(筑後側)元は松であったが次の榎も枯れたようで、松の枯れ株が祀られている

国境石の前の旧道を振り返る

乙隈地区を進みます

草場川に架かる御原川橋を渡ります

干潟地区に入ります

左手の城山であった花立山の遠望

干潟と立石地区の間辺りに 干潟一里塚跡の説明 遺構は何もない

132号線の信号交差点を左に折れてすぐ右に折れる

街道両側に学校があります。左の立石中学校の正門前に碑と参勤交代も道、薩摩街道、松崎宿から~乙隈国境石~の説明板が立つています

暫く直線の道を南へ

大分自動車道の高架を潜ります

高速道路を潜り薬師町に入ると分岐しているので旧道は左へ、お堂 があります、中には白い布を被った地蔵様が

分岐する手前右に立派な参道の 禅宗瑞松山霊鷲禅寺

松崎藩の有馬豊範が延宝8年(1680)この地に移したのが始まりで、勅願寺で格式が高く参勤交代の大名も駕籠や馬から下りて、礼拝して通過したという

小郡市松崎に入り、甘木鉄道の踏切を渡る

踏切より200mほどさきでの突き当りの交差点を右に折れると分岐しているので左側の道を進む

 【松崎宿】福岡県小郡市
松崎宿は有馬豊範の城下町として九州大名の参勤交代道として整備され、宿場町として栄えた。
1684に松崎藩が改易された後も久留米藩領として宿場町は栄えた。慶応2年(1866)の総戸数は129軒、旅籠26軒、煮売屋6軒あったという。旅籠以外には、藩主や大名の休泊させる御茶屋を設け、問屋、宿場町の運営は主として庄屋・町別当が主に当たった。

松崎宿北構口

北構口のすぐ先が枡形となっている突き当りを右へ右の角の住宅は、三原家の土蔵と洋館

三原家の角の突き当りの枡形を右に折れ、すぐ又左に折れたところを振り返る枡形の形式がよくわかる

枡形のすぐ先左に、上町の恵比須さん文化3年(1806)の銘がある、近くに旅籠恵比須屋があった

すぐ先T字路で左に折れる。左角にも旧家の建物

左に 旅籠油屋 江戸時代後期に建てられた大型の旅籠建築で、脇本陣に匹敵する施設設備を備えていた

少し進むと信号交差点、街道は真直ぐ進むが(寄り道)として右に折れる

右に折れる右角に海鼠土塀に囲まれた立派な旧家の建物

右に折れたすぐ先右手、本陣(御茶屋)跡

昔の松崎宿は、藪がぐるりと宿場町を取り囲んでいた。今でも上町の枡形辺りにその面影が残っているようです

一角に 中町の恵比須さん、毎年11月18日から3日間、恵比寿市が行われていた。前に 本陣跡の石碑

少し先右手に ぴんころ地蔵さん

桜馬場の桜通り御茶屋跡から三井高校までの桜並木が桜馬場で旧松崎城にいたる大手筋跡

通りの奥の左に三井高校が道の正面には 倉稲魂神社(うがのみたまじんじゃ)の鳥居 が見えます

高校手前左桜の樹の下に建つ 松崎城跡の石碑 道路を挟んだ向かいに松崎城跡の案内板が設置されています。それによると、寛文11年(1671)に築城されたがわずか14年後に有馬氏の取りつぶしにより破却された。三井高校が本丸跡。その後松崎は久留米3宿の一つとして明治維新まで宿場として栄えた

元の交差点に戻り南へ左に郵便局街道
左に 旅籠一松屋 
表側は改築されているが奥側は建築当初の建物が残る

少し先で枡形で右に折れる。その左に 浄土真宗本願寺派教薗山真浄寺

右に折れてすぐ先で左に折れます

右に折れたすぐ先左に折れる右の民家の間に 下町の恵比須さん

左に折れます

少し進むと左に 旅籠鶴小屋 玄関表に見られる持ち送り(下屋を支える腕木)明治の建築、だれも住んでいないようでかなり傷んできているので、補修して残してほしい。

旅籠鶴小屋を振り返る

100m程進むと松崎宿南搆口に出ます南側の宿場の出入口で、全国的に構口の遺構は道路拡張などで失われているが、松崎宿では北・南搆口に石垣を残しており、大変貴重な遺構で後世まで残してください

松崎宿南搆口の一部石垣が残る

南搆口の少し先変速十字路で、少し右斜めの道(車の方向)案内標示がないので少し迷います

特別支援学校を右に見て暫く進むと左に天満宮がある

天満宮

小郡市下岩田地区に入ると石原川を渡る

新しい道の信号交差点にでてここで間違って左に折れて少し進んだ先で、気が付きまたここの交差点に戻る
下岩田一里塚跡 が分からない

交差点右斜めの田畑の中を通っていたようで、反対の左に折れた。田畑の中の旧道は消失しています。止むお得ないので、信号を右に折れて200m程進み十字路を左に折れて迂回しました。丁度前方に見える集落の中です

左に折れて迂回する道、ハウスの角

左に折れた先の迂回道、下岩田の集落この先で左から消失した旧道が合流していた南に進んでいます

右手に お堂

お堂の先で、道は突き当たりますので左に折れます

50m程進んだ先十字路を右に折れる。この辺り古飯地区

左に 高松凌雲生誕の地碑と幕将古屋作久左衛門先生伝の碑 が建つ

日本赤十字精神の祖高松凌雲の碑説明蕃板

幕末の開国論の先覚者 古屋作久左衛門の説明板

道を挟んだ向かいに 諏訪神社

すぐ先の交差点を横断

暫く進むと右に消えた 薩摩街道古道の標柱が右手に薩摩街道は道路拡張などでどの地区も旧道が消失している。ただこの地区には数本の標柱が立ち住民の方も意識を持っているということで嬉しい

静かな田畑の中の真直ぐ道を暫く南に進むと、御井・御原の郡境石と説明板 が立っています

すぐ右手に お堂

小郡市光行の集落を振り返ったところ、大木の隣に大きな民家の奥さんと、道を聞きながらお話をした。ここの前の道はかつて御茶屋通りと教えて頂いた、聞かなかったがひょっとして女性宅は御茶屋であったのかも。
昔はこの前が参勤交代の旧道であったとの事。この先は旧道が消失しているので歩道のない車の多い国道を少し注意しながら歩き、途中で車道に沿った右下小川沿いの道を進むと安全と教えて頂いた

すぐ先 大きな記念石碑と消えた薩摩街道の標柱 が建つ。すぐ先は田畑で旧道は完全に消失。石碑の手前を左に折れて国道に出て迂回する

女性の方が話された車道、歩道はないし結構車が多いので注意しながら真直ぐの道を進む。資料ではこの車道に沿って左右に蛇行しながら旧道があったようですが、改修されて消失しています

暫く歩道のない国道322号を歩き、途中から車道の右下の小川に沿った静かな道がありました。この道を先ほどの女性教えて頂いた安全な道です。かつての旧道は車道の反対側(西側)にあったようですが今は消失しています。でもこの道は旧道のような感じでとてもいいです

左の国道は 光行土居の桜並木、左の車道沿いの桜並木の中に 光行一里塚碑 が建っています。小川を渡れないので傍に行けない

久留米市に入ります長い土居が続きます。桜の頃は非常に綺麗だろう。国道はこの先で右に急カーブして離れます

国道と分岐した土居の左上に上りました

今歩いてきた方向を振り返る

更にその先で右の小川に沿って右にカーブしている道と、左の細い道が分岐している左の道を進みました。どちらが街道か分かりませんが、先で合流します

右の川沿いに進む道は桜並木が続いています。多分この道が旧道かも

車道の交差点に出ますので左へ折れる

左に折れると岩松橋を渡る。そこで振り返った所

西鉄甘木線の踏切を渡る。左に古賀茶屋駅

すぐに大刀洗川に架かる橋を渡る

橋を渡った右手に 北野天満宮下宮

暫く南への新道を進むと、左に入る道が分岐しています

ハウスの田畑が一面に広がっています。久留米市北野町地区

やがて新道は筑後川に突き当たり右への道を進む

筑後川に架かる神代橋に出ます

橋の左辺りを渡っていたようです

神代橋の南袂から振り返る 舟渡し跡 辺り

神代浮橋の碑 が建っていたようですが撮れていない

橋を渡って右に折れ左にカーブして南へ左下に 神代天満宮

堤防から左に下ると 猿田彦大神 背後を左に旧道は進む、久留米市山川神代

猿田彦大神の正面が神代天満宮の鳥居

少し先右に 二基の地蔵さん

210号線の交差点を越えて、御井騎崎に入る

橋より400m程先の交差点を右に折れると、正面に高速道の高架が見えます。少し道を左に折れてすぐ右の高速道のトンネルを潜る

高速道を潜り道なりに緩やかに左に弓なりに曲がる県道86号線

高架下から400m程で久大本線の踏切を渡ります。右方向に久留米大学前駅があります

【府中宿】久留米市御井町

府中宿は宿の面影は失われている

右手に 浄土真宗安養寺

すぐ隣右手に新しい 真宗大谷派永福寺

その先左に 高良大社の大鳥居(重文)
高良大社や神護石に寄ってみたかったが、かなり山道で遠いから時間的に無理なので諦めた。
承応4年(1655)久留米藩主有馬忠頼によって寄進された明神鳥居(国指定有形)

御井小学校正門傍の標柱と大鳥居の説明板

大鳥居の前の道は、島津・相良氏などの参勤交代道であっつた。旧薩摩・坊の津街道府中宿の標柱

坊津街道府中宿本陣跡の標柱

大鳥居前の街道を南にその少し先左に、高良下宮社 白鳳2年(664)の創建と歴史が古い

街道から高良下宮社を見る下社向かい街道右にも 恵比寿像

左手に重厚な蔵造り風の旧家の大きな建物

狛犬と恵比須像 蔵造り建物も街道向かいに

像のすぐ隣に、真宗大谷派法種山源正寺

府中宿(久留米)本日はここで終了。バスで西鉄久留米駅へ移動、西鉄電車で柳川市の今晩の宿泊先ホテルルートインへ。       
     
 山家駅   7時20分  出発 
      大鳥居前  15時24分着 
           45.044歩  27㎞ 

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