2015年11月29日
西宮市広田町で西国街道と分岐~仁川駅の東~宝塚市小林で分岐~①ルート~武庫川に架かる宝塚新大橋~小浜宿~有馬街道の生瀬橋まで。②ルート~武庫川の南側に沿い~武庫川町の生瀬橋
自宅をいつも通りに4時40分にでて南海林間駅一番で大坂へ、阪急西宮北口からスタートする。
まず広田神社まで歩き、西国街道の分岐点迄少し戻り西宮街道起点スタートする。
小林駅前に出て、旧道は2ルートがあってどちらかわからなかったので、小林駅前から~旧小浜宿へ~武庫川の東岸を通り有馬街道の生瀬橋で終点。また武庫川の西岸を通り~宝塚南口駅~小林駅に戻るコース。
この後、阪急電車で川西能勢口駅まで移動して、京伏見街道を以前歩いた補足を歩く。
西宮北口駅 6時40分
広田神社へ 7時15分 スタート
到着小林駅 15時00分
36.400歩 21.84㎞ 1.609kl
西宮街道は馬街道とも呼ばれた、有馬街道の脇道
起点スタート前に広田神社に参拝しました。神功皇后摂政元年(西暦201)わが国最古の国史書「日本書紀」に記されています

広田神社

広田神社の参道

広田神社の東側の道を南東に戻り御手洗川に出ます。左岸(東側)を下ります川に沿って200m程下ると信号交差点で

右川向角に大きな 広田神社の灯籠

御手洗川に架かる橋

橋の交差点を左(北)に進みます

200m程進んだ交差点の右手前に 武應槌神社

十字路の越えた左丘に 若宮神社


もとの交差点に戻り御手洗川沿いに150m程下ったところに右T字路があります。その辻を左に折れるとここが西宮街道の起点です

西宮街道の起点でもあり、西国街道 が正面の御手洗川に沿って上ってくる

西国街道と暫く重複して進む街道

正面の柿色の建物の辻で左にカーブします

カーブしてすぐ先突当りを右に折れます

真っ直ぐに北東に進みます

道は分岐していますが、真っ直ぐの道です

やがて能登町の広い道信号交差点に出ますが真っ直ぐ横断

信号から100m程進むと小さな川を渡ります

橋を渡った川沿いに 祠

橋から100m程先、右T字路の辻で 西国街道 は真っ直ぐ進み、西宮街道 は左に分岐します

左に折れた西宮街道で「やくじんさん筋」です。その角塀際に 道標 が立っています

分岐する西国街道の旧道

角の 厄神道標 文久二年(1862)銘
正面 指差し「日本三休 厄神明王者」
右側 「すぐ京都 伊丹 池田道 左は 参詣ちかみち」
左側 「是より門前まで西へ五丁 中山荒神 三田 有馬道」
この道標は、むかし西国街道と有馬街道といったふたつの旧道の分かれ道に建てられている。道標をよく注意してみると四面の刻字のうち指向手形の下の字体と他の三面の字体が異なっている。道標には文久二年再建という刻字されていることから、指向手形のある日本三躰厄神王と刻字されていた道標を何かの理由で文久二年に再建されたと考えられます。従って、この道標自身は古く、江戸中期のものと思われます。(甲東文化財保存会)

左に神戸女学院 非常に環境の良いところに建っています

暫く北への住宅の中を進んでいきます。電柱に 門戸厄神東光寺の案内

左に入った右手に 門戸厄神東光寺別院智照院

観音堂

門戸厄神 坂を上っていきますが、以前西国街道で寄り道して寄っているので遠望だけにします

案内看板から100m程進んだ右に くらがり街道 その入り口左角に道標

くらがり街道 道標
くらがり街道の名称の由来については不明です。今のやくじんさん筋の呼称です。この道標は守部の渡しから大市八幡の横を通り、西国街道を横切りくらがい街道を経て門戸厄神へ、またここから北へ腹切り地蔵、神呪寺仏性原への道標脇を通り、今津高木道との分岐点に建つ両名刹への道標から清荒神への道標である。昭和の初めまで大市からはこの道しかなく付近一帯は田畑であったという。(甲東文化財保存会)

くらがり街道道標から100mほど北に進むと交差点に出ます、その左手前角に
腹切地蔵
地蔵の腹のところで折れているところから腹切地蔵と呼ばれた。腹に関する病気はお地蔵さに祈願すれば治るという。村人や近郷の人々から信仰を受けていた。この辻は有馬街道(西宮街道)と甲山参詣道の交差点に当たり、人の往来で賑わった。(甲東文化財保存会)

さらに150m程進んだ十字路の左角に 自然石の甲山観音への道標 「是よりにしく王(わ)んおんみち十九町あり」

その先で山陽新幹線の高架を潜ります

少し広い道路に出ます、右斜めの道左側溝に沿って進みます 上甲東園6丁目

交差点の左角に灯籠二基と石段があります。長い石段の参道で天神宮があります

石段が終わると道路に出るが、さらに灯籠の間の道を上ります

高台の上にある 天神宮

交差点に戻り西国街道と分岐した辻より続いている、やくじんさん筋を進みます。

少し先左に 神呪庚申塔 江戸時代初期の自然石に「庚申」と彫られた供養塔、昔は村に厄難、疫病等村に入らないように村のはずれに設置された

100m程先で右から道路が合流します

振り返ったところ、向かって右からきました

150m程進むと変則交差点に出ます左角に 地蔵さんの祠


左に甲東園1号緑地に沿って進みます

やがて阪急今津線の踏切を渡ります

踏切の先で突き当たりますので左に折れるとすぐ十字路です、そこは真っ直ぐ北に進みます。

突当りにある両名刹への 道標
この辻は有馬道(西宮~有馬)と今津・高木道の分岐点にあたる。道標は門戸厄神と清荒神への道しるべで、十九世紀の前半の建立。本来の場所は向かいの分岐点にあったのを移動。(案内板)
「右 厄神明王 是より南 高木今津道 荒神道」


向かいすぐのところの交差点を進む

交差点の右を見ると、道路右に仁川学院小学校・道路挟んで左が仁川学院中・高校

交差点左の道角に 供養道標 甲山観音が甲山を下り神呪、仏性原に、そして現在地に移ったすぐ後の1760年ごろの建立。

神呪寺までの距離二十二丁とある。この道標は大坂新町の折屋甚蔵が使用人であった、みつ・やなんどの五人の婦女子の死を悼み、その菩提を弔うために寄進したことを刻まれている。おそらく非業の死を遂げたのだろう。(案内文より)

右に仁川学院高校・仁川カトリック教会を過ぎて進む

左に 地蔵さん

仁川町2丁目交差点で右からの車道に合流する

その先100m余りで仁川に架かる仁川橋を渡る

さらに100m余りで阪急仁川駅前交差点に出る。左に行けば仁川駅宝塚市に入る

川を渡りすぐの交差点で右に県道を分け左に折れる

左に折れた筋、この辺りは新しい住宅地暫く西北に進むと左に阪急線が近づき、線路の向こうには弁天池が広がる

弁天池公園を過ぎて暫く進んだ先左に、線路向かいに熊野神社があるので(寄り道)します
熊野神社



線路手前の少し北側(右)に 金龍寺

街道に戻り北に住宅やマンションの間の道を進んでいきます右に行けば阪神競馬場

谷口町地区

左に阪急今津線小林駅の見えるところで道が分岐します。どちらが旧道かチョット迷いました。

とにかく右の狭い方の道を進みます。分岐する左に 祠

分岐の右側の道筋、右に良元小学校

進んでいくと左の民家の生け垣に 祠


その先150mほどで広い道路を横断します

その先200m弱で十字路に出ます十字路手前左に


「本堂釈迦尊薬師佛観世音 武庫山平林寺聖・・開基」

祠まで来た道を振り返る

碑のあった十字路から80m程の左T字路、右に白い建物の手前を右にお折れます。

右に折れて30m程で右T字路を左に折れます

小林3丁目1 左に折れた細い道

ややこしいが、60m程北に進んだところでT字路になりますので右に折れます

右に折れて50m程進むと広い道路に出ますが、すぐ手前の左に曲がる道に折れます

左に折れるところです、

左に折れて30mほどで、右からの広い道路に合流します、広い道路を右に折れますが、横断歩道もないので車に注意しながら渡ります。白い車二台の置いている宝塚電業社の角を左に折れます。

この先の道順は宝塚電業社の角を左に折れて、30m程北に進み、突当りを道なりに右に折れます、右に折れると少し道は狭くなります、80m程住宅の中を東に進みます。道は左右に分岐しますので左の道に曲がると広くなっており、左右に道が出会いますので横断していきます。
伊子志3丁目です、横断した道より80m程進みます。そこが下の写真

右に黒い車のさきで人が話している場所まで80m程です。そのお先は、道はより狭くなり若干下っています。
狭い道を50m程進むと信号のある道に出ます。右側に宝塚市消防本部があります。信号で横断します

横断して右の分岐した道の左側の道に入ります

すこし屈折しながら道なりに進むと、114号線の市役所前交差点に出ます。信号交差点の北東角に宝塚市役所があります

交差点の道114号線を左に折れて120m程進みます

右を見ると末広中央公園があります。かつての旧道はここを真っ直ぐ公園の中を通っていたようで右に折れて中を進みます。広い環境の良い公園で沢山の人が思い思いに楽しんでいます

公園の北側には武庫川が流れ、対岸は武庫川町です。この辺りから、対岸のマンションの建物の右側辺りに
渡し場があったようです

武庫川の西側(宝塚の市街地)方面を見る

武庫川の東側を見る、橋は宝塚新大橋

堤防を宝塚市役所方向に歩き、宝塚新大橋まで戻り武庫川を渡ります


対岸へ進む

宝塚市役所を振り返る

橋を渡った対岸の堤防。150m堤防を行くと渡し跡の碑があるので行ってみます。橋の東側にも立派な市立スポーツセンター総合体育館、市立武道館など建っています

堤防を150m程歩くと大木があり碑がありました 伊子志(いそし)渡し跡
江戸時代には武庫川を渡るのにこの辺りで、小さな伝馬船で渡っていた。大正初期まで続いていたそうです。

渡し跡の対岸が末広中央公園

往時はこの北側の宝塚中学校の運動場を北東に進み、現在の宝塚郵便局辺りに出て、さらに北の小浜宿に入っていた。

この先行きどまりなので元の橋に戻ります、大木と渡し跡を見る

渡し跡からの宝塚新大橋を見る

橋を渡った右側に建つ、立派な市立スポーツセンター総合体育館

そのすぐ先の交差点は宝塚中学校前を横断します

交差点より100m程進む途中左に宝塚郵便局があります。小さな川橋を渡り左斜めの道に入ります

60m程進むと最初の十字路で右に折れます、右手前角にじてんしゃ屋さん、 前述の渡し跡からかつての旧道はこの十字路の辺りに出てきていて、正面の真っ直ぐの道で会ったと思われますが、この先の新道で旧道は無くなっています

迂回のため右に折れてすぐ、先ほどの道路が右から合流しますので左に折れます

交差点の左に歩道橋があるので上ってみました。左側を見ると、じてんしゃ屋さんの道が出てきて通行止めになっています

右斜めを見ると、高架の下へ車道が交差する向こう側に道が見えますのが旧道の続きです

小浜の交差点で176号線の高架下を潜り北側に出て、左に折れ側道を70m程進みます。右側に大堀川が沿います。その所から南側を見たところです

そして70m程の所の右への道を入ります

すぐ大堀川に架かる黒鉾橋を渡ります

橋に架けられています

西宮街道の案内が立っています、初めて見る案内のような気がします

大堀川を渡り少し真っ直ぐ進み、右にカーブしながら坂を上る

カーブする右角に 谷風岩五郎墓
江戸末期小浜の米穀商(屋号米鶴)に生まれた。十才で米一俵持ち上げたといわれている。十八才で相撲界に弟子入りし、五年後に前頭まで出世した。明治五年(1872)故郷に錦を飾り皇大神社境内で大相撲が開催された。明治九年に大関に昇進し、谷風岩五郎と改名した。


墓を右に見ながら右にカーブしながら坂を上るところ

カーブの右高台に上ると 小浜の首地蔵
大昔小浜がまだ浜辺であった頃に打ち上げられたとか、伊丹の殿様の夢枕にお告げがあり持病の頭痛を治してもらったお礼に刻んだとか、これを土地の人々がこの高台に運び上げ、お堂を建て安置しようとしたところ、大工が病気で倒れてしまい、代わりの大工に依頼したがその大工も病気になり、家に入って祀られるのを嫌いなのでしょうと、雨ざらしのままお祀りされたということです。


首地蔵の高台を右に見て緩やかな坂を少し上る

十字路右角に 道標
大変古い道標で、中央に「南無阿弥陀仏」下方に「右 西宮道 左のみち」貞享四年(1687)の銘

左に折れたところに、小浜宿 の大きな標示、ここがかつては 南門跡

西宮街道は小浜宿内を真っ直ぐ進み北門跡に出ています。小浜宿内及びその先、有馬までは 有馬街道 に合流して進みますので、西宮街道 はこの宿内辻で終わりです。
西宮街道、小林で分岐した一つの道完歩
有馬街道に載せていますが、小浜宿内を少し散策します。
南門跡を進むと右に 小浜御坊 毫摂寺



宿の東の出入口跡 東門跡と愛宕宮 正面の高架は中国自動車道です

この旧道が東門跡から西に入り、旅籠「菊屋跡」に突当り右に折れすぐ又鍵の手に左に折れてその先に市に進んで、西宮街道が左からくる十字路で合流します

少し宿内の有馬街道を進むと、東門跡からまっすぐ西に来ると左角に
道標「従是右昆陽寺行」背面に元禄十五年二月(1702)の銘この道標は平成八年三月道路改修中に埋まっていたのを発掘された。

かつての 旅籠「菊屋」跡 に突き当たります。突当りを右に折れて30m程進みます。鍵の手になっていて、左に折れます、左に折れた宿内の街並みです

右塀際に 道標「左 三田有馬 右 中山大坂 道」寛永五年正月の銘


左に折れずに真っ直ぐの先突当りに 法仙寺

左に折れたすぐ右は、かつての代官所・番所跡です(現在小浜会館)。すぐの十字路右角に旧家井川家、街道左向かいには旧家山中家があります。山中家の西隣が市立小浜宿資料館が建っています。その西側の十字路が札場の辻で角に制札場が復元されています。有馬街道はこの辻を右に折れます。
復元されている 制札場跡


旧家の井川家

小浜資料館と旧家の山中家

ここの十字路左から西宮街道が合流十字路奥に 皇大神社戎社

西宮街道の筋と有馬街道が合流した十字路、真っ直ぐな北の筋を見る、この道を真っ直ぐ進むと、北門跡に出ます

先ほどの制札場跡に戻り十字路を北に進む100m程進むと右角に とんかち館(工房館)があり右に見て100m程進むとT字路に出ます

工房館の十字路を左に入ると突当りに 本妙寺


工房館の十字路の有馬街道に戻り少し歩いた先から振りかえったところです

右に小さな、お地蔵さん があります

工房館から100m弱進むと突当りで左に折れます
ここでも北の出入り口に近く鍵の手になっています

突当りを左に折れて50m程先でT字路を右に折れます。一応宿内を自由に散策しました。
西宮街道はこのT字路左の道です。ここで西宮街道は終了して、有馬街道につなぎます
酒造り茶太跡の突当りを右に折れます

小浜宿の北の出入口 北門跡 に出ます

小浜宿はまわりを川に囲まれ、北門・南門・東門 の三か所があった
北門跡の愛宕宮

北門跡の北側に大堀川に架かる国府橋を渡る。結構大堀川も深く宿を取り囲み守っていたようです

橋の手前に左に入る川沿いの道が下っていて、数十m左で大堀川を渡っている「いわし坂」があります。この道がひょっとするとかつての旧道であったのだろうか、後で資料を見て分かった次第
国府橋を渡り左にカーブする右手に 道標


道標を左に国府橋を渡り宿内方向を振り返る

左にカーブすると、左側に 旧和田家住宅(現在宝塚市立歴史民俗資料館)江戸時代中頃の建築、代々旧米谷村の庄屋を務めた旧家であった

中庭

前回、有馬街道を歩いたとき休館で中に入れなかったが、今回見学でき職員の方から詳しくお話を伺いました。
庭に移された 道標 「右 西の宮 兵庫 道」職員さんのお話では、かつては旧道は和田家の裏(南)のいわし坂を通っていたというお話でした。やはり先ほどの橋の手前を左に下る旧道がかつてのいわし坂であったようです

以前有馬街道を歩いたこの先は重複し、今回は西宮街道を歩いたのでここで一旦終わりますが、私の悪い癖で少し気になる道があるので、この先宝塚市街地を越え3㎞ほど西に有馬街道を進み、川に架かる生瀬橋まで行きます
生瀬橋の西詰交差点です。有馬街道は西詰を右斜めに分岐していきます。武庫川の対岸を下り前述の分岐した阪急今津線の小林駅まで歩きます。
分岐から小浜宿を迂回せず、武庫川沿いを進むこの道は近道なので、有馬方面・西の三木から姫路方面へ進む旅人は利用したかも

瀬橋から下流の宝塚方向

生瀬橋西詰を左に折れま、武庫川を左に沿います

生瀬橋方向を振り返る。

100m程進んだ左川沿いに立つ楠の大木

道は分岐しますが川沿いの左の道を進みます

すぐ先で観音寺川に架かる橋を渡ります

川沿い対岸に建つ宝塚市の大きなマンション

左武庫川に突き出た 見返り岩

見返り岩を振り返る

川向、阪急宝塚駅方向で、川沿いに建つ宝塚ワシントンホテル。武庫川に架かる宝来橋

宝来橋南詰交差点で左に橋を渡ると宝塚駅へ行きますが、橋を渡らず真直ぐ進みます

交差点を右に少し入った右手に 道標二基 この道は塩尾寺への参道入り口に立つ

小「左 塩尾寺 是より十五丁」 大「塩尾寺十面観世音 すく十五丁」


宝塚市湯本町を進む

道は分岐しているので左の道に入ります

対岸の宝塚大劇場 宝塚市の市街地は武庫川を挟んで町が発展している。新しい大きなマンションが建ち並んでまた綺麗な町並みを様している。何か景色が欧州風

右に宝塚ホテルをみて、阪急今津線宝塚南口の北側の高架下を潜ります

阪急宝塚南口駅前交差点の道路を西に進みます。

武庫川の南側の道は市街地に近づくにつれ賑やかで新しく開発された町のようで全く旧道らしい雰囲気がなく、近年に入り家が建ち並んだのだろう。
南口2丁目交差点で右の斜めに入る道を進みます

小逆瀬橋を渡ります

小逆瀬橋から右側を見る

小逆瀬橋から左を見る

暫く進んだ先で逆瀬川に架かる逆瀬川橋を渡ります。橋を渡った右に逆瀬川駅があります

逆瀬川駅前交差点で左にやや方向を変え右にマクドナルド、左にカルチェヌーボ宝塚逆瀬川店の間の道路を進みます。すぐ先の茶色の建物の手前を右に折れますが、その前に【寄り道】します。

右に折れずすぐ先デイリーの前を左に入ります。200m程北に道なりに進むと左に逆瀬川幼稚園があります。トンネルの入り口も見えます、その左に

伊和志津神社 延喜式内の大社(約1060年前)宝塚随一の古社


もとの交差点に戻り右に折れます

100m程で突き当たるので右に折れて、すぐ数十mで右T字路を左に折れます

左に折れるところ

変則な辻に出ますが左側の道を進みます

すぐ先の分岐も左側の道を進みます

十字路に出ますので右に折れます。この十字路を真っ直ぐ100m程進むと、往路で小林駅前の分岐した道を右に進みましたがその道に出ます

往路のここに出ます 小林1丁目7十字路手前左に 祠と道標



十字路を右に折れた道

左に 祠 があります

左に折れた筋です この先は道が狭く適当に進みました

100m程進んだ先で左の写真のブロック塀の手前右に折れました

右に折れてすぐブロックが切れたところ左に折れました

左に折れて80mm程細い路地を南に進みまました。

一つ目の十字路を少し左にずれて真っ直ぐ進みますが、この十字路の左からの道は100m程左に、往路の祠と道標の道です。道標は右に進んだ平林寺の道標でこの道を指していたのです。
往路の旧道とほぼ並行して南へ

ここで【寄り道】をするため右に折れました
右に折れたすぐ十字路の右角に お地蔵さん

十字路を越えてすぐ先のT字路右角石垣の袂に 祠

T字路正面に池がありその手前に 弁財天

弁財天の背後には宝寿院

三宝大荒神社碑

池の背後には 宝寿院

宝寿院の道を挟んだ北側には 武庫山 成就院

西隣には 西光院

阪急線を越えた先に、道標の指した 平林寺


下の池の傍に下ってきたところ池の南側に 金毘羅社

金毘羅社の傍の道を再び坂を上り阪急線を越えると 宝塚神社


宝塚恵比須社

宝塚神社からの市内眺望

寄り道を終わり元の十字路に戻ります。十字路を真っ直ぐ南に60m程進むと再び十字路に出ますので右に折れます

すぐT字路となり左に折れます、右向い斜めに宮田酒店があります

左に折れた先の道を真直ぐ南へ、右手には阪急今津線、左手には往路の旧道

左にJA兵庫六甲宝塚西がありますその先右に西図書館があります

やがて右斜め先に阪急小林駅が見えます

小林駅東側の、午前中往路で分岐した辻に出ました。やはり歩いてみると分岐する右の道が西宮街道として正しいようです。復路の道は一部、平林寺や宝塚神社等々へ寄る道であったと思われます。

西宮街道と補足道完歩
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