西高野街道

2010年1月24日

南海堺駅東の大小路交差点~仁徳御陵北側~南海高野線中百舌鳥駅南側~大阪狭山市岩室~南海河内長野駅
高野山への巡礼道の一つで、西高野街道・中高野街道・下高野街道・東高野街道の4つの街道ルートがあり、現在の河内長野市で合流して一本の高野街道となり紀見峠を越えて、橋本から紀ノ川を渡り高野山へと至る道
       大小路交差点スタート   8時45分 
        河内長野駅着      15時30分 
              39.899歩  24km

南海本線堺駅前

南海堺駅前より真っ直ぐ東南に広い車道を進み、大道筋の大小路交差点(堺北警察署前)へ
大小路筋は 紀州街道

大小路交差点は西高野街道の起点 とされている。また、紀州街道 との交差する辻であり、竹内街道の起点でもある、竹内街道は暫く重複する

大小路交差点を横断して三つ目の筋を右に入ると開口神社がある
開口神社

街道に戻り、今度は左に入ると 菅原神社

暫く歩いた左には、熊野小学校は 大通庵跡
中世堺の豪商で茶人としても名高い津田宗及(天王寺屋)が父宗達の菩提を弔うため創建した臨済宗大徳派の寺院。明治に入り廃絶して跡地は熊野小学校の敷地となった

暫く広い道を進むとやがて阪神高速堺線を潜り、大小路橋交差点を横断して広い車道を東に更に進む。やがて道は南海堺東駅南口交差点に出るT字路となり左には堺東駅と高島屋があり、右側は堺市役所の高層ビル21階の展望台に登る。

南方向に広大な 仁徳天皇陵

展望台からの市街地の遠望

西方向には今歩いてきた市街地正面のビルが南海本線堺駅駅の背景は摩耶山(699m)・六甲山(931m)の山並み

堺市役所を右に見て道は突き当たるので右(南)に折れる、右側に市役所他行政関係の中心地である。30号線の車道、二つ目の新町交差点を左に折れると100mほど先で、南海高野線の踏切を渡り、分岐する道を右に道なりに進む右手に高野線の線路を見て左にカーブします

榎元町を進むとその先の分岐点は右の道を進む、分岐左の道、竹内街道 が左に分岐する

竹内街道の 道標 と道筋

右の西高野街道

西高野街道は堺から紀州の霊場、高野山に向かう信仰の道です。高野詣が盛んだった平安末期から鎌倉初期にかけては船で堺に上陸した西国の人達で賑わい、物資輸送にも盛んに利用されました。起点は堺の大小路で、河内長野で下・中・東の高野街道に合流します。

暫く大きく右に弓なりにカーブしながら進み、やがて南海高野線を高架で渡り、続いて大阪中央環状線を歩道橋で渡る。右には仁徳天皇陵が広がる
仁徳天皇陵
全長486m、幅(前方部)305m、総面積464㎡、日本最大級の前方後円墳。クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓と言われる。5世紀ごろの建造、古墳の周囲は2.8㎞。

暫く右の仁徳陵の壕に沿って北側を回り込むと、やがてJR阪和線を高架で渡る。左にJR・南海三国ヶ丘駅がある。街道(車道)は右にカーブして南へ進む。左にはコーナンホームセンター、300m程歩いた先の一つ目の信号交差点で(百舌鳥赤畑町)左に折れる、交差点右には光明院があり、左に折れた右角にキリン堂、一つ目の十字路まで100mほど進み右に折れる。百舌鳥梅北町3丁の街並みを南に400m程進むと、南に大きく蛇行しながら歩く、310号線の梅北南信号交差点の東側でT字路となり左に折れる、西に向きを変え百舌鳥町の街並みを進む

仏頂山金輪寺 光明院 高野山真言宗金剛峯寺に属する

(寄り道)街道からすこしはなれるが南に310号線を越えて進むと
百舌鳥八幡宮
欽明天皇(532~571)の頃に建てられた、社前には大楠が聳え、毎年中秋の名月の日に、大小17基のふとん太鼓が繰り出す勇壮な月見祭りがおこなわれている

拝殿

境内の くすの大木 樹齢7~8百年、樹高25m 幹回り約5.2m

西に進む途中に 

落ち着いた雰囲気のいい町並が続く

右側の吉田医院の過ぎた左に 本通寺 中百舌鳥梅北町4丁目

前方後円墳の 御廟表塚古墳
五世紀後半の古墳で世界遺産百舌鳥古墳群の中の一つ、帆立貝式前方後円墳

古墳と一帯となった個人の邸宅の屋敷林、堺市中百舌鳥町4丁目
アラカシ、クスノキ、ツブラジイの樹林、中には800年~1000年の樹齢の老木もある特にこの大木,楠は樹齢800~1000年

交差点の左は南海中百舌鳥駅、旧道は交差点を真っ直ぐ横断して進む

広い交差点より100mほど先の信号交差点、中百舌鳥6丁目辺りの町並を進む

左に中百舌鳥小学校を見て、右からの310号線に合流。300m程310号線を進む。右に大阪府立大学を見ながら途中で左の道に入る。左に入り右にカーブすると広い交差点に出るので横断してやがて左に大きな白鷺公園が広がる。

星谷池記念碑

池を見て暫く歩くと、右に邦和病院があり、その先で泉北高速鉄道を越える

その先、南北朝時代、楠氏が関所を設け関所近くの茶屋より江戸時代に入り関茶屋・中茶屋の名前が生まれた
関茶屋の十二里石

関茶屋の十二里石の前の街道を振り返る 道標地蔵 「東 なら ふじいてら」

旧道を思わせる街道の町並み

街道左に 出雲大社大阪分祠 御旅所

更に街道沿いの 祠

庚申さんをお祀りする 

更に 中地蔵 が続く

草尾85近辺 中地蔵の前、街道右には 惟妙寺

その先で阪和高速の高架を潜る

中茶屋の 法界地蔵尊

その先で道は分岐する 草尾の祠と道標 街道は右に道を進む

「左 たきたに 金剛山、 右 こうや 大みね」

すぐ街道右に 興源寺

境内の くすの大木

興源寺の先の町並み

府道36号線・続いて310号線の交差点を横断する

暫く南に真っ直ぐ進んでいく、途中の 

福田の街並み

福田の街並みを振り返る、緩やかであるが坂を上っている

 があるが前は廃品の集積場

更に西高野街道の新しい 道標と祠 

福田から胸器北、山本北、中、南と集落を進んでいく

途中民家の軒に 

更に左に石造りの  横に立つのは 道標 かな

更に西高野街道の新しい 道標と祠
街道の至る所に祠があり祀られています

右から道が合流してくるところを振り返る

その先左に 大平大明神

更にその先左に 十一里石 「高野山女人堂十一里」

道標が三基
新しい 西高野街道、岩室郵便局跡、家塾跡 岩室の広い車道の信号交差点を横断する  

その先で、女人高野として人気のあった天野山へ至る 天野街道 との分岐点に出る。
西高野街道は真っ直ぐ左の道、右、天野街道 (天野街道参照してください
祠と道標  「右 あまの山 左 かうや山」

左の街道を進むと下り坂となり、左から 二上山、大和葛城山、金剛山、岩湧山 と山並みが望める

おわり坂

分岐を左に進み200mほど先左に、今熊公民館、その先で道が広くなり南東に進む、右に池をみてその先左にコンビニ、その先で左(北)から広い車道が合流し、更に北東より川沿いに道が合流する変則四辻に出る。街道は左の広い道を歩道橋で渡り、少し北東からの道を10m程川沿いに北東に進み、右に折れて、三津屋川の三津屋川橋を渡り右に折れる。おわり坂を下ったところで 下高野街道 と合流する。下高野街道の起点で左三津屋川に沿って北東に進んでいる

下高野街道との合流辻
合流地点の緑地の中に 

三津屋川を右にして堤を100mほど進む

その先で道は分岐するので堤防と離れ左の道を進み200mほど進むと十字路に出る、その右手前角に      三津屋地蔵尊

十字路を横断して真直ぐ進みます右に帝塚山学院大学の東を通り、この辺り茱茰木辺り、旧道は暫く先で突き当たり、左に折れて、すぐまた右に折れる鍵道で、その先は暫く旧道と少し東側に走る310号線が並行している。

途中に、弘法大師御堂

常夜灯と石碑

茱萸木の街並み

くみの木南之町の 玄昌法師地蔵尊

高野山女人堂十里石 大阪狭山市と河内長野との境界近くに

十里石の先の信号交差点で右斜めの道を進み、次の信号をまっすぐすすんで天野橋を渡り、道なりに左にカーブ東南に進む

河内長野市松ヶ丘中町に入ると 西国三十三度供養塔と大神宮常夜灯

松が丘中町で道は分岐するが、どちらを行っても先で合流するが左の道を進んだ、分岐した道と合流する手前左に  松林寺

松林寺すぐ先で合流する十字路に出るので左に折れる

常夜灯 が立っています

河内長野市楠町東で 中高野街道 が左から合流する。中高野街道の起点
合流する辻を振り返る古い 道標と常夜灯・地蔵 がある

中高野街道と西高野街道の合流辻
京の都と仏教の聖地高野山を結ぶ高野街道は、平安時代の皇族、公家や、中世から盛んになる武士、庶民の高野山参詣に利用されました。
この街道には、主に4つのルートがあります。1つは「東高野街道」です。古代官道のひとつ南海道が前身ともいわれ、京から石清水八幡、洞ヶ峠、生駒山西麓を南下し、河内国分、富田林寺内町を経て市内の本町で「西高野街道」と合流しています。また、「西高野街道」は、堺市の大小路を起点に、現在の国道310号線に沿って南下し、大阪狭山市の茱萸木から、西除川を渡って市内の松ヶ丘(西町と中町の境)に入り、ここ楠町(西と東の境)で「中高野街道」と合流します。
また、「中高野街道」は、大阪市の平野からまっすぐ南下し、松原市の阿保、堺市美原区の舟渡池、菅生神社を経て、狭山へ向かっている。
さらに、四天王寺から「中高野街道」とほぼ平行する形で狭山に達する「下高野街道」もありました。このように、市内では、「西高野街道」と「中高野街道」はここ楠町で、「西高野街道」と「東高野街道」が河内長野駅前の本町で合流し、紀見峠を経て、和歌山県の高野山へ向かっている。

楠町東、西と進み、右に大阪暁光高校、左に楠小学校、右に大阪千代田短大付属幼稚園を見て南に進む。やがて左(東)に南海千代田駅が見える、駅前からの道路の信号交差点を横断する。横断した左には西友が建つ。

西友の辺りは木戸西町

陰陽師・安倍晴明にちなむ 晴明塚と常夜灯

五條大神宮常夜灯と神南邊の碑

真言宗 明忍寺

原町の町並みを進みます

暫く進むと国道170号線の高架を潜り真直ぐ

高架を潜った先の塀際に立つ、道標
西国巡礼道の交差部で半分埋もれている「左 まきのお 右 さかい大坂」

道標の前をいかにも旧道らしい路地を進む

原町6丁目

街道沿いの 常夜灯

やがて310号線に出る、道向かい左には寺元記念病院がありその前の道を斜めに進む

高野山女人堂九里石
病院の先に、行者講のちいさな東屋と 大峯三十三度記念の碑 九里石の横には 道標「中本山極楽寺 左 さかい四里 大坂七理」

原町の 旧阿弥陀寺石造物群 原町の地蔵講によって祀られ、十三仏板碑二基・地蔵菩薩像・観音菩薩像

九里石の先の街道

福寿地蔵と金龍大神

記念病院から河内長野駅までの、この道筋には沢山祀られているお堂がある

古野町から本町へ

本町16、河内長野駅前のノバティながのがちかくに

河内長野駅前の170号線で 東高野街道 が合流

西高野街道は、東高野街道と合流して重複しながらすぐ先の河内長野駅前に進み、高野街道として高高野山へ

西高野街道完歩

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